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水路の町と道具の小径 4




その石がぱりんと割れた時、エーダリアはすぐ近くに居たと思う。

その記憶が曖昧なのは、誰かに掴まれて物凄い勢いで近くにあった店の中に引き摺り込まれたからだ。



何があったのだと呆然としているその間に、誰かの低い呻き声と、その負傷者の手当てをしている者の叱咤の声がする。



「まったく、どうして前に出たんだ!君はその叡智はかつてのままでも、体は案外脆いんだぞ!」

「はは、ざまぁないな。つい………」

「ついじゃないだろう!」


珍しくエイミンハーヌが声を荒げており、ヒルドの張り詰めた横顔が見える。


「バンル、…………怪我の状態は?」

「………っ、……腕を焼き切られそうになったが、まぁ何とか治癒の範囲だな。エーダリア様はご無事か?」

「ええ。あなたが、飛来物を防いでくれたお陰です」



そこでやっと、エーダリアはバンルが負傷したのは、自分を庇ったからだと理解した。

慌てて体を起こし、自分を掴んでこの店に引き摺り込んだのが、ノアベルトだということも把握してから、バンルのところへ這い寄る。



店内は薄暗かった。


店は商品である自転車が崩れ落ち、傾いだ屋根からはぱらぱらと砂が落ちてくる。

どれだけの衝撃を受けたものか、そして外で何があったのか。


窓かどこかから細い光の筋が差し込み、魔術師の工房でよく見るような塵が舞うのが見えた。

そしてその光は、エーダリアにとって良く知る人物の惨状を淡く照らしていた。



「バンル、…………っ?!………その腕は、………待っていてくれ!!」



見た瞬間、喉が鳴った。


バンルは壁に体を預けて床に座り込んでおり、その片腕は、血を落さないように布で巻かれていて、布は鮮やかな深紅に染まっていた。



布の染まり方を見れば、どれだけの出血なのか、その下の腕の状態も想像がつく。

エーダリアとて、ガレンの魔術師として、人死が出るような前線を知っているのだ。



それなのに、バンルは震える手で金庫を探るエーダリアに、ゆったりとした穏やかな声で語りかけてくれる。



「ご心配なく、命に響くようなものじゃありませんよ。はは、エーダリア様には俺の体なんかより遥かに強固な結界があると分かってはいたんですが、つい動いちまった」

「今は動かないでくれ。………ああ、これだ。傷薬をかけるから布を外せるか?」

「いや、傷薬での治癒範囲は超えている。治癒をかけた方が……」

「エイミンハーヌ、その傷薬であれば治癒魔術より早く傷を治せますよ」



ヒルドがそう説明をしてくれて、エイミンハーヌが頷く。

エーダリアは、布を外したその下の傷を見て胸が苦しくなった。



このバンルは、エーダリアがウィームの領主になったその日から親身に助けてくれた、大切なウィームの民であり、本来ならエーダリアが守らなければならない者だったのだ。



(いや、そんな言葉では説明出来ない………)



かつて、バンルの使い魔だった山猫のドロシーがくれた紫陽花の色。


価値のあるものは無残に売り払われ、がらんどうのようだったリーエンベルクに呆然としたエーダリアに、美しい花を持ってきてくれたり、削り取られた壁の装飾の無残さに泣いた初雪の日に、あたたかな毛織りのストールを贈ってくれたりしたのは、このバンルだ。


街に祟りものが出てその討伐に駆り出され疲弊しきったとある夜は、バンルと使い魔のドロシーと、他の数人の商店主達で誰かの母親の手料理を振舞われて食べた。



ドロシーはなぜか側に居るだけで楽しい気持ちになり、もっと仲良くなりたかった。

あのもこもこした毛並みの使い魔が亡くなったと聞いた日、エーダリアは書類にいつものようにサインが出来なかった。



彼はリーエンベルクの騎士達や、ネア達のように共に暮らす者ではないが、それでもエーダリアにとって特別な一人。



その手を離したくない、大切な同志だ。



「……………すまない」

「謝らないで下さい。これは俺の判断ミスだ。お陰で、あなたの貴重な手持ちの薬を使わせてしまった」

「いや、この傷薬は、ネアから百本近く持たされている。在庫の心配はない……」

「ひゃく………。いやはや、確かにあのお嬢さんは、リーエンベルクの守護の要だな………」



そう苦笑して、バンルは跡形もなく傷が消えてしまった片腕を振った。

エイミンハーヌも、友人兼雇用主の全快に、ほっとしたように表情を緩めている。



「…………良かった。後で、ネアとディノに礼を言わなければだ。………バンルを失ってしまうかと思った」

「…………エーダリア様」

「………バンル、感動して泣くにしても後にしようか。それとエーダリア様、あの程度の怪我で死ぬ魔物はいない」

「エイミンハーヌ、頼むから感動に浸るくらいの秒数は黙っていてくれよ」

「いやいや、それどころじゃないだろう………」

「…………まったく、どこの誰かが珍しいものの封印を解くんだからなぁ」



そこで、ノアベルトがそう呟き、エーダリアはそれまでこの魔物が一言も発さずにいたことに気付いてひやりとした。

つまり、それだけ事態は切迫している可能性があるのだ。



「ノアベルト…………」


その名前を呼んでしまってから、バンル達は彼が塩の魔物だと知っているのかと、またひやりとする。

その焦りが表情に出てしまったのか、エイミンハーヌが淡く微笑んで頷いてくれた。


ぽすんと、こちらからも気にしなくていいとノアベルトの手が頭に乗せられたが、それは少しだけネアと間違えられているのではないかと思う。



「さっき、アイザックが蓋を開いたのは火山の封印石だね」

「だろうな。俺もアイザックが手に取るまでは見ていた。妙なところに置かれてはいたが、封印を解いたのは想定外だ………」

「うーん、だよねぇ。誰かがそこに隠してあったのか、あの店の職人達がそれを知った上で預かっていたのか、もしくは誰かがその石を素知らぬ顔であの店に持ち込んだのか。…………出て来たものを見る限りは、ラエタの失われた実験素材って感じかな。最近、その巡礼者達が見かけられていたばかりってのが、ちょっと引っかかるんだよなぁ…………」



そう呟くノアベルトの視線は、まっすぐに外に向けて固定されている。


入口の扉には硝子窓がついているので、外の様子はここからでも良く見えた。

獣のような生き物の唸り声と、何かが割れたり砕けたりする音も聞こえる。



(ラエタ…………)



それは、魔物達に滅ぼされた国の名前だった筈だ。


ネア達がラエタの影絵に落とされる事件があり、あの時にその国がどういう場所だったのかを、あらためて知ったばかりの遠い昔に滅びた筈の土地。



「ラエタの巡礼者なら、熊の手を見かけたことがある」


そう呟いたのはエイミンハーヌだ。


「うわ、熊の手も彷徨ってるのかぁ。あれだけ無気力なくせにどれだけ禁術の研究ばかりしてたんだか。ほんと、あの国は滅ぼされて良かったよね…………」

「君が見付けたのは、別の巡礼者なんだな」

「秋告げの舞踏会の後、目の帽子が現われたみたいだね。僕が気にしているのはそっちで、アイザックが蓋を開いた石の中身は、そいつらの実験素体だった筈なんだ」

「……………目の帽子と言えば、………かけ合わせの魔術か」



そう吐き捨てるように言い、バンルは一度きつく目を閉じた。

目を閉じていても、その表情にはありありと嫌悪感が窺え、エーダリアはどれだけ悍ましい禁術だったのかを想像することが出来る。


ヒルドの方を見れば彼は首を横に振ったので、そのラエタの魔術師について知っているのは、この三人らしい。



(だが、見たことのない獣に、かけ合わせ…………恐らくは、異種族の交配や転換を目的としたものだろう)



エーダリアは人外者達が好きだ。



きっちりと彼等と一線を引いていた頃には誤解をされたこともあるが、それはお互いの領域を見誤って不幸な接触となったり、その力を盲信することで失うものがあっては困るからそうしていたに過ぎない。


魅せられ心を寄せるのは、幼い頃から美しく残酷で、そして気紛れで愛情深い人ならざる者達であった。


だからこそ、美しく誇り高い生き物を、そのような禁術の材料にしていたのだと考えただけでも胸が悪くなる。



「だいたい、アイザックは何でそんなものを開けたんだろうね…………」

「エイミン、あいつは時々そういうことをするぞ…………。何しろ、欲望の魔物だからな」

「まったく大迷惑だよ。よりによって今日じゃなくてもいいじゃないか。………それと、バンルが怪我をしたってことは、あの獣には霧の系譜の高位の生き物が混ざってるね」

「そうなのですか………?」

「俺がここにいて、無差別の攻撃すら避けられなかっただろう?霧の特性を無効化するのは霧の系譜の同階位くらいなものなんだ」

「…………ありゃ。つまり、霧の系譜ってことは、災厄を避ける加護を持ってる可能性があるのか…………」

「………エイミンハーヌとでは相殺となり、こちらの攻撃を通し難いのですね」

「ヒルドも正面から向かうのはやめた方がいいね。自然の中で穢れたものじゃなくて、人為的に歪められたものだ。森や湖のシーはその種の汚染に弱いからさ」

「しかし、………」

「………ちょっと、調整を書き換えられるか僕がどうにかしてみるよ。………ここが、コロールでなければもっと単純なんだけどなぁ………」



ノアベルトが小さく呻く。

彼は今、その特殊な獣からの攻撃を防ぎこの店を盾にして、町一つ簡単に滅ぼしてしまえる程だという生き物から、制約の多い土地でエーダリア達を守ってくれている。



(エイミンハーヌでは相殺、バンルは色々なことを知っているが、魔術階位としてはそこまで高くない。ヒルドを前線に出すとしても、ヒルドはその系譜から穢れなどには耐性が低い…………)



誰か、攻撃に転じることが出来る者が必要なのだ。

そう考えかけて、エーダリアははっとした。




「………………そう言えば、先程、アルテアを見かけた気がするのだが」



ここで気になっていたことを伝えれば、全員が静かにこちらを見た。

何とも言えない表情で見つめられ、そっと首を横に振られたので、見間違いではないと思うと慌てて付け加える。



「この騒ぎの直前に、傘の店の前に立っていた。目が合って、驚いたような顔をしていたので、アルテアだったのだと思う」

「アルテア様が、…………偶然?」

「……………ますます、きな臭いなぁ。目の帽子の巡礼者に遭遇したのって、アルテアなんだよね。まぁ、ネアとシルもいたけど、…………って、まさかネアはまた巻き込まれていないよね?!」

「彼女が巻き込まれていれば、寧ろ早急に解決しそうだな…………」

「バンル、無責任なことを言わない方がいいって。バンルの言葉って、結構当たるんだから…………」




眉を顰めたエイミンハーヌがそう言った時、何かがぐらりと揺れた。



(え、……………)



上手く説明は出来ないが、世界がくらりと揺れたように思い、エーダリアは慌てて額を押さえた。


自分の眩暈だと思ったのだが、ヒルドやバンルも同じ仕草をしたので、そうではないと知る。

ノアベルトの眼差しが、一度何かを堪えるように翳り、すぐにふうっと息を吐いた。



「ああ、…………こりゃ、蝕の胎動だね。……………ただ、うーん、………これだと、アイザックとウィリアムあたりの力が、かなり無効化されるなぁ」

「む、…………無効化されてしまうのか?」

「二人とも魔術の質が変わるからね。…………特にアイザックは、無気力になりがちだし、ウィリアムは治癒に特化しちゃうから終焉の魔術が編めないしね。…………ん?僕?僕はあまり変わらないかな。でも、いつもとは逆に魔術を編まないといけないから、間違えないようにしなきゃだ」

「アルテア様にも影響が出るでしょうか………?」

「アルテアも大丈夫かな。…………って、ええ?!」



そこでノアベルトが声を上げ、その視線を辿ったエーダリアは目を瞠った。


姿を隠しているこの店の扉に、みっしりと全身が灰色の人型の生き物が押し寄せてきていたのだ。

ヒルドが素早く剣の束に手をかけ、バンルも立ち上がる。



「わーお。何あれ…………」

「………霧の系譜の階位精霊だ。あれは本来、霧の精霊が派生を助けるものだが、違う種族のものに派生させられて、……生き物としての根本から壊れている……………」



そう言ったエイミンハーヌの声にも、静かな怒りと嫌悪感が響いた。


壊れていると言われて見てみれば、何かが歪で何かが狂っているように見える。

顔の部分は灰色の布で覆われているが、こちらからは見えないその目が店内を窺っているのだと思えば、背中を冷たい汗が伝うような気がした。




「…………この店の店主はどうなったのだろうか。コロールの住人であれば、助けになるような知恵を持っているかもしれないし、外に出ていたのであれば、………危ないのではないか?」

「出て来たものの規模的に、そのまま暴れさせるとこの町がなくなるからね。アイザックがこの空間を閉じた時に、どこまでで線を引いたかにもよるかな。外側に出されていれば、巻き込まれてはいなけど、店内にいないってことは、きっと表の通りに出ていたんだろうしなぁ………」

「いえ、恐らく店主は元々不在にしていた筈ですよ。表の扉に、十分程不在にするという張り紙が出ていましたから」



ヒルドがそう言い、エーダリアはあの中でそこまで見ていたのかと感服の思いで頷いた。

エーダリアは、ノアベルトにこの店に連れ込まれても、まだ何が起きたのかを理解出来ていなかったのだ。



「と言うことは、不在で難を逃れている可能性もあるのだな」

「わーお、もしそうなら、そういうのが運が強いって言うんだろうなぁ」

「…………なぁ、あいつ等入ってくるんじゃないのか?」

「今のところはさ、隔離結界の中で条件付けをしてここもある程度隔離してるんだよね。でも、この屋根が崩れると危ないなぁ。幾つかの他の魔術で支えてるんだけどさ、この土地の誓約と、自転車や工房の魔術の種類が複雑過ぎて、あっちもこっちも忙しいんだよなぁ…………」

「であれば、私がこの商品を個別に魔術包装しよう。そうすれば、少し楽になるか?」

「うん、そうしてくれると…………うわ?!」



その時、がしゃんと音を立てて展示窓の方を破った何者かが店内に侵入してきた。

表に溢れている灰色の生き物が入り込んで来てしまったのかと思えば、片手で帽子を押さえたアルテアではないか。



「うっわ!これだけ隔離魔術敷いてるのに、そこを破るかなぁ?!」



珍しく怒ったようにノアベルトが声を低くし、アルテアは悪びれた様子もなく袖のほこりを払っている。



「安心しろ。入口は塞いでおいた。………あいつはどこだ?」

「…………あいつ?封印を解いたアイザックだったら、外のどこかじゃないかな」

「…………まさか、ここに避難している顔揃えで全員か?」

「ありゃ、外に誰かいた?」

「…………バンル、他の者達はどこですか?」

「一定の距離を保っていたからな。この近くには俺達だけだ。隔離で切り離されるのに、走り込んでも間に合わなかったと思うぞ」

「…………えーっと、彼が気にしているのは、歌乞いのお嬢さんのことじゃないのかな?」



エイミンハーヌがのんびりとそう言い、エーダリアはヒルドと顔を見合わせた。

そう言えば、この魔物が真っ先に案じるとすれば、ネアのことしかないではないか。



「ありゃ。………もしかして、ネアが心配であの窓を破って入ってきた訳?」

「他にあるか。あいつがこの状況下にいたら、更に悪化させるだろうが」

「ネアだったら、…………きっと、正門を挟んで反対側の区画に、シルとウィリアムと一緒にいるんじゃないかな。あっちには、ヨシュア達もいるしね………」

「……………ウィリアムとヨシュアまでいるのか。何の集まりだ…………」

「身内の買い物だった筈なんだけど、ダリルあたりが声をかけたのかもね。ほら、ネアがいる訳だし………」



そう言われてしまうのも不憫なものだと、エーダリアはこっそり思う。

今迄の事件を振り返れば、必要な手配であるのだが、残念ながら今回事件に巻き込まれているのはエーダリア達の方なのだ。



そこまでを聞き、アルテアは虚空に淡く光って現れた魔術陣に腰を下しながら、深い溜息を吐いた。

帽子をかぶり直し、それなら帰るかなと呟いている。



「もう一度外側の遮蔽を破ったら、ちょっと僕ももう我慢ならないんだけどなぁ………」

「何度も言わせるな。入口は塞いであるだろうが」

「あの瞬間、僕が何重に魔術を敷き直したと思ってるのさ。ネアの方に行きたいのは分るけど、終わるまでは出さないからね」

「そもそも、この惨状は何なんだ」

「………ん?………アルテア、外にいた獣を見てないのかい?」

「………獣は見ていないな。路地に溢れているのは、霧の系譜の精霊だ。だが、魂が伴っていないし、幾つか潰してみたが知能はせいぜい虫程度のものだ。命の紛い物に近い派生である以上、半刻もすれば悪変が始まるぞ」



アルテアがこちらを見たので、エーダリアは、自分もその獣は見ていないのだと首を振った。

代わりに説明してくれたのはヒルドだ。



「巨大な狼のような姿をしていましたが、鹿のものに似た角や、竜のような鱗があり、妖精の羽もありました。私には、精霊と言うよりは竜と妖精のかけ合わせのように見えましたよ」

「…………俺は、霧の精霊の系譜かもしれないとそのあたりばかりを見ていたが、確かに妖精の羽は生えてきていた気がする。蝶が羽化するように封印の殻から出て来たばかりだったから、あの状態から変化したのではないかな………」



エイミンハーヌがそう言い重ね、アルテアは赤紫色の瞳を細めた。


魔物らしい酷薄さに、どこか人間の領域など知ったことではないとでも言いたげな残忍な気配を纏い、唇の端を微かに笑みの形に持ち上げる。



「ほお、…………全ての種族のいいところ取りをしたか。相変わらずの強欲さだが、成功したとなると興味深いな」

「あの組み合わせの生き物を直視出来て、連れて帰ってくれるなら僕も大歓迎だけど?」

「本体はいらん。素材だけ引き取ってやる」

「何で僕が壊す前提なのかな」

「でなけりゃ、アイザックが自分でどうにかするだろ」

「言っておくけど、蝕の胎動が来てるみたいだよ………?」

「…………じゃあやらないだろうな。俺は抜けるぞ」



ぞんざいにそう言い捨て、アルテアは片手を振った。

その酷薄さは魔物らしいものだったので、特に思うところはなかったものの、そうか、ネアがいないと、このような対応になるのだなとあらためて得心する。


だが、そう思って見ていたその視線を、アルテアにはなぜか誤解されたらしい。



「…………言っておくが、俺が、お前達の問題を何でも引き受けると思うなよ」

「…………ああ、…………いや、ネアがいないとそのような雰囲気なのだなと、考えていただけなのだ。誤解をさせたならすまない。いざとなれば、ネアからきりんの札を預かっているからな。それを広げればいいのだが、外にいる巻き込まれた者達が命を落としてしまったり、階位落ちしてしまいそうで困ってはいる………」

「……………あ、そっか。それがあったんだ」

「そういえば、私も持たされていましたね…………」

「おいやめろ、俺には絶対に向けるなよ!」



バンルとエイミンハーヌが不思議そうに見ているので、高位の魔物も死なせてしまうかもしれない恐ろしい術符があるのだと話しておいた。


そうすると、何かきりんの噂でも聞いていたのか、あれかとバンルが暗い顔で呟く。



(ダリルと親しいし、傘祭りの時のこともあるからな。バンルあたりは知っているかもしれない………)



「だが、その場合は外にいるアイザックは諦めるしかないな…………。まぁ、自業自得だから仕方ないか」


そう呟いたバンルに、エイミンハーヌも頷く。


「まぁ、彼は頑強だから、階位を落してもそこまで影響はないんじゃないかい?」

「エーダリア様の安全には替え難いものだ。この際、早々にそれであの獣を排除した方が良さそうだな。………要するに、俺は見ないようにして広げればいいんだろう?」

「あれ、バンルがやるの?」

「馬鹿か。エーダリア様にやらせられる訳がないだろうが。何かあったらどうするんだ」

「い、いや、広げるだけであれば、私がやるのだが……………」




慌ててそう言い重ねていたそこで、またがくりと世界が揺れた。

そしてその直後、ざっと店の外を鮮烈な光が焼いた。



あまりの眩しさに片手で目を覆い、光が消えた後でそろりと顔を上げる。

すると、あの灰色の生き物はもう見当たらなかった。



表の通りをゆっくりと歩いてゆくのは、けぶるような淡い金色の髪をなびかせた一人の男だ。

ちらりとこちらを見たような気がしたが、鮮やかな金まだらの青い瞳をしていたような気がした。



(あれは、…………誰だ?)



女性のように見えた。

その美しさに、そんな時ではないと分かってはいても胸が震える。



冷ややかだが心のない冷たさではなく、黎明のような強い光の鋭さは刃にも似た鮮烈さ。

ほんの一瞬見えた瞳の色に、息が詰まりそうになった。




「…………ミカだな」



そう呟いたのは、エイミンハーヌだった。

あの女性の名前はミカというのかと、こくりと頷くと、エイミンハーヌはこちらを見てくすりと微笑んだ。



「エーダリア様、彼は真夜中の座の精霊だ。蝕の胎動で転換すると、黎明の質を纏う。黎明の精霊は女性しかいないから、女性的な容姿に変化するんだ」

「……………イーザの友人の、紫の瞳の……」

「そうそう。はは、俺もあまりにも美人で一瞬どきっとしたけどね」

「……………そ、そうか。男性だったのだな」

「エーダリア様…………」

「ありゃ、僕も見たかったな」

「ネイ…………」

「ごめんなさい…………」




そしてここで、アルテアがぎょっとしたように目を瞠った。



「……………おい?!ここにいるぞ!」

「…………え?……ええ?!ネア!!」



ここからは温度の分からない風に長い髪をなびかせ、その髪色を紫がかった水色から葡萄酒色に変えた真夜中の座の精霊の背中に、なぜかネアが隠れているではないか。



「まさか、こちらに来ていて巻き込まれたのか?!」

「いやいや、そんな事はないよ。いたら、さすがに僕も探した時に見付けられるから!」



がたんと音がして、物凄い勢いでアルテアが外に飛び出していった。

慌ててその出口を塞ぎ直し、ノアベルトが低く呟く。



「ええと、僕も飛び出したいし、ヒルドはエイミンハーヌが押さえてなかったら飛び出していたけど、取り敢えずネアは、あの精霊とアルテアに任せよう。…………多分、外の獣はネアが倒すんじゃないかな…………」

「やっぱりあのお嬢さんで決めなのかよ………」

「いやぁ、初めて討伐を間近で見るなぁ。窓のそばに行こうかな」

「エイミンハーヌ…………」

「いや、なかなかない機会だよ。それにしても、リーエンベルクの守護の要は揺らがないねぇ…………」




そんな軽口を叩き合うバンル達を見ながら、ふっと心が緩んだ。



(そうだ。………ネアだけではない。ディノもいるし、イーザや雲の魔物もいる。ウィリアムとて、胎動が揺らげば終焉の魔物なのだ………)



気を緩めることはあってはならないが、そう考えたらなぜだかとても嬉しかった。

心配そうに外を見ているヒルドの腕に手を当て、こちらを見た彼にしっかりと頷く。




「この町には、これからもヒルドのペンの手入れをして貰いたい店がある。………すっかり頼りないところを見せてしまったが、我々もここで出来ることをしよう」

「…………エーダリア様」

「…………バンル、泣くところじゃないと思うなぁ」

「えっと、じゃあ、誰かとりあえず奥の工房の溶接炉の火を消してきてくれるかな…………」




ノアベルトのその言葉に、エーダリアとヒルドはさっと青ざめ、崩れかけた建物の奥に駆け込んで、うっかり火の元の確認を忘れて外出した店主の代わりに、魔術溶接炉の火を消したのだった。








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