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312. まとめて焚き上げます(本編)




ぐぎぎっと、あまり心に優しくない音がした。



現在、博物館に向かう主線通りの一つ、博物館通りと呼ばれる冬楓とプラタナスと並木道で、ネア達は絶賛脱走した山車人形と遭遇中なのだ。



ネアはどれだけ背後が気になっても、頼もしい魔物が一緒である以上は、あえて背後を振り返るような愚行を犯してはいけないと自分に言い聞かせつつ、とは言えせめて背後は警戒しておいてあげようと顔だけは上げておくことにした。


しかし、そんなひたむきな心がここで仇となる。




「ぎゃ!!」




よりにもよって姫人形は、とうっとへばりついていた建物から飛び降りてきて、ネアの視界の中に降り立ったのだ。



けぶるような金髪の髪をざんばらに乱し、ぎっしゃんという音を立てて着地した人形は、またしてもぎぎぎっという軋み音を響かせながら、地獄からの使者のように仁王立ちになり、ゆっくりと顔を持ち上げる。



ネアは竦み上がってしまい、乗り物になってくれたディノの肩をばしばしと叩いて訴えた。



「ディノ!ディ、ディノ!!」

「ご主人様、…………今はいけないよ」



なぜか魔物は目元を染めているが、これは危険を知らせている打撃であって、決してご褒美ではないのだ。



「なぜに恥じらうのだ!は、早く捕まえて下さい。みぎゃふ!!」



魔物がもじもじしている間に、姫人形がばいんと弾んで左右に飛び回り、そのバッタもかくやという可動性にネアはさあっと青ざめる。


美貌のお姫様の人形に、なぜこの動きを与えてしまったのかと天を呪うばかりだ。



ばしりと、不吉な音がする。

ネアがそちらを見ると、グラストが目を瞠っているではないか。



「…………っ、誰があの人形に不可侵結界を張ったんだ…………」



思わずそう呻いたグラストに、ベージが少しだけ遠い目をした。



「我々の土地でも、貴婦人の肖像画が荒ぶったことがありましたが、その時も画家がキャンバスに排他結界を添付していて被害が大きくなりましたね………」

「だが、今回は山車人形ではないか…………」



そう、がくりと項垂れたグラストに慌ててゼノーシュが寄り添っている。

ディノも、またしてもびょいんと跳ねている姫人形を見て、どこか悲しげな目をした。



「………守ってしまうのだね」

「………お気に入り過ぎてしまうと、それでもと守りたくなってしまうのでしょうか…………」



そんな作り手心理は分からないでもなかったが、こうして荒ぶるようになると大迷惑だと言わざるを得ない。


ましてや、山車人形は焚き上げるものだと分かっていた筈なのに、どうして我慢出来なかったのだろう。



「グラスト、あの首の後ろのところに結界を解く結び目があるよ。でも、触れないと剥がせないようになってるみたい………」

「となると、魔術捕縛ではない方法で捕まえるしかないな」

「特定の手順を踏まないと解けないのだね…………」

「むぐぅ。なぜに難易度を上げてあるのだ。あの山車人形が大好き過ぎる誰かがいますね……………」



ネアは、悲しい気持ちでそう呟いた。

人間とは日々進化するものなので、目の焦点を合わせずにいるという秘策により、顔を伏せずとも過ごせるようになっている。



「みな、少し離れてくれるか?」



(…………グラストさん達は、こうやって街の人々と連携するのだわ)



グラストは、周囲の領民達に声をかけて、排他結界に阻まれるので縄をかけて捕縛すると説明している。

ネアはそんな様子を見ることはあまりないので、働く騎士の姿を興味深く見守った。


暴れると巻き込まれかねないので、少し離れるように注意喚起したようだ。

すると、領民達が連携して交通整理などを始めてくれて、魔術を使える者達が他の騎士達を呼んでくれるという。



そんな光景に、ネアはウィームという土地のあたたかさを感じ、少しだけほっこりした。

なお、街灯によじ登って声援を送るご婦人は見なかったことにする。



「縄をかけて、動きを止めるしかありません。申し訳ありません、少し荒っぽくなりそうです」

「きりん……」

「駄目だよ、ネア。グラストが死んじゃうから!!」

「は!失礼しました………」



ネアは安易にきりんに頼り過ぎることを反省し、騎士装束のどこかにある魔術の隠しポケットからひと束の縄を取り出しているグラストに、ベージが、縄は持っていないなと困ったように小さく呟いた。



(縄と言えば…………!!)



最近縄を何束か貰ったばかりのネアは、今度こそ助力出来ると、すぐさま首飾りの金庫からその中の一つを取り出した。

取り出した後、まさかの色に仰け反りそうになったが、ここは時間を無駄にしてはいられない。



「ベージさん、縄ならここに!」

「申し訳ありません、ありが…………」



なぜかここで、ネアが投げた縄を受け取ったベージは激しく咳き込んだ。


げふげふと咳き込んで涙目になった氷竜の騎士に、通行人の誰かが、こっちを使えと普通の小麦色の縄を投げ込んでいる。

かぶってしまったかと残念に思ったネアに、ベージはまだ乱れた呼吸を整えながら微笑んだ。



「…………っ、有難うございます。捕縛にはこちらの太いものの方が良さそうですので、いただいたものは、…………いつかの時の為に…………」

「………は、はい」



ネアとしては使わないなら返して欲しいと言いたかったのだが、それではあまりにも感じが悪いだろう。



(でも、持ち帰らないでいただきたい!!)



ぐっと堪えて震えながら頷くと、ディノが贈与の魔術は切ってあるから大丈夫だよと教えてくれた。




「……………ふぁ、ふぁい」



しかし、贈与魔術などではなく、あの縄がどんな用途で編まれた縄なのかを、この優しい氷竜の騎士に知られることがまずいのだ。


てっきり、ここで姫人形を捕らえるのに使われてそのまま焚き上げて貰えると思っていたネアは、すっかり悄然としたまま頷き、魔物は、ご主人様がしょんぼりしているのは姫人形が怖いからだと思ったようだ。



「大丈夫、周囲に結界を敷いて動ける範囲を狭めたから、すぐに捕まえるよ」

「……………ふぁい」

「可哀想に。私が側にいるからね」



(私はなぜ、あの赤い縄をベージさんに渡してしまったのだろう……………)



何かをしていないととても落ち着かない気分だったので、ネアはせめて周囲を見回しておき、この騒動の中で不審な動きをする者がいないか調べることにした。



するとどうだろう。

グラストとベージが、手早く投げ輪の要領で姫人形を捕まえると、雑踏の中で一人の男性が忌々しげに顔を歪めているではないか。



勿論、目玉の姫人形であるので、観客の中にはもう捕まってしまって残念だと声を上げている者達もいる。

だが、その者達とは違うどこか憎々しげな表情に、ネアはおやっと思った。



(まるで、…………憎んでいるみたい………?)



しかし、思わず観察に力が入ってしまったものか、その男性はネアからの視線に気付いたようにはっと短く息を飲むと、隣で大掛かりな捕物を見て大興奮のご婦人方に乱暴にぶつかりながら、素早く路地に駆け込もうとしている。



ぶつかられて小さく声を上げたご婦人達に、観客の何人かがそちらを向く。

男を引き止めようとした者もいたが、ばさりとローブのフードをかぶった男は、素早く人々の間を抜けて路地の入り口に抜けた。



「てやっ!」



ネアがそんな不審者に投げつけたのは、最近開発中の擬態用の染め粉である。


ぱちんと体に当たると、意識したところの色を変えるのだが、この開発中のものは、ネアの意識に反応するので投げつけられた相手を思うままに着彩することが出来る。


染め粉玉を見事に命中させられた男は、漆黒のローブから髪の毛の先までをけばけばしい紫と橙の水玉模様にされ、呆然としている。



「ネア殿?!」

「うむ。不審者です。あやつは念の為に捕まえ…」



こちらを見たグラストにネアがそう言い終える前に、その水玉にされた不審者は、わぁぁぁと勇ましく声を上げた領民達に取り押さえられた。


目を瞬き、お祭り気分のまま荒ぶってしまい、このような取り押さえになったのかなとネアは思っていたが、姫人形捕縛中のベージが手を上げて挨拶を交わしていたので、彼の知り合いが手を貸してくれたようだ。



「あの男が気になったのかい?」

「ええ。私と目が合うと逃げようとしたのです。ストーカーでなければ、先程の騒ぎに加担していた誰かかもしれません。ちょうどここには、グラストさんと私が揃っている訳ですし…………グラストさん!!」



そう言えばと気付いてネアが振り返ったのと、近くにあった建物の上から一体の異形がグラストめがけて飛び降りて来たのは、ほぼ同時のことだった。



思わず声を荒げてしまったネアは、大きく目を瞠って息を飲む。

しかし、ネアの目で確認出来たくらいなので、勿論魔物達は見逃さなかったようだ。



「…………ほわ」

「ゼノーシュが捕まえたようだよ」

「…………そ、そうでした。グラストさんにはゼノがいました。…………ディノ、あのお人形は先程の………」

「…………うん。もう一体近付いてきていたのが分かったから、普通の人形の捕縛は彼等に任せたんだ」

「そうだったのですね…………」



ゼノーシュが空中で捕縛し、べしゃっと地面に落としたものも、見慣れた山車人形の形状ではないようだ。


その人形を見てしまった領民達は、口元を覆って顔を背けていたり、小さな悲鳴を上げている。




(蜥蜴…………に、人の面をかけているのかしら?)



その奇妙な形の人形は、地面に引き落とされてしまったまま上から魔術で押さえられているようで、ネアの位置からその全容を見るのはもう難しくなったが、ちらりと先程の案山子と似たようなお面が見えた気がする。




「ゼノーシュ、その人形の捕縛は私が代わるよ。…………問題の人形だろう」

「うん。僕だと跳ね除けられちゃいそう。ディノが、飛び降りて来る前に動きを鈍らせてくれなかったら、間に合わなかったかもだし、グラストを狙ったから本当はすぐに壊したいのにな…………」

「ゼ、ゼノ、お顔が!」



最後の一言でぐっと声を低くして氷点下の眼差しになった見聞の魔物に、観客達からおおっと低いどよめきが漏れる。

これは、滅多に開放しないグラストを損なう全ての者を殲滅する死のクッキーモンスターだ。


ネアが慌てて声をかけると、ゼノーシュは、はっとしたように顔を上げてふすんと頷き、グラスト達の押さえた姫人形の捕縛に加わった。



「…………ディノ、一度下りても大丈夫ですか?」

「ネアが虐待する…………」

「むむ、やはりそうなりますね。………このような混戦状態なので、私を持ち上げたままだと、ディノの片手が塞がれてしまいません?」

「塞がれない………」

「…………塞がれないということもない筈なのですが、すっかり落ち込んだのでこのままで構いません…………」

「ご主人様!」



引き続きのご乗車に元気を取り戻してくれた魔物は、そのまま先程の案山子の仲間だと思われる人形を押さえていてくれた。


今回のものは先程のものより小さいので、暴れる力も弱いらしい。



「それに、先程ゼノーシュが落とした時に、仮面が傷付いたのかもしれないね。動き方もあまり強くはないようだ」

「ふむふむ。あの仮面が弱点なのですね」

「とは言え植物の系譜の精霊のものだから、君は触れないようにね」

「はい。呪われたりしたら嫌なので、気を付けますね」



姫人形は、グラストとベージでそのまま縄で器用にぐるぐる巻きにしてしまったようだ。

ネアはそちらを見て、紫色の何かを思い出したような気がしたが、最近紫の縄などを見た筈はないので気のせいだろう。



ぎちぎちと動きながらも、縄でぐるぐる巻きにされて転がった姫人形は、確かにこうして見ると乱れた金糸の髪も美しい美姫に見える。



あらためて、ようやく美しい人形としての面影を垣間見たネアはほほうと頷き、ディノの方を振り返った。



「ディノ、壁を這わなくなったら、あちらのお人形さんは少しだけ怖くなくなりました。見ようによっては、美人さんです!」

「そうなのかな………」

「あら、ディノはあのような雰囲気の女性の方はあまり好まないのですね。…………威厳があるのに儚げな美人さんはディノの雰囲気とちょっと似た区分なので、好きな系統かなと思ったのですが………」

「ネアが虐待する…………」

「なぜなのだ」




そんなやり取りをしている内に、連絡を受けたゼベル達が駆け付けてくれて、グラストとベージが捕縛した姫人形を引き取ってくれた。

ゼベルのエアリエルの魔術なら、捕まえた姫人形を安全に焚き上げ会場に移送出来るようだ。


縄で巻かれながらも暴れる人形の背後に素早くベージが近付き、首の後ろにあったという結界の結び目を解くのが見えた。



おおっと観客達から歓声が上がり、見目麗しい竜の騎士の活躍に頬を染めて瞳を輝かせる女性達もいる。


これで安全に魔術捕縛が出来ると恐縮したグラストに頭を下げられ、ベージは、万が一人形が暴れて打撃を受けた場合、竜である自分の方が頑丈だからと微笑んで首を振っていた。


この二人の相性はいいようで、ネアは絵になる二人だなぁと頬を緩めた。




(あ、さっき捕まえたフードの男性も、そちらに連行するのだわ…………)



姫人形と共に不審者の男性を連行するにあたり、ベージもそちらに同行するようだ。

水玉にされた男性を捕まえてくれていた、捕獲の鮮やかさ的には魔術師かもしれない栗色の髪の青年は知り合いらしく、何かを話している。



「……では、俺はこちらに同行させていただきます」

「ベージさん、助けてくれて有難うございました。後で、きちんとお礼させて下さいね!」

「はは、このような祝祭ですからお気になさらず。お役に立てたのであれば良かったです」



こちらに向かって一礼してくれたベージに、ネアは、感謝と共にあの縄を決して人目に触れさせてはならないという祈りを込めてぺこりと頭を下げた。



そんな姫人形を連れた一団は、転移で焚き上げ会場に向かうようだ。


ゼベルが、ディノが押さえている人形の方も連れて行くべきか気にしていたが、ディノは、こちらは儀式会場に持ち込まずに後から焚き上げた方がいいだろうと首を振っていた。



(また、中に小さな人形が入っていると危ないからかな…………)



そちらには、エーダリア達もいるし、集まった領民達にこのような悪意があることを晒すのもあまり良い事ではない。



幸い、ディノがこのまま拘束しておくのは容易いと言ってくれたので、ネア達はここに残ることにした。


会場での大きな焚き上げの儀式が終わった後、またトルチャをこちらに連れて来て貰い、その後にあらためて焚き上げをするようだ。


歩道に集まっていた観客達も、姫人形を焚き上げるとなるとそれは見逃せないのか、慌てて移動してゆく。



あの人形はどうするのだろうと、気にして残ってしまう者がいないように、ディノは捕縛した蜥蜴人形と自分達の周囲は結界の壁で囲んでくれた。

加えて、興味などを引かないような魔術も展開したようだ。



「…………ディノ、無理をしていませんか?」

「していないよ。このままでいいからね」

「むぐ。そろそろ地面を踏みしめて立ってみたくもあるのですが、先手を打たれました…………」




大捕物が終わり、通りには静けさが戻ってきた。



ネアは、ディノが動きを封じてくれている蜥蜴人形に視線を戻した。

背面だけであれば視覚的な怖さはないものの、それはどこか悪意の形のようにも思えて胸の底がひんやりする。




(最初の案山子は、明確に、私達を標的として認識していた…………。あの、昨年の山車人形の事件と関係があるのかしら………?)




あれは、休眠状態の精霊が入った木だと知らずに、職人がその木から山車人形に仮初めの魂を与える仮面を作ってしまったことで起きた事故だった。


その時も現場には、ネア達とグラストとゼノーシュがいたのを覚えている。



(それと、エーダリア様達とトルチャさんもいたような……………)



植物の系統の精霊は危ういという話をされて、誰も気付かない間に資材という形で持ち込まれて荒ぶるものの怖さを思い知らされた。


とは言え、地崩れの花の精霊の王族だというので、木材に混ざり込んでいたものが特別に力の強い個体であったのも事態を大きくしたのだろう。



(……………ん?)




ふっと、何かが思い浮かびそうで、ネアは口元をもぞもぞさせる。

何かが分かったような気がしたのはほんの一瞬で、掴み損ねたらまた分からなくなってしまった。




そのまま、十五分程経っただろうか。





「ネア、疲れたかい…………?」



一度この場を離れ、姫人形が窓を揺すっていた建物の中にいる人達の様子を見に行っていたグラストとゼノーシュが帰って来た。

ディノがずっと一人で蜥蜴人形を捕まえているのが心配だったネアは、その姿にほっとした。


しかし魔物は、ふうっと息を吐いたネアが気になったのだろう。

耳元で心配そうにそう尋ねられ、ネアは眉を持ち上げる。

こちらを見ている水紺の瞳はとても澄明で、その色の美しさに唇の端を持ち上げた。



「あら、私は、ずっとディノに持ち上げて貰っているのに?」

「けれど、怖いものを見てしまったのだろう?」



そう尋ねられると、確かに最後は姫人形をしっかり見てしまったが、一番苦手なところはあまり見ていなかったので被害は少ないと言えよう。



「みなさんが捕まえて下さったので、そこまで怖い思いはせずに済んだようで…」




しゅっと、風を切るような鋭い音がした。




(え………………?)



あまりにも突然のことに、ネアはその音の出所を目で追いきれず、ただ、向き合っていたディノの瞳が、青い炎が揺らぐようにざっと揺れたのを見ていた。




その直後に聞こえたのは、鈍い音。




「………………ディノ」




顔のすぐ横で、ネアを守るように翳されたディノの手が見える。

その、爪の先まで美しい指の間から、つつっと真紅の筋が流れ落ち、地面に溢れる前にしゅわりと光って消えた。




「…………手が」




呆然としたまま、ネアはそう呟く。

声が掠れ、喉が張り付くような気がした。



ディノが受け止めたのは、真っ黒な矢だ。

鮮やかな緑色の羽をつけた、まるで鋼鉄のようなぎらりと光る禍々しいもの。


それをディノは、鏃が突き抜ける事を恐れる様子もなく、手のひらで受け、握り止めたのである。


角度的に、ネアに向かって撃ち込まれたのは明らかで、血の気が引くのが分かった。

目を瞠ったままのネアの見つめる先で、ディノの手の中で矢はがきんと崩れ、もろもろと黒い灰になって散り落ちてゆく。




「…………そうか、精霊だったか」



低くそう呟き、ディノはふつりと微笑む。

その微笑みは触れたら指先を損ないそうな冷たさで、矢が飛んできた方向に視線を向ければ、ぎゃっと遠くで誰かの悲鳴が聞こえた。

ばさりと重たいものが倒れる音がして、近くの街路樹の木から黒衣の人物が落ちてくる。


ぴくりとも動かないが、形を残しているので死んでしまってはいないようだ。




「ネア、怪我はなかったね?」

「ディノの手が…………」



ここで漸く体の強張りが解け、慌てて大事な魔物の手に触れると、ディノが広げて見せてくれた手のひらにはもう傷一つなかった。



「ほら、何ともないから怖がらないでいいよ」

「でも、………痛かったですよね?」

「……………君は、いつもそう言ってくれるんだね」



どこか嬉しそうにそう呟き、ディノは自由な方の手をすっと横に払う。



すると、不可視の結界に防がれ空中に突き立てられたままであった何百もの黒い矢が、先程のもののようにざあっと灰になって崩れ落ちた。


ディノが手のひらで受け止めてくれたのは、その何百もの矢の打撃を一点に集中させ、こじ開けた結界の綻びから撃ち込まれたものだったのだ。



「人間が唆したのか、人間を唆したものか。………一人は逃げたようだけど、印を付けておいたから逃げおおせられはしないだろう」

「…………今回のことを企んだのは、精霊さんなのですか?」



おずおずと尋ねれば、ディノは困ったように淡く微笑んだ。



「今の攻撃は、私の押さえる人形と、先程の矢を呼び合せて威力を強めたようだ。怖い思いをさせてごめんね」

「怪我をしたのはディノなのです…………。私のことはディノが守ってくれました!」


傷はすぐに治してしまったようだが、それでもネアは赤い血が流れるのを見てしまった。

それが悲しくて腹立たしくて、憤怒の形相で射手がいた方向を振り返る。



「おのれ、楽には滅ぼしません!きりん箱で……」



するとそこにはもうグラストとゼノーシュがいて、黒い髪の人物を拘束していてくれた。

後で凄惨な報復を果たしてみせると呼吸を荒くしたネアに、ディノは嬉しそうに頭を撫でて宥めてくれる。



「あれはね、地崩れの花の精霊なんだ」

「…………あの方が?…………あ、」



言われて驚いてしまってから、ネアは、先程掴みかけたことに、もう一度辿り着く事が出来た。

目を瞠ってディノを見上げると、頷いてそうだよと肯定してくれる。



「これは、…………去年のことの復讐なのですね?」

「恐らくはそうだろう。それが理由の全てなのかどうかは分からないが、あの精霊を惜しんだ者がいたのだろう」

「…………昨年、仮面にされて焚き上げられてしまった地崩れの花の精霊さんの、恨みを晴らす為に…………」



植物の系譜の精霊は、呪ったり祟ったりし易いと言われている。

だからこそ昨年は、あの山車人形を正式な焚き上げの儀式の中で浄化した。


けれどももし、そんな様子を系譜の誰かが目にしたのなら、山車人形になって目を覚ました王族の誰かを、ホールルの焚き上げで喪ったという認識だったのだろうか。



「けれど、人間を捕食する地崩れの花の精霊が、食料という認識の人間達と連携することは珍しい。人間の側にも理由はあるのだと思うよ」

「襲って来たのは、精霊さんだけではないのですね…………」

「この、異形の人形達の仮面は、人間が彫り整えたものだ。そうなると、少なくとも一人は人間なのではないかな。君が見付けた人間もその仲間かもしれないね。………さて、精霊となると少し厄介だね。壊してしまうにも呪いを得やすいから注意しなければ」

「……………きりん箱」

「…………そうなるのかな」



ご主人様の提案に魔物が少しだけ慄いたところで、ネア達の前に本日の救世主がやって来た。




「ムイ」



その鳴き声にはっとすると、焚き上げ場での作業を終えたものか、肩にトルチャを乗せたエーダリア達がこちらに来るのが見えた。

本日は休暇中のダリルの代わりに指揮を取っているヒルドの姿はないが、頼もしいことにノアもいるではないか。



「エーダリア様!ノアも!!」



ぱっと顔を輝かせたネアに、ノアが神妙な顔で凛々しく頷いてみせる。

今日は荒ぶる祝祭のお付きなので、どこか魔術師らしい不穏さをあえて少し表に出したような、黒いコート姿だ。

こうすることで、エーダリアの守り手として周囲を牽制しているのである。



「うん。僕が来たからもう安心していいからね」

「ムイ?」

「ありゃ、僕じゃ頼りにならないって言われたんだけど………」

「…………ディノが、負傷したと聞いたのだが」



そう、鳶色の瞳を曇らせたエーダリアに、おやっと思って振り返ると、ディノが意識を奪った黒髪の精霊を拘束していたグラストが頷いてくれた。


どうやら、そのこともエーダリア達に報告してくれたようだ。



「ご心配をおかけして申し訳ありません。ディノが、私を庇ってくれて、手を怪我してしまったのです」

「うーん、シルが傷を負うとなると中々の階位だったのかな……………」

「こちらの結界を引き剥がす為に、対価を伴うような魔術を使ったようだね。私達を損なう為に己を引き換えにするくらいの覚悟はあったのだろう」

「……………ありゃ、それは厄介だなぁ。確か去年のあれは女の精霊だったし、今年は男か。それでかもなぁ」



そう呟いて腕を組んだノアベルトに、エーダリアは熱心にディノの様子を見ている。



「…………ディノ、大事ないのか?もし手当や浄化が必要ならばすぐに言ってくれ」

「……………すぐに治してしまったよ」

「エーダリア様、今、ディノがささっと視線を彷徨わせたのは、ちょっぴり照れたのです。心配されて嬉しかったみたいですね」

「…………ご主人様」



思っていたより心配されて少し落ち着かなくもぞもぞした魔物は、そんな内情を暴露されて困ったようにネアの方を見た。

エーダリアも慌ててしまい、ノアがそんな契約者の姿に面白そうに微笑みを深めている。



「…………その精霊が、今回の?」

「ああ。植物の、それも人間を襲う系譜の者だから、用心して排除した方がいい。少し扱いを考えるよ」

「ムイ!」

「…………トルチャ?………焚き上げてしまうのかい?」

「ムイ!」

「…………確かに祝祭の日の君であれば、可能だとは思うけれど…………」

「ムイッ」



小さなもしゃもしゃ羊からの思わぬ提案に、ネアとエーダリアは真顔で顔を見合わせた。

人型のものを焚き上げてしまうとなると、いささか心の負担が大きかったのだ。



「いや、そのだな……」

「わーお、それいいね。後腐れなくなるし、それだ!」

「ノアベルト?!」



少し離れた位置にいるグラストにも聞こえたのか、若干呆然としている。

しかし、人間達が困惑の面持ちでおろおろする中、ゼノーシュはきりりと頷くと、捕縛していた意識のない精霊の男の襟首を掴んだ。

そしてそのまま、えいっと思わぬ豪腕を見せてディノが押さえてくれている蜥蜴人形の上に放り投げてしまう。



ばすんと物凄い音がした。




「ゼノーシュ?!」



呆然としたグラストに、暗い目の見聞の魔物が振り返る。



「グラストを襲ったんだよ。仕方がないと思う…………」

「ほわ、ゼノのお顔が………」

「ありゃ。でも確かに、契約の人間を狙われたなら仕方ないかな」

「ムイ!」

「トルチャ?!待ってくれ……わあっ?!」



勇ましく胸元から杖を出し、ぴっと振って魔法少女のようにきらきらする光を振り撒いた焚き上げの魔物に、珍しくエーダリアが取り乱している。



「ムイ!」

「ほら、エーダリア諦めなよ。もう始まっちゃったからさ」

「し、しかし幾ら何でも……」

「これは焚き上げだよ。手法がちょっとあれだけど、調伏と変わらないさ」



魔物達はさらりとしたものだ。


エーダリアとグラストががくりと肩を落とす中、ネアも、まさかの焚き上げの事態に眉を下げる。



「………………ほぎゅ」

「うん。君はこうして顔を伏せておいで。………エーダリア、大まかな魔術の繋ぎは見付けてあるから、彼を焚き上げてしまっても今回の件で彼に手を貸した者達を探すことに支障はないよ」

「あ、ああ。…………だが、……………ああ…………」

「ムーイ、ムイッ!」




ネアは、ディノが音の魔術を展開してくれたようで、幸いにも背後の阿鼻叫喚の音は聞かずに済んだ。


こちらから見えているエーダリアの表情が壮絶なので、きっととんでもない光景なのだろう。


めらめらと燃える炎の影と、ちびこい塊が跳ね回る影が足元の石畳に伸びていて、ネアはちょっとだけ夢に出てきて魘されそうだなと慄いた。




「………それとディノ、ノアは火を見ていても大丈夫そうですか?」



途中で不安になってそう尋ねると、こちらを見たディノが小さく微笑む。



「うん。大丈夫なようだね。………ノアベルト、見ていても平気かい?」

「………ありゃ。エーダリアやヒルドと同じことを心配された」



顔を上げられないので表情までは判別出来なかったが、声の響きからするとノアは少し嬉しかったようだ。


魔物の目には、焚き上げの炎は同じ炎でも普通の炎とは少し違うものに見えるらしい。

だから、火への苦手意識を克服したことで、これだけの業火でも特に気にせずに済むようになったのだとか。




「ムイ!」

「うん、終わったね。エーダリア、これで会場に戻れるよ」

「む。もしや、焚き上げ会場での仕上げはまだ終わっていないのですね?」



終わったと言われて安心して顔を上げたネアは、その言葉に慌ててエーダリアの方を見る。


すると、まだ若干呆然としたままのウィーム領主は、こくりと頷いた。



「…………ああ、今は会場でその準備をしているところだな。グラストからの報告を聞いて、先にこちらにトルチャが必要なのではと思ったのだが、…………無事に解決したようだ」

「……………焚き上げられてしまいましたね」




ネアは、焚き上げを終えて決めポーズからの、ちびこい足でてけてけ走って弾んでいる煤色の羊のぬいぐるみのような生き物を見る。



とても愛くるしくも見えるものの、これは焚き上げのある祝祭においては絶大な力を誇る、立派な魔物なのであった。



(そして、ゼノも、勿論ディノも。…………みんな、あの精霊を許さなかったのだわ………)




勿論ネアとてきりん箱に放り込む事は吝かではなかったので、この焚き上げという手法は理に適っているのだろう。

だが、あらためて魔物達の容赦のなさも垣間見た一日となった。




かくして、襲撃事件はあったものの今年のホールルも無事に幕を閉じた。



焚き上げ会場での姫人形とのお別れの儀式では、製作者の男性は咽び泣いていたそうだ。


襲撃事件の主犯格の一人は、その夜にガーウィンの国境域にある古い教会で命を落としたらしい。



どんな采配でそうなったものかを、ネアは知らない。

自分達の助けが必要になるまでは知らずにいても良いことだと考えているので、翌日ヒルドからもう大丈夫ですよと言われたので、微笑んで頷いておいた。









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