焼き栗落ち葉の妖精と月闇の竜
その日のウィームは、しっとりとした曇りの朝だった。
夜明け前に降った霧雨が灰色のヴェールをかけ、森はえもいわれぬ色に染まる。
その奥を駆けてゆく鹿達に、気も早く地面にふかふかと降り積もった落ち葉達。
ネアはセーターの上にランシーンで買ったストールを羽織り、そんな森を眺める。
今日は、幾つかの仕事を終えて街に出たところだ。
屋台のスープと焼き栗を買って、簡単な昼食を摂りながら美しい秋のウィームを眺めていた。
「この紅葉の時間が減ってしまうのも寂しいですね…………」
「蝕が明けると、恐らくは冬の資質が強まっているだろうね。実りと豊穣が閉ざされた後だから。………とは言え収穫祭などは、その一年の祝福を感謝するものだから、やらずにはいられないのだけれど…………」
はらはらと落ち葉が風に舞う。
金色の蝶のようにゆっくりと落ちてゆき、ふかふかの絨毯の仲間入りをした。
「前にも話したことがありますが、私は、この秋からイブメリアにかけての季節が大好きなんです」
「うん。君はイブメリアの飾り木がとても好きだよね」
「きらきらしゃらんとしていて、美しくて無垢で、きっと素敵なことを運んできてくれる筈だという根拠のない希望を与えてくれるものが、私にとってのこの季節の祝祭なのでしょう。私の育った世界のクリスマスと、こちらの世界のイブメリアがよく似た気質の祝祭で良かったなと、いつも思うんですよ」
そう言いながら、ネアは焼き栗をぱりんと割って中のほこほこした栗を取り出した。
じゃじゃんとそれを掲げて魔物におおっという顔をさせると、お口に入れて幸せに頬を緩める。
「むぐ。美味しい幸せでふ!」
「…………かわいい」
「不安を払拭してからの焼き栗は、最高です!」
「うん。…………もう、怖くないかい?」
「はい。私にとっての大切な方達が、みなさん丈夫で良かったです…………」
先程まで、ネア達はリーエンベルクで薬作りをしながら、蝕のことを話していた。
ディノと二人きりだったので、ネアは自分が抱えた不安を洗いざらい打ち明け、その問題は本当に心配があるものなのか、それとも杞憂であるのかをディノに教えて貰っていたのだ。
(例えば、私はやっぱり、狙われていたウィリアムさんや、ラエタの終焉に関わったアルテアさんが心配だった…………)
勿論アイザックも心配だが、こんな脆弱な腕に抱えきれないものを持つのはやめにしよう。
絶望に食い荒らされないように、まずは自分の持ち物を精査し、取られてはならないものをきちんと見極めた。
勿論、ウィリアムとアルテアはその内側のとても大切な人である。
(ウィリアムさんは、ウィリアムさん本人にすら損なえない。………それは、本人にはもしかしたら酷いことかもしれないからと、ディノはあえて口にしていなかったらしいけれど………)
もし、今の終焉に何かが訪れて新代の終焉が派生するとなれば、そこには終焉の空白の時間が生まれる。
それはないのだ。
それは、ないというより、許されない隔絶なのである。
だからウィリアムは、何度か試したものの自分の命を絶つことが出来なかった。
終焉自身程に強固なその終焉の刃であっても、ウィリアムは自分を殺すことが出来なかった。
『終焉がその役目を終えるとしたならば、…………それは、私がその命を終える時だろう。彼はやはり、最後を看取る者でもあるんだ。その役目はとても酷なものだけれどね』
だからこそ、例え蝕で資質が反転してしまっても、ウィリアムは必要な魂のパーツとしてこの世界から喪われないのだった。
資質の反転で終焉となるものがないこともあり、例え一時的に失われても蝕が明けるのと同時にこの世界に戻されてしまう。
『ウィリアムさんの資質と対になっていたのは、修復の魔物さんだったのですか?』
『よく比較されることが多かったし、ウィリアムの齎すものを退けたりすることが出来たのは確かだ。けれども、完全な対であるには派生を司らないといけないからね。ノアベルトの持つ資質が一番近しいけれど、彼も生み出すことは出来ない。今代の世界では、その資質を誰かが司ることはなかったね。…………遠い昔にあった、精霊の代の世界ではそのような存在もいたらしいよ」
精霊や妖精達の、同じ系譜のものを生み出す力はあくまでも承認であり、その精霊や妖精が派生するだけの環境が整っていなければ、生まれてくるものはない。
この世界での命とは、とても複雑な要素が絡み合い、条件が整って初めて現れるものである。
そこに管理者がいないことは、少しだけ優しさでもあるとネアは思う。
全てが手のひらの上にないからこそ、多くを知り過ぎたような長命高位の生き物達でも、世界の営みや未来に希望を持つのだ。
「モギ」
そんな事を考えていたら、足元で小さな毛玉のようなものが何匹か重なって一生懸命にこちらに手を伸ばしていた。
「む。なにやつ…………」
「落ち葉の系譜の生き物だね………」
焼き栗が欲しいのかなと見ていると、そんな生き物にたかられていることに気付いたのか、近くにいた焼き栗屋の店主が慌ててこちらに駆け寄ってきた。
「すみません、もし宜しければ、食べ終わった後の栗の皮をそいつらに分けてやって下さい。焼き栗屋台に踏まれる落ち葉から、妖精が派生したみたいで………」
「まぁ、随分と込み入った要素から派生してしまったのですね………」
「はは、同業者達も首を傾げています。でもこいつら、焼き栗の皮しか食べないんですよ…………」
まだ年若い青年の店主はそう苦笑すると、ぺこりと頭を下げて屋台に戻っていった。
今、焼き栗落ち葉の妖精(仮)に、焼き栗の皮を分けてあげて欲しいという看板を公園内に出すべく、リーエンベルクに申請を出しているのだそうだ。
「モギ!」
「モギギ!」
小さな毛玉の妖精は、よく見ればぽわぽわ素材の毬栗に見えないこともない。
ネアがディノに贈与の魔術の縁を切って貰い、試しに栗の皮を与えてみると、ぽとりと地面に置いて貰った栗の皮を抱えて、毛玉の一匹がもの凄い早さでどこかへ駆けて行った。
「ふむ。どうやら、一匹につき一つの皮で足りるようですね。だからこそ、食べるものが限られていても元気に育てるのかもしれません」
「……………栗の皮しか食べないのかな」
またしても初めましての妙な生き物に出会ってしまい、ディノは少しだけ怖いのかネアにぴったりと体を寄せている。
ネアが試しに、スープについていた小さなビスケットを差し出してみると、焼き栗落ち葉の妖精はぷいっとそっぽを向いた。
「ムギ」
「ごめんなさい、こっちの栗の皮が欲しいのですね?」
「ムギ!」
別の袋に分けてあった剥いた栗の皮を与えると、毛玉たちは大事な食料を飛び跳ねて抱き締め、またどこかへ駆けだしてゆく。
ディノの予測では巣にでも持って帰るのだろうということだが、そもそも焼き栗の屋台に轢かれている落ち葉から派生している生き物の巣とはどこなのだろう。
「ムギ!」
そうこうしている内に、ネア達の前には焼き栗の皮が欲しい毛玉の行列が出来上がり、とは言えそんな毛玉たちに急かされて急いで食べてしまうのも勿体ないので、自分達のペースで食べながら、こちらを見ている毛玉たちに時折焼き栗の皮を与えた。
周囲のベンチを見回してみれば他にも焼き栗を食べている人達がいて、彼等も、足元の毛玉に皮を与えているようだ。
「これが、これからの秋の風物詩になるのでしょうか」
「……………ネア」
「あらあら、そこに焼き栗の皮のかけらがあるので、その皮が欲しいのではありませんか?」
「……………これをあげればいいのだね」
ディノは、爪先にひしっとへばりついて飛び跳ねている毛玉に困惑して、縋るようにネアの方を見る。
どうやらその毛玉は、ディノが高位の魔物であることなどお構いなしに、剥き途中で出た焼き栗の皮を寄越せとじたばたしているらしい。
無事に焼き栗の皮を貰った毛玉は、ぽふんと跳ねてどこかへ走り去っていった。
「もう少し待てば、ディノが全部の皮を剥き終えたのに、今の毛玉さんは、あんな小さな欠片でも大満足なのですね………」
「うん…………」
やがて、ネア達が栗を食べ終えてしまうと、どこからか一回り大きな毛玉が現われた。
もう栗はなくなってしまったのだと焼き栗の袋を振ってみせれば、その毛玉は厳めしい表情でゆっくりと首を横に振る。
そして、ぽわりと光る金色の輝きを、ぽいぽいっとネアとディノに投げてくれた。
「……………ほわ。何かの祝福をくれましたよ」
「……………よく分らないけれど、何かの修復………あらためて育むような、不思議な祝福だね」
「まぁ、ディノにも謎なものなのですか?」
「うん。新しく派生したものは、まだ属性やその保有魔術が安定していないことも多いんだ。言葉でのやり取りが可能であれば尋ねることも出来るのだけど、何を話しているのかまでは分らなかった……………」
ともあれ、得られる祝福はその生き物の成り立ちや得意分野に紐付いているらしい。
普通であればある程度は想像がつくものなのだが、今回はそれもなかなかに難しいではないか。
「焼き栗の屋台に轢かれた落ち葉……………」
「その落ち葉から、焼き栗の皮が欲しい妖精が生まれたのだよね…………」
「食いしん坊精神か、屋台に轢かれても諦めないという強い気持ちでしょうか…………」
「強い気持ち…………」
二人で首を傾げていると、ネアの隣にふいに誰かがどさりと腰かけて来た。
「む。使い魔さんが…………」
それは、持ち帰り用の紙のカップの飲み物を持ったアルテアで、青みがかった灰色の編み模様が美しいセーターを着ている。
前にこういうものを編み給えというセーターを着て来たことがあるのだが、もし今回もそのような主張であれば、複雑な模様編みには対応致しかねますと申請するしかない。
黒髪に擬態して細身のウール地の黒いパンツに、皮の手袋でセーター姿のアルテアは、休日風な装いがこなれた様子ではないか。
今日はのんびりの日なのかなと思ってそちらを見ると、なぜか神妙な面持ちをしている。
「アルテア、何かあったのかい?」
ネアより早くその様子に気付いたのか、そう声をかけたのはディノだった。
「話していたラエタの巡礼者だが、熊の手の一人を先々代の白夜が子飼いにしていたことが分った。…………前の蝕の時に、あわいの道から引き抜いたらしいな。ほこりに話をして今のルドルフにも追わせているが、その魔術師の所在如何によっては、面倒なことになりかねない」
「……………成程、クライメルであれば、そのような企みもするだろう」
「厄介なものを残して行きやがって。………燭台の塔の蝋燭は、まだ残っていたか?」
「ああ、残ってはいるよ。けれども、私が火を消してしまったから、もしかすると中身が空になっているかもしれないね」
「ルドルフの奴は、前やその前の白夜程の力はないからな。…………動くにせよ、ほこりや、ジョーイと連携させるしかない」
「だが、蝕に触れれば変わるだろう。白夜というのは元々そういうものだからね」
その言葉に頷き、アルテアはネアの方を見た。
何か備えておいた方がいいことがあるのかなとその瞳を見返せば、赤紫色の瞳には複雑な色が揺れる。
「念の為に聞くが、月闇の竜を狩ったことはあるか?」
「…………記憶にはございません」
「シルハーン………」
「いや、月闇の竜はないと思うよ。彼女等は竜種の中でもあわいの最高位に近いものだし、何しろ大きい生き物だからね。蝕に対応出来る竜であれば、ダナエを頼ってはどうかな。蝕の転換後であれば、彼はこちらに来られるだろう」
「勿論そのつもりだが、始まってからしか打てない手だからな」
はらはらと、金色の落ち葉が降る。
ネアはその美しい秋の風景を眺め、街を行き交う人々が抱える荷物を見た。
皆、買い物袋が重そうなのは、領主から蝕が近付いてきたというお達しが出たからだ。
幸い、先日の胎動はウィームではまだ確認されておらず、コロールやランテラのような、殆ど世界の裏側でのみ確認されたものだったらしい。
そのことからも、今回の蝕の中心はそちら側ではないかと推測されており、ヴェルクレアでは僅かな安堵の空気が広がっている。
「月闇の竜さんは、どんな竜さんなのですか?」
そう尋ねたネアに、ディノがこちらを見た。
「元々は、新月の夜に生まれ、月が生み出す闇に住む竜だったのだけれど、蝕やあわいにも住む竜だ。漆黒の鱗と毛皮に金色の瞳をしているよ。だが、とても稀少な竜だからこそ、人々の信仰の対象になってしまって、その煩わしさに姿を消したとも言われている。あまり会うことはないかな」
「人の姿にもなれるのですか?」
「………………うん」
「まぁ、なぜ視線を彷徨わせるのでしょう。さては、愛くるしいゼノ的なお姿に……」
「月闇の竜は女だ。独特の性格をしているからな、あまりお前を近付けたくはないんだが…………」
「お、お友達になれますか?!」
ネアは、月闇の竜が美しい黒髪の乙女だと聞き、喜び勇んだ。
これはもう、先程の妖精の祝福が作用したのではないかというくらいに幸せな気持ちで、そんな女性を紹介して貰えるのを待ち望んでいたのだが、夜になって月闇の竜の所在が判明すると、一転してふて寝でもしたいような気持ちになる。
「ありゃ、ネアどうしたのさ」
「聞いて下さい、ノア!私は、いつか機会があれば、カルウィの第一王子を滅ぼすと心に決めました」
「え、……………何があったの」
会食堂で不貞腐れていた人間に話しかけてしまったノアは、ネアの隣に座ったアルテアから、またお前はリーエンベルクに来ているのかと苦言を呈されて苦笑している。
こちらの誤解も、銀狐の真実と共にいつか明らかにして欲しいのだが、今のネアにはそんなことを考えてあげる余裕などなかった。
「月闇の竜の庇護を、一時的に借りると言う話をしていたんだ。この子は、………それをとても楽しみにしていたのだけれど、月闇の竜には既に先約があって、他の人間とは関わらないと分ってね……………」
「あ、それがカルウィの第一王子ってわけか…………。もしかして、それでエーダリアやヒルド達が大騒ぎしてるのかな?」
「ああ、妙な流れでだが、初めてあの国の第一王子に庇護を与えている者が判明した訳だからな。ましてや、蝕では大きな力を持つ月闇だ。カルウィの動向も気になるんだろう」
「……………他の人間への接触を禁じるだなんて、許すまじなのです。女の子のお友達計画を邪魔したその方は、どなたかがやってもいいという合図さえくれれば喜んで滅ぼします…………」
ネアはそんな悲しい報せが入るまで、やっと魔物達の正式な許可の下に、女の子の友達を得られる喜びに満ち溢れていた。
月闇の竜は、ほぼ全ての個体が女性なのだそうだ。
稀に男性体として派生してしまうこともあるそうだが、そんな竜は翼を捨てて、下位の妖精や魔物という他の生き物に転じてゆくという。
番で子を成すのではなく、派生した子供を一族で可愛がるという暮らしなので、一族の女達の結束は非常に固い。
なので、一族の女王がカルウィの王子との約束を守るのであれば、ネア達に付け入る隙はない。
今回の蝕で、月闇の竜の女の子と合法的にお友達になろう作戦はあえなく挫折した。
(竜さんだから基本は獣さんだとしても、人の姿になると背の高くて綺麗な黒髪の女の子だと聞いたから、一緒にお買い物に行ったり、お泊り会をしたりするところまで色々想像したのに…………!!)
前評判の通りにちょっとクールな感じであれば、気も合いそうだとネアは一人で盛り上がっていた。
蝕で守って貰ったお礼に何をあげるかも考え、食べ物と、竜や女の子が好きそうなきらきらした小物の二点セットで攻めようと、そんなことまで考えていたのだ。
女の子風とは言え、基本形態は竜なので野生動物との触れ合いという括りになる。
それならきっと、魔物達も許してくれるに違いない。
(そう考えて、すっかり安心していたのに!!!)
ネアは無念さのあまりに突っ伏したテーブルをばしばし叩き、魔物達を慄かせた。
「むぐるるる。カルウィの第一王子め!!」
「わーお、……………放っておくと、これって祟りものになるんじゃ………」
「ご主人様…………」
「ったく。何か作ってやるから、それで落ち着け。食べたいものはあるか?」
「…………スープと焼き栗でお腹は満たされています。心を満たす白もふに会いたいです…………」
「よし、僕がアルテアと一緒に探しに行って、その獣を連れてきてあげよう!」
「おい、ふざけるな。俺は了承してないぞ!」
結局、アルテアはそのままノアに連れて行かれてしまい、ディノからも一時間だけ荒んだ人間の心を癒して欲しいと頼まれたようだ。
かくして、ネアはぐすぐすしながら抱き締めた白けものに顔を埋め、じっとりとした目で尻尾を揺らしている白けものが誕生した。
きっかり一時間で逃げ帰られてしまったが、首回りと尻尾の付け根を丁寧に撫でられた白けものは、ふにゃんとなっていたので、きっと共に幸せな時間だったとネアは信じている。
なお、月闇の竜については、蝕が始まるまでに、カルウィの第一王子が不幸な事故に遭う可能性もないとは言えない。
細い希望の光ではあるが、今後の続報に期待することにした。