麦食いの魔物と泉の妖精
ある日、リーエンベルクに一人の魔物が訪れた。
麦の穂色の髪に黒い瞳をした、可愛らしい女の子だ。
二本のおさげ髪に清楚なドレス姿の、爵位のない魔物なのだと聞く。
「ネアに会いたいんだって」
グラストが応対し、ネアに取り次いだのはゼノーシュだ。
対外用の姿に擬態しているので、白持ちであることは内緒らしい。
ゼノーシュが大丈夫だと判断したのだからと、ネアは別棟の衛兵用の控え室に通されたその少女に会いに行った。
(とは言え、本宮には入れてあげないのか)
ネアとしては普通に住めそうなくらいの部屋だが、離宮の部屋に慣れてしまうと、やはり少し簡素に感じる。
(……少し毒されたかな)
庶民の生活に戻れるだろうかと、ネアは少し不安になる。
もしもの時の為に、価値観はあまり狂わせたくない。
「は、初めまして、ネア様!コゼットと申します!」
「初めまして、コゼットさん。そんなに緊張しないで下さいね。そして、私に会いに来て下さったということですが、どのようなご用件でしょう?」
ネアが入室するなりぴょこんと飛び上がり、折れそうなくらいの激しさで頭を下げてくる。
この慄き具合が何によるものなのか、ネアは内心首を捻る。
そして、見るからに庶民な魔物なので、少しひやりとして記憶を辿った。
(もしや、転職活動の時に会ったことがある魔物さんかな……)
もしそうであれば、背後に立つディノの反応が怖い。
「あ、あのっ!ネア様は妖精狩りが得意だと伺いました。狩って欲しい妖精がいるのです!!」
「成る程、狩りの女王への依頼でしたか」
「……浮気じゃなかった?」
「ディノ、疑問形にしないで下さい。この出会いからは、決してそちらに進展はしませんから」
「ネア様申し訳ありません。私には心に決めた方が!」
「コゼットさん、私は同性と恋愛する趣味は一片たりともありません。私の魔物の発言には、耳を貸さないで下さい」
ちらりとディノの方を見たコゼットが、ぴゃっと飛び上がり震えている。
どうやら、恐怖の要因はディノらしい。
ゼノーシュの対応を見て、こちらも白持ちは隠させて擬態しているのだが、それでもこの美貌が怖いのだろう。
美しい程、高位になる魔物だ。
ビクビクする度におさげ髪が跳ねるので、ネアの中では可愛らしい生き物に分類された。
「どうしてその妖精さんを狩って欲しいのですか?悪さでもされたのでしょうか?」
「はい!心臓を盗まれたんです!だから、絶対にレイスを私のものにする必要があるんです!」
「心臓を……中々に物騒ですね。私に駆逐出来る相手でしょうか?」
「駆逐しちゃ駄目です!私の旦那様になって貰うんですから!!」
「……はい?」
聞くところによれば、コゼットこと麦食いの魔物は、泉の妖精レイスに一目惚れをしたのだそうだ。
レイスはコゼットを上手く転がして金品を巻き上げ、コゼットはこれだけ貢いだ深い仲なのだから結婚すると信じている。
とても分かりやすい関係性の二人だった。
「何と言うか、とても関わり合いたくないお二人と言うか、共になるようにしかならない残念さを覚えます」
話を聞き終えて、ネアは半眼になった。
これは他人が手を出してはいけないやつだ。関わり合いになるだけ、外野がとばっちりを食う。
(そして、麦食いの魔物って何なのだ)
やはり世界は謎に満ちている。
そんな虫はいるかもしれないが、魔物となるともう何をするのか良く分らない。
「そんなことを言わないで下さい!もう、ネア様にしか頼めないんです!!私とレイスを応援して下さい!」
「コゼットさん、私とあなたは全力で他人です。なぜに頼もうと思ったのかさえわかりません」
「そう言わずに……っ!」
一応全員がテーブルについていたのだが、立ち上がったディノに、コゼットは真っ青になって黙り込む。
眉ひとつ動かさずにコゼットを黙殺して、ディノはネアに手を差し出した。
「ネア、帰ろうか」
「……そう、ですね」
立ち上がりかけて、ネアは少しだけ躊躇する。
さすがにこのままでは、コゼットが不憫だと思ったのだ。
きちんと説明をしてから断っておこう。
「コゼットさん。私はガレンエーベルハントに雇用されている歌乞いですので、個人的にお仕事をお受けする訳にはいきません。そしてまた、知り合いではないあなたの為に、個人的にお手伝いをすることもありません。お友達の方に相談するとか、民間で依頼を受けてくれる機関に依頼するとか、どうぞ他の方法をあたってみて下さいね」
「……そんな」
立ち上がり、テーブルに突っ伏した麦食いに一礼してからディノの手を取ると、ネアは部屋を出た。
「どうしてあの魔物を通したんだ?」
静かな声で、ディノがゼノーシュに問いかける。
一緒に部屋を出たゼノーシュは、僅かに首を傾げて困ったような顔をした。
「ネアが、妖精狩りが好きだと思ったから?」
「ゼノ、妖精を狩るのは仕事の為と、戦わねばならないと判断した時だけです」
「と言う訳だからゼノーシュ、今後は誰も招き入れてはいけないよ?」
「わかりました」
ゼノーシュが深く一礼する姿を見ると、今や一つ屋根の下で馴染んだ家族のように見えても、このような場であれば一線を引き直すのだと知る。
やはり、階位というものは明確に存在しているようだ。
廊下に控えていた騎士達に、ゼノーシュが何かを伝えていた。
騎士達があの部屋に向かうので、コゼットにお帰りいただくのだろう。
「ディノ、麦食いの魔物とはどんな魔物さんなのですか?」
「……浮気?」
「違いますよ。名前から生態が想像出来ないだけです」
「麦を食べるんだよ」
「……一層に謎に包まれました。あの方は、その為だけに魔術を持って生まれたんですか?……と言うか、あの子と契約している歌乞いさんは、どんな恩恵があるのでしょう……」
「麦畑で要らない麦を間引きするんだよ。あと、倉庫で古くなった麦を食べるそうだ」
「……まさかの廃棄係だった」
あの魔物は、歌乞いと契約をした魔物だった。
ウィームの郊外の農場で働いていると聞いたが、そういう仕事をしているらしい。
やっと全容が掴めて、ネアはすっきりした。
しかし、まだ一つ疑問が残る。
「ゼノ、あの方はそもそも、どこで私のことを知ったのでしょう?」
「麦食いの天敵がムグリスなんだって。ムグリスの女王から聞いたみたい」
「……ムグリスは麦を食べるのですね。そして、意思の疎通が出来るとは驚きです」
ムグリスは、丸いふくふくの体に短い耳の、鼠科にしか見えない兎の妖精だ。
冬の間だけ、ウィームに渡ってきている。
一度外に出る回廊を通り、二重の扉を経てから、本宮に繋がる広場に出る。
広場には魔術の花が咲き乱れ、雪を積もらせても水の流れの絶えない噴水を彩っている。
魔術というものがなければ、決して成立しない光景だ。
「……何だかあの魔物さん、心配ですね」
「ネアはお人好しだね」
「ディノ、そういう意味ではありませんよ。少し嫌な予感がするんです」
「書き換えて、なくしてきてあげようか?」
「そういう問題の断ち方をしてはいけません!」
その場はそう言って収めてしまったが、やはりネアの予感は当たってしまった。
「へぇ、お前がコゼットの歌乞いか」
コゼット来訪から三日後、ネアは街の裏通りで、見知らぬ青年に声をかけられた。
今日はディノは同行していない。
祝祭用に頼んでいた贈り物の受け取りに来たので、サプライズにするべくディノはお留守番だ。
荒ぶらないよう、置いて行く理由までは伝えてある。
微妙にサプライズ感を欠くが、それを言わなければ置いてゆくことも難しい。
代わりについてきた護衛二人が、ものすごく険悪な雰囲気でその青年を見ている。
青年は、とても美しい。
淡い金色の髪に淡い水色の瞳。そのどちらにも、微かな薄桃色が混じり合う。
美貌と称するには少しだけ、下がった目尻が柔らかさを加えており、それがまた何とも言えない愛嬌を添えている。
背は高いが、ディノやヒルドよりは幾分か低いだろう。
「どなたでしょう?私は、コゼットさんの歌乞いではありませんよ?」
ネアがそう返事をすれば、声を上げて小さく笑って親しげに肩を叩かれた。
「でもどちらでも同じだよ。お前が、コゼットの為に僕を捕まえるって、彼女から聞いたよ。……へぇ、悪くはないかな。捕まえられてやったら、僕にお前の何をくれるの?」
流し目であろう仕草が何とも色っぽい。
しかしネアは、色気は全く別の要素から覗くのが好みであったので、あからさまな仕草にはさほど心惹かれなかった。
(とても綺麗だけど、好みからはまた、外れているしなぁ)
好みと言うなら、振り返って居る二人の方が余程好みだ。
好みではなくても単に美しいとなれば、今日、エーダリアが会いに行っているダリルの方が美しい。
更に、美貌の質は劣るが味わいのある魅力的な雰囲気となれば、以前居た煉瓦の魔物に軍配が上がる。
要するに、残念ながら、どこの一番手も器用に外してきている。
(そして、案の定しでかしましたね、コゼットさん!)
「申し訳ありませんが、私は、一度しかお会いしたことのないコゼットさんのご依頼を受けるつもりはありませんし、その結果、あなたに何かを差し上げるつもりもありません」
「へぇ、そうなんだ。じゃあさ、お茶でもしない?」
「話を聞かないタイプだ」
うんざりとしたネアに、青年はなぜか攻勢を強めた。
「興味のない素振り?僕はお前が想像するより遥かに上手いよ?試してみようか」
「今のところ、何一つ上手くこなされておりませんが」
「………ネア様」
割り込んだ声に、ネアはぎくりと振り返った。
居眠り拘束事件以降、ほんのりとした怖さを強めた妖精が、ネアの肩に手をかけて微笑んでいる。
慈愛に満ちた優しい微笑みだが、残念ながらその目は全く笑っていない。
「ヒ、ヒルドさん……」
彼が足元までのボリュームのあるケープ姿なのは、大きな羽を隠す為だ。
ウィームとなれば妖精もさして珍しくないが、美貌が美貌なので悪目立ちしないようにその服装なのだろう。
「私がこれを処理してくる間、ゼノーシュ様と一緒に待っていて下さいね」
体を屈めて耳元でそう言われた。
あえて親密な風にされたのは、目の前の青年に見せつける為だろうか。
「他の妖精の庇護がある者に手を出すとは、品位だけではなく自衛力にすら欠けるようだ」
刃物のような静かな声で斬りつけると、ヒルドは、青年が反論すら返さないうちに相手の羽の付け根を鷲掴みにしてどこかへ引き摺っていった。
青年の背中には、薄桃色の見事な羽があったのだ。
「私、妖精さんの庇護なんて受けていましたっけ?」
残されたネアは、腕をしっかりと掴んでいるゼノーシュに問いかける。
後を任されたので、ゼノーシュはとても過保護なご様子だ。
「ヒルドがネアのこと庇護してる」
「まぁ、知りませんでした!……と言うことは、捕食されることはなさそうですね」
「……そもそも、ヒルドの種族は人間を食べたりしないから」
「そして、先ほどの方が、コゼットさんの想い人のようですね。妖精さんは羽の付け根を掴んで運ぶのが一般的だと、初めて知りました」
子猫を運ぶ母猫のようで、見ていて見事な運搬に感嘆の声を上げてしまいそうだった。
「あんな運び方が出来るのは、シーだけだと思うよ」
「やはりヒルドさんは強いのですね」
十分程で、ヒルドは戻ってきた。
片手の袖を捲っていたので、ネアは微かに慄く。
一体何をしてきたのだろう。
「もう、あの妖精がネア様を煩わせることはありませんので」
「……あの方、生きていますか?」
「さすがに殺しはしませんよ」
「そのお返事から、結構なことをされてしまったと察しました」
ヒルドは答えずに、小さく微笑んだ。
あの青年も、鬼教官の目の前で何とも愚かな失態をしたものである。
「彼のように、体に薄紅色の色彩を持つ妖精は、淫奔で人間の誘惑に長けています。決して関わらないようにして下さい」
(……薄紅色)
「薄紅色と言うか、薄桃色?」
「その系統の色彩は全てですね」
「以前、金貨狩り……リズモの薄桃色なら捕獲したことがありますが……」
ネアがそう伝えると、ヒルドはあからさまにぎょっとした表情になった。
「………まさか、祝福を?」
「ええ。祝福を貰いました。ディノも一緒でしたよ?」
「………あの方はなぜ止めないんだ」
歩きながら、ヒルドは片手を額に当てて遠い目になる。
なぜか反対側のゼノーシュも同じような目をしていた。
「何か問題があるのですか?」
「あの種の妖精の祝福を受けると、無作為に選択した異性を惹き寄せます。見境なしに作用するので、とても危険なんですよ」
「………なんと」
「その後、特定の誰かに言い寄られたりはしていませんか?」
「いえ、特にはないと……」
「ディノ様から貰った指輪は幾つ目でしょうか?」
「四個目でしょうか」
「……それでまだとなれば、もう少し時間が
かかりそうですね。私からも、何か虫除けになるものを贈りましょう」
「え、あの、お気になさらずに。特に何の変化もありませんよ?」
「あってからでは遅いんですよ。言ったでしょう?厄介なものだと」
「……はい」
「ネアはもう少し危機管理しようね」
「ゼノにまで怒られた……」
帰り道がなぜかお説教となり、ネアはあの青年とコゼットのことを、心から呪った。
その後あの青年がネアの前に現れることはなく、麦食いの魔物は、背中に傷のある羽のない青年を引き取って伴侶にしたそうだ。
その青年がかつての妖精なのかは、ネアは恐ろしくて聞けなかった。