ドレスの採寸と誕生日のダンス
「さぁ!秋告げのドレスを作りにやって来ましたよ!万象の君は今日もまだ、お誕生日なのですよね。さくさく済ませますから、これでお二人楽しまれて下さいね!」
その日、つむじ風のようにしゅばんとリーエンベルクを訪れたのは、仕立て妖精のシーであるシシィだ。
今日は柔らかなピンクベージュのパンツスーツで、その萌黄色の瞳や髪の毛とはぴったりの色合いである。
秋というよりは桜の木のような色合わせなのに、ぬくぬくとした手触りを感じさせる毛織りのスーツの素材で、これからの秋を感じさせるのがまた玄人の技ではないか。
ネアはなんて素敵な装いだろうと心を躍らせたが、残念ながらこの色合いの洋服はネアには似合わない。
全体的な印象がくすんでしまうのだ。
「シシィさん今回も宜しくお願いしますね。それと、練習用のドレスを有難うございます」
来るなりにんまり笑顔で手渡されたのは、大きな紙袋に入った一着のドレスであった。
シシィの腕であれば試着用に無駄なドレスを作ることなどは必要ないのだが、これはディノへの誕生日の贈り物でもあるのだとか。
「ふふふ。ネア様のお身体の柔らかさをこれでもかと出すものにしましたから!これはもう、踊った後はとんでもないことに…」
「シシィ?」
冷たい声でその名前を呼んだヒルドに、仕立て妖精は渋面になる。
手を、まるで邪魔者を追い払うようにひらひらさせた。
「まったく、堅物のヒルドにはその危うさが育てる女の魅力は分かりませんかね。これだけの素材をお持ちなのですから、それはもう立派な武器として花開かせるのが仕立て妖精の役目なんですよ」
「ほわ、またしても復讐の道具に…………?」
「いえ、今日のこれは婚約者様を籠絡する為のドレスですから!」
シシィが今日届けてくれたドレスは、秋告げの舞踏会のドレスの形を見る為の試作品である。
以前から新しい形のものを試してみたいと言われていて、その雰囲気としては秋のものだろうと今回に適応されることになったのだ。
この試作品の何の飾り気もないドレスは、練習着として日常からダンスを楽しむ為にどうぞという贈り物にする為に、淡い青みがかった白灰色になっている。
ネアは、今日はせっかくなのでそんなドレスを着て、リーエンベルクの広間でディノと踊ろうと思っていた。
「では、軽くお身体に変化がないかどうかを測りますね。…………あら、腰回りが少し変化しましたね。殆ど変わりませんが、僅かに………」
「むぎゃ!や、痩せます!!」
「このくらいでしたら、食べた物かもしれませんね。婚約者様のお祝いで、たくさん食べたのでは?」
「………………む。そう言われてみると……」
ネアはほっと胸を撫で下ろし、長椅子の影に隠れている魔物達を振り返った。
あの後、あまり遅くない時間でヨシュアはイーザの元へ送り届けられ、ウィリアムは戦場に戻ってゆき、アルテアも今朝早くにどこかへ旅立った。
ノア曰く、アルテアは昨晩引いたアヴェトリーカードで少しだけ焦ったのかもしれないそうで、魔物らしい悪さをするに違いないと言う。
ウィリアムのカードの謎はそのままだ。
いつか教えてくれるのかなと首を傾げたネアに、ノアがあれは男の欲だろうなと神妙な顔で語っていたので、乱痴気騒ぎ的なカードを引いてしまったのだろうか。
ウィリアムにはお酒を飲んで迷惑行為に及ぶ印象はないが、ちょっと羽目を外して大声で歌ってみたり水路に飛び込んでみたいという抑圧された願いはあるのかもしれない。
ネアは、もしそうなってしまっても、引かずにいてあげようと心の準備をしておくことにした。
ふわりと、体を屈めて採寸をしてくれているシシィの柔らかな肌の香りがした。
瑞々しい果実のような甘くて爽やかな香りで、ネアはくんくんしないようにぐっと堪える。
「…………胸も少し増えましたね。それと、腰の後ろ側は少しだけ右に偏っているので、姿勢にはご注意を。……………後は概ね変化なしですね」
「はい。姿勢には気を付けますね」
こんな風に、シシィの採寸では日常生活で偏ってしまう体の癖なども教えてくれる。
ネアはその度にきちんとバランスのいい動きを心がけるのだが、そんな風に意識して過ごすことは、俄か運動選手な気持ちでちょっと楽しかったりもするのだ。
「手触りや体に吸い付くような質感だけなのかい?」
真剣に採寸をしてくれているシシィにそう尋ねたのは、本日ディノのお祝いに来てくれたダリルだ。
ディノには何か本を贈っていたが、昨年の迷路とは違って今年の贈り物は秘密なのだそうだ。
今年で婚約期間が終わるからねとにやりと笑っていたので、ネアはまさかそちらの専門技術の指南書ではないかと内心はらはらしている。
アルビクロムへの武者修行まで後少し、これ以上ディノに進化されてしまっては困るのだ。
「ふっふっふ。勿論、お襟元は半円にぐぐっと開けますよ。ただし、谷間を覗かせて鎖骨を強調するくらいで、このドレスの最大の特徴は寧ろ覆われている部分ですから!」
「…………復讐の道具に」
「それも勿論ありますが、ネア様はね、とっても創作意欲をそそるんです。理知的で清楚なお顔にこの体と、力強いその言動。過去に私の夫を禁術の材料にしようとしたあの男が、目元を押さえてくらりとしたり、他の舞踏会の参加者から隠そうとじたばたするところを思うと…………」
「…………どこまでも復讐の道具です。………それと、シシィさん。ルグリューさんにはとても良くしていただいたので、アルテアさんが悪さをしようとしていたら教えて下さいね。懲らしめます!」
ネアがそう言えば、シシィは猫のような瞳をきゅっと細めてほほえんだ。
いつもの仕立て妖精の顔ではない、愛するもののことを思う眼差しに、ネアは何だか嬉しくなる。
「有難うございます。でも、もう大丈夫ですよ。あの時に母の伝手からお願いして、ウィリアム様に力を借りましたからね。お陰様で夫は無事に最悪の時を脱しましたので、もうアルテアが禁術の材料にする要素もなくなりました」
「何か狙われてしまうご事情があったのですね。無事にそこを脱されたようで良かったです。砂風呂では、本当にとても良くしていただきました」
「……………まったく、選定の儀式なんかに巻き込まれて災難でしたね。地竜は勿論気のいい人達も多いんですが、性質がまばらなんで時折我慢ならない連中も混ざっているんですよ」
そんな感想には親戚付き合いで苦労でもしたのか、かなり深い感情が見え隠れしている。
血統によって受け継がれるもの以外にも、気質として大らかで優しい地竜と、荒々しく強欲な地竜がいるそうなので、確かに後者の者達と付き合いがあるのなら苦労しそうだ。
「さて、ネア様。お色ですが、この深みのあるこっくりとした薔薇色に裾のレースが黒、煙色がかった濃紫に、レースが灰色。………こちらの紺色にラベンダー色のレースも悪くありませんね。…………ドレスの種類がまるで違うので昨年と同じ色味でも構いませんが、……………紫ですかね」
「どれもとっても綺麗な色合わせですが、この紫色は光の角度で濃い色合いから一転して藤色がかった銀灰色にも見えるのが素敵ですね。こんな不思議な色の織物は初めて見ました」
「真夜中の影を白々と染める泉の輝き。光と闇の相反する色合いのものから紡いだ糸なんですよ。………ほら、こうして手で触れるとまた色合いが変わります」
「まぁ、なんて素敵なんでしょう!ディノ、見てください」
ネアはそう言って振り返ったのだが、採寸の為にアンダードレス姿だからか、こちらを見ていた魔物はびゃっと長椅子の影に隠れてしまった。
(アンダードレスといっても、こちらのものは充分に夏用のワンピースとしても通用しそうなものなのに…………)
なぜ恥じらうのだろうと首を傾げていたネアに、小さく笑ってダリルが教えてくれた。
「そりゃ、胸の角度を見る為に持ち上げられているからねぇ…………」
「……………む?着衣の上から寄せて上げて貰っているだけなのでは…………」
ここにいるのがまだ恋愛経験もないような少年なら兎も角、ある程度の悪徳を一通りは経験済みな長命な魔物達である。
そこにどのような心が動いたかという区別こそあれ、経験値ではかなりのものに違いない。
「不思議なディノとノアなのです。…………むきゃ?!」
首を傾げたところで、お尻を掴まれて形を測られた。
「…………シシィ」
「やだやだ、ヒルドは叱る癖にしっかり見ているじゃないですか」
「ああ、ヒルドはそういう陰湿な愛で方をする面倒臭い男だからね。こういう男が拗らせるとかなり狡猾に立ち回るだろうよ」
「おや、邪推しますね。私はただ、そちらの仕立て妖精がネア様に無理をさせないか見張っているだけですよ」
「へぇ、鏡で自分の顔を見てみたらどうだい?」
そんなやり取りを始めた妖精達から視線を戻したネアは、見本として用意されたレースをうっとりと眺めた。
紫のドレスに使う灰色のレースは、秋の夜明けの森の霧を紡いだものだ。
ところどころがきらりと光り、朝露が結晶化して糸に混ざり込んでいる。
今回は髪の毛は纏めて上げるらしく、秋の草花を使った宝石の髪飾りで仕上げるらしい。
ドレスの襟ぐりの美しいラインを際立たせるようなデザインにするのだ。
「うん、ここにもう少しだけ………それと、靴は足元の馴染みを良くする為に、肌の色に一番近いこの淡い白灰色のお色の革で。染色を入れて、爪先と踵の辺りだけに血色が滲むような色合いを入れます」
「とっても柔らかくて綺麗な革ですね。動き易い靴になりそうです」
「あれこれの踊りやすさを考慮した守護や祝福は、アルテアにかけさせておきますからね。それと、肘の少し下までの体に添うお袖ですので、左手首には灰色の系統の小さな宝石を幾つも繋いだ腕輪をつけましょう」
「そこにも血色の色を混ぜたら?」
「あら、ダリルのその提案はいいですね!」
今回は刺繍はないのだなと考えていたら、袖口に一周ぐるりと刺繍を施すそうだ。
体の形に左右されない部位だから、今日はアーヘムの来訪はないのだろう。
「ディノ、そこから出てきて下さい!立て篭もりの時間はお終いですよ。シシィさんからディノへの贈り物として貰った試作品のドレスを着たので、一緒に踊って下さいね?」
「ネアが虐待する……………」
その暫く後、シシィとダリルが帰り、ネアはいただいたドレスに手早く着替えた。
手触りや質感は天鵞絨に近い布地のドレスは、ぴったりと肌に吸い付くようでとても軽く、着ていて堪らなく気持ちいい。
ご機嫌でくるりと回ったところ、なぜかヒルドは口元を覆ってしまった。
「細やかにきらきら光って、積もった雪の表面のような素敵なドレスですよね。確かにこの色合いだと冬になってしまうというのは分かりますが、実はこちらの生地の色の方が好きかもしれません」
「…………ええ。とてもお美しいですよ。それとネア様、そのドレスであまり屈まれませんよう。…………体の輪郭を拾いますからね」
「むむ!で、では、…………屈む時にはお腹を引っ込めます」
やはりお腹周りかとネアが慌ててそう言えば、なぜかヒルドは困惑したように視線を彷徨わせていた。
微かに羽が光っているようにも見えるが、光の加減だろうか。
「ディノ、そこから大人しく出てくるのだ!」
「…………ネアが虐待する」
「二日目のお誕生日の内に、あの広間で踊りましょう?」
「かわいい…………ひどい」
「なぜに酷いという評価なのだ。それとも、…………あまり踊りたい気分ではありませんか?」
もしやと思ってそう尋ねると、ディノはふるふると首を横に振る。
そして、このままではネアに誤解されてしまうと思ったのか、そろりとこちらに出てくると、さっとネアを抱き締めた。
「ディノ?」
「これで、君を誰にも見せないからね」
「……………もしかして、そんなに腰回りが大変なのでしょうか?」
「君の腰周りはとても綺麗だから心配しなくていいよ。…………他の部分かな」
「他の部分…………?」
ネアは、他の部分のお肉がまずいのかと眉をへにょりと下げた。
するとディノは少し困ったように微笑んで、頭のてっぺんに口付けを落としてくれる。
「とても可愛いから、見ていると…………落ち着かなくなるんだ。ごめん、不安にさせたね」
「お、お肉がつき過ぎなところがあったら、他の方を呆れさせてしまう前に、ディノが教えてくれますか?」
「君はどんな時もかわいいけれど、君にとってそれが不安の種になるのなら、その時は言うから怖がらないで」
「…………ふぁい。素敵なドレスを貰って、自信満々で着て似合っていなかったら悲しいのです」
「シシィは似合わないものなど用意しないだろう。だから安心していいよ。彼女は、自分の作品には誇りを持っているからね」
「…………は!そうでした。シシィさんが見立ててくれたのなら、間違いはないのです!!」
安心して微笑みを浮かべ、頬を撫でてくれた魔物を見上げる。
するとなぜか、目元を染めてどこか悩ましげに視線を彷徨わせてしまう。
「……………むむ」
「可愛い…………」
婚約者は若干弱ってしまったが、これも魔物なりの褒め言葉なのだと思うことにして、ネアは受け止めることにした。
「みぎゃ!」
「ごめん、このドレス、つい触ってみたくなるよね」
「むぐる!背中をつつっとするのはやめるのだ」
「ネア様、ネイは別室でゆっくりと叱っておきますから、ご安心を」
「ごめんなさい…………」
ディノが落ち着いたところで、ネアはノアから尾てい骨のあたりを指先でなぞられ、飛び上がった。
幸い、腰回りは問題ないと保証して貰ったばかりなので、恨めしく振り返るだけで済む。
ノアは、謝罪をしたもののなぜか引き続き真剣な眼差しでネアを見下ろしていたが、素早く行動したヒルドがノアを捕獲してしまい、そのまますぐに部屋から連れて行ってしまった。
個室指導ということで、少しばかりこの先が思いやられる。
「…………大広間にゆきましょうか?」
「……………うん」
ふっと、顎先に添えられた指がネアの顔を持ち上げる。
ぎくりとするような、お腹の中がざわりとするような。
そんな感覚に慌てて目を瞑り、唇に触れた温度を受け止めた。
甘やかな、けれどもそれはどこか残酷で魔物らしいしたたかさで。
抱き寄せられた体から伝わる体温に不思議な酩酊感を覚えつつ、深い口付けの合間にひたりと微笑む魔物の気配を感じている。
怖いと感じないのは、満腹の獣のような表情のその奥に、例えようもない安堵を滲ませた幸福感を隠しているからだろうか。
欲するものがあるというその歓喜に触れて、ネアは大切な魔物を抱き締めた。
「……………っ、」
「…………やっぱり君は溺れないね。なぜだろう、こうして捕まえていても、私を抱き締めてくれているみたいだ」
「……………それはきっと、ディノがとても大切な魔物だからなのだと思います。だから、こうやって触れると、私にとってのディノがどれだけ大事な存在なのかがディノにも分かってしまうのでしょう。…………む、死にました」
がくりと崩れ落ち、ネアをぎゅうぎゅう抱き締めてへなへなになってしまった魔物を支えながら、ネアは遠い目をする。
こうやってすぐに儚くなってしまうからこそ、溺れるというよりは抱き締めるのだと思わないでもなかったが、以前、少しだけ深めた練習の後でネアの評価がとても残酷だったと落ち込まれたことがあったので、あえて口にはしなかった。
その時の評価については、とても普通だったと褒めただけだったのだが、魔物は酷く怯えた顔をしていたので、表現の仕方を間違えたのかもしれない。
だが、個性を褒めると特定の趣味の技術を披露されそうで、とても慎重にならざるを得ない。
「ディノ、……………踊りましょう。私は今、未来への不安を感じてしまいました」
「……………何か怖いことがあるのかい?」
「でも、どんなディノでも大事にしますからね。ただし、一日に与えるご褒美の上限は厳しく管理します」
「ご主人様……………」
なお、このご主人様呼びも婚約期間の終わりと同時に撤廃しようと考えたのだが、魔物自身がこの呼び方は渡さないととても荒ぶってしまった。
どうやら、自分が呼ばなくなると使い魔であるアルテアのものになってしまうと考えたらしい。
ネアとしてもご褒美の上限の取り締まりや、魔物として暴走した時の躾などを考えると、こちらの運用も残しておいた方がいいかなと、その撤廃は見送ることにした。
冬の大広間に到着すると、よれよれしながらも、水紺色の瞳を輝かせているディノの手を取りながら、ネアは前途多難だがとてもあたたかな未来を思った。
なおこの日、ダンスの後でディノはドレスが虐待すると少しだけ寝込んでしまったので、ネアはエーダリアからあまり魔物を酷使してはならないと叱られる羽目になった。