338. カルウィの話をします(本編)
ニケ王子との会談が終わり、ネア達はリーエンベルクに戻った。
しかし、まずは外客棟にある大きな会議室に向かう。
ここであれば、外部からのお客を入れて話し合いが出来るのだ。
部屋の前に待っていたのは、エーダリアとノア、そしてアルテアだ。
エーダリアは怜悧な美貌に浮かぶ不安そうな表情といい周囲の風景にとてもよく馴染むのだが、精緻な彫刻の施された扉の前に立つ二人の魔物は、どこか不慣れな親しみやすさがあって微笑ましくなる。
(心配してくれていたのだわ…………)
そう思うと胸がほこほこして、さっそくエーダリアに無事に帰りましたの挨拶をしようと思ったのだが、ずずいと進み出た魔物に目を丸くする。
「無事に帰ったか。で、アイザックを排除する必要はあるのか?」
エーダリアが口を開く前に一歩前に進み、開口一番そう尋ねたのはアルテアだ。
その言葉に、領主としても真っ先に声を発しようとしていたエーダリアがえっという顔で固まり、ノアが呆れたような顔をする。
「わーお、過激だなぁ。でも僕だって吝かじゃないよ。さて、どうやって消そうかな」
「あのカルウィの王子であれば、シェダーが知己だった筈だな…………」
「むぐぅ。取り敢えず消さない方向でお願いします…………」
過激な魔物達の会話にエーダリアは途方に暮れた目をして額に片手を当て、小さく息を吐いてからこちらに歩いてくる。
「すまないな、ダリル。代わりに出向いてくれて助かった。…………ネア、ニケ王子がなぜお前を招いたのか、あらためて教えてくれ。ゼベルの向かわせたエアリエル達により、ニケ王子が相手だということまでは分かったのだが……………」
「まぁそこまでだろうね。エントランスの四段目の階段のあたりでエアリエルの気配が消えた。今回のことで、アクスの障壁の境界が分かったのも収穫さね」
人の悪い顔でにやりと笑い、ダリルは片手を振った。
実は今回、アクス商会のエントランスまでは、ゼベルを慕うエアリエル達が同行してくれていた。
この運用はゼベルが魔術階位を上げたことで、離れた位置のエアリエルまでを使えるようになり、漸く可能になった隠密行動である。
扉を開くと、清涼なリーエンベルクの内装に心が和んだ。
アイザックのお城の会議室も人外の美として惚けるほどに美しかったが、ネアの心にしとりと染み込むのは、やはりこのリーエンベルクを中心としたウィーム独自の景色なのだろう。
「ご不快な思いはされませんでしたか?」
ネア達が着席すると、家事妖精を入れずに手ずから紅茶を出してくれていたヒルドからそう尋ねられる。
隣に立って心配そうにこちらを見たヒルドの羽が、体を屈めたことで微かに開いた。
まるでその羽に守られているような気分になり、ほっとしたネアは微笑んで、怖いようなことはなかったのだと答えておいた。
「しかし、カルウィはやはり、色々と困ったことが起きているのでしょうか?」
「そうだとしても、こちらを巻き込んでいいということにはなりませんよ。場合によっては排除の手はずを整えなければならないところでしたが…」
「ほわ………」
「お前が他国の王子を襲うのなら、外交の任を負う私の権限で、その行為を止めなければならないな。………あれは面倒な男なのだ。魔術師としての側面もあり、その思考からも物事を考える癖がある」
ヒルドの過激な言葉にそう重ねたのは、あまりウィームでは見かけない色彩を持つ男性だ。
部屋の一番奥の席に座り、紅茶ではなく濃い珈琲を飲んでいるらしい。
寒いのは苦手なのか、そちらの足元にだけ火鉢が置かれていた。
ネアはぎくりとして、火箸に鷺によく似た生き物が生まれていないかどうか観察してしまう。
「…………ヴェンツェル、まずは謝っておいた方がいいんじゃないか?」
しかし、ヒルドを窘めようとした筈のこの国の第一王子は、契約の竜にそう言われてしまいどこか遠い目をした。
実はこちらの王子は、弟達やネア達のことを自慢し過ぎたせいでニケがウィームにも欲を向けたのではないかと、ドリーに叱られたばかりらしい。
エアリエルがゼベルに伝えてくれた情報を受け、急遽連絡が入ってすぐにこちらに来てくれたということを思えば、今回の事態への彼等の関心の深さも伺える。
「…………情報は牽制にもなる。だが、ニケとはしっかり話をするつもりだ」
「そちらの不手際があるなら、ウィームへのある程度の保障が発生するよ。本来なら、カルウィの王子になんて目をつけられる必要はなかったんだからね」
「エーダリアは元々顔見知りではないか」
「ヴェンツェル、謝るように」
きっぱりとそう言われ、ヴェンツェルは何とも言えない顔でドリーを見つめる。
そんな契約の子供の様子に小さく息を吐いてからこちらに向き直ると、火竜の祝福の子はネア達に深々と頭を下げてくれた。
「ヴェンツェルも悪気はないんだ。友人に大好きな弟や、弟のところにいる特別なウィームの民を自慢したくて堪らないだけで、だが、そのせいで皆を危険に晒してしまった。本当に申し訳ない」
「ドリー…………」
「ヴェンツェル?」
「……………今回のことは、確かに私の迂闊さが招いた可能性もある。すまなかったな」
そう言い滅多に下げることのないであろう頭を下げれば、ヴェンツェルの礼は王族らしい優雅さであった。
公式な式典の挨拶の正装のままこちらに駆け付けたので、深い赤色の優雅なローブや、宝石のついた留め金が美しい。
オールバックにした金糸の髪と紅の瞳が鮮やかで、とろりと光るような金色の瞳に深紅の髪のドリーとは対のようだ。
隣に万象やら選択やらの魔物達がいなければ、この王子は畏怖と豪奢さで目を奪うほどの美しさであっただろう。
しかしながら、やはり人間の持つ色と人ならざる者達の色はその鮮やかさが違う。
「おや、ヴェンツェル様もきちんと謝れるようになりましたね」
「ヒルド……………」
にっこりと微笑んでそう言ったかつての代理妖精に、ヴェンツェルは渋い顔をしたが、じろりと睨んだドリーに負けたのか口元を引き結んだ。
「………………で、どのような話し合いだったんだ?」
兄の窮地を救わんとしたのか、こほんと咳をしたエーダリアがそう仕切り直し、リーエンベルクでの報告会が始まった。
「じゃあ、交渉の結果も説明しないといけないから、私から話すよ。ディノ、足りないところがあったら補足してくれるかい?」
「そうしよう」
ディノは、先程からネアが掴んでくれている三つ編みをうっとりと見ていた。
ネアがニケ王子を好きではないと言ったことでほっとしたようで、それは或いは二人の会話の秘密にかかわるものなのかもしれない。
目が合うと嬉しそうに目元を染めるので、ネアは多大なるプレッシャーをかけられて三つ編みを手放せなくなっていた。
「まずは、第一王子の婚姻からの話だね。この辺りはウィームにも情報が下りてきていたし、こちらにも独自の情報源はある。第一王子の正妃は従姉妹のハーフェ姫だ。正妃の座を巡って争い、破れたのがノイファシャル将軍のところの長女だったね」
そんなダリルの説明に、ヴェンツェルが頷いた。
「内々にではあるが、その姫はヴェルクレアにも見合いの話が来てきたことがある。お前を指名していたので、丁重に突き返しておいたぞ」
「………私に、カルウィから?」
ヴェンツェルの言葉にぎくりとしたように顔を上げたエーダリアに、ぴしりと音を立てるのが聞こえたように動きを止めたのが、ノアとヒルドだ。
「あの一族は、半月刀の扱いと呪殺などの魔術に長けていた、カルウィの古い血筋の一つだ。ニケによると、自我が強く残忍で享楽的。魔術師達は皆自分達と同じような生き物だと信じて疑わず、ニケは勝手に理解者かのように振舞われ、辟易したことがあったらしいな」
「……………お断りいただき、有難うございました」
「我が国の王子の中でお前に目をつけたのは、魔術に長けた土地がウィームだったからだろう。ここを足がかりに中央に狙いを定めていたことは想像に難くない」
「おや、その姫は、エーダリア様が王位継承権を放棄したことはご存じなかったのですか?」
「カルウィの王族の定義は血統だ。さしたる問題だとは思っていなかったのだろう」
(何となく、精霊さんのようなイメージ…………)
呪術に長けたその姫は、王子側が御しきれないという理由で第一王子の正妃争いでは破れたが、ニケの花嫁候補であった西方の花とオアシスの街のミドラシア姫の体を妖精の魔術で奪った。
「そこまでは、ヴェンツェルにも連絡が来ていたんだ。ミドラシア姫は伴侶として助けになるような姫ではないが、盃に毒を注ぐような女性でもないと、二人が話していたのを覚えている」
ドリーは、そう呟き痛ましげに顔を曇らせた。
問題の姫君に妖精の魔術で体の内側を食い荒らされ、ミドラシア姫の魂はずたずたに切り裂かれて部屋の片隅に落ちていたそうだ。
体の内側から喰らわれる恐怖は例えようのないもので、その苦痛は計り知れない。
そして、祟りものになることを警戒して今は名前を封じられている将軍家の姫は、ニケの家臣達が花嫁候補としての承認魔術を与えた時だけその体を使い、目的を達した後に空っぽの体は砂漠に打ち捨てて鳥達の餌にしてしまった。
「ニケがその場にいれば、おそらく気付いただろう」
苦々しくそう言ったヴェンツェルに、エーダリアが頷く。
「ああ、偉大な魔術師でもある彼であれば、間違いなく分かった筈だ。…………鳥葬で空の体を葬るのは、高度な乗り換えの魔術の手法であるのだ。であれば、悍ましい手段ではあるが、その将軍家の姫はかなり高位の魔術師だったのだな」
禁術ではあるが正式な手段で葬られたミドラシア姫の異変に気付けたのは、ニケだからこそであるというのがエーダリアの意見だ。
気付けたからこそ、彼はかけられた陰謀の糸を首から外せたのだろう。
「カルウィでは、花嫁候補の処刑は姫が最後になる。斬首された一族の首を円卓に並べ、魔術で自由を奪われた体を操られ、正妃に選ばれた女が渡した毒の盃を飲ませる。手の空いた王族達が観戦に行くらしいぞ。趣味の悪い見世物だな」
そう教えてくれたのはアルテアで、エーダリアとヒルドは露骨に顔を歪めた。
「そんなことをするから性格が歪むのでは………」
「うーん、かもしれないけれど、狡猾で獰猛っていうあっちの民族特有の気質もあるんだよね。そのくらい徹底しないと、いずれ自分達が噛み殺される。因果なもんだなぁ」
「身を守る為に、そうなってしまうのですか?」
「ならざるを得ないっていう部分もあるし、なぜかそうなるしかないっていう因果の魔術も濃いんだ。建国の王がかくあるべきと敷いたことに起因しているから、国家的な魔術のようになってるのかもね」
「辻毒のようなものだな。カルウィの王族は平定を許さずに常に殺し合い、力のある者達が残るような仕組みでこそ成り立っている」
そうして犠牲になった者達は、国の防衛などを強化する生贄にもなるのだという。
アルテアがそう言えば、ふっとヴェンツェルの瞳が揺れた。
彼にとってのニケ王子は、ドリーに出会うよりも早くその心を救ってくれた、幼馴染の大切な友達なのだ。
「…………王族に生まれた以上、その因果からは逃れられないということか」
「だからそいつは、魔物の白を奪ったんだろ」
「………………そういうことなのだな」
「家についた呪いや、悪い予言から逃れる為に使われることがあるね。下手をすると悪食になるし、奪った相手が欠片でも残ってると祟りものになる。燭台の塔を使ったのは上手いやり方だなぁ……………」
カルウィの話を交えて会話を進めれば、エーダリアやヴェンツェル達も知らない事実が魔物達の口から語られた。
その途中でヴェンツェルがなんとも言えない顔になったのでエーダリアが訝しめば、本来、高位の魔物達はこんな風に自らの叡智を語りはしないという。
会話は常に問いかけの流れを用い、一つの真実や一つの教えごとに、相応しい対価が求められる。
知識は、高位者達の力である。
それをこんな風に容易く手に入れられるということが、信じられないのだそうだ。
「……………言われてみれば」
あらためて指摘されて呆然としたエーダリアが、そろりとノアの方を見る。
隣に座った塩の魔物は、そんなエーダリアを見てくすりと笑った。
「じゃあ、僕に対価を支払っちゃう?」
「…………ああ、気付かずに無神経なことをしてしまった。払うべきものなのだろうな」
「エーダリア様、もう充分に払われていますよ。それとも対価として見合わないのであれば、我々も投げる手間など省かせていただいても良いのですが」
「…………あ」
微笑んでそう尋ねたヒルドに、エーダリアは、それが何のことか分かってしまったのか、声を上げてノアを振り返った。
ノアが対価として成り立つのかどうかを問われているのは、恐らくボール投げのことではないだろうか。
「…………え、それを辞められたら、僕死ぬと思う」
「おや、では充分過ぎる対価でしたね」
「エーダリア、ヒルドが酷いんだけど。これさ、もしかして僕が何にも役に立たないと、やって貰えなくなるの?」
悲しげにそう尋ねたノアに、エーダリアは苦笑して首を振り、悲しげな塩の魔物を安心させてやっていた。
こちらのウィームの領主は、執務終わりの銀狐との触れ合いをこよなく楽しみにしているのだ。
「さてと、話を本筋に戻そうか。…………で、その紐付けられた花嫁候補としての承認魔術を、ニケ王子が他の正規の花嫁候補に魔術で振り替えたそうだ。その際に、その将軍家の姫に贄として力を与えてしまう婚前祓いの魔術もそちらに振り替えたらしい」
「ありゃ、粗末な振り替えだなぁ。婚前祓いなんてその王子には何の得にもならないよね?切り分けて捨てれば良かったのに」
「……………婚前祓いで得られた贄を糧にして、足場の魔術を繋いだんだろう?恐らくは婚前祓いそのものも、花嫁という認識の強化に使った筈だ」
呆れ顔のノアに、アルテアは妙に嫌そうな顔をしてそう返す。
そんなアルテアににんまりと微笑みを深くすると、ノアはまず、カップから紅茶を優雅に飲んだ。
「僕なら切り分けられるけど?」
「……………普通の人間には無理だろうな。そちらごと振り替えるしかないだろう」
(つまり、アクス商会から買った妖精の乗り換え魔術を扱うには、その婚前祓いから得られる贄の力が必要だった。…………そして、婚前祓いが発動するということそのものも、その女性が花嫁であるという認識の魔術を強固にしてしまうのだとか……………)
その部分は、確か先ほどの会談でも説明があった。
将軍家の姫は、贄の確保としてだけでなく、婚前祓いというものが行われる状況を利用して、逆説的に更に自身の立場を押し固めようとした。
だから婚前祓いごと剥ぎ取るしかなかったのだが、どうやらノアであればその二つを分離した上で処理出来たようだ。
「でまぁ、その振り替え相手が、蝕に乗じて第一王子派に暗殺されたらしくてね」
「それはそうするだろうな。そちらが結べば、誓約の魔術でその王子は第一王子の配下に下る。第三席の王子を自分の陣営に引き入れたなら、王座は手に入ったも同然だ」
「ニケは、兄王子とその将軍家の姫との双方から狙われたということか……………」
折しも、カルウィは蝕の際に国を守る為に捧げられた生贄の交換の事件が起きており、たいそうな混乱の中にあった。
本来であれば生贄になる筈だった十五番目の王子が、第二席の王子に助けを請い、第一王子派の王子を自分とすり替えた。
その事件によって、実質第四席であった王子が生贄となってしまい、第一王子派はたいそうな痛手を被っている。
最大の片腕を捥がれた形となった第一王子一派は、何としてもニケ王子を自分たちの陣営に取り込まねばと必死だったのだろう。
「そうなると、これから先のカルウィは一席の王子が入れ替わるのだな。継承権に手も届くが、ある意味安全圏だった三席の立場も、安全ではなくなるのだろう…………」
エーダリアがそう呟き、ダリルは頷いた。
「だからあの王子は、振り替え先の花嫁が殺されたと知ってすぐ、その花嫁の振替をネアちゃんに結び付けたんだろうねぇ。あ、ディノが蝕の対策で伴侶相当にしてたから、呪いそのものは排除済みだからね」
ダリルがそう言った直後、ノアの手からスプーンがちゃりんとテーブルに落ちた。
ちょうど、味を変えたくなったのか、紅茶にお砂糖を入れようとしていたところだったのだ。
エーダリアは固まってしまった契約の魔物と、となりでおやおやと氷点下の微笑みを浮かべたヒルドを交互に見て、真っ青になっている。
ネアはそろりと隣の使い魔を覗いてみたが、剣を手にさっくりやる直前のウィリアムのような、非常に危ない気配を漂わせていた。
「…………ニケ王子はいささか、………頭の悪い方のようですね」
「ヒルド……………」
「馬鹿なんだね。消すだけだと勿体無いかなぁ、呪っちゃう?」
「土足でこちらの領域に踏み込んだ以上、それ相応の対価は支払って貰う必要があるな…………」
「ネアちゃん、その三人を宥めておいて」
「なぬ?!」
ネアは、やはり人外者達はテリトリー問題は過敏になるのだなぁと思ってはらはらと様子を窺っていたのだが、話を早く先に進めたいダリルからそちらの沈静化を任されてしまい、へにゃりと眉を下げた。
「ノア、まだ続きがあるので少し落ち着いて下さいね?」
「僕はね、あの人間と僕の領域に手を出してはならないよって誓約をした筈なんだよね。その魔術に触れないように、わざわざアクスを介したのってさぁ、誓約を破る気満々だと思わない?」
「むぐぅ…………。む、…………アルテアさん、取り敢えずその手帳を閉じましょうか。何だかとても不穏な気配がするので、どうかニケ王子に手出ししないで下さいね?」
「こっちは俺の問題だ。お前は口を出すな」
「むぐ……………」
アルテアにもそう言われてしまったネアは、怖々とヒルドの方を見てみた。
「ネア様、愚かな行いをした者には、相応しい贖罪を求めるのは当然のことですよ。このような反応になるのは、少しもおかしなことではありません」
「……………ふぁい」
かくりと項垂れたネアは、手の中の真珠色の三つ編みをにぎにぎした。
本来であればディノを頼りたいところだが、最も大きな不快感を飲み込んでくれた魔物に、そんなことをさせる訳にはいかない。
「…………となると、全員をちびふわにしてしまい、お砂糖を食べさせて、きりんさん模様の檻に入れておくしか………」
「やめろ。いいか、絶対にだ」
「では、ひとまずダリルさんのお話を聞いて下さい。今回のことは、ディノとダリルさんがきちんと各種の保障を得てくれて、和解に至っているのです。場合によってはヴェンツェル様から、道ならぬ恋は諦めて欲しいというお友達の説得が必要にはなると思いますが…………」
「それであれば、私から話をしておこう。国の歌乞いを契約の魔物から奪おうとされては堪らない」
すかさずそう助け舟を出してくれたヴェンツェルだったが、ふるふると首を振ったネアに言われたことは想定外だったに違いない。
「いえ、ニケ王子の片思いの相手はディノなのです」
「………………なん、だと?」
「なので、また今度私の大切なものに爪をかけたら、羞恥の為に殺してくれと懇願するような目に遭わせた上で八つ裂きにするとは脅してあるのですが………」
「ありゃ、ネアが一番過激なんじゃ…………」
「ネアが虐待…………守ってくれようとする…………」
「………………え?シルはなんでご機嫌になったわけ?!」
ネアがとんでもないことを言い出したぞと視線で助けを求めた王子達に、ダリルは、にやりと悪辣で美しい微笑みを浮かべる。
「まぁ、それはネアちゃんなりの防衛策、嫌がらせの一端なんだけどね」
「うむ。エーダリア様の時とは違いましたので、真実の恋ではないことは知っていたのです」
「…………いいか、私も真実の恋などではない。あれはお前の思い込みだ」
「あらあら、男性の方はなぜか、恥ずかしい思い出として過去の恋に蓋をしてしまう方が多いですねぇ…………」
「くっ、なぜ…………」
「馬鹿王子、進行の邪魔だから黙っておいで」
「ダリル…………」
そこでダリルが、恐らくはニケ王子は第一王子派の目論見を挫く上で、国内で再び足をすくわれないよう、あえてその呪いの幕を国外で引こうとしたのだろうと説明した。
「その上で、ウィームとの繋がりを、ひいてはヴェルクレアとの外交の線を、他の王子達に押さえられないように強固にするべく、今回の事件を利用したんだろう。したたかな王子だよ、まったく」
「そうか、積極的にヴェルクレアと親交を深めているとなれば他の王子達に目をつけられかねない。今回のことであれば自国で公にはならない上に、我が国としても弱味を握った王子程に御し易いものはないからな…………。結果として、他の王子達と交渉する利点がなくなる」
「極秘に結ぼうとするなら、損失に見合うだけの利点がある。元々ニケ王子は、対等な交渉が成り立つだけの土産を持ってきたつもりだったようだしね…………」
「ほお、そんな土産があの人間に用意出来たのか?」
手帳はしまってくれたが、そう言って笑ったアルテアの身に纏う空気は相変わらず鋭い。
蔑むような冷ややかな微笑みは怜悧で、とても魔物らしい姿であった。
これは後で、パイを頼んでおかないといけなさそうだ。
「彼は、欠け残りの魂を持つ者だ。その中での古い記憶の一つは、前の世界の万象の伴侶だったというもので、その情報を私に提示しようとしたようだね」
その言葉に部屋はしんとしてしまった。
アルテアとノアは同じ顔で呆然としているし、エーダリアは語られた内容のあまりのことに頭を抱えている。
ヴェンツェルはぐらりと傾きかけ、ドリーにぶつかっていた。
「……………ええと、かなり衝撃的な話だけど、シルは別に構わないのかな?」
「私としても彼はあまり好ましくはないのだけれど、ネアが好きではないみたいだから、もういいかな」
「え、…………そんな理由?」
「ネアは、あの人間から私を守ってくれようとしたんだよ」
「と言うか、シルご機嫌だよね?!」
「ネアがかわいい……………」
ディノは、すっかり三つ編みを持つご主人様に夢中なようで、ネアの手の中の三つ編みを見ると、またしてもきゃっとなってしまう。
「彼があの国の王になるのが、この国としては好ましいのだろう?であれば、それが彼の最大の償いにもなるだろう。あの人間がこの時期に私達に接触を図ったのは、自分が持つ記憶の危うさを理解し、その秘密をこちらに差し出すことで、自身の盾にする意味合いもある。最初の目的としては、振り替えや乗り換えなどの魔術を禁じられることを狙いにしていたようだ」
そう語ったディノに、ネアは目を瞬いた。
どうやらこの魔物は、ニケの目的を正確に見抜いていたらしい。
「…………そういうことか。こちらがその記憶を封じる上では、あの男が体を捨てて逃げ出さないような誓約を課すのが妥当なところだ。それを、誰かに内側から喰らわれない為の防壁にするつもりだったな……………」
「うん。先代の万象の記憶があるということを明かし、今回の騒動の対価として差し出す体で、そのような運びにするつもりだったのだろうね。けれど私はそのことは知っていたし、……………彼がもう一つ確かめようとしたことについても、もう問題はなさそうだ」
ふっと、魔物の瞳がまた微かな不安の気配を帯びる。
ネアがその眼差しの寄る辺なさに手にした三つ編みを引っ張れば、ディノはこちらを向いた。
「……………彼は万象の伴侶が、どういう形でのみ成り立つものなのかを知っている。そういう意味では、…………そうだね、この世界で彼程に君に近しいものはいない。だから君が、…………自分に、繋がるものになるのかどうかを調べにも来たのだろう」
幾度か、ディノはひどく嫌そうにしながらも話してくれた。
これが不安がっていた理由なのだろうかと思えば、ネアはつい先ほどその瞳を覗き込んだばかりのカルウィの王子を思い出した。
(もしまた、あの人が私の大切なものを損なおうとしたならば……………)
それはとても不思議な確信だが、ネアはあの時、あの王子だけは、何としても大事な家族に近づけてはならないと思ったのだった。
「むぐる…………ぐるるる」
「わーお、ネアが凄い不機嫌なんだけど…………」
「かわいい、威嚇してくれているんだね……………」
「なんでシルはご機嫌なのかなぁ……………」
こつりとテーブルが鳴った。
指先でテーブルを叩いたアルテアが、唇の端を持ち上げて艶やかに微笑む。
「つまり、万象の伴侶という括りで結べば、こいつは、その王子と魔術的な両極、足枷になる可能性があったってことだな。繋がりがあることをこちらに示し、警戒を促したつもりでもあるんだろう。……………安心しろ、その繋がりは今夜中に俺が切っておく」
「アルテアだけだと心配だから、僕も切っておくよ」
お互いにそう言って静かに睨み合った魔物達を見ていたネアは、ふと隣の魔物からの熱い視線を感じて、暫定伴侶相当な魔物を見上げた。
「ディノ……………」
「君は、あの人間は好きではないのだよね?」
「ええ、あの方は好きではありませんよ?」
「………………うん」
もう一度そう言ってやると、魔物は目元を染めて瞳をきらきらさせ、口元をもぞもぞさせる。
今更謎ではあるのだが、嬉しいという思いで心の中をぱんぱんにしていそうな姿に、ネアもなんだか微笑ましくなった。
「ディノ、私は、きちんとディノが好きになったからこそ、こうしてディノの婚約者でいるのですからね?…………ぎゃ?!死んだ!!!」
ちゃんと伝わってなかったのかなと思ってそう伝えてみたところ、視線の先のディノは見る間に色を失い、ぼさっと椅子から転げ落ちて儚くなってしまった。
ごろんばすんと床に落ちた婚約者に、慌てたネアが抱き起こそうとしたのだが、残念ながら完全に意識を失っている。
「わーお、またネアがシルを殺したぞ」
「おい、お前は時と場所を選べないのか。厄介なことをしやがって」
「ネア、………その、まだディノに話を聞きたかったのだが……………」
「なぬ、なぜ私が殺人犯風の扱いなのだ、解せぬ」
みんなから、今はまだ殺さなくてもという目で見られてしまい、ネアは目を瞠ってふるふるした。
愛情を伝えただけで死んでしまう魔物が特別に繊細過ぎるのであって、決してネアが無差別に殺している訳ではないのだ。
(と言うか……………初期の頃の死にやすさに戻ってしまったけれど、…………婚約期間の残りで元に戻るのかしら…………?)
報告会はまだまだ続くようだ。
しかしネアは、そんなそこはかとない将来への不安を抱え、大事な魔物の頭を膝の上に乗せたまま途方に暮れていた。