金の祝福と銀の祝福
「これなのだ…………が、」
ノアベルトを連れて来たところ、一人で謎の生物の見張りを任されていたアメリアがほっとしたような顔をした。
そんなアメリアの向かいには、めえめえ鳴きながら暴れる金色の雑巾………布のような生き物がおり、閉じ込められた結界の中で暴れている。
既に三人の騎士が噛まれていたが、特に侵食などはなく、どちらかと言えば祝福の気配が強い。
とは言え、祝福の全てが人間に優しいものではないのだ。
(ここまで大きな蝕も初めてだ。おかしなものでなければいいのだが…………)
だからエーダリアは不安でならなかった。
やっと無事に帰って来てくれたとは言え、ネア達の消耗は大きい。
これ以上の負荷はかけたくなかったし、連れて帰られたウィリアムを見た時のような恐ろしさをもう二度と味わいたくはなかった。
仲間が増えるということは、失われる恐ろしさを知る事だ。
それはどんな頑強な魔物であれ、例外はないのだと知ってしまった。
だからこそ、妙なものを放置は出来ない。
「……………え、これ魔物?」
指し示されたものを見た途端、ノアベルトはそう目を丸くした。
確かになぜ魔物なのか全く分からないのだが、検査の結果魔物だと判明したのだ。
「簡易検査では魔物の確率が高かった。ヒルドは妖精ではないと話していたし、精霊特有の魔術波長もなさそうなのだ」
「めえめえ!」
「うわ、こっち向いた!!…………顔とかあるのかな?」
「…………向いた方のどこかが顔ではないだろうか」
「…………なのかな。へんてこな生き物だなぁ。…………あ、唸ってる…………」
「むぐるるる」
「…………ありゃ。ネアかな…………」
「唸り方は同じだな…………」
「めえ?」
そんな会話をしていると、なぜかその金色の布が光り出した。
隔離結界で覆って捕らえているものの、異変を察したノアベルトが慌ててアメリアを下がらせている。
「めえ!」
その直後、金色の布の姿をした生き物は体当たりで隔離結界を粉々にすると、ノアベルトに飛びかかった。
「うわっ、噛まれた!」
「ノアベルト!!」
その言葉にぞっとして駆け寄ろうとしたが、ノアベルトはすかさず結界を立ち上げてしまい、こちらが近付けないようにしてあった。
もどかしい思いでその壁を叩く。
「ノアベルト!」
だしんと結界を揺らせば、その向こうで飛びかかった金色の布を捕まえたノアベルトが振り返る。
その表情がなぜか強張っていて、エーダリアは息が止まりそうになる。
大事な契約の魔物に何があったのか、もしノアベルトを損なったのならあの生き物を許さないと心からそう思い、捕まえた生き物をもう一度隔離結界の中に入れているその横顔を怖々と窺った。
はらりと溢れた髪の毛は、またぞんざいに後ろ髪を一本に結んでいるからだ。
ネアはよくブラシを使って綺麗に結んでやっているが、エーダリアはこの髪型も好きだった。
完璧で高位のものである筈の白持ちの魔物が、ここだからとどこか寛いだような姿を見せてくれているようで、何だか心が柔らかくなる。
(だから、もし彼に何かがあったら…………)
長い睫毛を揺らし、ノアベルトは手を払うとゆっくりとこちらを向いた。
まだ蝕も明けていない暗闇の中で、森からの風にばさりと揺れた黒いコートが広がる。
「……………エーダリア、ええと、言わないといけないことがあるんだけど…………」
「……………ノアベルト」
それはまさか、あらためて告白しなければならないような特別なことだろうか。
こんなことになるのであれば、彼を巻き込まなければ良かったとまた後悔がつのった。
息が止まりそうになり、エーダリアは短く息を詰める。
「今の生き物に噛まれて、どうやら祝福を与えられたみたいなんだけど…………」
「……………ああ」
「…………男友達が出来るらしい」
「………………と、友達?」
「うん。友達を得られる祝福をくれるみたいだね。僕は男友達みたいだよ。その前に噛まれた騎士達もそんな祝福っぽいから、ちょっとどんなものなのか見てみようか」
「……………ああ」
「うわっ、エーダリアどうしたのさ?!」
「エーダリア様?!」
思わずがくりと屈み込んでしまい、驚いたノアベルトが駆け寄ってくる。
腕を掴んで立たせて貰い、エーダリアは深い溜息をついた。
アメリアも驚いたのか声を上げていたが、彼は騎士なのでまずは、隔離された謎の生き物との間に立ちはだかってくれている。
「…………お前が、どこかを損なったのかと思ったのだ。…………本当にそれ以上の影響は受けていないのだな?」
胸を撫で下ろし、自分でも意外なほどに大きかった動揺を受け止めながらそう言ったエーダリアに、塩の魔物は青紫色の瞳をふわりと瞠った。
「…………ありゃ。…………ええと、僕はこれでもかなり高位の魔物なんだよ?」
「…………それでも案じる。私が未熟でその程度を計れないのだろうが、家族のようなものなのだ。あのように見知らぬ生き物に噛まれたら、心配にもなるだろう…………」
「…………エーダリアは心配性だなぁ。…………はは、僕はほんとうに、ネアにここに連れて来て貰って良かったなぁ…………」
その声音は酷く儚げで、思わず契約の魔物の顔を見上げると、ノアベルトは目元を染めてさっと顔を背ける。
「…………僕はもう、友達は充分かなって思うんだ。またここに誰かが来ても、僕の取り分は譲れないからね」
「そ、そうなのか…………?」
「絶対に嫌だね。ここは僕のリーエンベルクだからさ。そいつが、みんなと僕より仲良くなったらどうするのさ。………うわ、この祝福、どうしようかな…………」
「では、外に友人を作ってしまえばいいのではないか?」
「…………うん、そうしようかな。外にきちんと家や国を持ってる…………うーん、男かぁ…………」
そう笑ったノアベルトは、おやっと眉を持ち上げる。
するとそこには、やはりノアベルトが噛まれたとなって驚いたものか、抜いた剣をするりと鞘に戻しているアメリアがいた。
彼は調整や指揮に向いた騎士ではあるが、それでもリーエンベルクの騎士であるだけの力量も兼ね備えている。
中でも剣技はなかなかのもので、氷雪の系譜の魔術を添わせるのだ。
「すまないな、アメリア。私が平静を保てなかったことで、驚かせた」
「いえ、ノアベルト様は我々の大事な癒し…………隣人ですから、万が一のことがあっては困りますからね」
「…………癒しなのだな」
「…………わーお、男からそんな風に言われたの初めてだなぁ」
「…………狐の時のことではないのか?」
ほっとしてそんな会話をしていると、隔離結界の中の金色の布がめえと鳴いた。
今度の隔離結界は塩の魔物が整えたものなので、容易に破れないものか、その中で困惑したようにうろうろとしている。
時々体当たりしているが、やはり破れないようだ。
どのような生き物なのか分かって来たので、もう野生に返してやっても良さそうなのだが、まずはノアベルトに、先に噛まれた騎士達の様子を見て貰うことにした。
「ありゃ、ゼベルも噛まれたんだ」
アメリアに見張りを任せ、騎士棟の控え室に行けば、消毒などを終えたばかりの騎士達がいる。
最初に噛まれたのは、森からの飛ばされて来たあの生き物を素手で掴んでしまったゼベルだ。
「お恥ずかしながら、うっかり素手で受け止めてしまって、すぐに噛まれました」
「僕も噛まれたんだけど、別に悪い祝福じゃなさそうだよ」
「ええ。奥さんもそう言うので少し安心していたんですが………」
「どれどれ、…………ええと、女友達が出来る祝福だ」
「え……………」
「キシャー!!!」
ノアベルトの見立てにより、ゼベルは肩の上で荒れ狂う夜狼の伴侶を宥めるのに必死になっていた。
その様子を怖々と見守り、ノアベルトと顔を見合わせる。
「わーお、こりゃいい事ばかりじゃないかもだぞ……………」
「……………ああ。用心しよう。次はロマックだな」
「ありゃ、ロマックなんだね」
げしげしと顔面を肉球の前足で蹴られているゼベルを苦笑しながら見ていたロマックは、そんなゼベルから先程の生き物を剥ぎ取り、隔離結界に入れたことで噛まれている。
近付いたノアベルトに丁寧に一礼し、噛まれた方の左手を差し出した。
小さな歯型が赤くついているものの、血は滲んでおらず痣のようなものだ。
治癒で消してしまうことは容易いのだが、痕跡を消すことでどんな祝福なのか辿れなくなるといけないと、残しておいてくれたらしい。
「……………ありゃ。竜の友達が出来るらしいよ」
「なんと!美しいご婦人だといいのですが。…………エーダリア様?」
「……………い、いや。何でもない。良い祝福だったな」
「ありゃ、エーダリアもしかして羨ましい?」
「…………竜の友人か…………」
そのようなものがあるのであれば、噛まれてみるのもありかもしれない。
だがここで、友人の区分が男女だけではないと判明したので、更なる注意は必要だろう。
「エト、………お前は足を噛まれたのだったな」
「ええ、ロマックが隔離結界に入れる前に一度逃げようとしたところを。こちらの守護結界はすり抜けてしまうので、悪しきものではないと思ってはいましたが…………」
「…………あ、噛まれたんだ」
最後にもう一人、噛まれた騎士の方に連れてゆくと、ノアベルトは少しだけ複雑そうな表情を過ぎらせた。
それはほんの一瞬のことだったが、ノアベルトはこの騎士には色々と思うところがあるのだ。
実は、他の騎士達が銀狐を甘やかす中、彼だけは長らく冷ややかな対応であったらしい。
エーダリアの評価としては、エトは寡黙だが良い男だと思う。
元はウィーム貴族の中でも、王家に準じる家柄の出だが、母親がとある精霊の求婚を断ったことでその恨みを買い、生まれながらにして一つの呪いをかけられている。
その結果彼は、誰からも愛されないという重すぎる苦しみを背負って生きてきた。
それでも呪いのことを理解している両親からは大事に育てられ、とは言えその呪いが障害となるからと家督は弟に譲り、自らは手に職をつけて家を出るべく研鑽を積んだ。
そんなエトの生活は、リーエンベルクに来て一変したことだろう。
リーエンベルクの敷地内には、階位の低い障りなどは排除する為の仕掛けがある。
どうやらその仕掛けの為の祝福の一つが、彼の母親に呪いをかけた精霊のものだったらしい。
結果として彼は、リーエンベルクでの騎士就任手続きを終えた段階で、生まれてからずっと背負って来た呪いが消えたのだ。
いつだったか、誰にも愛されないという呪いを受けた自分を、どうしてリーエンベルクで採用しようと決めたのか、エトから尋ねられたことがある。
酒席でのことだったので、エーダリアが冗談めかして自分も王都ではそうだったと言えば、エトは目に涙を浮かべて深く頭を下げてくれた。
(根は優しい男なのだ。愛されない苦しみを知っているから、彼は他人の心に敏感であるし、愛し方を知らないだけで愛することを得てゆこうとしている…………)
だから銀狐に対しても冷淡だったのではなく、まだそのような生き物に対してどう振る舞えばいいのかを知らなかっただけだと思う。
凍った地面の上から助けて貰いすっかり懐いた銀狐がボールを持って行ったところ、翌日、魔術湿布の世話になるくらい付き合ってやったのがその証拠だ。
グラストから、呪いがあった頃は獣達は寄り付きもしなかったので、張り切ったのだろうと報告があった。
「…………えーと、………魔物の友達が出来るらしいよ」
「魔物の…………友達か」
祝福について説明され、エトは思わずノアベルトの顔を見上げ、目元を染めて慌てて視線を彷徨わせた。
ノアベルトもおろおろしてしまい、エーダリアは何だか微笑ましくなる。
「そう言えば、ノアベルトもそのような祝福を貰ったと言っていたぞ。せっかくなら二人で…」
「エーダリア様?!」
ぎょっとしたようにこちらを振り向き、エトは思わず声を張り上げてしまったことに気付いたのか、ぱっと口元を覆った。
そうしてまたノアベルトの方を見て、目が合ったのかお互いにもごもごと何かを言っている。
「エ、エーダリア様、俺はこの後は森側の見回りですので!」
エトは慌ててその場から走り出してゆき、ロマックが声を上げて笑う。
「ははは!こりゃあエーダリア様も人が悪い。エトは友達になりたくても素直にそう言えないんですから!」
「いや、ちょうどノアベルトも男友達が出来るという祝福だったからな」
「…………ゼベルを見ていると、女友達が出来るという祝福もあるんですよね?」
「あ、ああ………?」
「と言うことは、ネア様にもとうとう念願の女友達が出来たりするんじゃないですか?」
ロマックは勿論、良かれと思ってそう言ったのだろう。
しかしそれは、ノアベルトに劇的な変化を齎した。
「……………エーダリア、あの生き物は僕が責任を持って遠くに放してこよう」
「……………ノアベルト」
「ネアには僕達がいるんだから、他にはもういらないよね?」
「…………だが、………やはり同性同士の会話というものも…」
「貴族の女の子や、妖精?それとも精霊かな?…………そんなのが、僕達の生活に入ってくるとどうなると思う?リーエンベルクには、僕は勿論のこと、シルやヒルドだっているし、エーダリアだって…」
「最初の段階で危うさが伝わった。遠くに放してこよう………」
「え、それはそれで複雑!僕が魅力的過ぎて、相手の子がネアを放ったらかしにするからだよね?!」
「……………そうだな」
「目を逸らさないで!」
ロマックは、こりゃ無理そうだなと苦笑していたが、確かにノアベルトの言い分はもっともであった。
(特等の魔物達は、得てして人間の心を狂わせる。…………仲の良い姉妹が殺し合い、母と子が憎み合うこともある。…………ネアの周りにいる魔物達は、…………いやヒルドもか、………いささか業深いな…………)
目が合っただけで相手を思い通りにし、信仰の対象になるのが特等の生き物達だ。
その輪に引き込んでおいて平静でいるようにと頼むのも酷な話である。
しっかりとした伴侶がいても伴侶が気を揉むであろうし、探すとなれば完全に嗜好の違う者でなければならない。
(…………こちらで選定した者ならばとネアに伝えるのも、傲慢な話だしな…………)
ゼベルのような気質の女性がいればいいのだがと思っていたところで、ふと、アルテアが一人だけ候補が出来たぞとノアベルトと話していたのを思い出した。
「…………そう言えば、秋告げの舞踏会でネアの同性の友人候補がいたと、アルテアから告げられてなかったか?」
そう尋ねると、先程の金色の生き物のところに戻る為に隣を歩いていたノアベルトが、小さく微笑んだ。
「そうそう、秋鮭だね」
「秋鮭………………」
「棒状の毛皮の精霊だよ。ただし、伴侶がかなり警戒してるみたいだから、難しそうだってさ」
「…………棒状なのだな」
ここでエーダリアは、少しばかりネアが不憫になってきた。
自分とて女性ばかりに囲まれてしまい、同性の友人が周囲にいなければ、きっと気詰まりなこともあるだろう。
だが、そういうものなのだと、心の中で魔術師としての自分が呟く。
魔物は愛する者に狭量だ。
今の状態は多くを許しているくらいであって、これ以上をと望むのはあまりにも酷である。
(……………私は、ネアとは全く逆だな。異性の友人は殆ど……………)
そう思った途端、胸が苦しくなった。
仄かに甘い思いを抱いていた風竜の女性は、エーダリアに心を寄せてくれるどころか、あっという間に伴侶を作ってしまったではないか。
「……………ありゃ、エーダリア?」
「いや、…………私も竜と友人になれる祝福が必要だったな」
「…………あ、あの手紙の子のことか。…………うーん、竜限定の祝福が選べるなら噛まれてもいいかなと思うけどさ、魔物や精霊だと厄介だからなぁ…………げ!ヒルド?!」
ノアベルトはいつも、その辺りは柔軟な対応をしてくれる契約の魔物だ。
本人も女性関係は華やかなので気にならないらしく、そんな風に考えてくれたらしい。
しかし、エーダリアとノアベルトにとって最も恐ろしい一人のシーが、折悪くそこに立っていたのだった。
鮮やかな瑠璃色の瞳を細めて、ヒルドは冷ややかに微笑む。
「おや、竜のご友人欲しさに、先程まで得体の知れない生き物だと警戒していた魔物に、あえて噛まれようというご相談ですか?」
そう尋ねる声はひどく優しく、エーダリアとノアベルトは真っ青になった。
「ごめんなさい…………」
「ヒルド、例え話で…」
「例え話であれ、蝕の最中に、エーダリア様の立場でその発想は、いささか無責任と言わざるを得ませんね」
「…………すまなかった」
件の金色の生き物は、その後すぐにヒルドがどこかに捨ててきてしまったようだ。
ノアベルト曰く、きっとかなり遠いところだろうと言うが、エーダリアもそう思う。
なお、その生き物は蝕で反転していたことが、暫く後にガレンの魔術師の工房で判明した。
一人の魔術師が飼っていた銀色雪鳥が、蝕の間だけそのような形状と色彩の生き物に反転したというのだ。
本来の銀色雪鳥は、噛まれると友人や知人との縁が切れる恐ろしい魔物であり、蝕の間だけ良い生き物になっていたのだろう。
黒水晶の鳥籠に入れられた銀色のレースのハンカチのような生き物を見ながら、エーダリアは、その蝕の日に金色の布に噛まれておかなかったことを少しだけ後悔した。