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350. それは懐かしい贈り物でした(本編)




十二月は、とても忙しい季節である。

月初からイブメリアへの期待でいっぱいであるし、祝祭まみれで誕生日まみれなのが十二月だ。



そんな十二月の中でも集大成とも言える日を近くに控え、ネアにとって大切な日がまたやって来た。


昨晩は真夜中の鐘が鳴ったところでまず、ディノだけではなく、ぞろぞろと部屋に入ってきた魔物達に囲まれ緊迫の空気の中でお祝いを言われるという状況から始まった異例の誕生日だが、今日はネアの誕生日なのだ。




(でも、昨晩のあれは何だったのかしら…………健康診断………?)




ディノやノアだけではなく、ウィリアムやアルテア、ゼノーシュまでがやって来てネアの体をくまなく調べ上げ、帰って行ったのだ。

その騒ぎがあり、ネアはまだディノからの贈り物も貰っていない。


なぜかその後は、ご主人様が無事だったと喜ぶ魔物に丁寧に寝かしつけられてしまい、今に至っている。



眉を寄せて首を傾げていると、隣でもそもそと起き出した魔物が手を伸ばして頭を撫でてきた。


この魔物は、一年目に変な癖がついたようで、誕生日はご主人様の隣に寝る日だと認識している。

個別包装の毛布の隙間に手や三つ編みを差し込んでくる、なかなかに悪い魔物だ。




「ディノ…………?」

「ノアベルトにしていただろう?誕生日は、こうするのかな…………」

「必須の行事ではありませんが、撫でてくれると嬉しいです。………いえ、飛び込みはしません」

「ご主人様……………」



婚約者からは、もっと甘えたいかなと飛び込みを受け止める意思表示をされたが、ネアはそっと首を振り、ご遠慮させていただく旨を伝えておいた。




チュリリと、窓の向こうで綺麗な青い小鳥が鳴いていた。

リーエンベルクの窓から見る誕生日の朝は、これで三回目だと思えば胸が熱くなる。



雪をかぶった庭の木に、可憐な雪の中の紫色の三色菫。

ネアが薄紫色のライラックが冬に咲くのだと信じていた木の花は、雪紫陽花という花だとつい先日知って驚いている。

確かによく見てみると、細やかな花は小さな紫陽花の塊のようにも見えた。


そこにも雪が覆いをかけ、はっと清廉さを際立たせる水色の小さな薔薇と、雪の祝福で半ば結晶化した白薔薇は、そろそろ稀少な結晶石として収穫する頃合いだろうか。

しかし、夜になると雪の中で輝くのが堪らなく美しくて、ネアはまだ摘めずにいた。



灰色の空は心を揺さぶるような藍色の色味を帯び、物語の世界の雪曇りの色で世界を彩っていた。



そこから、はらはらと真っ白な雪が降る。



つい先日ノアの誕生日をしたばかりだが、その日以降は約束の日に向けてひっそりと過ごしていたので、何だかあっという間にネアの誕生日もやって来てしまったという印象だ。




「今日は雪が降っていますね。何だかとても繊細で素敵な気持ちになれるので、嬉しいです」

「雪が好きなのかい…………?」

「ええ。ウィームの冬という感じがしますからね。このくらいにはらはらと降る雪はロマンチックだと思いませんか?」

「ろまん…………ちっく」

「甘やかな雰囲気があって、こうしてディノを撫でてみたくなります」



微笑んで大事な魔物を撫でてやれば、ネアの婚約者はぽわりと目元を染めて恥じらった。

まだ髪を結んでないので、いつもとは雰囲気が違うその姿に何だか心が揺れてしまう。


髪を下ろしたディノは、ふっと眼差しを整えると人知を超えた美貌が鋭くも見えるが、視線を持ち上げてこちらを見れば、嬉しそうに瞳を震わせて微笑む姿がとても無防備な感じがする。



はらりと溢れたひと筋の髪に指先で触れ、ネアはその美しさに唇の端を持ち上げた。



「……………ネア?」

「…………なんて綺麗なのでしょう。私がこの世界に貰った大事な宝物です。最初のお誕生日には、雪豹を見せてくれた優しい魔物ですものね?」

「…………ずるい」

「むむ、髪の毛がもっときらきらになりました。えいっ!」

「ネアが虐待する…………」



残酷なご主人様におでこを撫でられた魔物はすっかり弱って毛布に隠れてしまい、ネアはあらあらうふふと微笑んでいるふりをしながら、この儚さでは数日後に滅びるのではと冷静な眼差しで観察した。



(…………儚くなりそうだったら、一年くらい延ばせばいいのかしら?でも、この為の準備をもう一度するのは大変そうだし、…………何とか生きてて貰うしかないのかしら…………)



ふと、脳裏に金庫の中に残してあるにゃわなるものが浮かんだが、ネアはしゃっと記憶のカーテンを引いて隠しておいた。

ずっと記憶の中で見えるところにあると、この清純な心には刺激が強過ぎる。




「…………ネア、その………」

「はい。………どうしました?」

「…………誕生日おめでとう。君も、私の宝物だよ……………だ、」

「だ…………?」

「……………大好きだよ」



頬を染めてなぜか涙目にまでなりつつながらも辛うじてそうぽそりと囁き、ディノはそのまま寝台に倒れ伏した。



「…………ディノ、私もディノが大好きですよ」

「………………虐待」

「…………息絶えました」



動かなくなってしまった魔物を寝台に残し、ネアは冷たい水で歯を磨き、顔を洗う際には少しだけ温水を混ぜてぬるま湯にした。

洗顔石鹸はふかふかの泡が立つし、ふかりと顔を埋めるタオルはいい匂いがする。


唯一残念なのは化粧水で、ネアがあと二十の可動域さえ持っていれば、肌にぴしゃりと吸わせれば檸檬色の細やかな光が滲むのだそうだ。

それを見てみたいけれど、可動域の問題はネアがネアである限りはどうしようもないものなのだそうだ。



前の世界と変わらない要素もここにはあって、こことて世界の全ては優しくない。

ネアの大事な人達を傷付けようとするものがあり、ここは決して自分達だけで輪を閉じられない権威と責務に囚われた領主の館でもある。


この前の宰相のように、望まない接触の煩わしさもあるが、彼等は多分、ネアが警戒していた想定の中ではずっといい方だ。

あの正妃やその周囲にいる人ならざる者達を基準として思い描けば、王はとても恐ろしい人に思えたが、実際にはそうではないらしい。


また、ジュリアン王子のように自我や矜持の為に取り返しのつかないことをする人でもないと知り、ネアは密かに安堵していた。



どこでぱかりと扉が開くのか分からない怖い方のあわいに、やはりどこかで人間とは違う心の動かし方をする大事な生き物達。




(でも、ここが私の宝物で、最愛の世界……)



生まれ育った世界には最愛の家族がいたし、ネアとて、あの世界の美しさをも知っている。


でもやはり、ネアはこの世界が好きだった。

それは、こういうものが欲しかったのだと瞳を揺らしたノアと同じもの。

自分の心を生かす場所として、何よりもこの世界を深く愛していた。



「……………誕生日を誰かと過ごす幸せが戻ってきてから、これで三回目…………」



鏡の中の、にこにこしている自分に向かってそうぽそりと呟くと、ネアは自身の現状の豊かさに静かなる大興奮でぴょいと弾んだ。



「可愛い、弾んでる…………」

「む!覗き魔物が現れましたね!」

「爪先を踏みたいかい…………?」

「求めていった風にされました…………むぐ?!」



両脇の下に手を差し込まれ、ネアはひょいっと持ち上げられた。

子供に高い高いをするようにされた後、はっとする程に凄艶な眼差しで満足げに微笑んだ魔物から淡い口付けが落とされる。


そろりと目を開けば、こちらを覗き込む色の深さに魂が震えた。

手で切実にかき抱くように深まる口付けには、色事に長けた老獪な魔物らしい無尽蔵さがある。




「…………っ、」

「…………可愛いね」




けれど、震える程に鮮やかな眼差しに、また微かな無垢さが滲んだ。



「…………もしかして、お誕生日のしきたりをやってくれたのですか?」

「君を最初に祝いたいからね」

「これは、振り回し…………?」

「…………君を回して、落としたら大変だろう?」

「……………ふふ。ディノ、有難うございます。やっぱりお祝いはディノが一番でなければですよね」

「ご主人様!」



ネアを落とすのが怖くてただの持ち上げになってしまった魔物が愛おしくて、ネアはこの大事な魔物の髪を丁寧に梳かしてやり、灰雨のリボンをきゅっと結んでやった。



「はい。私の特別な魔物の出来上がりです」



そう言ってやり、ネアは自分の着替えをと思って衣装部屋に出かけてゆき、恐らく魔物が着て欲しいものをかけておくだろうなというところを見上げて固まった。



(これ、………………)



「…………これは、お誕生日の贈り物なのでしょうか?」




そこには、見たことがない素晴らしいケープがかけられており、ネアはそんなケープをそろりと手に取ってまじまじと見つめる。



触れた指先には、とろりとした毛皮のふくよかな肌触り。

それだけで心がとろとろになってしまう。



(最初に貰った白いケープとよく似ているけれど、刺繍が違うし、縫い込まれている結晶石も違う…………。あのケープを直し………てもない筈だわ。金庫中にしまってあるもの……………)




「あ、………………」



手に持ってまじまじと見つめたところで、ネアはそれが新しいケープであると理解した。


刺されている刺繍の違いは勿論、今迄のケープにはなかった結晶石がたくさんあり、素材となっている毛皮もとろふわ竜のものではないか。



「皆からの贈り物なのだそうだ。………ヒルドがね、こうして渡した方が、君がじっくり喜べるだろうと言うので、ここにかけておくことになったんだよ」

「…………ディノ、ここの刺繍は、冬聖で、これは飾り木の枝に、薔薇の祝祭のリースですよね?…………まぁ、もしかしてここは傘でしょうか。………リボンと、…………隠しムグリスディノです!…………は!隠れちびふわまで!!」



ネアの手の中にあるケープには、ネアがこれまでこの世界で出会ってきた様々な者達や品物を思わせる絵柄が、巧みに刺繍に隠されている。


ここまで至近距離で観察しなければ見えないようなものだ。

繊細で緻密な花々の刺繍模様にそれらを見付ける度に、ネアは飛び上がって喜んだ。



「このベルは、眠りのベルです!」



シルエットだけなので、探すつもりで探さないと発見出来ない隠れたムグリスディノとちびふわには、もう笑顔になるしかない。


こんな風に、これまでの日々を優しく集めてくれた贈り物があるだろうか。

ネアはそのケープをぎゅっと抱き締め、顔を埋めてまた抱き締めた。




「……………宝物がまた増えてしまいました。…………これ持ってみんなにお礼を言いに行かないとです…………ぎゅ」

「うん。………ここは、アルテアからの守護石だね。こちらは蝕の時に事情を話して、エーダリアがダナエとバーレンから祝福の魔術を紡いだそうだ。ゼノーシュのものもあるよ。とても小さな祝福石だけれど、歌乞いを得た魔物がこのようなことをするのは珍しい。………このあたりはヒルドかな、………ノアベルトもあるね。…………裾のあたりで使っている刺繍糸は、ウィリアムの要素のものだ。…………この白灰の石はグレアムだよ」

「…………グレアムさんまで?!」

「これが最後に縫い付けられた石なんだ。このケープの話をしたらね、もしその資質が害にならなければと言って贈ってくれたよ。…………これは、君の鎧になるものだからと」

「私の、鎧…………」



その言葉に瞬きをしたネアに、艶やかに微笑んだディノがネアの手の中のケープにそっと触れる。



「君が出会い、紡いできたものが君の盾であり鎧になる。ウィリアムのものは剣にもなるかな。前のものでも君はそう使っていたけれど、もしもの時はこれを振り捌けば、刃のようなものとしても使えるそうだよ」

「まぁ!…………し、しかし、うっかり裾をぶつけた人が滅びてしまったりは………」

「安心していい。終焉の要素と、それを成すという行為を魔術で結んであるから、それはないそうだ。攻撃の意図がなければ武器にはならない。その魔術を構築したのはノアベルトなんだ」

「………………ノアが」



この辺りでもう泣いてしまいそうだったので、ネアは何とかくしゃくしゃの心を奮い立たせ、まずは着替えて朝食の席に向かうことにした。


しかし、ここでディノから追い討ちがかかってしまった。




「それと、…………これは私からだ。これから毎年と約束したものだよ。続いて重ねてゆくものも、君に残したかったんだ。………今年は、同じ形のものという意味では皆の贈り物と似たものになってしまったね…………」

「ふぎゅ。ここで、ディノからの贈り物まで現れたら、涙が溢れてしまいます………」




ディノがそっと差し出した小箱には、ディノの色を持つ結晶石の、花冠のような華奢な指輪が入っていた。



この指輪は、ネアが参加出来た最後の夏至祭の花冠を模したものなのだとか。

小箱の深い黒藍色は、深い海の底や蝕の暗闇の表現らしいが、きらきらと細やかに光る金色の煌めきが、その試練を切り裂いた希望の光であるらしい。



「…………ディノまで、私のこの一年から、こんな風に優しく思い出を紡いでくれたのですね」

「これが最後の夏至祭の花冠だよ。君は、…………私の伴侶になるからね。もう踊れなくなってしまうけれど、この指輪で許してくれるかい?」

「勿論です。……………どうしましょう。また宝物が増えてしまいました…………」



じわりと滲んだ涙に、ディノがふっと唇で触れる。


その擽ったさにネアは微笑み、さて、みんなにお礼を言おうぞとやはり用意されていたお誕生日のドレスに着替えた。



(わ、…………素敵…………)



優美な襟元は優しい曲線で開き、襟ぐりだけ内側に真っ白な毛皮が当てられている。

色はディノに強請られて結んであげた灰雨のリボンと同じで、この魔物は、まさかのここでお揃いにしてきたかと感心してしまったりもする。


全体的には、バレリーナのドレスとでも言うべきシンプルさが何とも上品で、シンプルだからこそ首飾りや指輪を際立たせてくれる。




「せっかくなので、この指輪をつけていって自慢したいのですが、今こちらをつけてしまっても大丈夫でしょうか?」

「…………そのことなんだけれど、今は我慢してくれるかい?私が贈ったこちらの指輪を見えなくすることが、どんな因果に結びつくか分からない。だから今は、こうして渡すことしか出来ないんだ。…………ごめんね」

「…………まぁ、こんな素敵なものを貰った私は、ディノにお礼を言わなくてはいけないのに、なぜかその前に謝ってしまう困った魔物ですね?」

「ネア……………」



微笑んでその天鵞絨の小箱を受け取ると、ネアはむふんと緩んだ頬を押さえたい気持ちを押し隠し、すっかりお気に入りになってしまった今年の指輪を眺め、堪えきれずにまた、むふんと頬を緩める。




「…………は!ちょ、朝食です!」

「うん。行こうか。…………おや、髪を直してあげようか?」

「……………む?」



するりと手を差し込まれ、髪の毛を入れ込んでしまっていた後ろ側の襟から、そっと引き出して貰った。

肌に触れた指先の温度にどきりとしながら、出来たよと頷いてくれた魔物にお礼を言う。

静謐で満足げな目でドレスを着たネアを見つめ、ディノは綺麗だよと微笑んでくれた。



こんな時にふと、目の前の男性が想像も出来ないくらいに長く生きた生き物なのだとあらためて思い知らされる。

しかしそんな思いも、会食堂に到着する頃には儚く砕け散っていた。




「おはようございます」



そう朗らかに会食堂に入ったネアに、エーダリアが顔色を悪くする。



「………何かあったのか?その、ディノの様子がおかしいようだが…………」

「ここに来るまでの廊下で、お庭側の窓に留め金の聖人さんが現れたのですが、ディノはそれがとても怖かったみたいで動けなくなりましたので、三つ編みを引っ張ってようやくここまで辿り着きました」

「…………そ、そうか。であれば、緩んでいる留め金があったのだな」

「ええ。通りがかった家事妖精さんが引き受けてくれたので、お任せしてあります」

「え、留め金の聖人って何…………?」



怖々とそう尋ねたノアは、先日の誕生日会でヒルドから貰ったマフラーを、室内なのに巻いてしまっている。

エーダリアからのコートも隙あらば着てしまい、ディノのガウンと同じような最高峰の守護を、その二品に授けたようだ。



「……………留め金の聖人なんて…………」

「わーお、シルが弱ってるんだけど…………」

「ネイ、あなたにも留め金の聖人についてはお話しした筈ですよ。見付けても排除しないようにとお伝えしてありましたが、覚えていませんね?」

「……………ありゃ。そうだったっけ?」




リーエンベルクに出現する留め金の聖人は、月光と朝日を特別な配合で錬成した淡い淡い金色の金属に見える窓の留め金に現れる。


どの窓の留め金も、細やかなレース編みのような細工が施され、がしゃんと引き下ろすところの持ち手はそれぞれが違う花の形になっていた。


そんな留め金姿で現れ、大事にされている留め金のどこかに不備があると、留め金を上下にがしゃんがしゃんと動かしながら鼻息荒く無言で迫ってくるのが、留め金の聖人である。


ディノは小鼠サイズのその聖人に壁際に追い詰められすっかり怯えてしまい、ネアが冷静に対処して問題の留め金を教えて貰った。



「………………いや、普通は蝶の姿で現れるものだぞ。何だその形状は」

「……………そういうものなのか?」

「まぁ、…………となると、リーエンベルクの固有種でしょうか…………」

「エーダリア様、今から探しに行ってももう留め金が直されて消えておりますよ」

「くっ、独自の形状だとは思わなかった!知っていれば、もっと早くに調査出来たものを………」



遠い目をしてそんな生き物は一般的ではないと教えてくれたアルテアは、本日は黒紫のスリーピースに淡い青みがかった灰色のシャツを合わせていた。


この色のシャツを着ているのは初めて見るが、同色のクラヴァットの影まで繊細で美しい。

鮮やかな赤紫色の瞳がぼうっと光るように引き立てられるので、ネアはこの装いをたいそう気に入った。



「ネア、誕生日だね」

「まぁ、ゼノ。有難うございます!」

「あっ、ゼノーシュに先を越された!!」



とてとてと歩いて来たゼノーシュが、手を伸ばしたので、ネアは可愛さにめろめろになりつつ体を屈め、頬に軽やかな口付けを贈って貰った。


やはり、他の歌乞いを持つ魔物がこんなことをしてくれるのは珍しいという。

けれどゼノーシュは、ネアを友達だと思ってくれているのだ。



「ネア殿、おめでとうございます」

「グラストさん、有難うございます。お仕事があるのに残っていて下さって、とても嬉しかったです」

「いえ、本来ならここでゆっくりとご一緒出来た筈なのですが、リーナがあのような状態でして…………」



そう苦笑したグラストにお祝いとして頭をふわりと撫でて貰い、ネアは微笑んで首を振る。

グラストは、ネアがここに来た時にはエーダリアより近しく相談に乗ってくれ、いつもみんなのリーエンベルクを守ってくれている、頼もしい騎士なのだ。



「リーナも早く目を覚ますといいのだが…………」

「あの呪いは、大したことないけどきっかり丸一日は起きないからなぁ………」



話題になっているリーナは、昨日の夕方の見回りで、リーエンベルクの正門前に佇んでいた謎のキノコに職務質問をしたそうだ。

その結果、観光に来ただけだったのに職務質問をされて荒ぶった森の導きの魔物は、リーナに森の眠りという呪いをかけてしまったのである。


すぐさまノアが駆けつけ、このような職務質問は決して珍しくないと説明してくれたそうだが、そこにはキノコと話す塩の魔物というとても奇妙な光景があったのだろう。


森の導きの魔物は男爵だそうで、アルテアは苦手だとはっきりと明言している。

こちらの魔物は、ボラボラ事件の精神的な後遺症から、もはやキノコ状のものは全て苦手になってしまったのかもしれない。



「ゼノ、あの素敵なケープに守護石をくれて有難うございます!」

「うん。本当はね、そういうことはしないんだけど、ネアは大事な友達だから特別!エーダリアやヒルドにはしないよ」

「まぁ!贔屓されてしまったら、クッキーを差し上げるしかありません。これで、お仕事の合間のおやつにして下さいね」

「わぁ!これ限定のクッキーだ!僕ね、十五箱しか買えなかったんだよ」



ネアが差し出した小箱は、有名な菓子店の限定の林檎とシナモンのクッキーが五枚入ったもので、イブメリアの夜明けにだけ、送り火を入れたオーブンで焼く特別なものだった。

クッキーである以上はゼノーシュにあげるしかなく、ネアは今、思惑通りに堪能出来たクッキーモンスターの喜びの笑顔に我が人生に悔いなしと言いたい気分になる。


笑顔で弾むような足取りになったゼノーシュと、そんな愛くるしい契約の魔物に目が可愛いでいっぱいになってしまったグラストを見送り、ネアはここに居るみんなに、まずは贈り物のお礼を言った。




「みなさん、あの素敵なケープを有難うございます。嬉しくて大好きで、金庫に入れて持ってきてしまったので、羽織ってみますね!」



厳かに金庫から取り出したケープを羽織れば、この特別な贈り物を用意してくれた者達は微笑んで頷いてくれる。


足元までの豪奢なケープなのだが、使われた毛皮と刺繍とが同じ色相なので決してくどくはならない。


フードはたっぷりしているので、かぶったその隙間の首元に、ちびふわやムグリスディノを配置しても大丈夫そうだ。

襟の開きが大きくても、フードを下ろしたところで防御魔術が発動するので風などは吹き込まない仕様である。



くるりと回って自慢してみせたネアに、ディノはご主人様が可愛いとよろめき、近くにあった椅子に避難していった。




「今年は、お前がここに来てからの証跡を示すものがいいと思って、皆でそのケープにしたのだ。新たな歌乞いとしての契約もしたことで、いっそうに相応しい贈り物になってくれた」

「難しい魔術がたくさん入っているのだと、ディノから教えて貰いました。この柔らかな桜色の宝石と、淡い金色の宝石は、ダナエさんとバーレンさんから、エーダリア様が紡いでくれたのですよね?」

「ああ。やはり、守護や祝福は多くの要素が織り込まれた方が頑強だからな。竜種のものをと考えた時に、あの二人の訪問が決まったので頼んでみたのだ。二人とも快く応じてくれたぞ」

「むむむ、竜さんの宝石がついたケープだなんて、物語の中の品物のようでわくわくします!」



そう微笑んだネアに、おもむろにエーダリアが歩み寄った。



すっと落ちた影に、ネアは目を瞬く。

見上げた先で微笑んだのは、かつては婚約者であったウィームの領主だ。



「誕生日だな、おめでとう」

「有難うございま………す」



元王族らしい優雅さで頬に口付けられ、ネアははっとして身構える余裕もなく、ひょいと持ち上げられた。



「ふ、振り回し……………」

「今年は特別だぞ」

「そ、その笑顔は何なのだ!…………ぎゃふ?!」



特殊な魔術の展開が構築出来たのだとご機嫌のエーダリアに持ち上げられ、ネアはぎゅんと素晴らしい早さで振り回された。

風の系譜の魔術を少し応用したらしく、小さな竜巻の原理だが周囲には影響を及ぼさないように調整されているそうだ。



「ぎゃ!や、やめ…………むが?!」

「はは、これはやはり上手く錬成が整ったな。撹拌などの混ぜ合わせの作業や、掘削などにも使えそうだ」

「そ、そこに人間を入れてはなりませ…………むきゃん!!」



ネアはたっぷり回されてしまい、ふわりと羽織った上着の裾を翻して優雅に降り立ったエーダリアの腕をばしばし叩く。

けれどもこの魔術大好きっ子な上司はちっとも堪えた様子はなく、無事に成功した魔術を体感して嬉しそうだ。



「楽しかったようで良かった。そのケープの守護も少しは感じられただろう」

「……………むぐぅ、こんな特別なケープの守護を使う振り回しなんて…………」

「ネア、エーダリアにご褒美をあげるのはもうやめようか…………」

「ディノは、心配するところが間違っています…………」



床に降りてもまだ、洗濯機に飲み込まれたような感覚が抜けずネアはよろよろし、そんなふらつく体をさっと支えてくれたのは、ノアだ。




「よいしょ」

「…………ほわ」



次に行われたのは、お誕生日の振り回しとはこれであった筈だという、とても優しいものだった。

ノアはネアを抱き上げてぐるりと二周ほど回ってくれた後、ぽふりと上に投げ上げ魔術で優しく受け止めてくれる。

最後に柔らかな口付けを落とし、過不足のない素敵なお祝いが完成した。



「むぐる」

「ありゃ、何でさ」

「放り投げは、私には適応しなくても良かったのでは………」

「優しいやつだよ。それに、シルもやってるならネアもやらないとね」

「そして、ノアの口付けを受けると、なぜか戦わねばという気持ちになるのです…………」

「えっ、戦わないで………」

「おや、日頃の行いでしょうかね」

「ヒルドまで!」

「では、次は私からですね。外に出ましょうか」

「……………………むぐ」



にっこり微笑んだヒルドに促され、ネアは処刑台に立つ気持ちでその手に指先を預けた。

あまりの不安に胸がばくばくしてしまい、シュタルトのブランコが怖いという人は、この妖精流のお祝いを身を以て知るべきだと心の中で叫ぶ。



中庭に続く硝子戸を開け、はらはらと雪の降る雪の庭に出ると、ヒルドは、ネアが室内履きで雪を踏まなくてもいいように、ふわりと抱き上げてくれた。


宝石を飾ったような美しい羽が広がれば、ネアも一瞬だけ虚空に放り出される恐怖を忘れ、その煌めきに見入ってしまう。



「では、参りましょうか」

「お、お手柔らかにお願いします」

「おや、私はどんな事があっても、ネア様を落としたりなどはいたしませんよ」

「…………ふぁい」



かくして、ネアの誕生日恒例の絶叫タイムが始まった。

今年はエーダリアも洗濯機だったので、まだその衝撃からも冷めていないのにだ。




「……………っ」




ヒルドに抱えられ空高く飛び上がれば、リーエンベルクの屋根や庭園に積もった雪の景色は確かに美しかった。

箱庭のようなその眺めにまた少しだけ心を奪われ、ネアは自分を空に連れ出した妖精を見つめる。



(やっぱり、知っている妖精さんの中では、ヒルドさんが一番綺麗だわ…………)



清廉な雪の中で、瑠璃色の瞳と孔雀色の髪がどれだけ鮮やかなことか。

羽には雪の日らしい仄暗い陽光と雪のウィームのその白さが映り、ステンドグラスみたいに暗く艶やかに光る。




「………………では」

「…………ふぁ、ふぁい」



ばさりと、羽が音を立てた気がした。

或いはそれは、大きく羽ばたいたその動きにネアが勝手に脳内で音をつけてしまったのかもしれない。



まずは空中でくるりと振り回され、ネアは心臓を吐き出さないように歯を食い縛るどころか恐怖に固まってしまう。

そして気付いた時にはもう、空中に投げ上げられていた。




「………………ぎゃふっ」




掠れた自分の悲鳴を聞いた時には、どさりと暖かな腕の中に戻されている。

はくはくと口を動かしてぎゅっとしがみついたネアに、森と湖のシーはとても優しく微笑んだ。



「にゃ、にゃげ…………にゃげました!」

「おや、ご存知ありませんでしたか?ネア様がディノ様に行っている投げ上げの儀式は、最大級の祝福にあたるのですよ」

「にゃげ……………お空ににゃげげ…………」

「ネア様、お誕生日おめでとうございます。…………あなたに出会って、私は得難いものを沢山いただきました」

「………………ヒルドさん」

「幸福であることを知るというのが、これ程に甘く狂わしいものだとは…………」


どきりとするような言葉でネアの思考を止め、ふっと微笑んだヒルドはネアに祝福の口付けを落とした。



「…………あなたが、いつまでも健やかで、そして幸せでありますように」

「…………ヒルドさん。有難うございます」



その願いの切実さに、空中で放り投げられた恐怖がもろもろと剥がれた。


こうして微笑むヒルドも、そんなヒルドが守り抜いたエーダリアも、やっと火に近付けるようになったノアも。

そして、大切な人たちに大切だと言えないまま、一人で広いお城に残されたディノも。



ここにいるネアの新しい家族たちは、みんな一人きりの心が砕け散りそうな夜を知っている筈なのだ。

だからこそ絶対に、これからもずっと幸せでなければと強く思う。



愛するという事は、守るばかりではない。

それを、一人きりで残されたネアは誰よりも知っているつもりだ。

時には、一人きりにするくらいなら共に滅びる覚悟で、決して愛するものを無為に置き去りにして死なないということこそ、必要なのではないだろうか。



(勿論、人間である私の寿命が誰よりも早く来てしまうけれど、それまでの日々を在る限り残してあげることこそが、この大切な人達やこの幸福な日常を、守ってゆける力になるのではないかしら…………)




「その祝福があれば、何だって出来そうですね。ヒルドさんから、私とディノも含め、エーダリア様とノアや、グラストさんやここにいる皆さんが、絶対に失われないようにします」



ネアがそう答えれば、ヒルドは一度瑠璃色の瞳を無防備に瞠り、それから、それはそれは艶やかに大輪の花が咲き誇るような微笑みを見せてくれた。




「…………ええ」



そう微笑んだヒルドは、ちらりと中庭を見下ろし、やれやれと苦笑する。


そこには、何だか長いぞとこちらを心配そうに見上げている過保護な者達が出て来てしまっている。




「帰りましょうか」

「はい。あら、エーダリア様がお庭に何かを見付けていますよ」

「…………まったくあの方は…………」



そう呟いたヒルドの瞳には、ゼノーシュを見つめるグラストとはまた違う愛おしさが揺れる。

ネアは、そんな眼差しに胸をほかほかにしながら、みんなの待つ地上に戻った。



昼食の後には、今年もほこりが遊びに来てくれるそうだ。

安全上の問題から祟りものを狩っておけなかったネアの為に、ノアがアクス商会から祟りものの詰め合わせを買っておいてくれたので、それをあげようと思う。



そんなことを考えながら、好きなものばかりが上手に詰め込まれた朝食に向かった。

今日はお祝い料理が多いので、量を調整してくれているのも嬉しい心遣いだ。



「ディノ、見てください!!私の大好きなクリームスープのパイ包みです!………このハムも大好きなハムですし、………焼き栗のサラダまで………」



幸せな気持ちでもぎゅもぎゅするネアに、ディノが目元を染めて可愛いと呟く。

アルテアからは、ケーキがあるので食べ過ぎないようにと事前に指導を受けていた。




朝食が終わって暫くすると、ほこりが到着したという一報が入る。

久しぶりの可愛い大雛玉に、ネアは大喜びで迎えに行った。







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