騎士の家族とスフレの怪人
その日ネアは、曇り空にすっかり秋の気分が嬉しいウィームの街を歩いていた。
お散歩ではなく珍しく仕事で街に出ている。
中心街を少し外れるところにある、大きな銀雪杉の並木道の側に、最近人気のお洒落な通りがある。
その辺りはウィームが国であった頃に各国の駐在員達の屋敷などがあった都市部のお屋敷街なのだが、現在は大通り沿いをその風情ある建物を生かした商店の並びになってきた。
ネアもその中の何店舗かは訪れたことがあるが、毛織物に素晴らしいビーズ刺繍を施してくれるお店や、割れたお皿に、金接ぎならぬ妖精接ぎをしてくれるお店などの他にも、美味しそうな飲食店も幾つかある。
そんな中の一つに、ネアも一度は食べてみようと狙っていたスフレ専門店があった。
スフレ専門店が入っている建物は、旧ロクマリア公爵の駐在館だったようで、王族や貴族の多いロクマリアでは、公爵の一人がウィームに駐在して母国との交渉などの橋渡し役を担っていたらしい。
とは言えそんな公爵は、重篤なウィーム愛好家としても有名だったので、半分は個人の嗜好ではないだろうかと噂されていたそうだ。
「ディノ、素敵な建物ですねぇ…………」
「これは、ロクマリアの宮廷文化が最も華やかだった頃の建築だね。ほら、あの辺りの装飾に王族の家紋を入れているだろう?」
「むむ。何種類かあります…………」
「うん。ロクマリアは、幾つかの王家の中から一人の王と王妃を選ぶ国だったんだ。元々は小さな国の集まりで生まれた大国だからね。ヴェルクレアの中に、ウィームやアルビクロムの王家が残っているような仕組みだと思えばいい」
「だから、王家の家紋が…………七種類も!あるのですね………」
「うん。七つの王家全てが揃っていた頃に建てられたのだと一目で分る。国の終焉が近くなった頃の、三王家だけが残っている時代になると、建物などの祝福にすら手を抜いて、効果重視で後々に呪いなどに転じるような如何わしいものが横行していたようだ。これは安全な頃の建物だよ」
「建物には、そんな問題があるだなんて、初めて知りました…………」
するとディノは、かけられた守護の中にも、老朽化したり、守護を司った者が失われたことで剥がれ落ちてしまうものがあるのだと教えてくれた。
守護を持つのが道具や人であれば気付いて手入れもするのだが、建物は敷かれた魔術を個別に動かさないので、どんな守護がひそんでいるのかを綿密に調査しないと危ないものも多いのだそうだ。
特に危険なのは、守護を与えた人外者が祟りものや悪食になった場合で、その場合は建物に敷かれた魔術が連鎖的に悪変する可能性もある。
「建物と言うのは、多くの人々が行き交えば行き交う程に魔術の場になるんだ。リーエンベルクに多くの魔術基盤が重なり多くの影絵があるのも、潤沢な魔術の保有者達があの土地を踏みしめたからだね」
道具は使わなければ済むものの、建物はそこに出入りすることで魔術が動いてしまう。
つまり、意図せずに触れてしまう古の魔術の最たるものであるのだった。
「………その、………以前の犠牲の魔物さんの時は、大丈夫だったのですか?ウィームにもその証跡が残っていたような気がするのですが…………」
おずおずとそう尋ねたネアに、ディノは淡く微笑む。
この微笑みはグレアム専用のものなのだが、今年の誕生日を経て、その悲しげな色が少しだけ明るくなった。
「彼は、守護を与える際にはとても慎重に振る舞っていた。ウィリアムの友人でいたことで、多くの滅びや瓦解してゆく国や集落を見ていたからだろう。決して自分に紐付かないようにして、祝福や守護を授けていたよ。また、そのようなことが得意な魔物でもあったんだ」
「そういうところまでを考えて下さったのですね…………」
二人は何だか温かな気持ちでお店の扉を開け、くすんだ乳白色混じりの菫色とも言うべき素晴らしい店内の壁と落ち着いた内装に目を瞠った。
柔らかな灰色で統一された家具なども美しく、ディノも気に入ってしまったのかふるふるしている。
「ネアの色に似ているね…………」
「なぬ…………」
内装ではなく色合わせだったのかとネアが遠い目をしていると、すぐにこちらに来てくれた女性店員に声をかけられる。
「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」
「後でスフレも美味しくいただく予定なのですが、まずはお仕事で伺いました。店主のハストンさんはいらっしゃいますか?」
ネアがそう言うと、可愛らしい三つ編みの女性店員の顔がぱっと輝いた。
清楚なミントグリーンのエプロンドレス姿で、藍色のワンピースなのがたいそう可憐ではないか。
「もしかして、リーエンベルクからの………」
「はい。お伺いしました」
「父を呼んで参りますね!」
弾むような足取りで厨房に入っていった少女に、すぐに店主とおぼしき男性が現れる。
その男性を見て、ネアは俄かに色めき立った。
(むむ、恰好いいお父さんが!!)
ネアも感激のお父さんぶりを見せてくれたスフレ店のご店主は、長身に淡い砂色の短髪がよく似合う渋めのおじさまで、薄らと生えた髭も精悍な色気を倍増させている。
小粋なエプロン姿といい、この魅惑的な店主に会いたくて通うご婦人も多そうだ。
しかしながら、恐らくは娘さん目当てで通う青年も多そうではある。
「ネア様、申し訳ありません、御足労いただきまして。息子がお世話になっております」
「………………息子さん?」
「リーエンベルクで騎士をしておりまして、粉物の呪いのせいで、エーダリア様には色々とご不便をおかけしています。一度、ネア様が肌の乾燥に効く妖精の軟膏を森で貰ったということで、エーダリア様経由で息子がいただいてきたことがありまして、あの日から森妖精の軟膏が効くと分って、今は月に一度アクス商会から購入しております」
「まぁ!と言うことは、カッサーノさんのお父様と妹さんなのですね!」
「はは、娘は若く見えるようなのですが、これでなかなかに……ぐっ」
ここで父親は娘にずしゃっと足を踏まれ、小さな苦痛の声を上げてぴょんぴょんした。
女性の年齢に対する危機管理が甘かったようで、笑顔は崩さずにいるが、かなり痛そうだ。
「うふふ。私はカッサーノの姉なんですよ。リッタータと申します。ネア様、本日はどうぞ宜しくお願いいたします」
「はい。確か、…………問題のスフレ怪人は、スフレを食べ始めると現れるのですよね?」
「ええ。獣の姿をしているのでお店の衛生上も良くないかもしれませんし、お客様のスフレを欲しがるので困ってしまって」
「まぁ。それは悪い奴ですね。代金も支払わないのに美味しいスフレが目当てだなんて!」
「なので今日は、ネア様達にスフレを食べていただき、その生き物が現われたところを対処いただきたく………。勿論スフレは無料でお出ししますので、せっかくですからお好きなものを注文下さい」
そう言われたネアは、目を輝かせてカッサーノの父親の方を見た。
眼差しでかなり喜んでいるとばれてしまったものか、何でもと重ねて言って貰える。
「ディ、ディノ!人気店のスフレを食べられるお仕事ですよ!!」
「良かったね、ネア」
「はい!これはもう、スフレ怪人などくしゃっとやってやりますね!!」
ネア達はまず、お店の窓際の一番奥の席に案内された。
ここは景観も良く奥まった席なので、子連れの夫婦や恋人達などが好んで予約する席なのだそうだ。
しかしながら本日は、スフレ怪人対策の最前線となる。
(でも、獣さんなら、怪人ではなく怪獣なのでは………?)
そんな疑問を抱きつつ、メニューを開いたネアは、あまりのスフレの種類の多さに一瞬くらりとした。
絵の上手な誰かがイラスト入りのメニューにしてくれてあり、お蔭でいっそうに食欲が刺激される。
ざっと見ただけでも五種類は気になったので、本気で制覇しようとしたら大変なことになりそうだ。
(スフレは美味しいけれど、普段からスフレが食べたいと思う程には情熱を持ってなかったのに、これは危ないかもしれない…………)
チキンとシャンピニオンの入ったスフレと、デザートとお食事の二種のチーズスフレ、チョコレートスフレなどのスタンダードなスフレの他にも、有名なお酒の風味を楽しめる果物のスフレは、お酒の種類がかなりあって男性でも楽しめそうだ。
「ふにゅ………………」
ネアはすっかり動揺してしまい、メニューをもう一度読み直す。
お食事系なのか、デザート系なのかを選ぶだけでも苦労しそうだ。
だが真剣に選びかけてはっとし、今日は仕事なのだと己を戒める。
「お、お仕事なスフレですので、真剣になり過ぎてもいけませんでした。しかし、あまりにも美味しそうで、ふわっととろとろ系に、さくっとはふはふ系、じゅわっともったり系までスフレの楽園な迷宮と言わざるを得ません………」
「楽園な迷路があるんだね………」
「ディノ、二つ振る舞ってくれるそうですので、お食事系とデザート系の分け合いっこにしませんか?」
「うん、そうしようか」
分け合いっこの発生に、魔物は目元を染めた。
嬉しそうにもじもじしながら、自分のメニューをネアに押し出してくれる。
「あら、ディノが食べたいものを一つ選んで下さいね。それがお食事系なら私は甘いものを。甘いものなら、私がお食事系にしますから!」
「ネアの食べたいものがいいかな……………」
「こういう時は、きちんと自己主張をしていいのですよ?」
「ネアが虐待する……………」
「解せぬ」
どうやらこの魔物は、ご主人様の食べたいスフレを分け合いっこすることに憧れを見出したらしい。
なのでネアは、ディノが好きそうなお食事系スフレを三つ選出して、その中から選ばせることにした。
その後に一番人気のデザートスフレを頼み、心の中で最後まで争ったキャラメルスフレは、またの挑戦とさせていただく。
(ジューシーチョコレートキャラメルスフレで、中にかりかりさくさくキャラメルの食感もあるだなんて……………)
ほろ苦い珈琲スフレに、薫り高い紅茶のスフレ。
チーズの種類も色々あって、ジビエのスフレなどもあるようだ。
店内は、色合いがロマンティックな分、調度品などは実にすっきりとしている。
優美なラインが美しいが余分な装飾がいっさいない灰色の家具に、床は濃灰色の床石が剥き出しになっている上に、一段階淡い色調の絨毯を敷いている。
雨の日は気兼ねなく濡れた買い物袋などを置けるように、この絨毯には状態保持の魔術がかけられておりお掃除も楽なのだそうだ。
青いタイルのカウンターを挟んだオープンキッチンなのだが、巧みに配置された観葉植物などで厨房の店主が気にならないようにと、細やかな角度の工夫もされている。
開放的だが隠れ家めいた雰囲気は、計算し尽くされたものなのだろう。
やがて、ネア達の席に店主が自らあつあつスフレを持って来てくれた。
「どうぞ。濃厚チーズスフレ、キノコのクリームソースと薔薇塩を振りかけた半熟卵添えです」
「……………ほわ」
ほかほかと湯気を立てているのが見えるチーズスフレに、ネアは椅子の上で小さく弾んだ。
ネアの元に運ばれてきたスフレを見てしまったせいか、店内のお客達がいっせいに同じ注文を入れ始めた。
この破壊力抜群な見た目では致し方なしと、ネアは頷いてスプーンを取り上げる。
ぼふんとした大きめのスフレなので、気取った小さなサイズのものにはない、しっかりとスフレ専門店のスフレという素朴な魅力と威厳を漂わせている。
わくわくしながらネアが前傾姿勢になったその時、スフレ怪人が現われた。
「ガオ」
その鳴き声に、ネアは無言で声がした方に振り向いた。
眉を持ち上げて冷やかにそちらを向いた人間の姿に、ネア達のテーブルに、後ろ足で立ち上がって前足をかけた状態で出現したスフレ怪人は、びくりと恐怖に体を震わせる。
「ガ、ガオー!」
気圧されてはならないと慌てて威嚇したものの、無言のまま手を伸ばした人間にそっと前足をテーブルから外され、毛まみれのスフレ怪人はあえなく床に着地してしまうことになった。
「ご主人様…………」
「どんな怖い生き物かと思えば、マシュマロボディなもふもふのワンコですね。しかしながら、愛くるしいもふもふとは言え、時間勝負でこれから美味しくいただくスフレへの対応時間を削るとなれば、万死に値します」
きっぱりとそう言い切ったネアに、テーブルの下をわふわふと駈けずり回っていたスフレ怪人は、ぴたりと止まってぶるぶる震え始める。
よく見れば尻尾がにゃんこ風という謎の生き物のようだが、ネアの見た目にはスフレ色のポメラニアンに見えた。
「ガウ!」
「あら、私に戦いを挑むつもりですか?では、私が勝ったら、何でも言うことを聞くのですよ?」
「ガウッ!!」
突然の勝負に持ち込まれ、ネアからあつあつスフレをとろり卵にからめたものをお口に入れて貰って、へなへなになっていた魔物は驚いたようだ。
慌ててもぐもぐしながら首を振ると、テーブルの上のネアの手を握る。
「いけないよ。危ないかもしれないから、私がどうにかしよう。この生き物は派生したばかりの魔物のようだからね」
「あら魔物さんなのですね。であれば勝負は簡単です。私達がこの美味しいスフレを食べ終わるまでに奪えなければ、あなたの負けですからね」
「ガウ!」
そんな勝負を提示され、ディノは目を瞠って頷いた。
それであればディノが防ぐばかりであるし、そもそもネアの力でも充分に排除出来そうだ。
(とは言え、手刀を叩き込むと儚くなってしまいそうだから気を付けなくては………)
美味しい食べ物の前で無益な殺生をする訳にはいかず、ネアはやれやれと肩を竦める。
スフレ怪人の対応を強いられていたので、二口目でネアもようやくお口にスフレを運ぶこととなった。
「…………ほわ!とろうまです!!!とろとろ卵に表面がさっくりして中がふわふわむぎゅっとしたチーズスフレが合わさると、安定だからこその至福のお味に!!」
卵の黄身を絡めてもしぼんでしまわないスフレは、表面の良く焼かれた部分と中身の食感が違い、その両方を食べられるのがとても贅沢で、ネアは幸せに頬を緩めてじたばたした。
「ガオオオ!!」
テーブルの縁を前足でばしんとやってスフレ怪人が荒ぶっているが、如何せん、二足歩行で伸び上がってようやくテーブルに足が届くくらいの大きさである。
またしてもネアに前足を外されてたしんと床に着地してしまい、怒りのあまりぶるぶると震えている。
ではこの強欲な人間を滅ぼしてくれようぞとネアの足に何度か噛み付こうとしていたが、本日は戦闘靴を履いているネアなので、牙を立てようとして向き直った途端、スフレ怪人の尻尾はへなへなになった。
良く分らないがきっと損なってはいけない気配がするに違いない。
またわふわふと駆け巡り、では同伴者を襲えばいいのだろうとディノの方に向かったスフレ怪人は、椅子に座った魔物の王様を見上げ、そのままけばけばになって固まった。
「…………あら、カチコチのままこてんと倒れましたね」
「どの系譜の魔物だろう。…………麦の要素と料理の要素が入り混じっているようだ。スフレの魔物なのかな…………」
「となると、このお店のあまりにも美味しいスフレに、スフレの魔物が派生してしまったのでしょうか…………」
「少しだけ、欲望の資質もあるようだ。とても込み入った生き物だね」
「直訳すれば、スフレが欲しいの魔物さん?」
「スフレが欲しい……………」
ディノはまたしても謎の魔物に巡り合い、しゅんとして足元に転がっているもふもふを見下ろした。
幸いにもこのスフレ怪人がはっと目を覚ましたのは、ネア達が濃厚キノコのクリームソースでもチーズスフレを美味しくいただき、大満足でスフレのお皿を空っぽにした直後のことである。
「ガ、ガウ?!」
「ふふふ。残念ながら、もうお皿にスフレはありませんよ!あなたは我々に敗北したのです」
「ガウ……………」
悲しく項垂れたスフレ怪人は、そのままちょこんと床にお座りした。
ただこの姿を見ただけであればあまりの愛くるしさに撫でてしまったところだが、スフレを奪おうとした罪を知っているネアは、そんな毛玉な生き物をじっと見下ろす。
「ディノ、一つ伺いたいのですが、こんな毛だらけの魔物さんは、飲食店に置いて不衛生だったりはしますでしょうか?」
「敢えて汚すようなことをしなければ、魔物だからね、自然に毛が抜けたりすることもない筈だよ」
「うむ。ではこうしましょう」
そこで店主にも相談してからネアが提案したのは、もしここで派生してしまったくらいにこのお店のスフレが大好きなのであれば、悪さをせずにこのお店を守護し、このお店の為に働けばその労働の対価としてスフレが貰えるという運用であった。
スフレ怪人は、一瞬だけ今迄は客を襲えばスフレが奪えたのにという腹黒い顔をしたが、ネアがさっと拳を振り上げるとぶるぶる震えて腰を抜かした。
振り上げた手には勿論ディノの指輪が煌めいているので、かなりの破壊力なのは間違いない。
「…………ガウ」
「では、契約成立ですね。細かな契約の条件については、専門の機関のお役人さんが来ますので、そちらで詰めて下さい。ずるをしたり、荒ぶったりした場合は、激辛香辛料の詰まった箱に放り込みます。その場合は美味しいスフレを食べるどころか、激辛香辛料油にまみれてもだえ苦しみながらお水を求めるようになりますよ!」
「ギャン!!」
恐ろしい人間に脅されてしまったスフレ怪人は、ささっと一番優しそうなリッタータを選出し、その足の後ろに逃げ込んで隠れた。
ちっとも隠れられていない上に、残念ながら清楚なミントグリーンのエプロンの少女は、罰するべきときは罰するしっかりしたお嬢さんであるのだった。
「悪さをしたら、激辛香辛料油ですね!私、辛いものは好きですし、去年の夏至祭からウィームで流行ってる激辛香辛料油の武器も、弟の薦めで購入して持っているんです。いざという時には、それをかけます」
「ギャン!」
スフレ怪人は、こやつも恐ろしい生き物だったと震え上がり、ぺたんと尻餅をついた。
大人気になった、濃厚チーズスフレ、キノコのクリームソースと薔薇塩を振りかけた半熟卵添えの調理に忙しかった店主が、厨房からスフレを運んできたところでその光景を見て目を丸くしている。
「それと、ネア様、こちらも仕上がりましたよ。薔薇のシュプリと苺のスフレです。酸味の効いた甘さ控えめの野苺のシロップでお召し上がり下さい」
「まぁ、何ていい匂いなのでしょう!!」
離れたところでは、すっかり意気消沈したスフレ怪人が、他のお客を恨めしそうに見ている。
リッタータも仕事があるので、座り込んだスフレ怪人はそのまま置き去りにされたようだ。
ネアは男前にちょいちょいっと手招きをしてそんなスフレ怪人を呼び寄せると、もう一度厳しく悪事を封じておいた。
「いいですか、スフレの略奪行為、お客様への暴力、お店を汚す行為などの行為は固く禁じます。後で来る魔術師さんの言うことをよく聞き、こちらのお店と良い契約を結んで下さいね」
「ガウ……………」
こくりと頷いたもふもふに、ネアはスプーンでさっくり掬ったデザートスフレのかけらを持ち上げた。
ディノに視線で問いかけると、すかさず魔術の繋ぎを切ってくれたようだ。
ネアは店主に頼んであった小皿にそのスフレの欠片を乗せ、スフレ怪人の目の前にことんと置いてやる。
「ガウ?!」
思いがけない贈り物に目を輝かせてわふわふと弾んだ魔物に、ネアはゆったりと深層意識に染み込ませるように、世の理を言い含めておく。
「お利口にしていれば、このように美味しいものが貰えます。今後とも、スフレの為に励むのですよ?」
「ガウ!!」
ネアとディノはその後、ふかふかしっとりと美味しい薔薇のシュプリと苺のスフレをいただいた。
もったりとろりとした野苺のシロップは言われた通り酸味が効いており、この酸味で甘いスフレがくどくならないので、はふはふぺろりといただけてしまう。
大満足でむふんと甘い息を吐けば、ちょうど呼ばれていた調整担当の魔術師が来たので、スフレ怪人はそちらにお任せした。
「良いお仕事でしたね、ディノ」
「ずるい、くっついてくる…………」
帰り道、ネアは良い仕事を終えて大満足で魔物と手を繋いで帰ろうとしたが、魔物は恥じらってしまったのか三つ編みが投げ込まれる。
グレーティアの講義を思い出してこれは排除してはいけない嗜好なのだと自分に言い聞かせながら、ネアは複雑な思いで魔物の三つ編みを握り締めた。
その後、スフレ怪人はスフレ店の名物店員になったそうだ。
ガウガウしか言えないが簡単なオーダーが取れるようになったので、わふわふとあのお店を駆けずりまわり、時にはごろんとお腹を見せるあざといポーズで観光客達を誘惑してお店に誘う。
可愛さを武器にしたお店への誘いはリッタータが教えたらしい。
もふもふ大好きなアメリアとミカエルは、早速そのお店の常連になったようだ。
その訪問の際に、ベージやイーザ達の姿も見たと聞いたので、色々なところまでその評判は広がったのだろう。
スフレの魔物はスフレという名前だと判明し、今日も元気にスフレのオーダーを取ってスフレを食べている。