死者の王と収穫のパイ
「ウィリアムさん、今年はクロウウィンが蝕の後になってしまうのですよね?」
柔らかな陽射しの差し込む厨房で、誰かがそう微笑みかける。
青みがかった冬の日の朝靄のような髪がさらりと揺れ、その毛先の曲線に指を絡ませたくなった。
こちらを見る灰紫の瞳は夢見るように煌めき、かつてこんな瞳をしていた友人のことを思い出した。
ああ、あれは誰だったのだろうか。
満開の花を散らせるその木の下で、殺した筈のこの瞳がまた開いてしまったことに堪らない気持ちで流れない涙を流した日、そっと、殆ど獣のようになってしまった手が頭に乗せられた気がした。
それはきっと、あまりにも苦しくて見た夢だった筈だ。
その時の彼にはもう自我など残ってはいなかった。
だから、グレアムが君のせいじゃないと言ってくれる筈がない。
「ウィリアムさん?」
名前を呼ばれて瞬きをすれば、そこはまた先程の厨房に戻って来ている。
意識は朦朧としていてまるで酩酊状態のようだが、それでもその少女の声は耳に心地よかった。
「………クロウウィンだったか?」
「ええ。蝕の年は、諸々の祝福でえいやっと終わり良しにする為に、直近の一番大きな祝祭をその後に持ってくるのですよね。秋の系譜の皆さんも、蹴散らされた中から収穫や豊穣をもう一度取り出す為の祝福を、大盤振る舞いで振り撒いてくれるのだとか………」
「そうだな、確かに蝕があると、その後にはあえて大きな季節の祝祭を充てがう。傷を癒す為に祝い事の魔術を散らし、蝕で失われるものも多いが、それを悲嘆の涙ではなく祝祭の流儀で送れば、祟ることや穢れとなる可能性も低くなる」
「……………確かに、苦しみや悲しみで祀り上げられるよりは、華やかな祝祭で飾られてまた今度と言われる方が、送られる側はほっとするのかもしれません」
どこか儚く、そして排他的な瞳を細めて少女は微笑む。
「大切な人を送る日のことは、ずっとずっと記憶に残ります。…………そしてなぜか、その記憶に焼き付けられる光景は、決して選べないんです。記憶に残しておきたかった幸せなものを押し出して、なぜか病院の窓から見えた青い空しか覚えていられなかったりもするので、華やかで美しい祝祭の額縁にその思い出を入れられれば、喪った人の面影は優しくなるのかもしれません…………」
その言葉に、ぱちぱちと燃え盛り、焼け落ちてゆく街が崩れる轟音が重なった。
この煙の香りと、火の祟りものを投げ込まれて燃え落ちてゆくその終焉の向こうに、蹂躙されて無残に打ち捨てられた仲間達の遺体が見えた。
咽び泣いているのは誰だろう。
泣き崩れた一人の女が、どうしてこの街を守ってくれなかったのかと詰る声が聞こえた。
そんな女を窘め、誰かが抱きかかえるようにして彼女を連れてゆく。
「身勝手なものだ。レイラとて、選ばなかったじゃないか。あの青年は、彼女が十日ほど会いに来なくなったと落胆していた。大切な人を殺されたのは彼女だけじゃない。ウィリアムだって、系譜の仲間達や、守護を与えた友人達を殺されたのに…………」
そう慰めてくれたのは、誰だったのか。
けれども、悲劇の連鎖のように伴侶にと望んだ一人の人間を喪ったレイラは、その後誰か一人を愛することはなくなった。
何人もの歌乞いと契約し、あの日の悲劇を引き起こした人間を蔑み睥睨しながら、それでも人間達の手を離そうとはしない。
目を凝らして見てみても、彼女の歌乞い達にはさしたる共通点などはないように思えるが、もしかするとその中のどこかには、かつて愛した人間の面影があるのかもしれない。
寵愛を与えるのは妖精の女達ばかりになり、かつて一人の青年に向けたような、屈託のない微笑みを浮かべる姿はもう見なくなった。
「修復が指輪の数を見誤って崩壊しただろう?だから自分は、たっぷりと指輪を贈るのだと嬉しそうに話していた。あんな風にレイラが声を上げて泣いたのを見たのは、俺は初めてだったよ。最後の最後で、愛していると言うことが恐ろしくなったそうで、躊躇いに時間をかけ過ぎちまったなぁ………」
共に飲んだ小さな国の小さな蒸留場横の酒屋で、悲しそうにそう話したのは包丁の魔物だろうか。
気のいい男だったが、彼は健やかな日常の生活を司る系譜の魔物であるのに対し、こちらはその終焉を告げるものであったので、やがて会話が噛み合わなくなり疎遠になった。
魔物にしては珍しく幸福な結婚生活を送り、その後も仲睦まじく伴侶と暮らした稀有な魔物だ。
ラエタの一画にあったあの街が焼け落ちた後、ウィリアムは瓦礫の山になったその中を一人でくまなく歩き回った。
せめて誰か一人、一人でいいから、生き残っていてくれれば。
終焉は優しく平等な魂の洗浄だと、そう話していたあの魔術師や、終焉があるからこそ人間のような生き物でも善良であれるのだと、どこか気弱な微笑みを浮かべて伝えてくれた詩人。
本来なら恐れ厭う筈の死者の王を、あの街の人々は決して恐れなかった。
勿論、高位の魔物としての畏怖を感じた上で接しているのはよく分かったが、それでも収穫祭のダンスの輪に招き入れてくれたり、年の瀬の特別な酒を振る舞い、一緒に笑ってくれたりした。
「…………初めて、人間達の中に混ざり、まるで普通の人間の一人のように過ごしました。…………それは、とても不思議な安らかさで、自分が集団の中の一人だと感じると、妙に胸が熱くなったんです……………」
そんな話をしたのは、万象の王だ。
ウィリアムの言葉に生真面目に頷くと、シルハーンはどこか悲しげに微笑む。
はらりとこぼれた長い白い髪には、ありとあらゆる色の光の影が揺れていて、近しい階位のウィリアムの目にも眩く見える。
「であれば、彼等を守ってやるといい。私にはどうしても分からないものばかりだけれど、きっと君にそのような安らぎを齎す者達なのだから、君にはとても必要なものなのだと思うよ」
愛するということは何だろう。
愛されるということは、どんな形だろう。
その彩りを知らない人ではあるが、シルハーンはそれを誰よりも望む人だった。
けれども多くの生き物は彼を恐れてしまうし、彼自身もまた、その心の動かし方を知らない。
でもシルハーンはいつも、この身を厭わず恐れない一人でいてくれた。
心の動かし方を知らないだけで、優しい人なのだとグレアムは言う。
ウィリアムもそう思っているし、ギードだってそうだろう。
だから、シルハーンが微笑んでそう言った時に、ウィリアムはそれでいいのだと安堵したのだった。
ごうごうと火が燃えて、その全てを飲み込んでゆく。
ラエタのあの街は全てが焼け落ちて、遮蔽魔術で隠し閉じ込められて焼き尽くされたその中で生き延びた者はいなかった。
たまたま街を出ていて難を逃れた者達がおり、彼等が咽び泣くのを見ながら、ラエタを滅ぼすことを決意したその頃、他にもまた何人かの魔物達が、別の理由で同じ決意をしたのは幸いか。
(あの、安らかな場所はなくなった。終焉などを司っていなければ、あの街が襲われたその日だって、彼等を側で守れたかもしれない…………)
側に寄り添えば、終焉程に滅ぼすことに向いた資質もないだろう。
損なわれないこの身だからこそ、降りかかる災厄を跳ねのけることには長けている。
それなのに終焉故の多忙さで、いつも肝心な時にはいつも、その場所には居られないのだ。
燃え落ちて瓦礫の山になったその残骸もやがて風化して消え失せ、その後は幾つもの国で、集落で、積極的に人間達と関わった。
終焉だと知らずに親しくなった者も、終焉だと知って親しくなった者も、やがてはみんな終焉を呪って目の前からいなくなる。
死者になってもこの手を取ることはなく、死者は死者でも彼等は彼等の領域を持つ、ウィリアムを厭う人間のままなのだ。
「可哀想に、そんな風に疲れきって。人間に期待することなど、やめてしまいなさい」
そう微笑んでこの体を抱き締めたのは、艶やかな深紅の薔薇のシーだった。
触れたら損なってしまいそうな繊細な花の身に触れ、そんなに柔な花ではないのだと笑い飛ばされる。
その代わりに彼女をこの上なく愛することを要求はされたが、時として鳥籠の中を滅ぼすばかりの日々は、その約束を守り続けることすら許さなくなる。
そんなことが重なったある日、どうやらウィリアムは、彼女からの求婚の最中に眠ってしまったらしい。
目を覚ました時にはもう、彼女は立ち去る準備をしていて、慌ててその瞳を見上げたウィリアムに、冷やかな拒絶の言葉を投げつけた。
部屋を出てゆく美しいドレス姿を呆然と見送り、それでもと引き止める手を伸ばせなかったのは、やはりこの心が冷淡で身勝手な男のものだからなのだろうか。
愛したと思っていた筈の者達が去り、友も去った。
平坦に生きることはすっかり慣れたし、気が向けばまた人間達に紛れて暮らすだろう。
ある程度の心を生かし続けることは、いつまででも出来そうだ。
そんなことに今更驚いていると、シルハーンが、歌乞いの契約の魔物になったということを知った。
そうしてあのガゼットの戦場で無防備に立ち尽くしていた彼女に出会い、彼女の微笑みを介してまた、ずっと昔から知っていた筈のシルハーンや、アルテアや、ノアベルト達と頻繁に会うようになったのだ。
ぱらぱらと細やかな雨が降る。
冬の夜明けのその雨音を聞きながら、慣れない寝台で眠った。
そこは死者の国のとある屋敷にある寝室で、反対側でぐっすりと眠っている誰かの体温を感じ、その安らかさに胸が潰れそうになる。
その少女は、ウィリアムの隣でも一つの警戒もなく、やっと安心出来るようになったとでも言わんばかりにぐっすりと眠った。
酷く消耗していても警戒を怠らずに体を強張らせてきた彼女が、側にいると安心して眠る。
その安らかさにつられて眠ってしまい、目を覚ましてから、側に居る為に駆けつけたのにすっかり眠っていてすまないと言えば、不思議そうに首を傾げてから微笑むのだ。
「あら、でもこうしてお仕事を終えてから、ここまで来てくれたのでしょう?もう少しごろごろしていますか?私はその隙に、顔などを洗って、ウィリアムさんの横で、ディノとカードでお喋りしていますよ?」
そう言われてほっとした。
多分、いつかの日のロクサーヌのように望まれれば、また自分は仕損じるだろう。
でも彼女の側には、ずっと共に寄り添うシルハーンやノアベルトに、頻繁に気にかけて様子を見てくれているアルテアもいて、この手が届かない時にも必ず誰かが守ってくれている。
濃紺の滲むような夜闇の向こうには、いつも温かな光の灯るリーエンベルクがあった。
そこには必ず誰かがいて、どうしても一人で過ごしたくない夜には、理由をつけてそこを訪れる。
エーダリアやヒルドも、グラストやゼノーシュも、彼等はいつも微笑んで迎えてくれるから、持てる限りの守護や知恵を落とし、いつまでも失われないでくれるように願うのだ。
あの時のラエタの街とは違い、そこは土地の要ともなるべき堅牢さで、他にも多くの者達が公に、そして人知れず旧王家の王宮とその住人達を守っていてくれた。
そんな幸福が、今迄世界のどこにあっただろう。
ネアとは、背中を合わせてその温度を確かめ、それからも何度も一緒に眠った。
そこにはシルハーンやアルテアさえ一緒だった夜や、ノアベルトが狐の姿になって胸の上で眠っていたことすらある。
ネアが、頭の中を食い荒らす術式から遠ざける為に覆ってくれた白い布には、そんなノアベルトの守護がぶ厚く織り上げられていた。
(目が覚めたら、蝕の後始末をして、クロウウィンが控えている…………)
死者達が地上に上がるその日を、死者の国の墓犬達は、ずっと楽しみにしていた。
今年は、とある複合商店の中庭にある、夜に光る庭園を見に行くのだそうだ。
すっかりウィームが気に入ってしまい、公共施設であってもマナーさえ守れば入れることにいたく感激したらしい。
庭園の後はウィーム中央駅の見事なシャンデリアを見にゆき、最後にはリーエンベルク前広場で美しい領主館を見るのだとか。
エーダリアからも、昨年のネアと墓犬達との交流を見かけた住人達から、いずれは向こうでお世話になるかもしれないのでと、その姿を間近で見られるのはいい機会だという好意的な意見を多く貰ったと伝えられた。
墓犬達は、密かにイブメリアの飾り木に憧れているのだとネアに言えば、その話はいつの間にかエーダリアを通してリノアールの支配人に伝わっていた。
であれば季節を先取りして、クロウウィンの夜の庭園に小さな飾り木のようなものを作っておこうという話になり、その代わりに、リノアールの館内を飾る用途で、飾り木を眺める黒い犬の絵を描いてもいいだろうかということだったので、その程度のことであればと二つ返事で頷いておいた。
死者の国を管理する者達の中には、かつてウィリアムがラエタで守れなかった系譜の者達が多くいる。
成り立ちを変えて新しい姿で暮らしているが、同じ魂から派生した彼等にはどうか少しでも幸せでいて欲しい。
あの日から随分と遠くまで来たが、これからはきっと、この先までまた進むのだろうか。
であればこれからも、胸が押し潰されそうな日には、明かりの点いたリーエンベルクを眺めたり、そこに住んでいるシルハーンとネアを訪ね、また会話が出来るようになった、新代の犠牲の魔物やギードと過ごす時間もあるのかもしれない。
「ウィリアム」
そう呼んだ声はどこか悲しげで優しく、そっと背中を支えた手に安堵して、苦痛と向き合うことに身を任せる。
シルハーンの訪れは、すぐに分かった。
立ち上がることも出来なかったが、どれだけ安堵したことか。
「すみません、シルハーン。………俺は、あなたには知らせたくなかった。あなたは、やっとネアに出会ったのに、ネアはやっとあなたに出会えたのに、…………あなたが何かを削るのだけは、避けたかったんです…………」
頭の中に静かに響いたその声に答えれば、シルハーンが淡く微笑む気配がある。
「そうだね。君ならばそうするだろう。でもね、今回は私がもう、それでは嫌だったんだ。だから君は、これからもここにいなければならないよ。…………ここにいて、どうかネアを、………そして私や、グレアムやギード達を安心させておくれ。きっとノアベルトやアルテアも、口には出さずとも君を案じているだろう。エーダリア達やゼノーシュもそうだと思うよ」
「………………ギードは怒っていましたか?………………ギードにも、………あなたにも、やっと皆幸せになれたこの今になって、……………エヴァの狂乱のきっかけの一つを作った魔術師が、殺し損ねてまだ存命であるかもしれないのだとは言いたくなかった…………。いや、言えなかったんです」
「…………………海竜の戦の後から、その魔術師のことを?」
「いえ、…………あわいの名前を聞くまでは」
ただ、あわいに向かう時にはもう、あの魔術師が糸を引いているのではないかと、どこかで確信していたような気がする。
ダーダムウェルの魔術師の物語の事件をきっかけにして復活薬が生み出され、その錬成を成し遂げた大魔術師が生まれた。
決してその背景を慮るつもりなどないが、併合された小国の王族とは言え、王子としての役目を放棄して大魔術師の弟子になるまでには、リンジンにも様々な苦労もあっただろう。
あの失われた国の栄華を引き摺り、その滅亡に関わった者達を憎むのであれば、それは決してウェルバではない。
そんな確信があったのは、ウィリアムの愛したあの街の住人達の生活基盤を整えたのは、己が軽率に生み出してしまった復活薬を疎んじた、ウェルバという名前の魔術師だったと聞いていたからだ。
目を覚ましたら、ウェルバとも話をしなければ。
そう考えて、頭の奥に残った痛みを丁寧に潰してゆく。
地上にその怨嗟が残る間だけと、あわいの塔に預けたつもりであったので、彼はとうにこのあわいを出て自由になっているものだとばかり思っていたのだ。
恐らくレイラあたりが、管理を途中で投げ出したのか、もしくはあえて知らせずにそのまま彼を置き去りにしたのかもしれない。
(代理妖精を得たということだから、その命に紐付く形で永らえるようになる筈だ………)
とは言え話に聞いたその魔術師の人となりであれば、死者の国に向かい、人間としてのまっとうな終焉とその後の生まれ変わりを望むような気もする。
「……………ったく、お前はいつも、後先考えずに壁に突っ込むな」
「……………アルテア?」
考え事をしていたら、いつの間にか見たこともない草原に立っていた。
辺り一面に繁るのは青緑の見たこともない麦のような植物で、麦穂にあたる部分が水色にきらきらと輝いている。
風に揺れてどこまでもどこまでも続くその草原には、なぜか漆黒の装いのアルテアの姿もあった。
「あわいへの道を辿れば、どこかで見たことのある魔術師の足跡がある。その足跡を刈り取っていたら、今度はお前の記憶のかけらが落ちていたぞ。………良く分らんが、リンジンがその魔術の一端を崩したんだろう。食い壊す筈だったお前の記憶を、そのせいで取り落としたらしい」
そう言って渡されたのは、白い輝きを放つ星屑のような不思議な石で、手のひらに乗せるとしゅわりと光って体に吸い込まれる。
(ああ、………これで繋がった)
「……………助かりました。これは大事な記憶だったのに、真っ先に奪われたんでしょうね。………クロウウィンの前に、ネアがリーエンベルクの菜園で収穫した、秋の収穫野菜のパイを焼いてくれるそうですよ。それをみんなで食べようと、…………そう話していたのに、危うく忘れたままになるところでした……………」
「……………ほお、初耳だな」
「ネアは、あなたも呼ぶと話していましたよ。…………きっと蝕が終わったばかりで皆が疲れているので、美味しいパイを焼いてみせるのだと……………」
言葉の途中で、胸が詰まった。
手作りの食べ物を与えるということは、普遍的な愛情を捧げるという証である。
そんな特別なものをふるまわれ、まるで家族のように皆でテーブルを囲む。
それが、どれだけの恩寵なのか、ネアはそこまでの切実さを知りはしないだろう。
「…………おい、まさかとは思うが泣くなよ?お前の涙なんぞ、見てもうんざりするだけだからな」
「…………泣きませんよ。あの時とは違って、ネアは無事でいてくれましたから。彼女が踏み止まって俺を救い、シルハーンが来てくれた…………」
だから、グレアムとエヴァの時のような悲劇はもう、防げたのだ。
自らの胸の中で呟いたその言葉に胸が軽くなり、唇の端を持ち上げる。
まだ、リンジンの処遇の問題もあるだろうが、あの時のようにウィリアムが剣で始末するだけで終わる筈もなく、ここにはシルハーンも、………恐らくこれから駆け付けるであろうアルテアもいるのだ。
捕えてしまえば如何様にも出来るので、きっともう問題はないだろう。
「最初に間に合ったのは、お前だろうが」
その時、思いがけない言葉が耳に届き、驚いて顔を上げた。
するとなぜか、ステッキの先をこちらに向けたアルテアが、すぐ近くに立っている。
「…………アルテア?」
「あの術式で奪われたものを回収しようと、無意識に迷い出たんだろうが、さっさと体に戻れ」
「…………っ、」
容赦なくステッキの切っ先で突かれ、くらりと視界が暗転した。
どうやら急に体が軽くなったのは、あの肉体を少しばかり離れていたからであるらしい。
疲弊しきった体に戻ることを思えば少しだけうんざりとしたが、ネアの作るパイに間に合わなかったら困るので、そちらが最優先だ。
「……………おっと」
しかし、目を覚まして一番に見る羽目になったのは、ネアの心配そうな顔でもなく、シルハーンや、ギード達の顔でもなく、なぜか胸の上に丸まって眠っている銀狐であった。
ウィリアムは、覚醒に気付いたネア達がやって来るまでの暫くの間、あまりにも熟睡しているノアベルトを落とさないようにと、動けないまま呆然としていた。