313. 同じ過ちを犯した人がいます(本編)
その日は、ネアがディノの誕生日と同じくらい楽しみにしていた日であった。
かなり前からどんな日にするのか計画を練り、とてもとても楽しみにしていたのだ。
「……………エーダリア様のお誕生日が、またしても封鎖された…………?」
なのでその日、ネアは朝食の席で聞いたことに自分の耳が信じられずに呆然とする。
テーブルにはくしゃくしゃになった上司が突っ伏しており、ヒルドが一通のカードを細切れに引き裂いているところだ。
ウィームは本日朝からしっとりとした霧雨が降っており、まるでエーダリアの気分を思わせる霧が出ている。
「…………すまない」
「ヒルドさんが細切れにしているものを見るに、また同じ罠にかかったのでは……………」
「……………ああ。昨年と同じものだ」
「分かりました。本日はその犯人を抹殺しにゆく日にしましょう。きりん箱は空いていますし、激辛香辛料油の蓄えも充分です」
「うわ、ネア落ち着いて!!対策は取れるから、殺しに行くのは待とうか!!シル、ネアが手に持っている簡易転移門を取り上げて!!」
大事な楽しみを奪われたネアは怒り狂い、まだ犯人も知らされていないものの滅ぼす気満々で足を踏み鳴らす。
慌てた魔物がさっと三つ編みを持たせてきたので、ネアは美しい虹白の三つ編みを握り締めて唸り声を上げた。
「………私が愚かだったのだ。ジュリアンの方が上手だったな……………はは」
「…………エーダリア様が乾いた笑いを浮かべるようになりました。たいへん悪役めいていてお似合いなのですが、いつものエーダリア様に戻って欲しいです…………」
「上手も何も、封筒に竜の絵の刻印を押されただけでしょうに…………」
「ありゃ、どうすれば読むのか研究されてるな。…………やっぱり早めに消しておく?」
「ノア、後腐れなく王族の方を消すには名前を書いた紙を首から下げて、死者の国に放り込めばいいのだと聞きました。それでどうでしょう?」
「わーお、目が笑ってないぞ……………」
幸いにも、昨晩日付が変わった頃にまだエーダリアが起きていたので、ネアはそんなエーダリア達が揃っていた執務室に顔を出してお祝いを言っておいた。
なぜかそうしなければと思ったのだが、あれは、どこかでこんなことになるという無意識の予感があったのかもしれない。
ダナエとバーレンからのディノへの贈り物に同封されていた、バーレンが、またダナエに寝ぼけて蹴飛ばされて落ちた鱗を同封したバースデーカードも渡してあるので、今年は何の取り分もない訳ではないのだ。
とは言え、その報告を受けて朝食からはエーダリアのお誕生日色がさっと消し去られたそうで、その結果テーブルの上は紅茶のポットが置かれただけでがらんとしていた。
ケーキを食べる機会を失ったゼノーシュは悲しげに項垂れ、そんなゼノーシュをグラストが慰めている。
「…………あんな弟でも、その役目は果たしている。ジュリアンはジュリアンで、国内の貴族達の膿出しに向いているのだ…………」
「むが!そう言いながらも、エーダリア様はすっかりしょんぼりではないですか!だから言ったのです!今年はあやつの誕生日を真っ先に封じてしまいませんかと!!」
「ご主人様………」
「ありゃ、先に呪おうとしてたんだ…………」
「ダリルさんに頼んで、こっそりお祝い会場にへどろの精の観光ツアーを組んでおきましたが、それでは足りません!!」
「…………紙容器の精を……………」
ネアによる思いがけない犯行を知り、エーダリアは顔を上げて呆然としている。
ノアはそれでもう充分じゃないかなと呟いていたが、ツアーはまったくの偶然として仕組まれているので、ネアには物足りないのであった。
「でも、今年は回避策があるからね」
「…………なぬ」
「……………そうなのか?」
気障っぽくぴしりと人差し指を立ててそう微笑んだノアに、エーダリアが鳶色の瞳を輝かせる。
ヒルドはやれやれと苦笑しながら、暫くリーエンベルクを空けることになるからと、各所への伝達に出掛けて行った。
この二人は既に打ち合わせが済んでいるようで、ケーキが食べられるのだろうかと、ゼノーシュが、がたっと立ち上がっている。
ネアは、ディノと顔を見合わせて首を傾げた。
「僕を誰だと思ってるのさ。とっておきの場所があるから、そこでお祝いすることにしたよ。ただし、協力者が必要だったから、そんな二人には同席して貰うことになるけどね」
「…………二人?」
「うん。いつもの二人だから、エーダリアは気を遣わなくていいからさ」
「むむ。どんな二人なのだ………」
「ネアはもっと気を遣わなくていいよ!」
「解せぬ」
かくして、ノアの案内によるエーダリアの特別お誕生日会の会場への移動が始まった。
朝食もまだのネアはよろよろと歩いていたが、大事な朝食を後回しにするだけの理由もあるらしい。
リーエンベルクの料理人達が作ったお祝い料理はディノとノアが手分けして持ってくれて、主賓のエーダリアは、祝祭などの特別仕様としてリーエンベルクを部分的に閉じるあの魔術を施すことになった。
騎士棟に残る騎士達が領主不在のリーエンベルクを守るのだが、そんな快い協力も一種のお祝いだとネアは思う。
有事でもなく不在にするエーダリアに、騎士達は皆、完全封鎖ではなくて良かったですねと心からほっとしたように言ってくれるのだ。
その間にウィームを見ていてくれるダリルからは馬鹿王子と言われて頭を叩かれていたが、叱りながらも不在の間を引き受けてくれるのだから、この代理妖精の愛も深いものではないか。
「…………ぐーぺこです。転移でしゃっと移動しないのはなぜなのでしょう?」
「ありゃ、動けるかい?転移をしないのは、列車に乗るからかな」
「…………列車?」
と言うことはウィーム中央駅に向かうのかなと、ネアは駅の構内で売っている焼き栗のことを考えた。
この季節特有のものだが、この朝の時間だとまだ焼きあがったものが店頭にないかもしれない。
(となると、この前見かけたお芋の飲み物だろうか……………)
甘いお芋の飲み物は珍しく、ウィームのアルビクロム領との国境付近で流行っていたものが、なかなかに美味しいと評判になりこちらにやって来たらしい。
スィートポテトの飲み物を、甘いお芋の焼き菓子風に仕立てたものだ。
上にはホイップクリームがたっぷり乗っており、あつあつで甘さ控えめのスィートポテトシェイクのような味わいだと聞いており、ネアはまだ未知のこの飲み物への強い憧れがある。
温かな飲みものであるし、こんな風に肌寒い日にはぴったりではないか。
「うむ!追加料金で、噂のかりかりの飴でコーティングされたお芋をかけるのです」
「…………ネア、美味しいものがあるの?」
「ゼノ、ウィーム中央駅の向かって左側にある…」
「ネア様、本日向かうのはリーエンベルクの地下にあるあわいの列車の駅なのですが、……」
申し訳なさそうにそう言ってくれたヒルドに、ネアはがくりと項垂れた。
しかし、ヒルドの口から明かされた思いがけない行程に、思わず目を丸くする。
「もしかして、…………あの穴熊さん達が沢山いる………」
「く、熊がいるのか………?獰猛なものであれば、交戦用の魔術を編む必要があるだろうか」
「エーダリア様、その熊さんは我々をわっしょいしながら運んでくれる熊さんなのです」
ネアが厳しくそう説明すれば、エーダリアは鳶色の瞳を瞠った。
不思議そうに見開かれた瞳はウィームの朝靄にとてもよく映えて、じわじわっと未知の体験への期待に輝き始めている。
エーダリアはこの真上にあるリーエンベルクで領主をしているのだが、あわいの駅から列車に乗るのは、きっと初めてだろう。
「ネア、今日はノアベルトが魔術で足場を整えてくれる。あわいの列車もノアベルトが呼んだものだから、安心して乗っていいからね。それと、護衛としてウィリアムも来るそうだよ」
「まぁ、ウィリアムさんも一緒なのですね!」
「そ、その、終焉の魔物を護衛に呼んだのか…………?」
「ほら、諸事情であわいの列車に乗るけど、ネアがまた事故らないように一緒に来るかいって声をかけたら、即答で参加表明されたからね」
「…………そ、そうなのか。………何だかすまないな」
「…………む?」
エーダリアは、囮にされてしまったネアに謝ってくれたが、ネアとしてみれば、ウィリアムも一緒ならウィリアムにとっても楽しい思い出になるかなと考えてわくわくしていた。
以前にあわいの列車の旅に参加したのはディノとアルテアなので、何となくその報告をした時のウィリアムが、一緒に旅が出来なくて寂しそうに見えたのだ。
(ああ見えて、とても寂しがり屋な魔物さんだから……………)
ただ、仕事が立て込んでいるのであれば、無理をしての参加かもしれない。
列車の旅になるのなら、あまり疲れないように道中眠れるといいのだが。
「そんな時の為にはこれです!」
ネアがじゃじゃんと取り出したのは、ディノ特製の疲労回復薬である。
疲れていそうだったら、本日の旅のお供としてこちらを服用いただこう。
ウィリアムが大好きなゼノーシュも、ネアが取り出したものを見てこくりと頷いてくれた。
「ずるい。薬を飲ませようとしてる…………」
「あらあら、このお薬を飲めるのは疲れている方だけですよ?それにディノが作ってくれたものですので、きっとこれを貰えたらウィリアムさんはとても嬉しいでしょう」
「……………そうなのかい?」
「ええ。ディノからも大事にされているような気持ちになれますからね」
狡猾な人間にそう言われた魔物は、おろおろと視線を彷徨わせてから小さく頷いた。
先日の誕生日会でみんなに会えて嬉しかったようで、それ以降この魔物の恥じらいワードには友達関連の言語も追加されているのだ。
(でも、こんな風にみんなで出掛けられて嬉しいな…………)
先日、ウィームで行われたホールルという山車祭りで、ネア達は悪意を持つ者達からの襲撃を受けた。
主犯格は、昨年のホールルで焚き上げられてしまった精霊の関係者と、ガーウィン出身のとある貴族の一派であったらしい。
ネアは特に深くまでを尋ねはしなかったが、エーダリアやヒルドが妙にぴりぴりしていたので、過去に因縁のあった相手なのだろう。
ホールルの翌朝には、どこかほっとしたような目でヒルドがもう大丈夫だと言ってくれたのだが、ネアはその話をしてくれた時のヒルドの眼差しが気になった。
これはまた無茶をしたのかなと心配になり、試作品段階のきりんの飛び出る絵本を渡してある。
そうすると、背後でノアがもっとやれと合図を送ってきたので、一人で危ないことをするのは禁止だと荒ぶっておいた。
あれこれ約束して貰ったので、暫くは大丈夫だろう。
代理妖精という役目からも分かるように、侵食などを得意とする妖精には、自分の心も同じように明け渡してしまい、仕える者に殉じるくらいの深い愛情を傾ける性質がある。
竜にも同じような傾向があるが、そのようなところは困った生き物なのだ。
(だから、こうしてみんなで元気に出掛けられるのは、幸せであたたかなことだわ………)
何しろ今日は、エーダリアの誕生日なのだ。
ネア達は早朝の霧の風情を楽しみながら温室の方へ歩いてゆき、その途中でウィリアムに落ち合った。
霧の向こうから歩いてきて、片手を上げてやあというように挨拶をしてくれたウィリアムにネアが手を振ろうとした瞬間、ほぼ同時に全員がすとんと地下に落ちる。
「むぎゃ!!あ、穴熊さんが…………むぐ」
「こ、これはこのままでいいのか?!」
「ありゃ。こんな仕組みなんだね、あ、ヒルドとウィリアムは剣を抜かないで!!」
「わぁ、ふかふかだよグラスト!」
「…………驚いたな。穴熊が運んでくれるのか。ゼノーシュ、はぐれないように手を」
「うん!」
ネア達が落ちたのは懐かしのウィーム穴熊駅のようだ。
あの時と同じように首から花輪をかけた穴熊達がおり、受け止めたネア達をよいせよいせと駅のホームから列車の中に押し込んでくれる。
「ネア、飲み物が売ってるよ!」
「なぬ。ゼノ、ど、どこですか?!」
尚且つ、本日は事故ではなかったことと、ゼノーシュが一緒だったお蔭か、ホームで販売している飲み物などにも出会うことが出来た。
大きな木の箱を首から下げた穴熊がおり、ムオンと鳴きながら、こっちに来てくれ給えと手を振ったゼノーシュのところまで来てくれる。
列車の扉は開いたままであったので、ネア達は売り子さんが抱えている飲み物を興味津々で拝見した。
「お、お芋の飲み物があります!すっかりこれな気分だったので、私はこれにしますね!!流行を押さえているだなんて、何て素敵なお店なのでしょう」
「僕、栗のクリームが乗った珈琲にする!グラストは?」
「お、せっかくだから僕達も頼もうか。エーダリアとヒルドは何にする?」
「こんな風に運ばれるのか、危うく斬るところだったな…………」
「ご主人様…………」
ネアはここで、念願のスイートポテトの入った飲み物を入手し、頬を緩める。
オーダーを取ってやったディノは小さなカップのメランジェにするようで、ウィリアムは何も入っていない珈琲にしていた。
ゼノーシュとグラストはお揃いの栗のクリームの飲み物で、ノア達は仲良く牛乳たっぷりのスパイスティーにしている。
最後にオーダーをしたノアが全員分をさり気なくお支払してくれていたが、ここでのお支払いは硬貨などではなく不思議に光る鉱石で支払うようだ。
ネアが興味津々で見守っていると、割と貨幣価値が安定しており、人外者に人気でどこでも通用することが多いウィームの通貨の他にも、夜の結晶石や森結晶など、お金の代わりになる鉱石もたくさんあるのだと教えて貰う。
「海のものと山のものを持っておけば安心だけど、星や月の結晶石はどこでも使えることが多いかな。特に地下では価値が上がるから、こういういかにも地下って場所の場合はそっちを出すようにしてるよ」
ノアにそう教えて貰い、ネアは慌てて心のメモに書き留めた。
ほこりに貰った拳大の宝石などは幾つも持っているのだが、硬貨代わりにノアが使った、さざれ石のような結晶石は持っていないのだ。
大きな結晶を砕くのは勿体ないので、今度の狩りではいつもは森の生き物達に譲って手をつけないようにしている、小さな結晶石も収集しておこう。
「もう少し単価の高いものであれば、上質な酒などでも支払えますよ」
「私は、薬草にもなる花を支払いに使ったことがある。月光の結晶石も持っていたのだが、砂漠の商人だったようでそれを欲しがっ……………たのだ」
会話に参加していらぬことを口走ってしまったのか、ヒルドとノアにゆっくりと振り返られたエーダリアが、明らかにまずいという表情をして口を噤んだ。
砂漠で何をしていたのか、後程厳しく事情聴取が行われるだろう。
「ウィリアムさんは、お仕事は大丈夫だったのですか?」
出会うなり地下の穴熊駅に落とされてしまったので、ネアはここでやっとウィリアムと話が出来た。
ディノやノアもそうだが、今日はウィリアムも擬態はしていない。
そうなると、うっかり一般人の旅行客の面倒を見る羽目になった軍人さんのように見えてそんな様子も微笑ましかった。
こちらを見たウィリアムは、白金色の瞳を眇めて優しく微笑んだ。
「ああ、ちょうど昨日の夕方に厄介な仕事が片付いたんだ。一晩ゆっくり寝た後だから、しっかりネアの護衛が出来るな」
「むぐぐ、お休みのところをお出かけにしてしまってごめんなさい。…………でも、ウィリアムさんとも列車の旅が出来るのは何だか楽しいです」
「はは、そう言って貰えると俺も嬉しい。……………おっと、ネア、シルハーンが膝の上に三つ編みを置いたようだぞ」
「なぬ。両手でカップを持っているので危なくて握れません。このままお膝の上に乗せておく方式で対応しますね」
「ご主人様……………」
今日のあわいの列車は、通路を挟んで六人がけのボックス席が並んでいる。
進行方向左側の席の窓際には、ネアとウィリアムが、そして右側の席の窓際にはエーダリアとヒルドが座り、ゆったりと座る為にと、グラストとゼノーシュは後ろのボックスに二人で座ることとなった。
こうすればみんなで楽しく車窓の景色も楽しめるので、ネアは伸び伸びと座席間隔を開けて座っても安心の顔ぶれに満足して息を吐く。
席についたところで、ウィリアムに疲労回復薬の提案もしたが、ひとまずは珈琲で問題ないそうだ。
分け合いっこの好きな魔物の為に、ネアが自分の飲み物をディノに味見させていると、ホームにジリリとベルの音が響いた。
「は!出発するようですよ!!」
このようなベルは前回には聞いていない気がするので、やはり車両が違うからだろうかと、ネアは豪奢な飾り天井の列車の中を見回した。
(前の列車より、少し豪華な感じかしら。でも、扉周りは前の列車の方が頑丈だったかも…………)
がっこんと走り出しに大きな音が響いたが、あわいの列車は滑らかに走り出した。
手を振ってくれている穴熊達に手を振り返し、ネア達は美味しい飲み物を啜りながら、始まったばかりの楽しい列車の旅に思いを馳せる。
エーダリアはすっかりはしゃいでしまっており、ヒルドから外には岩壁しか見えないのでこんなところで窓を開けないようにと叱られている。
「ノア、私達はどの駅に向かうのですか?」
「死者の国の干渉地の次で、花底の城ってところだね」
「まぁ、死者の国にまつわる駅もあるのですね…………」
驚いたネアが路線図に目を凝らしていると、ウィリアムが苦笑して頷いた。
「俺も初耳だったが、確かに死者の国の入り口の近くでは、よくあわいの列車の目撃情報が上がるな。もしかしたら、あわいの列車を使って死者の門までやって来る者達もいるのかもしれない」
「と言うことは、中に入ってしまう訳ではないのですね。…………むむ。ノアの教えてくれた駅に向かうとなると前回の行き先とは違いますが、分岐はもう少し先になるのですぐにぽわり谷になりますね………………」
その言葉を聞き、ディノはびゃっとなるとネアの背中に隠れてしまった。
ネアは怯える魔物の背中を撫でてやりながら、ぽわり谷は確か反対側の車窓から見えた筈だと安心させてやる。
「ウィリアムさんは初めてなので、向こう側のお席に移動してみます?」
「ネア、……………その駅には、シルハーンが怯えるようなものがいるんだよな?」
「私も苦手なのですが、脱脂綿妖精さんの集落があるようなのです」
「脱脂綿妖精……………?」
いまいちぴんと来なかったらしいウィリアムは首を傾げていたが、その実態はすぐに明らかになった。
ガコンガコンと音を立てて走る列車に、どこからからんらんと歌う声が聞こえてきたのだ。
「……………ん?」
ウィリアムはそこで不安そうな眼差しになり、もわもわ妖精が怖くないらしいエーダリアは、初めて見るあわいの不思議な駅に大興奮で窓の方にしっかりと体を向けて座り直している。
やがて、その駅が見えてきた。
ネアは、肩口に顔を埋めて震える魔物の背中を撫でてやりながら男前にお芋の飲み物を飲み、視界の端で、ウィリアムがそっと床に視線を落とすのを見守った。
今や車内には窓や扉の隙間から聞こえてくるもわもわ妖精の歌声が響き渡り、前回と同様に大きな木の上にびっしりたかったミントグリーンのもわもわ妖精達が、虚ろな目で歌い続けている。
「……………わーお」
「脱脂綿妖精は、木の上に住居を構えるのだな。井戸などもあるようだが、どのような治水工事をしているのだろうか。………木の枝に商店まであるぞ!」
「エーダリア様…………」
窓際の席ではすっかりぽわり谷に夢中のエーダリアと、同族の妖精なのだがこのような光景はあまり得意でないらしいヒルドの温度感の対比が鮮明になり、グラストとゼノーシュは可もなく不可もないといった様子だった。
ネアが、事前に窓を開けたり扉に近付くと停車してしまうと教えておいたので、幸いにもぽわり谷には停車せずに済んだようだ。
ぺかりと行き先表示板が光り、この列車は特急なのか二つ程の駅を飛ばすようで、次なる駅は懐かしの水飴の国になるらしい。
ネアががたっと立ち上がってお財布を握り締めれば、きりりと頷いたゼノーシュも勇ましく立ち上がる。
その様子を見て、エーダリアも慌てて立ち上がってこちらに加わった。
「ネア、ここは列車を停めるのだな?どうすればいいのだ…………?」
「降りるような意志をみせれば、この列車は駅に停車します。停車中に車内販売の売り子さんが乗り込んで席まで来てくれますので、その売り子さんから買い占めて下さいね。この駅で買った水飴は、もったりせずにすっきり爽やかな果物の味がしてとても美味しいんですよ!」
「僕、ネアからお土産で貰った秋梨味を買うんだ」
張り切って待っていると、列車はお目当ての水飴の国の駅でゆるやかに停車した。
きらきらぺかぺか光る結晶石なのか、或いはそれも水飴なのかという透明な石のようなものがそびえ立つ不思議な駅には、飴細工のような飴色の森が広がっている。
そんな森に光が差し込めば、この上なく美しい黄昏の森にも見えた。
「……………なんと美しいのだろう」
思わずエーダリアがそう呟いたところで車内販売がやって来たので、自分達の国を褒めて貰った売り子は、大喜びでエーダリアのお買いものに秋梨の水飴のおまけをつけてくれた。
ネアは冬葡萄と秋林檎、そして前回美味しかった夜明けの祝福苺を三個に、こっそりウィリアム用に風檸檬を買い、エーダリアは夜の祝福の木苺と霧ミント、冬葡萄に夜明けの蜂蜜味を購入した。
「僕、全種類!」
ここで驚きの発注が入り、ネアは売り子がどこからか取り出した全種類セットの袋の可愛さに目を輝かせる。
「や、やはり私も全種類買おう!」
特殊な風味をもたせる保存魔術がかかった袋だと聞いたエーダリアも荒ぶってしまい、三十五種類の水飴は騎士達のお土産にもするのだそうだ。
そんな大はしゃぎのエーダリアを、ヒルドとノアが顔を見合わせて微笑ましく見守ってくれている。
ネアは、ウィリアムに檸檬の水飴を御裾分けして喜ばれつつ、次なる駅に向けて戦士の顔になる。
次は緑地の駅であり、あの歌う葉っぱがたくさん生息しているのだった。
意気込むあまりに腕捲りを始めたネアに、たくさん買った水飴を座席の空いたところに置いて嬉しそうに眺めていたエーダリアが、おずおずと尋ねる。
「………………ネア、次の駅は何なのだ?」
「歌う葉っぱさんが生息する、緑深い緑地の駅です。アクス商会の高額買い取り商品ですので、ここでも是非に頑張りましょうね」
「………………歌うのだな」
「ご主人様………………」
「ディノが悲しんでしまわないように、首飾りの金庫から濡れおしぼりを取り出しておきました!収穫の後はこれできちんと手を拭くので、また泣いてしまってはいけませんよ?」
「欲しいなら取ってあげるから、素手で掴むのはやめようか」
「む、むぐ、収穫にもそれ独自の喜びがあるのです…………」
ご主人様と魔物が議論を重ねている内に、列車は緑地の駅に着いてしまった。
ネアはどこからかささっと魔術採取用の手袋を出したエーダリアに、その素敵な装備は何なのだと目を丸くする。
ゴーグルのようなものまで装着し、ウィーム領主は準備万端だ。
「ありゃ、誕生日よりも採取の旅になったなぁ…………」
「でもノア、エーダリア様の少し上気したお顔を見て下さい。ノアとヒルドさんがこの列車に乗せて差し上げなければ、エーダリア様はずっとテーブルに臥せっていたことでしょう!」
「それを言われちゃうと照れるよね……」
「ふふ、ノアが照れました」
ごとんと列車が停車し、ぷしゅりと扉が開く。
ぷんと朝露に湿った緑地の匂いがして、しゅわしゅわきらりと木々についた結晶石が煌めく。
鈴蘭や勿忘草も美しいが、ネアは、一刻も早く扉よ全開になるのだと、まだ眠っている様子の歌う葉っぱにぎらりと鋭い眼差しを当てた。
「ハンナデイジアの花が咲いているではないか…………」
しかし、ここでネアよりも荒ぶる人間が現れた。
そんな静かに呆然とした呟きを最後に、エーダリアはしゃっと列車から飛び降りてしまい、その予測を立てていたヒルドにすかさず上着の裾を掴まれている。
「ヒルド、これ!ネア用の紐だけど………」
「…………布の紐ですか」
「うん。シルが作ったもので、かなりの強度になってるから、切れたり分断されたりしないよ」
「ではひとまず使わせていただきますね。助かります」
ネアはそんなやり取りを横目に、ディノが足紐用の柔らかな布紐をノアにまで渡していたことに戦慄したが、まずは緑地からの侵食が大きなホームに生えている珍しそうな鈍く金色に光る鉱石のきのこを採取し、同じくホームに侵食している歌う葉っぱをわしっと毟り取った。
幸い、眠ったまま収穫された葉っぱ達は、息を吐くような儚げな悲鳴を上げただけで済み、エーダリアの本気の収穫の妨げにはならなかったようだ。
ネアの採取は車両から片足を離さない程度のところで可能な限り体を伸ばすのだが、そんなネアの手や腰を掴み、ディノやウィリアムがしっかりと掴まえていてくれる。
その二人ならばと体をすっかり任せてしまい、ネアは思いのままに収穫を楽しんだ。
「こ、これは見たことがない…………」
「うんうん、団栗の精が育ったものだよ。備蓄の祝福があるからね」
「これは……………」
「ありゃ、それはかなり珍しいやつだね。森林性のエーデリアの原種だ。体に魂さえ残っていれば、大怪我でも一瞬で治して…………わーお、ヒルドがいっきに引き抜いたぞ………」
「みんな、そろそろ列車が発車しそうだよ!」
時間を知らせてくれたゼノーシュの声にネア達はいっそうに鬼気迫り、手の届く範囲の収穫を行った。
こうして見ると略奪虐殺行為にも等しいが、駅名の看板の下の部分に、“収穫の際には自身で安全に配慮下さい”という注意書きがあるので、この駅では森の恵みの収穫が許されているのだった。
駅の看板には安全なきのこの見分け方の表などもあるのだが、とは言え停車中しか時間のないネアは、その看板を見れたことはない。
(それに、森に入ると迷子になりますというポスターに髑髏の絵があるから、森はかなり危ないところのようだし…………)
ネアはそう考えて頷き、ウィリアムに色々採ったなと褒めて貰いつつ、たくさんの収穫物を手早く列車の床の上で選別する。
額に汗を滲ませてとびきりの笑顔で戻ってきたエーダリアは、今になって自分の腰に結ばれた紐に気付いたようで不思議そうに首を傾げていた。
「さて、みんな落ち着いたかな。帰りにはもっとたくさんの駅に停まる列車を選ぶから、お願いだから本当の目的の為に体力を温存しておいてよ!」
「……………は!今日はエーダリア様の…………」
ネアは愕然と目を丸くし、なぜか当人までそうだったという顔をして呆然としている。
波乱に満ちたエーダリアの誕生日は、まだお誕生日会が出来るという目的に辿りついてもいない状態で、再びがたんごとんと列車に揺られることになった。
その後、列車は前回の旅では訪れなかった四つの駅を通り、あらためて車窓から見ると雰囲気たっぷりの怖さのある死者の門の前を走って目的地の駅に着く。
「ここが花底の城の駅だ。みんな降りるよ。因みに、シルかネアから降りてね」
「むむ。謎めいています。てやっ!」
「ご主人様が逃げた……………」
何か理由があるのかなと思いながらネアがホームに降り立つと、慌ててディノが追いかけて来てさっとご主人様を持ち上げている。
戸口に立って残りのエーダリアやグラスト達が降りるのを見守っていたウィリアムが、ああここは知ってるなと呟き不思議な微笑みを浮かべた。
(………………何て不思議で、何て美しいところなのかしら…………)
優美な彫刻のある黒曜石の駅舎は、どこか排他的な雰囲気がした。
ホームは墨色や藍色から白みがかった水色が揺らぐような不思議な石材で、何よりも不思議なのは曇天の空いっぱいに大きな赤紫色の花が咲いていることだ。
薔薇か牡丹のような不思議な花は円環状に空に咲いていて、その円の真下に炭灰色の美しいお城がある。
曇天の空の下を、どこまでも温度のない風が吹いてゆく。
荒野を吹きすさぶ風のように殺伐としているが、ランシーンの高地のようなひたむきさも感じられる気持ちの良い風だ。
城までは特に道などもなく、深い赤紫色の花が咲いている草原を歩いてゆくらしい。
「……………何て美しいのでしょう。なぜだか、少しだけ懐かしい感じがします」
ネアがそう言えば、ノアは悪戯っぽく微笑んだ。
「そりゃ、アルテアの城の一つだからね」
「………………なぬ」
「ここはあわいの中の、更に影絵の中だから普段は滅多に使わないんじゃないかな。でも、昨日あたりから珍しく籠ってるみたいだから、ちょうどいいやと思って。ここではないどこかっていうかなり特殊な隔離地なんだ。エーダリアにかけられた呪いが届かないから、駅舎を出たらもうそこから自由に祝えるよ」
そう教えてくれたノアに、ネアとエーダリアは顔を見合わせた。
その突然のお誕生日会訪問は、アルテア本人は知っているのだろうか。
どうも知らない気がすると、ネアは突撃訪問を受ける使い魔の受難について少しだけ真剣に考えたのだった。
ディノのお誕生日の際に、飲み物のアイディアをいただきました。
美味しく使わせていただきますね。
有難うございます!