351. 誕生日には爆発します(本編)
「ピ!」
リーエンベルクにやって来た大雛玉は、ネアを見るなり喜びにどすんばすんと弾み回った。
興奮し過ぎてしまったものか、転がり倒れてそのままこちらにやって来てくれる。
「ほこり!元気でしたか?」
「ピギャ!!」
さっそくネアに抱き締めて貰い、ほこりは喜びに毛羽立ってしまい、小さな足をバタバタさせた。
「ふふ、ふかふかで、何だか羽が艶々になってきた素敵で可愛いほこりですね。今年は危ないからと言われたので祟りものを狩っておけませんでしたが、物語のあわいで拾って来た木桶がありますよ?」
「ピ!」
「あと、祟りものの詰め合わせを、ノアが準備しておいてくれましたからね」
「ピ!ピ!」
この訪問に備えてほこりはお腹をぱんぱんにして来たようだが、それでも珍しい食材に大喜びで、お土産の木桶をばりばりと食べてくれた。
「ピ!ピッ!ピギャ!!」
「…………気に入ったみたいだな」
今日はゼノーシュがいないので、同席したアルテアがぞんざいな通訳をしてくれており、時々ほこりに、そうではないと叱られながらもその発言を伝えてくれている。
「わーお、もうなくなったぞ」
「あっという間に食べてしまうのだな」
「……………木桶も食べるんだな」
そんな木桶に大はしゃぎのほこりを少し離れて見守るのは、ほこりの滞在中はこの部屋で簡単な執務をしているエーダリアと、とうとう室内でコートまで着てしまったノア、そして約束の時間の五時間前の到着となったウィリアムだ。
ウィリアムは、急ぎ終わらせようとした仕事が少しハードだったようで、ほこりが来ているのを見た後は、少しこちらで仮眠を取る予定らしい。
誕生日なのにすまないと言われたが、そんな風に頼ってくれたことがネアは嬉しかったし、ウィリアムに憧れているエーダリアも嬉しそうであった。
そしてそんなウィリアムに気付くと、ほこりは毒々しいくらいに鮮やかな緑の宝石をけぷっと吐き出した。
「ピ!」
「あら、この石は…………?」
「ピギャ!ピ!」
ここでほこりは、吐き出したその宝石を足でげしげしと踏みつけた。
更には端をがりがりと齧り、ぺっと吐き捨てるともう一度げしげしと踏みつけ、ネアとウィリアム、最後にはディノの方も見て誇らしげに胸元の羽を膨らませていっそうの大雛玉になる。
「…………蝕の時の白夜のことかな」
「ピ!」
「もしかして、ほこりが、白夜さんを叱ってくれたのですか?」
「ピ!ピ…………」
「ほこり?…………アルテアさん通訳して下さい」
「ルドルフは躾けておいたそうだ。後はまぁ、管理しきれてなかったことへの謝罪だな」
「まぁ、……………その方もいい大人でしょうし、ほこりのせいではないでしょう?」
「ピ…………」
「私の可愛いほこりを悲しませた魔物さんは、どこかで会ったら叱ってあげますね」
「白夜におしおきはしなくていいんじゃないかな…………」
「ピ!」
このやり取りを聞いてゆっくり立ち上がったウィリアムが、床に座ったネアが撫でてやろうと膝の上に引っ張り上げていたほこりの頭に、ぽすんと手を乗せた。
「ピ…………?」
「あの時は俺も浅慮だった。ルドルフの処遇はともかく、ほこりが気にする必要はないからな」
「ピ!」
ウィリアムに微笑みかけられ、ほこりはネアの膝の上から転がり落ちるとどすんばすんと弾んで照れている。
白夜の魔物を示す宝石を、てやっと部屋の端に蹴り転がし、またネアにばすばすと弾み寄り頭を撫でて貰う。
「ピ!」
「ふふ、ウィリアムさんに撫でて貰えて良かったですね」
「ピ!」
「あの小さなほこりは、今はすっかり頼もしい素敵なほこりになったのですねぇ」
「ピ…………」
もじもじした後、ほこりはけぷりと大きな宝石を吐き出した。
「まぁ、…………」
後方で、エーダリアががたっと椅子から立ち上がる音がする。
ほこりが吐き出したのは、はっとする程に白い宝石で、結晶が重なるような形状の中央に、淡い灰紫色の色が入っている。
親指と人差し指で作る輪っかくらいの大きさだが、ネアとディノの色を持つ宝石の薔薇のようにも見えるではないか。
「ピ」
「…………これを、くれるのですか?」
「ピッ!」
「…………何て綺麗なんでしょう。雪の花を宝石にしてしまったようです。まぁ、光が入ると虹色の煌めきがありますよ!」
「……………ネア、その裏側も見せてくれ…………」
「むむ、きらきらさせたらエーダリア様が寄ってきました………」
「わーお、…………何かあったらこの宝石で、この国からウィームを買い取れるかもしれないよ……………」
「…………ちょっと価値が計り知れません…………。でも、何よりも、ほこりから私とディノの色が入ったものが貰えたのが、とっても嬉しいです」
「ピ!ピ!!」
その言葉が嬉しかったのか、ほこりは目をきらきらさせてネアにぎゅっと体を寄せる。
頭を撫でて貰い、おでこに口付けを落とされたほこりは、また喜びのあまりに転がっていってしまい、椅子に座っていたアルテアに足で止められていた。
「あら、アルテアさんの靴はお誕生日の靴を履いて来てくれたのですね!」
「お前が絡むと、何があるか分からないからな…………」
「むぐぅ」
「ピギャ!」
「おい、この靴は齧るなよ?」
「ピィ」
窓の外は静かな雪が続いた。
ほこりは、祟りものの詰め合わせを時々つまみつつ、たくさん甘やかして貰い、誕生日祝いの宝石を褒めてくれたエーダリアにも、銀色の星屑のような内包物が入った青緑色の宝石を贈り、どすんばすんと弾みながら帰って行った。
そこで一度昼の部は解散となる。
アルテアは一度どこかに出かけていくようで、エーダリアは執務に、ノアはポケットの膨らみ方を見るに誰かにボールで遊んで貰うのだろう。
また後でねと手を振って別れ、ネアはふと、そんな人達がここに共にいることに胸が苦しくなる。
(……………普通の日じゃないけれど、これも多分、日常の一幕なのだわ…………)
怖いことや危ういことがなくなれば、そこに広がるのは、ネアを最初に受け止めてくれたこのリーエンベルクでの、とても静かな日々であった。
一歩、また一歩と近付いてゆく約束の日に向けて、特別な覚悟や試練があるということはなく、今日はとても優しい時間が続いてくれている。
それが少しだけ不思議で、何だか擽ったかった。
「……………ディノ?」
「三つ編みを持つかい?」
「なぜその提案に辿り着いたのでしょう?」
「君の誕生日だからね」
「解せぬ」
それでも、期待に満ちた眼差しで美しい真珠色の三つ編みを差し出す魔物に、ネアはその三つ編みを受け取ってしまった。
これからネア達は部屋に戻り、昼食から夕方までの時間を二人でのんびり過ごす予定なのだ。
部屋に戻って厨房の鍵を衣装部屋の鍵穴に差し込むと、何となく手放し難いほこりに貰った宝石を手に、ネアは、これからの任務に向けてとても緊張している様子の魔物と一緒に初夏の陽の差す厨房に入った。
ほこりの宝石は、ひとまずテーブルの真ん中に置いてその美しい輝きを楽しむことにする。
「ディノ、これはお部屋のどこに飾りましょうか?光が入ると綺麗なので、お部屋の灯りのところに設置して貰うのも素敵ですね」
「君と私の色なのだね。………ほこりはまた階位を上げたかな」
「まぁ!どんどん凄くなる可愛い雛玉です」
そんな話をしながら、ネアとディノは、二人きりのお昼ご飯をのんびり食べた。
なんとネアの大事な魔物は、本日は、一人で頑張ってフレンチトーストを作ったのだ。
ディノから貰った厨房には、甘くいい匂いがふわりと漂う。
ネアのお気に入りの白いお皿の上には、なんとも美味しそうなフレンチトーストが乗っていて、ネアはそれを幸せな気持ちで頬張った。
「…………むぐ!美味しいです!!」
「…………その、………気に入ったかい?」
「ええ。こんなに美味しいフレンチトーストは食べたことがありません!表面に少しかりっとしているところがあって、中がとろじゅわなんですよ?………ディノ、夜のお祝いやアルテアさんのケーキがあるのであんまり無茶出来ませんが、もう一つだけ食べてもいいですか?」
「ご主人様!」
ボウルの卵液のかき混ぜ方が慎重すぎてとても心配だったが、出来上がったフレンチトーストは、ほろりと甘くて美味しくて、ネアは世界一のフレンチトーストに出会ったと大事な魔物を沢山褒めてやった。
しゃりりっと音がしておやっと足下を見ると、乳白色の鉱石の花とその周囲に可憐な白い小花が咲いてしまっている。
ネアは、大事な魔物の初めて記念のその一輪を貰い、ディノに頼んで取っておくことにした。
「今日は、誕生日なだけではなくて、ディノが、私に初めてフレンチトーストを作ってくれた日にもなるんですね」
「…………君はもう私から逃げられなくなるのだから、また作ってあげるよ」
「言い方が……………!」
「ローストビーフがあれば逃げないと話していたけれど、あれは難しいものなのだろう?」
「ディノ、手料理を食べさせてくれる理由は、逃さないに特化しなくてもいいのではと、ここに提言させていただきます」
「そうなのかい…………?」
ここで、ディノは今までアルテアがネアに食べ物を持ち込むことを、脱走防止だと認識していたことが発覚した。
なのでネアは、食事を作ったり作って貰ったりすることは、食べるという喜びがまず最初に存在するのだと、そんな魔物に教えてやる。
「それに、大切な人に料理を作ってあげるということはとても楽しいですし、大切な魔物にフレンチトーストを作って貰えるということは、とても幸せなことなのです」
「ご主人様!」
ここで、残念ながら魔物はご褒美として飛び込みを要求してきたがこれはもう叶えてやるしかなく、若干激しい食後の運動をしてから、二人は夕方からのお祝い料理に向けてお腹を減らすべく、プールでのんびり過ごした。
(今日は一日雪なのかしら。…………静かで素敵だわ…………)
プールの部屋を出ると、窓の外は引続き雪が降っていた。
リーエンベルクの中庭の雪景色は、夕暮れの青さを吸い込み、どこか秘密めいた深い影と明るい夜の光を宿す。
いよいよ、みんなでわいわいする夕刻からの誕生日会の時間となったのだ。
道中でノアに会ったので、一緒に会場に向かえば、既にヒルドとアルテアが来ているではないか。
「ネア様、ごゆっくり出来ましたか?」
「はい。ディノから美味しい贈り物を貰ってしまいましたし、プールではのんびりゆったり遊べました。………ところで、ヒルドさん、……………こ、このお部屋は…………」
「家事妖精達が張り切ったようですよ。ネア様のお陰で冬聖の小枝が仕事の合間に見られるようになって、よほど嬉しかったようです」
お祝い会場となる冬の広間には、きらきらとダイヤモンドダストの降る冬の夜が広がっていた。
ネアは驚いて思わずディノの腕をぎゅっと掴んでしまい、フレンチトーストで大喜びしたご主人様に心が柔らかくなり過ぎていた魔物は、突然の攻撃にきゃっと飛び上がる。
「………………寒くはないのですね」
「ええ、景観としての魔術移植ですからね。…………ネイ、エーダリア様は?」
「ダリルに捕まったみたいだね。揃ったら先に始めてて欲しいってさ。ザルツであの誰かさんがしでかしたみたいだよ」
「…………やれやれ、また彼ですか」
「ヒルドって、あの伯爵のこと嫌いだよね…………」
「ここで言葉を繕っても仕方ありませんので答えますが、あの方はあまり好みませんね」
「わーお、こりゃ根深いぞ…………」
そんなやり取りを横に聞きつつ、ネアは一度は引っ込めた爪先を、もう一度広間に踏み入れてみた。
(凄い、………ダイヤモンドダストが陽の光に煌めく雨のように降っていて、雪まであるのに寒くないんだわ………)
爪先でかつんと踏んだ広間の湖水水晶の床石には霧が這っているし、装飾として、部屋の隅には雪をかぶったモミの木のような青緑の葉を持つ針葉樹の木まである。
もしかするとそれは、ネアの大好きなイブメリアの代わりに、その祝祭を思わせる飾りを用意してくれたのかもしれない。
そんなことを考えると嬉しくなったので、ネアはいそいそと、料理のお口に運ぶ順位決定戦を脳内で始めることにした。
(お料理も、どれもとっても美味しそうで…………は!)
「ケーキが!ケーキ様が祀られていますよ!」
「ネアが逃げた…………」
ネアが見逃さなかったその先にあったのは、食事などのテーブルの近くに佇む、菩提樹の枝と葉を象ったような作りの雪結晶のケーキ台だ。
そこには、素晴らしく細やかなクリームの花が乗ったケーキがででんと乗っているではないか。
思わず婚約者を置き去りにしてそこまで駆け寄ってしまい、あと少しというところで何者かに捕縛された。
「むぐる!」
「おい、転ぶなよ」
「……………むぐぐ、使い魔さんに捕まりました。あのケーキに近付くのを妨げるものなど滅びるべし」
「ほお、あれを作ったのは誰だ?」
「…………つ、使い魔さん?」
「なんで疑問形なんだよ」
はしゃぎ過ぎてケーキ台を倒さないように、ネアはそんなアルテアに捕獲されたまま、魅惑のケーキを拝見させていただくことにした。
「…………これは、白いクリームで作った、薔薇のお花が咲いた天蓋がかかっているのでしょうか?…………まぁ!その下に果物で作ったお花畑が………」
「本体のクリームに混ぜた祝福が揮発しないように、覆いが必要だからな」
「この素敵な天蓋は、その為のものなのですか?食べられるものではないのですね…………」
「勿論、これも食べれるぞ」
「ケーキ様!」
尊いケーキに荒ぶったネアは、思わずこの素晴らしい奇跡を齎してくれたアルテアに飛び込み体当たりしてしまい、何とかそれは受け止めたものの、呆然とする選択の魔物という珍しいものを作り出してしまった。
「ネアがアルテアに浮気する…………」
「むぅ、直前までの出来事が尾を引いて、うっかりディノ用のご褒美をあげてしまいました。…………アルテアさん?………立ったまま死んでいます」
「ありゃ、何でアルテアが死んでるのかな」
「ディノと間違えて体当たりしてしまいました…………。痛かったのでしょうか?因みに、戦闘靴は履いていないので踏み滅ぼしてはいません。…………ふぎゅ、アルテアさんがいなくなったら、誰が私にパイやタルトを焼いてくれるのでしょう…………」
困り果てたネアが、片手で目元を覆ってしまったアルテアの顔を下から覗き込んでみたところ、生き返った使い魔にびしりとおでこを叩かれる。
「むぐ!」
「……………ったく」
「わーお、ご機嫌だぞ」
「………………アルテアなんて」
「で、でも、このケーキを見て下さい!これはもう、奇跡として歴史に記してもいいケーキではないでしょうか?」
「わーお、物凄い気に入ってるぞ………」
「…………アルテアなんて……………」
今年のネアの誕生日でアルテアが作ってくれたケーキは、淡い白紫のケーキだ。
横には細やかな小さな白いクリームの薔薇があり、ケーキの上には果物を使った花とクリームの花が一面に乗せられているので、さながら夜の花畑のように見えた。
その上に、ボウル状の天蓋を模したものをかぽりと覆いかけ、レースのようなその天蓋から色とりどりの花畑が見えるという、とてつもなく美しいケーキなのである。
(……………切ってしまいたくないけれど、とっても美味しそう………)
白紫の色はブルーベリーや葡萄の色かなと思いきや、なんと安らかな夜というかなり珍しい祝福が混ぜ込まれたクリームなのだそうだ。
安らかな夜の祝福には、幸福な一日の締め括りを結ぶ魔術が蓄えられており、成就の魔術が生まれた土地で満月の夜にだけ咲く花の実から得られるらしい。
「味としては木苺に近いな。祝福が揮発しやすいのが難点だが、植物の魔術や覆いを模したものをかけておけば問題ない。この台も、その手のものを乗せて保存しておく為の専門のものだ」
「…………じゅるり」
「先に食事だろうが」
「……………ふぁい。…………は!ローストビーフ様が!!」
ここで美味しそうな食事に視線を移し、ネアはお気に入りになったばかりのローストビーフの姿にぱっと顔を輝かせた。
微笑んだヒルドが、料理用のお皿を取ってくれたので、ネアはそのお皿を持って感動に打ち震える。
他にも、宝石のようなゼリー寄せの前菜に、ふわっと生クリームを絞るようにしてある出来立てふわふわチーズに乗っているのは、しゃりっと光る花蜜を凍らせたものだろうか。
青林檎と棘牛のタルタルには様々な薬味が付け合わせられており、ムール貝と手打ちのパスタには美味しそうな海老も乗ってカラスミのようなものが削りかけられていた。
今日の料理には棘牛を丸ごと使ったものか、他にも薄く切って炙った棘牛と、果実のような風味で食べられる花のカルパッチョのようなもの。
ざくざくに焼いたデニッシュをスティック状に切ったものは、棘牛のトマト煮込みや濃厚なキノコのスープにつけて食べる事が出来る。
ディノの好きなラビオリは、ぷりぷり海老が入ったトマトソースのものと、豚挽肉とチーズが入って香草のソースがかかったもの。
「わぁ、美味しそうだね!」
そこにやって来たのはゼノーシュで、休憩時間で料理を分けて貰おうと駆け込んで来たらしい。
そこでまた一つ、素敵なお祝いの在り処を教えてくれた。
「ごめんね、水棲のは取れなかったけど、この棘牛は、僕とグラストで野生のやつを捕まえたんだ。綺麗な森で捕まえたから美味しいと思う」
「まぁ、ゼノとグラストさんが?」
「うん。ネアは棘牛が好きだから。僕もタルタル貰ってもいい?」
「勿論ですよ。こんな美味しい贈り物まで、有難うございます!沢山あるのでみんなで食べましょうね」
棘牛は食材として一度厨房に渡っているので、繋ぎの魔術などは問題ないらしい。
誕生日なのにケープの結晶石だけでは寂しくないだろうかと心配したグラストの提案で、二人は棘牛を狩りに行ってくれたのだそうだ。
「すまない、遅くなった」
そんな話をしていたら入って来たのはエーダリアで、最後にダリルから入った連絡で少し手間取り、入り口のところでウィリアムと一緒になったそうだ。
ウィリアムは、すとんと眠りに落ちぐっすり眠り過ぎてしまい、寝起きの身支度に時間がかかってしまったらしい。
「ネア、昼食はどうだった?」
少し寛いだ服装になったウィリアムからそう尋ねられ、ネアは微笑んで頷いた。
ディノと過ごす昼食計画について予め話しておいたので、無事にフレンチトーストが出来たかどうかを心配してくれていたらしい。
「はい!ディノのフレンチトーストは、世界一でした。焼くのも上手なんですよ!」
「……………ずるい。可愛い………」
「うーん、俺もシルハーンには負けてられないか…………」
「あら、食べてくれる方も必要なので、ウィリアムさんには、お仕事用のお弁当を食べて欲しいです」
「じゃあ、僕もネアの手料理を堪能しようかな。お弁当は作って貰ったことないよね」
「ノアには、お弁当を持ち込んでかかりきりになるようなお仕事はありますか?」
「……………ありゃ、ない……………」
ノアがその事実に呆然としたところで、準備の整ったエーダリアが、シュプリの入ったグラスを掲げる。
「では、あらためてだな。………ネア、今年もこの日を迎えられて良かった。誕生日おめでとう」
今年は躊躇わずにお祝いの言葉を言ってくれたエーダリアに、みんなでグラスを持ち上げた。
「みなさん、今日はお祝いをいただきまして、有難うございます!」
グラスの中のシュプリの泡が雪結晶のシャンデリアの光を映し、ロゼ色の液体がきらきらしゅわしゅわと揺れた。
一口飲んでその美味しさに天井を仰ぎ、ネアは足踏みをして感動を示さざるを得なくなる。
「苺のシュプリですね?でも、こんなものは飲んだことがありません………!」
「ああ。雪苺の妖精にシュプリを与えながら苺を育て、その苺を冬の日の正午からシュプリに漬け込めば溶け込んでこの味になるそうだ。昨年仕込まれたものだな」
「苺の香りが口の中いっぱいに広がって、でもシュプリとしての美味しさもあって、凄く好きな味です!」
「おい、弾み過ぎだぞ」
「おのれ、誕生日くらい、弾みを阻まれてなるものですか………!」
ゼノーシュは幾つかの料理をお皿に乗せ、嬉しそうに頬を染めると、手を振って自室で休憩中のグラストのところに戻って行った。
ゼノーシュがいる内にと一緒に一口食べてみた棘牛のタルタルは堪らない美味しさで、ネアは、この尊い棘牛の贈り物に感謝する。
「ネア、ちょっといいか?」
「ウィリアムさん?」
食事が進んだ頃、そろそろケーキであると虎視眈々とそちらの方面に狙いをつけていたネアは、ふわりと微笑んだウィリアムに手招きされる。
何だろうとお皿をテーブルに置いてとてとてと無防備に近付いていってしまい、ひょいと持ち上げられた。
「ま、まさか……………」
「今年は控えめにな………」
「ぎゃふ?!」
その結果、ネアはあえなく捕獲されてしまい、ぶんと振り回されることになる。
控えめとは何だろうと心の迷路に入るくらいの勢いで、失神したのかなと思うくらいにぎゅんと視界が流れ、はっとした時にはもう回され終わっていた。
ほんの一瞬だったが、確かにそこに危機があったのだ。
「…………せ、生還しました?」
「はは、さすがの俺でも落としたりはしないぞ?」
そう笑ったウィリアムが、自分を呆然と見上げたネアの首裏に手を当て淡い口づけを落とし、ネアはまた瞬きする。
「…………むぐ」
「それと、これは俺から贈り物だ」
「…………ウィリアムさん?………贈り物はあのケープで貰っていたのでは?」
「ああ、あれはエーダリア達が主導してくれたものだからな。俺個人からのものも受け取ってくれるか?」
「……………こ、これは!!」
ウィリアムが差し出してくれたのは、見事な黄金の入れ物に入った一冊の革表紙の本であった。
その上等な革の表紙に箔押しの文字で記された題名にそっと指先で触れ、ネアは目を丸くする。
「塩の魔物の転落物語、………前夜の章。これは、幻のエピソードゼロ…………」
「えっ?!僕の話の本まだあるの?!もうやめて!」
「えぴそーど、ぜろ…………術言かい?」
「一巻の前の、前夜譚的なお話という意味なんですよ。…………む?となると、ノアはまだ転落しない筈ですが、題名が…………」
「王の交代で、思想統制が行われている国で見付けたんだ。物語本は禁止になるから、危うく焚書にされるところだった」
「ゆ、許すまじ!これは人類の宝です!!」
「はは、そんなに喜んでくれるなら、持っていないものだったんだな。手に入れられて良かった」
「ウィリアムさん、こんなに素敵な贈り物を有難うございます!」
今回も、きちんと古書洗浄はかけてあるということだった。
ディノは本と聞いてとても警戒していたが、一冊ならばと威嚇を控えたようだ。
「っていうか、別に贈り物を用意してたなんて聞いてないんだけど…………」
「ノアベルト?」
「あーあ、僕だけだと思ったのにさ…………。ウィリアムもあるなら、もっと女の子が喜ぶようなものにしたのになぁ………」
そう苦笑したノアがくれたのは、ネアがずっと欲しかった術符だ。
「はい。これ、ネアが欲しがってたやつ。使い方は簡単だし、取り付けも簡単だよ」
「ポケットの扉ですね!ノア、有難うございます!」
「……………術符なのかい?」
「ディノ、これはムグリスディノの為のものなんですよ。これを設置しますと、ディノは鞄の中からポケットに移動出来たり、胸元からポケットに避難出来たりする、優れものなのです!!」
ノアが作ってくれたのは、扉の形をしたアップリケだ。
実は、前々からネアと打ち合わせしていた安全運用で、かなり高度な魔術を仕込んであるのでムグリスなディノが通っても安心なものに仕上がっているという。
そんなものを用意して貰ったディノは目を瞠っており、ムグリスになった時に、例えばのんびり過ごせる鞄の中からよりご主人様に近いポケットなどに移動出来る扉の術符だと知って、ふるふるしたまま、こくりと頷く。
「これでディノも自由に動けるようになりますからね」
「うん。…………有難う、ネア。ノアベルト」
「シルハーン、その、…………ムグリスになる機会はこれからもかなりあるんですか?」
「私が姿を見せずに側にいることでこの子を優位にしたり、或いはそうするしかないこともあるかも知れないからね。それに、この子はとてもあの姿を気に入っているんだよ」
「うむ。胸元にあのむくむくが触れると、たいへん満ち足りた気持ちになります」
「おい、俺が渡したあの袋は使っているんだろうな?」
「内側がごわごわしているので、ムグリスディノにはとても不評でしたが、外側は素晴らしい毛皮でしたので、就寝時の頬っぺたすりすり素材になりました」
「お前な、その為にやったんじゃないからな?」
「む?」
かしゃんと音がする。
アルテアが手にケーキナイフを持ったので、ネアは慌てて駆け寄り、切られてしまうのも胸が痛むが、お口に入るとなるとわくわくが止まらないケーキの切り出しを崇高な思いで見守った。
やがて、素晴らしく美しいカットのケーキが乗ったお皿が差し出され、銀色の華奢なフォークを手に恭しく拝受する。
そうして、神聖な気持ちで最初の一口をいただき、そのあまりの美味しさに身震いして残りのケーキに襲いかかっていった。
「……………美味しいです」
微笑んでそう言う頃には、ネアのお皿の上は空っぽになっていた。
もう、お皿の模様しか残っていないと気付きしょんぼりしていると、溜め息を吐いたアルテアが、フォークで自分のお皿のケーキを切ると、ネアの口に入れてくれる。
「むぐ!戻って来ました!!」
「……………やれやれだな」
「アルテアさんから貰った、こんなに美しくて美味しい贈り物は忘れません。すっかり食べ尽くしてしまいましたが、記憶に焼き付けて残しておきますね」
ネアが、美味しさのあまりにびょいんと弾みながらそう言えば、アルテアはどこからか一枚の図面のようなものを取り出した。
こてんと首を傾げたネアに、その図面を広げて見せてくれる。
「ケーキはケーキだ。品物はこっちだからな」
「……………アルテアさんも、ケープの宝石だけではないのですか?…………これは、…………お家?」
「あの土地に、ひとまず屋敷だけは完成させてある。中身は後からだな」
「……………なぬ。続けざまの不動産です…………」
どうやらその図面は、アルテアが、ネアにくれた土地に建ててくれた屋敷の完成図が描かれたものらしい。
さすがに本物は持ち込めないので、ひとまずはこの絵で見せてくれたのだ。
精緻なタッチで描かれた青みがかった白灰色の素敵な屋敷は、決して大袈裟な大きさではないが、三組くらいのお客様の部屋は設けられるに違いない、なかなかに立派なものだった。
「ディノ、私たちのお家がここに!」
「…………もう建ててくれたんだね」
「わーお、…………家かぁ………重いなぁ………」
「やれやれ、着々と進めてるな。隣の敷地は、確かアルテアの土地でしたよね?」
「それがどうかしたか?」
「それってさぁ、一種の檻だよねぇ。最近、隠さなくなってきてない、…………」
「そ、そうなのか……………?」
「魔物の方は、そういう手法を好まれるのかもしれませんね。ネア様、完成されたら、是非にお祝いに伺わせていただきますよ」
「はい!皆さんも遊びに来て下さいね!お庭では白けものさんと遊びます」
「やめろ」
「そう言えば、アルテアとはまだ、あの獣の問題で議論している途中でしたね…………」
窓の外では相変わらず雪が降り続けている。
部屋の中にきらきらと降るダイヤモンドダストの光の雨の向こうには、窓の向こうのウィームの夜が広がっていた。
ケーキがもう部屋のどこにもなくなったところで、ネアはアルテアにまでひょいっと持ち上げられた。
「むぐる」
「まだ回してもないだろうが」
「アルテアさんはきっと怖いやつをするに違いありません。その時こそは、もじゃもじゃちびふわの刑を執行するとき」
「お前な……………」
けれども、アルテアの振り回しはとても穏やかだった。
ネアを持ち上げてくるりと二回転させ、すとんと床の上に戻してくれる。
たいそう警戒していたネアは、果たしてこれで終わったのだろうかと困惑に視線を彷徨わせてしまう。
「まさか…………」
「終わりだ」
「となると、ちびふわの刑は………」
「知らん。ウィリアムにでも使え」
「むむぐぅ、これはもう、私の心を翻弄して弄ぶ悪い魔物として、やはりちびふわの刑に処すしかないのでは………」
「…………まさか、何が何でもそこに結論づけるつもりじゃないだろうな?」
「む?」
ふっと、視界が翳った。
ネアは誕生日の祝福であると気恥ずかしさを堪えてぎゅっと踏み止まったが、特に口付けされるでもなくそろりとアルテアの表情を窺う。
すると身を屈めてこちらを見ていたアルテアは、どこか嗜虐的な暗く艶やかな微笑みをふつりと浮かべるではないか。
(…………っ、)
そして、してやられてしまったネアがもう一度警戒心を立て直す前に、顎に指先をかけて今度こそ口付けを落とした。
「…………ぐるる」
「情緒の面で減点だな。次までにはどうにかしておけ」
「ウィリアムさん…………」
「そうだな、そろそろきちんと叱っておいた方が良さそうだな」
にっこり微笑んだウィリアムにアルテアを任せ、再びのローストビーフに戻らんとしたネアは、ふと、もふもふと部屋に入ってきた不思議な生き物に気付き、おやっと立ち止まる。
(…………リーエンベルクの中では、初めて見るような…………)
この中にいるのであれば、一応はリーエンベルクの守護をすり抜けた安全な生き物の筈なのだ。
やや三角形めの、ちぎり餅サイズの小麦色の毛皮の物体で、自分を見ているネアに気付くときゅぴっとこちらを見上げた。
「ディノ、これは何奴でしょう?」
「…………知らないかな」
「ネアどうしたんだい?……………ありゃ。ヒルド、これって何?」
ネア達が立ち止まったことに気付いて見にきてくれたノアに呼ばれ、ヒルドも来てくれた。
けれどもそんなヒルドですら、その謎の生き物を見て首を傾げている。
面白いものかなと思ったのか、慌ててエーダリアもやって来る。
「どうしたのだ?…………餅兎……?………いや、魔術の系譜が違うな…………」
「ええ。私も初めて見たものです………」
「エーダリア様とヒルドさんにも分からないとなると、リーエンベルクの固有種でもないのですね?」
「少なくとも私は知らない生き物だ。だが、内部まで入れるとなると、外的要因から派生したものではない筈だし、危険なものであれば、この広間にも守護の壁があるのでそれが反応した筈なのだが…………」
「えーと、取り敢えずネアは離れようか」
「はい。………ぎゃっ?!」
ノアに言われ、ネアがそのぽてぽて歩く生き物から離れようとした時のことだった。
それまでは、不器用な感じで可愛らしく歩いていた生き物が、突然しゅばっと走って来たのだ。
ネアの悲鳴を聞いて、何やら話し合っていたウィリアムとアルテアも振り返ったが、その時にはもう遅かった。
ネアと、ネアを持ち上げていたディノの目の前で、その小さなちぎり餅状の毛皮の生き物は、容赦なくばぁんと爆発したのである。
恐怖のあまり声も出ないネア達に、ばらばらと紙吹雪のようなものが降りかかった。
そしてその紙吹雪は、ぎゅんぎゅんと統制の取れた動きをすると、いぇいと楽しげな声を上げ始めた。
「ほわ…………」
「ご主人様………」
そんな陽気な紙吹雪に囲まれて呆然としつつ、ネアは怯えたディノにしっかりと抱き締められる。
その周囲を、お祝いに飛び交う紙吹雪が荒れ狂った。
「……………もしかして、祝いクラッカーの精霊か?」
「……………ありゃ、ってことは中身は紙吹雪の…」
「おい、それをこっちに近付けるな」
どうやら危険なものではないと判断されたものか、残念ながら積極的な救援は来なかった。
ネアは守ろうとしてくれたディノと一緒に沢山お祝いされてしまい、困惑で心をよれよれにされた後に、やっと解放された。
「…………………ぎゅ」
「……………ご主人様」
抱き合って震える二人は、助けてくれなかった仲間達を裏切られたような目で悲しく見つめた。
「……………誰も助けてくれませんでした」
「ち、違うのだ。あえて助けなかったのではなく、祝い事の系譜の者が祝いに来てくれるというのは、素晴らしい恩寵なのだからな?!」
「いきなり爆発され、そこから湧き出した紙吹雪に飲み込まれ、私とディノがどれだけ怖い思いをしたか…………」
「わーお、怒ってるぞ…………」
「だ、誰も助けてくれませんでした!!」
ぎゅわっと涙目になってそう声を上げたネアに、ウィリアムとアルテアはそろりと視線を彷徨わせる。
紙吹雪に囲まれお祝いされる恐怖の中からではあるが、こそこそと話し合い問題がなさそうだぞと納得して手を出さなかった風のエーダリア達とは違い、助けようとする以前に紙吹雪の精に怯えてしまって近付けなかったこの二人を、ネアはちゃんと見ていた。
「ネア…………その、すまなかった」
「…………危険はなかっただろうが」
「ぎゅ、…………私を守ってくれたのは、ディノだけでした。…………ディノ、怖かったですよね、…………まぁ、こんなに震えて、涙目ではないですか…………」
恐怖の中で戦ってくれた魔物を抱き締め、ネアはきっとその二人を睨む。
「おい、ノアベルト達もひと括りだろうが」
「エーダリア様とヒルドさんが何か話し合った後、ノアとも話して手を出さずにいたのを私は見ていました!わ、私達が怖がっていることには気付いてくれませんでしたが、……………きちんと理由のある撤退です。けれど、お二人はその見解を聞いて初めて知った人の反応をしました!!」
びしりとそう言い切られ、二人の魔物はそのまま固まった。
「ふぎゅわ………………」
「ネア、すまなかった。悪いものではないことは理解していたんだが、二の足を踏んでしまったんだ。許してくれ」
「…………ったく、何か用意してやる。それでいいだろ?タルトか?パイか?」
「……………ふぐ。葡萄ゼリ…………」
「これから作るから時間がかかるぞ?」
「じゃあ果物っぽい、タルトかパイでふ…………」
「持ってきてやる。少し待ってろ」
そう言い残して、アルテアはふいっと転移で姿を消してしまい、背後のエーダリア達は、アルテアにそれらのお菓子に作り置きがある事実にざわざわしている。
「すまなかった。怖かったよな」
ウィリアムは涙目で固まり合うネア達のところに来てくれ、ネアの頭にぽふんと手を乗せてくれた。
「そうだな、………今度砂風呂に招待するよ。…………シルハーンも………」
ウィリアムは、最初はネアだけを慰めようとしてくれたのだが、ディノも涙目なのでぎくりとしたらしい。
結局、二人揃って砂風呂に連れて行ってくれることになった。
「……………むぎゅ。何事もない平穏な、けれども幸せな誕生日の一日だと思った私が愚かでした。…………ディノ、アルテアさんの杏のタルトは美味しいですか?」
「……………うん」
「言っておくが、俺はあの何百倍の量に囲まれたんだぞ?」
「……………私はか弱い乙女です」
「か弱い?」
「むぐるるる!」
ゆっくりと誕生日の夜が暮れてゆく。
窓の外は穏やかな雪が降り続け、冬の広間は心を緩める程の美しさでダイヤモンドダストの雨を降らせている。
そうして、最後にとんでもないお祝いをされてしまい、ネアの三回目の誕生日の夜は更けていった。
なお、その日以降、ネアとディノは紙吹雪を見るとぎくりとするようになってしまった。
アルテアも同じ反応なので、まだ心が無傷なノアとウィリアムを、今後の戦力として大事にしたいと思う。