314. お城で誕生日会をします(本編)
「…………よし、帰れ」
行列になってアルテアのお城を訪ねると、ネア達が辿り着く前から腕組みをして門の前で待っていた使い魔はそんなつれないことを言う。
ネアはさっとウィリアムの方を振り向き、ウィリアムは仕方がないなと剣に手をかけた。
たいへん理不尽な展開なのは重々承知であるが、一応は自ら立候補したネアの使い魔なのである。
このような場合はご主人様の言うことを聞くべきだと、ネアは甘やかさないことにした。
「……………アルテアさんは、私の使い魔さんなのでは?即ちここは私のお城なのでは………」
「お前な……………。そこらで、人間を食い物にしてる魔物より強欲だぞ」
「人間は、実はとても利己的で強欲な生き物なので仕方がありませんね。まずい就職先だったと腹を括って下さい」
「アルテアは好きなことをしていればいいよ。僕達は部屋を借りるだけだから」
「ほお?本気でその言い分が通ると思っているのか、ノアベルト?」
「それは、アルテアさんが私の使い魔さんだからですね。一部屋を貸し出し、甘えたくなったらパイなどを献上するのも構わないといたしましょう」
「なんでだよ」
「念の為に今回の訪問について補足すると、ネアはこの前の山車祭りで襲撃されたばっかりだから、地上でお酒が入るとまだ危ないんだよね」
「…………………むぐ?!私は酒乱ではありません……………」
しかし、そんなノアの一言で、なぜかアルテアは態度を変えた。
呆れたような冷やかな眼差しをどこか探るようなものに変え、一度ディノを見てから、ネアの頭に片手を乗せてわしわしする。
「むが!やめるのだ!!」
「……………襲撃した奴は排除したんだろうな」
「矢で射ってくる悪い精霊など、その場でディノが無力化してくれて、ゼノやみなさんが捕まえてトルチャさんが焚き上げてしまったのです。なお、残党はヒルドさんが滅ぼしてくれたのですよ?」
「いえ。実際にはネイが…」
「そうそう。ヒルドがね!」
「ネイ……………」
ネアが、精霊焚き上げてしまった事件に言及すると、アルテアは本気で焚き上げたのかよと少し遠い目をする。
だが、トルチャならやるなと呟いてもいるので、あの焚き上げの魔物はかなり荒々しい気質なのではという懸念は当たりそうだ。
そしてそんな気質は、アルテアも承知の上であるらしい。
「………………ったく。夕方までだぞ。それと、その部屋の外には出るな。汚すな。壊すな。持って帰るな。いいか?」
「汚しませんし、壊しません!何しろここは、アルテアさんのものということは、私のものにも等しいので大事にするのは当然のことではありませんか」
「ふざけるな。何でだよ」
「…………アルテア、本当にすまない」
「ありゃ、アルテアはネアの使い魔なんだし、エーダリアがそんなに謝る必要はないからね」
ぶつくさ言いながらではあるが、アルテアはお城の門を開けて中に入れてくれた。
休日仕様でもあまりいい加減な恰好はしないらしく、曇天の下で青白く光るような白いシャツに、濃灰色の地色に、控えめな差し色として深緑と赤葡萄酒色を使った上品なチェック柄のパンツが不思議なくらいにこの光景によく似合う。
「有難う、アルテア」
貸してくれる部屋に案内してくれる選択の魔物に、ディノがそう声をかけている。
ネアもそんな使い魔を労うべく、そっと金庫の中にしまってあった、先程毟り取った歌う葉っぱを一枚差し出してみた。
「はい、アルテアさん。毟りたてですよ」
「…………お前、まさかまた素手で触ったんじゃないだろうな?!」
「む?」
しかし、なぜか使い魔は逆に荒ぶってしまい、もう拭いたと言ったにもかかわらず、案内してくれた大広間と言ってもいい程の素晴らしい部屋に入るなり、ネアはどこからか取り出された白い琺瑯の水桶で手をばしゃばしゃ洗われることになった。
「……………これから我々は朝食兼昼食なので、手を洗うこと自体は吝かではありませんが、なぜにこんなにもごしごし洗われるのだ。解せぬ」
「アルテア、俺とシルハーンでも魔術侵食の検査はしていますよ」
「うーん、ネアに触る口実なんじゃないかなぁ」
「そんな訳あるか。あれは、高位でも場合によっては昏倒しかねない排他結界持ちだぞ?おまけに毒もある」
「いや、シルの指輪で無効化しちゃうでしょ。咎竜の角も掴めるんだからさ。過保護だなぁ…………」
ウィリアムとノアの説得も虚しく、袖を捲り上げられて肘まで洗われたネアは、手をじゃぶじゃぶされている間に部屋の中をぐるりと見回した。
(きれい……………)
渋めの灰紫色を基調とした、何とも言えない趣きのある部屋だ。
カーテンは水色がかった灰色で、窓の上部は半円形のステンドグラスになっている。
大きなシャンデリアはとろりとした白い結晶石で、そこに差し込まれた白緑色の蝋燭は、使い込まれて蝋を垂らした様子すら美しい。
そのまま豪奢に畳みかけるのではなく、黒と灰色の木目の掠れたような風合いが美しい床部分は、あえての木目調なのが堪らなく雰囲気を高めている。
「このお城も、とても大好きなのです。ここは、…………アルテアさんが建てたお城なのですか?」
「空を覆う程の、大規模な花冠の排除術式を組まれて滅びた土地だ。元々この城は気に入っていたからな。死者の国近くのあわいの中に影絵が残っているのを見付けてからは、内部は俺が手を入れ直している」
そう説明され、リノベーション的なことをしたのだなとネアは感心した。
すっかり床石に心奪われているエーダリアは、新月の夜凪の日に切り出した栗の古木だけが、このような黒を基調とした素晴らしい木の結晶石になるのだと教えてくれる。
「…………さて、これから、エーダリア様のお誕生日会をするのです。アルテアさんも一緒にケーキを食べませんか?」
「…………成る程な、お前達の目的はそこか。どうせ、何か封じの呪いでもかけられたんだろう?」
「なんのことかわかりません…………」
「ほんとうにすまない……………」
青ざめて謝罪するエーダリアの姿にアルテアは呆れていたが、テーブルの上に素早くお料理を並べてくれていたゼノーシュが、領主などのお祝いの席によく出るというデザートを見せると、すっと自ら着席した。
その様子を見て微笑んだヒルドが、妖精らしい優雅さで深々とお辞儀をする。
「アルテア様、本日はお騒がせしまして申し訳ありません。この通り、巣蜜の祝い菓子もありますので、是非にご容赦いただければと」
「巣蜜の祝い菓子があるなら話は別だ。好きに使え」
あっさりそう言ったアルテアに、ネアは首を傾げた。
するとディノが、これは土地を治める者だけが祝いの席で振る舞える伝統のお菓子なんだよと教えてくれる。
「ディノも知っているようなものなのですか?」
「うん。魔物なら誰でも知っているだろう。その土地の花々から蜜を集めた、水晶蜂の巣蜜を使うんだ。更には土地の固有種の家畜から得られる命の祝福のあるチーズや牛乳と合わせ、成就の祝福のある花を添える。魔物は、なぜか昔からとても好むものだよ」
「それは、魔物さんが特別にこの巣蜜が好きということではなくて?」
「俺が知る限りは、この祝い菓子に限定される気がするな。種族の根本的な欲求を満たす魔術要素が備わっているんだろう…………」
ウィリアムまでそう言うので、ネアはそんな巣蜜のデザートをじっくりと覗き込んだ。
しゃりっと食んで甘く香る、果実の祝福の花がたっぷりと和えられているが、この祝福の花はその果物の味がするのでこれだけ入っていても食べ難さは気にならない。
巣蜜と合わせられているのは、作りたてのリコッタチーズだろうか。
真っ白なチーズの中で、しゃらりと淡い金色に輝く巣蜜は、堪らなく美味しそうに見える。
巣蜜のお菓子は土地を治める者からの歓迎の祝福が得られるので、エーダリアの祝いの席で振舞われるものを食べれば、様々なウィームの恩恵が受けられるのだそうだ。
(だから、ウィームにもお家のあるアルテアさんが見逃さなかったのだわ…………)
この広間では、シャンデリアの蝋燭に火入れはしておらず、部屋は曇り空の日の採光で薄暗かった。
しかし、窓の外に広がる赤紫色の花が咲き乱れる草原が堪らない美しさであるので、この奇妙な薄暗さが不思議な優しさを漂わせる。
そんな中、勿忘草色のテーブルクロスをかけた炭色の結晶石の大きなテーブルに並んだのは、リーエンベルクの料理人達が腕を振るってくれた、エーダリアの誕生日のお祝い料理だ。
まずは朝食兼昼食から。
自家製のぷりっとした白いソーセージに、たっぷりのマスタード。
黒スグリのソースをかけた鶏肉のローズマリーグリルは、一羽丸ごとを時間をかけてゆっくり焼くので皮目の部分はそのまま何もかけずに齧っても美味しい。
そこに温かなトマトクリームと山羊のチーズと野菜たっぷりのスープが並び、とろりとしたバターたっぷりのスクランブルエッグに、かりっと焼いてさくさくと食べるブリオッシュの四角いパン。
鴨肉と無花果のパテもあり、素朴だが、気取らずエーダリアの好きなものをという料理人達の温かな心遣いが窺える。
魔物達の底知れぬ魔術は、そんな素敵な食事を盛り付けられたお皿ごと持ち込むことに成功していた。
少しだけ既視感に襲われたネアは、スープボウルに入ったスープまでほかほか湯気を立てて並べば、かつてあわいの駅の一つで遭遇した地平線まで整然と並んだスープを思い出す。
もしかしたらあれは、誰かがとんでもない量のスープを振る舞う為にあのように保管し、その量があまりにも凄いので、あわいに選定されてしまったりした空間なのではないだろうか。
「わ、ケーキだ!エーダリアのケーキもすごく美味しそう!!」
「まぁ、エーダリア様のケーキも家族の手作り風ほっこりケーキなのですね。食べる時には一番美味しい種類の誕生日ケーキです!じゅるり…………」
デザートには先程の巣蜜のものとは別に、シンプルだからこそ堪らなく美味しそうに見える生クリームのケーキがあった。
手の込んだ複雑な味わいのケーキも美味しいが、せいぜい一種類につきひとカットくらいまでが、美味しさの限界だ。
だが、エーダリアの誕生日ケーキは、あえてそのような料理人の腕を誇示する為の豪華なケーキではなく、ふかふかスポンジにたっぷり果物を挟み、それを積み上げて生クリームで覆ったような家庭的なケーキであった。
だが、嬉しそうに微笑んだ表情からすると、エーダリアはそんなケーキが好きなのだろうし、上に乗ったチョコレートプレートの文字には、そんなケーキを作ってくれた料理人達からの深い愛情が込められている気がした。
「…………我々は、あなたがここに在る限り………」
そんな言葉を読み上げ、エーダリアは小さく声を詰まらせる。
あなたがいる限り美味しい料理を捧げますという言葉は、食事を与えるということが愛情表現にもなる世界において、どれだけの執着と好意を伝えてくれるものか。
もしかすると、あえて素朴なケーキにしたのは、職務よりもずっと近く深く、自分達の家族の為に作るようなケーキこそをと、表現してくれたのかもしれない。
嬉しそうに、そして誇らしそうに、エーダリアは愛情の籠ったケーキに小さく頭を下げる。
一緒には来られなかった料理人達だが、それでもそうせざるを得なかった姿に、ネアは胸が熱くなってしまう。
「では、今日は私が。………エーダリア様、お誕生日おめでとうございます」
「エーダリア様、おめでとうございます!」
「おめでとうございます、エーダリア様」
音頭を取ってくれたヒルドに追従し、ネアも元気にお祝いを口にする。
グラストもそこにお祝いを重ね、さっとゼノーシュがフォークとナイフを手に取った。
鮮やかな花の咲く窓の外の景色を背にして立ったエーダリアは、本日は深みのある青灰色に、白と水色で織り模様のある素晴らしい上着を着ていた。
ジュリアン王子からのカードを開いてしまうまでは、リーエンベルクでのお誕生日会で祝われてくれるつもりできちんと盛装していたのだ。
二度目の封鎖という悲しい事件はあったものの、そんな事件をみんなで乗り越えたことは、こんなにも仲良しになったのだと実感させてくれる得難い体験だったのではないだろうか。
「今日は、私の失態で皆に迷惑をかけた。……………それなのに、このような場を設けてくれて、…………私は幸せ者だな。………アルテア、突然押しかけてこのような騒ぎに巻き込んで申し訳ない。巣蜜の菓子は、どうかこれからもリーエンベルクに食べに来てくれ。…………ウィリアムも、領主としては、死に纏わる不穏な資質も含めたその全てを歓迎するとは安易に言えないのが心苦しいが、それでも、私個人の言葉を伝えても構わないのなら、これからもずっと、リーエンベルクには気軽に足を運んでくれると嬉しい」
ちょっと涙目のエーダリアがそう挨拶をして、盛り上げ隊なノアとネアがわぁっと歓声を上げ、美味しいお誕生日の朝食兼、時間的には昼食が始まった。
エーダリアは食事の前に、ディノやノアにもそれぞれお礼を言ってくれたので、そりゃ僕は契約の魔物だからねと胸を張ったノアに、一緒に来てくれて有難うという初めてのお礼におろおろするディノが生まれる。
「………そうか、香草の違いか」
てっきり巣蜜のデザートだけをいただくのかと思いきや、アルテアはリーエンベルク特製のソーセージを何やら真剣に食べていた。
アルテアも料理上手だが、種族性の違いで妖精であるリーエンベルクの料理人の調理には学ぶことが多いと以前話していたので、そんな研究に余念がないらしい。
こうなってくると、実は本職は料理人なのではという疑惑も生まれるが、思っていたよりも楽しそうにしてくれているので、よしとしよう。
「むむ!今日のソーセージは、中にほんの僅かな雪菓子のじゃりっとした甘いものが入っているやつがあります!これは、甘いのとしょっぱいのを同時に叶える珠玉の一品……………。おまけに濃厚チーズ粒も入っているだなんて、贅沢過ぎるソーセージではありませんか!」
「弾んでる……………かわいい」
「ディノ、こちらのソーセージは食べましたか?まぁ、まだなのですね。えいっ!」
新しい驚きと出会いに、ネアはふるふると首を横に振った魔物のお口に、切り分けた盛り沢山ソーセージをフォークで押し込んでやった。
そうすると、目元を染めてぱくりと食べると、ゆっくりと味わってくれた後にぱたりと儚くなる魔物が現れる。
「なぜにいつも死んでしまうのでしょう…………」
「ネア、ケーキも切るって!」
「…………おい、切り方がなってないぞ。ナイフを貸せ」
「ふふ、使い魔さんが張り切り始めましたよ……」
ネアは、綺麗に切り分けられてミントグリーンのお皿に素敵に乗せられたケーキに、唇の端を持ち上げた。
こんな時にアルテアがきちんと主賓のエーダリアに良い部分を取り分けているのも嬉しい事であるし、ゼノーシュのカットが大きめなのもさすがである。
(最初の年は、エーダリア様が逃げてしまって捕まえるのが大変だったなぁ………)
そんなことを考えながら、お誕生日のケーキをぱくりといただいた。
これからあっという間に冬になり、十二月には他の魔物達の誕生日が来る。
そしてその頃には、隣でくしゃくしゃになっているディノとの婚約期間も終わるのだ。
(これからも続くことと、変わってゆくことと……………)
そんなことを考えながら、ネアは未来を思った。
めでたしめでたしの後の物語が嫌いなネアにも、この世界はとても優しい。
ここまでで一区切りと完結して終わってしまうのではなく、こちらの過ごす時間をそう長くはないものとして受け入れ寄り添ってくれる人外者達が、変わらずにずっと側にいてくれるのだから、形を変えず失われないものもあるのだととてもほっとした。
「………ネア?」
「あら、目を覚ましましたね。スープはもういいのですか?」
「うん。…………卵」
「ふふ。このとろとろスクランブルエッグは濃厚で美味しいですよね。この、かりっと焼いたブリオッシュ食パンに乗せて食べると、………じゅるり」
「おい、お前はケーキまで食べただろうが」
「…………人間とは不思議なものですね。もう一度しょっぱいものが食べたくなりました……」
強欲なご主人様はまたスクランブルエッグなどに回帰しつつ、和やかな時間は進んだ。
主賓のエーダリアを含めみんなの食事が落ち着いたところで、ネアはとても大切な任務にすっと立ち上がる。
「エーダリア様に、お誕生日の贈り物があります!」
ネアがそう言えば、エーダリアはなぜか目を丸くして驚いたような顔をした。
「お前からはもう貰ったではないか」
「まぁ!バーレンさんの鱗は、カードに添えただけですよ」
「光竜の鱗だぞ?!」
「…………とても強く反論されましたが、だとしても、あれはバーレンさんからの贈り物です。私とディノからは、これを用意させて貰いました」
そうネアが取り出したのは、柔らかな山羊革の袋に入った一着のコートだ。
淡い水色の山羊革は、それだけでも上等な鞄になるような贅沢な素材である。
その内側に、コートを守ってくれるこれまた素晴らしい祝福の絹を貼り、これでもかと確かな保存袋にしてある。
エーダリアは目を煌めかせたままそんな袋を開けて、中から素晴らしい仕立てのコートを取り出した。
「これは…………」
エーダリアはそのまま絶句し、ネアはやはりエーダリアには分かるのだなと微笑んで頷きかけた。
そのコートは一見、エーダリアが着るのに相応しいだけの優美さはあるものの、普通のコートに見えるだろう。
しっとりとしたハラコ素材のような竜の短毛毛皮を使っており、色はエーダリアの瞳と髪の色に合うようにオリーブ色がかった濃紺だ。
全体的にはシンプルだが、袖口とベルト、そして襟元から合わせに一列、ほほうと唸りたくなるようなアーヘム渾身の祝福刺繍がある。
「…………フードが出せるのか?」
「はい。式典から、ノアやヒルドさんと行く冒険のおでかけまでの多機能コートですので、襟元には、魔術で隠してあるフードがあります。普段はコート地の内側の隔離空間に隠してあるという驚きの魔術が使われていまして、同じ仕組みで、肩口のところに、狐さんを乗せる用の飾りベルトも取り出せます!」
「…………ありゃ。掴まれるんだ…………」
色々と隠した機能のあるコートに、エーダリアはあちこちを探っているようだ。
何もないように見える襟裏の魔術に気付き、フードを取り出したところで嬉しそうに目を煌めかせる。
「更には、竜さんに踏まれても大丈夫な防御魔術は勿論ですが、目玉はたくさんの隠しポケットでして、持ち物チェックをされても見付けられない鉄壁の隠し金庫や、すぐに薬草などを収穫してしまうエーダリア様の為の、摘んだばかりの植物を仕舞うための、漏れない濡れないそして枯らさない保管ポケット。居眠りして肩から落ちそうな狐さん用の揺りかごポケットまで、多彩なポケット揃えなのです!」
「い、いや、竜用の結界があるだけで、とんでもないものなのだからな?」
「なお、腰部分の内側に縫い付けられた謎の人型のアップリケは、呪われても大丈夫な身代わり君ですね!」
「身代わり君…………」
慌ててコートの裏側を見たエーダリアは、可愛らしいのか、いっそここまでシンプルだからこそ禍々しいのか分らない、人型の白いアップリケに目を瞠る。
「うむ。まだ試作品なので過信してはいけませんが、そやつが災厄を引き受けてぺりっと剥がれ落ちてくれるのですよ。もし、いつの間にかいなくなっていたら、身代わりになってくれたのだと思って下さい。そして、こちらの付属の小袋には身代わり君が一年分入っているので、なくなったら代わりのものをつけて下さいね。当て布をしてアイロンで上から押さえるだけでぴたりとくっつきます!」
「アイロンは当てても構わないのか………」
「はい。呪いにしか反応しない身代わり君ですからね」
そこでなぜか、真顔のノアとアルテアがずずいっと近寄り、慌ててエーダリアが持っているコートの身代わり君を調べるという一幕があった。
ややあって、二人の魔物が信じられないものでも見るようにネアの方を見るので、ネアはふんすと胸を張る。
「……………対価と効果、区分としては犠牲の魔術の領域だな」
「わーお。護符にその瞬間だけ仮初の魂入れをして、生贄の代わりをさせるなんて、どうやって思いついたんだろう………」
「それは、山車祭りについて考えている内に思いついたのです!私の世界には、本当に効果があるのかは疑問でしたが、身代わりのお守り的なものがありましたので、こちらの世界で生かせるように精度を上げた身代わり君の開発に邁進した次第ですね」
「……………これは、画期的な発明かもしれないぞ。呪いで動く魔術を餌にして魂入れをし、呪いを身代わりに受けて自動的に…………この人型を織り上げている浄化魔術の糸の反応で浄化されるのか…………」
エーダリアはそんな身代わり君がたいそう気に入ったようだ。
真剣に分析されて、ネアは嬉しくなる。
「身代わり君の開発には、仕立ての魔物さんが協力してくれたようです。私の相談を受けたディノが出来るかどうか尋ねてくれたのですが、仕立ての魔物さんはすっかり張り切ってしまったそうで……」
「この技術について知っているのは、カダンだけだな?」
「む。アルテアさんが荒ぶり出しました…………」
余程身代わり君が気に入ってしまったのか、アルテアは、仕立ての魔物と何やら交渉する為に部屋を出て行ってしまった。
エーダリアは視線でネアに確認を取ると、替えの身代わり君アップリケをそっとヒルドとグラストにも何枚か差し出している。
「いや、エーダリア様がいただいた贈り物では………」
そう恐縮したグラストだったが、ゼノーシュがすかさず受け取り嬉しそうに飛び跳ねた。
そうなってしまうともう返せないようで、グラストは困ったなと苦笑して頭を下げている。
「一年分というにはあまりに多い。それにこの仕様書に、誰かに譲渡する場合は使い方と貼り付けの位置の説明をするようにと書いてある。………あらかじめ、配ることも見越してこの数を用意してくれたのだな?」
「ふふ。エーダリア様ならきっと、そうしたいのだろうと思ったのです。ただ、やはりまだ開発途中なので、こうして公開したことで、アルテアさんや、そちらで身代わり君をじっくり見ているノアが、より良いものにしてくれるかもしれませんね」
きっとそうなるだろうという展望を胸に、ネアは贈り物の説明を終えた。
残念ながら、身代わり君は着用者にある程度の魔術可動域が必要とされるものなので、ネアには使えない。
とは言えいつか、最低必要可動域の二十を下回る者にも使えるものが開発されるかもしれない。
「ネア殿とディノ殿からの素晴らしい贈り物で、我々の贈り物が霞んでしまいそうですね」
そう苦笑して次の贈り物を取り出したのはグラストだ。
それは騎士達と連名でのプレゼントで、不思議な形をした金属製のペンのように見える。
「隠し盾か………!このように小さなものは初めて目にした………」
「軽量化には、内側の魔術陣の添付が難しかったようなのですが、アメリアが友人の祖父に相談したところ、展開時の音で魔術陣を閉じるという仕組みにして、ここまで軽量化出来たそうです」
隠し盾というものは、結界などだけでは弾けないような性質の攻撃を防ぐ為のものなのだそうだ。
大抵は折り畳み傘のような大きさのものを付属の金庫に入れて持ち歩いているそうだが、この隠し盾はかなり軽量化されているので、胸ポケットに簡単に忍ばせておける。
微かな弧を描く金属製のペンのような物体の側面にある小さな鉱石に、展開を命じる魔術を送り込めば、がきんがきんと広がってゆき一瞬で盾の形になるのだ。
「凄いですね!広げた時に金属が噛み合う音が、水晶のベルのようなとても綺麗な音色なのですね」
「舞踊や楽器などの固有魔術を持つ者がいなければ、この音も展開の条件とするという方法は思いつかないな…………」
そう呟き、エーダリアは嬉しそうにその隠し盾を撫でる。
騎士達であれこれ意見を出し合い、かなりの強度になっているというのも嬉しいのだろう。
この世界には、びしゃびしゃに濡れたり、べたべたにされたりする程度の、そこまでの被害は出さないものの結界で防げないということを理とする攻撃が幾つかある。
だが、狡猾な敵はそのような小さな魔術を重ねてこちらの力を削いでくるので、こうした隠し盾というものはどんな騎士でも常備しているのだそうだ。
「僕とヒルドからはこれだからね」
最後にそう言ってノアが差し出したのは、ピンポン!と光が灯りそうな不思議なランプであった。
ネアはクイズの答えが分った時に押すやつかなと首を傾げ、ディノも首を傾げている。
「…………これは?」
「僕やヒルドとの契約、ダリルとの契約やリーエンベルクやウィームとの魔術の繋がりを織り込んで、エーダリアがリーエンベルクからいなくなった瞬間に光るようになっているんだ」
「え……………」
「ネア様を見ていますと、我々も警戒していないようなところでの引き落としもあるでしょう。それに、これがあれば、エーダリア様がこっそり外出してもすぐにわかりますからね」
そうにっこり微笑んだヒルドに、ネアは嬉しそうに受け取った筈のランプを手に、現実の残酷さにがくりと項垂れたエーダリアに視線を移す。
「ほわ、崩れ落ちました…………」
「嬉しかったのかな…………」
「重すぎる愛情には、あのようにくしゃくしゃになるしかありませんね。しかしこれもまた、大事にされているという証なのです………」
そう見守るネア達の横で、ちょっとだけ意地悪な顔をしたヒルドがノアと顔を見合わせている。
簡単そうに見えて、これは作るのが大変だったんだよと、ノアも得意げだ。
「そんなに喜んでいただけて、我々も努力した甲斐がありましたね」
「…………………あ、有難く使わせて貰う」
「うんうん。ヒルド、どこに置こうか?」
「そうですね…………」
ランプとは言っても内側にシャンデリア状に組まれた細やかな結晶石が入った美しいものなので、その不在お知らせランプは、エーダリアの執務室前の壁に設置されることになった。
後日に稼働実験をしてみたところ、エーダリアがどれだけこっそり脱走しても、その途端ランプがぺかりと点灯し、ヒルドとノア、そしてダリルが持っているランプに使っている結晶石の子供石も同時に光る。
特別なコートも貰ったことだし、またどこかへお忍びで行こうかなとわくわくしていたらしいエーダリアは、とても遠い目でふるふるしていたが、妖精達と、エーダリアと契約を交わした魔物は満足げに頷いていた。
なお、この贈り物とは別に、ヒルドは特別な祝福の糸でひざ掛けの編み物を、そしてノアは、呪いなどを感知して悪い手紙を食べてくれるペーパーナイフも贈ったのだそうだ。
そちらの贈り物については、嬉しそうに使っているエーダリアが度々目撃された。