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342. バベルクレアの夜を迎えます(本編)




その日、ウィームはバベルクレアの夜を迎えた。



花火に心を弾ませる領民達とはまた別の意味で、ネア達はまだ送り火の魔物は脱走しないのかとハラハラしながらその日を過ごしていた。



こうして、各自が余分な時間を見付けては会食堂に集まってしまうのもその為だろう。


エーダリアも、執務室でのんびり取っても良いはずのお茶の時間をここまで来ているのは、グレイシアがいつ脱走するか問題をみんなで話し合いたいからに違いない。



ネアの視線の先で、そんなエーダリアはテーブルに肘をつき、頭を抱えている。



「まだ脱走していないのか、…………花火はやはり、次点のものを上げるか…………」

「ありゃ、エーダリア、犬じゃないんだからさ…………ええと、失踪とか逃走とか?」

「おや、ウィーム内では脱走という表現をされておりますよ」

「わーお……………」



あれでも祝祭を司る魔物の一人だから、この時期はそれなりに高位なんだよとノアは苦笑している。



そう言えば、かつて見た正装して祭壇に向かうグレイシアは凛々しく美しかったなとネアはこっそり考えた。

現在、諸事情により目を閉じているので、回想しやすい状況下にあったのだ。




「…………ネア、眠いのかい?」

「いえ、目を閉じてくんくんすると、微かなローストビーフ様の気配を感じるのです。この喜びに、今夜の花火…………。今日はとても良い日ですね!」

「かわいい…………」

「すっかりローストビーフと花火の気分なので、舎弟は、今脱走したらゆるすまじなのです…………」



そう低く唸って威嚇するご主人様に、魔物は慌てて、最近のネアのお気に入りのイブメリア時期限定のフルーツケーキを差し出した。

正当な貢物として受け取ってぱりぱりと紙を剥きながら、ネアはふと、隣の魔物の服装に目を止めた。



じっと見つめると、目元を染めて嬉しそうに恥じらう魔物は、初めて夜会に出る乙女のような清廉さである。



「…………ところで、朝から気になっていたのですが、なぜ今日のディノの服装は、素敵な白い軍服風なのですか?」

「ネアが逃げないようにかな……………」



もじもじしながらそう言われ、ネアは半眼になった。

そう言えば、いつだったか物語の中の白い装いの騎士に憧れた話をしたことを思い出したのだ。



(戦闘の備えなのかと思って、少し心配して警戒していたのに…………)



「………とっても素敵ですが、私はいつものディノもとても好きなので、どちらにせよ逃げませんよ?」

「……………その、……常に普通の装いだと、嫌われてしまうのだろう?」

「さては、誰かにそう聞いたのですか?」

「ゼベルに教えて貰おうとしたのだけど、そのようなことはロマックが得意だと言われて、ロマックから、時々は特別な装いで女性を楽しませることが大事だと教えて貰ったんだ」

「…………まぁ、騎士さん達と仲良しなのは素敵で嬉しいのですが、…………ふふ、そんな風に悲しげな顔をしなくても、私の一番の要素は、中身のディノですからね?」

「ご主人様!」



ここで、また、ネアを抱きしめてぐりぐりと頭を擦り付けてくる、はしゃぐ魔物が生まれてしまった。


最近、妻帯者になってとても安定した素敵な大人になったゼベルに、この魔物はなかなか信頼が厚い。

それ自体はとても良いことなのだが、どうかゼベルも、若干女性に手の早いロマックを指南者として紹介しないで欲しいとネアは思う。


ネアが好きなのは、この、とても稀有な存在でありながら、あまり万事に長けていない魔物なのである。



ロマックはならぬと眉をきりりとさせたネアの向かいで、こちらも厳しい表情になった魔物がいる。

不可解そうに首を傾げ、ノアは小さく慎重に呟いた。



「……………なんでロマックなのさ。僕も女の子に人気あるのに…………」

「あなたの場合は、最終的には問題が起きますからね……………」



そう指摘したヒルドに、ノアはぎくりと体を揺らした。

なぜか、ぎこちなくぎぎぎっと顔を逸らして窓の方を見る。



「…………………食べられそうになんて、なってないよ」

「やれやれ、よりにもよってあの妖精に手を出すとは……………」



ヒルドがそう言って、疲れた様子で目元を覆ったので、なぞに甘えたに移行した魔物に揉みくちゃにされつつあるネアは首を傾げた。

いつの間にか椅子が魔物になっているが、これはもう、あまり深く気にしてはならない。



「ヒルドさん、………聞かない方がいい案件なのかもしれませんが、ノアの今回のお相手はどんな方だったのですか?」

「ネア様の心にはあまり優しくないかもしれませんね。…………虫の系譜の妖精のシーですよ。求愛の一環として女性が男性を、言葉通り食べてしまいますからね」

「……………ノア、その方と会った後、お風呂には入ってますか?」



すっと冷ややかな眼差しになったネアにそう言われ、ノアは、青紫色の瞳を悲しげに見開いた。


またぞんざいな一本結びにしたものか、悲しげにはらりとこぼれた白い髪が揺れ、形のいい眉を頼りなく下げる。



「ヒルド、ネアが酷いんだけど…………」

「ご安心下さい、ネア様。その種の者はお嫌いかと思いましたので、帰ってきた銀狐は丁寧に洗っておきましたから」

「良かったです!ヒルドさん、有難うございました」

「え、あれって、僕を慰めてくれたんじゃないの………?その翌日、無理して狐温泉にも連れて行ってくれたのに…………」



ネアは、ここであまりにも悲しそうにしているノアの姿に、思わずくすりと笑ってしまう。



「ふふ、狐温泉にまで連れて行ってくれたのなら、それはきっとノアを慰めようと頑張ってくれたんですよ。ちゃんとお礼を言いましたか?」

「…………そうかな」

「あらあら、ノアだって本当は分かっているくせに!」



そう微笑んでみせると、ノアはちらりと目元を染めてヒルドの方を見る。

このような時に、儚い眼差しで頼りなく見えるのが、ネアのイチ押しの魔物の稚さではないだろうか。



「……………ヒルドはさ、少しは心配してくれたのかな」

「まったく、何を今更。あれだけ怯えて落胆しているのを見て、あなたの心配をしない訳もないでしょうに。そのことと、消毒の為に入浴させることとはまた別の問題ですからね」

「…………はぁ、ヒルドはそういうところあるよね!」



うっかりみんなの前で大事にされてしまい、ノアは両手で顔を覆ってしまった。

耳が微かに赤くなっているので、嬉しいがとても恥ずかしいというところだろう。




「ところで、エーダリア様は何をしているのでしょうか?」

「……………今夜の花火の選定をしているようですね」



慣れた様子でそう呟いたヒルドに、視線を感じたのかエーダリアがはっと顔を上げる。

こちらを見た鳶色の瞳には、とても悩ましい苦悩の翳りがあるのだが、こちらの人間らしい怜悧な美貌のウィーム領主を悩ませているのは、今夜のバベルクレアの夜に打ち上げる花火をどれにするかという問題なのだ。



どうやら、作った花火の一覧があるらしい。

エーダリアは、四つ折りにした紙を広げたものを手に持ち、途方に暮れた目で息を吐く。



「…………やり直しになるのであれば、やはり二回目に本命の花火をだな…………」

「であれば、そうなされば宜しいのでは?」

「…………だが、私にもガレンの長としての矜持がある。今回に最高のものを上げておき、これからより良いものを作るということも……………」

「エーダリア様、これから、花火に封入する魔術を編み上げる時間はありますか?」

「……………その、睡眠時間を削れば……………」

「……………おや、その回答で私を説得なさるおつもりですか?」

「よし、上げるのは次点で決まり!一番のやつはさ、二回目にとっておこう」

「だが、季節の戻り具合によっては、今年のバベルクレアはこれで終わりになってしまうのではないか?」

「あ、それはないから安心していいよ。祝祭の魔術の作法的に、三日前からは絶対にやり直して貰わないと」



そう笑ったノアは、おやっと顔を上げる。

戸口から、ぱたぱたと駆けてきたゼノーシュに気付いたのだ。



息を弾ませ頬を染めたクッキーモンスターの愛くるしさに、ネアはポケットからさっとシナモンとオレンジのクッキーを取り出す。


それを流れるような動きで受け取り一度弾むと、ゼノーシュは素敵な一報をくれた。



「ネア、焼きたての試食してるよ!」

「なぬ。ローストビーフ様!!私は行かなければいけませんので、ディノ、ここで少しの間だけ、捨てて行くことを許して下さい」

「……………ネアが虐待する」



べりっと引き剥がされて、ローストビーフに負けてしまった魔物は、めそめそしながらノアに回収されていた。



ネアはきりりと頷いたゼノーシュに戦士の眼差しで誓いの頷きを返し、二人で厨房に走る。




「ネア、最近ニエークに会った?」

「ゼノ?……………ええ、冬告げの舞踏会でお見かけはしましたが…………」



厨房までの道中に、ふと、ゼノーシュがそんなことを尋ねた。

冬宿りをもてなしている姿を見かけたと伝えれば、見聞の魔物は、それが嬉しかったのかなと首を傾げている。



「ニエークさんが、どうかされたのですか?」

「ほら、この前、橋が落ちちゃったでしょ?あの雪は、ジゼルじゃなくてニエークだったみたいなんだ。ジゼルは最近よく雪を降らせちゃうけど、ニエークは珍しいよね」

「むむ、…………私の知るニエークさんは、なんと言うか…………感情的な方なので…………」

「そっか、ネアの会の人なんだっけ」

「か、かいなどありません…………」



ネアは慌てて記憶の修正を図ったが、ゼノーシュはまた首を傾げる。



「僕ね、ニエークは………ちょっと苦手。前はね、アルテアみたいな目をしてたし、ちょっと気難しくて偉そうだったんだよ。ネアのことを好きになって、優しくなればいいなって思う。オルガは好き」

「あの方の好意はちょっと受け取り難いのですが、…………本来は、そのような方だったんですね……………」



そんな話をしながらネア達は厨房で焼きたてローストビーフの味見をさせて貰い、新しく試行錯誤された香草の組み合わせに身悶えするしかなかった。



ネアが、そんなこの世の楽園を見てから会食堂に帰ってくると、こちらには世界に裏切られたような眼差しの打ちひしがれた魔物がいるではないか。




「……………ひどい」

「ディノ、ほら、お土産を貰ってきましたよ。冷めてしまう前にお口に放り込むので、口を開けるのだ!」

「……………ずるい」



残酷な人間に翻弄され、万象の魔物は恥じらいに震えながら乙女のように口を開けると、ネアから小皿で貰ってきた一口サイズのローストビーフを入れて貰い、もぐもぐしてからぱたりと倒れた。



「…………死んでしまいました。きっとディノにとっても、この新たな香草の組み合わせは素敵だったのでしょう」

「あ、虹だ!僕、グラストに教えてあげてくるね。またね、ネア」



窓の外を見てそう飛び出して行ってしまったゼノーシュに、ネアは可愛さとの触れ合いの短さを儚みつつ、駆け出してゆく愛くるしさを堪能出来たことにも感謝した。




「ところで、エーダリア様は、…………まだ花火で迷っているのですか?」

「……………次点だな」

「うむ。ではそれでもう、決定の確定ですね」

「…………い、いや、まだ…………ヒルド?!」



ここで、業を煮やしたヒルドがエーダリアから花火の一覧を取り上げ、次点のもので決まりですよと宣言した。


どうやら、そろそろお茶の時間が終わるようだ。




「ディノ。私達もそろそろ、お仕事を再開しましょう。今日はとても格好いい装いの婚約者と、見回りのお仕事の時間です」

「……………ネアが虐待する」

「さぁ、このお皿を返しに行きつつ、今日は、街の花火会場の最終確認に出ている騎士さん達の代わりに、リーエンベルクの周囲の見回りをしましょうね」



グレイシアの脱走宣言から判明したことを受けて、エーダリア達は、バベルクレアの日の祝典や儀式の安全確認と称し、今年は街中の見回りの範囲を広げてくれている。


蝕などもあった年なので、より慎重に見回り、異変があればどんな些細なことも報告せよという指示を出してくれているのだ。



なお、グレイシアからの手紙はダリルにも共有し、それを見せに行ったヒルドにノアがついて行くことで、悪名高い書架妖精がこの一件に噛んでないかどうか様子を窺ってきたらしい。



(ノアの見立てでは、知っているかもしれないけれど、主犯じゃないと話していたから、エーダリア様はほっとしていたみたい)




見回りの為に外に出て、はらはらと雪の降るウィームの空を見上げると、空の向こうが明るくなり始めていた。


薄日が差し込む雪景色は奇妙な明るさと暗さの狭間にあり、複雑な雲の動きが美しい。



森はすっかり雪に染め上げられ、水色や菫色の繊細な影と、雪の下から覗く花々の彩りが一枚の絵画のようだ。


そんな中を歩く、軍服のエッセンスの入った白い装いのディノは、例えようもなく美しくそして凄烈に見えた。


宝石を紡いだような真珠色の髪に、水紺の瞳には、白銀や菫色、パライバグリーンに瑠璃色と、様々な色が虹彩模様を織りなし引き込まれそうな精緻な模様を描く。

白い肌に落ちる睫毛の影もあえやかで、ふつりと開いた薔薇色の唇が怜悧ですらある美貌にどきりとする色を乗せる。




「……………ディノは、綺麗ですね」

「ネア……………?」



凝視されてどぎまぎしていたら唐突にそんなことを言われてしまい、魔物は少しだけおろおろとしたようだ。


少し迷ってから腰紐を取り出そうとしたので、ネアは無言で首を横に振った。



「遠い日のクリスマス………こちらのイブメリアのような祝祭や、誕生日の日に感じた欲を思い出しました。……………あの頃の私はいつも、宝物になるような綺麗で素敵なものが欲しくて堪らなかったんです。………綺麗な陶器の置物や、小さな硝子の置物、祝祭のための木彫りのオルゴールなんかを。…………それを買ってしまうと、私は誕生日なのに何も食べられなくなってしまうと分かっていても、それでも私はそちらを選びたかった。そうしなければ、息が詰まって死んでしまいそうだったからです……………」



綺麗なものを手に取り、それを抱いて帰ることの方が、食べるものがなくなったとしても、生活に磨耗されるばかりよりは惨めではないように思えた。


燃料代が値上がりしてストーブを思うように焚けない冬や、家でうっかり倒れて入院せざるを得なかった夏など、困窮しきった年にはいつも、そんな愚行に走るのがネアだった。



「……………でも今は、大好きなディノがいて幸せなのに、そんなディノは見ているだけで嬉しくなってしまうくらいに綺麗で、おまけに、ここには更に他にも大切な人達がいて、テーブルの上には良く出来ていると思って頑張って買ったのに、ほこりが絡んで掃除が思わしくない造花の置物ではない、素敵な冬聖の小枝が飾られているんです!………触れるとあたたかなディノがいて、話しかけると応えてくれて、…………こちらに来てからのこの季節は、もう少しも怖いものではなくなりました」



そう微笑み魔物を見上げると、ディノは一度立ち止まり、ふわりとネアを持ち上げた。

いきなりのことで驚いたが、ぎゅっと肩口に顔を埋められ、そっと滑らかな髪の感触が素晴らしい頭を撫でてやる。



「……………君が来てから、私もがらんどうではなくなった。息を吸うたび、胸の奥がひび割れてゆくような…………それを、かつての私は不可解な息苦しさだとばかり感じていたけれど、………そんな恐ろしさもなくなったんだ」



ディノの声は少しだけ震え、けれども染み入るような美しさは変わらなかった。

ネアは更に口元の微笑みを深くし、自分もこてんと頭を倒して大事な魔物に寄り添う。



「だから、私はもうどこにも行きませんからね。時々、厨房や書庫に駆けていってしまっても、必ず戻ってきますから」

「………………厨房や書庫に」

「あら、お家の中ですよ?ここは少々贅沢ですが、私達二人のお家にもなったのですから」

「……………うん」

「なので、こんな素敵で特別な服は、私を逃さない為ではなくて、喜ばせる為に着てくれると嬉しいです」

「……………君は、もう逃げないから………?」

「ええ。ただし、ディノが、私に酷いことをしなければという前提は生きておりますよ?」



ぴしりと指を立ててそう説明すれば、震え上がった魔物はまたしても丸いフルーツケーキを献上してくれた。



「その酷いことには、私に内緒で、私が泣いてしまうような無茶なことをする行為も含まれます」

「……………うん」



重ねてそう言うのは、様々な懸念が残るこの時期だからだと、ディノにも伝わるのだろう。

二人は昨晩も、認識の魔術の輪を断つためにどんなことが必要なのかをあれこれ語り合った。



そうして語り合えるようになったのは、きっと最初に何も言えずに軋み合ってしまった手痛い経験を、二人が覚えているからだ。

話をすることも出来ずに引き剥がされてしまうこともあるので、こうやって二人で考えられる時間は、いっそ少しばかりの高揚感すらある。



二人はその後、ゆっくりと時間をかけてリーエンベルクの周辺を見回った。


仕事中なのでと、ネアが魔物な乗り物から降りるとディノは少しだけ項垂れていたが、ネアから今夜も二人で花火を見ようと言われると嬉しそうに微笑んでいた。




「そう思っていたのですが、………これは多分、アルテアさんも花火を見に来たのですね?」




晩餐の席で、ネアにそう問いかけられ、当たり前のように着席した使い魔は、無言で片方の眉を持ち上げる。



今日も凄艶な漆黒の装いをしていて、黒に近いくらいの濃密な紫のクラヴァットが華やかで美しい。

夜会帰りだと一目で分かる姿を興味深く見ていると、統括の魔物としての仕事もあるんだとなぜか叱られた。



「イブメリアが近いので、恋人さんになりそうな方に出会ったりは…」

「よし、お前はもう黙れ」



ぞんざいな言い方に少しだけ唸りつつ、ネアは明日の催しについて考える。



「…………取り敢えず、明日の会ではケーキと贈り物はもう、用意してありますからね。ただ、グレイシアの脱走が先だと、延ばすことになりますので、その場合はまた日にちを設定し直しましょう!」

「……………忘れてはいなかったようだな」

「むむ、…………まさか、盛装姿なのは明日が楽しみ過ぎて…………?」

「何でだよ」



とは言え、忘れられていなかったと安堵するこの魔物は、魔物の第三席ながらもここで皆に祝って貰うお誕生日会をとても楽しみにしていたようだ。


ネアは、お誕生日封じを避ける為に前日入りした魔物は、己の事故率を理解したなかなかに賢い魔物だと感心する。




「……………僕、これ好き」



そんな中、小さな溜め息にも似た言葉が聞こえてきて、ネアはゼノーシュの方を振り返った。



その一言を最後に、もはや料理のお皿しか見ていないクッキーモンスターは、どうやらジャガイモのグラタンのようなものに夢中であるらしい。



「…………まぁ、とても綺麗ですね。ケーキのようです」



きっちり正方形に切られて、お皿に盛り付けられたグラタンは色鮮やかだ。

薄く切ったジャガイモに鮭とディル、そして、トマトと鮮やかな紫の蕪の薄切りも。

その全てをミルフィーユのように重ねてグラタンにしてあり、上にも新鮮なディルの葉を飾って上品な一皿に仕立ててある。



「………………むぐ?!」



では早速と一口食べてみたネアは、幸福のあまりに悶絶し、中に飛び込んだむちむちとろりのチーズと具材との素晴らしいハーモニーにじたばたする。



ディルの香りがふわりと抜ける爽やかさに、濃厚なホワイトソースと鮭の旨味が堪らないではないか。

横には、新鮮な帆立とイクラでお花のように飾られた一品もあり、この一皿の芸術性と味わいには最低でも一万点を与えざるを得まい。



「私のものも少し食べるかい?」

「いえ、まだお代わりもあるようですし、なんと言っても今夜の主賓はローストビーフ様ですので、そちらの為にもお腹の空きを残しておかなければ。どうかディノも一緒にこの美味しさを体験して下さいね!」

「…………可愛い。弾んでる…………」



この新しいグラタンは、エーダリアも気に入ったようだ。

お肉は上手に焼ける魔物なノアは、新しい香草の香りづけになったローストビーフが気に入ったのか、珍しくお代わりしている。


ヒルドはいつものようにバランス良く、グラストは隣のゼノーシュの幸せいっぱいの食べっぷりが可愛くて仕方ないらしい。

最近何だかまた若返ったような気がするのだが、これは、ゼノーシュを愛でている内に心身ともに健やかになっての影響であるそうだ。



「ほら、あまり食べ過ぎると、屋台のものが入らなくなるぞ」

「僕、今日はいつもの五倍食べられるから平気!」



そう言ってグラストを見上げるゼノーシュの檸檬色の瞳には、きらきらと幸福そうな愛おしさの煌めきが揺れる。

ネアは、そんな幸せそうな二人の姿に胸が熱くなり、ローストビーフを何回もお代わりせずにはいられなかった。



「……………美味しいね」

「ふふ、ディノもこのグラタンの虜になりましたね」

「……………この粒、………そうか、冬雫の実か……………」

「…………使い魔さんは、ソースの研究中です」



そこで、お行儀悪く膝の上に広げて置いてあったカードがちかりと光った。


はっとして視線を落とせば、しゅわりと光る綺麗な文字が浮かび上がる。



「…………良かったです。ディノ、ウィリアムさんも来られるようですよ。鳥籠を早々に畳めたので、ざっと入浴してからこちらに向かうそうです」

「おや、間に合ったのだね」

「……………おい、鳥籠を早々に畳めたことに疑問を持てよ?」

「……………む?」

「入浴の必要といい、おおかた、内部は殲滅戦にされたんだろう」

「……………ふむ。美味しいローストビーフと聞いて、立ち塞がる全てを滅ぼしてしまうのは致し方ありませんね」

「……………お前な」



テーブルの向こうでは、ウィリアムが来ると分かり、やっぱり一番いい花火をと迷い始めたエーダリアに、ノアがウィリアムには花火の違いは分からないと言い含めていた。





そんな幸せな夜に。



どぉんと、冬のウィームの空に艶やかな魔術仕掛けの花火が上がる。



きらきらしゅわしゅわと落ちてゆく光と炎の魔術が夜の煌めきに溶け合い、雪景色の宝石のような街並を明るく照らした。




「何て綺麗な花火なんでしょう!内側に向けて、シュプリのような淡い金色が柔らかな薔薇色に染まってゆくのが、繊細で…………まぁ、また次の花火が来ました!」




今年もリーエンベルクの屋上には、何も知らない者が見たら不安すら抱くような不自然さで、優美な長椅子が設置されていた。


リーエンベルクの屋根を彩る美しい雪を払うような無作法はせず、魔術の恩恵で椅子が滑らないように固定しているのはアルテアだ。


そこにホットワインと焼き菓子を持ち込み、ネア達はみんなで一枚の火織の毛布を膝掛け代わりにして、花火を見ていた。



ディノの隣には、仕事終わりで駆けつけてくれたウィリアムがいて、今は、ネアが渡した温かなホットワインのカップを持って、寛いだ眼差しで微笑んでいた。


なんとその隣には、ウィリアムが戦場からの退出際に出会ったという黒つやもふもふが、飛び入り参加でちょこんと座っている。



屋根の上で花火を楽しむくらいならと、擬態したギードまで来てくれたことで、ディノも何だか嬉しそうだ。

ウィリアムが食事をしている間には、黒つやもふもふは、慣れた様子で銀狐方式でローストビーフをいただいていた。



みんなで見上げる花火は、もうこれで幾つ目だろう。



途中、ウィームの商工会からの花火では、銀狐の顔をモチーフにした変わり狐花火も上がり、ネア達は大いに盛り上がった。



美しい夜だ。

まだイブメリア本番ではないけれど、それでもとその美しさに心を揺らす。


美しくて、なんて暖かいのかと。




「さて、そろそろですね」

「二番目のものにしたのかな…………」

「ふふ、ノアが見張っておくと言っていたので、多分大丈夫だと思います」




夜空にはまた美しい花火が上がり、流れ落ちる光の粒子が滝のようだ。

ここから見ても、あちこちに人ならざる者達の影が見え、みんなが今夜の花火を楽しみにしていたことが窺える。



小さな生き物達は花火に近付き過ぎると消し炭になるので注意が必要だが、竜達はかなり近くを飛んだりもしているようだった。




(シェダーさんも、ウィームでこの花火を見ていられたらいいな)



そんなことを考えている内に、いよいよリーエンベルクから打ち上げられる最後の花火の時間になる。



屋台の光りがちらちらと見える楽しそうな街の方では、そしていつもより祝福の光で煌めいて見えるローゼンガルデンでは、今か今かと、毎年話題になるウィーム領主による花火を待ち焦がれている人々がいるに違いない。




ひゅるると、空を切る音が聞こえ、光の軌跡が真っ直ぐに夜空に伸びる。




どぉんと、大きな音がして、夜空いっぱいに銀色と滲むような青紫色の光が広がった。



青紫色は暗い色彩なのだが、それでもくっきりと浮かび上がり、その美しさに見惚れてしまう。

満天の星のように煌めく銀色の光の中で、続けて、中心部分に鮮やかな孔雀色と鮮やかな青、そして淡い金色の輪が広がった。




「…………………ほわ」




暗く鮮やかに輝くからこそ、派手な花火より胸を打つ色彩の美しさに、ネアはぎゅっと胸元で組んだ両手を握り締めた。




(ああこれは、エーダリア様が見つけた愛情の色だわ………………)




それがまた嬉しくて、ネアは笑顔で小さく弾む。





「ほお、………街の方には何か降らせたな」

「なぬ?!ここには降って来ていませんよ?!」

「…………あちらにだけ、その魔術を向けたようだね。リーエンベルクの周囲だと、無駄になってしまうからではないかな」

「な、何が降っているのですか?!こちらでも、早急に調べなければなりません!」

「ご主人様……………」



荒れ狂って今すぐ街に出掛けると言い張るネアに、ディノは慌てて三つ編みを差し出している。



その時、しゅわしゅわと光る小さな青紫色の煌めきが、ネア達のところにも一粒だけ落ちて来た。


はっとしたネアが打ち上げ場所の方を見ると、優雅に一礼したらしいヒルドのシルエットが見えた。




「見て下さい、こちらにも一つくれたようです」

「良かったね。……………おや」

「まぁ!」




両手で受け止めた光の粒は、きらきらしゃりんと光を放ち、お財布に入れておけそうなくらいの、小さな小さな陶器の人形になった。


なんと、お座り銀狐である。


当然のこととして、高位の魔物に魔術的な要素が繋がらないように少しデフォルメされているが、それでもウィームの住民なら一目で銀狐だと分かる可愛さだ。




「狐さんが!」



そう大はしゃぎしたネアのように、この贈り物は、ウィームの街でも領民達を熱狂させた。


この花火を見ることの出来た幸運な観光客達は、銀狐の陶器の人形を握り締めて家に帰り、ウィームのバベルクレアの夜は素晴らしい祝祭だったと口々に伝えたという。



なお、その夜に舞い降りた銀狐の陶器人形は、赤い天鵞絨のクッションに鎮座させられ、あの銀狐グッズのお店のショウウィンドウにも誇らしげに飾られていたそうだ。











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