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315. 秋告げの舞踏会で捕まえます(本編)




その日、いよいよの秋告げの舞踏会に、ネアはまずリーエンベルクで髪結いをして貰っていた。

昨年の時には可愛い髪結いの魔物が来てくれていたのだが、今年は使い魔が髪結いを会得してしまったが為に、ネアは同性の友達への勧誘をかけ直す機会を失っている。


せめてもう一度くらい、あの髪結いの魔物にお友達になって下さいとお願いしてみたい。


しかし、そんな野望を胸に抱いてはいても、仕上がった髪型を鏡の中に見てしまえば、通常仕様よりずっと素敵にしてくれた喜びに唇の端を持ち上げてにこにこしてしまう。



「まぁ、お花を編み込んでいて、とっても素敵です!今回は、あえてアップにはしなかったのですね?」

「…………お前は、自分のドレスの形をよく見てみろ」

「…………む?」



確かにネアの今回のドレスは、体のラインをよく拾う肌に吸い付くようなニット地のような素材のものなので、髪の毛を下さないと体のラインが随分と強調されてしまう。

ただし、マーメードラインで膝上までを落とし、裾にかけてふわっとさせて足捌きを綺麗に見せるものなので、視線は華やかなドレス裾に集まるように計算されていた。


裾の部分の灰色のチュールレースには繊細で贅沢な刺繍入りのレースも重ね、けぶるような色合いに更に優美さを加えてくれる。

色味は違えど肌の色に馴染む淡い灰色の靴には、上気した肌色を表現したと言う薔薇色が鮮やかだ。



(髪の毛はふわっと巻いてくれてハーフアップにして、鮮やかな赤紫色のオールドローズをたっぷり飾ってくれている……………)



耳を出すようにハーフアップにしてくれているので、色味をその薔薇の色に揃えたヒルドの耳飾りと、アルテアとの繋ぎ石になる耳飾りがとても映える。

ディノの首飾りには、きらきらと繊細に輝く灰紫色の擬態を施し、幾粒かの石を赤紫色にすることで髪を飾る花との繋がりを出していた。



「ディノ、どうですか?」



美しく装うということは、女性の端くれであるネアにも大きな喜びである。

ネアが、うきうきしながら髪結い用のケープを外して振り返れば、婚約者は、未来の弟と一緒にまたしても長椅子の向こうに逃げて行く。



「……………可愛い」

「ネア、そのドレスであんまり動くとまずいって」

「む?…………お腹は出ていないのですが…………」

「えーっと、そうじゃなくて……………」



ノアがもごもごしている間に、ドレス姿のネアと目が合って微笑みかけられたディノが長椅子の向こうに倒れてゆき、隣で深々とアルテアの溜め息が聞こえた。



「もしかして、またしても元彼女さんにお会いするので、少しだけ憂鬱なのですか…………?」

「……………何とでも思ってろ。それと、今日はくれぐれもジアートには気を付けろよ?」

「豊穣の魔物さんの様子がおかしいと思ったら、すぐに距離を置くのですよね。反転するとあまり良くない魔物さんだと、ディノにも教えて貰いました」

「ああ。あまりそこまでの反転を受ける魔物はいないが、豊穣には不作の懸念が付き纏う。色濃く反映される感情だからこそ、その資質が反転されて紐付きやすい」


そんな蝕に向けての注意喚起もあり、今回の舞踏会はいつもの季節の舞踏会とは少しだけ心構えが違う。

充分に楽しみながらも、二度目だからといって気を抜いてはいけない事情があるのだ。



(その反転の選別も、不思議で難しいな…………)



反転には二種類のものがある。


ウィリアムのように、死というものへの印象が強すぎて反転する魔物は、人知れず反対の資質を得ていたりするものの、人々はそんなことを知らずにいる。

豊穣のように元からその反対の資質としての不作が思い浮かべられやすい魔物は、当然のごとく反転した不作の魔術を纏うのだ。



(それなのに、ギードさんのように、絶望と希望で反転を得られない魔物さんもいる。それは生き物の心は魔術仕掛けではないので、その資質の反転が難しいから…………)



心の動きを司る魔物の中では、アイザックの欲望は珍しく反転の影響を得られるものだ。

これは無欲と欲の気質であれば反転することもあり得るという魔術の理による認識からであるらしく、ネアにはその線引きはいまいち分からない。



森が海になるということはないが、それぞれの資質を動かし難くはなる。

星は輝かなくなり、月や太陽はいつもと様相を変える。


特に、時間の座の精霊達はそれぞれの資質が逆転してしまうので、その影響を受けて本来の時間を見失わないように、各時間の座の王達は、蝕の間は決して王宮を出ない。

時間の座の王宮の中までは蝕の反転の影響が及ばないので、各時間の座の仕事が絡み合って事故になる事を防げるのだ。



「蝕で力を強める魔物は、闇の系譜と白夜だな。秋の系譜が及ぼす領域の指定も弱まるから、いざという時にはダナエを頼れ。力の質を変えるが、ウィリアムもかなり力を強める」

「ウィリアムさんは、修復の力を持つのですよね?」

「ああ。それから、受ける魔術の資質によっては、アイザックも使えるな。欲望を絶てる存在はなかなかに有用だ。悪食は変化しないからほこりも変わらない」

「となると、いざという時にはほこりと、……そんなほこりと一緒のルドルフさんを頼ればいいのですね!」

「……………ルドルフはやめておけ。お前には合わないだろう」



そこでなぜか、魔物達は視線を斜め下に向けた。


ネアはなぜなのだろうと首を傾げたが、ノアから会員が増えたら大変だよねと言われて慌てて頷いた。

ほこりの名付け親の会だからと、親族とのお付き合い感覚で気楽に入会されても困るので、そういうことなら、決して出会ってはいけない魔物ではないか。




「そろそろ行くぞ」

「はい。では、ディノ、みなさん、行ってきますね!」




ちょうど、エーダリアやヒルドも見送りに来てくれたので、ネアは、みんなに出かけの挨拶をしてアルテアの手を取り転移の薄闇に踏み込んだ。



本日のアルテアの装いは、ネアと同じような色味で揃えてくれており、紫の色味のある艶やかなシルク地の黒い正装姿に、真っ白なシャツと灰色がかった紫のクラヴァットをしめている。

革靴の先までが紫がかった黒だが、その色合わせに白い髪と赤紫色の瞳がこの上ない宝石のように煌めく。

前髪は片側だけを掻き上げたようなオールバックにして、はらりと額にこぼれた前髪がどこか危うく色めかしい。



「アルテアさん、今年もあの美味しいパイ包みはあるでしょうか?」

「お前は毎回言わないと分からないようだから、あらためて忠告しておくぞ。…………いいか、それ以上に弾むな。今日のドレスは特にだ」

「解せぬ」



ネアは、なぜにまだ会場に到着もしていないのに、厳しく叱られたのだろうと首を傾げた。

楽しみに弾んだ気分がへにゃりとなり、恨めしくアルテアの方を見れば、指の背で頬を撫でてくれた。



「……………二人きりでもいけないのですか?」

「…………お前な。余計にやめろ」

「なぜに溜め息を吐かれたのでしょう。もはやアルテアさんは私の使い魔さんですので、多少子供っぽい一面にも慣れていただかないとなのです。それと、楽しげな音楽が聞こえてきましたよ!」




ふわりと転移の薄闇が晴れ、そこに広がっていたのは昨年同様素晴らしい秋告げの舞踏会であった。



「…………ほわ」



ネアがあまりの美しさに呆然としてしまったのは、今年の会場を囲む紅葉の森が三色構造になっていたからだ。


今年の会場は、夜明け前の秋の森である。


正面から見ると、並木道のように左右に背の高い見事な銀杏の木が並び、その周囲はどこまでも続く深く鮮やかな深紅の楓の森になっていた。

森葡萄の蔓が絡んだ木には見事な実がなっているし、楓の葉の深紅の中にちらほらと残る、まだ色づいていない葉の深い緑のコントラストが美しい。



(真っ直ぐに伸びるこの銀杏の並木道を、どこまでも進んで行きたくなってしまいそう…………)



こんなに素敵な秋の散歩道もないだろう。

夜明けの霧深い紅葉の森に敷かれた秘密の道のようで、どこまでも進めば、何か特別なものに出会えそうな気もする。

ネアはそんな風に考えて感動していたのだが、アルテアは違う見方をしたようだ。



「…………成る程な。橋の魔術を応用して、秋告げの祝福の下に違う系譜の魔術を敷いたか。触れさせないようにして重ねることで、万が一蝕が動いても安全という訳だな」

「橋のようなものはありませんが、どこかに隠れているのですか?」



既に会場には、沢山のお客たちが集まっていた。

アルテアの姿に気付くとグラスを掲げたり、会釈をして挨拶をしている。

何度目かの出会いになる麦の魔物の姿もあったが、心なしか今迄より疲弊しているように見えた。



「この左右に並んだ銀杏の木で、疑似的に橋の魔術を渡してある。つまり、その外側は疑似的に川や湖のようなものだと土地の基盤に認識させているんだ。くれぐれも、この銀杏の外側に出るなよ?流されるぞ」

「流される…………?」



そう言われても、ネアにはピンと来なかった。

銀杏の木の向こうへは地続きであるし、そのまますたすた歩いてゆけそうだ。

だがしかし、こうしてよく分からないものがあるのもこのような世界らしさであるので、ぴんと来ては居なかったが、こくりと頷いた。



「…………軽視するなよ。蝕の反転が出ても橋の外側に投げ込めばいいだけだが、今日は俺から離れないようにしろ」

「ちょっと飲み込むのが難しいお話でしたが、ここが橋で外側に出ると落ちて流されるのだということは認識しました!勝手に判断してご迷惑をかけないようにしますね。なお、私が脱走しない為にも、あちらのお料理のテーブルに速やかに移動することを推奨します!」



ネアはそう提案したのだが、アルテアはなぜか反対側のダンスの輪に近付いてゆく。

それでは抑止力にならないぞと眉を寄せたネアだったが、懐かしい人を見付けて立ち止まった。



「これはこれは。アルテアとまた一緒なのだね」


目が合って微笑みかけてくれたのは、昨年はネアの送った沢山の合図を汲み取ってくれた察しのいい魔物、豊穣を司るジアートだ。


とろりとした黄金を凝り固めたような髪と瞳をしており、よく似合う濃紺の正装姿をしている。

美しい男性ではあるが、その美しさにはアルテアのような危うさや凄艶さはない。

豊穣を司るだけあって、誠実そうで満ち足りた微笑みが似合う、優しい目をした魔物なのだった。



「……………まだ影響はないな」

「アルテア、ご無沙汰しております。この通り、まだ蝕の影響は出ておりませんよ。ただし、他の魔物を巻き込むのは本意ではありませんので、今年はこの通り系譜の部下を連れてきました」



そう横を見たジアートに、隣に立っていたよく似た雰囲気の女性が、強張った表情でアルテアに頭を下げる。

顔色は真っ青だし、指先も震えているので、よほどアルテアを恐れているのだろう。

そう思えば何だか不思議な気がしたが、ネアの使い魔は第三席な魔物なのだった。


アルテアはそちらを見もせずにジアートを一瞥すると、片方の眉を持ち上げる。


「賢明な判断だな。お前が転じるだけでも秋の系譜はまずい」

「皆浮き足立っていますよ。秋告げの舞踏会は季節の要所となるべき魔術の基盤になりますが、ここを経ることで確実に蝕が近付く。麦の魔物などは、祝福を切り出して早めの実りを助けた収穫を終えるまではと、現場につきっきりですね」

「やはり、早めの収穫で連携したか」

「ええ。転じてからでは遅いので。豊穣が欠け落ちることは、自身にとっても不利益になりますから」



ジアートはそう微笑み、ではと一礼して去っていった。

ネアはこちらの魔物もよく見ると疲れているなぁとその後ろ姿を覗き込もうとして、アルテアにべしりと頭を叩かれた。



「むぐる!せっかくの髪飾りなお花が散ったらどうしてくれるのですか!!」

「お前は屈むな。いいな?」

「なぜにどんどん行動禁止項目が増やされるのでしょう。…………アルテアさん、美人さんがいます」

「…………あの秋まだら色の髪は、秋憂いの魔物だな」



ネアがここで見付けたのは、深紅と濃茶、深みのある黄色の長い髪の女性だ。

長い髪はゆったりとした巻き髪で、バレエダンサーのようなシンプルな漆黒の天鵞絨のドレスが美しい。



(素敵な雰囲気の魔物さんだな。お友達になれたらいいのに…………)



ネアは期待を込めてそちらを見ていたのだが、アルテアに反対側に引き摺られていってしまい、強い未練を残した視線で念を送ってみた。


真摯な思いが届いたのかその女性は栗色の瞳でこちらを振り返ったが、なぜか怯えたようにささっと反対側を向いてしまう。




「ほら見ろ、拒絶されただろ」

「あれは、私の視線の意図に気付いていないからなのです!きちんとご挨拶をしてお喋りすれば………」

「余分を増やすなという忠告も、何度すればいいんだろうな。いい加減にしろ」

「むぐぅ」



そんな二人のやり取りを呆然としたように見ているのは、妖精達だろうか。

鮮やかな黄色の羽が美しいのだが、春の系譜の妖精達の黄色の羽とはやはり色味が違う。

お揃いの深緑のドレスを着ていて、双子のようによく似た男女なのでとてもよく目立つ。



何の妖精なのだろうとアルテアに尋ねようとして、ネアは立ち止まったアルテアの前に立った女性の姿にはっとした。




「久し振りね。またその子を連れて来たのね」



アルテアにそう話しかけたのは、月光を紡いだような髪を豊かに結い上げ、あの美しいティアラのような髪飾りをつけた月の魔物だ。


ドレープで深く胸元を見せたデザインのドレスは、形だけ見れば普遍的な花嫁のドレスのようだが圧倒的な威厳を纏い溜め息を吐きたくなる程に美しい。


柔らかな砂色に見える金色のドレスには、細やかな刺繍が施され、僅かに異国風でもある。

屈んだら胸が見えてしまいそうな際どさなのに、どこまでも女王のような威厳と気品を失わないのは、ダイアナ自身の身に持つ雰囲気故だろう。



「生憎だが、当分はこいつとだな。置いていくと何を言われるか分かったもんじゃない」

「む。一緒に行きたい方がいるのなら、むしろ応援…むが!」



ここで頬っぺたを伸ばされる辱めを受け、怒り狂った人間は今日ばかりは踏み滅ぼさずにばしばしと脇腹を叩いてやった。

しかし、筋肉がしっかりついていて効果が薄そうだったので、悪い使い魔の頬っぺたを引っ張らんと手を伸ばしてさっと回避される。



「おのれ、ゆるすまじ」

「…………いえ、私としては賛成なのよ。またアチェロのような脱走者が出ても捕まえてくれそうだもの。今年は蝕が近いのだから、階位が高くても足手纏いでは意味がないわ」

「はは、そう言われると選んで貰えたことに感謝するべきかな」



ダイアナの隣でそう微笑んだのは、疲弊の色が少し色っぽくも見える麦の魔物だ。

そんな風に見えてしまうのは、このリザールのどこか背徳的な楽しみを仄めかすような、独特な微笑みのせいだろうか。



ネアと目が合うとウィンクして見せ、アルテアはいつの間に片手に持っていたステッキを振り上げた。



「やめてくれよ。今それで殴られたら、倒れてしまいそうだ。これでも世界各地の大きな麦畑を巡って実りを助けるという善行を積んできたばかりなんだ」

「不作となれば、お前も力を落とすからだろうが」

「そう言われれば、それまでだけどね。気紛れな私がそれでもいいと思わなかったのは、蝕による不作だと冬の系譜まで影響が出るからさ」

「まったく、ここで久し振りの蝕だなんて厄介なことだわ。今年は高位の者の代替わりが多かったようだから仕方ないとは言え、せめて一日で終わって欲しいわね」



ダイアナはそう呟き、けぶるような美しい金色の睫毛を伏せる。


男性ならば駆け寄って手を貸したくなるような姿だが、これだけの美貌と気品を兼ね備える女性ともなれば、自分では力不足だと思ってしまう男性ならそっと背を向けるかもしれない。


相変わらず高位の魔物らしくネアには注意を払わないが、好意的ではあるようなので気になる程の疎外感はなかった。


ただ、この魔物は人間に話しかける必要性を持っていないのだ。

それは例えば、久し振りの知人に挨拶をする際に、連れている犬のことを話題に出しはしても、犬に話しかけはしないというようなことなのだろう。


種族が違うということは、このような事があっても、相手の出方次第ではそんな扱いも気にならないのでいいことだとネアは思う。

人外者達の中には、こうして異種族や低階位の生き物には見向きもしない者と、分け隔てなく接するが特に慈悲深い訳でもない者がいる。



なのでこの隙にネアは、この後は踊るのだとしてもどこでお料理のテーブルに向かうに相応しいのか、位置関係などの把握に努めることにした。


幸いパイ包みはまだ殆ど残っているが、戦争になれば慈悲などないので油断は出来ない。




「……………む」



しかしここで、ネアはまたしても一年ぶりな生物に遭遇してしまった。


お久し振りなもふちくは、そろりそろりと参加者達の足元をすり抜けて脱走してるようにしか見えないので、ネアは爪先を伸ばしてえいやっとその体をひっくり返してしまう。



「ムギ?!」



足下から聞こえてきた悲鳴に、深刻そうに蝕の話をしていた魔物達がぎくりとしたようにネアの方を向いた。


ネアは、ゆっくりと手を伸ばして、裏返ってもがいている膝用クッションのような楓の精霊を掴み上げると、相変わらずもふもふの下にある短いちくちくの毛がいただけないなと眉を顰めた。


溜め息を吐きながら金庫の中から取り出した、一般対応可能な通常色の縄で縛り上げ、近くを通った秋告げの精霊の従者に声をかけて、脱走しようとしていたと告げて手渡しておく。



まだ騒ぎにはなっていなかったものの密かに探していたのか、秋告げの精霊の従者はほっとしたように喜んでくれた。



「うむ」

「……………あの縛り方はやめろ」

「……………むむ。前回アルテアさんで試した縛り方になって…むがっ?!」


酷く暗い顔をした使い魔から勢いよく口を塞がれたネアは、目を瞠る。


ゆっくりと首を横に振られ、良く分らないままに頷いたが、何かまずかっただろうか。

自分の発言を振り返ろうとしたが、なぜかそこは深い記憶の霧が立ち込めていた。




「………むぐふむぐむぐ」


口を塞がれたまま、その手を離し給えと命じたのだがあまり伝わったようには思えない。

案の定使い魔は、見当違いなことを言い始めるではないか。



「そうだ。二度とその話題を口に出すなよ?いいな?」

「…………ぷは!…………何かまずいことを口に出してしまったようなのですが、もふちく関係ですか?」

「縛り方に関してだ。二度と言うな」

「縛りかた…………?」



ネアがこてんと首を傾げると、なぜかアルテアはいっそうに暗い顔になった。

今日の装いでこんな表情をすると、悪しきものとしての魔物という感じが際立っている。



「……………おい、何で突然記憶がなくなるんだ。紫の縄と言えば思い出すな?」



酷く静かな声で質問を受け、ネアは今度は反対側に首を傾げた。



「そのようなものに心当たりはありませんが、紫の縄が欲しいのですか?」

「……………そうか、この舞踏会が終わったら手荒く揺さぶってやる。なくした記憶も戻るだろう」

「紫の縄…………?にゃ、にゃわし?」

「覚えてるな…………」

「よく分かりません。突然そんな言葉が閃いたのです…………」



ネアは何でそんな話題になったのだろうかと眉を寄せていたが、ふと顔を上げると月の魔物と麦の魔物が呆然とこちらを見ている。

ネアと目が合うと、リザールはなぜか、君達の関係は意外性に満ちているなぁと褒めてくれた。



「アルテアさん、私達は、意外性に満ちているようですよ」

「お前はもう、踊り終えるまで当分黙っていろ……………」

「あら、アルテアさんまで疲れた顔になってしまいましたね。こういう場合は、美味しいものを食べるのが一番ですよ。向かって左端のテーブルのパイ包みに、左から三番目のテーブルの小さなグラタンのようなものなどは如何でしょう?」

「お前の欲望まみれだな」

「むぐぅ」




流れていた音楽が終わった。



先に踊っていた者達が、微笑みを交わしながら戻ってくる。


こんな時のざわめきも春告げのひそやかな響きとは違い、どこか楽しそうに響くのが秋の舞踏会だ。

ふわりくるりと翻るドレスの鮮やかさに、人々の向こうに広がる見事な紅葉の森。


風に香る森の匂いが違うし、ダンスの音楽の嗜好も違う。

ゆったりと深まり、鮮やかにふくよかに満ち足りてゆく秋そのもののような系譜の者達の充溢した様子に、その豊かな実りを思うのが秋告げの舞踏会だ。


それは例えば、黄金に揺れる重く首を垂れる麦穂であり、立派な葡萄や艶やかな栗の実に鮮やかな紅葉である。




そしてネアは現在、見たこともない不思議な秋の生き物に目を奪われていた。




「クケ」

「……………なにやつ」

「クケ?」



ネアが遭遇したのは、背中の部分が灰色で、腹部が鮮やか朱色の不思議な筒状の毛皮生物であった。


ダンスを終えてこちらにやって来たようだが、アルテアを見付けるなり何かを言いたげに立ち止まったのがネアの正面だったので、ネアはこの奇妙な毛皮棒と相対することになってしまっている。



「……………サーディか。何の用だ」

「クケ」

「知るか。そんなことは本人に言え」

「クケクケ」

「俺は子守りじゃない。寧ろ、あっちにいるジョーイにでも訴えるんだな」

「…………クケ」



何かの訴えを退けられたらしく、とぼとぼと歩き去ってゆく毛皮棒を見送り、ネアは美貌の魔物と毛皮棒というまた新しい組み合わせに丸くしていた目を瞬く。



「…………アルテアさん、今の方は何者でしょう?」

「相変わらず、毛皮に関しては節操なしか」

「むぐぅ。見たことがない生き物なので、何者なのかを尋ねただけではありませんか。敏感過ぎるのです。新しい毛皮生物と出会っても、ちびふわを蔑ろにしたりはしませんよ?」

「やめろ。…………今のは、秋鮭の精霊だ。ほこりに、乱獲をやめて欲しいそうだな」

「秋鮭の精霊さん…………」




ネアはここで、もう一度歩いている毛皮棒の方を振り返り、確かに配色は間違っていないと頷く。



「しかしながら、なぜに毛皮なのでしょうか。鮭であれば鮭らしく、誇りを持って鮭の姿で出現すればいいと思うのです」

「初代の鮭の精霊は、鮭の姿だったらしい。だが、普通の鮭と見分けがつかずに食われることが多かったそうで、何代目からかは王だけはあの姿になったと聞いている」

「鮭とは…………。毛皮を纏った以上、もはや捕食者側にしか見えません」

「秋鮭のことは放っておけ」




すっと、手を取られた。



目を瞠って周囲を見れば、いつの間にかダンスの輪に入るところまで歩いてきていたようだ。


流れるような優美な仕草でホールドされれば、しっとりとしたドレスの生地を通してその手の温度を感じる。



「………………ほお、触り心地はなかなかだな」

「見た目もとっても素敵ですよ。腰がぎゅっと細く見えるのに自然な感じがしますし、膝下のドレス裾の動きがとっても綺麗で……」



そう言いかけたところで、ぐっと押し下げた手の平に腰の下の方を押さえられ、少しだけ強引なターンでふわりと回される。

ネアは置いていかれないように慌ててステップを踏みつつ、一瞬だけ独自の動きを入れてネアを翻弄した悪い魔物を、じっとりとした目で見上げた。




「もう一つ追加だ。ダンスの時に、リザールを後ろには立たせるな」

「…………私の目は、正面向きにしかついておりません」

「そもそも、試着の時に、どうしてシルハーンは何も言わないんだ」

「私の魔物は儚くなってしまったくらいで、その後はドレスを褒めてくれましたよ?」

「そのお前の魔物とやらは、背面は見たんだろうな?」

「くるっと回って見せたところ、大広間でぱたりと倒れたのです。今年のものは、背中の形まで綺麗に見せてくれる素敵なドレスですよね」



そう言いながら、シシィが採寸の時にお尻を掴むのは、このドレスが臀部のラインも綺麗に浮かび上がらせる形だったからなのだろうと考えた。

膝上まではぴったりとしたタイトなラインであるのに、伸縮性のある生地のお蔭でとても動きやすい。



(ニットドレスのようだけれど、糸の美しさでもっともっと上品に上等なドレスに見える。時々、このドレスは何だろうと見ている人達がいて、何だか嬉しいな…………)



天鵞絨やレースではなく、タフタでもない。

動き易そうで体のラインを美しく見せてくれる。


そんなネアのドレスは、間違いなくお洒落に敏感な女性達の視線を集めていた。

これで、温度変化に強い通気性も良くてあたたかなドレスだと教えてあげたら、あの女性達と仲良くなれるだろうか。



シシィが新しいドレスを試したいのだと話していたことを思い出し、ネアは仕立て妖精のシーの思惑は、ここにもあったのだと得心した。


アルテア程の階位の魔物のパートナーが見たことのないドレスを着ていれば、そのドレスの美しさは、自ら主張せずとも人々の目に止まるだろう。



現にネアは、一曲目のダンスが終わったところで、先程の双子の妖精の女性の方に声をかけられ、そのドレスは誰の仕立てなのかと尋ねられた。

ネアがアルテアの方を見て許可を取ってから、仕立て妖精のシシィの名前を出すと、その妖精は重々しく頷き、絶対に私も頼むわと呟く。


また次の曲が始まり、ネアは当然のように次のステップに取りかかった魔物に手を引かれる。



踊りの輪を抜ける者達の何人かがおやっとそんなネア達の方を見て、主にアルテアに視線を留めてひそひそと囁き合っていた。




「…………アルテアさん、今年の秋告げの舞踏会の中には、一緒に踊りたいような方はいないのですか?」

「その話題を今回も引き摺るようであれば、そろそろ罰則を設けた方が良さそうだな」

「その場合には、あの秋告げの舞踏会の定番メニューかもしれないパイ包みをお届けいただければ構わないのですが…」

「その場合、支払うのは、俺じゃなくてお前だろうが」

「こうして一緒に踊れると楽しいですし、こんな素敵な場所だと私はついついはしゃいでしまうので、まだ正気が残っている内に、他にも予約があるようなら言って下さいね」

「ほお、そうして、その間お前を野放しにしておけと?」



鮮やかな赤紫色の瞳を眇めて、どきりとする程に凄艶に微笑む魔物に、ネアは生真面目に頷いた。



「アルテアさんとノアが、私の靴を頑丈にしてくれたのですよ?二人がそんな風にしてくれたのだから、私が少しの間くらい待っていても、怖いことなどはない筈なのです。このような所なのですから、アルテアさんにもお付き合いもあるでしょうし………」



ネアがそう言えば、なぜかアルテアは小さく息を飲んだ。



「……………アルテアさん?」

「お前は、……………いつの間にか妙に俺を信頼するようになったな」

「なぬ。……………と言うことは、実は靴底のあれは、守護ではなくて悪さだったのですか?」

「…………そんな訳ないだろ」



こつんと額を合され、ネアは小さく唸った。

アルビクロムの舞台ですっかりはまってしまったのだとしても、こんな素敵な秋告げの舞踏会の会場で頭突きは、是非にやめていただきたい。



「でも、悪さをしてしまう魔物さんらしさもアルテアさんなので、今日も激辛香辛料油と、きりんさんは常備しておりますからね」

「やめろ……………」

「それと、そろそろパイ包みを………」

「きりのいいところまで踊るぞ」

「きりがいいのは、一曲ごとの切れ目ではないのでしょうか。解せぬ」



その後ネアは、なぜかダンスに夢中になってしまったアルテアのせいで、五曲も踊る羽目になった。


その頃になると秋告げの舞踏会にいる人々の驚きの眼差しは、どこか成程というような理解の眼差しに代わる。



しかし、これでアルテアの同伴者としての安全を勝ち得たのかもしれないが、ネアには、ここで費やしてしまった時間によって齎される大きな悲劇が待ち受けていた。




その結果、この日のアルテアは、ご主人様の本日の営業終了のお知らせを使い魔として初めて受け取る羽目になるのだが、それはもう少し後のことである。









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