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パイの会と霧のシャンデリア




ふくよかな音が揺れた。



その音の素晴らしさにネアは胸が熱くなり、見上げたシャンデリアの影に息を飲んだ。



そこはリーエンベルクの大広間の一つ。

ネアもまだ知らなかった霧の間である。

見事なシャンデリアはクリスタルのようにも見えるが、淡い淡い水色を中心に滲ませたようになっており、その縁の部分が乳白色になっている。


霧の間はとても気紛れで、秋から冬の間にかけての霧深い夜にしか現れないのだと言う。

この広間については、長らく実在したのか実在しなかったのかすら定かではなかったのだが、ディノがここに来たことで、実在している広間だと判明していた。


おまけにディノがダンスの時に使うような音楽の小箱めいた、楽団の音の記憶を閉じ込めた魔術仕掛けのオルゴールのようなものがあり、そんな小さな金色の小箱が飾り棚の上で素晴らしい音楽を奏でている。



「ここはね、霧を楽しむ為の広間なんだ。人間の為のものではないから、………魔物か、妖精、或いは竜が三人以上いなければ開かない扉なんだよ」

「むむ。三人以上なのですか?」

「夜会を目的に作られた広間なので、それ以外の時に勝手に開けられない為にそのようにしたのだろう。霧の結晶石に光を灯すのは難しいんだ。貴重なシャンデリアだったのだと思うよ」



そう言われて見上げた天井のシャンデリアは、ふわりと滲むように霧を纏って輝いている。


このシャンデリアに明かりを灯せば、霧がその周囲に立ち込め、かすかに虹色を帯びた優しい光の輪が出来上がるのが、えもいわれぬ美しさであった。


部屋の壁の全ては、暗く澄んだ青の中に紫の色味が重なるような濃紺の夜の結晶石で、どこまでもどこまでも続く夜の大広間に浮かんだ霧の中の月のように、霧の結晶石のシャンデリアを際立てている。




「…………初代の夜霧の魔物の作品だな」




そう呟き、天井を仰いだアルテアに、ノアがああ彼かと頷いた。

ネアとエーダリアがそちらを見れば、芸術家気取りで扱い難い魔物だが、手がける作品は息を飲む美しさなのだと教えて貰う。



「初代は建築家だった。二代目は画家で、今は詩人だな。伯爵の魔物だ」

「夜霧は階位は低くはない筈なんだよ。夜霧というものは壁や扉になるものだから、本来であれば侯爵の魔物として派生する。けれど夜霧はいつも、その気質のせいですぐに階位を落としてしまうんだ」



ディノのその言葉に首を傾げれば、ノアがくすりと笑って教えてくれた。



「納得のいく作品が作れないと、すぐに倒れたり寝込んだりするからね」

「………………何と繊細なのだ」

「うん。ネアはそう言うと思った。それで階位を下げるだけ下げて、でも生まれながらの資質があるから、伯爵よりは下がらないって訳」

「そのような魔物なのか。………確か、ウィームにも夜霧の魔物がいると聞いたが、夜霧の魔物自体はその一人ではないのだったな?」



エーダリアのその言葉に、ネアは何っと振り返った。


同じものを司る魔物が、複数存在する魔物は最高でも伯爵位くらいまでで、侯爵の魔物でもそのような人がいるとは思っていなかったのだ。



(となると、会話から受けていた人型の印象とは違って、パンの魔物型の魔物さんなのかもしれない…………)



伯爵位で複数個体となると梟の魔物の前例があるので、これはもう、人型ではない可能性が高くなってきた。



「ディノ、夜霧さんは他にもいるのですか?」

「爵位を持つ夜霧の魔物は一人だけだよ。それより階位を落とす夜霧の魔物は他にもいるけれどね。階位の低い夜霧は、他の生き物に取りついて増えるんだ」

「……………細菌的な?」




ネアは呆然としてそう尋ねたが、なぜか魔物達はぴしりと固まった。


一緒に居たエーダリアとヒルドに、後ろから合流したウィリアムも含め言葉を失い、とても難解なことを言われたかのように若干虚ろな目をしてこちらを見るではないか。




「ご主人様…………」

「む。なぜに怯えているのでしょう。もしや、夜霧の魔物さんの生態が急に気になってきましたか?」



羽織りものになってしまった魔物に驚いていると、エーダリアが難しい顔でそっと首を横に振った。



「…………ネア、爵位を持つ魔物は人間よりも叡智深く、高貴なる存在だ。それに、生き物を乗っ取って増える人外者は珍しくない。例えば人間を内側から食らうのは赤羽の妖精が最も多く、闇の妖精の時にもあっただろう……………」

「まぁ、不思議です!その一言で夜霧っぽい粒子感のある細菌的な印象から、人ならざるものの不思議な侵食の怖さが思い浮かびました」

「ご主人様……………」

「元よりそちらだろうが…………」

「む?」



ディノはすっかりくしゃくしゃだが、今回は珍しくアルテアやノアも心に傷を負ったようだ。

ネアが取り憑かれるという意味合いを正しく理解したことに安堵したように、魔物達はまるで命拾いした人のような息を吐いた。



相変わらず何がどう作用するのか分からない魔物達の繊細さに、ネアは首を傾げる。




「…………むぅ。霧とはどんなものかという印象から夜霧の魔物さんの増え方を例えただけなのですが、失礼でしたか?」

「恐らく、夜霧の魔物は階位を伯爵まで落とすにせよ、上品な物腰と高尚な嗜好で知られる美麗な男性の方ですからね。その言葉との差分が気になられたのでは?」



そう言ってくれたヒルドも少しだけ動揺の気配が見られるのは、妖精もまた人間を内側から乗っ取ることのある生き物だからだろう。




(………もしかしたら、生き物としての階位が天と地程に違うのに、行動としては似ていなくもない要素があると受け止めかけて、とても複雑な気持ちになってしまったのかも…………?)




実はこちらの世界の病は、ネアの生まれた世界での医学的な区分を大きく逸脱し、同じような症状の病でも、その原因としては魔術的な要素が大きく関わる。


とは言え細菌とされるものも勿論いて、彼等はより魔術の根源に近い単純な生き物として認識されていた。


各種それぞれの養分を得て増えるこの世界の細菌は、他の生き物に誤って取りつき魔術汚染などの疾患の原因になることもあるが、ネアの今までに慣れ親しんできた世界の病のように、それが自分より階位の高い生き物を深刻に脅かすことはない。


可動域のとても低い虫のような小さな生き物に共生したり、損ない苗床にするのがせいぜいで、この世界はやはり、生きとし生けるものにおいては魔術的な階位が全てなのである。




(つまり、この世界の細菌はそこまで怖くない、寧ろ最下層の生き物だから、同じ魔物の生態がそんなものに似ていると言われたことが尚更ショックだったのだわ…………)



そこでネアはふと、細菌の魔術可動域とはどれ程のものなのだろうと気にかかったが、あまり知らない方が今後の自身の為にもいいような気がした。



こほんと、ノアが咳払いをする。



「ええと、今の何とも物悲しい気分を的確には表現は出来ないけど、僕達以外にそんなことを言ったら駄目だからね」

「…………ふぁい。つい、前の世界の価値観が比喩に混ざり込みました。とても失礼な言い方だったのですね?」

「うーん、失礼かどうかで言うと、例えが極端過ぎて、思考がちょっと哲学的な方向に深入りしそうな感じ?…………比喩だと考えるとしたら、失礼な言い方だと受け取ったらすごく負けた気分になりそうだけど、そこまで考えられない単純な奴は不敬だって騒ぐかもね」

「異世界の難しさを、久し振りに肌で感じました……………」




ネアは懐かしいその感覚にぴしりと心を引き締め、羽織りものの魔物には二度と魔物と細菌が似ているとは言わないと約束してやった。


ディノの場合は、単純に同族がよく分からない生き物に似ていると言われたことがとても怖かったようだ。




「でも、同じものを司る個体がたくさんいらっしゃってわらわら増えるというところは、少しボラボラにも…」

「…………おいやめろ」



他にも似ているものがあったとそう言えば、アルテアにべしりとおでこを叩かれた。



「むぅ。決して低階位ではないのに、ボラボラだって不思議な増え方をしますよ?」

「…………いいか?二度とその名前を口に出すな」

「まぁ、アルテアさんは無茶なことを言いますねぇ。…………ウィリアムさん?」

「そう言えば、疫病の系譜の精霊にも自身の体から枝分かれして増える種族がいるな…………」

「うわ、ウィリアム、その話を広げないで欲しいんだけど!」



ウィリアムも暫し考え込んでしまったので、気付いたネアは不愉快だったのかなとひやりとしたが、こちらはどうやら真剣に不思議な増え方をする生き物について考えていたらしい。





「夜霧の魔物達が数を増やすのは、その資質からでしょうか?」



ここで、素敵な霧の間でパイを食べる前に知恵熱が出そうな空気を上手に軌道修正してくれたのは、その種の会話の舵取りに長けたヒルドだった。



その問いかけを合図に、不毛と言うにはいささか奇怪な迷宮のような会話を畳み、ネア達は当初の目的であったパイの会にとりかかる。



霧の間には既に立派な黒曜石のような石のテーブルが置かれていて、そこには、真っ白なテーブルクロスがかけられていた。

見事な夜結晶の燭台に、ヒルドが手配してくれたのは青みがかった湖水水晶の食器だ。


どこか凄烈な清しさもあるテーブルの上に手作りパイを置けば、少しだけ不思議な感じがした。

でもこのアンバランスさが、この世界だという感じもして、ネアは唇の端を持ち上げる。




それぞれにテーブルにつき、ヒルドは手伝おうとしたネアに微笑んで首を振ると、手ずから一同のカップに香り高い紅茶を注いでくれた。



ウィリアムとアルテアの訪問が遅い時間になったので、このパイの会は晩餐の後の夜食相当である。

一緒に参加出来なかったゼノーシュとグラストには、一切れずつのお裾分けを騎士棟に持って帰って貰った。



(このパイを食べる風習に則るなら、ゼノとグラストさんにも食べて欲しかったから…………)



そう。

これはただの食いしん坊の会ではなく、きちんと魔術的にも意味のあるパイの会なのてある。



ネアがその誇らしさに密かにふんすと胸を張っている間に、ディノが夜霧の魔物についての説明をしてくれていた。



「そうだね。夜霧の魔物が複数存在するのは、夜霧というものの認識による要素が大きい。あちらにはあり、こちらにはない。或いは条件を満たせばどこにでもいる。そうした認識で、尚且つ人々の感情を強く動かすものだからこそ、唯一人では足りなかったのだろう」



それは、夜霧が前述のように、魔術的な扉としての力を有するものでもあるからだ。


夜に揺蕩う霧はどこか神秘的で、或いは不穏で、その美しさが強い印象を与え、魔術的には強い場ともなることで、そう在るべきとして世界に定着した。


しかしながら、同じような条件のものが全てそうだとは限らない。



(そう考えてみれば、お鍋の魔物さんは沢山いるけれど、包丁の魔物さんは一人だし…………)



その差もまた悩ましい謎であると、ネアはあらためてこの世界の奥深さに感嘆した。

全てを解き明かすには、なぜパンの魔物は路地裏に住んでいることが多いのかも含め、あまりにも難解な謎が多過ぎる。




「伯爵の方の夜霧の魔物さんは、職業を変えてしまうということは、代替わりすると全く違う方になってしまうのですか?」

「いや、あれは単に、その代でどの趣味に没頭したかの差だな」

「…………流行りなのですね」

「わーお、そうなると生涯でその嗜好がきっぱり二分されていたりしたら、どうなるんだろうね…………」



ノアの言葉に一同は何となくしんとし、せっかくの美しい霧の間なので、まずはパイを食して和やかに過ごすことにしようという無言の意識の一致を得た。




銀色のナイフでさくりと切り分けられ、焼きたてほこほこの状態を留めたパイは、とろりとチーズの糸を引く。



「今日は、トマト煮込みとチーズの秋のパイにしてみました」

「……………ああ、約束のパイだな」



そう微笑んでくれたのはウィリアムで、蝕の時の事件でウィリアムが最後に取り戻した記憶は、このパイを食べようと約束した日のことだったらしい。



実はこのパイを食べようという会話は、王都の方では、死者の日の前日に大事な仲間や家族と離れないように験担ぎで一緒にパイを食べる習慣があると、ウィリアムが教えてくれたことから始まったのだ。


そこでネアが、そのパイとは少し違う意味合いだが、ウィームでも秋の終わりには収穫のパイを食べるので、二つの風習を合わせたパイの会を開こうと話したのだった。



「ウィリアムさん、誓いの輪としてパイを食べるのは、ヴェルリアの方の風習なのですよね?」

「ああ。カルウィや南方の土地にも似たようなものがあるな。死者の日の前夜のことが多いが、土地によっては翌日に食べるところもある。俺の領域に触れる風習だから知ってはいたが、実際に誰かと食べるのは初めてだ」

「では、今年だけではなくて、これからもまた一緒に食べましょうね」



どこか眩しそうにパイを見つめるので、ネアはすかさずそう誘っておく。

するとウィリアムは、どこか無防備な目でこちらを見てから、ふわりと艶やかに微笑んだ。



「……………ああ。ネアの手作りのパイが食べられるなら、また来るよ」

「なお、パイ生地はアルテアさん作なので、このパイにはアルテアさんの祝福も含まれています」



それぞれのお皿に乗せられたパイを既に食べてしまっていたウィリアムとノアは、その途端ぎくりとしたようにアルテアの方を見る。


一緒に作ったディノだけでなく、エーダリアとヒルドが驚かないのは、この二人には予め誰のパイ生地を使ったのかを話していたからだ。



「だろうな。お前の作るパイ生地はこうはならないからな」

「……………むぐる」

「雑だっただろうが」

「ざ、雑ではありません。畳まれ方が不均一で、バターがきちんと行き渡っていなかっただけです!」

「ほお、それはパイ生地としてどうなんだ?」

「ぐっ、…………私には使い魔さんがいるので、パイ生地で達人を目指さなくてもいいんですよ…………!」



ネアが悔しい思いでそう言えば、アルテアはふっと唇の片端で笑う。



「だろうな」

「むぐ!アルテアさんには、私のパイ職人は渡しませんからね!」

「ありゃ、ネア、どっちもアルテアだよ?」

「……………む?」



何かおかしなことを言っただろうかと首を傾げたネアに、隣ではふはふとパイを食べていたディノが目を瞠る。




「ネア…………?」

「アルテアさんに、アルテアさんがアルテアさんになりました」

「アルテアが、アルテアに…………」

「むむぅ。こんがらがったので、森のアルテアさんと使い魔なアルテアさん、そしてちびちびふわふわのちびふわで考えておきますね」

「何でだよ」

「その三つの側面が、私の中の主なアルテアさんなのです。なお、使い魔なアルテアさんには、私にお家をくれるアルテアさんと、パイを献上してくれるアルテアさんなどが含まれます。森のアルテアさんにはパジャマなアルテアさんも含まれるので、決して尖るばかりでもありません」

「森設定をいい加減やめろ」

「…………となるともしや、海老好きなアルテアさんは、海のお住まい…………?」

「…………は?」



顔を顰め怪訝そうにこちらを見たアルテアに、ネアは、海住まいで海に帰る魔物となると、少しイメージと違うなと眉を寄せた。



「…………ごめんなさい、時々遊びに行くのは素敵ですが、私はあまり海は得意ではなくて………… 」

「待て、何の話だ?」

「アルテアは、海の魔物だったのかい?」




ディノが不思議そうにそう尋ね、ノアとウィリアムが慌てて、海から派生した魔物ではないと説明していた。

その隙にアルテアからびしりとおでこを指で弾かれ、ネアはぐるると唸り声を上げる。



慌てたディノが、すぐさま膝の上に三つ編みを乗せてくれたのだが、貢物ではないのでこれで鎮まるというものではない。

ネアはしっかり使い魔を威嚇してから、なかなかの出来だと自負しているパイに戻った。



その後は暫し、蝕の被害などの話になり、エーダリアとウィリアムは、幾つかの専門的な情報を交わしたようだ。



アルテアは、統括の魔物としては手出しをしなかったそうだが、ガーウィンの被害の深刻さに少し触れ、人間が稚拙な思いつきで組み合わせた魔術が変質したことで、魔物達からするとかなり醜悪な練成が広がったと話してくれた。


一度、街中に敷いた魔術を洗浄し、使えるものだけを残して組み直す必要が出てくるので、ガーウィンの中心部は引き続き混乱が残るだろうという見解だった。


特にガーウィンが得意とする信仰の魔術には、時間のかかる段取りや儀式が不可欠なのだ。




「…………そう言えば、今年は蝕があったので、秋の祝祭には、何人か厄介な魔物が出歩くかもしれませんね」



パイを食べ終えた頃、ウィリアムがふと、そんな事を言い出した。



「だろうな。残響は新代だからさして影響はないだろうが、白樺あたりが夜行を組むだろう。天秤はこちらよりもカルウィ寄りだな」

「ああ。シェダーが、あえて王族の贄で対価を取ったのは、あちらに天秤を誘導する為だろう」

「…………うーん、蝕の後って言うと、砂糖と、………剥落、額縁に画布あたりかな」



そう唸ったノアに、ネアはそれぞれ厄介な生き物なのだろうと心のメモに書き留めておく。


特に白樺の魔物については、かつての白夜と同じくらいに厄介な魔物だったと聞いていたので少しひやりとした。



だが、話を聞いている限りは、白樺の魔物は、現れるとしても豪奢な輿に乗って各地を練り歩くくらいらしい。

気に入ったものを僕として連れ去ることもあるが、ネアやエーダリアなどはまったく白樺の趣味にかすりもしないそうで、安心していいと魔物達は言う。



ではどんな好みなのかと言えば、今代の白樺は罪人を好むのだ。

それはもう、その行いの惨たらしさに顔を背けたくなるような罪人が最近の好みであるらしく、白樺目線からすれば、ネア達はつまらないだろうとアルテアは言う。



それはもういっそ、社会の為になっている魔物なのではと考え、ネアは是非に悪い奴等を取り纏めて管理していて欲しいと思うばかりだ。



「そう言えば、蝕の後の冬の入りでは、妖精にも静寂の系譜のものが現れると言われていますね………」

「蝕の年だけにということは、意外に多いんだよ」



不思議そうにしているネアとエーダリアに、ノアがそう微笑む。


勿論良いこともあるそうで、画布の魔物は気紛れで残酷だが、彼女に出会えば、芸術の才や記憶の魔術が階位を上げるのだそうだ。

この魔物は記録の魔物の系譜の伯爵で、美しい金の巻髪の乙女だという。

しかしながら、画布というものの資質上、その容姿は見る人達によって様々に見えたりもするらしい。



「絵画の分野は似たような魔物や妖精、精霊まで入り組んでるんだよねぇ。画布みたいな魔物も何人かいるし…………」


魔術的な要素が強いものなので、階位も伯爵から男爵まで様々で、ディノやウィリアムだけではなく、ノアやアルテアですら把握しきれていないという。

そして特筆するべきは額縁の魔物であるらしい。



「あいつは、封印魔術に長けている。芸術分野の中の封印師だ。狩人でもあり悪食や悪変を封じることを資質としているが、同じように気に入ったものを閉じ込めて隔離することも好む」

「…………またおかしな魔物さんが現れました」



ネアはその種の趣味の生き物が多過ぎると憮然としたが、高階位の人外者が気に入ったものを身勝手に扱うのは決して不思議なことではないのだと、エーダリアにあらためて教えられた。



彼等はただ、手に入るものを高慢に思うがままにするばかりで、それは悪癖というよりはその階位に見合った自由なのだと言う。




「まぁ、お前はあいつの好みじゃないだろうからな。とは言え、関わるなよ」

「私が自ら災難に向かって行くような言い方が解せませんが、避ける為にもその方の容姿が知りたいです」

「アルテアやアイザックに少し服装の雰囲気が似ているな。黒髪に水色の瞳だ。家令や執事のような服装だと言う者もいる。必ず黒いケープを羽織っていて、腰には道具入れを下げ、短刀を使う」



そう教えてくれたのはウィリアムで、ギードと仲が悪い魔物だと教えてくれた。

そう言うのも、どうやらギードはとても独創的な絵を描くそうで、額縁の魔物はそんなギードが大嫌いなのだとか。




蝕というものは、あまり訪れない世界の変質だ。


それはつまり、芸術の分野や調停の分野、或いは記録などの系譜も含め、多くの者達がその時にしかないめぼしいものを求めて、外に出るきっかけでもある。




(…………やっと帰って来たばかりなのだから、おかしな人に会わないようにしないと…………)




ネアは、そう考えてきりりと頷いた。

パイがおかず系のものだったので、テーブルには小さな一口焼き菓子のお皿も出ている。



明日のクロウウィンに向けて、祝祭の魔術も絡めて多くの人外者達が動くので、外に出る時には気を付けようと思いつつも、紅茶のジャムの乗った小さなバタークッキーに頬を緩めた。





「………………む?」




ふと視線を感じて顔を上げると、なぜかみんながこちらをじっと見ているではないか。

その、不安そうな、或いは疑わしげな視線がとても心外だったので、ネアは小さな唸り声を上げておいた。




「事故りませんよ!」




慌ててそう主張もしたのだが、なぜか思うような納得は得られない。

特にアルテアとノアは何かをひそひそと話しており、ネアはそのような決めつけが寧ろ呪いになるのではと考えて渋面になる。




(でも、もし出会うなら画布さんがいいな。女の子だし!)




その密かな願いが打ち砕かれるのも、やはりいつもの事であった。



ネアの運命はなぜか、いい感じの女性と仲良くなれるという部分が誰かに封じられている気がしてならない。

悲しくなって女の子の友達が出来る祝福があったりはしないのかと言えば、なぜかエーダリアとノアが視線を彷徨わせた。







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