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334. 蝕が明けました(本編)




日食が明けるように、蝕が明けた。


まずはその縁にじわじわと空に零れた陽光が広がり、滲み出すように青空が戻ってくる。

蝕の反転の向こうは素晴らしい晴天だったようで、この時期のウィームには珍しいことだ。



わぁっと、どこからともなく声が上がる。


騎士達や家事妖精達だけではなく、森の生き物や、姿の見えないその向こうからも。

柔らかなその日差しを体いっぱいに浴びて、萎れていた庭園の花が持ち上がり、ゆっくりと瑞々しさを取り戻してゆき蕾をほころばせる。



どこか遠くを大きな翼を広げた竜が飛ぶのが見えた。

その姿をきっかけにしたように、空には小鳥達が飛び交い出す。



「じゃあ、またバルバで。次は棘牛を二頭にしようと…」

「ダナエ!」

「バルバじゃなくても会いたいけど、来てもいいかな…………?」

「ええ。勿論ですよ。カードでもたくさんお喋りしましょうね!」

「…………うん。ネア、困ったらまた来るよ」

「ダナエ、今回の蝕の間は本当に助かった。是非、また気兼ねなく遊びに来てくれ」

「エーダリアが食べたくない人間で良かった」

「はは、私もだ。バーレンも…………」

「…………礼はいらない。お前達には、…………色々と迷惑をかけたからな」

「バーレンは素直じゃない。エーダリアのこと、あんなに気に入ったって…」

「ダナエ!!」



ネア達はリーエンベルクの正門の前に立ち、ばさりと翼を広げた美しい春闇の竜に手を振った。


最後にダナエからエーダリアお気に入り秘話をばらされてしまい、バーレンは真っ赤になってすぐさま竜姿に転じてしまう。

しかし残念ながら、にょろにょろ姿でも照れているのは何となく分ってしまった。

エーダリアももじもじしてしまい、ヒルドや騎士達は何だかにんまりしている。




蝕が明ければここはもう、冬支度のウィームになる。



ぎりぎりまで留まってくれたダナエ達には、たくさんのウィームならではの食べ物を持たせてお礼とした。

騎士達も、それまではあまり交流のなかった春闇の竜に、その隣にいるのはどうも見たことのない竜種ときているので、せっかく仲を深めたこの時ばかりはと集まってきて、みんなでダナエ達を送り出してくれる。


ゼベルと一緒に真夜中の怪物対策に出てくれたことや、ウィーム中央の都市部、外部からの魔術の繋がる最も不安定な駅舎の周辺の見回りをしてくれたことなどもあり、この二人は騎士達にとっても、頼もしい友人としてすっかり受け入れられたようだ。

ネア達だけでなく騎士達にも見送られ、ダナエは目元を染めて嬉しそうに微笑んでから飛び立った。



悪食として嫌厭ばかりされてきたダナエには、こうして大勢から好意的に見守られることは少なかったのだろう。




「行ってしまいましたね。ダナエさん達がいてくれて、とても頼もしかったです!」

「…………浮気」

「あら、ディノだって、昨日の夜の怪物さん対策では、ダナエさんがいて良かったでしょう?」

「ご主人様……………」



とは言えディノが、あの恐ろしいあわいの底まで来てくれたのだ。

だからネアは、ぺそりと項垂れた魔物のその三つ編みをそっと握った。



「……………ネア?」

「ディノは、私の最高の婚約者です。私が一番側にいて欲しかった時に来てくれました」

「………………でも、君に怖い思いをさせてしまった。もし、……」

「そのもしを叶える為に、ディノが何かを手放してしまったら私は怒り狂うので、この結果として何とかなった今回の顛末でいいんですよ?」

「…………そうなのかい?」



悲しげに水紺色の瞳を瞠ったディノに、ネアは少しだけ背伸びをして顔を覗き込むようにして微笑んだ。


たった一日のことだったとは思えないくらい、久し振りに見るような青空の眩しさに、柔らかな風に揺れる真珠色の髪が宝石のよう。

その美しさに微かに胸を打たれると、初めてこの魔物に出会った時の驚きを思い出した。



「今回はこれで終わりでしょう?だからこれで大満足しましょう。もしまた今度の怖い事に備えるのなら、それはこれからのことなのです」

「………これからのこと、………なんだね」

「ええ。だからどうか、しょんぼりせずに、また怖い事があっても任せ給えと、どどんと構えていて下さいね」



そう言って伸ばした手で大事な魔物の頬をすりすりと撫でれば、微かに目元を染めたディノはどこか儚く微笑んだ。



「でも、……………君は何を失くしてしまったのだろう?………あのあわいから帰って来てからずっと、君の瞳から何かが失われてしまったような気がするんだ。………ネア、怖いものや苦しいものを、我慢していないかい?」



その問いかけはまったく思いがけないもので、驚いたネアは目を瞠った。

自分では何も意識していなかったのだ。



「……………私、何か変わってしまったのですか?」




ぽかんとしてからそう尋ねると、ディノは唇の端を僅かに持ち上げて微笑み、ネアの頭をそっと撫でてくれた。

その優しさには、すぐに儚くなってしまう魔物の無垢さより、老獪な長命の人外者らしい頼もしさがあって、ネアはそんな婚約者を見上げる。



「…………そうか、であれば、無意識のものなのかもしれないね。……………ネア、そうなると君は、自分でも意図しない時に、その傷や喪失に苦しめられるかもしれない。その時は、必ず私に相談してくれるかい?」

「…………はい。必ずディノに相談しますね」



ネアがそう言えば、魔物はほっとしたようだ。

もう少し三つ編みを強く引っ張っても構わないというので、ご主人様は引っ張るよりもゆるく握っている方が素敵な気分だと言えば、今度は寂しそうにこくりと頷いた。

婚約者の大事な髪の毛が失われたら困るので、ネアはあまり毛根に負担をかけたくないのだ。




「さて、私達はウィリアムさんに会いに行きましょうか」

「うん。ノアベルトは起きたかな………」

「ふふ。朝に覗いた時には、ウィリアムさんの胸の上でぐっすりでしたね。でも、ウィリアムさんが目を覚ました時に、ノアがあんな風に側にいてくれたら、きっと嬉しいのではないでしょうか?」

「アルテアには言えなかったみたいだね…………」

「…………次回の勝負に賭けましょう」



持ち場に戻って行く騎士達やエーダリアやヒルド達とは別れ、反対側にある外客用の棟に外から向かう。

まだ蝕が明けない暗い内に簡単な朝食を済ませてあるので、ダナエ達を見送った後はウィリアムの眠っている部屋に行くのだ。



実は昨晩、ノアからみんなに告知があった。

今回のような蝕がまたすぐに起こることはないものの、またどんな事があるのか分からない。

そのような時の為に、アルテアに自分の秘密を告白すると漸く心を決めたらしい。



と言うことは、今朝はアルテアの心のケアも必要かなと思っていたのだが、今朝様子を見に行けば、ノアはなぜか、銀狐の姿でウィリアムの上に設置されて熟睡していた。

アルテアにこれはどういうことなのかを尋ねてみると、アルテア曰く、銀狐はウィリアムのお見舞いに来たらしい。



(絶対そうじゃないと思うけど、そういうことにしてしまったのか、そういう勘違いをされてしまったのか…………)



「一度目の試みが失敗したのは聞いていましたが、せっかく、二度目の挑戦は狐さんの姿で訪れたのに、まさかのウィリアムさんのお見舞いに来た狐さんとして扱われてしまうとは…………。アルテアさんは普段はとても鋭い方なのに、狐さんにはなぜか鈍感になってしまうようです…………」



ネアが眉を寄せてそう言えば、ディノは困ったように微笑んだ。


高位の魔物達は確かに擬態をするが、それがどんな獣であれ、あえて何の特質もないただの獣に擬態することはまずないという。

それは、自身が持つ魔術を完全に手放す調整そのものがとても高度であることと、それ以上に、そこまで自分を弱体化させることが不用心だからでもある。



(ノアは、咎竜の事件の時に、このリーエンベルクの敷地内に入る為に擬態をしてくれたから、究極に普通の狐さんなのだ…………)



ゼノーシュですら見破れなかったその擬態だが、ノアはすっかりその不自由さに溺れてしまったようだ。


ブラッシングして貰ったり、泥遊びをして叱られてみたり、廊下を駆けずり回って階段から転げ落ちたり。

それは永くを生き磨り減った心を水に浸すような伸びやかさで、心の内側の全部が楽しいと弾んだり、幸せに蕩ける経験は、あの姿でしか出来ないのだとノアは言う。



つまり、そこまで全力で狐でいられてしまうと、アルテアとしてもまさかという思いで自らの直感を封じてしまうのかもしれない。



「それにアルテアは、あの狐のことは随分と気に入っているのだと思うよ。ノアベルトにもそれは伝わるだろう。だから言えないし、気付けないのではないかな…………」

「…………もしやそれは、アルテアさんの心の傷がいっそう深くなる展開では…………」




ネアは、これはもうちびふわにして撫でてやるしかないと、使い魔の慰労会を計画し始め、ディノは以前にネアが提案した、アルテアの傷心旅行について真剣に考え始めたようだ。

ディノによると、アルテアの一番好きな土地がそもそもウィームなので、旅行となると案外難しいのだそうだ。



(イブさんのお家のあわいを気に入っていたから、あんな雰囲気も好きなのかしら…………)



とは言え傷心旅行なので、じんわり心を癒すよりはきっと、思いきり遊んで騒いで発散した方がいいのではないだろうか。

そう思ったネアは、絶叫型のアクティビティの情報をエーダリアから聞いておこうと、心のメモに書き留めた。



「……………あ、」


森の方を見て、ネアの胸がつきんと痛んだ。

立派な木が一本根元から折れてしまっており、その木は骨のように白茶けて石化してしまっていた。

他にも枝や葉っぱが落ちてしまったものや、良く見れば花壇でも、根こそぎ植えられた花がなくなってしまっている部分まで。


ふわまるの祝福を受けたリーエンベルクでこれなのだから、外は一体どれだけの被害なのだろう。

エーダリアやヒルドとの会話では、国内での犠牲は千人規模にはなるだろうと聞いていたことを思い出し、ネアは悲しくなった。



「ディノ、ウィームでも、亡くなった方はたくさんいるのですよね…………」


三つ編みを引っ張ってそう言えば、魔物はネアをふわりと抱き寄せてくれた。



「うん、ふわ………まるの守護のお蔭で、この規模の蝕にしては随分と少ないが、それでも百人以上は亡くなったようだ。ヴェルリアでは三百人近く、ガーウィンとアルビクロムはまだ未知数だと話していたね。特にアルビクロムでは、労働者達の正確な所在の把握なども含め、第五王子派が早々に調査に乗り出しているそうだよ」

「……………自分がとんでもない目に遭ったような気持でそればかりでしたが、私はその方達よりはずっと恵まれていました。………薄情な人間なので、知らない方達の為にたくさん痛められる心でもないのですが、それでもやはり、ウィームのことは自分事として悲しいですね…………」

「君とエーダリアが、ふわまるを見付けたことで救われた命もあるだろう。それに、君が体験したことは、犠牲になった人々より過酷なものかもしれない。…………爪先を踏むかい?」

「……………解せぬ」

「体当たりをしてもいいし、…………そうだね、紐で繋ぐかい?」

「それはディノのご褒美なのでは……………」



ネアは遠い目にならざるを得なかったが、魔物としては、それはご主人様が甘えてくれているが故の行為でもあると認識しているようだ。

しかしながら、こちらとしては全く望ましくないときっぱり言えた頃とは違い、ネア自身もこの魔物を喜ばせてやりたいという気持ちは深まっているのだ。



「ネア!」



そんな話をしていると、回廊のところでゼノーシュとグラストに出会った。

ぱたぱたと駆け寄ってきてくれたゼノーシュは、珍しくネアをしっかりと検分してくれる。

今はもうどこにも怪我はないと分ったのか、安心したように微笑んだ。


「良かった。僕もグラストも、とっても心配したんだ。それにほこりも凄く心配していたんだよ。ほこりは自分の統括の国があるからこっちには来られなかったんだけど、アルテアと一緒にルドルフのことは凄く叱っておいたって話していたから安心してね」


そう話してくれたので、ネアは実のところほっとした。

今回、ウィリアムがあわいに降りれたのは、白夜の魔物があわいへの門を作ったからだと聞いている。

白夜の魔物は、ほこりの名付け親に間違いがないよう、ウィリアムを放り込んでしまえという安易な考えでそうしたと主張しているが、そこには、蝕で際立った生来の白夜の気質も多少となりあったのではないかとディノ達は見ているようだ。


蝕を経た白夜は、よりその資質を強めるという。

ほこり達との関係は大丈夫だろうかと心配していたが、ほこりに叩きのめされ齧られた白夜は、すっかりしょげてしまい自室で泣いているのだとか。



「ゼノ、ゼノとグラストさんは大丈夫だったのですか?蝕で怪我などはされていません?」


そう尋ねたネアに、グラストがしっかりと頷いてくれた。


「ネア殿、御無事で良かったです。私達はなんとか、怪我もせずに済みました。騎士達も幸い怪我人は少なく済みましたが、ダナエ殿とバーレン殿のご尽力があってこそですね」

「お会い出来ていなかったので、そう聞いて一安心です。私はたくさんご心配をおかけしてしまいましたが、ウィリアムさんが、そしてディノやアルテアさんが助けに来て下さいましたし、ノアのくれた布が大活躍でこの通りみんなで帰って来れました!」

「……………ウィリアムとネアは僕の友達だから、僕もルドルフを叱っておくね」

「ふふ。ゼノに叱られたら、きっとルドルフさんは震え上がってしまいますね」

「うん。僕は怒ると怖いよ!でもね、ジョーイも怖いみたいなんだ。ジョーイが考えたお仕置きを聞いて、ルドルフは失神しちゃったんだって」

「……………まぁ。何を言われてしまったんでしょう」



白夜の魔物を失神させるだけのお仕置きというのも気になったが、それは今度ほこりに聞いてみよう。

次にほこりに出す手紙はぶ厚くなりそうだ。


ウィリアムを見舞ってきたという二人に手を振り、ネア達もその部屋に向かう。

窓から見るリーエンベルク前の並木道は、幸い大きな損傷はないように見える。

ウィーム領内での死傷者も、このリーエンベルク周辺では十人前後と、総人口と比較すれば記録的な少なさであった。



「今回は、死者の日が近いのも良かったようだね」

「ええ、エーダリア様が言っていましたね。亡くなった方がすぐに戻って来られるので、原因不明の事故などの解明が捗りそうだと。反転で問題が出た箇所は、今後の為に備えておきたいでしょうから…………」



蝕は、例えば来年にも同じ規模で起こるかもしれないものだ。


その訪れは避けようもないものの為、各所では今回の蝕で何がどう反転し、どう影響したのかを密に調べ共有してゆく必要がある。


特に大きな事故が起きたのは、ヴェルリアの王宮の一画とその地盤の崩落事故、大聖堂の海側の通り。

ガーウィンでも大規模な魔術侵食があったらしく、これは生活用に組み上げた植物と信仰の錬成の一つが反転により暴走したからなのだそうだ。

生活に根差した技術であった為、それは広範囲に敷かれており、触れて巻き込まれた人々に多くの死傷者を出した。



(ザルツでも事故がいくつかあって、シュタルトでもトロッコ牽きの妖精の中に悪変する種が混ざっていたようで、大きな事件が起きたらしい…………)



国外に目を向ければ、もっと悲惨な事件や事故も幾つもあるだろう。


早くも入ってきている情報の一つでは、カルウィでは王子の一人が蝕の贄にされて亡くなったと、王家から正式な報せがあったらしい。


これについては、ネアが是非に亡くなってくれても構わないと思う第一王子ではなく、また、ヴェンツェルの大事な友人であるというニケ王子でもないと聞いて悲喜こもごもである。

エーダリア達の見立てでは、力のある王族達の安全を、一人の人物の命を贄にする形で守ったのではないかということだが、成人済の王子であったそうなので、そちらの派閥を含め、国内の混乱は少なからず続くだろう。




しゃりん、しゃりんと音がした。




「…………っ」

「巡礼者ではないよ。………ほら、森の葬列だ。こちら側のものを迎えに来たのだろう」

「……………良く聞けば音が違うのに、一瞬どきりとしてしまいました」



窓の外の禁足地の森の方を、いつか見た森の葬列がゆっくりと通り過ぎてゆくのが見えた。

このような災厄の後は、人目がつくところまで現れて、迷うものがいないように迎えに来ることもあるらしい。


心配そうに顔を覗き込んできたディノに微笑みかけ、一瞬どきりとしただけなので大丈夫だと説明した。

それでも心配そうにしているので、ばすんと体当たりしてみれば目元を染めてずるいと呟いている。



「アルテアさん、お部屋に入りますね」


扉をノックすると、勝手に入れという声が聞こえたので扉を開けた。

すると、どこか複雑そうな顔をしたアルテアが、ウィリアムはもう起きたぞと教えてくれてネアは飛び上がる。



「ウィリアムさんが!!!」


慌てて握っていた三つ編みをぐいぐい引っ張り、ディノを引き摺るようにしてウィリアムが寝かされていた部屋に飛び込めば、お腹の上に乗っかってけばけばになっている銀狐と、そんな銀狐と困惑したように向き合っているウィリアムがいる。


こちらの騒ぎに気付けば、ゆっくりと顔をこちらに向けてくれた。



「……………ネア」



その呟きに、ネアはぱっと笑顔になる。


少し苦笑するような淡い微笑みも、優しい白金色の瞳も、ネアの良く知るウィリアムのままで、嬉しくても人間の胸は潰れそうになるのだと初めて知った。



「ウィリアムさん!」


ディノを連れて駆け寄り、伸ばされた手に頬を寄せた。

指先はまだ冷たかったが、そっと頬に触れゆっくりと撫でてくれると、ウィリアムは涙が出そうなくらいに艶やかに微笑みを深める。


ふわっと花が開いたような美しい安堵の微笑みに、ネアは目の奥が熱くなった。



「シルハーン……………、……すみません。結局俺は、あなたにまで負荷をかけてしまいました…………」



そう呟くウィリアムの声を聞きながら、我慢出来ずにぼふんとウィリアムの胸に飛び込み、なぜかムギーと鳴いて張り合って飛び込んでしまった銀狐と一緒に抱き締められながら、ネアは幸せなおしくらまんじゅうをした。

ウィリアムは、ネア一人分の腕の締めで計算していたので、そこに銀狐も入り込みぎゅうぎゅうになったのだ。


抱き締められてしまってから、銀狐が目を丸くする。

ディノと顔を見合わせ、真剣な目をした筈のウィリアムも、うっかり銀狐まで抱き締めてしまって目を丸くしていた。



「………………ええと、」



腕の中の銀狐をどうしようと、おろおろとしかけたウィリアムに、そっと静かな声が落ちた。



「………………ウィリアム、君のお蔭でネアは無事だったよ。この子を守ってくれて有難う。……………でも、どうかもう二度と、一人で背負うようなことはしないでくれるかい?」

「……………シルハーン………………」

「これは、私の我が儘なのかもしれない。でも私は今回のことで、こんな形で君を失うのは嫌なのだと良く分った。………君だけではなく、アルテアも、ノアベルトも…………どうかもう、誰にも失われては欲しくないんだ」



ディノの声は穏やかだったし、唇は微笑んでいた。

けれどその声はとても切実で強く、呆れたようにこの騒ぎを見守っていたアルテアも目を瞠る。

ネアの隣の銀狐もけばけばになり、ウィリアムの体が小さく揺れた。



部屋の中には、蝕が明けて森からの陽光が差し込んでいた。


木々の枝葉を透かし、レース模様のような光の形がウィリアムの横になっていたシーツに広がる。

その光があまりにも綺麗で、すぐ隣でけばけばになった銀狐の青紫色の瞳や、ウィリアムの白金色の瞳、ネアの位置から見えるアルテアの赤紫色の瞳も含め、あまりにも綺麗なその色の全てに、ネアは訳も分からずはっとした。


温かに呼吸に合わせて揺れるウィリアムの胸は、ネアがもたれかかってもしっかりとしていた。

力なく地面に崩れ落ちたあの時とは違って、どんなものにも損なわれない頼もしさを感じる。



ここにいるのは、ネアの良く知るいつものウィリアムだ。




「……………シルハーン」

「ギードもシェダーも、…………君が言いたくないのであれば、リンジンとどういう因縁があったのかまでは、彼等に知らせなくてもいいとは思う。………けれども彼等も酷く気を揉み、君を案じていた。どうかもう、こんな風に一人で飛び込まないでおくれ」

「………………………はい」



囁くようにそう呟き、ウィリアムは顔を伏せた。



(……………あ、)



頭の上に顔を埋められ、ネアはウィリアムが泣いているような気がした。

湿った吐息の熱さに、微かなその体の震えを感じる。


終焉として多くを背負いその苦しみに向き合ってきた彼にとって、こんな風に行かないで欲しいと言われる言葉は、どんな叱責より心に響くだろう。



だから、勿論ネアも便乗するしかない。



「ウィリアムさんがいなくなったら、私は胸が潰れてしまいます!どんな酷いことをしても、どんなに狡いことをしてもいいので、もう二度とこんな危ないことはしないで下さい。………………や、約束ですからね!」



ぎゅっと抱き締められたままそう言えば、ネアも感極まって涙声になってしまったのだが、ウィリアムはそんなネアをより強く抱き締めてくれた。



「……………ああ。すまない、怖い思いをさせたな」

「ウィリアムさんは、絶対に私の知っているこのウィリアムさんがいいのです。……………でも、ウィリアムさんは私を助ける為に無茶をしてくれたので、元はと言えば私のせいで…」



人間は狡猾で邪悪な生き物だ。

ネアがわざとらしく悲しげな声を出せば、慌てたようにウィリアムが顔を上げて首を振る。

その瞳はどこかいつもより潤んでいるように見えたので、涙そのものは見せてくれなかったが、やはり少しは泣いていたのではないだろうか。



「ネア、そんなことは考えなくていい。俺のやり方が、………………そうか。……………俺のやり方では、君にそんな風に負担をかけてしまうんだな…………。すまない。もう二度とあんなことはしないから、どうか許してくれるか?」

「もう二度としちゃ駄目ですからね?………………うむ!ディノ、言質を取りましたよ!」

「………………そこで、隠しもせずに拳を握るな」

「あら、アルテアさんだって、あんなにウィリアムさんを………」

「………………は?」



ネアはここで、意味深に言葉を切ってみせて、困惑したようにウィリアムに見上げられ、真顔でぶんぶんと首を振っているアルテアに、にっこり微笑んでおいた。



「まぁ、恥ずかしがり屋さんですねぇ」

「やめろ」

「ウィリアム、アルテアは、自分がついているからと言ってくれて、君が眠っている間中ずっと、傍にいてくれたんだよ」

「……………シルハーン!」



ディノにまで重ねてそう言われてしまい、アルテアは頭を抱えてしまった。


どれだけ否定しようと、ネアはあの時、どれだけアルテアがウィリアムを案じていたのかを知っている。

だからこそこの場合は、どれだけみんながそう思っているのかを伝えるのが、ウィリアムにとっては一番の抑止力になるので、容赦なく明かしてゆこう。




「ふふ、これでやっと言えますね。…………お帰りなさい、ウィリアムさん!」




ネアの明るい声が響き、ウィリアムの白金色の瞳が滲むように揺れた。

銀狐も尻尾を振り回し、ディノも、微笑んでネアを助けてくれて有難うともう一度言ってくれている。

アルテアはまだ何とも言えない顔をしていたが、今度から暴走する前にこっちにも共有しろと小さく付け加えた。



(ああ、もうこれで、みんなが無事に帰ってきた!)



恐ろしい予兆や暗い影も、あの響き渡る鐘の音の記憶もその全てが、安堵に打ち崩されて消えてゆく。

明るい光の色に、あたたかな吐息の温度が、この事件の顛末の全てだった。


ほんの少しだけディノに言われた言葉が気になったが、ネアは万感の思いでそう微笑みを深める。




報せを聞いたエーダリアやヒルド達が訪れ、もう一度ゼノーシュ達がウィリアムを見舞うのはそのもう少し後のこと。

ウィリアムは、シェダーとギードにも、その数日後に心配をかけたことを謝りにゆき、思いがけないギードのお説教の激しさがとても堪えたようで、二度と一人で背負いこまないとしっかり約束してくれたのだった。





























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