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冬入りの羽とお祝いのターバン




空の季節を経て、ウィームはゆっくりと冬の気配を強めていた。

蝕の隔たりを越えてクロウウィンも終わり、漸く遅れていた季節の運行が始まったのだ。


それは星座盤をかちりかちりと回し進めるようなもので、この世界の場合は時折その運行がぎぎぎっと止まったりもする。

とは言え変わりゆく季節の温度を肌に感じ、街のあちこちに見え始めた、ウィームを最も華やかにする冬の祝祭の始まりの色を眺めれば、胸の奥がシュプリの泡のように浮足立つところもあった。



大通り沿いの店には温かい葡萄酒の看板が掲げられ、子供用の温めてスパイスを入れた葡萄ジュースを飲む親子がいる。


レーズンと蜂蜜をたっぷり練り込んだトゥルデルニークを焼いたものの香りに、街角の小さな屋台では焼き林檎や焼き栗などが引き続き売られている。

ネアの大好きな揚げた無花果のお菓子の屋台も見えたが、昨日の内に購入済であると偉大な人間は胸を張った。


「ディノ、あの店で売っているのは星の欠片なのですね」

「蝕の後に落ちていることが多いんだ。蝕で死んでしまったものだから内側は空っぽだけれど、綺麗な水で洗って中に祝福魔術を詰め込めば、あのように光るそうだよ」



ディノは、死んだ筈の星のかけらが光っているのが不思議で、どういうものなのかをギードに教えて貰ったことがあるらしい。


きらきらしゃわりと光るその飾りは、人々の工夫が万象の目を惹いた一品なのだ。



「星の輝きとは違いますが、ふんわりした明かりが何だかほっこりしますね」

「買ってあげようか?」

「…………むむ。実は、アルテアさんのくれる筈のお家に、いつか自分だけの飾り木を買い揃えようという野望はあるのですが、とは言え今後もリーエンベルクに住んで、そちらを別荘にするのであれば、無駄な飾りにはしたくありませんし悩ましいですね……………」

「そんな風に困ってしまうのであれば、何でも買ってあげるのに」

「ふふ、そんな優しい魔物がいるからこそ、欲しいものは厳選しなければなりません。私達には、ディノの宝物部屋や、私のお気に入りの薔薇の祝祭で貰った薔薇の部屋もあるでしょう?」

「……………包み紙は捨てないかな…………」



どこか頑固にそう呟いた魔物に、ネアは唇の端を持ち上げた。


実は昨晩、ディノが、今迄に食べたお菓子の包み紙のほとんどを未だに隠し持っていることが判明し、捨てるようにと言いつけた筈のネアが呆然とする事件があった。


勿論、旅の記念品をスクラップするのは構わないのだ。


どこまでもどこまでも、共に過ごせる程の潤沢な時間はなく、いつか残される魔物がページをめくって過去に触れられるものがあるのは素敵なことだと思う。


しかし、小さな売店で買ったキャラメルの包み紙や、ほとんどただの紙袋でしかないキャラメル林檎の袋などは、残しておいても何だかなぁという品々である。


お菓子の油染みがあるようなものや、べたべたした汚れがあったりもするので、そんなものまで変質しないように状態保存をかけて残しておく必要はないと思い、ネアは幾つかの魔物の蒐集品を、念の為に他の魔物の意見も聞いたうえで容赦なく捨てたばかりであった。


(もし、種族的にそういうものを好むのであれば可哀想だったけれど、ノアとゼノに聞いたところ、ただの捨てられない魔物だと判明して良かった……………)



ネア自身も溜め込む方なのだ。


旅先で買った美味しい紅茶の缶が可愛くて、何だかんだと理由をつけてとっておいたりもしてしまう。

だからこそ、ある程度の線引きをつけないと二人でゴミ屋敷に住むようになってしまうので、今後も見回りは徹底していこうと思う次第である。



「包み紙は、せっかくなので綺麗なものだけを残しましょう?そうすれば、残しておけるものがたくさんになりますからね」

「……………虐待する」

「困りましたねぇ。むむ!…………ディノ、 トゥルデルニークを半分こして食べませんか?」

「半分に、…………する」

「焼き立てのさくさくほわほわで、きっと美味しいですよ!私は、蜂蜜と葡萄とのものか、お砂糖とシナモンとチーズのものが気になります。甘いものと、甘しょっぱいものと、ディノはどちらが好きでしょう?」

「……………蜂蜜と葡萄かな…………」

「では、それを買いましょう。ひと巻きで真ん中から半分か、ふた巻きで横に千切るかどちらがいいですか?」

「横に千切る方でいいかい………?」




包み紙を守りたいという悲しげな様子からじわじわと気持ちが持ち上がり、嬉しそうにそう言った魔物に、ネアは微笑んで頷いた。



このお菓子は、木の棒に巻き付けた甘いパンのようなものを焼いただけの素朴な食べ物だ。

生地そのものにもレーズンや蜂蜜が練り込まれた贅沢なものと、シンプルなパン生地だけを焼いたものに、お砂糖やシナモンを振って最後にじゅわっと香ばしく火で炙るものがあり、今回ネア達が挑むのは贅沢なものの方だった。


焼き上がったものを木の棒から外してくれるのだが、パン生地を棒に巻き付けてゆくものなので、ひと巻きふた巻きという単位で計り、円筒状のものを切り分けて売ってくれる。



ディノは素朴な食べ物がとにかく好きで、とんでもなく長く生きたこの魔物は、好きなものを食べられるということに喜びを見出したばかり。


特に喜ぶのが、自分の好きなものがご主人様経由で齎されることで、一緒に食べようというお誘いがあったり、手作りで振舞われると口元を嬉しそうにもぞもぞさせるのだ。



こんなお菓子はネアが買ってあげることが多く、ネアの負担にならない程度のものであればディノも喜んで受け取ってくれる。

統計の結果、食べ物系の屋台の買い物とチケット売り場はまだ怖いらしく、そこはご主人様に先陣を切って店主と向き合って欲しいようだ。

そのような買い物に躊躇いがないどころか、交渉までやってのけるゼノーシュを、とても尊敬しているらしい。




「むふぅ。何よりも美味しい焼き立てのさくさくふわふわです」



食べ歩き用に紙に包んで貰い、あつあつを齧りながら寒いウィームの街を歩く。



美しい街には、あちこちに人ならざる者達がいて、向かいの通りではお散歩中のご婦人の使い魔が、焼き林檎欲しさに歩道に仰向けに寝そべってストライキを起こしていた。


あぐっと トゥルデルニークを齧ると、表面のレーズンが紙包みの中に落ちてしまったりもするのだが、それもまた食べ歩きの醍醐味である。


ネアのように勇ましく齧る派と、ディノのように指で千切って食べる派に分かれるようで、以前に話して貰ったところによると、エーダリアはガレンでの生活で、齧る食べ方を会得したのだとか。


勿論、ネアとて魔物のように汚れない素晴らしい指があれば優雅に千切って食べるのだが、残念ながら可動域の低さから指先は都度おしぼりで拭わなければいけない。



(断じて、気が急くあまりに淑女らしからぬ行いで齧ってしまう訳ではない…………)



そんな事を自分に言い聞かせて頷いていると、ギャワンとストライキ中の犬めいた生き物が一声鳴いた。

プードルのようなもわもわくりくりの毛をしているが、なかなかに頑固者のようだ。



「ディノ、あの獣さんは、どんな生き物なのですか?犬さんのようにも見えますが、尻尾が独特な感じに見えます」

「あれは、霧竜の亜種だよ。ほら、前足に竜のような鱗が見えるだろう?」

「とろふわ竜の亜種……………?」

「浮気…………………?」



ディノはぴくりと警戒の表情を浮かべたが、ネアの表情を見てそうでもないようだぞと安心したようだ。



「…………とろふわ竜のようなむっちり艶々した毛ではないのですね。でも、あの形状の尻尾は、教えて貰って見てみれば確かに竜さん風です!もふもふ毛皮で覆われているので分りませんでした…………」



お腹を見せて仰向けに横たわり、歩道の上でここから決して動かないという断固たる姿勢を見せているその使い魔は、仁王立ちになって自分を見下ろしたご婦人のことは怖いのかもしれない。

ぶるぶる震えてはいるものの、それでも負ける訳にはいかない戦いがそこにあるのだろう。


やがて、根負けしたのかご婦人は焼き林檎を買ってあげたようだ。

喜びのあまりびょいんと垂直飛びした獣を、困ったような愛おしそうな目で見ている。


そんな霧竜の亜種な使い魔は、近くを歩いていた妖精の青年に、通りを挟んで見ていても分るようなジェスチャーで食い意地が張っていることをからかわれていたが、つんとそっぽを向いて買って貰った焼き林檎を美味しそうに食べていた。



(ふふ、きっとあのご婦人は竜の使い魔さんが大好きなのだわ…………)



どこか、銀狐を甘やかし、時に厳しく叱る時のヒルドに似ていて、ネアは見知らぬ人々の幸せそうな姿が愛おしくて嬉しくなる。



この世界には素敵なところがたくさんあるのだろうし、ネアが知らない土地もまだまだあるだろう。

でもやはり、ネアはウィームが世界一であると、この美しい街にすっかり蕩かされてしまっているのだ。



「ディノ、そう言えば今年は、ウィリアムさんな竜さんに会えませんでしたね………………」

「会いたいのなら、ノアベルトに相談してみるかい?霧竜にする為の術符は念の為に作ってあると話していたよ。……………ただ、今は少し忙しいのではないかな…………」

「狐さんは、あの時のウィリアムさんが大好きでしたものね。毛皮そのものへの執着かなと雪豹アルテアを貸し出そうとしてみたのですが、ウィリアムさんな竜さんがいいようで、欲しがりませんでしたし…………」

「ウィリアムがいいのかな………………」




(ウィリアムさんは、今はどんな戦場にいるのだろう…………)



蝕で様々な被害は出たが、ヴェルクレアの国家としての損失は想定内で済んだと聞いている。



甚大な被害が出たのは旧ガゼットの小さな新興国と、そこから砂漠地帯に進んだ先の古くからある老獪な共和国、海沿いの幾つかの中規模の国々と、カルウィの北西部。


海竜の戦のあった海や、ランシーンに近い島国でも一部で深刻な被害が出ている。



(アルテアさんとディノが話していたことが気になるけれど、……………シェダーさんは大丈夫かしら?)



特定の土地や集落に根付くということは、一種の鎖であるだろう。


だからこそウィームを住まいとしたディノや、初めて使い魔になったアルテアは、それまでにはなかったような失態にも見舞われているし、派生してからずっと自分の書庫を守り続けているダリルは調整に長けている。


カルウィという国がシェダーの足枷にならないといいのだがと考え、ネアはその怖さを押し隠した。



(大切なものが増えて、私は随分と強欲になったわ……………)



この世界が、前の世界で万策尽きた惨めな人間の、黄泉路の前の最後のコップの水だった頃は、怖いものはいつでもぽいっと投げ出して、憧れの死と寄り添う事が出来た。



欲しいと願うのは喉を潤す程度の刹那的な幸福ばかりであったし、それは懐にしまって守れるような確かなものではなく、満足すればいつでも立ち上がってどこかに行けたのだ。



「ネア……………疲れたかい?」

「いえ、心配させてしまってごめんなさい。何だかとてもウィームらしい一日で、その幸福感を、こう、すはーと全身で吸い込んでいました」

「……………かわいい」



ぽそりとそう呟き、けれどもいつもの幼気な眼差しではない魔物らしい満足げな目で、ディノは艶やかな微笑みを深めた。


そろりと伸ばされた手が頬に触れれば、かつては持ち上げられると大暴れした婚約者を、いつの間にか馴染んだ仕草でそっと撫でる。



「ディノ、噴水公園に寄ってもいいですか?」

「うん。どこにでも行くよ」

「今日の午後は、リノアールのお店で品物を引き取るだけなので、まだ予定を詰め込めますから、ディノが行きたいところがあれば申請して下さいね」

「ネアが行くところかな」

「ふむ。自主性の育たない分野を見付けました。以前から話しているように、ディノにだって自分の時間は必要でしょう?私はお留守番も出来る大人の女なのですよ」

「……………虐待する」

「例えば、独身の内にお友達と羽目を外して乱痴気騒ぎをしたり……………」

「乱痴気騒ぎ…………」



ネアは独身男性がよく婚約期間の終了間際にやるパーティを想像して提案したのだが、ディノはあまりぴんと来なかったのか、ふるふると首を横に振った。

そして、どこか暗い魔物らしい酷薄な瞳で、街中の書店に貼られた一枚のポスターを一瞥する。



「……………虐待」

「むむぅ。確かに塩の魔物の転落物語の短編集が出ますが、一冊ぽっちの読書でディノを放ったらかしにはしませんよ?」

「そうなのかい…………?」

「ええ、せいぜい読み直しと噛み締めの時間も含めれば、三時間程…」

「本なんて……………なくなれば」

「こらっ!とうとう、全ての書籍を呪おうとし始めましたね………」

「ご主人様……………」



食べ歩きのおやつがなくなった二人は、そのまま少し歩くと、リノアールへの道中にある噴水広場に立ち寄った。



この広場には地下から湧き出す綺麗な泉があって、ちょろちょろと流れ出る水は時折水の結晶石になって転がり落ちる程に魔術の純度が高い。

ウィームで思いがけない水の祝福石を拾えるかもしれないと、観光客にも人気の広場だ。


ネアはそこでハンカチを濡らして指先を綺麗にすると、冷たい水できりりと冷えた指先が何だか特別なものに思えた。

そんな公園沿いの歩道では、焼き栗の屋台が出ているので、またあの妖精がいるのだろうか。



「ディノ、そう言えばあの焼き栗落ち葉な妖精さんは、素敵な祝福を持っていたようですよ」

「私と君が貰ったものは、良い祝福だったようだね。エーダリアが、敷かれた魔術で損なわれたものを再生する祝福だと教えてくれたよ。轢かれている落ち葉から派生したからかもしれないね」

「そう思えば、なかなかに激しい祝福ですよね。…………対価を伴う祝福なので、あの妖精さんはシェダーさんの系譜のご新規さんになるのでしょう?」

「そうなるだろう。良きもので良かった」



焼き栗落ち葉の妖精は、敷かれた魔術に損なわれたものを再生する時に、その損なう魔術を齎した者から対価を奪う。


そう聞けばとんでもなく便利な祝福に思えるのだが、焼き栗落ち葉の妖精そのものがまだ新しい生き物なので、魔術階位はさして高くないのだ。

使う際には慎重に対価と願いを吟味しなければ、うまく成り立たないまませっかくの祝福が壊れてしまう。


加えて、祝福目当てに栗の皮を与えても、彼らは祝福を授けてはくれないそうだ。

エーダリア曰く、そもそもは屋台に轢かれるという悲劇から派生した妖精であるので、その辺りの選別には手厳しいのだろうと教えて貰った。




「さて。…………リノアールに行きましょうか」

「爪先は踏まなくていいのかい?」

「そうですね、結構です」

「ご主人様……………」

「注文していたターバン用の布が、素敵な仕上がりだといいのですが。わくわくしてきましたね」

「ずるい……………」


ネアがそうはしゃげば、魔物は少しだけ複雑そうな顔をした。



実は今日は、夏の終わりに注文しておいた、ヨシュアの伴侶だったポコのぬいぐるみのお誕生日祝いの品を、リノアールにある生地の専門店に引き取りにゆくのだ。


そこは主に織物などを取り扱う店であるが、幾つかの図形を組み合わせたオリジナルの染色や絵付けもしてくれる。

なのでネア達はそのお店に、ヨシュアの奥さんのポコの絵柄が複雑な織柄に隠れたターバンの布をお願いしておいたのだ。



(外出用のターバンは特別なものだけれど、お城でも適当な布を巻いているってイーザさんが教えてくれたから…………)



滑らかで艶やかな銀灰色の布は最高級のものだ。

かなり高価なものでもあるのだが、ヨシュアは何かとウィームの為に天候調整で頑張ってくれている気配があるので、ここは良いものをと奮発している。

贈り物の祝福が向かう先が、ぬいぐるみでもあるので魔物達も渋々納得したようだ。


実は今年のお祝いは身内だけのものになるようで、ネアや新しく招待される筈だったエーダリアは、後日の食事会でのお祝いとなる予定である。

日程の変更には、ヨシュアの大事な友人である霧雨のシーのルイザの恋人問題が絡んでいるそうで、初めてお付き合いをしていますの紹介を正式に受けるヨシュアは、元々二人の仲を知っていたくせに今更かなり動揺しているらしい。

イーザは二人の関係を祝福しているそうで、賛成派の霧雨の家族達がルイザの恋人を囲んだ状態で、ヨシュアのお城でポコのぬいぐるみの誕生会をするのだ。



「……………エーダリア様が嬉しそうでした。オズヴァルト様は、とても変わったそうですよ」



ネアはそう呟き、出会った時には誰かを愛したいのに愛せないというもどかしさを抱え、苦しみ悩んでいたヴェルクレアの第三王子を思う。


あのラエタの影絵での出会いでヨシュアとの縁を持ち、それがきっかけで出会ったルイザに恋をした彼は、様々な困難を乗り越えて漸く二人が恋人同士だと公に出来るまでになった。


最大の難関はオズヴァルトの代理妖精だったらしく、大切な主人が見ず知らずの妖精に恋をしたと知り、王都でも美しい妖精の騎士として有名なその男性は、同族は嫌だと荒れ狂ったらしい。


とは言え、そちらの妖精もあまり感情を表に出すような人ではなかったそうで、オズヴァルトはそんな代理妖精の反乱も嬉しかったのだとか。

結局、その妖精の騎士は、ルイザとすっかり友人になってしまった自身の伴侶に宥められて、渋々王子の恋を認めたのだそうだ。

しかしながら、この前は出会い頭に言い合いになり、結局ルイザに拳で鎮められたという。


なお、オズヴァルトに恋をしているモスモスは、まだただ付き合っているだけなので将来はどうなるか分らないと、賢人のようなコメントを出して二人の仲を冷静に見守っている。



「……………そうだね。きっと、そのような者を得れば変わるのだろう」


そう呟き、ディノはネアの手の中にそっと真珠色の三つ編みを握らせてくる。


「………………この場合は、やはり手を握ってくれるべきなのでは?」

「ネア、……………ええと、そういうことはもっと後からにしよう」

「とても恥じらっていますが、そもそも我々の婚約期間もあと残り僅かでしょう?」



その問いかけに目元を染めて恥じらいながら、ディノはふっと捉えようのない不思議な目をした。

期待や喜びに満ちている中の一抹の懸念にも見えるその表情に、ネアはおやっと首を傾げる。

てっきり望まれたその日のままに楽しみにしてくれているのかなとも思ったが、やはり、他の可能性が閉ざされて関係性が変わることに対しての不安などもあるのだろうか。



魔物が伴侶に選ぶのは、生涯で一人だけである。

仕切り直しが効く他の種族に比べ、そのたった一度の重さはどれ程のものだろう。



「ディノ、……………もし、伴侶にする程でもなかったと思っているのなら…」

「ネアが虐待する……………」

「でも、少しだけ不安そうな目をしていたので、それが心配なのです。魔物さんと人間では身に流れる時間の感覚が違うのですから、急激に色々なことが変わってゆくのは、少し不安なのではありませんか?急がずとも側にいることは変わりませんから、不安な中で無理だけはしないで下さいね?」


余計に怖がらせてもいけないので、ネアは頑なな目をしてこちらを傷付いたように見た魔物を、慌てて宥めてやった。

すると、婚約者は逃げないらしいと分かったのか、ディノは水紺色の瞳をふっと緩めた。



「君を伴侶にするという意志は変わらないよ。………………でも、」

「でも、…………?」

「ネアが伴侶になると、婚約者のネアはどこにいくのだろう?」

「………………ほわ、哲学の道に踏み込んでいましたね。………その場合は、かつて婚約者だった伴侶の私になるのではないでしょうか?」

「だったということは、…………いなくなるんだね……………」

「そればかりは更新制なので、ご了承いただくしかありませんね」

「………………婚約者のネアがいなくなる……………」



ぺそりと項垂れて婚約期間を惜しむ魔物に、ネアはふと、この魔物は自分を呼び落とすまでに練り直しをするのが勿体ないと、随分長い時間動けずにいたことを思い出した。

先程までのお菓子の包み紙の話といい、何でも取っておきたいタイプの魔物であるらしい。



「……………婚約期間をもう少し延ばしてみますか?」

「延ばさない……………」


ふるふると首を振り、ディノはもさりとネアの羽織ものになった。


「……………伴侶にすることで、君の守護も頑強になる。この世界に様々な理がある以上、それであっても全てが万全ということはないだろう。でも、…………君を失うようなことだけは……………」


静かな声に籠った熱に、ネアはダーダムウェルのあわいで、この魔物は大事な友人を失いかけたばかりなのだと考えた。


(であれば、守る為の手を外すことを怖がるのは仕方ないかな…………)



伴侶になることがどれだけの安全さなのかは分らないが、ノアやエーダリアから、一定の魔術の紐付きが生まれるとは聞いている。

そんな風に紐付いてしまうが故に、指輪の定着が思うように進んでおらず受け止めきれないと、人間の体など容易く崩壊してしまうということも。



そうして命を落としたのが、かつての鹿角の聖女の愛した人だったらしい。



(その人達は、急がねばいけない理由もあったそうだから…………。ディノは指輪に関しては随分時間をかけているみたいだから、大丈夫そうだけれど…………)



鹿角の聖女は、周囲に彼女を慕う人々が集まり過ぎたことで、たかが弟子の人間を伴侶にするだなんてという批判に晒され、愛する人と引き離されそうになっていたそうだ。

それ故に恋人達は、誰にも引き裂かれない伴侶になろうと先を急いでしまった。

本人達は入念に準備をしたつもりであったというが、何かが少し足りなかったのである。



(そして、どれだけ二人の関係が上手くいったとしても、包丁の魔物さんのように、伴侶の寿命を延ばしきれずに老衰とはいえ喪ってしまい、それが原因で崩壊した魔物もいる…………)



ディノに、若干間違っているんじゃないかと思わないでもないが、恋のあれこれを教えてくれた包丁の魔物は、包丁という短くはなくともいずれは消耗品としてその寿命を終える道具を司る魔物であるが故に、その魔術に永続性を持たなかった。

あまりにも伴侶を愛し過ぎていた彼は、その喪失に耐え切れずに代替わりしたらしい。


新代の包丁の魔物もまた、人間をこよなく愛する魔物であるのだとか。



つまりのところ、伴侶になれば順風満帆とは言えないのはネア達も同じ。

だからこそネアは、この大事な魔物の気が済むように、丁寧に心を整えてやりたかった。




「色々な形がありますから、既成の概念に囚われず私達なりの形を考えましょう?……………その、伴侶になるというのは、形ばかりの宣言では成り立たないのですよね?具体的にはどうするのでしょうか?」



であれば、ほとんど伴侶だけど入籍はまだです的な、擬似婚約者期間を設けるという手もあるのではないだろうか。



そう思って尋ねてみたネアだったが、次の瞬間、恐ろしい事件が起きた。


ぼさっと音がして、そろそろ伴侶が近くなった筈の魔物が昏倒してしまったのである。



「……………………滅びました。……………これで果たして耐えられるのか、将来が不安でなりません……………」



遠い目をして空を仰いだネアに、たまたま近くを歩いていたらしい青年が駆け寄ってきて、紳士にも手を貸してくれた。


ネアは恐縮したが、擬態をしていたリドワーンだったようで、一緒にいたベージもお店から出てくるなり駆けつけてくれたので、ほっとして意識不明の魔物をどこか横になれる場所に運ぶのに手を借りることにした。



ひらりと、空の向こうにきらきら光る羽根が落ちてゆくのが見えたような気がする。

冬入りの羽は、クロウウィンの翌日にリーエンベルクにも降ったばかりだが、その名残りだったのかもしれない。



美しい翼を広げて空を飛んでゆく雪竜が、ウィームの空に見えたような気がした。












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