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秋告げのドレスと花嫁の憂鬱



その日、リーエンベルクには秋告げの舞踏会で着て行く為のドレスが届いた。

ネアは笑顔でそんなドレスを届けてくれたシシィから受け取り、シシィは少しだけ刺激的な言葉を発したせいで、すぐさまヒルドに外に連れて行かれてしまった。


ネアよりも身長の高い女性なのだが、妖精の女性は腰がぎゅっと括れていて手足が細いので、羽の付け根を掴まれて運ばれてゆくと酷くか弱い感じがする。


そうして、広げたドレスの包みを見て、ネアは心を躍らせた。

思っていた通りの素晴らしい色合いに仕上がり、しっとりと手のひらに吸い付くようなドレス地は頬擦りして毛布にしてしまいたいくらいだ。


煙色がかった濃紫は、光の加減でその色合いを変える。

濃い藤色なのだが、光の加減や、手でその表面を撫でることで藤色がかった銀灰色にも見えるのが嬉しくてネアは何度もドレスをすりすりした。



(真夜中の影を白々と染める泉の輝き。光と闇の相反する色合いのものから紡いだ糸…………)


そんなシシィの説明を思い出し、ネアは頬を緩めた。

物語の中のドレスがこうして手の中にあって、それを着て素敵な舞踏会に行けるのだ。

女性としてこれ程に胸が弾むことがあるだろうか。


裾のレースが灰色でけぶるように、そんな紫色に映える。

この季節に纏えば秋の森に立ち篭める霧のようで、白灰色のパンプスは履き口のあたりに血色が滲んだような薔薇色に染めた箇所があり、その色にはっと目を奪われた。

わざとむらに染めてあるので、あえやかな感じが絶妙なのだ。



「ディノ、さあ今年も一緒に踊って下さいね」

「…………それを着るのかい?」

「ええ、勿論ですよ。まぁ、なぜ逃げてしまうのですか?えいっ」

「ネアが捕まえてくる…………」

「着替えるので待っていて下さいね。あら?」



ネアはそこで、カーテンの影からけばけばの銀狐がこちらを見ていることに気付いた。

ドレスを広げて見せてやると、尻尾をブラシのようにいっそうにけばけばさせる。

なぜかディノも同じカーテンの後ろに逃げ込もうとしたので、ネアはまず三つ編みを掴んで婚約者の逃亡を阻止した。



びぃんと引っ張られて張り詰めた三つ編みに、魔物はひどく困ったような顔をした。

良く分らないが、今日の逃走はかなり本気のようだ。

いつも舞踏会のドレスを着るとへなへなになってしまうが、今日の反応はいささか行き過ぎている気がしてネアは首を捻った。



「ご主人様…………」

「でも、ディノは一緒に季節の舞踏会に行けないでしょう?だから、出かける前に一度このドレスで大事な婚約者とも踊りたいのです。シシィさんがこうして早めにドレスを届けてくれるのも、その為ではありませんか」

「…………勿論、私も君が一緒に踊ってくれるのは嬉しいよ。でも、…………着替えは衣裳部屋でしておいで。………その、ここにはノアベルトもいるだろう?」

「……………なんと」



ネアはここで、魔物達が慄いていた理由が思っていたものではなかったと気付いた。

どうやらこの魔物達は、ネアが受け取ったドレスにこの場で着替えてしまうのだと慌てていたらしい。



(広げてみたりしていたからかしら…………)



さすがにそんな事はしないとネアは足踏みしたが、こうして思いがけない擦れ違いを起こすのも魔物という生き物なのである。



「失礼な!いくら私だって、こんなところでいきなり公開生着替えはしません!!」

「良かった。衣裳部屋で着替えてくれるのだね…………」

「その言い方だと、私が痴女のようです。やめるのだ」



危うく公開生着替えな痴女の称号を与えられそうだったネアは、ふうっと額の汗を手の甲で拭いながら着替えの出来る部屋に移動する。


シシィが来てくれた部屋は外客棟にあるので、ここからとなると鍵を使って厨房に入った方がいいだろう。

この厨房のある戸建にも、アルテアが揃えてくれた簡易的な家具がある。

二階の部屋には魔物達に言わせれば手狭だが、ネアからすると立派な洗面所や寝室もあるのだ。



(寝室の姿見の前で着替えよう………)



今年のドレスは家事妖精の手伝いがなくても着られるものなので、魔物達が厨房で待っていられるように美味しい紅茶を淹れてあげて、二階に上がることにした。



ピチチと、遠い小鳥の声が聞こえる。


聞こえてはいるもののこれは影絵の中のお屋敷なので、実際にその小鳥に出会うことはないだろう。

かつてのこの風景を見せたその日には、可愛らしい小鳥が庭の木の枝にいたのかもしれない。



「はい。ディノにはさくらんぼの紅茶を。狐さんにはお砂糖と牛乳たっぷりのぬるめの紅茶です」



狐姿の時だけの嗜好のものを用意して貰い、銀狐はびょいんと弾んだ。


銀狐がアッサムティーにたっぷりの牛乳とお砂糖しっかりめのぬるい紅茶にはまったのは、今年の春先のことだった。

騎士の一人がこんな紅茶を好んでおり、何だか甘いいい匂いがするぞとマグカップに顔を突っ込んでがぶがぶ飲んで叱られた日から、すっかりお気に入りである。


ネアはそこに、ディノの為に誕生日からこっそり追加で増やした特製砂糖菓子も用意してやり、銀狐には小さなミルククッキーをお皿に出してあげた。


凄艶な美貌を持つ魔物が、尻尾をふりふりする銀狐と一緒にお茶をしている光景には、堪らなく心が柔らかくなる。

お茶の準備にほんわりしている魔物達だけでなく、ネア自身も心をほかほかさせて二階に向かった。




「……………むふぅ」



階段を上った突き当りの部屋が、このお屋敷の寝室になっている。


時折ここで手作り料理の会などを楽しむ時には、酔い潰れた誰かが使うこともあるくらいだが、アルテアらしい拘りで誂えられた寝台やベッドカバーには、やはりこうして魅せられてしまう。



(セージ色と瑠璃色、くすんだ紫色にほんの少しの臙脂色。淡い水色に優しい生成り色…………)



寝具そのものは清潔な白だが、ベッドカバーはこの森の中の美しい小さな家に相応しい、色とりどりな模様が美しい手の込んだキルトであった。

ネアはこのキルトがお気に入りで、この部屋に上がってくると、ふと一人きりでここでのんびり過ごしてみたいような欲求に囚われる。



(あのキッチンで、美味しい紅茶を淹れてパンケーキでも焼いて………)



何でもない一日を一人でゆっくり読書でもして過ごすのもいいだろう。

編み物をしたり、繕いものをしたり、手紙や絵を描くのもいいかもしれない。


しかしそうなるとあの魔物は萎れてしまいそうだ。

いつかは、そんな風にばらばらに過ごす時間の中でもお互いのぬくもりを感じられるようになるのかもしれなかったが、今はまだお留守番が我慢できそうには思えない。



(そんな日には、ムグリスになって貰うしかないのかしら………)



ではムグリスディノになって膝の上にでも乗せて置こうかなと考えたネアは、婚約者としてはそれでいいのかなと少し悩み、まぁいいかと頷いた。

であれば、ゆっくりと自分の時間を過ごせるばかりか、素晴らしいもふもふも撫で放題という素敵な一日が送れることになる。



(これは、秋か冬の内に早急に実行せねばならない……………!!)



よく、男性などは結婚式の前の日に独身最後の時間を謳歌するべく、羽目を外した乱痴気騒ぎをすると聞いているので、花嫁の主張としてそんな日を設けてもらうのはどうだろう。


そう考えかけて、ネアははたと動きを止めた。



(………………私は、花嫁になるのかしら?)



そもそも、魔物に婚礼というものはあるのだろうか。

ディノも特に結婚式などの話を出すことはないし、他の誰からもそんな問題を指摘されたことはない。

大前提として人間とは違う種族の生き物であり、そんな魔物の生態としては指輪を贈って伴侶の誓いを立てたらそれでおしまいという気もする。



(何となくだけど、竜さんなんかは攫っていっておしまいって感じもするし…………)



とても不思議なことだが、ネアはこの世界に来るまでは魔物という存在に対し、人間が心に育てて思い描いた生き物としての人間らしさを期待していた。

しかし、パンの魔物などが多く生息するこの世界では、文化形態というよりは生態であり、暮らしぶりというよりも生態である。

即ち、良く分らないのだった。



(でも、…………花嫁になるという感じはしないかな………)



男前に着ているものを脱ぎ捨てつつ、ネアはそう思って眉を寄せる。

これもまた困ったことに、花嫁という単語の持つ初々しさはまるで心の中に湧き上がらず、すっかり甘えたな魔物達に囲まれて暮らす多頭飼いのお家のような環境になってしまった。


頬を染めてその手を取るというよりは、背伸びをして頭を撫でてやるのがネアの婚約者なのだ。



だったらこのまま、婚約期間が終わった後はすんなり伴侶です風でもいいのかなと考えながら階段を下りると、何やらわしゃわしゃしていた魔物達がこちらを見上げた。



「………………ディノ?」



こちらを見た魔物がすすっと視線を逸らしたので名前を呼ぶと、おずおずともう一度こちらを見る。

そう言えば初々しい生き物はある意味ここに居たのだと考え、ネアはぽんと手を打ちたくなった。



「…………素晴らしく似合っているよ。でも、………危ないものだと思う」

「あら、裾の部分も靴に引っ掛けてしまったりはしませんよ?」

「アルテアなんて……………」

「なぞめいた魔物ですねぇ。それと、ディノ、一つだけ気になったのですが、魔物さんは結婚式というものはするのですか?」



もしするのであれば、この初々しい魔物はしたがるのだろうか。

そう考えて尋ねたのであるが、なぜかそう尋ねた瞬間、ディノは水紺色の瞳を瞠ってがたんと立ち上がった。




「…………結婚式、…………かい?」

「ええ。人間はそのようなものをするのです。実現可能かどうかはさて置き、永遠の愛を誓い、伴侶になるための誓約をするという式典なのですが…………ディノ?!」



ここで、がたーんと音を立ててネアの婚約者は床に倒れてしまった。


それはもう見事に、上から吊っていた糸をちょきんと切ってしまったのかなという程にばったり倒れたので、ネアは慌てて駆け寄って頭を打っていないかどうか調べてやる。



「ディノ?!ディノ、どうしたのですか?立ち眩みですか?」



真珠色の髪を乱して床に突っ伏しているので、そっと頭を持ち上げてやり、どこか腫れていたり傷がないかどうか調べる。

そしてそんな作業の間ずっと、なぜかディノは両手で顔を覆っていた。


ぼふんと音がして振り返ると、どこか呆れ顔のノアが立っている。



「ノア、ディノが急に倒れてしまったのです、病気でしょうか?」

「ネアがいきなり結婚式とか言うからじゃないかなぁ。刺激が強すぎたんだよ…………」

「あらまぁ。…………そうなると、そもそも私の魔物は来年まで生きていてくれるのでしょうか?」

「ありゃ。…………もしかして危ないのかなぁ……………」

「ディノ、まだ耐性がついていないようでしたら、婚約期間を延期しますか?」

「ネアが虐待する………………」

「な、泣いてはいけません!…………私はいなくなりませんし、こういうことは無理をしてもいけませんから、ちょっとまだ負担が大きいというようであれば、我慢せずに言って下さいね?」

「虐待………………」

「ネア、違う意味で泣いちゃうから!」



慌てたノアにネアはぎゅむっとお口を塞がれ、だがしかしこの様子を見給えと膝の上に頭を乗せてやった魔物を片手で指し示す。

現在ネアの婚約者は、二重虐待による精神的なダメージからすっかりしょぼくれてしまい、ネアに膝枕をして貰いながら、床の上に倒れたままめそめそしていた。



「ええと、…………伴侶にはなっておいて、結婚式とかは後でやればいいんじゃないかなぁ………。ほら、伴侶になった方がネアの守護としては万全になるから、それを先延ばしするのは危ないからね」

「魔物さんにも、結婚式という概念はあるのですか?」

「下位の者にはね。高位の魔物が伴侶を得るのには、儀式魔術などで繋ぐ必要はないんだ。指輪が身に馴染んで、……………ええと、………まぁ、なるようになればね」

「……………なるように」

「そうそう、なるように。だからさ、ネアがやりたいと思えば、………って、シルはやったら喜ぶかもだね。シルに受け入れの準備が出来たらやろうか。うん、そうしよう…………」



ネアの表情を見て危ないと思ったのか、ノアは慌ててそう言い替えた。

何か恐ろしいものでも見たように胸を撫で下ろしているが、ネアにだって結婚式のようなものへの憧れはあるのだ。



「だがしかし、何だかもういいかなというだけで…………」

「わぁっ、声に出てる出ちゃってるから!!いいかい、よく人間のやっている式もやるからね。ちゃんとシルが耐えられるようになるまでは待つから、ネアは、なんかもう違うとか思ったりしたら駄目だよ!!いいね?!とにかく、僕が責任を持って準備するから忘れないようにすること!!」



珍しく青紫色の瞳に深刻な動揺を浮かべ、ノアは眉を寄せているネアの肩を掴んで揺さぶった。

揺さぶってしまってから、しまった秋告げのドレスだったとなぜか目を逸らしている。



「勿論、ディノが喜んでくれるならやりたいです。ただ、ドレスだなんだとお金もかかるものですので、やるなら自分達で準備をするので……」

「ほら、その頃にはもう僕と君は兄妹だからね」



すいっと遮ってそう言ってくれたノアに、ネアはそう言えばと目を瞠った。

その時にはもう、ネアには弟がいるのだ。

時々狐になってしまうが、またあらためて家族の立場として色々なことを相談出来る。



「で、ヒルドとエーダリアもそんな感じだから、君は僕達に甘えること。いいね?」


伸ばされた手が、ふわりと頭を撫でる。

厨房の窓から差し込む柔らかな光が、氷色の彩りを映すノアの白い髪に散らばって煌めいた。



「……………ノアは、竜を飼いたいと思ったことはありますか?」

「え、…………僕に飼わせて、家族の竜にするつもり…………?」

「いえ、…………新しい弟も、竜が飼いたいと思ったりするのかなと考えたのです」



微笑んでそう言えば、ノアは小さく笑う。

その優しい笑い声にふと、もうずっと昔のことのような気がする石鹸屋さんで語り明かした夜のことを思った。



「僕は可愛い妹が出来て、シルが義理の弟になって、ヒルドが側にいてくれてさ、エーダリアを守ってやらなきゃいけないし、騎士達とボール遊びもするんだ。もう充分だよ。そう考えると、ネアだって忙しいだろう?」

「そう言えば、狐さんはウィリアムさんな竜さんが大好きでしたね……………」

「え、ウィリアムが竜の枠……………?」



ちょっと呆然としたノアは考え込んでしまい、その内にディノが息を吹き返してくれた。

ノアが、兄として妹の結婚式は必ずやるからねと説明し、ディノはふるふるしながらしっかりと頷いた。




「ネア、有難う…………」



リーエンベルクの大広間で踊りながら、ディノにそんなことを言われた。

こうしてエスコートされながら見上げれば、凄艶な美貌で微笑む生き物はどこか老獪で人知を越えた存在に思える。


ネアがこのダンスのことかなと思ってそう言えば、ディノは、ネアが伴侶になった先のことを具体的に考えてくれたのが嬉しかったらしい。



「そうなるのだと考えるのが当たり前になると、失念しがちのことでしたが、ふと気になったのです」

「……………当たり前だと、そう思ってくれるのが一番嬉しいよ」



くるりとターンをして、美しいドレスの裾を翻す。


こんな風に踊るのはもう何回目だろう。

何度も踊り、それでも何て美しい生き物だろうと心の奥で静かに感嘆する。

そうして、じっと見上げるネアの視線に恥らう魔物は、なんと無垢で愛おしいものか。



「そう言えば、男性の方は独身時代が終わると思うと、急に憂鬱になって投げ出したくなることもあるそうです。そういう場合は心の中に溜め込まずに相談して下さいね?いつかのように急に指輪を回収されたら、悲しくなってしまいますから………」

「虐待……………」

「むむ。虐待ではありませんよ!そんな風に、急に失われるものが惜しくなったり、大きな変化に不安になることがあるそうなのです。よくある心の変化なのだと聞きますが、ディノは分らずに怖くなってしまうといけませんものね」

「………………それは、君もなるものなのかい?」

「……………むぅ。なった場合は、ディノに言いますね」

「虐待…………………」



ディノはそんな話をした日の夜、マリッジブルーという現象についてダリルに参考文献を借りたそうだ。



だがしかし、花嫁が逃げようとした場合の捕獲の仕方を結婚歴のあるグラストに相談するのは、是非にやめて欲しいと思う。


ネアは、もしやディノに愛想が尽きてしまったのかと、グラストとヒルドとエーダリアからかなり深刻な面持ちで事情聴取されてしまう羽目になった。




なお、秋告げの舞踏会は開催日を二日ずらすこととなり、稀に見る延期となった。


これは蝕への対策のようで、資質を反転させる蝕の影響を最も大きく受ける季節の系譜は、今回は秋の系譜の者達になってしまう。

秋告げの舞踏会で秋の地盤を踏み固めてしまう前にと、各所で行われていた備えが間に合わなかったのだそうだ。



そんな仄かな不安の気配を孕み、季節はゆっくりと移り変わっていった。



















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