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夜の劇場と瓶詰の妖精



星が瞬く夜のことだった。



夕刻まで降り続いた雪はウィームを美しく染め上げ、街の方を流れている大きな川を素敵に凍らせたと聞いている。

そろそろスケート靴を持って出掛けてゆく楽しみも吝かではないが、ネアは、この時期は精一杯イブメリア気分を楽しみたいという気分であった。



そんな日に、野外劇場に出る悪い妖精を瓶詰にする仕事を持ちかけられたら、引き受けざるをえまい。

野外劇場で現在公演されている舞台は、ミュージカルのような歌劇仕立てのもので、一本の飾り木を巡る素敵な贈り物の話はなかなかに評判もいいようだ。



(狼公爵と森の優しい家という題名で…………)



戦争で愛する人を喪って狼になっていた魔物が、とあるお屋敷で再び愛する人の魂を持つ女性に巡り会い、たくさんの友や家族を得るお話は涙なしには観られないそうで、ゼベルは休日にもう二回も観に行っているそうだ。



「…………正装します」

「正装…………するのだね」

「野外劇場的な正装があるのです…………」



ネアはそう宣言し、いそいそとラムネルのコートを引っ張り出し、一番温かく美しいお気に入りのセーターを取り出した。


保管用の袋から出しただけで至福の吐息をこぼしてしまうこのセーターは、昨年のイブメリアに、エーダリア達から貰った贈り物だ。

毛糸のシーが紡いだ極上の森の毛糸を編み物の魔物が編んでくれた、じたばたしたくなるような絶妙な色合いのものである。



ふと視線を感じてちらりと横を見ると、どきりとするくらいに凄艶な瞳をした魔物が、ひどく甘やかな眼差しでこちらを見ていた。



「ディノ…………?」

「君がそうやって、幸せそうにしていると…………可愛いね」

「お、おでかけのように見えるでしょうが、お仕事の為にお洋服を選んでいるのですよ?決してはしゃいではいませんので、そこは誤解してはいけません!!」



うっかり仕事感をぽいっとやってしまっていたネアは、慌てて誤解を解こうとしたが、なぜか魔物は魔物らしい甘さと美しさで微笑みを深めて、ネアの唇の端を指先でなぞる。



「妖精くらい、すぐに捕まえてあげるよ。君は、ずっとこの演目が気になっていたのだろう?ゆっくり観劇出来るといいね」

「む、むぐ!」



椅子から立ち上がり、セーターを手に固まってしまったネアにくすりと微笑みかけると、ディノは、前髪を持ち上げてネアのおでこに口付けを落としてくれる。



実はこの演目は、晩秋からの公演だった為にもう上演期間も後半にあたり、他の予定や仕事との兼ね合いから、観に行けないかもしれないと危ぶまれていた経緯がある。



(予定がない日はもう席が空いていなかったりしたけれど、今日はお仕事の為に特別に席を空けて貰えたから……………)



ついつい浮かれてしまうのが魔物にはお見通しなのだろうと、ネアは自分の頬っぺたをすりすりした。

どうしても口角が上がってしまうのだ。


「けれど、なぜ瓶に詰める必要があるのかな……………」


こちらは魔術でふわっとやるだけなので、ネアのように身支度に時間のかからない魔物は、そこが気になってしまったのか首を傾げていた。

今日の三つ編みのリボンは、先日買ったばかりのものだ。


結んだ直後は嬉しくて堪らなかったのか、リボン結びが現れた自分の三つ編みをしばらく眺めていた無垢な魔物なのである。



「本来は、食べ物の瓶詰の妖精さんなので、瓶の中に住んでいるのが正しい状態のようです。今回はどなたかが、お買い物の瓶詰を劇場の床に落して割ってしまったことで、脱走したままになっているのだとか」

「…………瓶詰の妖精が売っているのかい?」

「そう考えるとたいへん猟奇的ですが、素晴らしい品質の瓶詰の中に、祝福を持った妖精さんが詰まっていることは珍しくないのだそうです。もし、買ってきた瓶詰めの中に妖精さんが入っていた場合は、お店に妖精さんごと戻せばいいんですよ。中身の入った商品と交換して、尚且つ商品の代金を戻してくれるそうですから」

「………………食べてしまう訳ではないのだね…………」

「ごく稀に、中身を見ないでお鍋にあけてしまう方もいるので、悲しい事故もあるようですね……………」

「鍋に……………」

「食品周りの生き物達の、謎に生存率を下げる派生の仕方は、由々しき問題だと思います!…………食べ物ではなくても、火箸の魔物さんも危ない生まれ方をしますし、そろそろ寒い朝には路地裏でパンの魔物さんが氷漬けになっている季節ですしね……………」



そんなことを話していると、ディノは困惑したような悲しい目で、窓から外を見たようだ。



世界の不条理という意味では、戦乱や疫病などよりも余程過酷なものがそこにはある。

であれば、そんな瓶詰の妖精も、うっかりお鍋の中に投入されてしまうかもしれない己の生涯を儚み、楽しい野外劇場から離れ難くなってしまったのだろうか。


何だかそんな気持ちも分るような気がすると、ネアは、まだどんな形状なのかの絵姿を見ていない謎の瓶詰妖精を思いながら、お気に入りのセーターを着た。



(………………気持ちいい!)



かぶってぷはっと顔を出せば、肌に触れるのは極上のふわとろだ。


夜明けの森と夜の森から糸と色を紡ぎ、霧のような蕩ける青白さを宿した緑色には、不思議な白みがかった色が重なっている。

これは、紡がれた毛糸の中心部分と外側の部分の色が違うからそう見えるようで、ネアはいつも、雪を積もらせた立派な飾り木を思ってこのセーターを着るのだった。



ただの素晴らしいセーターではない。

自分にとっての宝物を、大切な人達がくれたというのが何よりも嬉しいのだ。

昨晩は、ディノからイブメリアに貰った飾り木の置物をずっと眺めて夜を過ごし、今日の仕事が入った喜びに浸っていた。



(一年で一番大好きな季節に、お金を切り詰めてホットワインも飲めなかったりしていた私に、こんなに沢山の宝物があるなんて………)



明かりを消した部屋で、雪明りの青白さが微かな影を落とす寝室は美しかった。

きらきらと光る飾り木の置物を見ながら、ネアは、あまりの綺麗さに胸が潰れそうな思いで目を閉じたのだ。


だからだろうか、夜中にお手洗いで目を覚ました時にふと、ネアは巣の中の魔物を大切な気持ちで眺めていたくなってしまい、すやすやと眠る魔物をこっそり眺めようとして床に座り込んだところ、目を覚まされてしまう事件に見舞われている。

ネアはたいそう気恥ずかしかったが、そんな風に寄ってこられたことが、ディノは嬉しくてならないようだ。


今朝からずっとご機嫌である。



(さてと、スカートだと巻き込んでしまいそうだし、オリーブと魚の瓶詰めの妖精さんだから、へばりつかれたら嫌だな…………)



小さな妖精だと聞いているので、足元をちょろちょろされないようにと、温かな毛皮で裏打ちされた冬の乗馬用のズボンを穿くことにした。

この上から贅沢なラムネルのコートを羽織り、市場などに行く時用の布のお買いもの鞄には、リーエンベルクの騎士達に揃いで作ったからとエーダリアから貰ったばかりの、羽渡りの鉱石で作った水筒が入っている。


勿論向こうでもホットワインを買う気満々でいるのだが、買えなかったときや足りなかったときの為に、この中にはあつあつの濃厚ミルクティーが詰め込まれているのだ。


小さなカップで二杯くらいの量が入るので、これでディノと一緒に飲むつもりなのだが、一つの水筒から一緒に飲みましょうねと言われた魔物は、意識を失いそうになった。

こんなことで死んでしまっては困るのだが、一つの水筒から飲み合うというのは、目元を染めて恥じらう魔物の言い分ではたいへんなことであるらしい。



かくして二人は、瓶詰妖精を瓶の中に戻すべく、野外劇場に向かった。



ウィームの街は華やいでいた。


雪に彩られたウィームを見れば、これ程ディノに似合う街もないだろうと、ネアは密かに誇らしく思っている。


そこかしこに煌めく飾り木や、真っ赤なインスの実を飾ったリース。

ふくよかな天鵞絨のような花びらの、真紅の薔薇で作られた門飾りと、見ているだけで楽しくなる仕掛けのあるキャンドルホルダーは、蝋燭の火の熱でくるくると動く。


スパイスや乾燥させたオレンジで作られた古くからあるオーナメントは、部屋に飾るとぷわりとイブメリアらしい香りが部屋に漂う。


手彫りの木の玩具が欲しくなってしまい、ネアは人間の強欲さに慄いた。

使う予定のないトナカイと森の絵の素朴なタペストリーや、硝子や結晶石のしゃらしゃら光る置物達までが、その美しさで心を打つのだ。



どこかから、子供達の歌う聖歌のようなものが聞こえてくる。

前の世界であれば、クリスマスだからかなと思うばかりだが、こちらの世界となると、これはどこかで小さな魔術の儀式が行われているのだろうと考えなければならない。



(あ、あの飾り木のところだわ…………)



「ディノ、あそこでは何をしているのですか?」

「飾り木の守りだね。子供達と飾り木の間に、魔術の道を敷いたようだよ。………そうすると、あの飾り木に向けられた喜びや賛辞が、祝福の形を得てあの者達に配られるようになるんだ」

「まぁ、そんなことも出来るのですね!」

「収集と収穫は、悪用されることも多い道の魔術だから、特定の者達にしか許されていないものだけれど、ウィームでは上手く活用しているようだね」

「…………確かに、悪用しようと思ったらなかなかに邪悪なものかもしれませんね」



けれどもそんな魔術は、子供達の健やかな成長を助ける為に使われるそうだ。

よく見ればその飾り木は、インク協会のもののようで、可愛らしいインク壺のオーナメントが飾られていた。



歩道や公園、街角のあちこちに市が立ち、温かな食べ物や飲み物が売られている。


ホットワインの屋台は特に多く、人々は珈琲や紅茶のような感覚で買ってゆくようだ。

子供用に葡萄ジュースを使ったものも売られているので、酔っぱらう訳にはいかない仕事中の大人達もそちらを選び、しっかりと体を温めたい者にはより濃厚なものもある。


店によって入っているスパイスや使われている果物が違うので、さくらんぼや苺、林檎に杏にオレンジなど、同じお店の中でも様々な種類が楽しめるのが人気の秘訣かもしれない。

葡萄酒はそもそも葡萄なのにという野暮なことを言わず、様々な果物の風味がしたり、中にごろんと入っているのを楽しむのがウィームっ子の嗜みだ。


この季節以外の時は、温めてあっても温かい葡萄酒という括りの飲み物が、なぜかイブメリアの周辺でだけホットワインと呼ばれることもあるのは、もはやネアには紐解けない異世界の不思議だった。

土地によってはグリューヴァインという名称も存在するのだから、やはりどこかで、ネアの育った世界とも繋がっているという不思議な感覚でもある。



二人はあちこちの飾り木を見ながら街を歩き、立ち止まって屋台を冷やかす妖精達や、何かお目当てのものが入手出来なかったのか、暗い目で同行者に手を掴まれて引き摺られている精霊などと擦れ違いながら、野外劇場に向かう。



雪が降ったばかりの日の夜ともなると観劇には不向きなようだが、劇場のあちこちに積もった雪もまた美しいからと、あえて雪の日の観劇を望む者も多い。

すっかり晴れた夜空は青く深く、こぼれてしまいそうな程の星を煌めかせてお伽噺の祝祭の街の様相を彩る。


こんな夜は気分がいいのか、浮かれたように飛ぶ雪竜の姿も見えて、その中には明らかに白いし多分ジゼルではないかという個体も混ざっている。

ウィームの領民達は微笑んで見上げるくらいだが、そんな姿を見慣れていない観光客達は目を丸くして呆然と夜空を見上げていた。


一般的な感覚で考えれば、白を身に宿す竜はとても少ないのだ。



「ディノ、美味しいいつものホットワインのお店がありました。それとも、他のお店のものを買ってみますか?」

「いつもの店のものでいいよ。でも、他のものも飲んでみたいかい?」

「一度気に入ると冒険をしなくなってしまう自分を寂しく思いつつ、ここはいつものお店のものにしましょうか。…………きょ、今日はお仕事ですしね!」

「ではそうしよう。私がカップを持っていてあげるよ」

「念の為に、ホットワインを入れて貰う為のちび水筒も持ってきたのですが、どちらがいいですか?」

「………………カップかな」

「ふふ、ではカップで一緒に飲みましょうね」

「ご主人様!」


あつあつのホットワインは、お砂糖が入っているので零してしまうとべたべたする。

外で飲むのでマグカップだと心配な面もあり、ネアは、念の為にこのような飲み物を入れて貰う用の小さな水筒を二つ持ってきていた。


とは言えやはり、この婚約者は帰りに持って帰れるマグカップ派であるらしい。

お店に返すとその分を返金して貰えるが、必ず持って帰るのがこちらの魔物流だ。


勿論、同じものが何個も重なると大変なので、一種類につき一個までと厳しく定めている。

このお店の今年のカップは初めてなので、ディノは嬉しそうに目をきらきらさせてご主人様が注文を済ませてくれるのを待っていた。



「はい。ではお願いします」

「うん。君は三つ編みを持っておいで」

「むぐぐ………」



いつもはネアより前に出る魔物が、屋台だと半歩下がってしまうのが何だか微笑ましい。

お店のご主人達は気さくに話しかけてくれたりするのだが、それはディノの許容量を超えてしまうようだ。

とは言え無事にホットワインも手に入れたので、二人は野外劇場の入り口に向かった。



(……………わぁ!)



野外劇場の入り口には、アーチ状の立派な門がある。

そこにはモミの木に似た枝を飾った大きなリースがあって、雪が覆いをかけていた。

一緒に飾られた松かさなどに集まった妖精達が、ぽわぽわと光ってイルミネーションのようになっている。


そんな門をくぐって中に入れば、雪の積もった野外劇場は、星空と雪明りで青白く浮かび上がり、まるで宝石のような輝きを纏っていた。



「なんて綺麗なんでしょう………………」



入り口で瓶詰妖精の捕獲に来た旨を伝えれば、係員の女性が座席番号を案内してくれる。

ネアは、お客様には迷惑をかけないことと、万が一厄介な場所に逃げ込まれた場合の手筈などを、今回の舞台の責任者だというその女性と話し合い、待っていてくれた魔物を振り返った。


今日の観劇を楽しみにしていた人々が、微笑み合いながら次々と劇場に入ってゆく。

雪の野外劇場に感嘆の声を上げ、または人気の演目に期待するお喋りをしながら擦れ違う人々は、みんな楽しそうに口角を持ち上げている。



「石塔の七番だったね。左回りだそうだよ」

「はい。…………むむ、あちらにいるのは、エルトでしょうか?」

「おや、連れて来て貰ったようだね」



会場には、ちらほらと見知ったお客がいた。

ネア達の区画とは正反対のところになるが、薔薇色の子竜をつれた青年がいる。

エルトとフェルフィーズの姿はあるが、バンル達は一緒ではないらしい。

もう一人の男性が一緒にいるのだが、エルトはそちらの男性にも懐いているようだ。


(良かった。…………元気そうだし、とっても幸せそうだわ)



他には、良く見かける栗色の髪の青年がおり、同じようによく視界に入る黒髪の男性と従者らしき短い青い髪の男性もいる。

この二人連れも恐らくは人外者なのだろうが、今迄接点はなかった者達だ。

もっとも、知り合いであっても擬態をされてしまえば誰だか分らないのは当然なのだが、そうして誰でもない誰かになって、のんびりと観劇を楽しみたい日もあるだろう。


席につこうとしたネアは、揚げドーナッツの売り子さんを見付けてはっとしたが、辛うじて今は仕事中であることを思い出して踏み止まった。

飲み物は購入したが、いつものように屋台の食べ物を買ってきてもいない。

せめて揚げドーナッツくらいはと囁く悪い心も動いたが、だとしても瓶詰妖精を捕まえてからにしなければ。



「…………本日の獲物はこちらのようです。……………む、これは紐の精か何かでしょうか…………」



ネア達の座席は演者が通る通路の横にあたり、小道具などが視界に入らないようにする為の壁がある位置であった。

大きな壁ではないので観劇を妨げる程ではないが、すぐ側を演者たちが動くので、空けておくことが多い席なのかもしれない。

周囲を見回せばなかなかにいい席かもしれないと頷き、ネアは漸く手配書を開いたのだった。



(さっきまで、絵が定着していないと聞いていたけど、完成したかな…………)


魔術仕掛けのこの手配書は、ネアが渡された段階ではまだ未完成だった。

なので、到着するまで完成を待っていたのだが、どうやら無事に完成したようだ。



「紐の精………………」

「生成りの布紐か、フェットチーネのような生き物です。…………羽もちびこいですね………」


渡されていた手配書には、ベージュ色の紐のような謎生物が描かれている。

平麺のような形状に顔があり、確実に飛べないのではと思われる位置にある小さな羽は透き通った緑色だ。

二人は顔を見合わせてからもう一度手配書に視線を戻した。



「このようなものが、瓶の中に入っているのだね…………」

「瓶詰のどこに紐の精的な要素があるのかが、謎めいていますね。………………む!」



まさにその時、鋭い目で周囲を見回していたネアは、近くの席に座った老紳士が開いたパンフレットの上に、舞台と繋がりを持たせる為に観客席の一部にも備え付けられた飾り木の上から、ぼさりと紐のような生き物が落下する瞬間を見てしまった。

思わず立ち上がったネアに、パンフレットの上に落ちてきた紐の精を、条件反射で捕まえてしまったらしい男性がこちらを見る。


振り返った白髪混じりの灰色の髪の男性は、穏やかで優しい目をしていた。



「お嬢さん、こちらの生き物をお探しで?」

「……………っ、はい!すぐに取りに行きますので、捕まえていていただいても宜しいですか?」

「それはちょうど良かった。私も今日の舞台の解説を読みたいので、引き取っていただけると助かります」



そう言われ、ネアは頷いた。

確かにこの野外劇場は、雪明りと、舞台が始まる前まで各所に灯されている魔術の火しか明かりがない。

そんな中でパンフレットを見るのであれば、上に乗っかってしまった紐的生物は邪魔だろう。



(でも、……………この人は、)


初めて見る擬態をしていても、その瞳を見ると分かってしまうのはなぜだろう。


噛み付いたりして危ないかもしれないのでと、ネアの代わりに受け取ると進み出てくれたディノに、老紳士は丁寧に紐状の生き物を引き渡してくれる。

紐の精ならぬ紐の精にしか見えない瓶詰妖精は、嫌がってじたばた暴れてはいたが、ディノはすかさず隔離結界のようなものに閉じ込めて逃げないようにしてくれた。


受け取りに際して、老紳士との間の席に座っていた三人連れの男性も体を逸らして道を開けてくれたので、ネアは丁寧に頭を下げてお礼を言う。

どうやら竜騎士であるらしい彼等は、自分達にも手伝えることがあればと、笑顔で言ってくれた。



「…………持ってきたよ」


相変わらずこの手の生き物は苦手なのか、ディノは、困惑したような面持ちで隔離結界に閉じ込めた瓶詰妖精を持ってきてくれた。

透明な硝子の箱のようなものに入れられた紐状の生き物は、自由気儘な劇場暮らしを邪魔されて頭にきたものか、ふしゃーと唸ってネア達に精一杯の威嚇をしている。


二人はまず顔を見合わせて頷き合い、ネアが、渡されていた瓶を箱の角の部分に押し当てると、ディノがその部分の結界を紅茶のポットの注ぎ口のように変化させ、中の妖精をすとんと落とし込んでくれる。

すかさずその瓶の口を結界で塞いでくれたので、ネアは大急ぎで瓶の蓋を閉めた。


「……………つ、捕まえました!任務完了です!!」

「…………蓋は、しっかりと閉めてしまっていいのだね……………」

「ほら、こうして瓶の蓋を閉められてしまうと、妖精さんはこてんと寝てしまうのだそうです。もうこの瓶には妖精さんがいると分っているので、商店に戻されて瓶詰の作業場で祀り上げられるくらいで、お鍋に落とされることもないので安心して下さいね」

「………………うん」


とは言え謎の生き物には違いなく、ディノは怯えたような目をしたままこくりと頷いた。

ネアは、それを用意してきた捕縛用の特殊な袋に詰めて、腕輪の金庫の中にしまおうとしたが、ディノが引き取り、お尋ね者を引き渡す予定であったリーエンベルクの騎士の詰所に届けてくれる。


「届けたから、もう大丈夫だよ」

「…………もしや、ぽいっとやってしまったのでは?」

「エドモンがいたので、彼に預けたんだ。ノアベルトが何かをしたようで、ヒルドもそこに居たから、舞台が終わったら帰るよと伝えておいたからね」


無事にお尋ね者は捕縛したとはいえ、これは仕事の一環だ。

ぽいっと放り込むだけではならないと心配したネアに、ディノはそんな思いがけない返事をくれた。

こうしてとなりにいる魔物は一度も姿を消してはいないのに、きちんとその騎士を呼び止め、瓶詰の入った袋を渡してあると言うではないか。



「ディノはここにいたのに、そんなことが出来てしまうのですか?」

「一瞬だけ、そちらに私を映すようなものかな。影を動かすとよく言うだろう?」

「生霊的な……………?」

「生霊………………」


ネアにはやはり謎の魔術の叡智であるが、そちら側に一瞬の間だけ姿を映すような仕掛けを設け、そこに自分自身を投影するという手法であるらしい。

鏡や霧、水面などの触媒があると動かし易いのだが、幸い今回は騎士棟にある大きな鏡を利用出来たので、鮮明な姿で話が出来たようだ。

魔術的な立体映像のようなものなのかもしれないが、高度な技術であるので出来る場所も限られており、今回は普段の生活の場であるリーエンベルクでだからこそ、このようなことが出来たのだとか。



「ほわ……………。そんなことが出来るなんて、やっぱりディノは凄いのですねぇ……………」

「始まる前で良かったね。これでゆっくり見られるよ」

「もしかして、だから急いでリーエンベルクに届けてくれたのですか?」

「腕輪の中にしまっておくのでは、落ち着かないだろう?」

「まぁ、何て優しい魔物でしょう。ディノ、今日は有難うございます」



ネアは、あっという間に仕事を片付けてくれた、頼もしい魔物に微笑みかけた。

伸び上がって手を伸ばし、頭を撫でてやると、ディノは目元を染めて嬉しそうにもじもじする。

この捕り物の間、どこか安全なところにしまっておいてくれたホットワインを取り出し、誇らしげにネアに渡してくれる。



「……………では、せっかくなので、評判のこの舞台を見てから帰りましょうね。もう、開演時間になってしまいますので、頑張ってくれた魔物には、休憩時間に揚げドーナッツをご馳走します」

「ご主人様!」



舞台が暗くなり、はらはらと静かな粉雪が降る演出に、野外劇場はしんと静まり返った。

まずはカーンカーンという弔いの鐘が響く暗闇で、蹲って啜り泣く狼公爵の場面から始まる。



ネアは、約束通りに休憩時間には魔物に揚げドーナッツをご馳走した。

お揃いが素敵なことなので、勿論ご主人様も揚げドーナッツをいただくこととする。


ついでに、捕縛に協力してくれた老紳士と竜騎士三人組には、劇場の従業員と相談をして、帰りがけに売店で好きな食べ物や飲み物を無料でお持ち帰り出来るように手配して貰う。

このような場合はネアから言うよりも、係員からの案内の方がスマートであるし、受け取り易いだろうと思ってそうしたのだが、老紳士はホットワインを、竜騎士達は揚げ芋の串を、それぞれ喜んで受け取ってくれたようだ。


このくらいであれば、贅沢な観劇の時間のお礼としてネアのお財布から出すのも吝かではないのだが、何か問題が発生しないよう、帰ってからきちんとエーダリア達にも報告した。


瓶詰妖精は、成就の系譜の生き物なので意外に頑強であるらしい。

観客の一人がそんな瓶詰妖精を素手で捕まえたと知りエーダリアは驚いていたが、ネアはそれが、お忍びで遊びに来ていた犠牲の魔物であることを知っている。

けれどもそれは、ネアとディノだけが知っていればいいことなので、あえて報告はしなかった。



そうしてその夜、ネア達は、ハンカチなしには見届けられない素晴らしい舞台を心行くまで楽しんだのだった。









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