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塩の魔物と恐ろしい誕生日




この日、塩の魔物は無事に二歳のお誕生日を迎えた。

二歳となるとたいへん幼い感じだが、気の遠くなるような時間を生きてきてやっとお誕生日会をするようになったばかりなのだ。



今日も青紫の瞳をきらきらさせて、朝からそわそわしていた幼気な魔物であった。




「そんなノアが死んでしまいました…………」



しかし今、そんな塩の魔物はテーブルに突っ伏してしくしく泣いている。




先日、イブメリアまでのどこかの祝祭かせめてその翌日に会いたいと連絡をくれた恋人候補な誰かに、イブメリアは家族で過ごすし、その翌日は誕生日会だから会えないと誇らしげに宣言したところ、なぜ自分は誕生日会に呼ばれていないのだと癇癪を起こしたその女性に呆気なく呪われてしまったのだ。



イブメリアの祝祭が好意的に作用し、また、ノア自身が魔術階位の高い魔物なので、今迄は上手く結ばずにいた呪いが、朝食の後でお誕生日ボール遊びをせねばならぬと銀狐姿でムギムギ歩いていたところ、しゅわんと定着してしまったという。




実はこの呪い、ネアにとってはあまり一般的なものではないものだが、こちらの世界では痴話喧嘩や嫌な奴への報復にと、とてもスタンダードな呪いの一つであるらしい。



つまり、ノアが受けてしまったのは、再びのお祝いならずの呪いなのだった。




「…………なぜあなたは、そのようなことを言ったのですか」

「……………嬉しかったんだよ……………。よくどこかの誰かに、今日は家族と過ごすから会えないって言われてむしゃくしゃしてきたからさ、僕も言ってみたかったんだけどなぁ……………」

「そうして、お誕生日を封鎖されてしまったのですね…………」

「イブメリアも封じようとしたみたいだけど、祝祭の為の祝祭だからね。それは難しかったみたいだ」

「………その、言う相手を見極めなければならなかったのではないか?」

「…………シル、エーダリアまで優しくないんだ。僕は今、こんなに傷付いてるのに………」

「…………どうしてたくさん呪われてしまうのだろうね」



最後にディノがそう言い、ノアはまたくしゃりとテーブルに一体化した。

しくしく泣いている儚い姿に、ネア達は顔を見合わせる。




「ノア、…………せめて、美味しいものを食べて楽しく過ごしましょう?」

「そうだな。準備はしてあったのだし、誕生日会はまたすればいいではないか」

「……………うん」

「ネイ、自業自得なのですから、気持ちを切り替えなさい」

「……………シル、ヒルドが冷たい」

「今日は、ノアベルトの誕生日ではなくなるのかい?」

「むむ、そう言えば、今日がノアのお誕生日であることも、私の保険にする予定でしたね…………」

「……………ネイ?」

「……………ありゃ」




塩の魔物は、塩というものだけでなく魔術の根元をも司る魔物だ。

魔術とは、それを循環させることで扱う人間の目には、力そのものとして映るものだが、生まれながらに魔術を所有している生き物達にとっては命に等しいものである。


よってノアは、命などをも司る魔物でもあるのだった。



(だから、ノアのお誕生日会でその祝福に触れるのは、とてもいいことだと言われていたのだけど、…………)




とは言え、楽しみにしていた誕生日を封じ込められ、誰よりも悲しいのはノア本人だろう。

今もくしゃくしゃの氷色混じりの白い髪は、無造作過ぎる一本結びになってしまっているし、白いシャツの上に羽織った編み柄の素敵な夜青のカーディガンも肩がずり落ちそうになっている。



しゃらんと赤い実にふくよかな煌めきを灯した冬聖の小枝の影にいるそんな魔物は、悩ましさがいっそうに美しく、触れたら壊れてしまいそうな儚さだ。



だからネアは、テーブルと一体化したノアの顔をそっと覗き込んだ。

ネアと目が合ったノアは青紫色の瞳をくしゃりとさせ、またばたんとテーブルに頭を伏せてしまう。



突っ伏した際に頭がごつんとなったので、そんな魔物に手を伸ばし、ネアは、ぼさぼさになった髪の毛をそっと直してやる。



「…………ごめん」

「…………あら、今日はみんなでノアを慰める日なのですよ?それなのに、どうして大事にされるべきノアが謝ってしまうのでしょう?」

「…………ネア。…………その、結婚して」

「謹んでお断りします」

「ありゃ、即答だった………」

「ノアベルトなんて…………」

「ネイ、精神状態が不安定であれば、今日は一人で過ごしますか?」

「ごめんなさい…………」



些細なことで心が震えてしまうくらいにとても心が柔らかくなっていたのか、ネアに求婚してみた魔物は、すぐさま隣のヒルドに叱られてしまった。



「……………絶望だ。こんなことなら、日付が変わってすぐから早朝の内にお祝いされておくんだった…………」

「終わっているお祝いはあったのですか?」

「……………うん。騎士達からのお祝いは、夜明けから朝にかけてだったんだ。ほら、みんなが揃っている内にってことで、交代の時にやってくれたからさ。だから、グラストとゼノーシュからもボールを貰ったよ」



話を聞けば、ノアはその時に銀狐姿になったのだそうだ。


ノアベルトという塩の魔物とはやはり安易に繋ぎの魔術を敷けないということで、騎士達は、グラストとゼノーシュ主導で、銀狐になったノアにみんなでボールや銀狐グッズをあげるという朝食会にしたようだ。


そうして、きらきら光りながら弾むボールやらしゃかしゃかと走るココグリス人形やら、素敵な贈り物を沢山貰ってご機嫌の銀狐が一番お気に入りのボールを選出し、エーダリアとヒルドのどちらかのところに持って行こうとしていたところで、悲劇は起きた。



ムギーという悲しい声を聞いて駆け付けたヒルドが見たのは、廊下の窓際に立って項垂れている、哀愁漂う塩の魔物だったのだそうだ。




「となると、騎士さん達と一緒の時は大丈夫だったのですね…………」

「あの部屋は、任務帰りの騎士達の為の、遮蔽と解術を敷いた部屋ですからね。気付かずに持ち帰った呪いや穢れなどを引き剥がす効果など、様々な魔術の叡智が敷き詰められた、リーエンベルクの中でも高度な魔術の粋が集まる場所です。そのことが、呪いの定着を阻んでいたのでしょう」

「…………最も無防備な銀狐の状態で、そこから出てしまったのだな…………」



そう呟いたエーダリアは、とても悲しい目で自分を見たノアにぎくりと体を揺らした。



「…………僕は馬鹿だよね」

「す、すまない。その、…………私も経験したものだからな。ノアベルトの気持ちは分かるつもりだ…………。料理人達が用意したシュニッツェルを食べないか?今日は特別な祝い事はなくなってしまったが、私はなぜだか、とてもシュニッツェルが食べたくてな」

「……………エーダリア…………」



ふにゃりと涙目になったノアが少しだけ気持ちを持ち上げている間に、ネアはさっと立ち上がると、困惑してこちらを見た魔物達を会食堂に置き去りにして厨房に駆け込んだ。



ヒルドとは視線で会話済みなので、料理人達にはネアから作戦コードの変更を伝えつつ、シュニッツェルが昼食になる旨を共有させて貰う。


そして、とある陰謀への加担を持ちかけ、ふっと微笑んで頷いてくれた料理人達と固く握手を交わした。



そこまでを終えてふうっと片手の甲で額の汗を拭ったネアは、がしりと背後から羽織ものの怪に襲われる。


胸元にぼさっと落ちてきた真珠色の三つ編みは、犯人が婚約者な魔物であるとネアに教えてくれた。



「ネアが逃げた…………」

「まぁ、しょんぼりさせてしまいましたね。ノアの為にちょっと悪巧みしていたのです。ディノも協力してくれませんか?」

「…………君は、逃げないんだね?」

「あらあら、すっかり疑い深くなってしまいましたね?私の大切な婚約者にも知恵を貸して欲しいのですが、頼んでもいいですか?」

「ご主人様!」



かくしてネア達は、厨房で料理人達にも手を借りながら凄惨な陰謀に手を染め、怪しげな三本の瓶を生み出した。



法の抜け道を探らされ、澄明な水紺色の瞳を瞬いた魔物が、悪辣なご主人様にその成果を報告すれば、これで準備完了である。



「うむ!なんと禍々しい飲み物でしょう!これでノアを絶望の淵に突き落とします」

「ノアベルトを…………」

「ふふふ、ノアがどんな顔をするのか、今から楽しみですね。この良き日に、人間の恐ろしさをその身をもって知ることになるでしょう………」

「ご主人様…………」




そんな恐怖の秘密兵器を持ってネア達が会食堂に戻ると、なぜかその部屋には魔物が一人増えているではないか。




「何だそれは…………」



怪しげな漆黒の瓶とどす黒い焦げ茶色の瓶、そして沼色な深緑瓶を手に持ったネア達に、器用に片方の眉を上げて疑わしげな目で振り返ったのは、多分、年の瀬にはもっと忙しくてもいい筈の選択の魔物ではないか。


本日は天鵞絨の砂色と白灰色のスリーピース姿で、その手には不思議な手荷物がある。



「……………アルテアさん、お手元のそれは美味しいものですか?」

「開口一番かよ。仕事道具だ。食べられないぞ」

「……………食べ物は、…………持っていない………」



そう聞いたネアは厳しい表情で首をそっと振ると、アルテアの肩をぽんと叩いておいた。



「なんのつもりだ…………」

「また次の挑戦をお待ちしていますね」

「…………は?」

「それと、お尋ねのこれは、ノアが一人で切ない気持ちにならないように皆さんと楽しむ為の恐ろしい飲み物です」

「…………え、飲み物に恐ろしいって要素必要……?!」

「呪いのせいでお祝いが出来ないのなら、どこまでも呪われて転落を楽しんでしまうのもありではないでしょうか?ノア、お昼を食べたらカードでひと勝負ですよ!」

「シル…………。僕はネアに何をされるのかな………」

「この飲み物を飲まされるのだと思うよ」

「……………ヒルド…………助け」

「おや、それはまた斬新な過ごし方ですね。さすがネア様です」

「ふふ。どんな窮地も楽しんでしまえる大人でありたいですよね。さて、まずはさくさくシュニッツェルです!!」

「わーお、売られたぞ…………」

「ヒルド…………」



そう宣言したネアの号令により、ノアの好物が多めな昼食会が始まった。



ネアは知らなかったが、アルテアは事前に、自分が不在の間に何かがあった場合は必ず連絡するようにと、魔術連絡板をリーエンベルクに置いていっていたようだ。


本日はノアの誕生日なのでその祝福があるだろうと安心していたようだが、万が一それがなくなった場合は自分を呼ぶようにとエーダリアとヒルドには伝えてあったらしく、それでここに座っているのだろう。



(橇の時のこともあったから、ディノとのことを心配してくれているのかな………)



結果として大した被害にはならなかったが、あの瞬間に感じた怖さを思い出すと、ネアは今でも僅かに胸が苦しくなる。


宰相の手元から針が消えた時、ネアはなぜか、その針が普通に足元に落ちているとは思いもしなかった。


そうして、近くにいたエーダリアやヒルドにその針が刺さってしまったらと考えて胸が潰れそうになったネアのように、そんな針に刺されてしまったネアを見た使い魔も、魔物らしさを飛び越えて心配性になってしまったのかもしれない。



ネアがちらりとアルテアの方を見てみたところ、なぜかぴしりとおでこを指先で弾かれた。

みぎゃっとなって小さく唸ったネアに、なぜかアルテアは小さく微笑む。



「むぐるる………」

「ありゃ、あらためて祓いの術式なんかかけなくても、シルや僕が守ってるよ?」

「ほお、自分の誕生日すら守れなかったんじゃないのか?」

「…………ネア、僕を大事にしてくれるって約束したよね………?」

「アルテアさん、私の弟を虐めてはなりませんよ!それと、ノアが呪われてしまったので心配して来てくれたのだと思いますが、ノアのお誕生日は、最初から封じられる可能性も視野に入れていましたから、安心して下さいね」

「…………え、僕の信用度低くない?!」

「あら、虫さんな誰かに食べられかけたばかりのノアではありませんか」

「……………何のことだったかな…………」

「ええと、…………ふと思ったのですが、念の為に、お食事の前にはしっかり手を拭きましょうか?」

「ねぇ、シル。僕は妹から虐められている気がする…………」



ノアがそう声を上げる中、アルテアはその系譜に手を出す奴の気が知れないと呆れ顔だ。

どうやらこちらは、虫の系譜の生き物は恋人候補にはしないらしい。



そんなやり取りをしていたら、給仕妖精が料理を持って来てくれた。

ネアが持ち込んだ瓶の飲み物の為に、人数分のグラスも持って来てくれている。

彫金模様の美しい小さなグラスは、その美しさがどこか不穏な戦いを予想させ、ノアはさっと顔を青ざめさせたようだ。




「ああ、こういうものが食べたかったんだ」




運ばれてきた昼食に、エーダリアがそう微笑む。


お皿の上には、シュニッツェルがほかほか湯気を立てて乗せられており、その黄金色の輝きで食欲を刺激してくる。


付け合わせは祝祭の火を使って蒸し上げた今日にしか食べられない温野菜のチーズ焼きで、シュニッツェルには全部で三種類のソースも添えられていた。


葡萄酒と果物を使った濃厚なソースに、野菜がたっぷり刻まれて入った酸味のある爽やかなソース、そしてとろりとしたバタークリームソースだ。

揚げたてのシュニッツェルはそのまま食べても美味しいので、ネアはいただきますの合図の後に、まずそのままで一枚食べた。



「むぐ!さくさくじゅわりで美味しいシュニッツェルです!」

「交換するかい?」

「…………では、私の切った一切れと、ディノの切った一切れを交換しましょうか?」

「ご主人様!」


これもまたあつあつで、ふうふうして飲むのがとても素敵なキノコのエスプレッソ風の濃厚なスープは、あまり食事の量が多くないノアのお気に入りのスープである。

疲れた日の夜にはこれとパンだけで心が満たされる、何とも素晴らしいスープであった。


生クリームでお祝いの言葉が書かれていることはなかったが、ノアのスープ皿には一輪の食べられる薄紫の花が飾られていた。

スープの色にその花が可憐で、心がほんわり温まる心憎さだ。



そんなスープを飲みながらふにゃりと幸せそうな微笑みを浮かべ、ノアは、今日の執務はあまり多くないのでと、よく冷えた湖水メゾンの白葡萄酒を頼んでいるエーダリアを見て、眩しそうに目を瞬く。



「一人で飲むのも味気ないな。ネア、付き合わないか?」

「はい。喜んで。…………ディノ?」

「付き合う…………のかい?」

「ボトルを開けるので、一緒に飲まないかという意味ですから、それ以外の意味合いはありません。ディノも付き合ってくれますか?」

「うん…………かわいい………」

「アルテアさんも、後ろの予定がなければご一緒しませんか?」

「銘柄によるな」

「エーダリア様、どうせなら、ネイも付き合わせては?どうせ予定もないでしょう」

「そうだな。一緒にどうだろうか?」

「……………うん。僕も飲んじゃうよ!」



また嬉しそうに瞳を揺らしたノアの姿に、ネアとディノは、こっそり微笑んで顔を見合わせた。


隣のアルテアは、葡萄酒と果物のソースを慎重に調べながら食べているので、気に入ってしまったのだろう。

気に入ったかどうか尋ねられたので、ネアは澄み切った目で大好きだと答えておく。




嬉しい美味しさは、食後にも待っていた。



「まぁ、今日のお昼のデザートは、フォンダンショコラなのですね!」



デザートが出て来た途端、ネアは歓喜のあまりに椅子の上で弾んでしまい、すかさず隣のアルテアから肩を押さえられてしまった。

反対側の良く出来た婚約者は、自分のお皿をすすっとこちらに寄せて来たので、これは感動のデザートなので是非に自分で食べるようにと言いつけておき、ディノもこくりと頷いた。



「久し振りに食べたくなりましてね。ネア様もお好きだったのですか?」

「はい。ヒルドさんもお気に入りだったのですね!この手のデザートは、もったり甘過ぎるものが多くて以前までは苦手だったのですが、リーエンベルクのフォンダンショコラを食べてからは、新しい世界を知りました!」

「ありゃ、僕のお気に入りのやつだ…………」



そう呟きくしゃくしゃになったノアに、ヒルドが唇の端を持ち上げて淡く微笑む。

間違いなく、お誕生日ケーキの代わりに急ぎ発注されたデザートだ。




「……………お前は、チョコレートケーキはあまり得意じゃなかっただろう」

「ふふ、アルテアさんも是非にこのケーキを食べてみて下さい。ほくほく暖かくてふんわりしていてほろ苦さと甘さが堪りません。一つぺろりと食べてしまっても、しょっぱいものが欲しくならない、素晴らしいフォンダンショコラなのです!」



リーエンベルクのフォンダンショコラは、かなりの特等品だとネアは思っている。


お菓子類は割合素朴なものが好きなネアは、チョコレートケーキとなると、チョコレートクリームが軽やかなものや、ディノにバレンタインということで振る舞ったケーキのように、濃厚だがジャムの酸味が効いていて薄く切っても食べれるようなものまでが美味しく食べられる範囲となる。


苦手なのは、口の中が濃厚な甘さでいっぱいになってしまうもので、チョコレートケーキはその見極めがとても難しい。

甘さがしっかりあるものが好きな人も多いので、甘さ爆発事件で事故にならないよう普段は好んで食べてはいなかった。




(でもこのフォンダンショコラは違う!)



ほくほくもふもふと食べ素朴な甘さにうっとりし、中からとろりと溢れるチョコレートも甘過ぎないものだ。

添えられた、たっぷりのつぶつぶのブルーベリーソースと甘さ控えめの苺たっぷり苺ソースがあれば、少なくとも三個は食べられそうな魔法のケーキと言えよう。




「……………こんな風にまた呪われて誕生日が出来なかったのに、誰も僕を見捨てたりしないんだ。…………僕ってさ、凄く大事にされてるよね?」

「ふふ、今更ですか?みんなの大事なノアですよ?」

「…………うん。来年こそは呪われないようにしなくちゃだなぁ。それと僕のケーキ、シルに取っておいて貰って………」

「む?」

「…………え、ない?!」



わざとらしく首を傾げてみせた人間に翻弄されてしまい悲しい目をした魔物は、きちんと取っておくと言って貰ってほっとしたようだ。



実は今回のノアの誕生日ケーキは、クリームの花にエーダリアとヒルドも参加した、とっておきのケーキである。


勿論、大切な家族の為にであれば何度でも作り直すことは吝かではないのだが、それでもやはり、渾身の作を食べて貰えなかったら寂しいものだ。


このような時には、ケーキであっても作りたてで保存してくれる魔術の叡智に感謝するばかりだった。




「さて、満腹になったので、恒例のカードの戦を始めましょうか!」



エーダリア達はまだ午後の執務も控えているので、ネアは、みんなが食後のお茶を飲んで幸福な怠惰に身を浸したところで、そう声を上げる。



幸せそうにまったりしていたノアが椅子の上でびゃっと飛び上がり、麗しい青紫色の瞳をひたりとこちらに向けた。



「僕はさ、………ええと、カードじゃなくてもいいかな」

「すっかりお誕生日会の恒例行事ですからね。簡単な遊びですよ?カードで勝敗を決定し、負けた方がこちらにある敗者のお酒を飲むという仕組みです」


ふんすと胸を張ってそう言ったネアに、なぜかアルテアがゆっくりと立ち上がった。



「…………アルテアさん?」

「野暮用を思い出した。少し空けるぞ」

「それなら、ご参加は一回戦にしますか?」

「おい、その妙な勝負に俺が参加する前提で仕切るのをやめろ」

「ふふ、本当はもう、すっかり準備万端なのですよね?アルテアさんもきっと、橇の雪辱を果たしたいのでしょう」

「やめろ…………」



顔色を悪くしたアルテアはそのまま部屋から出て行こうとしたが、がちっと音がして開かなくなった扉の前でゆっくりとこちらを振り返った。



「…………隔離結界だと?」

「はい。この勝負からは誰も生きて帰しません!…………む、間違えました。この勝負に参加するまでは誰も帰しません!」

「え、僕は泣いてもいいやつ………?」

「ま、待て。なぜ私も参加することになっているのだ?!」

「エーダリア様は三組目にしておきました」

「おや、組み合わせも、ネア様が決められたのですね?」

「はい。ノアが、少なくとも五回は負けるように設定してあります」

「え、やめて?!」




扉も窓も、主催者の婚約者な魔物の魔術で締め切られてしまい、男達は緊張の面持ちでヒルドが取り出したカードを凝視する。




「ありゃ、これって薔薇合わせだ」

「ええ。ネア様から勝敗をつけやすいものがいいとご相談いただきましたので。薔薇合わせであれば、簡単な遊びですからね」

「…………薔薇合わせだと、虫食いはどうするんだ?」

「負けてしまった方は、まずは漏れなくあの飲み物を飲んでいただきます。三種類あるので負け過ぎると三種類飲むことになりますからね。虫食いは、………どうしましょう?」

「………では、勝者の言う事を聞くというのはどうでしょうか?勿論、双方了解の上で良識の範囲ですが」

「ネア、あの瓶の中身はどのような酒なのだ?」

「……………敗者のお酒です」

「わーお、目を逸らしたぞ…………」




さっと目を逸らしつつ、ネアはカードを切ってくれたヒルドに、微笑んで頷く。

ヒルドとアルテアは、何となくこれから行われることを察してくれているようだ。



「では、宜しいでしょうか。やり方は通常の薔薇合わせのまま、カードを切るのはその勝負に出ない者とします。初回はネア様と……ネイ?」

「え、いきなり僕なんだ?!最初から殺しに来るの?!」

「必ず滅ぼします」



覚悟に満ち溢れた眼差しでそう頷いたネアに、ノアはふるふると首を振った。

しかし懇願も虚しく、残忍な人間は、窓際の小さな机を使った運命のテーブルについてしまうと、男前に手招きをして怯える塩の魔物を無理やり対面の席に座らせた。



薔薇合わせは、とても簡単なカードゲームだ。



全部で五種類の薔薇のカードが、それぞれ白、赤、青、黄色ごとにあり、テーブルの上に広げて並べたカードの中から、最初の一枚と同じ絵柄の色違いの薔薇のカードを引き当てた者が勝者となる。


ただし、虫食い葉っぱのカードを引いたら容赦無く負けとなり、カードの薔薇は記憶力で覚えておいても勝手に蕾のカードが咲いてしまっていたりもするので、運要素が強い。




「では、始め」


ヒルドの声が響き、先行のネアは一枚のカードをめくった。



「ふむ。青の満開です」

「……………じゃあ、僕も引くよ。…………白の膨らんだ蕾だ」

「では次のカードを引きますね。…………む、赤の満開ですね。勝ち抜けました!」

「……………え?」



一瞬で勝敗がつき、哀れな塩の魔物は目を瞠ったまま呆然と固まった。

そんな魔物に優しく微笑みかけてやり、ネアは片手で三種類の瓶を指し示す。



「どれにしますか?用意して貰ったグラスでいただくので、沢山飲まなければいけないということもありませんからね」

「……………え、瞬きの速さで負けたんだけど…………、僕さ、この手の勝負って結構強いんだよ?」

「敗者は大人しく敗者のお酒を飲むのです。自分で決めないと、沼色の瓶にしてしまいますが………」

「え、選ぶ!せめてそれは選ばせて!!」



時間稼ぎを許さないネアに脅されてしまい、ノアは慌てて立ち上がった。


香りで判断されないようにきっちりコルクで封をしておき、中身も窺えない濁った色をした瓶の中から、ノアは頑張って一つを選んだようだ。


結局、沼色にしたようで、塩の魔物としての魔術を駆使してどれだけ頑張っても、中身が調べられなかったと絶望に陰った瞳で呟いている。




きゅぽんと栓が抜かれ、よいしょと瓶を持ち上げたネアの代わりに、ディノが代わってその中身をこぽこぽとグラスに注いでくれた。



それを怯えながら見ていたノアが、ふっと瞳を瞠る。



「……………いい匂いだね」

「あら、そうですか?」

「………色は、雪原の系譜のシュプリに似てるかな、…………ありゃ、これってパテかい?」



まともそうな液体が注がれたグラスを前に困惑していたノアに、ネアは先程届けて貰った一口パテを、すすっと押し出した。

これはノアの大好きなパテで、こちらの敗者のお酒とは相性がいい味の筈だ。



ゆっくりとグラスを取り上げ、ノアは緊張の面持ちでその中身を一口飲んだ。

怜悧な美貌の魔物が苦しげにグラスを傾ける姿は、いっそ艶めいていると言ってもいい光景である。




ごくりと喉が動き、ノアは目を丸くした。




「…………これって」

「ふふ、敗者のお酒だったでしょう?特別な一工夫をしたお酒で、先程ディノが、敗者のお酒と命名したばかりなんですよ」

「………シルが…………?」

「君はよく呪われてしまうからね」



そう言われてこくりと頷き、ノアは涙目になる。


一口大に切られたパテも手を伸ばし、ぱくりと食べてから目をきらきらさせた。




「…………凄い敗者の酒だなぁ。…………何だかさ、涙が出てきそうだよ………」

「ふふ。まだまだ負けてしまうかもしれませんね。さて、次はエーダリア様とノアの勝負ですよ!」

「わーお、次から次に来るぞ!」



すっかり元気になって、うきうきで戦いに挑んだノアは、初戦はうっかり勝ってしまって肩を落としていた。

けれども二回めでは無事に負ける事が出来たようで、次はどす黒い茶色の瓶を選ぶ。



こぽりとグラスに揺れたのは、最初の雪原と夜の子守唄のシュプリに星影の雫をたらしたものではなく、今度は、森のさざめきで熟成させた湖と氷の祝福の葡萄の、白葡萄酒だ。

こちらには沢山の果物と雪菓子が漬け込まれ、爽やかな甘さが加えられている。



それを一口飲み、先に飲んでいたエーダリアと顔を見合わせ、ノアは微笑んだ。

普段はあまり食べない魔物なのだが、先程から一口パテも進んでいるようだ。



「おや、次はディノ様ですね」

「ノアベルトを負かせばいいのだね」

「はい。頑張って勝ってあげて下さいね」

「勝ったら、ご褒美はあるのかな………」

「恐ろしい魔物です。爪先を踏んであげましょうか?」

「ご主人様!」



とは言ったものの、ディノは二回も負けてしまい、ご主人様に失望されやしないかと慄きながら、頑張って最後で勝ってくれた。




「………おっと、こりゃ敗者の酒だね」



最後の黒い瓶のお酒に唇をつける前に、無言の合図を送ったネアの目を見たからか、ノアはちびりと一口飲んでそう呟いた。



「では、次は私ですね」

「ヒルドには負けないかもしれないなぁ…………、って虫食い?!」

「おや、虫食いのカードでしたか。その場合、あなたを好きなようにしてもいいのでしたね?」

「…………え……………」



にっこり微笑んだヒルドは、ノアに、失敗したという手編みのマフラーを押し付けていた。


エーダリア用だったらしいが、呪い避けの祝福があるのでノアにぴったりだと押し付けたいらしい。



「……………マフラー」

「まだ端の処理をしていませんので、後でお渡しします」

「……………うん。…………うん。大事にする」

「おや、負けたからこそ押し付けられるのですから、大事にするのは当然でしょう」



この辺りでもう半泣きになってしまったノアは、あまり口をつけずにいた方のグラスをぐいっと呷ってしまい、ネア達をどきりとさせたが、幸いにもその後も暫くは元気でいてくれた。




「さて、アルテアさんとも勝負ですよ!」

「ほお、ノアベルトと一緒にするなよ?」

「あら、私に勝てると思っているのですか?」

「負けたら飲む瓶を決めておけよ」

「……………はい。白薔薇の蕾です」

「…………俺は、……………」

「まぁ、虫食いではありませんか。手応えのない敵でした」



呆気ない勝負だったとそう微笑み、ネアはすっと席を立ち、ご主人様と戦いたいという婚約者にも受けて立つ約束をしてやる。



「さて、アルテアさんはどの瓶にしますか?」

「……………この瓶だな」

「まぁ、漆黒の瓶にしたのですね………」

「…………問題あるか?」



生温い眼差しで見守るネアにそう顔を顰めた使い魔は、飲み比べ勝負のテンションで、たっぷりグラスにお酒を注ぎ、そのままぐいっとグラスの中身を呷ってしまい、一拍の沈黙の後、無言でグラスをテーブルに戻した。




「……………おい」

「ご自身で選び、ご自身で飲まれたのですよ」

「これは何の酒だ」

「夜の雫を入れたコルヘムです」

「………………くそ、…………」




片手で額を押さえてがくりとテーブルに突っ伏した使い魔に優しく微笑みかけておき、ネアは、続けて無事に負かしてやった婚約者が、家族だけのお祝いで飲むという特別なシュプリを飲んで恥じらう姿を見守った。


ノアも、先程コルヘムをぐいっと飲んでしまったが、今はまだ、すっかり上機嫌で酔うどころではないようだ。

たくさん飲んで、色々貰ってこちらにやって来ると、ノアはくしゃりと寄りかかってくる。



「ネア、見てよ!エーダリアから黒霧竜のコートを貰った………押し付けられたんだ。これって最高のコートだと思わない?」

「まぁ、とろふわではないですか!」



エーダリアから貰ったコートをひとしきり自慢し、ノアはふと、悲しげな目に戻る。



「…………僕はさ、昨日のあの針で、……また君を守れなかったのかなって、息が止まりそうになったんだ。…………ほら、ドリーがいたからさ、あんまりみんなも言えなかったと思うけど、また火竜かって思ったよね」

「…………昨日のノアは、私の為にあのランタンを取りに行ってくれたのですよね。あんなに火が怖かったノアが、ヒルドさんにしがみつきながらだったそうですが、燃える飾り木のところまで行けたのが、私はとても嬉しかったんですよ?」

「…………僕が火が駄目な時に、ネアやシルが守ってくれたよね。だからさ、今年は楽しみにしていた大聖堂のイブメリアに行けなかった君の為に、いいランタンを持って来たかったんだよ」

「……………願い事の叶う、星屑の絵のものを?」

「うん。僕の妹には、僕の友達と幸せになって貰わないと………。僕はさ、こんなに宝物を沢山貰ったんだから、もう何も手放したくなんてないんだ」



またくしゃりと微笑み、ノアの手がふわりとネアの頬に触れる。


滲むように、シャンデリアの光や窓からの雪の煌めきを映す青紫色の瞳には、先程までとは違う涙の気配があった。



「……………ここには僕の家族がいるんだ。僕はさ、ずっと、こういうものが欲しかったんだなって、毎日思うよ………」



詰まって掠れたその呟きに、エーダリアとヒルドが振り返って微笑む。

残念ながらアルテアは額を押さえて水を飲んでいるところだったが、ネアの隣にいたディノも、とても優しい目をしてくれていた。



「ふふ、もっと宝物を増やしましょうね」

「うん…………。よーし、脱ぐかな!」

「………………む?」

「楽しくなってきたから、脱ぐよ!!」

「ぎゃ?!ぬ、脱がないで下さい!!」



実はすっかり出来上がっていたらしいノアは、そう宣言してばりっとカーディガンごとシャツを脱ごうとしたところで、あえなくヒルドに取り押さえられ、厳しく叱られることになった。



そんな様子を見ながら、エーダリアがこちらにやって来る。



「私からの贈り物も渡す事が出来た。ネア、礼を言う」

「いえ、形や認識を変えれば、どんなものでも手渡せるのではと考えたのです。お酒に入れるものは、素人が余計なものを混ぜて美味しくなくなると悲しいので、料理人さんに相談して選んで貰いました」

「命名で新しい飲み物として魔術を確立し、敗者のものとして紐付けて渡すとはな…………。ヒルドの機転で、虫食いのカードも良い働きをした。…………お前はまた後日に?」

「はい。私は、残念ながら虫食いカードをノアに引かせられなかったので、また今度ですね。でも、エーダリア様やヒルドさんからの贈り物を貰えて、きっと楽しい日になった筈ですから」



ヒルドに叱られながらも何だか嬉しそうなノアの姿に、ネアはくすりと微笑んだ。



(昨日のことで、ノアがとても胸を痛めていたのが分かったから、少しでも幸せな気持ちになって欲しかったんだ…………)



これからもずっと続くからこそ、いつでもやり直しは出来るけれど、諦めることは少ない方がいい。




そう思って試行錯誤してみたが、どうにかなったようで誇らしい気持ちになる。



「ふふ、みんなが幸せな、いい一日になりそうですね」

「弾んでる…………ずるい…………」

「おい、だったら何でコルヘムなんか混ぜたんだ…………」

「罰ゲームらしいものも混ぜないと、魔術の認識を紐付け難いとディノに教えて貰ったのです。あんな風になみなみと注いで一気飲みしなければ、味は美味しかった筈なのですが…………」



そう言えばアルテアはとても遠い目をしたままテーブルに突っ伏したが、今夜も泊まってゆくようなので問題はないだろう。











本日二話目の更新になります!

こちらは長くなってしまいましたが、お付き合いいただきまして有難うございました。

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