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336. 無理をしても分け合うものです(本編)




クロウウィンの夜は、ゆっくりと帳を下ろす。



夜闇が死者達の道を広げ、昨年も見た不思議でおかしな生き物達がそこかしこに姿を見せ始めた。



亡霊のように空を飛び交うのは、無念を抱えたキャラメル林檎の包み紙の精で、包み紙を無残に捨てる世界に対しての報復のようにぎゅんぎゅんと空を舞っていた。


ずしんと音がしてそちらを見れば、大きな体の黒い影が夜空に微かな輪郭を見せる。



魔術の火を燃やした林檎のランタンに、オレンジ色の祝福の結晶石がイルミネーションのように煌めき、街は、月光を落す天頂を除いてはひそやかな霧に包まれていた。


麦穂のリースは祝祭の魔術を帯びて柔らかな金色の粒子を振りまき、その光が浮かび上がらせた薔薇の花が麗しい。



クロウウィンの夜なのだ。


ネアはその為にこのドレスを着るのを楽しみにしていたし、今年のクロウウィンの為のドレスを注文してわくわくしていたのは、ネアの大事な婚約者である。



「よって、熱が出るまでは帰りません!」

「お前な、いい加減にしろよ…………」

「ディノと一緒にケーキを食べますし、もう少しここで不思議な迷路のような美術館を探索すると決めたのですから、怖い顔をしても平気ですよ?」



ネアがそうふんすと胸を張れば、隣に腰掛けたウィリアムが苦笑するのが分かった。



「アルテア。診たところまだ発症してませんし、工房中毒はこの土地ではもう治る病ですよ。なんなら、薬も俺が作ります」



実は、諸々不安定なあわいを出て終焉の資質の強まるこちら側に戻ったところで、ウィリアムが病の影を診てくれた。

勿論ウィリアムも、状態によってはすぐにでも帰らせるつもりだったようだが、思っていたよりも状態は良く、これならば大丈夫だと保証してくれた。



「お前は去年、調薬で部屋を半壊させたのを忘れたのか?薬は俺が作るから手を出すな」

「であれば、余計に問題ないのでは?俺が作るとなると少し時間がかかるかとも思ったんですが、アルテアは最近その調薬をしたばかりですよね?……………それに、ネアもやっと楽しみにしていたクロウウィンを堪能出来るんですから、少しくらいは楽しませてやらないと」




現在、ご主人様に大事にされて目元を染める魔物は、すぐにネアに誑かされてしまうのでと中立の立場にあり、ウィリアムはネアの味方で、アルテアは早く家に帰って寝るべきだと主張する怖いお母さんになっていた。



死に至る病はウィリアムの領域である。

なので今回はウィリアムが調べてくれたのだが、幸いにも、工房中毒はまだ発症に至る毒素を育てていないという事が分かった。

であれば事前に処置出来ればいいのだが、そういう訳にはいかないからこそ、かつては不治の病だったのだとか。


一度吸い込んだ魔術の粉塵は人間には排出が難しく、体の内側で悪変して発症するまでには、今回のネアのように時間がかかることが多い。


可動域の低い者が原因となるような環境に身を置くこと自体が稀なので、本来は抵抗力の高い魔術師達が、長い時間をかけて蝕まれる疾患である。


寧ろ、以前の発症のように密閉されていた魔術が短時間で毒性を強める事例の方が、圧倒的に少ない症例なのだそうだ。



ほこほこ湯気を立てるカップを前に話し合いをしていたところ、窓の向こうがぺかりと光った。



「ディノ、あの木はなぜふんわりと橙色に光っているのですか?」

「おや、珍しいものだね。死者が己の棺になった木、もしくはその木の身内に触れるとあのように光ると言われている。あの木はどこも損なわれていなようだから、兄弟のどれかが加工されて棺になったのだと思うよ」

「…………こうして見ていると、どこか胸が苦しくなるような、不思議で温かい光の色ですね…………」




ゆらゆらと光り、その木はやがてただの木に戻った。


ネア達のいる美術館の三階からは、その木に触れていた人が誰なのかまでは見通せなかったが、周囲の人々も美しく光りまたたいた木を窓から見ていたようだ。




「あ、…………ウィリアムさん、墓犬さんです!」

「…………ああ、そろそろ上がってきたみたいだな。ネアのお陰で、今年からは美術館にも自分達で入れるようになって、真っ先にここに来たんだろう。ネアが知っているあの墓犬は、交代制で今年は死者の国で留守番なんだが、去年のクロウウィンがどれだけ楽しかったのかを仲間達に自慢していたそうだ」



ネアが死者の国でお世話になった墓犬に再会出来るのは、来年のクロウウィンになる。

地上に出られない死者達がいる以上、墓犬達も全てが遊びに出てしまう訳にはいかない。



ネアの仲良しの墓犬は、今年は死者の国でネアの贈ったポストカードを見て過ごすのだそうだ。


それを聞いて、あの時お土産を買っておいて良かったとネアは思う。

今年会えないのは少し寂しいが、また来年に会えるのが楽しみだった。




「そう言えば、額縁さんはどこかにぽいされたのですか?」



ふと、気になってそう尋ねてみた。

アルテアがどこかにやっているのは見たのだが、それまでのやり取りを聞いていて、エドワードは、それなりに高位であり器用なのだろうなと思ったのだ。


アルテアを以ってして、ディノのことをとても好きだというくらいなのだから、意識が戻ればまたどこからか現れそうな気がした。



「…………余分を増やすなと言った筈だぞ?」

「いえ、エドワードさんにはこれっぽっちも興味はないのですが、パンの魔物よりも劣ると思っている私のところにディノがいたのですから、あの方は気にするかもしれないと思いまして…………」

「ネアは、パンの魔物より可愛い……………」



その言葉に微かに荒ぶった魔物が、慌ててネアを抱き締める。


ご主人様としては是非にパンの魔物と同じ土俵に上げないで欲しかったが、こうしてあらためてパンの魔物より素敵だと言って貰えると少しだけ安堵した。


あの謎の生き物に負けてしまったことが、思ったより堪えていたようだ。



「他国に捨てておいたが、あいつは頑丈だからな。また来たら俺を呼べ」

「また来てしまいそう…………、なのですね?」

「エドワードは、シルハーンに心酔はしているが、優先順位で言えば自分の趣味に傾く。そちらに視線が向けばいいんだが…………。会ったら俺も叱っておくから、ネアは我慢出来なかったらきりんを使っていいぞ」

「…………額縁さんの存亡の危機を感じました……………」




四人が現在いるのは、ウィーム美術館の三階にある小さなカフェだ。


一通り企画展示を見て回り、もう一度お気に入りのところを通ってさて外に出るかというところだったのだが、アルテアがしつこく一度休むように言うので、ここでお茶をしている。


ここは、美術館のエントランス中央の吹き抜けに面していて、中央の階段の立派な装飾と、それを囲む壁画が楽しめるカフェなのだが、ネアは、入ること自体初めてだった。


この美術館は建物もとても壮麗なので、こうして実用的な作品の一つである窓を鑑賞しながら、クロウウィンの街並みを見下ろす時間は思っていたよりずっと素敵でうっとりする。



街の様子もいつもとは違うが、今日は全員が漆黒の装いである魔物達は、なんてこの景色に似合うのだろう。



アルテアとしては、ここでもう予定を切り上げさせたかったらしいが、墓犬達の為に一足早い飾り木を出してくれたリノアールの方まで歩き、屋台や祝祭の装飾などを冷やかしながら、クロウウィンの特別ケーキプレートを出しているお店に行くまでが、ネアの計画である。



(屋台のひとつに、クロウウィン限定の祝福を織り上げた飾り紐やリボンのお店があると教えて貰ったから、そこは外せない…………)



怖いことが起きてもいつものように日常を楽しめるのだと、大事な魔物に教えてあげる為にも、そこでディノに記念のリボンを買ってやり、出来ればダーダムウェルのあわいから今日のあわいまでとお世話になりっぱなしのウィリアムとアルテアにも、限定のケーキプレートをご馳走したい。



限定のプレートは、甘党用のクリームチーズとお酒の風味のさくらんぼのケーキのものと、辛党用の、ドライフルーツと塩っぽいおつまみチーズのケーキがあるのだ。


実はこの店では、自家製の森結晶を使った雨だれの音を聞かせて熟成させたお酒が今年の秋からいよいよ販売され始めており、このあたりは魔物達にいいのではと、事前調査済みだった。



(アルテアさんは、最初は参加予定じゃなかったけれど、ノアが今年は絶対心配で来ると思うよと話していたから…………)



だから、ネアとしても、今夜は色々と準備をしてきた大切な夜なのである。



そんなことを考えていたら、すりりっと頬を撫でられて隣に寄り添った魔物を見上げた。

ここで見るディノは、長い真珠色の睫毛の影がどこか謎めいていて、静謐な眼差しには人ならざるものらしい透き通った美貌がある。



どこか背筋がひやりとするような残忍さすら感じさせる美貌なのに、ネアには大事な魔物がしょんぼりしているように見えた。



「……………ディノ?」

「ネア、……………君でなければ、どうしても駄目なんだ」



小さくそう呟いてぐりぐりと頭を擦り付けられ、ネアはこの魔物がかつての恋人の訪れで少しばかり敏感になっているのだなと感じる。



「不安になってしまいましたか………?」

「君は、怖いものを我慢していないだろうか………。他の魔物を探したり、また山に咎竜を狩りに行かないと約束してくれるかい?」

「なぬ。あれは狩りに行ったのではなく、遭遇しただけです…………」

「……………うん。好きなだけ頭突きしても構わないし、何度も巣から引っ張り出して構わないからね」

「…………その行為はやはり、私へのご褒美として認識されているのですね…………」




要するにこの魔物は、かつての恋人の訪れに対処する為に側を離れた婚約者に、ネアが愛想を尽かさないかどうか、心配でならないのだ。


くしゃりと項垂れた魔物を撫でてやり、ディノがやっと落ち着いたところで、ネアはさてとと呟き立ち上がった。


美味しいメランジェは飲みきってしまったし、そろそろ外の屋台を見に行かないと、リボンが売り切れてしまいそうだ。



「……………二時間だ。二時間したら、誰がなんと言おうと引き摺ってでも連れて帰るぞ」



立ち上がったネアが、叱られる前にとさっとウィリアムの影に隠れると、アルテアは腕組みをしてそう宣言した。


不愉快そうに眇めた瞳は照明を落としたこのカフェの薄闇で光るようだが、剣呑な眼差しとは対照的に、言葉の内容はお母さんである。




「……………アルテアさん、心配してくれて有難うございます」



だからネアは、くすりと微笑むとそうお礼を言った。


彼が、ディノやノアが言うように先日のダーダムウェルのあわいの事件で何らかの後悔を抱えているのなら、今日の随分と心配性な発言には、その時の痛みが作用しているのかもしれない。



(けれど、だからこそ私は、普通の一日の時間を少しでも多く分け合いたい。それは例え少しくらいの無理をしてでも。………そうして分け合った穏やかさで、心の中に蓄えた暗さを希釈してゆきたいから…………)



魔物達は、ネアが思うより、そして多くの人間達が思うよりとても繊細な生き物なのだと思う。



だからその心が曇らないように、澄んだ水を注いでおきたいと、我が儘なネアは思うのだ。



ダーダムウェルのあわいの中では、ずっと苦しかった。


大事な仲間達に心痛や不安を与えるのではなく、ネアは、たくさんの素敵なものを分け合って一緒に幸せになりたかったのに。

でもあの出来事で、今迄育ててきたその健やかさが踏み躪られ、すっかり弱ってしまったように感じてならないのだ。




「ディノ、手を繋いで下さい」

「…………ずるい。かわいい」

「ディノと手を繋いでいたら、賑やかな街の中でも一安心です。…………むむ、こちらの手がウィリアムさんということは、ちびふわは肩に乗りますか?」

「やめろ。なんでだよ」

「寂しがり屋で、夜に別のお部屋に隔離した時には扉のところに引っかかって暗い目でこちらを見ていたちびふわなのです。ポケットも空いているので、そこに入っていても…」

「お前は、自分がそこに何を入れてあるのか、忘れたのか?」

「……………む?…………は!ぞうさんボールが!!」



危うくポケットをちびふわのお墓にしてしまうところであったので、ネアは慌てて謝っておいた。


しかし、すっかりやさぐれた使い魔は、エントランスを抜けて墓犬達と挨拶をし、街の中心部に向かう大通りの方に歩いてきても、まだどこか酷薄な表情を崩さずにいた。


仕方ないのでばすんと体当たりしてやると、機嫌は直ったが、今度は婚約者が荒ぶる困った魔物達だ。




夜はいつの間にか冬の闇色を帯びていて、こっくりと深まるその暗さに、あちこちでぼうっと光るリースや、クロウウィンの飾り付けがえもいわれぬ色で街を染めていた。



街のあちこちから、クロウウィンの不思議な音楽が聞こえてくる。

この音楽を聴くとクロウウィンだという感じがして、そんな街を歩くだけでもわくわくした。



「キャラメル林檎の屋台ですよ。このお店のものは美味しかったので、また買っておきましょうね」

「前に買ったものはあるかな…………」

「むむ!お気に入りがあったのなら、今年も試食で見付け出して下さいね」

「試食で…………」



キャラメル林檎のいい匂いに、ネアは屋台の量り売りで何種類かを買ってしまう。


まだしっとりした状態を残す程度に乾燥させた林檎は、酸味の強い林檎と蜜たっぷりの甘い林檎で味が変わってくる。


キャラメルとの組み合わせで何十もの種類があるので、幾つかを白い紙袋に入れて貰い、中身を覗いてくんくんすると、とても幸せな気持ちになった。



「むふん…………。この匂いだけで、クロウウィンという感じもしますね。ディノのお気に入りかもしれない三種も押さえましたので、お部屋に帰ったら分け合いっこで食べ比べしましょうね」

「ご主人様!」

「ウィリアムさんには、この酸味の強い爽やかな味わいの林檎に、甘すぎない香ばしいかりかりキャラメルをかけたものです。お仕事をする時のおやつにして下さい」

「……………いいのか?この前、パイもご馳走して貰ったばかりだろう?」

「ふふ、これは一緒にクロウウィンを過ごせて楽しいですねの印なので、勿論ウィリアムさんの分もあるんですよ。………アルテアさんはこちらですからね」



ネアがそう小さな紙袋を渡せば、アルテアはなぜか驚いたような顔をした。



「……………は?」

「む!私とて、アルテアさんからパイを奪うばかりの人間ではありません。時にはこうして、使い魔さんが森に逃げないようにおやつを与えます」

「……………その例えをやめろ」

「甘めの林檎ですが、キャラメルは少し苦味のある大人の味のようで、試食させて貰ったら美味しかったですよ。…………は!あのお店は!!」

「ご主人様が逃げる…………」




ネアが駆け出そうとしたので、慌てた魔物はすぐさまご主人様を腕の中に閉じ込めた。


決して脱走ではないので、ネアはそんなディノをがしりと掴み、ずるずると引き摺るようにして発見した屋台に向けて歩いてゆく。




青い木製の屋根が可愛らしい小さな出店は、この時期から見かけるようになり、イブメリアの季節に最盛期を迎える。


冬が始まれば、秋口までは見られた布製のテントのお店は数を減らし、市場などの、外からの風雪が避けられるところ以外はこのタイプの屋台になってゆくのだ。




「ディノ、見て下さい!」



ネアに引き摺られてそのお店の前に立った魔物は、自慢げな表情のネアとお店を見比べてから、綺麗な瞳を瞠ると小さく体を震わせた。


ネアの肩を掴んでくるりと振り向かせ、ふんすと胸を張ったネアの瞳を覗き込んだ。



「…………もしかして、私を、ここに連れて来ようとしてくれていたのかい?」

「はい。このリボンは、クロウウィンの祝福の魔術を紡いだものなのですよ。昨年紡いだ糸が今年のリボンになっているので、ディノと初めて訪れたクロウウィンのリボンを買えるなんて、素敵だと思いませんか?」

「……………ネア」

「さぁ、まだどの種類も残っていてほっとしたので、欲しいものを選んで下さいね」



そう言われた魔物はこくりと頷き、五巻きある限定のリボンを、きらきらした水紺色の瞳で見つめた。



艶麗な魔物が憧れの目で品物を見てくれているからか、糸紡ぎの妖精のご店主はどこか誇らしげだ。


先にお店の品物を見ていた家族連れも、こんな生き物が興味を示すならばと、飾りのある髪紐だけではなくリボンも買うことにしたようだ。


同じものがお店の左右に一巻きずつ置いてあるので、飾り麦のリースに使おうと話し合い、淡い金色のものをお買い上げしていた。



飾り麦のリースは、クロウウィンの麦のリースとはまた別のものだ。


麦や収穫に纏わる商売をしている家の倉庫に飾られるもので、所謂、豊穣祈願のお守りである。

クロウウィンから次の年の春までは飾っておけるので、この時期は密かな売れ筋商品であった。


特に、パン屋さんやお菓子屋さんにはよく飾られていて、ゼノーシュのご贔屓のクッキー専門店にも大きな飾り麦のリースが飾られていた。


持てる祝福を出し切ってゆく型のリースなので、外し忘れても問題にはならない、リースの中では取り扱いが簡単なものなのだとか。




「黒と茶色と金色と紺色。あとは赤ですかね………?赤紫かな………」



一緒にお店を覗き込み、ウィリアムが微笑む。


真剣にリボンを選んでいるディノを見られたのが嬉しいのか、唇の端の微笑みは深い。




「…………黒かな」



最近自己主張が出来るようになってきた魔物が選んだのは、クロウウィンの夜から紡いだしっとりとした織りの黒いリボンだ。


これは黒一色だが織り柄があって、秋冬らしい豪奢さにうっとり出来る美しいリボンでもある。



ウィリアムが少し疑問系にした天鵞絨の赤いリボンは、豊穣の色から紡いでいるので、軽やかな赤色ではなく、よく熟した林檎や柘榴のような濃密な深紅に近い。


濃紺のリボンは夕暮れの青さからつるりとしたシルクのような質感で、金色のリボンはしゃりしゃりとした薄いリボン。

そして茶色の落ち葉や木の実から紡いだリボンは、もふもふもくしゃりとした毛皮風のリボンだ。



「俺は赤でいいぞ」

「なぜ買ってもらう気満々なのだ。アルテアさんは、結ぶだけの髪の毛はないではありませんか」



ネアのその言葉に、店主がぎくりとしたように帽子をかぶったアルテアを見たが、毛髪が足りないという意味ではなく、長さが足りないという意味である。




「何で髪に結ぶ前提なんだ」

「…………むむぅ。ちび結びにしては幅がありますものね。…………は!ちびふわですね!!」

「結ばないからな?」

「ちびふわが首に巻くのであれば、白と赤のケーキ的配色を目指して買わざるを得ません!ウィリアムさんは、どの色がいいですか?」

「はは、俺はいいよ。それよりも、ネアはどの色が欲しい?せっかくだから、シルハーンと一緒に使えるようにしたらいいんじゃないかな」

「お揃いになるのかい…………?」



そんなウィリアムの提案にディノが目元を染めてしまったので、ネアはこちらのお礼がまだなのにと恐縮しつつも、ウィリアムから紺色のリボンを買って貰った。



無事にリボンを買い終え、ネア達がわいわいする姿に購買欲がそそられたのか、突然賑わい出したお店を後にする。


振り返ってみればどうも男性客が多いようだが、家族や恋人に買っていってあげるのかもしれない。


この分ではすぐに売り切れてしまいそうなので、買えてよかったなと、ネアは胸を撫で下ろした。




「有難う、ネア。君も何か欲しいものがあったら言っておくれ。何でも買ってあげるよ」

「ディノが喜んでくれて良かったです。………因みに、今ディノが眺めているのは、豊穣を祝うクロウウィンに新調するのがいいと言われている作業用の荷車ですので、私はいらないですからね?」

「……………では、あれはどうだろう?」

「……………等身大の案山子?」

「身代わり人形だな。お前には必要なんじゃないのか?」

「むぐる…………」

「シルハーン、あの人形は意思を持つそうなので、ネアには向かないかもしれませんよ」



店の方を見たウィリアムが、店頭の看板を見て慌ててそう言った。


確かに、よく見れば店名の下の部分に赤い文字で、注意書きがある。



「…………当店の身代わり人形は、祝福が強い為に持ち主によく懐きます………?………その、懐いた人形さんを身代わりにするのも、とても勇気がいるのでは…………」

「ネア、あの人形はやめようか…………」



とても恐ろしいものを提案してしまったと気付いたのか、ディノは慌ててそこからネアを遠ざけると、続けて訪れたリノアールで、ネアがこれぞと選び出したクロウウィン特製の栗の焼き菓子を買ってくれた。



長方形の栗のパウンドケーキ的なもので、内側に有塩のバタークリームが少しだけ入っている。

箱も可愛くクロウウィン仕様なので、ネアは思いがけない出会いを喜び、弾むばかりだ。



「甘さ控えめの栗のケーキに、ちょっぴり塩味のバタークリームだなんて、絶対に美味しいに決まっています!」


夜に美味しい紅茶と合わせていただき、ウィームの夜霧やそろそろ舞い散る雪などを見られたら最高ではないか。



飾り木を見てはしゃぐ墓犬達も見られたしと、買ってもらったケーキの入った紙袋を抱き締めて、ほくほくと笑みを深めたネアを見て、なぜかディノは、ご主人様が可愛いとくしゃくしゃになっている。


また少し抵抗力がなくなっているのかなと考えながら、ネアは最後の目的地である、普段は美味しい珈琲とオリーブや卵、胡桃やサラミなどの入ったお食事風焼き菓子を出しているカフェに入った。




全体的に琥珀色で統一された洒落た内装の店内に入れば、ぷわんと珈琲のいい香りがする。


珈琲と蒸留酒、そしてそれに合うおつまみ風にアレンジしたお菓子がこのお店の売りなのだ。


お店の中は蒸留所を模してあるのだが、こちらの世界の蒸留所には魔術の花が咲いたり、結晶石が育ったりするので、やはりネアには見慣れない美しさである。




「ここは私の奢りですので、みなさん好きなものを頼んで下さいね。今年からお店に出た蒸留酒も、おすすめのようですよ」



誇らしげにそう宣言し、ネアは、時間制限を無事に守りつつ、楽しい時間が過ごせたぞと満足感を噛み締めた。


残り半刻は、ここでのんびりと美味しい時間を過ごそうではないか。

魔物達は突然の奢りに驚いていたが、蝕でのことのお礼をしたいと思っていたと言えば、なぜだか一様に微かなもじもじを見せる。


ディノとウィリアムは素直に嬉しそうにしてくれるが、アルテアについては脳内でちびふわフィルターか、白けものフィルターをかけて見ると本心が分かるようになってきた。



「……………さくらんぼのケーキ」

「俺は、こちらのチーズのもので」

「…………この蒸留酒は知らなかったな。…………霧雨で育てた真夜中の祝福樹の樽を使っているのか……………」




この季節の定番のメランジェと甘いケーキのプレートで、ネアとディノは同じ注文になった。


ウィリアムとアルテアも同じ注文になり、噂の蒸留酒とおつまみチーズケーキのプレートだ。



この蒸留酒の存在をアルテアは知らなかったようで、すっかり気に入ったのか、帰り際にひとケース注文していた。

味わいとしては奥行きが足りないが、風味が抜群に好みだと楽しそうである。


ウィリアムは、美術館で品のいい老婦人を二階の展示室に案内したのが、良い思い出になったのか、その時のことを話してくれた。




「明日は、このリボンを結ぼうかな………」

「では、三つ編みにして結んであげますね」

「うん…………。君も結ぶかい?」

「まぁ、ディノが結んでくれるのですか?」

「……………それは、家事妖精に任せようか」



どうしてもリボン結びが縦になってしまう魔物は、少し考えた後に、悲しげにそう言った。


本当は自分でやりたいのだろうが、なぜかこの技術だけは、どれだけ練習しても上達しないのだ。



「ネア、朝食の前で良ければ俺がやろうか」

「ウィリアムさんが結んでくれるのですか?」

「……………ウィリアムなんて」

「おい、お前はなんで泊まる前提なんだ」

「あれ、言ってませんでしたか?クロウウィンが明けた後も、夜明けまでは何かと心配ですからね。今日は元々泊まる予定だったんですよ」




そう微笑んだウィリアムに、アルテアは苦々しく顔を歪める。


そして、薬を飲ませる必要があるしなと呟き始めたので、これはアルテアも泊まるつもりだなと、ネアはこくりと頷いておいた。



(エーダリア様達も、今夜は少し屋台を見られたかな…………)



昨年のクロウウィンで銀狐がキャラメル林檎の虜になったので、その屋台には立ち寄ると聞いていた。



恙無く終わり、ゆったりとした幸せな時間が流れてゆくのを感じながら、ネアは本日二杯目の温かいメランジェを飲み、至福の表情となる。



(今日は……、)



その直後、窓硝子にびたんとキャラメル林檎の包み紙の精が激突した。




「ぎゃ?!」




ばくばくした胸を押さえて、窓の向こうを見る。

窓に激突したキャラメル林檎の包み紙の精は、へろへろしながら空に戻って行った。



葬列の魔物の巨大な姿は見えなくなっているので、この辺りはもう通り過ぎてしまったのかもしれない。


その大きさに、災厄としての蝕の恐ろしさを見たりもしたが、ウィームの夜はすっかり日常を取り戻し、どこか奇妙な生き物に溢れて賑やかで美しい。



ここにはいないエーダリア達や、ゼノーシュ達も、この夜のどこかでクロウウィンを眺めているのだと思う。



そう思うと、この夜の全てを額縁に入れてずっと残しておきたいくらいだ。



その、通り過ぎてしまえばたった一瞬でしかない宝物のような時間を無事にみんなで分け合えたことに、ネアはもう一度微笑みを深めたのだった。







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