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322. 本人確認が出来ました(本編)




ネアが、ダーダムウェルの魔術師に呼ばれて訪れたのは、市場の一画に在る小さな広場であった。


噴水などもあるのだが、周囲を忙しなく行き来する人々はあまりこの広場には注意を払わないようだ。

噴水の内側は水色のタイルになっていて、外側には綺麗な絵の描かれたタイルが張られている。

その模様はどこか、家々の扉の上にあった不思議な文様に似ていた。



「ここは、市場の守りのまじないの上だ。人除けの魔術を敷いてあるからな、周囲の者達は無意識にここに近付かなくなる」



そう言われて周囲を見回す素振りでムガルを探してみたところ、干した果物を売っているお店の横で悲しい顔をして立っていた。


まだ、この少年がどんな気質なのか分らないので、ちょっと行動の不確かなムガルをこの席に呼ぶことはやめておこう。

ここで、ダーダムウェルを怯えさせてしまったり、警戒させてしまったりしたら元も子もない。



二人は噴水の横にあるベンチに座り、さっそく話し始める。



「お前をここに入れた者達は、………目の文様がある魔術師の装束であったり、頭に角のある者達ではなかったか?………或いは、私のように獣の尾を持っていたりは?」



対話開始早々、そう言ってダーダムウェルが見せてくれたのは、太くて立派な虎の尻尾ではないか。


ネアの知る虎よりは毛並みが深く、もさもさふかふかした尻尾にネアは思わずよろよろと手を持ち上げて、端っこをぎゅむっと掴んでしまう。


すると、本能的に身の危険を感じてしまったものか、ダーダムウェルの魔術師は慌ててその尻尾を隠してしまった。



「と、虎さんの尻尾が……………もふもふ」

「い、いいか。魔術師が身に持つ異形の部位は、悪変の証だ。その魔術師が禁術を扱っていたり、咎人である証になる。決して今のように触れてはならぬぞ」

「と言う事は、あなたもそのようなことをして、今のふかふかの尻尾を手に入れてしまったのでしょうか?」

「……………そうだな。私は、魔術の完成に必要な資質を補う為に禁術を使い、目の前で滅びようとしていた悪食の獣の尾を貰ったのだ。他の種族の部位を奪い身に移すということは、人間に限っては禁忌となる」

「人間だけ禁じられてしまうだなんて、少し不公平なのですね。………もふもふ尻尾…………」



またしても尻尾に手を伸ばした人間に、ダーダムウェルの魔術師は、慌てて、ケープの内側から見えていた尻尾の先も、魔術か何かで完全に隠した。



「これ、やめぬか。手を伸ばしても触らせぬぞ。…………それと、人間にこのような行為が禁じられているのは、人間は元々他の種族との成り立ちが違うからよ。魔術を保有するという状態に耐えられる人間はあまりにも少なく、大抵の場合はその負荷に耐え切れずに狂乱する」



そう呟いた横顔はまだ幼さも残るが、瞳に浮かぶ色はどこまでも老成している。

人外者のような目をしているのだなと思い、ネアはふと、彼の瞳の色合いがグレーティアの瞳によく似ていることに気付いた。



(…………瞳の色だけじゃない。…………髪の毛の色や、髪質もそっくりだ)



グレーティアが、ムガルの言うように元々は月闇の竜であるのだとしたら、確かその竜達は黒髪の筈だ。

転属の際に姿も変えられるのであれば、グレーティアはこの魔術師の姿を思い浮かべたのかもしれない。



(確か、…………正気に戻るまで、育ててくれたって…………)



ここに居るのは、確かに物語のあわいの中の、ダーダムウェルの魔術師という役柄の人物かもしれない。

でも、ネアがこうして見ている限りは、とてもしっかりと一人の人間として存在しているように思えた。


基盤が物語とは言え、もし本人を知っている誰かが書いたものであれば、このあわいに住むダーダムウェルの魔術師は、限りなく本人に近い存在なのではないだろうか。



そんなことを思ってしまうと、なぜだか背筋がひやりとした。


ラエタの影絵や、ゴーモントの影絵で良く知っている魔物達に出会った時、そして統一戦争の悪夢の中でノアに出会った時、ネアはあの寄る辺ない目をした魔物達を、その中に置き去りにしてゆくのだと思えば胸が苦しくなった。



(ラエタの時のウィリアムさんは、ちょっと怖かったけれど、でもどこか………とても孤独な感じもした)



過去の一場面である影絵や悪夢ですらそう思うのだから、目の前の少年がここで新しく物語の中に構築された瓜二つのものであるとしたら、グレーティアは彼に会うことに耐えられるだろうか。



ただの優しさだけが理由でもなく、決して善良ではない人間は、それがとても心配だった。




「私をこちらに投げ込んだ方は、よく分からないのです。と言うのも、私は、もう一人こちらに来ている妖精さんを門にされて連れ込まれたのですが、その方によるとフードをかぶった魔術師さんだったとか」



様子を窺いながらそう話し出せば、顎先に手を当ててふむふむと頷かれる。

やはり、その仕草はちょっとご老体寄りだ。


魔術師のような足元までの水色のケープはフードを下ろし、下には少し前の時代の人らしい砂色の長衣を着ている。

その袖口や服裾には、複雑な魔術陣のような植物の葉を絡ませる美しい刺繍があった。



「…………妖精の門か。ますます、あの小僧どもの仕業だろうな」

「むむ、そこでも特定出来るのですか?」

「禁じられた魔術だからの。単に禁術というのではなく、とある時代を境に誰にも扱えなくなっている。使えるとしたら、その時代より前に、そして妖精の門の魔術が確立されたより後に、巡礼の呪いに囚われた者達だけだ」



ここでふと、ネアはこの時系列を説明出来る魔術師を不思議に思った。

よく分からないが、何かが引っかかったのだ。



(例えば、このあわいでの絶対的な存在として、叡智の象徴のように色々なことを集約されているのかしら………)



きっと、ここに落とされたり、迷い込むのはネア達が初めてではないだろう。

そう考えて納得する。



「………加えて、今回の事件が起こる前に、私の知っている魔物さんが、ラエタの巡礼者に狙われる事件があったので、あなたが仰っている特徴の方々、即ち、ラエタの魔術師さん達が犯人だと私は考えています」



ネアは、そこまでをきちんと目の前の魔術師に伝えた。

今回は魔物達にお伺いを立ててはいないのだが、この目の前の少年にであれば、話すべきだと思ったのだ。



「おお、そうか。お主は、ある程度の犯人の目星をつけ、彼奴らの目的まで理解はしているのか。………ふむ。となると、あの坊主どもが狙うとすれば、終焉、選択、欲望。……あわいに自分達を閉じ込めた、欲望、もしくは信仰と砂糖、かつて表と交差しかけた巡礼の道を閉じた犠牲と所有、その力を奪おうとして手酷く退けられた、白夜に雲、そして天秤といったところか」



(す、すごくたくさんの魔物さんが出てきた………!!)



つらつらと並べられた魔物の数に、ネアは目を瞬いた。


と言うか、揉め過ぎだし恨み過ぎではないかと思わないでもなかったが、ラエタ滅亡のその前より彷徨うのであれば、このくらいにもなるのだろうか。



「し、知らない魔物さんがいます!」

「知らないことが当然であろう。それで、狙われたのは誰だ?」

「私の知る限りでは、ラエタの滅亡にかかわった終焉、選択、欲望の三人ではないかと推測されていました。名指しにされていたのは、終焉さんです」

「…………と言うことは、熊の手達だな。千年に一度くらい訪れる、愛国心の頃合いか。面倒な奴等め」

「………愛国心は、流行り物なのですね」

「いい加減なものだろう?私が前に見かけた時には、世界の調停を握るのだと息まき、新代の天秤の魔物にならんと画策していた」

「…………まぁ」

「…………握れる筈もないのだ。愚かとしか言いようがないが、魔術師というものはその気質がえてして二分される。老成し厭世的になる者と、無垢と言えば聞こえは良いが無謀で浅はかなまま自分の好きな事しかしない者達だ」

「…………随分偏りますね」

「後者の者達に、ここ二千年程悩まされている。当然だろう」

「に、にせんねん…………」



さらさらと優しい風が吹き、フードから溢れた少年の金糸の髪を揺らした。

ネアの知る人外者達の瞳とはやはり孕む光の深さが違うものの、ここにいるダーダムウェルの魔術師の瞳ははっとする程に美しく澄んでいる。



(でも、エーダリア様も魔術師さんだけれど、そんな感じはしないかな…………)



密かにそう思い、ネアは、立派な魔術師であるエーダリアが勝手に誇らしくなる。

けれども、その面影を思えば少しだけホームシック的な寂しさも感じてしまった。




「…………やれやれ、久し振りではあるが、今回もこのあわいの法則に則り、この厄介ごとを解決せねばならん。白持ちの魔物の伴侶を巻き込むなど、私の領地を何だと思っているのだ………」



その言葉は疲労感に満ち溢れていたが、ネアは、語られたことにぎくりとした。

息を飲んでまじまじと少年の方を見れば、彼は少しだけ呆れたような顔をする。



「まさか、気付かれていないとでも思っておったのか。その指輪をしているだろうに」

「…………は!うっかり忘れていました。………そして、一番聞き捨てならなかった部分なのですが、あなたは、ここがあわいだと知っていらっしゃるのですね……?」




ネアの言葉に、少年はああそれかと肩を竦めた。



「知っているも何も、このあわいに幽閉されることが、私に与えられた罰だからな。私が練成してしまった死者を蘇らせる薬は、一つの国を狂わせ、多くの人々の運命を狂わせた。今もあの国の同胞達は、終焉の魔物の怒りに触れ、この世界の終わるその日まで死者の国で業火に包まれていると聞く」



この中庭に市場の屋根から斜めに差し込んだ陽光が、ちらちらと噴水の水に光を揺らめかせる。

その美しさには、どこか牧羊的な穏やかさがあった。


けれども、目の前で語られるその内容は、どれも凄惨なことばかり。




(まさか、…………)




「…………あなたは、ご本人なのですね?…………このあわいの物語の中に生み出されたダーダムウェルの魔術師ではなく、最初から、ご本人がここに……?」



その問いかけに、水色の瞳がふっとほころぶ。

そして、微笑んだまましっかりと頷いた。



「いかにも。私はダーダムウェルと呼ばれる魔術師だ。正確には死者であり、私は一度、老衰で死んでいる」

「…………し、死者さん?目元の隈もありませんし、昼間に動いています!」

「…………お主の言動からすると、死者に会ったことがあるようだな。………勿論、一般の死者とは違う。普通に老衰で死んで、一度は死者の国に落ちたのだが、死者の日に地上に出た際にうっかり激昂している信仰の魔物に捕まってしまって、この通りよ。だがな、私をここに縛り付けているのは、復活薬によって歪められた人々の運命の疵からなる世界の怨嗟だという。まだここに居るということは、未だにその恨みが深いのだろう…………」



そんなことを語るダーダムウェルは、不思議にもからりと笑っていた。

しかし、突然の驚くべき告白に、ネアはあわあわしてしまう。



ぜいぜいしてから胸を押さえ、ダーダムウェルの前で一度深呼吸した。



「………もしかして、あなたをここに繋ぎ止めている怨嗟には、死者の国に残っている方達のものも加算されていますか?」

「いや、それはない。死者の怨嗟は地上には届かないらしいからな」



その言葉に、ネアはほっとした。

この少年の勾留に、ウィリアムの措置が関わっていたら嫌だなと思ったのだ。



(良かった…………。ダーダムウェルさんは、ウィリアムさんに対しての恨みや不満は持っていなさそう…………)



それであれば、安心して引き続き相談出来るだろうか。



「おまけに、そんな咎を背負ってまであの薬を作ったのだが、その薬を作るきっかけになった者には、そんな薬は世界の理に反しているし、仲良しの友達に会えた死者の国がとても気に入っているので、いらぬと断られたしな…………」

「まぁ、………その、なんと言うか御愁傷様です」

「だが、それで私も鼻っ柱が折られたのだ。魔術の恩恵は尊く誰もが喜ぶもので、高みの叡智こそがこの世の粋であるという信念は、所詮、魔術師の奢りでしかない。………私もかつては、自分の好きなことしかしない、愚かで幼稚な魔術師であった」



腕を組んでそう頷いたダーダムウェルに、ネアは少しだけ考える。


その、復活薬を退けた誰かの健やかさは、もしかしたらこの稀代の魔術師が、あの巡礼者達のような良くないものになる危険をこの世界から退けもしたのかもしれない。



「………その方は、とても素敵な方で、あなたにとって大切な方だったのですね」

「そうだな。私の娘だ」

「…………娘さん!」

「とは言え、私は塔を出られぬし、妻は産褥で命を落とした。国の道具にされても哀れだからな。父を説得した上で私の信頼する者に預け、生活費を渡してその者達の養子としていた。…………だがあの子は、私も父親だと言って聞かず、召使いのふりをして私の住まう塔によく通って来ていたものだ…………」



それは遠い目をして語られる、父親と娘の愛の物語であったが、ネアはついさっき知ったばかりのとある竜の過去に重ね合わせ、その不穏さにひやりとする。



となると、その竜が殺してしまったのは、ダーダムウェルの実の娘だったということになるのではなかろうか。



「…………実は、とある方から、このあわいを象る物語が史実だったと教えて貰ったことがあるのです。………あなたは、あなたの大切にしていた子供さんを殺してしまった怪物を育てたとも聞いたのですが……」



ネアのその問いかけに、ダーダムウェルは片方の眉を上げた。

その鋭さと老獪さにぎくりとしたが、彼はすぐに視線を外し、ふうっと息を吐く。



「………やれやれ、そのような話を知る人間の子供が、今更私の目の前に現れるとはな。…………だが、終焉の魔物を知る者であれば、それも当然か」

「な、なぜ分かってしまったのでしょう………」

「お主、終焉に起こったことを、自分ごととして語ったぞ。この外見に惑わされるなよ。これはな、煩わしい警戒や忌避をさせぬ為の、仮面のようなものだ。これでも中身はじじいだからな」

「……………ふぁい」

「それと、お主が聞いたことは事実だ。だがその真実には中身がある。…………私の娘はな、怯えて狂乱する哀れな竜を使って人々を襲わせようとしていた魔術師どもから、その竜を逃してやろうとしていたらしい。そうして、……………混乱して暴れた竜と、その魔術師どもに殺されたのだ」




ダーダムウェルは、そこで一度言葉を切った。

短く息を吸い、澄んだ瞳で遠い空の向こうを見つめる。



「…………その幼い竜は、殺してしまった子供の亡骸を抱えて、…………私の塔の下で泣き叫んでいた。魔術師達に、早く他の住人を襲えと剣で切りつけられても、それでもあの子を離さずに抱き締めていた。…………私はそこに駆け付けたのだ。…………あの竜の子はな、まだ十歳にもならなかった私の娘が命をかけてその魂を守ったものだ。親として私がしてやれるのは、…………あの子の遺志を継ぐことだろう」

「……………そのような事があったのですね。…………でも、その竜さんを育てたのは娘さんの為で、実は、ちょっぴり嫌々だったりしますか?」



突然会ったばかりの人間にそんなことを言われたダーダムウェルは目を瞠り、困ったように眉を下げる。

ちょっと引かれてしまったが、これは大事な質問であった。



「最近の子供は踏み込むのう。………はは、それはないな。グレーティアはその生まれを疎まれて一族から追放された哀れな子供でな、一年もすればすっかり私の二番目の子供になった。………あの子がいたから、私は研究に没頭するあまりに餓死などせずに済んだのだろう。………だからこそ心配だ。私が死んだ後、あの子はどうなったのだろうな。…………死にかけた私の枕元であまりにも泣くので、そればかりが心配でならん。死者の日には会えると約束してやったのに、私はあの子にとうとう会いに行ってやれなんだ………」



それは、ダーダムウェルがこのあわいに幽閉されてしまったから。


信仰の魔物がやったと言うが、死者をそんな風に奪われても、ウィリアムは怒らなかったのだろうか。

もしかしたら、そこにはある程度の密約のようなものもあったのかもしれない。



「…………それを聞いて安心しました。実は、私がこちらに落とされた時に門にされた妖精さんは、転属で妖精さんになった方なのですが、…………その、グレーティアさんというお名前なのです…………」




ここはきっと、本人達にとっては繊細な問題だ。

だがネアは、あえてさらりと言ってしまった。




とても怖かったのだ。




聞けば聞くほど、ダーダムウェルの魔術師の物語の史実は、救いが残されたとは言え残酷で悲しい。


だからここに、ダーダムウェル本人とグレーティアが揃ったことは奇跡と言ってもいい偶然であった。




(でも、だから…………。だからこそ)



繊細に拗れ、二人を会わせてしまう前に怪物が現れるイベントが始まってしまい、グレーティアがその心を傷付けられるようなことが起こるのは避けたい。


そして何よりも、どうやらこのダーダムウェルですら手を焼いているラエタの魔術師達が、あれだけの羅列であった魔物達とぶつかりながら、それでも生き延びていることが怖くて堪らない。



(だってディノは、コロールで巡礼者の魔術師を滅ぼしていた。…………殺せないという存在ではない筈なのに…………)




なのに彼等はまだ無事でいて、ネアの大切な人達を損なわんとして、画策している。



(ダーダムウェルさんは、脱出させることが容易いとは言わなかったんだ………)



ちょっとした要素の変化からそれがより滞ってしまい、外にいる大事な魔物達の足を引っ張るのだけは、何としても避けたかった。


ここ物語の要素が背景ではなくなり、力を借りる筈の魔術師や、共に脱出計画を練る筈の仲間がそれどころではなくなることで、身動きが出来なくなったら困るのだ。



(なんて身勝手で、なんて性急なことをしたのだろう…………。でも、)



でも、ネアの大事なあの魔物達は、魔物らしく我が儘で、そして心配になってしまう程に愛情深い。

今はまだ、ディノですらこちらに来られないようだが、帰るのが遅くなればなる程に、誰かが、まだ安全の保障されていないこのあわいに飛び込んで来てしまう可能性は増えると思った方がいいだろう。



だからネアは、そんな自分の身勝手さが恥ずかしくても、優先順位をつけるのだ。




「そ、………それは想定外だった。すまぬ、驚いてな…………」



長い沈黙の後、ダーダムウェルはそう言うと、片手で頭を押さえた。

グレーティアがここにいると知って愕然としている彼は、目の前の人間がそんな自分本位なことを考えているとは思わないだろう。



「………会って貰えるのなら、私はあの子に謝らねばならん。ここに捕らわれたせいで、死者の日に会いに行けなかったことを。…………恨まれていないといいのだが。…………どうした?」



ネアの張り詰めた表情に気付いたのか、ダーダムウェルがこちらを見る。

その残念な動揺を悟られてしまったネアは、これはもう致し方なしと、抱えた懸念をそのまま伝えるしかなくなる。



(…………こんな聡い人には、小細工などしない方がいいのだ)



特に、このような心を持つ人であれば、尚更だろう。

言い繕えば言い繕うだけ、きっと自分を醜くする。



「…………ごめんなさい。私は身勝手で心の狭い人間なので、こんな風に性急にお話を進めてしまいました。もしかしたらグレーティアさんは、いきなりあなたが現れても、すぐには心の整理がつかないかもしれないのに…………。ですが、事態が更にこんがらがっている間に、私の大切な人達があの悪い魔術師達に損なわれたら困るのです。…………身勝手な私が恐れるのは、ここに、…………罠だと分かってはいても、私を助けに来ようとして無茶をした誰かが来てしまうことなので、せめて早く、ダーダムウェルさんとグレーティアさんに再会して欲しいと思ってとても焦ってしまいました…………」



恥ずかしさにぎゅっと拳を握って一気にそう伝えてしまうと、ネアは、ダーダムウェルにとって、とても大切な問題であるグレーティアとの再会を、こちらの都合で急ぎの進行にしてしまったことを詫びた。


先走った理由を勘付かれて不快感を与える前に、このような醜さは告白してしまった方がいい。



いきなりの告白に少しばかり唖然としていたダーダムウェルは、そう言ってぺこりと頭を下げたネアに目を瞠った後、ぶはっと吹き出した。



「………っ、はは!馬鹿な子供だ。そんなことを詫びてどうする。見知らぬあわいに迷い込まされたのだ。一刻も早く出たいのは、必至ではないか」

「……………ですが、ちょっと巻き過ぎているという自覚があったのです。ダーダムウェルさんのお話を聞いて胸が苦しくなったり、お二人が親子になれたことに胸がほかほかしたりしながら、それでも私は、とても小狡く、そんな過去が絡まることで私がここから出られなくなったらどうしようと、怖くなってしまいました………」

「それはなるだろう。私とお主は他人なのだ。私が私の愛する者を愛しく思うように、お主もお主の愛する者を思うだろう。…………ふむ。グレーティアに会えるのは思いがけない喜びだな。だからこれは、愛する子の幸せを願う私自身の願いともなる。しっかりと、お前達をここから出してやれるように力を尽くさせて貰おう」

「……………あ、有り難うございます!」



ぱっと笑顔になったネアに、ダーダムウェルは子供は子供らしく、大人に甘えておくといいと言ってくれた。

少々不本意だが、ここは子供ということにして、この大魔術師の力を借りられそうだ。



(…………良かった!うまく進みそう………)



なのでネアは、早速、市場の方にいるムガルを呼び戻すことにした。




「実は、あちらの方に一緒に行動していた魔物さんがいるのですが…………む、いない」

「魔物を連れて来たのか?」

「いえ、こちらで拾ったのですが、…………ああ、いました」



どうやらムガルは、揚げ菓子のお店に夢中なようだ。

とは言え、手を伸ばしても触れられずじたばたしている。

人の手が入ったものに限るようだが、こちらからの接触や譲渡が発生しない限り、彼はこのあわいと上手くかかわれないのだった。



「…………そやつは、信用出来るのか?……いや、私の方がお主と出会ったばかりだがな………」

「いえ、信用という意味では、ダーダムウェルさんの方が信用出来そうですが………」

「最近の子供は、はっきり言うのう……」

「むぐ。そんなにちびこく見えますか?」

「お主、まだ殆ど魔術が使えぬではないか」



ダーダムウェルには、やはりどこまでも子供に見えるようだ。

たいへん遺憾ではあるのだが、魔術師であるのでいっそうに可動域で相手を見てしまうらしい。


だからなのか、彼は協力すると決めてからはあれこれとネアを心配してくれた。

この土地は穏やかな気候に思えて実は陽射しが強いのだとか、あわいであるので、扉を開けたりする時にはすぐに中に入らないようにだとか。



「なので、偶然出会った魔物というのも、少し用心はしておくといい」

「ええ。野生の魔物さんらしい魔物さんなので、私もあまり信用はしていませんが、戦力は多い方がいいので、絶賛躾け中です」

「…………魔物だぞ」

「今回お会いしたムガルさんは、弱点が丸見えで良かったです。食いしん坊なんですよ」

「そうなると今度は、贈与の魔術で縁を繋ぐ可能性があるではないか。お主とあの魔物の性別上あまり宜しくないと思うぞ」

「ええ、なのでこちらで買ったものはその場できちんと要請の言葉にあの魔物さんの名前を織り込んで、魔術の縁を切って貰っていますし、最初はこんなお菓子で躾をしていました」


そう言ったネアが見せたのは、グレーティアにも見せた森のなかまのおやつの紙袋だ。

野生の獣用なので、魔術の縁を切ってあるよと書かれている。


ほのぼのほんわりしたお菓子のようで、実は人外者の多いウィームの森歩き用のかなり本格的な効果のあるお菓子だ。

アクス商会の品である。


そんなお菓子の袋に書かれていた効能などを読み、脱臭効果もあるとまで書かれていたのが悲しかったのか、ダーダムウェルは、またちょっと引いた顔になってしまった。



「…………最近の子供はしっかりしてるのう」

「所詮あやつは野良です。自分の身は、自分で守らねばなりませんからね。でも、もしご不安でしたら、ムガルさんとは接触しないようにしますか?」

「いや、………そうもいかぬだろう。それに、私はこの中では損なわれぬのだ。私自身には害はないからな…………」



中庭を出る前に、ダーダムウェルはネアに少し待つように言ってから、擬態魔術で姿を変えた。

するとそこにいるのは、青い髪のしなやかな手足を持つ、華奢な体格の青年になっている。


残念ながら虎の尻尾も見当たらないが、ダーダムウェルから虎の尾と呼ばれる魔術師達は、また別にいて、彼らはダーダムウェルの真似をして虎の尾を持った氏族なのだと聞いたので、そちらにも期待をしておこう。




「まぁ、がらりと印象が変わるのですね」

「この特徴であれば、妖精に見えなくもないだろう?お主達をこちらに落とした妖精がもう一人いたのなら、あの魔術師達がこちらを覗いた時の為に、その特徴を思わせる姿の方が都合が良かろう」



そう言われ、ネアはあらためて感謝した。

不安を抱き対策を講じているつもりながらも、ネアには不得手な分野では、やはり対策そのものを思いつけないという点において、手薄になる。

こうやって慎重に対応してくれると、とても頼もしかった。




市場から呼び戻されたムガルは、気になるお店があったのにとすっかり短気になっていた。


「ムガルさん、お待たせしました」

「お前の話し合いは、長過ぎるのだ。あの店にあった揚げ菓子は、すっかり売り切れてしまったぞ!」

「まぁ。ムガルは、また我が儘になってしまいましたね。私は、あまり折檻などはしたくないのですが、躾の為には激辛…」

「我が儘など言わない。そうだな、よく戻った」

「…………それでいいのか、魔物よ…………」



呆れた顔でそう呟いたダーダムウェルに、ムガルは視線を青い髪の青年に向ける。

すっと目を細めると、ふんと鼻を鳴らした。




「…………魂の質があわいのものではないな。お前も巡礼者か」

「残念ながら、私は一度死んでいるし、ここから動けぬ。巡礼者ですらないものだ」

「そのような状態で、俺達をここから出せるのか?」

「断言は出来ぬが、努力はしよう。さて、まずは息子に会わせてくれるか?」



そこでネアは、ダーダムウェルが擬態をする程の警戒をするのであればと、グレーティアとは待ち合わせの場所で落ち合ってから、まずは宿泊先の部屋に一度帰ることを提案した。



魔術を敷けば音なども遮断出来るので、再会の場面が荒ぶっても周囲の目を警戒する必要はないだろう。



「確かに、…………あの子は感情が荒ぶりやすいからな。ところで、グレーティアは、今は幸せにしているのだろうか?」

「…………すっかり大人になられましたので、どうか個人のご趣味などは否定しないであげて下さいね」

「…………ま、待て。あの子がどんな趣味に走ったのか、不安になってきたぞ…………」




少し不安そうにそう言ったダーダムウェルに、ネアはにっこり微笑んで回答を控えた。



その後、ネア達は待ち合わせの場所でグレーティアに再会し、こちらの青年が重要な情報を握っているのでとダーダムウェルが擬態した青い髪の青年を紹介して、一度宿屋に戻ることになる。




ダーダムウェルは、淡い金糸の細い髪に青い瞳をしたグレーティアの今の姿に、少し驚いたようだ。

感慨深げにじっとその横顔を眺めてはいたが、途中でこぼれてしまった女言葉には、幸いにも動揺せずにいてくれた。




(き、緊張してきた…………!)




これから待ち受けているのは、想像も出来ないくらいの時間を隔てた義理の父子の再会なのだ。





ブンシェの宿屋の部屋に、野太い絶叫が響き渡るのはその少し後のことだった。








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