王の憂鬱と王の道楽
「はっはっは!どうだ。賭けに勝ったぞ!」
そう笑った旧友の足はがくがく震えていたが、バーンディアは気付かなかったことにした。
この友人は暖炉の前の揺り椅子で、膝の上の毛長人魚でも撫でていそうな柔和な面立ちに似合わず、敵の目を欺いて戦果を得ることに命をかけているような危うい生き方をしている。
なんでも、六歳の頃に親族の集まりで中庸でぱっとしない長男だと酷評されたことが幼い子供の心の傷となったらしく、いつか世界を見返してやると誓ったことでこのような歪んだ性格となったらしい。
「…………諦めてはいるが、もう少し年相応の生き方をしたらどうなのだ。フランツが狡猾で危険中毒なのは出会った頃からだが、身の程を知ることは必要ではないのだろうか」
「それが、戦友に向ける言葉か。よりにもよって万象の魔物だぞ?早々にウィームとの境界線に壁を設けておかないと、火の粉が飛んで来るじゃないか。それに、一度でいいから万象の魔物というものを見てみたかったんだ!」
「…………どうだった?」
「どうも何も、擬態をしていたが…………、それでも尚、息が止まりそうなくらいに美しいものだな。こちらを見た時には魂がすり潰されそうになったが、無邪気に橇遊びをしていたぞ」
「…………魔物も橇遊びをするのだな」
少し驚いたので、そう呟いてちらりと背後を振り返ると、渡してあった名簿をびりびりに引き裂いていた女がこちらを見る。
視界に収めるだけで胃の腑が沈むような、栗色に白まだらの髪を持つ美女は、こちらを見た瞳にふっと蔑むような表情を浮かべた。
「橇遊びなどせぬわ」
「はは、君はしないだろう。………それと、その名簿は気に入らなかったのだろうか。この国の中の目障りな者達ばかりだ。好きなものを持って帰っても構わなかったのだぞ」
「美しくもない下僕など、針にも通せぬ屑糸ほどの価値もない」
「はは、手厳しいな。なかなかの美男ばかりだと思ったが、物足りなかったか」
「男ばかりではないか」
「……………ん?」
今回の土産は美しい少女がいいと駄々を捏ねる魔物にがくりと肩を落としていると、また誰かがふらりと執務室に入って来た。
「フランツ、どうしてくれる。美味い砂糖を食い損ねたどころか、名前を口に出すのも悍ましいあの男に、残った腕も毟り取られるところだったぞ………」
「…………その前にいいだろうか。今更ながらに不思議に思ったんだが、私の執務室には警備という観念がないのだろうか………。衛兵達はどうしたのだ?」
「それは酷な話だろう。白樺の魔物がいる部屋に、近付きたい者はそうそういない」
そう微笑んだフランツは虫を見ても気絶しそうな気弱な微笑みだが、いつもの飴色の手帳を取り出しているので、身の毛もよだつような悪巧みをしようとしているに違いない。
「追い払っておいたぞ。目障りだ」
片やこちらの白まだらの白樺の魔物は、そんなとんでもないことをさらりと告白する。
一応は、この執務室の秘密を知るだけの精鋭しか配していないのだ。
育て直そうにもそこまでの人材を探し直すのは不可能に近い彼等を、どうか粗雑に扱わないで欲しい。
「……………その、追い払われては困るんだがな。これでも私はこの国の王なんだ」
「お前を殺すとしたら、他国の暗殺者などではなくお前の妃だろう。そんなあの女から守って欲しいと泣きついてきたのはお前だろうに」
「君はすぐに飽きて帰ってしまうじゃないか。そうなった時、追い払われた衛兵達が不在のままでは、私が無防備過ぎると思わないのかな?!」
「知らん。好きにしろ」
「………………あああ、またそれだ!」
がくりと項垂れて頭を抱えたバーンディアに、砂糖の魔物とフランツが言い争う声が聞こえる。
「喧嘩は他所でやってくれないかな。それと、暫くフランツは私から距離を置くべきじゃないのか?魔物達の報復があったらどうしてくれるんだ」
「その為にある塩の魔物の呪いだろう?死ななければ無罪だと主張出来る、便利な呪いだな」
「……………便利?」
「なぁ、ノアベルトに呪われているくせに、何だってグレアムにまで目をつけられてるんだ?でなけりゃ、今夜あの場所にグレアムが現れる筈がないだろう」
「……………それは誰なのか教えてくれ」
この隻腕義手の魔物は、いつからかバーンディアが気に入ったと言いながらここを訪れるようになったが、どうも彼の私利私欲の為に利用されている気がしてならない。
「うーん、それは言えないな。魔物が人間に与える叡智には対価が必要になる。いらない聖女がいないなら、口を噤んでおき給え」
「……………またそれか。それなら気になる言葉を言わないではいられないのだろうか」
「あの周囲にグレアムが出没するとなれば、ネア様の鑑賞には今後いっそうの注意が必要になるな…………」
「まだそんなことをしていたのか………。だから今夜は、フランツと手を組んだのだな」
そう呟いたバーンディアにふっと邪な微笑みを浮かべたのは、どうしたらそうなるのか分からないような極彩色の服を合わせた魔物だ。
髪色は擬態なのか趣味なのか、一度として同じ色だったことはない。
だが、この男が砂糖の魔物であることは以前から認識していた。
(教会勢力への剣として、この魔物の聖女への異常な執着を買って懇意にしていたが、なぜこんなに入り浸るようになったんだ…………)
「それで、上手くいったのかしら。我が君はとても優しい方だけれど、同じくらい恐ろしい方よ。あの針を無事にウィームの坊やに渡せて?」
そう尋ねた白樺の魔物に、フランツは一度だけとても遠くを見た。
「………あの呪物そのものは、まだまだ有用だったんだがな」
「まさか………」
「跡形もなくなった。通りすがりの終焉の魔物がいたんだ」
「通りすがらないだろう…………。それと、呪物とは言え、あれは、私の身を守る為の最後の一手として残しておいた大切なものなんだ。くれぐれも大事に扱うようにと言わなかったか?」
「はは、正妃がそんなに怖いか」
「笑い事じゃないだろう!お前もあの女とは決して目を合わせないじゃないか!」
「さて、どうだったかな。それと、ウォルターからイブメリアのカードを貰ったんだ。見たいか?」
「子煩悩か!」
この友人は、ウィームに住まう領主の代理妖精との密約の調整の為に、昨日まで非公式にウィームを訪れていた。
その際に、なかなか手こずっていたウィームとの相互不可侵の約定を取り付け、尚且つこちらにもある程度の目があることを伝え、今後予想される各領間の均衡の再調整や隣国の再編にかかわるカルウィとの交渉などに備えたかったのだが、ある程度の種は蒔けたのだろうか。
(ロクマリアとまではいかないだろうが、我が国の駒として育てた旧ガゼットの王族達には、生き延びて頑強な国を育てて貰わなければならない。隣国が内戦ばかりなど煩わしいにも程がある。その為には、多少の犠牲には目を瞑って貰わなければなのだが………)
第一王子が統括の魔物との一定の交流を持ってはいるが、現状でそれを信頼と捉えるにはまだ足りないと考えている。
であればウィームだ。
ウィームの歌乞いは統括の魔物に気に入られているらしいので、そちらの道も押さえておきたい。
(約定や契約、或いは保証や謝罪の何でも構わない)
繋げるのがどんな糸であれ、身の回りに転がる不要な品々や命の整理も兼ねながら、その鋭い一筋を管理してゆくことは可能だと判断した。
今回の糸は、こちらが膝を折るというような形での相互不可侵の約定となるが、そこで結んだ契約に触れた訳ではないのだと釈明する形で、漸くあの魔窟の中枢と腹を割って話せる道をフランツがつけてきた。
狡猾なあの書架妖精は、今迄この王都との明確な経路を作ることを回避し続けてきたが、そろそろ彼も落とし所だろう。
宰相自らの失態によるウィームが優位になるこの約定であれば、これ以上の好機など今後ある筈もなく、あの妖精も渋々ながら首を縦に振るしかない。
漸くだ。
漸く、ウィームがその資質を目覚めさせ、望んでいた形で機能し始めた。
「不可侵の約定を結ぶのか?」
国宝だったはずの湖水結晶のグラスに山盛りにした砂糖を、いつも持ち歩いている銀のスプーンで食べていたグラフィーツがこちらを見てそうひたりと笑う。
お前はそれでいいのかと問いかけているのだろう。
彼にとって、今代のヴェルクレアの王は、教会勢力の剪定の為に、良質な砂糖の素をふるまう良い商人のようなものだ。
だからこそ、この魔物にはこの魔物なりの好意を返す理由が、ヴェルクレアにはある。
「それでいいんだよ。ウィームには自立して貰いたいからね。…………正直なところ、私がいつまでもこの王座から、気質や風習も違う各領の面倒を見続けてゆくのは負担が大きい。外殻だけが一つの国に見えていて、各領が独立しているのが理想でね。前々から、ウィームには人外者達との架け橋、知識の泉として独立して機能して欲しいと思っている。…………やれやれ、エーダリアがやっと育ったようだ」
そう微笑んだバーンディアに、フランツが呆れたように溜め息を吐いた。
「万象の魔物が住み着くとは思わなかったけれどな」
「確かにそれは想定外というか、驚き過ぎてその報告を受けた日の調印式の記憶がまったくないくらいだが、それはそれで、有事の際にもウィームは落ちないという保証になるからね」
窓の外から、暗い夜の海が見えた。
このようなことを言うからといって、あの子供のことをそれ程理解している訳ではないだろう。
実際、バーンディアはエーダリアがよく分からない。
ヴェルリアの王族として生きてきたこの心には、ウィームの人間の心は及びつかないものである。
(私には、四カ国統一など、父上のような甘い理想は抱けないな…………)
統一戦争を齎した王として、先代の王は国祖としての華々しい顔のその裏に、決して消えることのない戦火の影と怨嗟を背負っていた。
けれども息子の立場から言わせて貰えば、これだけ離れた四カ国を本気で統一しようなどと考えた父親は、見果てぬ夢に取り憑かれた夢見がちな人にしか見えなかった。
(カルウィに備えるのであれば、各国の王族達は残して利用する、国民に向けての形だけの統一に向けて調整し、その主導をヴェルリアがするべきだった…………。どこかの領を大々的に隣国にでも蹂躙させれば、各国の危機感も煽れただろう………)
事実バーンディアは、自分の息子であったとしてもエーダリアの考えることやその嗜好は分からないし、正直に言えばガーウィンの気質の強いオズヴァルトも少し苦手だ。
ジュリアンに至っては清々しい程の小物だが、彼のような素材は決して目新しくもないとは考えている。
末っ子については、末恐ろしいとだけ言っておこう。
あれは、育て方を間違えると国を滅ぼしかねない毒になる子供だ。
最近では、あの子供が甘えた声で何かを言い出すと、背筋が寒くなる。
「……………そういう訳だからな、くれぐれもウィームの歌乞いを砂糖にはしてくれるな」
「…………ネア様を砂糖に。はぁ、………そりゃ堪らなく魅力的な響きだが、砂糖にしたら世界が終わるな。目の前の至高の砂糖候補を見ながら、砂糖を食うだけで我慢するさ。あの方を見ながら食うだけで、砂糖が百倍旨くなる」
そう嗤った魔物を半眼で見返し、バーンディアは溜め息を吐いた。
この魔物は、自身最高の砂糖に出来そうな逸材だが、決して砂糖にすることは出来ないかの歌乞いに、片恋の相手のように心を焦がし崇めている。
(それも、あの歌乞いを見ながら食べる砂糖が美味だというだけで、落とした階位を一つ上げまでしたらしい………)
だからこそあの凡庸そうでなかなかに侮れないウィームの歌乞いは、この砂糖の魔物の尊いご主人様として君臨し続けている。
それでいいのかという思いと、魔物の思考回路だとそうなるのかという諦観と。
(魔物はやはり良く分からない…………)
どっと疲れを感じながら、先程従僕が部屋に届けた手紙の束をもう一度だけひっくり返してみた。
「どうした、バーンディア。お気に入りの長男からのカードは紛れていたか?」
「………………ない」
「特に深い意味などないだろう。今年は橇に夢中で忘れたんじゃないか?」
「………………黙れ」
決して落胆などしていない。
そう思って小さく頷くと、机の上に並んだ白いカードを一枚選んでそっと取り上げた。
この王座に座り続ける以上、頭の痛い問題というものは尽きることはない。
国など放り出してしまおうかと考えたこともあったが、残念ながら自分は王としての生き方しか知らないし、幸いながらそう生きるのに適した薄っぺらな倫理観を持っている。
そして何よりも、国を丁寧に剪定して整えることが寝食を忘れるくらいに大好きだ。
その為の全てに自分の手で対処する訳ではないが、ここに並んだカードのように、こちらで手をかけてやらなければいけないようなものもある。
さて、次に動かす駒をまた選ばねばならないと考えると、今宵もまた胸が躍った。
本日一編目の投稿になります。
もう一つのお話は本日中には投稿しますね!