鉛筆妖精と祝福のブローチ
冬告げの舞踏会を控え、ネア達はその日、リノアールに買い物に来ていた。
今回の冬告げのドレスは、ウィリアムご贔屓のシシィの母親である、仕立て妖精の女王の作品だ。
特殊な素材の布を使っているそうで、お直しや試着がいらない特別なドレスであるらしい。
(ウィリアムさんのカードに、私が好きそうなドレスだって書いてあったけれど、入らないってことがないなら、当日まで分からないのも何だか楽しいな…………)
なぜかノアとアルテアは厳戒態勢でその日を待つらしいが、ウィリアムはすぐに剣でさっくりやってしまうだけでなく、髪結いがとても上手なのだ。
謎のドレスに合わせる髪型をこちらで考えるとなると厄介だが、髪結いから小物までをずばっとお任せ出来るとなれば、ネアはわくわくするばかりである。
前回の冬告げのドレスも素敵だったので、当日の朝にお披露目になるそのドレスに、今から期待で胸がいっぱいになっていた。
はらりと、細やかな雪が落ちる。
今朝は夜明け前に雪が降ったようで、薄く白いヴェールを纏った並木道や優美なウィームの街は、清廉な美しさを帯びる。
薄らとかかる霧はこの時期特有の青白いもので、時折ちかりと光るのは霧の祝福だろうか。
頬は冷たく、指先はあたたかい。
今日のネアの手袋は、指先に火織を入れた特別な手袋である。
赤い糸の部分だけはほこほこしていて、その温もりで手をかじかませない。
周囲の気温そのものを調整したくない時には、これ以上に素敵なものはないだろう。
さくさくと淡い雪を踏んだ。
石畳の上は純白で、ネア達が最初の靴跡をつけていた。
何だかとても秘密めいたわくわくとした気持ちで唇の端を持ち上げ、青緑の葉を覆った歩道の天蓋を見上げる。
陽射しが当たるとこれくらいに儚い雪は溶けてしまうので、途端にこの道は、頭上の木々から落ちてくる冷たい雫の危険地帯になってしまう。
だが今は、繊細な雪と木々のレースを見上げるようで何て美しいのだろう。
(む?………………)
ぱりぱりという微かな音がした。
何だろうと足を止めて音のした歩道の端っこを見ると、雪を乗せた落ち葉を持ち上げて、不思議な生き物が顔を出しているところであった。
「……………ちび鉛筆?」
あんまりな姿に呆然とそう呟くと、一緒に歩いていたディノと銀狐もそちらを見る。
ネア達の視線の先で、使い込まれた小さな鉛筆のような生き物が、葉っぱの影からそろりとこちらを見ていた。
針金のような手足があり、よく見れば妖精の羽がついている。
銀狐はふりんと尻尾を振りかけたが、どこが顔だか分らずに相手の反応が見られなかったから怖くなったのか、すぐに尻尾をぱさりと落とすと、じりじりっと後ずさってディノの爪先の上に後ろ足を乗り上げ、足にお尻を押し当ててけばけばになった。
最近の銀狐は、後ずさりからのつま先乗り上げを覚えたばかりで、ヒルドに怒られている最中にこうなったところ、お尻を押し付けられたグラストが堪らずに守ってくれたらしい。
それ以降、銀狐行動辞典における、守り給えのサインとして定着したようだ。
「…………道具から派生した妖精のようだね。この子は作家にはならないから、書き物の祝福はいらないよ」
ディノがそう言えば、小さな鉛筆の妖精は頷くように芯の先を下げると、また落ち葉のふとんをぱたりと閉じてしまった。
謎の妖精の出現と別れに、悲しげに足踏みした銀狐は、助けを求めるようにディノを見上げる。
ディノは、お腹の下から片手で掬い上げるようにして銀狐を抱き上げてやり、安心したのか銀狐の尻尾がふさりと持ち上がった。
(まるで、貝殻が閉じてしまったみたいだわ…………)
鉛筆妖精がいたところは、すっかり歩道に降った雪と落ち葉の一部になってしまっている。
じっと見てもそこに妖精がいたことが分からないくらいの身の隠し方に、ネアは感嘆した。
このやり方で餌を取っていたらかなり怖いが、あの妖精はどうやら、祝福を授けようとしてくれたようだ。
「……………今の妖精さんは、作家さんを祝福してくれるのですか?」
「作家や詩人、或いは画家あたりかな。ただ、あの妖精からは書物の系譜の属性が見えたんだ。恐らくは作家の祝福だと思うよ」
「と言うことは、あの祝福を貰うと物語が書けるようになったり…………」
ネアが吝かではないと考えてそう言うと、ディノはすかさず羽織りものになってきた。
「けれどもそのような才能は、多くの時間を、自分自身の内側に向けてしまうものだ。君は、紙と向かい合い、物語やその他の様々な分野の書物を書けるようになるかもしれないけれど、それ以外のことに興味を示さなくなる。だからネア、あの祝福はいけないよ。鉛筆の様子を見ただろう?あのようになるくらい研鑽を積み、その才能を鍛え上げなければならないという、一種の呪いのようなものでもあるんだ」
妖精には、古くからそんな一面がある。
他のどの種族よりも人間の暮らしに寄り添う生き物ながら、その行いには、人間にとっての恩寵と災いの二面性を持つことが多いのだ。
「……………まぁ、そんな側面もあるのですね…………。む!なにやつ!!」
ここでネアは、ぴらりと飛んできた銀色の紙吹雪のようなものを両手でぱちんと捕まえた。
明らかに、途中からこちらを狙って飛んで来たので、こんな場合は容赦無く捕まえてしまうに限る。
手のひらに閉じ込められた銀色の紙片は荒れ狂っていたが、どこかで指輪の部分に触れてしまったものかかさりと儚くなる。
「…………滅びました」
「ご主人様……………」
そうっと手のひらを持ち上げてみれば、そこには、不思議な正四角形の銀色の硝子を薄く削ぎ落としたようなものが乗っていた。
先程までは紙吹雪のような柔らかさを感じたのだが、今は、その断面も鋭い硝子の欠片にしか見えない。
(綺麗……………顕微鏡のスライド硝子みたい………………)
しかし、その光り方はどこか特徴的で、まるで周囲の陽光を自ら集めるような強い煌めきを纏う。
晴れた日に持っていたら、眩しいくらいになるのではと思う程なので、ネアは手のひらを少しだけ持ち上げてみた。
そうすると、より強くきらりんと光った正四角形の物体に、なぜだか心がざわりと揺れる。
一緒に見上げた銀狐も、きらきら光る薄っぺらい四角いやつに、ムギーと目を輝かせた。
「………………綺麗な四角い硝子片のようなものになりました。こんな曇りの日でも陽光を集めてきらきらしているのが、何だか不思議で特別なものに思えてしまいます………」
ネアが、雪雲りの空に翳した硝子片を見てご機嫌になると、魔物はまるで裏切られたような顔をする。
「ご主人様が浮気する……………」
「ディノ、こやつは何者なのでしょう?…………何だかとても綺麗で、ずっと持っていたいですね」
「陽光喰らいの雪虫の一種だよ。このような冬の日に、陽光で光る物を貪欲に食べるんだ。夜になると誘導灯のように光って、人間や小さな動物達を迷わせる生き物だね。あまり良い生き物ではないかな…………。ほら、私が持っていてあげるよ。君が魅入られてしまうといけないからね」
「……………………むし」
「そのように、死んで結晶化したものはランプなどの灯りの代わりになる。冬に陽光を集める生き物には視認による中毒性があるから、あまり出回らないけれどね。アクス商会で売れるとは思うよ。…………ネア?」
様子のおかしいご主人様に、ディノが首を傾げた時だった。
「……………虫め!」
綺麗な四角い硝子が虫だと知り、一切の興味を失ったネアは、愚かな人間を誑かした虫に一声恨みの声を上げ、すっと冷やかな眼差しになった。
全ての憧れや喜びを削ぎ落とし、この生き物の亡骸とはおさらばしよう。
微かな嫌悪さえ滲ませて小さな四角片をティッシュペーパーのような柔らかな紙に包み、ひとまずは獲物用の金庫にしまっておく。
勿論、その生き物が乗っていた手のひらは、濡れおしぼりで丁寧に拭いておいた。
ディノと銀狐は、そんな人間の冷酷さに震え上がってしまい、ネアがそちらを見るとなぜかふるふるしてしまう。
「ディノ……………?」
「虫じゃない……………」
「先程の四角いやつですか?」
「私は、虫ではないからね?」
「…………ディノなら、魔物だということはちゃんと知っていますよ?」
「うん……………」
あんまりな扱いに慄き、万が一にでも虫であるという疑いをかけられないようにか、魔物は自分が虫ではないことを教えてくれたようだ。
腕の中の銀狐も尻尾をけばけばにして涙目で虫ではないと訴えているようだが、突然に婚約者や大事な弟を虫と見間違えたりはしないので、どうか安心して欲しい。
「この虫めで、おやつが買えるでしょうか?」
「おや、何か食べたいものがあるのなら、いくらでも買ってあげるよ?」
そんなネアの問いかけに、ディノは、ご主人様がお腹を空かせているのだろうかと目を輝かせ、妙に恥じらいながらそう提案してくれた。
これっぽっちとはいえ狩りをしたので、ネアが消耗したと考えているのかもしれない。
しかしネアは、そんな臨時収入が見込めるのであれば、リノアールの大きなイブメリアのお菓子箱を買って、騎士棟に差し入れしたいと思っていたのだ。
ネアはずっと、蝕のときには、リーエンベルクで一丸となって、その災厄を共に乗り越えようと考えていた。
様々な道具の中には蝕であっても使えるものもあったし、ふわまるの祝福もあったのだから、そこまでのことは出来なくとも、手を貸せることはたくさんあった筈なのだ。
しかし、いざ蝕になってしまえば、ネアは、あわいに呼び落とされていてちっとも騎士達に貢献出来なかった。
戻ってきた後も休まされていたりと、良い戦力にはなれなかったことを申し訳なく思い、この前は自発的に森の祟りものを滅ぼして提出しておいた。
(だから、これからイブメリアに向かうウィームを警備する忙しい騎士さん達に、いつも有難うの差し入れをしたいなと思っていたのだけど…………)
前回のリノアールの散策で、大きな教会の形をした素敵なお菓子箱を見付けたのだが、差し入れにしては思っていたよりも値段が高く、他のものにしようかなと迷っていたところだ。
この生き物の売値によっては、それを買えそうだという目論みだったのだが、こちらを見ている魔物の眼差しは、明らかにご主人様への贈り物を探る視線である。
「…………………いえ、騎士さん達に、季節の差し入れをと思いまして………………」
「………………君が欲しい訳ではないんだね」
「私がそんな差し入れを出来ると嬉しいからすることなので、私自身の欲でもあるのですが、これは感謝とお詫びの印のお菓子なので自分で買いますね」
「………………誰か、気に入っている騎士がいる訳ではないんだね?」
「デジャブ………………」
「でじゃ…………ぶ?」
不思議な言葉に首を傾げた美しい魔物に、並木道の大きな木にへばりついていた栗鼠のような妖精がぼさりと落ちるのが見えた。
ネアは、すっかり出会った頃の狭量さに逆戻りしてしまった魔物の三つ編みを掴み、指先だけが赤くなった濃紺の織り模様の可愛い手袋でにぎにぎする。
部屋の中では寒がりなのだが、ディノはこんなお散歩でも手袋などは必要としないようだ。
青みがかった灰色の髪に水紺色の瞳が儚げな雪景色に映えて、冬を司る美しいものに見えなくもない。
「騎士さん達は、一緒にリーエンベルクを守る同志ですし、仲良しさんはいても、ディノの心配してしまうような気に入り方をしてはいませんからね。……………また色々と不安になってしまったのですか?」
「最近のネアはかわいいからね」
「…………………む?謎めいていますが、満更でもないの実力を見せたことにしておきます!!」
「かわいい、弾んでる…………………」
ネアは、少し痩せたのかなといい気分で腰肉に触ってみたが、そのようなことはなさそうだ。
そのことにむぐぐっと眉を寄せ、頬っぺたもすりすりしてみた。
しかし、頬がしゃきんと引き締まった様子もないので、なぜだろうと首を傾げる。
(髪型も変えていないし、となると残すは、季節が変わってきたことで、服装が変わったくらいかしら。………ディノは、秋服よりも冬のコートを着ている方が好きなのかな……………)
最近、小さなことからではあるが、自己主張が出来るようになった魔物なので、ネアはそんなにこのコートが気に入ったのならば、また着てあげようと頷いた。
「ディノは、この紫がかった濃紺のコートな私が好きなのですよね。これを着ると素敵に見せてくれるのなら、また着るようにしますね」
「………………ネアの方が可愛いかな……………」
「むむぅ。コートマジックでもなく?」
「コートまじ………っく」
「特定の装いによって、その服を着るひとが何倍増しかで素敵に見えることですよ。今回の場合は、コートマジックなので、コートによって私がより良く見えるという意味合いの使用法です」
「………………ネアは、コートがなくても可愛いよ?」
「謎が深まりました…………………」
ネア達がそんな話をしている間に、ディノに抱き上げられた銀狐は、うつらうつらと居眠りをしていた。
しかし、かくんと首が揺れてしまってはっとしたところで、ネアと目が合ってけばけばになる。
「狐さんが寝てしまうので、先を急ぎましょう!!」
「人型には戻らないのかな…………」
今日のお出かけで、銀狐は、エーダリアの執務のお供以外で初めてのリノアールとなる。
とは言え、勿論魔物の時には散々出かけて行っているし、リノアールで使い魔やペットが入れるのはエントランスホールまでだった。
今回はそこにブローチ屋さんがあるので、一緒に行くことになったのである。
先程まではムギムギと歩いていたものの、持ち上げられてよきにはからえとなった銀狐は、自動的に動く乗り物でのお散歩にうとうとと居眠りをしていた。
お腹の下から支えられるようにして抱き上げられているので、体がほこほこしているのだろう。
暫く歩いて今日は真っ先にリノアールを目指し、二人と一匹は、リノアールの素晴らしいエントランスホールに到着する。
「ほわ………………」
きらきら、しゃわりと光の煌めきが揺れた。
今年のリノアールの飾り付けは、小さな小さな雪の結晶石を魔術で浮かせるか、透明な糸で吊るすかして、ダイヤモンドダストのような輝きをあちこちに配してあった。
青緑がかった大きな飾り木の技葉には、白い雪とその双方が混ざり合って結晶化した、白緑やミントグリーンの部分。
色硝子を薄く削いだような透明な色合いが堪らなく美しいリボンは、雨上がりの夜の帳を細く細く紡いだリボンであるらしい。
そこにラベンダー色の天鵞絨に金糸や銀糸で刺繍を施した精緻で華やかだがどこかほっこりとしたオーナメントと、真っ赤な林檎のような実を模した大きな結晶石が飾られている。
飾り木の天辺で輝く星は、ネアの大好きなオーロラと雪の煌めきを放つものだ。
とても高価で美しい星飾りは、このリノアールのイブメリアの目玉でもある。
その煌めきに触れると幸せになれるそうで、反射の光が多い雪の日には、観光客達もこの飾り木を見に来るのだった。
「…………ディノ、とっても綺麗ですね」
「うん。…………かわいい」
「なぬ。こちらではなくて、飾り木を見るのだ」
「ネアがにこにこしてる……………」
「…………むぐぐ………ほ、ほら、あのリボンの色合いは少しだけディノの瞳の色のようです。それにラベンダー色の飾りには、柊や鳩の刺繍があるので、あの飾り木には何だか親近感が湧いてしまいますね」
「……………ネアと…………」
図らずも、この飾り木にはネアとディノの要素がそれぞれ少しだけあった。
勿論偶然なのだが、それを指摘して魔物の視線をそちらに向ければ、ディノは驚いたように飾り木を見上げ、目をきらきらさせる。
「…………ネアがいる」
「ふふ、こうして自分に近しいものがあると、何だか嬉しくなりますよね。…………ここに立って飾り木からこぼれる細やかな祝福の光を見ていると、胸の中までイブメリアの期待でいっぱいで、幸せな気持ちになります」
厳かにそう宣言し、ネアは銀狐の方を見てみた。
館内は抱っこ必須なので、ディノに持ち上げられて飾り木を見ていた銀狐は、青紫色の宝石のような瞳をまん丸にして、呆然と見とれている。
やはり、こちらの姿の時は、ノアも大きく心が動くようになっているのだろう。
しゃらりと飾り木の枝先が揺れて、その枝の下に入って見上げていた子供達の頭に、きらきらの祝福の光を落とす。
子供達は嬉しそうに両親の方に駆けてゆき、祝福を貰えたことを口々に報告していた。
両親に何かを言われたものか、目を輝かせて飾り木にきちんとお礼を言っている姿は微笑ましい。
この世界のツリーは、人々が向ける畏敬の念から大きな魔術が宿る。
こんな風に祝福を授けてくれる、不思議で美しいものなのだ。
「君が見たかったのは、あの店かな…………」
「ブローチ屋さんを発見しました!………ディノ、狐さん、見てきてもいいですか?」
「うん、勿論だよ。欲しいものを言っておくれ」
「ディノも、何か一つ欲しいものを見付けて下さいね。とは言え、特にないようだったら他のものを買ってあげるので、無理はしなくていいんですよ」
「……………お揃いにする」
「まぁ、頑なな目をした魔物さんが…………」
ここからネア達は暫し、真剣なお買い物モードに突入した。
自分も買って貰えると知った銀狐も、尻尾をぶわりと膨らませて真剣な眼差しになっている。
(柊の葉っぱのものも緑が鮮やかで素敵だし、リボンを咥えた鳩のものも可愛いな。………でも、使いやすくて可愛いのはリースの形のものかしら。雪とリボンの飾りくらいなら冬いっぱい楽しめるし……………)
ネアは、このお店に張り付いたご婦人方と共にさんざん悩み、やはりリースのブローチにした。
市販品では珍しく白を基調としたその品は、買い手を選ぶだろうが、宝石を砕いて塗ったエナメル加工のようなリボンのところが、澄んだ紺色で大事な魔物を思わせるのだ。
「…………その様子だと、ディノも決まりました?」
「うん。…………これにするよ」
「ふふ、鳩とリボンのものですね。私もそれと少し迷いましたが、このリースのブローチにしました。これをお願いしてもいいですか?ディノのものは、私がお会計しますね」
「ずるい…………見上げてくる…………」
「お喋りだと、基本この構図なのでは………」
二人はそれぞれのブローチを交換し、お会計をした。
青い天鵞絨の小箱に入ったブローチを、華やかな祝祭の飾り木の柄の袋に入れて貰い、素敵なお買い物をしたという気分はぐぐっと盛り上がる。
ネアは、ついついその気分のまま、騎士達へのお土産のお菓子箱も買ってしまったくらいだ。
先日の訪問では、教会のようになっている箱しか見ていなかったものの、今日からは限定でリーエンベルクを模した箱のものも売り出していると知り、すかさずそちらを手に入れた。
やはりリーエンベルク柄の箱は人気なのか、子供連れの家族が次々と買い上げている。
聞こえてきた会話によると、中のお菓子を食べてしまった後は、その箱で子供達が人形遊びをするようだ。
(…………わ、こっち側の門のところには、山猫さんの紫陽花の絵も描いてある!)
大きな箱には見れば見る程楽しくなるような精緻な絵柄が施され、この箱も後で使えそうだなとネアはにんまりした。
しかしながら、その辺りを理解せずにばりんとやってしまいそうな男所帯なので、箱を丁寧に開けて、空き箱を毛皮生物達に使ってくれそうなアメリアに渡したいところだ。
「ディノ、見て下さい!ここには狐さんもいますよ」
「ノアベルトが…………箱に……………」
「ふふ。何だかこんな風にみなさんに大事にされていて、嬉しいですね」
ネア達の会話におやっと顔を持ち上げた銀狐は、箱の正面の正門の横から顔を出している自分の姿を見付け、ムギーと喜びの雄たけびを上げた。
お菓子箱の売り子さん達も、本人の登場にみんな素敵な笑顔だ。
中には、そっと胸ポケットから銀狐グッズの一つである銀細工のペンを取り出してみせてくれた、銀狐ファンな人もいて、間近での対面に頬を染めて涙目になっている。
可愛いとしか言えなくなった姿はネアの魔物に似ていたが、相手は可憐な奥様なのでこちらはほっこり胸が温まる光景だ。
最後までブローチ決めに難航したのは銀狐で、飾り木の形をした、深青のリボンと青緑がどこかヒルドを彷彿とさせるものと、青系統で纏めた橇の形のもの、赤い林檎と琥珀色のイブメリアのランタンのもので決めかねていたようだ。
確かにどれも特徴があって美しく、細工の系統が違うので、この中の一つとなるとかなり難しいだろう。
「素敵なものばかり候補に残ってしまいましたね。この飾り木はヒルドさんみたいな色合いですし…」
「それに決めたようだね……………」
「まぁ、一瞬で決まってしまいました。でも、狐さんはヒルドさんが大好きなので仕方ありません」
ネアが、飾り木のブローチをヒルドのような色合いだと言ったところ、銀狐は、一瞬でそちらのお買い上げに確定したらしい。
買って貰ったブローチが包まれている間、ずっとムギムギ大はしゃぎでご機嫌であった。
しゃりんと、飾り木の上の星が煌めき光の粒をこぼす。
帰り際にもう一度飾り木を眺めに行ったのだが、ネア達の持つブローチの紙袋にもその祝福の光が落ちてきた。
嬉しくなって紙袋で受け止めた光の粒子は、ぽわりと温かな色を残して箱に吸い込まれる。
「ディノ、祝福のブローチになりましたよ」
「うん。…………買ったものに祝福を添付している者達がたくさんいるようだね」
「お買い物帰りのみなさんがこの周囲で休憩しているのは、そんな意味合いもあったのですねぇ……………」
人々が華やかな祝祭のその飾りを見上げる姿は、いつかの世界と同じ普遍的な美しさだ。
その美しさに胸が引き絞られるような思いで見上げたのはもう遠い昔。
今はただ、弾むような喜びで顔を持ち上げて微笑む。
胸いっぱいに飾り木の周囲の幸せな空気を吸い込んでから、ネア達は帰路についた。
帰り道になると銀狐は魔物に戻ってくれたので、ネアは何だか色々あって未だ暫定伴侶な魔物と、未来の弟と手を繋いで、街からリーエンベルクに向かうその道を歩いた。
雪景色な並木道の向こうに、美しい冬狩りの宮殿が見えてくる。
あまりの美しさにやはりこちらが本宮とされたそこは、いつの間にかネア達の大切な家になった。
そのことが何だか嬉しくて、ネアは繋いだ手をぶんぶんと振って歩いてしまい、リハビリの為にと言われて強引に手を繋がれた魔物が瀕死の状態になってしまうという一幕もあったが、そこは未来の弟が上手に持って帰ってくれたのだった。