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349. それも運命と言えるかもしれません(本編)






「やあやあ、近頃の若者たちは激しいなぁ」



そんな朗らかな言葉が聞こえて来たのは、ネア達が橇を降りてそれぞれの順位を確認をし、ついでに凝りの竜を片付けた後のことだった。



現在、ウィリアムとアルテア、ヴェンツェルとドリーは、その凝りの竜の後始末でこの場を離れている。

ネア達はちょうど、各々の橇に吊るしたランタンを大事に取り外してしまっているところだった。



(……………ここで滑る人が他にもいたのだわ…………)



険しい山なので驚いてしまったが、ネア達がここで滑っているからといって、アルバンの山に誰もいない訳ではない。


ウィームの領民達の魔術の可動域の広さを思えば、このようなところで滑るのも特に不自然なことはなく、次の挑戦者が来たのかなと思って顔を上げたネアは、もこもことした毛皮付きのキャラメル色の防寒着を着た、背の高い男性の姿にふと違和感を覚える。




(何だろう。…………何か…………)




それは多分、映画などの映像媒体で数多くの物語を見たネアだけの直感だったのかもしれない。



にっこり微笑んだ人の良さそうな男性は、出会った頃のグラストくらいの年代の見目だろうか。

子供達に囲まれて笑っていそうな、笑うと目がなくなってしまいそうな容貌は気弱で優しいお父さんを思わせる。



それなのに、人の良さそうな微笑みを浮かべる襲撃者程に厄介なものはないという、誰かの作品の面影が刻まれた危機感がびりりと震えた。




ずしりと、耳の奥で誰かの足音が聞こえた気がした。

その足音はここで聞こえる筈もない乾いた足音で、どこか騎士達が乾いた石畳を踏む音に似ていた。

でもそれは、幻なのだ。




(……………エーダリア様とヒルドさんが一番近い……………)



さくさくと雪を踏む足音に、ヒルドがエーダリアを庇うように立つのが見えた。

けれどもその二人共、ネアの大事な家族のような人なのだ。



だから、その時にネアが感じたのは、予感というよりはもはや、威嚇にも近い反応だったのだと思う。


ネアがここではない世界で得た物語の知見は、想像を絶する生き物が多いこの世界ではまるで役に立たないことも多い。

だがそれは、この世界では魔術も持たないネアにとっての細い命綱にもなる、見知らぬ誰かの叡智を撚り合せた知識の泉でもあるのではないだろうか。



だからネアは迷わなかった。

先程の凝りの竜が現れた時に、首飾りの金庫の中の一番手前に手繰り寄せていておいた、とっておきの道具があるのだ。

手を打たずに後悔するよりは、打ってからさてどうしようと考える方がいいではないか。




ちりんとベルが鳴った。




その直後、その場にいた全員がいっせいに崩れ落ちる。


ほうっと強張った息を吐き、ネアは首飾りの金庫から取り出したばかりの、鳴らせば周囲の者達を眠らせてしまう特別なベルを、そっと手で押さえる。

かつてやってしまったことがあるのだが、ここでもう一度うっかり鳴らしてしまうと大変なのだ。



そこまでを終えて、もう一度ふうっと息を吐いていたネアはその直後、すぐ近くで動いた影に驚いて、ベルを取り落としそうになった。



「……………っ?!」

「……………ネア?」



けれども、聞こえてきたのは、どこか頼りなげな婚約者の声で、ネアはへなへなと傾きながら胸を撫で下ろした。



「ディノ!…………このベルはディノには効かないのですね!起きていると思わなかったので、息が止まりそうでしたが、嬉しい誤算でした…………」



ほっとして微笑んだネアの視界の端で、ヒルド達の橇の近くにいたノアも体を起こしたような気がした。



(良かった、ノアも起きていてくれたんだわ…………)



「…………その道具に敷かれた魔術の属性や階位があるからね。一瞬意識が遠のいたけれど、それは、魔術が動いたことで生まれた衝撃のようなものかな」

「でも、衝撃を感じたからこそ少しふらついてしまったのですね。………ごめんなさい、いきなりで驚かせてしまいました」



大事な魔物の腕を撫で、ネアは事情を説明することにした。


周囲を見回せば、エーダリア達は橇の側に倒れていた。

その無防備さに胸が痛んだ。

ベルを鳴らすタイミングを選べなかったものの、橇に頭をぶつけてしまってもいないみたいだ。



「ディノ、その前にエーダリア様達を……」

「うん。既にノアベルトの守りはあるけれど、その上で排他結界で覆っているよ」

「………有難うございます。その、霜焼けにならないように助け起こしに…」

「しもやけ…………?」



ある程度の外的要因を無意識に緩和し、雨にも濡れない魔物にはその発想はなかったらしく、ディノは不思議そうにしながらも、すぐに、眠らされた者達と雪原との接着面を結界で遮ってくれた。



(ウィリアムさんとアルテアさんも、早く戻って来てくれればいいのだけど、凝りの竜の対処をしてくれているところなのだから………)



安易に呼び戻し、そちらの作業に支障が出ても困る。

とは言え、彼等の戻りを待っていたら他にも誰かが来てしまうかもしれないので、帰りを待っている時間はなさそうだ。

崩れ落ちたように雪の上に倒れた仲間達の姿も心臓に悪いので、ネアは一刻も早くこの事態をどうにかしてしまうことにした。



「…………ディノ、私はあの男性の方がどうも気になるのです。とても嫌な感じがしたので、どうにかしなければと、皆さんの動きを止めてしまいました」

「そうだったのだね。………排除してあげようか?」



いとも容易くそう言って、雪の上に倒れた見知らぬ誰かを一瞥したディノの眼差しは、人ならざる者らしい冷ややかさだった。

ディノがどれだけ心を動かせるようになったとは言え、それはやはり、周囲の人達に限定されたものなのだ。



「…………いえ、実は危険などなく、尚且つ政治的な権威のある方だと、後に問題になりかねません。この時間の内に、あの方を少しだけ遠ざけておき、私とディノがエーダリア様達の近くに行くというのはどうでしょうか?」

「そのくらいであれば簡単だよ。君は、………あの人間をこの場から退けてしまうこともしたくないのかな?」

「はい。見えない悪意がここにあるとなると、知らずにまた隠れてしまうのも困ります。であれば動いていただき、その上で断罪しなければなりません。…………私にはまだ、ダリルさんやエーダリア様達のようにはいきませんが、そういうものなのでしょう?」


もしかすると魔物の説得に手間取るかもしれないと考えながらそう言えば、ディノは予想外にすんなりと頷いてくれた。



「…………そうだね。ウィームや、この国の平定というものも、君にとって大切なものなのだろう。君はこちらにおいで。私から離れないようにね」



そう言われひょいと持ち上げられたネアは、夜の中でも鮮やかに煌めく水紺色の瞳が、静かに周囲を見回したことにぞくりとした。



周囲の森は静かだった。


振り返ると見えるウィリアムが薙ぎ倒してしまった大きな木が痛々しいが、それはそもそも祟りものであったのだし、後は、先程の凝りの竜が羽ばたいたことで木々の枝葉に積もった雪が落ちているくらいだろうか。



(…………いや、よく考えたら、何事もなかった静かな森と山という感じじゃない…………)



今更それを思い出しがくりとしたが、今はもうとても静かだ。

みんな眠りについてしまっているだけなのか、先程の騒ぎで息を潜めているものか。



決して静かな夜ではなかったが、今はただ、美しいイブメリアの後の夜の森と雪原が広がっている。




「ディノ…………?」

「怖がらなくていいよ。周囲に魔術の目がないかどうか、確かめていたんだ。………向こう側に、…………眠ってしまっているものの、魔物が一人いるようだね」

「ま、魔物さん…………。敵でしょうか?」

「そこの人間とは無関係ではないだろうけれど、君が眠らせてくれたから心配ないよ。あのベルの干渉を受けてしまうくらいには、彼が階位を落としていて良かった」



その言葉から、向こうで眠ってしまっているという魔物が、かつてはディノやノアのようにベルの効果を逃れられたくらいの高位のものだったのだと、ネアは理解した。


どれだけ階位を落としたとしても、そのような魔物が何の理由もなくこの近くにいた筈もないのだ。



「…………ベルを使って良かったです」

「そうだね。………さて、私達は、あの人間を後退させ、エーダリア達を彼から守れるようにしようか」

「はい。アルテアさんに来て貰います?」

「いや、あの凝りの竜が陽動だった場合を考えて、それはやめておこう」

「…………ふぁい。…………そう言えば、グラストさんは分かりますが、ゼノも眠ってしまうのですね…………」

「その魔術を無効化するのは、公爵位の中でも、上位の者までだろうか。ドーミッシュの祝福だったものだが、アルテアがその資質の一端を奪ったことで、それ以後のものには選択の資質も部分的に付与されているんだ」

「まぁ、アルテアさんの要素が…………」



グラストとゼノーシュは、橇の隣に寄りかかり合って眠っていた。

そんな二人から視線を外したネアは、ふと、どこにもノアの姿が見えないことに気付いた。



(…………起きていたように見えたけれど、気のせいだったのかしら。………ディノに声をかけられた後、ヒルドさん達の橇の近くで立ち上がったように見えたのだけど………)



となると、ここで目を覚ましているのはディノだけだということになる。



(向こうに敵かもしれない魔物さんがいるとしたら、ディノ一人でここにいる全員を守るのは、負荷が大き過ぎないかしら………)



もう一度ベルを鳴らして、先程の男性や、近くにいる得体の知れない誰かを起こしてしまうことが、ネアは急に不安になった。


そんなネアの様子に気付いたようで、ディノは、はっとするほど艶やかに微笑み、ネアの頭をそっと撫でてくれた。



「むぐ………」

「向こうの魔物が心配かい?………君の勘は当たるからね、もう少し備えておこうか」

「きりん箱と、水鉄砲はすぐに使えます!」


すかさずネアがそう言えば、ぎくりとしたディノは微かに視線を彷徨わせつつ、けれどもと首を振った。



「…………君が懸念していたことを調べるのなら、壊してしまうのではなく、思惑を掴んだ方がいいかな。…………彼が、もっとも不得手とする者を呼べるか試してみよう。それと、こちらにはノアベルトもいるからね」

「……………で、でも、そのノアの姿が見えないのです。また寝てしまったのでしょうか…………?」

「ノアベルトは少しここを離れている。すぐに戻ってくるから心配ないよ」

「…………まぁ。………どこかに、行ってしまったのです?」

「こちらに歩いて来た者を見て、そして君の言葉を聞いて、彼は確かめに行ったのだろう。もし、そちらの約定が破られたとしたら、この国は少し騒がしくなってしまうからね。……………グレアム、少しだけ力を借りられるかい?」



このような時にノアはどこに行ってしまったのだろうと不安げに周囲を見回したネアの耳元で、ディノが呼びかけたのは犠牲の魔物だ。


そして、珍しいその召喚に遅れることなく、すぐさま転移の魔術を踏んで姿を現した一人の男性がいた。



「我が君」


その一言に込められたのは、背筋が伸びる程の鋭さだ。

何かがなければディノがこんな風に自分を呼びつけたりするまいと、グレアムは勿論理解している。


転移の薄闇を踏み分けてふわりと翻った白灰色のコートを見るに、カルウィにはいなかったようだ。



「眠りのベルはこちらの手によるものだが、私達に不可解な接触を図ろうとする者がいてね。……君を呼んだのは、向こうの茂みにグラフィーツがいるからなんだ。彼を壊してしまうのはとても簡単だが、どのような魔術を敷いたのか調べるとなると、私の手に余るかもしれない。取り込み中でなければ、アルテアが戻るまで彼を任せてもいいかい?」



そう言ったディノに、グレアムは夢見るような灰色の瞳を細めて優しく微笑んだ。



(………………っ!)



そこには、ネアがどきりとしてしまうくらいに冷ややかで残忍な魔物らしさがある。

優しい表情の筈なのに、微笑みの温度の低さに夢見るような瞳の煌めきが重なると、そのアンバランスさがグレアムの微笑みをぞっとするほどに鋭く見せた。



「…………お任せ下さい。ご存知でしょうが、彼はネアに対しては無害です。…………ですが、それ以外の者に対してはそうでもないでしょう。気に入った者には肩入れしますが、でなければ、例え王であっても策略を巡らせる男ですからね。…………叱っておきますよ」

「グラフィーツの資質にも、困ったものだ。もし、あちら側の人間達がウィームに食指を動かすのであれば、色々と考え直さなければならないかな…………」

「いえ、そちらも問題ないかと。…………アルテアは、そういう意味では俺よりも調整が上手いですよ。グラフィーツとも旧知ですし、彼が問題視していないところで火の手は上がらないと思います。………これは多分、交渉という手札を隠した婉曲的な対話なのでしょう」

「であればいっそうに、煩わしいとは思わないかい?」



そう微笑んだディノは、ひやりとする程に美しかった。

けれどもそれは、降り注ぐ絶望の色にも似た闇色の美しさで、ネアは主語の見えないその会話が怖くなる。



「………俺としても、よりにもよってこの時期にとは思いますが、それこそが世界の采配なのかもしれません。…………ただ、王族というものは、聡明でしたたかな者ほどこういうことをしますので、この訪問自体は問題視する程でもないでしょう」

「…………手綱を締めるのであれば、ノアベルトがするだろう。それともダリルかな…………。では、頼むよ」

「ええ。…………シルハーン、俺を頼っていただけて、嬉しかったです」



その一言に、グレアムの心が揺れた。

微笑んで一礼すると、魔物達の話が見えずに目を瞠っていたネアの頭に優しく手を乗せて頷きかけてくれてから、グレアムはふわりと姿を消した。


ネアは目を瞬き、まだその猶予はあるだろうかと、自分を持ち上げているディノに問いかけてみる。



「ディノ、これは…………」

「グラフィーツはね、この国の王に力を貸している侯爵の魔物の一人なんだ」

「…………まぁ…………、そのような高位の方が来ていたのですね…………」

「エーダリアとノアベルトのような関係とは違うけれど、グラフィーツはこの国の王を気に入っている。それに、とても器用な魔物なんだ。…………とは言え、グレアムのことはとても苦手としているから、彼に任せられて良かったよ」



そう説明しながら、ディノは短い転移を踏んで、雪の上にくしゃりと倒れている見知らぬ人間の前に立った。



(…………何だろう)



その誰かに近付くと、胸が苦しくなった。

息がひりつき、心臓がぎゅっとなる。



(この不穏さは、何なのだろう…………)



すぐさま、見えない手で掴まれて放り出されたように、手も触れずにその体が後方に引き戻される。

怯えて逃げたり隠れたりされてもまずいので決して乱暴にはしていないが、雪の上に倒れていたことは隠しようもないだろう。




「…………まったく。僕との約束を破るつもりなのかなって、確かめに行っちゃったよね」

「ノア!」



そこに現れたのは、いつの間にか姿を消していたノアだ。


かつて王都で暗躍していた頃に纏っていたという、ネイという魔術師の擬態をしており、雪の上に降り立つとその擬態を解いた。



「ふぎゅ、帰って来てくれました………」

「うわ、ごめんねネア!大急ぎで確かめないとまずい案件があって、ちょっとだけ王都に行ってきたんだ。…………ってありゃ、みんな眠ってるのにグレアムを呼んだのかい?」



すぐにその気配に気付いたのか、ノアが少し離れた森の方を見た。



「この時期に重なったことが少し気になってね。どのようなものが運命を歪ませるか分からないから、念の為に慎重になることにした。隔絶を敷いてあっても、グラフィーツもいる。私が取り零すことのないよう、グレアムの手を借りたよ」



先程から謎めいた会話が続き、ネアは、今度は隔絶とは何だろうと疑問符でいっぱいになったが、ここではディノ達がそれを理解していればいいものだろう。


雪の上に倒れているエーダリアとヒルドを、やっぱり隠そうかなと、橇の影に移動させてやりながら、ノアは小さく笑う。



「あいつは油断のならない人間だからさ、僕がここから離れる間だけ、あいつとの間に空間の隔絶を敷いておいたんだ。どれだけ真っ直ぐに歩いても走っても、ここには近付けないようにね」

「ほわ…………」

「……………王だったかい?」

「いや、ピンピンしてたよ。僕との約束を反故にしたら死ぬ筈だから、ってことは、あいつの画策じゃないかもだけど、一応はこれ宰相だからなぁ…………」

「…………む?………も、もしかして、そこで倒れているのは宰相さん?!」

「そういうこと」

「ぎゃ!ウォルターさんのお父さんですし、国の偉い人です!!攻撃してしまいました!」



慌てたネアに対し、魔物達は酷薄な眼差しで冷ややかに微笑む。



「ほらさ、そんな奴が、こんなところに護衛もなしで一人で来るってのが、わざとらしくてきな臭いと思わないかい?」

「…………むむぅ、知らない方であれば人知れず滅ぼして、その辺りに埋めておくのですが、 その、…………知り合いの方の親御さんを傷付けるのはちょっと避けたいです。ウォルターさんの了解を取らないことには…………」

「わーお、了解が取れればいいんだ…………」



ノアはそう驚いてみせたが、幸いにも今回は滅ぼしてしまう必要はないそうで、そのまま起こすことになった。

ノアが宰相の近くに留まり、ネア達はエーダリアとヒルドの横に控えることにする。



ネアは、グレアムとの連携も取ってくれたディノに促され、深呼吸してからベルを再び鳴らした。



ちりんと、ベルが鳴った。




「……………おや、……これは転んだのかな?…………これはこれは、塩の魔物殿」



低く呻いてから体を起こした宰相を、目の前に立ったまま彼を見下ろしていたノアは、どんな表情をしていたのだろうか。


この人は塩の魔物としてのノアを知っているのだと、ネアはまたひやりとする。




「…………ネア?」

「…………っ、眠っておりましたか………」

「ごめんなさい、私がやったのです」


周囲に音の壁を張り巡らせて貰い、目を覚ましたエーダリア達には、ネアから状況を説明した。

ディノは、少し離れたところで目を覚ましたグラストとゼノーシュに、ここから魔術で状況を共有してくれている。



「フランツ殿が…………」

「おや、であればそろそろご退場いただいても宜しいかもしれませんね。幸い、ご子息も有能ではありませんか」

「ヒルド…………」



迷うことなく過激な提案をしたヒルドに、エーダリアは困ったような顔も見せたが、すぐに、ネアがかつて警戒していた頃のような冷静沈着な元王族らしい表情に切り替える。



そこに、宰相閣下と何やら会話を持っていたノアが、振り返った。



「この人間は、ウィームの領主を探して来たみたいだけど、会うかい?僕は、今すぐにでもウィームからこんな人間は追い返したいんだけどな」

「非公式なご訪問ではありませんか。正式な手続きを踏んでいただきませんと」

「ヒルド!…………このようなところまで来られたからには、余程の理由があるのだろう。そちらに行こう」



政治的なその前線にも立たねばならない狡猾さで一芝居打ち、さくさくと雪を踏んでそちらに向かうエーダリアに、ネアはぎゅっと手を握る。



ネアを抱えたままでいるディノの手が、そっと背中を撫でてくれた。



エーダリア達が近付けば、訪問者は貴族らしい優雅なお辞儀をした。

どこまでも柔和な印象だが、決して薄っぺらくはない。



「ご無沙汰しております、エーダリア様。このような場所での非常識な訪問をお許しいただきたい。実は、相応の理由がありまして」

「ご無沙汰しております、フランツ殿。何か、私に火急のご用でしょうか?」



しんと静まり返った夜の中では、エーダリアと交わされる宰相の声がよく聞こえた。



「ご存知の通り、明日からの会談に向けて先程ウィームに入ったのですが、はは、実はこのざまでして。…………おっと、武器などではありませんよ。触れていいものか迷いまして、眼鏡入れに押し込んでおきました。………これです。本来であればこちらで対処するべきですが、下手に隠して周辺に被害を広げれば、私の立場的に中央とウィーム領を巻き込んだ厄介な問題になりましょう。これはもう、恥を忍んでエーダリア様にご相談するしかなく、探させていただきました」

「…………成る程、事情は察しました。ただ、よく我々を見付けられましたね」

「別件で連絡を取っておりました、王の友人である魔物に力を借りました。とは言え、このようにして押しかけるのですから、皆様を警戒させぬよう、離れた場所で待っていただいております」



どうやら宰相は、何らかの厄介な品物を抱えた身であるらしい。

それをどうにかして貰う為に、エーダリアを探しにきたようだ。



(となると、私が感じたのはその不具合からの異質さなのかしら…………?でも、ディノやノア、グレアムさんまでも、この訪問は作為あるものだと思っているみたいだったけれど………)




「………針か。呪物のようだが、随分と汚れていますね」

「ふうん、目眩しの呪いだね。触れない方がいいと思うよ、領主君」


そう呟いたノアは、エーダリアとはそこまで親しくない設定のようだ。


「…………であれば、触れずに隔離結界で回収した方がいいでしょう。歌乞いの魔物に協力を依頼するので、少し待って貰えますか?」

「はは、何なりとお任せいたしましょう。私はウォルターのような魔術の才はありませんので、さっぱり分かりません」



頼りなく笑った男性を油断なく見つめ、ネアはノアにそれとなく促されたものか、こちらを振り返ったエーダリアと視線を合わせる。



(…………エーダリア様自身は、私達には頼みたくないのだわ…………)



けれども、それがノアの判断なのだろう。

ゼノーシュに任せられないような要素があるのなら、かなり厄介なものなのかもしれない。




「…………頼んでもいいだろうか」

「はい。私の魔物に頼みますね。…………お願いしてもいいですか?」

「構わないよ。…………不思議な魔術の気配がするね」



どこか慎重にそう呟き、ディノはふっと凄艶に微笑んだ。



その途端、その微笑みの酷薄さに気圧されたように、ヴェルクレアの宰相は微かによろめく。



「それは、どのようなものなのかな?」

「……………火………竜の、」



静かな問いかけに何かを言いかけて、宰相はぎくりと口元を押さえる。

柔らかく整えられたその相貌に、ほんの僅かだが、剥き出しの恐怖にも似たものが過ったような気がした。




「困った人間だね。これでも私は魔物なのだよ」



そう微笑んだディノは、その精神圧だけで守りの硬いに違いない大国の宰相の口をいとも容易く緩めてみせたのだ。



しかし、場数を踏んだ大国の高官らしく、宰相はすぐさま体を捻って、ディノの視線を逃れると、そんな様子を労わるでもなく見守るウィームの領主に、力なく微笑んでみせる。



「…………っ、これは誤算でしたな。いやはや、老いぼれの浅知恵で悪巧みをするものではないらしい。らしくなく体を張らされたのに割りに合いませんな………」

「おや、となりますとどういう事でしょうか?」



そう尋ねたヒルドは婉然と微笑んだ。

微かに広げられた宝石のような羽が夜の光を集め、美しいだけではない、妖精らしいじわりと侵食する毒のような鋭さを垣間見せる。



「…………はは、君も意地悪だな。これでも、息子の友人であるヴェンツェル王子の意見には、何度か好意的な返事をさせていただいた筈だが」

「あなたのような方が、ご自身の収支に見合わない支払いをするとは思えませんが?…………今回の茶番についても同じことでしょう。ご説明をいただいても?」


そう促したヒルドに、困ったなと苦笑した宰相は、妙なものを手にここまで来た理由を、あっさりと白状した。



「有り体にお話しすれば、私の手には余るこの呪物の解析を、何とかガレンに任せたいと思っております。ガレンエンガディンたる方に、私個人から内々にと言えば察していただけるやもしれませんが、王家に纏わるどこぞやから、おかしな品物が私の手に転がり込みましてな。…………これは王家の手に余るもの。…………と言うよりは、あちらには置いておけないもの。困ったことに、正式な依頼は出来ないのです」

「…………これでも私は、塔の長です。フランツ殿の頼みであれ、来歴も分からぬ品物を、それも正規の手順を踏まず、おいそれとは受け取れません。手続きというものにも、魔術的な意味がありますから。ただし、お困りであれば、その針を抜き取り、封印箱にお入れしましょう」

「はは、エーダリア様も、手強くなられましたな。さて、どうしたものか…………」



フランツ宰相が頭に手を当てて笑ったお陰で、ネアにも問題の品物が見えた。




(………………あれは、…………)




ふと、意識がどこかに彷徨い、がくがくと揺さぶられる。



記憶を過ぎるのは、どこかの廊下を胸が潰れるような思いで息を切らして走り、ちりちりと焦げ付くような匂いを感じていたこと。

倒れた床から見上げたのは、見たことのある美しい天井だ。




確かに宰相がエーダリアに差し出して見せたのは、恐らくは彼のものであろう、一組の毛織の手袋だ。

そこに、ここからも見えるくらいに鮮やかな、血のように真っ赤な針が刺さっていた。


その真っ赤な針を、ネアはどこかで見たことがあるような気がした。




(あれは確か、………炎が……………)




どこか悲しげな顔でネアを見下ろしていた、背の高い男性がふつりと記憶に蘇る。




「……………エーダリア様、それに触らないで下さい!」




ネアが、そう声を発した時のことだった。


ごおんと音が響き、雪の中から巨大な狼のようなものが立ち上がる。

あまりのことに目を丸くし、ネアは一瞬そちらに視線を奪われてしまった。




「凝りの獣…………?!」



ぎょっとしたようなその宰相の声に重なり、地響きのような獣の咆哮が響き渡る。

頭を揺さぶるような激しい咆哮が巻き起こしたのは、先程の竜が呼び起こしたような苛烈な雪嵐だ。



「っ、エーダリア様!ヒルドさん!!」



我に返ってそう叫び、ディノの腕の中でネアは手を伸ばした。

ノアが側にいてくれる筈なのだが、あまりにも激しい雪嵐に、その向こうで何が起こっているのかが窺えずぞっとする。



結界の向こう側が真っ白になり、こんこんと巡り荒ぶるその白が、唐突にふわりと晴れた。




「おやめ」




それは、とても静かな声だった。

万象のその一言で、猛り狂っていた獣がさらりと崩れて雪に戻る。


全ての雪がすとんと足元に落ち、夜空は鮮やかなまで夜の色に静謐な月天が広がっていた。




「ほお、親書代わりにしては稚拙な来訪だな。国の頭を挿げ替えたくなったのか?」



そこに響いた頼もしい声に、ネアはふにゃりと口元を緩める。

周囲を見回せば、少し離れた位置に、いつの間にかアルテアが立っていた。



「これは参った。統括の魔物殿までおられるのか」



雪まみれではあるが、膝をつくこともなくそうからりと笑った宰相の姿に、ネアは魔物達が彼を警戒していた理由の一端を知った。

あれだけの雪嵐の中で、彼は一人でその身を守り切ったのだ。



「ろくでもないものを持ち込みやがって。火竜の呪詛なんぞを動かすから、こう何度も凝りの獣が生まれるんだ」

「………ほほう、であるとこの品が動いたことで……………っ?!」



老獪な男の表情に本物の動揺が走るのが、ネアの目にもくっきりと見えた。

何にそんなに動揺しているのかと思いかけ、ネアははっとした。

宰相の手が掴んでいる毛織の手袋に先程まで刺さっていた真紅の針が、いつの間にか忽然と消えているではないか。



ひたりと、嫌な汗が落ちる。




けれどもエーダリアも同じように動揺して周囲を見回しているし、ヒルドも無事だ。

二人にそこから離れるように言っているノアに、エーダリア達の元へ駆けつけてくれたグラストとゼノーシュ。


戻ってきてくれたアルテアは呆れた顔をしているし、グレアム達の姿はここからは見えない。

まだ誰も傷付いてはいない。



であれば、この嫌な感じはどこから来るのだろう。




そう考えて、自分を抱き抱えてくれている大事な魔物を振り返ろうとしたネアの視界の端に、きらりと何かが光ったような気がした。




「ディノ!!」




悲鳴のような自分の声を遠くに聞き、ネアは咄嗟に片手を振ってその煌めきを払い落とした。




(……………あ、)




ちくりと、人差し指に鋭い痛みが走った。




「ネア!」



血の気の引くようなその一瞬、ネアは蒼白になった魔物にその手を掴まれ、いつの間にか駆け寄ったものか、アルテアにも詰め寄られる。




「……………ディノ」



ディノに取られた右手の人差し指に、針で刺したようにぷくりと膨らんだ血の粒が見えた。

その赤さに胸が潰れそうになってから、ネアはふと、特にそれ以外の不調を感じないことに気付いた。




「ネア!」




雪を蹴散らし、こちらに転移で飛び込んできたのはノアだ。

その悲壮な程の眼差しの美しさに、ネアは、ああ、この優しい魔物の前でまた同じ悲劇を繰り返すのは嫌だなと強く思う。



ディノに雪の上に下され、三人の魔物にしっかりと囲まれた。

横になった方が楽かどうか聞かれたが、でもなぜか、あの時のようにくらりと視界が翳ることはなく、まだネアの意識はしゃんとしていた。



(傷が小さいからかしら……………?)




「ネア!すぐに終焉と因果の魔術の繋ぎを断つから!!…………って、あれ?………ありゃ、結ばれてない?!」

「………………ふにゅ、…………?」

「ネア、……………その手を見せてご覧」



微かに震える声でそう言い、ディノがそっとネアの指先に滲んだ血の粒に触れる。

ぱきりと音を立てて真紅の結晶石になったその血を取り上げ、下に隠れていた針に突かれた小さな傷にそっと触れた。



しゅわりと小さな魔術が弾け、指先の傷がゆっくりと消えていった。



「………………治癒出来るね」

「……………消えました」

「模造品か?いや、この気配は擬態なんぞ出来ないものだ。…………ウィリアム、」



呆然とした魔物達が視線を移した真っ赤な針を、やはりいつの間にか戻っていたのか、静かに歩み寄ったウィリアムがそっと拾い上げる。


針が落ちたその周囲の雪が、じゅわりと音を立てて燃え上がって消えたのは、ネアが血を落とした可能性を懸念してのことだろうか。



「…………成る程、呪物というのが近いですね。本物というよりは、その記憶から派生した呪いの残滓のようなものです。そんなものにまで、俺の祝福を使われては堪らないな」



そう呟き微笑むと、ウィリアムの手の中で真紅の針はざあっと灰になった。




「……………生きています」



呆然と呟いたネアに、深く溜息を吐いて雪の上に座り込んだアルテアが、低く呻いた。



「……………くそ、驚かせやがって。因果が弾いたか」

「…………恐らくはそうだろう。この子はかつて、…………それが影絵の中であったとしても、一度命を奪われている。だからここに残った魔術は、これは既に奪ったものだと判断したのだね。終焉と結ぶのが、因果の魔術だったからこそだ。……………ネア、無事で良かった………」



強く強く抱き締められ、ネアは目を瞬く。

背中に回されたディノの腕が震えているような気がしたが、覗き込んだ瞳にはただ深い安堵だけがあった。



「ディノ、ひやりとしましたが、この通り無事でした」

「……………うん」

「それと、……………ヴェンツェル様?」



ふっと視界が翳ったので振り返ると、そこには蒼白な面持ちのヴェンツェルが立っていた。

ネアと目が合うと微かに視線を揺らし、ディノに向かって深々と頭を下げる。



「……………魔物の王よ、我が国の民の行いをどうか許していただきたい。この責任は…」

「ヴェンツェル!」


慌てたようなドリーの声に、こちらに向けて深々と頭を下げたヴェンツェルの肩が震えた。

ネアはもう一度目を瞬き、凝りの竜の残骸を浄化しに行っていた全員が戻ってきたのだなと、そんなことをぼんやり考えかけ、慌てて自分を叱咤した。



「…………っ、ディノ、今のは事故です。あの方は思惑もあったでしょうし、危ない品物の管理の仕方がかなり迂闊だったのは否めません。でも、狼さんの巻き起こした嵐でこちらに飛んで来てしまったのは……」

「…………そうだね、恐らくは偶然だろう。もしくは、そうするようにと成された運命の道筋だったのかもしれない。…………でも君は、既にそれを払いのける因果の手立てを持っていた。……………ドリー、彼に責任を取らせる必要はないよ。あの人間には、このような品物をウィームに持ち込んだ責任を取らせるまでで構わない。それはアルテアや、ダリル達が対処するだろう」

「………………寛大な処置に、心から感謝します」



一度目を閉じてから絞り出すような声でそう言い、今度はドリーがディノに頭を下げた。

ディノの言葉を飲み込むのが一拍遅れたヴェンツェルも、続けて深々とお辞儀をする。



「今の体制が崩れる方が、困ったことになりそうだからね。…………そこまでが、この一連の運命の流れの落とし所だろう。余計な負荷をかければそちらから決壊してしまう」

「…………成る程な。事を荒立てれば、軋みが生じてこちらに跳ね返るって訳か……………」



そう呟きネアの頭の上にぼさりと手を落としたアルテアに、首がぐきっとなりかけながら、ネアはそろりと頷いた。



「…………今の針は、かつての火竜の王様が使っていた槍の、………かけらのようなものだったのですよね?」

「……………うん。ごめんよ、僕が一番近くにいたのに、あの針が火竜の王の槍だったことにも気付かなかったし、吹き飛んだことも気付けなかったよ…………」



そう言って力なくうな垂れたノアに、ネアは手を伸ばしてその頭をくしゃくしゃと撫でてやった。


悲しげな青紫色の瞳でこちらを見ている姿に、ネアは何だか涙目の銀狐を思い出してしまってくすりと微笑んだ。



「この通り無事なので、落ち込まないで下さいね。………多分、ノアが針の正体に気付かなかったのも、まさかの風でこっちに飛んで来てしまったことも、最近警戒中の運命の怖いやつだった可能性が高いのでしょう?」

「……………あの悪夢を、もう一度見るのかと思った。…………君が無事で良かった………」

「ふふ、ぴんぴんしてますよ!」

「……………うん」



ネアはここでやっと立ち上がり、ディノにもう一度持ち上げて貰って、エーダリア達に手を振った。


こちらの無事を確認してへなへなと雪の上に座り込んだエーダリアと、ほっとしたような痛ましい程の安堵の表情を見せてくれたヒルドがいる。



ちらりと、とても遠くに極彩色の装いの誰かを引き摺ったグレアムが見えた気がしたが、瞬きをすると消えていた。



「…………橇が終わった後で、良かったのかもしれませんね」



ネアがぽつりとそう言えば、魔物達は虚を突かれたような目をしてこちらを見た。



「…………ありゃ、そういうこと?」

「凝りの竜さんに狼さんまで現れたのに、みんな無傷でお家に帰れるのでしょう?ご利益と言わずして、何と言うのでしょう」

「…………ネア」

「…………まぁ、今になって怖くなってきてしまいましたか?大丈夫ですよ。結果としては針で指先に穴が空いたくらいですから」



ネアは安心させようと思ってそう言ったのだが、その表現はとても怖かったようで、ネアの魔物は震え上がってしまった。

ぎゅうぎゅうと抱き締められ、ネアは微笑んでそんな婚約者を抱き締め返してやる。



その後、ヒルドにその場で拘束されてくしゃくしゃにされていたヴェルクレアの宰相は、持ち込んだ針が火竜の王の持っていた槍に属する呪いだと知っていたことを、容赦なく告白させられた。



道具というものは、それが持つ力が特異であればある程に、返す刃が自らを傷付ける恐れがある。


だからこそ、生まれてしまったその呪いが凝った赤い針を、国内で最も魔術の叡智が集まるウィームで内々に処分させようと、宰相は一計を案じたのであった。


今回ウィーム領での会談に合わせて持ち込み、おかしな呪物が誰かから仕込まれたという筋書きでエーダリアに押し付けようとしていたものの、決してエーダリアやネアに危害を加えようとした訳ではない。



「ぞっとするのはさ、あの仕事中毒の宰相がなぜか、どうせなら前日入りにして有名なウィームのイブメリアの儀式を大聖堂で見ようと考えたことだよね。…………その辺りで、妙な因果や運命が動いたのかもだけど、結局、僕達からネアを奪えなかったんだ」

「まさか、影絵で儚くなったことが、身を救うとは思いませんでした…………」

「こいつだけが、その針の気配にいち早く反応したのは、かつてそれに害されたことがあったからか…………」

「すみません、シルハーン。俺がいればもっと早く対処出来たんですが…………」

「っつーかお前はもう、その祝福を気軽に切り出すな…………」




その日の夜、橇遊びの打ち上げ会場では、皆いつもよりお酒が進んだようだった。


フランツ宰相は、らしくない大失態で、国家存亡どころか世界規模の災厄の引き金を引きかねなかったことに消沈しており、加えて、たまたま自身が過去に与えた祝福の気配を察して回収に来たという設定にした終焉の魔物にまで圧力をかけられ、ふらふらになって滞在中の屋敷に帰っていったそうだ。




「とは言えあの方は、ウィームに雑用を押し付けながら、かつての統一戦争のことを思い出し、国内の均衡を不用意に乱すなという忠告を示されに来たのでしょう。失う物は多かったでしょうが、どのような想定外があれ目的は達せるようにしてあるのが、あの方らしい狡猾さですね」



そう呟き冷ややかに微笑んだヒルドに、ヴェンツェルが小さく唸った。

第一王子である彼は、ネアがあの針で指を突いた時にはもう、ディノからの報復は避けられないと考えていたのだそうだ。


そうなった場合、あの場で魔物の王を鎮められるのは、唯一中央に属する自分しかいないと考えたらしい。



「中央が…………王が、ウィームの何を不安視したのかは分からないが、今回のことで相互不可侵の密約を結べるかもしれない。不本意な接触ではあったが、収穫があったことに安堵した……………」



そう言いグラスを傾けたエーダリアにふと、ネアは、人間というものの飽くなき強欲さについて考える。



(もし、…………それこそが、王様や宰相様の目的であったとしたら…………?封じ込めるには育ちすぎた土地だからこそ、仕損じたふりをして、相互不可侵を手に入れた…………。………そんな事はさすがにないかな………)



ウィームがこのままの穏やかな日々を望み、王権の奪還を目指していないことを知っていれば。

そして、芽を摘むにはその守護が厚く、決して不興を買えないような人外者達が守りを固めていることを知っていれば、或いはその策略も可能だったかもしれない。



(…………でもそれは、よほど私達の思想に近しい誰かが、王様や宰相様の近くにいないと成り立たないことだわ…………)



もしダリルが暗躍したにせよ、恐らくそこまでの手札を中央に明かすことは好まなかった筈だ。

であればやはり、それだけの情報を中央に齎す者がいなければ成り立たない想定となる。




「ところで、グラフィーツさんという方は、何の魔物さんなのですか?」



ふとそんな事が気になり、打ち上げの途中で、ネアは魔物達に尋ねてみた。

その魔物は結局、グレアムが追い返してくれたので遭遇することはないままだった。

グレアムのことは余程苦手なのか、背後から忍び寄って締め上げたところでもう半泣きだったのだとか。



「砂糖の魔物だ。…………いいか、お前は絶対に近付くなよ?」

「まぁ、お砂糖さんだったのですね。………以前は興味のあった方でしたが、今回のことでちょっと警戒対象になりましたし、そもそもお砂糖な魔物さんとの接点などありません………」

「お前の会の会員だろうが」




そう答えたアルテアに、そんな魔物が親しくしている王の息子達が驚愕の眼差しでばっと振り返る。

ノアが小さく、わーおと呟いた。

ネアは、手に持っていたオリーブをころりとお皿に落とし目を丸くする。





「………………かいなどありません」




すぐに我に返り、ネアはとても暗い声でそう宣言したのだが、後日、砂糖の魔物は、聖女の称号持ちなのでと砂糖にしようと思って近付かんとしたものの、すっかり偉大なるご主人様になったネアを守る為に、宰相の手助けをする役目を自ら買って出たと判明した。



彼はとても周辺調整に長けた魔物で、これまでも何回かネアの周囲で活躍していたそうだ。

たいそう腹黒いらしいヴェルクレア王を贔屓にしているのは確かだが、ご主人様の警護はそれに勝るものらしい。

今回も、手を貸している素振りで、ご主人様に危害が及ばぬよう調整するつもりだったそうだ。



それならば懸念材料にはあたらないとほっとする仲間達の中で、たいへんな懸念材料であると、ネアは一人孤独を噛み締めたのだった。









日付との紐付けの関係で、今日の更新は二話分の長さになってしまいました。

本日も長いお話にお付き合いいただきまして有難うございます!

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