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一番暗い日とあたたかな夜明け




バベルクレアの日の夜、ネアは食卓の上のお皿に目を輝かせていた。


そこには、今年二度目のバベルクレアのローストビーフが鎮座しており、優美な白磁のお皿を煌めかせている。


祝祭の為に用意されているお皿には、縁の部分に細いリボンのように描かれた精緻な薔薇や柊などの絵柄があり、まるでリースの中に飾り付けられた料理があるように見える。



ローストビーフに添えられたのは、マッシュポテトをメレンゲのように絞って焼いた、ポテトパイだ。

先日出されたジャガイモと鮭のグラタンの大好評を受け、今回も料理人達は張り切ってくれた。


小さなタルトの生地の上に、コンビーフと薄切りにして揚げたジャガイモに茄子、新鮮なむっちりとろりのチーズをミルフィーユ状に重ね、マッシュポテトでまるでケーキのようなデコレーションをして焼き目をつけてある。

上にはローズマリーの花と、宝石苺と呼ばれる甘酸っぱい宝石の欠片のような木の実が乗っていて、ネアは目をきらきらさせてお皿を眺めた。



(ケーキみたいで可愛いのに、食べたら絶対に美味しいに違いない至福のハーモニー……………)



真ん中にどっしりと横たわるローストビーフには、グレービーソースを回しかけ、なまめかしい艶やかさすら感じる感動の一皿の出来上がりだ。


隣には、祝祭のランタンを模した伏せた氷水晶のグラスの中に薫香を閉じ込め、その煙で開けるまでの間だけスモークされた生の海老の前菜がある。

ぷりとろの食感に、口の中で燻製の香りがじゅわりと広がり、こちらは、搾りたてのオリーブオイルと食用として流通している方の薔薇塩でいただく。




「そして、この前も思ったのですが、エーダリア様は、バベルクレアに一緒に晩餐を食べられるようになったのですね」

「ああ、以前は花火に使う魔術の動作確認などもあって、最後まで術式のおさらいをしていたからな。ノアベルトが来てくれてからは、そのような心配はなくなったのだ。それに、祝祭の日の食卓というものには相応の祝福がある。だからこそ以前も、後からでも食べるようにはしていたのだが、このように共に食事を摂る方がその恩恵は大きい」

「うんうん。あの花火なら、ばっちりみんな大喜びだから安心していいよ」

「……………最後に残る光のところだが、もう少し明るい色が良かっただろうか?」

「……………わーお、まだ調整する気だ………………」

「エーダリア様、祝祭の食卓でそのような話題は不作法ですよ」

「ヒルド………………」



そんな会話をしていたら、給仕妖精が二切れ目のローストビーフをお皿に乗せて運んで来て、ネアは瞠目した。


いつの間にか、戦士の目をしたゼノーシュのお皿が空っぽになっているではないか。

ローストビーフであれば毎年食べるだろうと思うなかれ。

この香草の調合で香りづけされたものは、ネア達もまだ二度目の挑戦なのである。


ネアと目が合うと、ゼノーシュは檸檬色の瞳でこちらを見据え冷徹に頷く。

戦士たる者、今宵の任務に生半可な気持ちで挑んではならない。


ネアは慌てて美味しいローストビーフを噛み締め、その至福の味わいにとろとろになった。




「……………それにしても、夜明け前の一番暗い時間かぁ。今迄そんな風に考えたことはなかったけれど、イブメリアまでの祝祭の並びを夜明け前の時間軸に置き換えるなら、確かにそうなんだよね。でもさ、イブメリア自体が祝祭の中でも格段に階位の高いものだし、その祝祭の成就に向けての魔術が張り巡らされているから、暗さを意識したことはなかったよ……………」



みんなの食事が進み、一足早く食事を終え、そう口にしたのはノアだ。

隣でエーダリアがグラスを取り上げ、ふっと魔術師の眼差しを見せる。



「バベルクレアの夜に花火を打ち上げる理由は、この国内に留まらない風習だ。様々な文化圏ごとに多様な起源が語られているが、魔術の儀式というものは、アレクシス殿の言うように、暗いと感じたので周囲を明るくしたいと言うような、単純な理由で始められることが多い」

「……………エーダリアさぁ、その魔術師のこと好きだよね……………………」



じっとりした目のノアにそう言われ、エーダリアは不思議そうに首を傾げていた。

うっかり敬称に尊敬の念が込められてしまったことに気付いていないようだ。



「人間は、唯一身の内に自身の魔術を持たない生き物だからな。その分、感覚の鋭い者は鋭敏でもある」

「まぁ、一応彼はスープの魔術師だからね…………」



ノアがそう呟いたので、ネアは、確かに魔法のように美味しいスープを作り出す偉人であると頷いたが、実際にそれがアレクシスの魔術師としての銘なのだそうだ。


当初は魔術喰いなどと呼ばれていたこともあるが、当人がスープの食材探し以外に何の意欲も持たないという異例の魔術師であるので、大仰な通り名は取り下げられた。



「アレクシスさんは、凄いんですよ。空気をもぐもぐしただけで、近くに未知の食材があるかどうか分ってしまうんです。ただ、イブメリアのような華やかな祝祭があると、イブメリアの祝祭の味わいが強すぎて、ほんの少しだけ酔っぱらったようになるのだとか」



ネアがふんすと胸を張りそう自慢すれば、スープ専門店の、鶏肉蜂蜜生姜スープのファンであるゼノーシュも重々しく頷いた。


それは、肉体疲労を癒す効果があり、グラストの体にもいいスープとしていっそうにクッキーモンスターの心を掴む、素晴らしいスープである。

かりかりに焼いた素朴な小麦のビスケットと一緒にいただけば、お食事スープになるそうだ。



「ネアが浮気する…………」

「あのお店のスープの偉大さは、ディノに疑われる危険を覚悟の上でも世界に伝えなければなりません」

「料理として成り立っているのは確かだが、そちらの話じゃないぞ」

「……………む?」

「あいつは、人間の第一席だ。何の混ざりものでもなく、異種族の要素も取り入れず、なのにその階位を維持している人間が、どれだけおかしいのか考えてみろ」

「……………スープは偉大だったということでしょうか?」

「うーん、ある種の天才なんだろうねぇ。っていうか、変態なのかな………………」

「まぁ、天才という区分だと、あのランシーンの羊飼いも相当なものだがな」

「ガルディアナも………ニケ王子も、かなりの階位なのだろう?」



そう尋ねたエーダリアに、アルテアはあっさりと首を振った。

本日は青みがかった暗灰色の天鵞絨のスリーピースで、よく見れば光の加減で織り模様が見える豪奢なものだ。

夕方から二時間ほど出かけていたので、もしかすると、夜会やデートだったのかもしれない。



「天才とは言えないな。あれは、魔術師としての才の在り方が違う。何も考えずに力を伸ばし魔術を蓄えた人間じゃない」

「サムフェルでお見かけした、ハツ爺さんも凄いのですよね…………、ほわ、ゼノはもしかして……」

「僕、四枚目!」

「ま、負けません!!」

「おい、お前は食べ過ぎるなよ。焼き菓子が入らなくなるぞ」

「………………それはまさか、偶然を装ってお届けされる、プラムと蜂蜜の焼き菓子ですか?」

「やめろ………………」



手帳事件を思い出したのか、使い魔はとても遠い目をしたが、ネアは美味しい焼き菓子も貰えると分かったので、嫋やかな淑女らしくローストビーフは三枚半で止めておいた。


中途半端なカウントであるが、まだ食べたいけれど一枚は多いと思った我が儘な人間は、巧妙に隣の魔物に半分ずつにしないかという提案を持ちかけたのだ。

結果として、幸せに半分のローストビーフを食べる魔物も生まれ、ネアは慈しみ深い眼差しでそんな婚約者を見守りながら、もう半分のローストビーフを美味しく食べさせていただいた。




窓の外は雪が止み、雲間から星空が見え始めたようだ。

真っ赤なインスの実のリースに、ぽわりと小さな祝福の光が宿っている。



そろそろ花火が始まる時間だ。

ローゼンガルデンは盛況だろうし、街には沢山の屋台が出ているに違いない。

本当は、そんな夜の街に繰り出してみたいという憧れもあるけれど、また来年行けばいいのだ。



「ウィリアムさんは、今夜はまだ来られないのですね……………」



幸せな晩餐の時間が終わり、ネアは、まだ訪問の連絡のないカードをぱかぱかしてそう呟いた。


先日のバベルクレアの時は、ウィリアムだけでなくギードまで来てくれてとても楽しかったのだが、今日はまだウィリアムからの連絡はない。


一人の王妃の輿入れに纏わる事件から戦乱となった小さな自治国で、鳥籠の一つがいよいよその幕引きであるらしく、今夜はぎりぎりまで忙しいと聞いている。


でも必ずと言っていたのは、今夜がバベルクレアの夜だからだとアルテアは言う。

今年はやはり特別で、その祝祭のお作法にはしっかりとした魔術が寄り添う。


共に過ごすということも、大きな意味をなすのだ。



かちりと時計の針が音を立てた。



エーダリア達は花火の準備の為に部屋を出ているし、グラストとゼノーシュは、見回りを兼ねて屋台の出ている街に向かったようだ。


こうして見てみると、何となくそれぞれのバベルクレアの過ごし方が分かってきたように思えるのも、家族のような感覚ではないか。




窓の外は、森が祝祭の色に煌めき、雪深い夜の森にも花火を待ち侘びる生き物達が集まり始めている。

この禁足地の森に住む様々な生き物達は、最も近くで打ち上がるリーエンベルクの領主の花火を楽しみにしているのだろう。




(ああ、…………もうすぐ、イブメリアが来てしまう…………)




なぜか、唐突にそんな寂しさに襲われた。




この世界に来て、ディノを契約の魔物にヴェルクレアの歌乞いになって、あの最初の年に見た夢のようなイブメリアの日からここまで。



最初は冷遇されているに違いないと思っていた森に面した部屋は、いつの間にか宝物がたくさんしまい込まれたネアの大事な家になった。



(ディノと約束したその日が来たら、何かが変わってしまうのかしら…………)



そう考えかけてひやりとし、そんなことに胸が締め付けられるような思いになる、自分の子供染みた我が儘に苦笑した。



ネアは、壮大な冒険物語が大好きで大嫌いだ。



冒険が終わり、その苦難に立ち向かう為に集まったみんながまた散り散りになってゆけば、やがてそこはがらんどうになる。


仲良く焚き火を囲んで仲間達で語り合った夜が若かりし遠い日のことになり、そのまま二度と会わない者もいるだろう。



幕が引かれて誰も演者の居なくなった舞台が残され、お客達が帰ってしまった空虚な劇場が、ネアは昔からとても嫌いだった。


それはきっと、明日病院に持って行く筈だった着替えや読みかけの本を残したままいなくなってしまったユーリや、渡せなかった誕生日プレゼントをクローゼットに置き去りのまま、二度と会えなくなった両親の消えた、空っぽの家を思い出すからだろう。


キッチンには朝食で使われたカップが洗い籠に置かれたままで、父親の注文していた紳士用の旅行鞄が、もう使う人のいない屋敷に届いていたりした、あの遠い日。



あの胃が沈むような冷え冷えとした現実が、現実から逃れる為に逃げ込んだ物語が終わるたびに、何度頬を打っただろう。


その怖さに触れる度に、ネアは物語の探し物がいつまでも見付からずに、魔王など退治されなければいいのにと思うのだ。




完結が解散の号令にならないように、この先もずっと、こうしてみんなで過ごせればいいのに。




「ネア、今日は疲れたかい?」



考え込んでしまったからだろう。

ひたりと頬に手を添えられ、心配そうに、ディノに顔を覗き込まれる。



「…………また来年も、みんなで花火を見たいなと考え込んでしまいました」



そう答えたネアに、澄明な水紺色の瞳が微かに揺れる。

その揺らぎには魔物らしい酷薄さと無垢な怯えが見えて、真珠色の睫毛がそっと伏せられた。



伸ばされた指先が、そっと唇に触れた。



「……………やはり、まだ怖いかな」

「いいえ、そう言う事ではないんです。ただ、来年の今頃にはアルテアさんが森に帰っていたり、ウィリアムさんは仕事にかまけて遊びに来てくれなくなっているかもしれません。ディノだって、すっかり私に飽きて、夜な夜な歓楽街に遊び歩くようになっていたりしたら……………」

「ネアが虐待する……………」

「おい、何で俺は毎回森に帰る設定なんだよ……………」

「あの頃はみんながいて楽しかったなと思い、一人で寂しく過ごすのは悲しいので、ディノは、こんな祝祭の日はせめて享楽的な楽しみに満ち溢れた夜の街から帰って来て下さいね…………」

「…………どうして、君から離れて夜の街に行かなければいけないんだろう…………」

「…………寧ろ、飽きて放り出すとしたら、お前の方だろうな」

「む。………私が……………」



どこか不機嫌そうな声音でそう言われ首を傾げると、びゃっと飛び上がった魔物に揉みくちゃにされて抱き締められた。

とても大事にするので飽きないで欲しいと言われ、ネアは婚約者を宥める為に頭突きをするというたいへん遺憾な対応に追われる羽目になる。




「あ…………!」




そろそろ屋根の上の特設会場に移動するかなというところで、ウィリアムからのカードがぺかりと光った。


慌てて開けば五分ほどでリーエンベルクに着くというので、食事をどうするか尋ねると、花火の後で食べるという事だったのでその旨を厨房に伝達しておいた。


疲れ果ててこのリーエンベルクにやって来ることも多い終焉の魔物は、料理人達にとっては、ゼノーシュとはまた違う魅力があるらしい。


ウィリアムにはいつも、暖かくて美味しいものを食べさせてあげたくなるそうで、食事をしてゆくとなると喜んで貰えているようだ。




「こんな夜には、アルテアさんがまた歌ってくれても良いのですが…………」

「何でだよ」

「…………アルテアなんて」

「ディノ、これは、ディノの心配する病ではありませんからね。とても素敵な歌声なので、再公演の依頼をかけているのです」

「であれば、贈り物の歌ではなくて、祝福に満たない歌を頼めば歌ってくれるかもしれないよ」

「なぬ!そんな抜け道があるのですね!」

「おい、弾むな。歌わんぞ」




屋根の上に出れば、びゅおると風が吹き込み、ぴたりと止んだ。



この風は花火開始のお知らせも兼ねている魔術的なもので、目を開いていても瞼の裏で花火がどぉんと開くような不思議なイメージを齎す。



身体的な問題で自分の目で花火を見られない人は、それでバベルクレアの煌めきを感じることも出来るのだ。




さくりと屋根の上の雪を踏んで、用意して貰った椅子に座る。

ふっくらとした座面は座り心地が良く、膝掛け代わりの火織の毛布があって、水筒にはあたたかなホットワインがなみなみと用意されていた。


ここでお隣の使い魔から手渡されたのは、外で持っていても冷たくならない、焦げ茶色の上等な保温紙箱で、開けてみると、中にはほかほか湯気を立てている一口サイズの焼き菓子が詰まっていた。



「焼き菓子様です…………」



ぱっと笑顔になったネアに、少し疲れたような目でこちらを見た魔物がいたので、ネアはすかさず伸び上がってその魔物の頭を撫でておいた。



「……………何だこれは」

「アルテアさん、素敵な焼き菓子を有難うございます!使い魔さんも森に帰った寂しい老後を想像してしまった後だったので、いつもより胸がほかほかになる美味しい匂いです!」



その時、ざりっと雪の上から屋根を踏む音がした。

そちらを見ると、転移を踏んで屋根の上に下り立った純白のケープに軍服姿の魔物がいる。


軍帽を手袋に包まれた手で外し白い髪を夜風にふわりと揺らすと、暗闇の中で光るような白金色の瞳で微笑んだ。



「すまないな、遅くなってしまった」

「ウィリアムさん!お仕事は大丈夫だったのですか?」

「ああ。最後の調整で少し手間取ったが、幸い上手く片がついた」

「……………あの一族は、殲滅されたか」



そう呟いたアルテアは、亡国から嫁ぎ夫となる筈だった王を殺した王妃か、自らが滅ぼした小さな国の王妃に殺された王を知っていたのだろうか。



「…………いえ、王弟が残りましたよ。彼が、思っていた以上に優秀な男だったことが意外でしたが、兄の目から身を隠す為に愚鈍なふりをしていたんでしょう。今回の戦では半数近くの国民が喪われましたが、王弟が残ることで、あの国はまた立て直せる筈だ」

「……………ほお、あの男がな。見たままの愚かで怠惰な男だと思っていたが…………」

「生き残る為の享楽だったが、勿論それも悪くはなかったと笑っていたな…………。彼はなかなか愉快な人間だと思ったので、くれぐれもあなたの暇潰しで壊さないようにして下さい」



そう微笑んで釘を刺したウィリアムが、こんな風に特定の誰かを気に入ったと言うことは珍しい。


であればと、ネアは少しだけ心配になる。



「その方の側にいなくて大丈夫だったのですか?」



そう尋ねたネアに、ウィリアムは目を瞠ってから小さく笑うと、くしゃりとネアの頭を撫でた。

少し強めにわしわしと撫でられ、ネアの髪の毛はくしゃくしゃになる。



「むぐる…………」

「いや、無事に仕事が終わったなら、ネアに会いたいしな」



でもそう微笑んでくれたことが嬉しかったので、ネアはまた小さく弾んだ。



「今夜のウィリアムさんには、花火とローストビーフもありますよ!」

「ああ。下から来たんだが、食事は会食堂に用意しておくと言われたよ。…………俺は、自分の城に系譜の臣下達を控えさせることもないから、何だか不思議な感じがした」

「そう言えば、ディノもお城で働く人はいなかったのですよね?ノアやアルテアさんにもあまり聞きませんが、魔物さんはあまり好まないことなのですか?」

「魔物はどのような階位であれ、一つの資質に複数個体ではない限りそれぞれがその資質の王だからね。自身の系譜の者達を臣下にするかどうか、系譜の王に仕えるかどうかは、各々の判断になる。私の場合は、系譜というものがそもそも明確ではないし、近くに控えさせると影響が大き過ぎたようだ。他の者達に言われて従僕を置いてみようとしたこともあったけれど、すぐに死んでしまったよ…………」

「……………か、悲しい話になりました。今はもう、みんながいますからね?」

「ネア…………」

「ウィリアムもその類だろうな。俺の場合は、単純に煩わしいからだ。自分一人で事足りることの為に、他者を生活領域に招き入れる必要はない」

「むむ、こちらは生活力の高さによるものでした……………」



ネアは、一人で暮らさざるを得なかった魔物達にも美味しい焼き菓子をお裾分けし、みんなで長椅子に腰かけた。


最初の頃は、椅子は持ち込みで、アルテアとウィリアムは違う椅子に座っていたのだが、今はみんなで同じ長椅子に詰め込まれて座っているのが何だか素敵ではないか。




やがて、合図の花火がしゅわりと打ち上がり、街の方から歓声が聞こえた。



どぉんと大きな音を立てて打ち上がった最初の花火は、ばらばらと金色の優しい雨が降るような魔術の光で、ウィームを包み込んでくれる。


続けて幾つもの花火が上がれば、ネア達はホットワインを飲んだり、焼き菓子を齧ったりしながら美しい花火の数々を見守り、前回のバベルクレアと同じ花火だったり、新しい花火だったりする色の煌めきを夜空に見上げた。



(ああ、花火の光の色が雪景色に映ってなんて綺麗なのかしら………!)



これもまた、冒険譚にある、みんなで囲む焚火の炎のようなものなのだろうか。



そんなことを考えながらまた新しい花火を見上げて唇の端を持ち上げ、着々と近付いてきた最後の花火に、高鳴る胸を押さえる。


また何個かの花火が打ち上がり、じりじりっと燃え落ちる魔術が宝石のように光ったり、じゅわりと滲む光の雨のように降り注いだりして、待ちに待った最後の瞬間が訪れた。



花火の打ち上げを行っている棟の方で、ノアが手を振ったような気がして目を瞠ったその直後、打ち上げの火が夜空に真っ直ぐに伸び、一拍の沈黙の後、どぉんと大きく花開いた。




「………………わぁ………!」



その花火は、ウィームの夜空いっぱいに、光を孕みながらも上品で繊細な水紺色の、複雑で美しい模様を描いた。



レース模様にも似たそれは、ネアが今迄見たこともない花火で、目を丸くして見上げたその先でじゅわりと燃え上がり、はっとする程あえやかな白に変わり、最後にはラベンダー色がかった光を帯びて優しい光の雨になる。


はらはらと花びらのように光り、燃えながら落ちてくるその煌めきは、花びらの形をした光の祝福であるらしい。


先日の狐人形のように手の中に残るものではないが、指先で触れるとふんわりと雪の結晶のように体に溶け、祝祭の夜の祝福が淡い幸福感に胸を温めてくれる。



街の方から人々の歓声が聞こえてえきた。


今日で一番の盛り上がりに、ネアは誇らしい気持ちで頷いてしまう。

実際に花びらを仕込んで降らせるよりも、こうして祝福そのものを花火に閉じ込める方が遥かに難しい筈なのだ。



「ああ、これはバベルクレアの祝福だね。先日一度目のものがあったから、その際に祝福を紡いだのだろう」

「となると、エーダリア様はやはり花火を作り直したのでしょうか。一回目のバベルクレアはつい先日のことなのに、そんなことが出来てしまうなんて、さすがエーダリア様ですね…………。ディノ、この色を見て下さい…………」



ウィームに降り注ぐ祝福の光の花びらを眺め、ネアは目をきらきらさせた。



晩餐の席でエーダリアが妙にそわそわしていたのは、自惚れではなく、この花火の色彩がネア達になぞらえてくれたものだからに違いない。


そう思うと何だか嬉しくて、ゆっくりと、最後の煌めきを失ってゆく夜空をいつまでも眺めていた。




目を閉じても、瞼の裏側にその残照の煌めきが鮮やかに残る。


来年の花火だって楽しみなのだが、きっとこの夜に見上げた美しい夜空のことはずっと忘れないだろう。


そう考えて美味しい焼き菓子を齧り、ネアは幸福感に足をぱたぱたさせる。

今日の花火ではリーエンベルクの敷地にもいっぱいに降り注いだ祝福の花びらが、あちこちに降り積もり、不安を押し出して幸せな気持ちで心をひたひたにしてくれたようだった。



「エーダリアの魔術は、澱みがないな」

「ああ、癖がない錬成だな。質の良し悪しも勿論だが、この種の錬成はそれが一番だからな」

「癖がないということが、素敵なことなのですね?」

「こうして体に触れるものだからね。葡萄酒のようなものも喜ばれるけれど、水のような魔術が最も多くに好まれる。とても清廉で澄んだ魔術だよ」



そんな渾身の花火は魔物達にも好評であったようで、ネアは、打ち上げ塔にいるエーダリア達の方に手を振り、みんな大満足という印を体で表現してみせた。





「……………むぐ、」




ふつりと、薄闇の中で目を覚ました。



ここはどこだろう。

まだ瞼の裏側に艶やかな花火の空が見えるようで、その余韻にうっとり酔いしれ、ネアはくあっと欠伸をした。



(夜明けだ……………)



雪のウィームでこのくらい部屋の中が明るくなってくるとなると、なかなかにいい時間なのだろう。

朝食を食べに行く準備をしなければと伸びをしようとして、ネアは、自分の体の異変に気付いた。



なぜか、片腕ががっちり拘束されている。

もしや、寝ている間に誰かに攫われたのかなと眉を寄せ、ネアが首を捻って何とかそちらを見てみると、隣に幸せそうな顔の魔物がすやすやと眠っている。



真珠色の髪を乱し、長い睫毛を寝息に合わせて揺らす魔物は、心を奪う程に無防備で美しかったのだが、腕は解放していただきたい。


個別包装を望むご主人様の腕を拘束して熟睡してはならないと言わなければと思ったところで、ネアはぎくりとした。



なぜか反対側の腕も動かないのだが、人型の生き物の形状を前提に考えても、そちらにもディノがいる筈はない。



「………………む?」



ぐぎぎぎっと、今度は反対側を見れば、そこにも誰かの姿があった。


ただし、白っぽい髪は見えたが、角度的に個体識別に必要なパーツが視界に収まらない。

おまけに枕が少し不自然な傾きで、脇腹の辺りがもしゃもしゃする。



「むぐる!」



ひとまず、自分の部屋に居るのは分ったので、ネアは朝食に間に合わなかったらどうしてくれるのだと、唸り声を上げて渾身の力でばたばたした。


手足を動かそうとして持ち上がりもしない拘束の強さにぜいぜいしていると、ふっとディノの睫毛が揺れ、水紺色の瞳が開く。



「………………ネア?」

「ディノ、私の右腕を解放して下さい……………。そして、私の左腕の拘束犯と、脇腹のもしゃもしゃ犯を解明するのです……………」

「ご主人様………………」



こちらの人間はたいそうお怒りであると分ったのか、ディノは慌てて手を離して、ネアの片腕を自由にしてくれた。


がっしり拘束で抱き込まれていたせいですっかり強張った指先をにぎにぎすると、ネアはまず、ディノが脇腹のあたりから取り上げてくれた生き物に目を瞠る。



「すやすや狐さんです……………」

「うん。昨晩、ウィリアムが一緒にいると知って、羨ましくて来てしまったようだよ」

「………………ウィリアムさんが?」



どんな記憶にも引っかからない新情報に首を傾げ、ネアは左手側を見て渋面になった。


こちらには、ディノのように抱き締めるでもなく、ネアの片腕をなぜか握り込んで取り押さえたような状態で、アルテアが寝ている。


理不尽な拘束に唸り声を上げていると、慌てたディノが、すかさずその左手も取り戻してくれた。



「……………そして、話題に上がったウィリアムさんが見当たりません…………」

「ウィリアムなら、君の枕になっているよ」

「………………枕?」



体を自由に動かせるようになってやっと、ネアは、自分がいつもの寝台に横向きに寝ていることに気付いた。


なので、普通の向きに眠っているウィリアムのお腹に頭を乗せ、そんなネアの両隣にディノと、少し斜めになった状態でアルテアが眠っていたらしい。


なぜこんな状態になったのだろうとじっと魔物の方を見れば、起き抜けでまだ髪の毛も結んでいない万象の魔物が、困ったように柔らかく微笑んだ。



「花火の後、皆でエーダリアが貰ったという砂糖菓子を食べたのを覚えているかい?」

「………………むぅ。覚えていませ……………む!ドリスの実のお菓子に似た、小さな丸いやつですか?」

「うん。それを食べたところ、内側に、巨人の土地で作られた酒に漬け込んだ果実が入っていたようなんだ。君が酔っぱらってしまって、私達でこの部屋に運んだんだよ」

「…………………むぐぅ」

「暴れている君をみんなで押さえている内に、私達も眠ってしまったのかな。夜明け前に、ノアベルトが入って来るのが分ったけれど、君は良い毛布だと言って腹部に乗せていたからね」

「……………む、むぐぅ………………」



どうやらこの惨状は、お酒の上の過ちであったらしい。



そう分ればさくさくと証拠隠滅するに限ると狡猾な人間は考え、時計を見てゆっくり身支度する時間があることを確認してから、素知らぬ顔で浴室に逃げ込んだ。


顔を洗った後は、いそいそと付いてきた魔物の髪の毛も梳かして三つ編みにしてやり、身綺麗になったところで、いよいよ寝台の上の魔物達を起こしにかかる。



「それにしても、アルテアさんとウィリアムさんが、二人揃って目を覚まさないのは珍しいですね……………」

「疲れていたのかな。アルテアは一度ちびふわにされていたから、それで砂糖菓子の成分が効いてしまったのかもしれないよ」

「なぬ。ちびふわタイムまであったのに覚えていないだなんて、一生の不覚です!」



聞けば、ここまで運んだ後、酔っぱらったネアがなぜか歌うと言い出したので、魔物達はそんな人間を必死に拘束して寝かしつけたという。


その説明にとても慄いたが、幸いにもこの先に企んでいることを明かしてしまわずに済んだようだ。




「ディノ、今日はクラヴィスですね」


冷たい窓に手を押し当てながらそう言えば、ご主人様は何をしているのだろうと隣に並んだ魔物はこくりと頷いた。



「………あの人間が言うように、暗い日に感じるかい?」

「ふふ、皆さんに囲まれて眠っていたので、暗くは感じませんでしたし、何にも怖いこともありませんでした。…………例え、夜明け前の暗さを感じても、こんな風にみんなでいれば、ぬくぬくするばかりでしたね。…………さて、本日は美味しい祝祭の食事の一日なので、皆さんを起こしましょうか」

「その手を使うのかな……………?」



心配そうに見ていた魔物の前で、ネアは冷えっ冷えの手で、それぞれ、ウィリアムとアルテアの頬に触れた。


安らかに眠っていたのにとても残忍な攻撃を受け飛び起きた二人の魔物に、ディノが抱えていた銀狐もけばけばになって飛び起きる。



「……………っ、………やれやれ、あのまま寝たのか……………」

「おい、今のは何だ……………」

「お二人とも、私とディノは朝食を食べに行ってきますので、もう少し寝ていたいのであれば、きちんとお布団をかけて眠って下さいね。お二人で並んで寝ても、この寝台の大きさなら問題なさそうですね」

「………うわ、ネア、それはさすがにないな………………」

「やめろ………………」



ウィリアムは、けばけばになって首を傾げている銀狐をどこか遠い目で見ていたが、アルテアは、もし銀狐が寝台に混ざっていたのなら、しっかりブラッシングしたんだろうなとぶつぶつ言うばかりだったので、ネアは何やら胸が痛む。



窓の外は雪が降っていた。

温かな部屋からその朝の庭を眺め、窓辺の鈍い光にきらきらと光る、ディノから貰った飾り木の置物に頬を緩める。



(体がばりばりになるから、拘束されて眠るのは苦手だけど、またこんな風にみんなでお泊り会みたいに過ごせたら楽しいな……………。エーダリア様やヒルドさんもいたら、もっと賑やかになるかしら……………)





ここではまだ、みんなで囲んだ焚き火が燃えているのかもしれない。


背後で起き出す魔物達の衣擦れの音を聞きながら、ネアは満ち足りた気持ちでぐいっと伸びをする。



ローストビーフ戦士あらため、鶏皮戦士には、本日も大事な戦いが控えているのだった。






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