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310. 贈り物は力作です(本編)




「ディノ、目を覚ましましたか?」



膝枕をしてやっていた魔物が目を覚まし、ネアは微笑みかける。

目元を染めてご主人様が近いともじもじする魔物を起き上がらせ、そろそろ退出だというシェダーを見送らせる為に、ぐぐいっとそちらに押し出した。



「後から来ておいて申し訳ありません」

「…………いや、私も倒れてしまったからね」

「いえ、五分程でしたよ。それに、…………シュプリや食事を振舞って貰えただけではなく、とても幸福な時間でした。…………俺は、今日のことは忘れないでしょう」



そう微笑んだシェダーに、なぜかディノがはっとした。

ギードも顔を上げ、ネアはこれはまたと眉を顰める。



「あら、もっと凄いかもしれない来年のお誕生日で上書きされてしまうかもですよ?さぁ、お祝いのケーキをお土産にしますね」



なぜかすとんと温度が下がるような不思議な言葉を口にしたシェダーは、そんなネアの言葉に静かに目を瞠った。

見えない糸が、するするとシェダーとこちら側の間に引かれたような気がして、ネアはそれを空気も読まずに踏み千切ったのである。



「………来年も?」

「ええ、来年もです。ディノのお誕生日ではなくてもまたお会いすることもあるかもしれません。何しろ私とシェダーさんとちびふわは、苦難を共に乗り越えた仲間なのですから!ゾーイさんが脱走しましたので、今後の欠員は許さない所存です」

「…………それは、………逃げられないかな」



そう微笑んだシェダーの星空のような瞳には、やはり理由の見えない深い安堵が滲む。

ネアは、よく分からないもののあんな糸は踏んでしまって良かったのだと、内心深く頷いておく。



「……………ネア、有難う」

「ディノ?」



そんなネアにディノがそっと寄り添った。

殆ど本能的にしたことだったが、これで正解だったようだ。



多分、何かがあったのだ。

魔物達が一瞬ぎくりとするような、シェダーが解放されてほっとするような、不可解で良くないものが。




「でもケーキを切るのだね………」

「これは幸せになりましょうのケーキなので、みなさんでいただくのが素敵ですからね。怖いものや悪いものもぽいっと排除する、特別なケーキです」



ネアは、ディノの立ち合いの下に急ぎお誕生日ケーキを切り分け、シェダーにも一切れお土産で持って帰って貰った。


顔を顰めたアルテアが慎重に作り手との縁を切っていたが、これはディノのお誕生日ケーキなので、やはり彼にも食べて貰いたかったのだ。



そんなシェダーは、魔物としての贈り物は出来ないのだがせめてと、贈与の魔術の縁を切ったお菓子の詰め合わせを置いていってくれた。

困ったものを繋がないようにウィームで買ったのだと言うが、ザハのお菓子だったのでネアは何だか微笑みを深めてしまう。




シェダーが帰ると、深い溜め息を吐いて、何やらウィリアムとギードが頷き合っている。

もう話せるのかなとじっと見つめたネアに、ディノが先程の張り詰めた一瞬の訳を教えてくれた。




「あれはね、恐らく彼の魔術の対価だったのだと思う」

「……………もう来られなくなるぜ的なことを、私達に伝えたことがですか?」



そう首を傾げたネアに、少し離れたところにいたエーダリアが、お皿を置くとすすっとこちらの輪に寄って来た。

それはとても込み入った犠牲の魔物特有の弊害であるらしく、一言も聴き逃すまいと表情を引き締めたエーダリアは、ヒルドに溜め息を吐かせている。



「彼は既存の魔術をそこに配列された階位に邪魔されることなく、望むように書き換えられる魔物だ。………けれども、それだけ無尽蔵な技術を持つからこそ、彼の扱う犠牲の魔術は、必ず対価を必要とする。………先程の言葉はそんな対価の一つだったのだろう」

「即ち、シェダーさんの願いを叶える為に、対価としてあのような発言をする必要があったのですね?」

「こちらで見聞きしたもの以上に、幾重にもそんな対価と願いを織り上げて、複雑に条件付けしてあった筈だ。単純なもの程影響が大きくなるから、かつての犠牲の魔物は、いつも一度に複数の魔術を織り上げ、対価の支払いや自身への負荷を軽減していたからね」



(それは例えば、チェスで何手も先までを予測するようなものなのだろうか……………)



そんな計算を常日頃必要とされるのであれば、彼が特別に器用な魔物だと言われるのも頷けた。



「彼は、対価に強いられてああ言わなければならなかった。だが、もしこうなればその対価を支払わなくてもいいというような、対価を相殺する為の条件付けをしたんだろうな。ネアの返答は、彼が支払わなければいけなかった対価を取り払う活路だったんだ」



そう教えてくれたウィリアムに、ネアはふむふむと頷いた。

犠牲の魔物の固有魔術は、その対価に目を向けて犠牲と呼ばれるものの、資質の持つ最も強い力は願いを叶えるという側面にこそあるのだそうだ。



(もう来られないと暗に匂わせた言葉を、誰かに否定されることが、その身を軽くしたのだろうか…………)



相変わらず細かいことは分からなかったが、終わりよければ万事よしなので、ネアは優秀な己の直感を自画自賛し、ふんすと胸を張った。



「俺からも礼を言わせてくれ。彼はまたここに来られるとなって、とても嬉しそうだった。…………それと、俺も、もうそろそろ失礼しようと思う…………」

「まぁ、ギードさんも帰ってしまうのですか?」

「昼からいたので、随分と長くここにいるような気がするんだ………」

「ふふ。ではケーキをお皿に取りますね。ケーキを食べていかれるくらいのお時間はありますか?」

「シルハーンの誕生日ケーキ…………」



ふるふるしているギードのお皿にも取り分けたケーキを置いてやったが、なぜかアルテアが違うお皿と変えてしまった。

ネアはそちらの方がクリームのお花が少ないカットだったので、絶望の魔物は、実は甘いものが苦手だったりするのかなと首を傾げる。



「はい。ディノにはこちらです。お花が一番綺麗な部分で、お誕生日おめでとうのプレート付きですからね」

「……………食べたらなくなってしまうのだよね」

「ええ。その代りにまた来年もやって来ますし、ケーキだけであればまた作ってあげますよ?」

「うん。…………ネア?」



ネアはここで、自分のお皿のものをフォークで一口すくい、えいっとディノのお口に入れてみた。

頬を染めてへなへなになるディノを見て、ギードが嬉しそうに目を輝かせている。



「よし。今年は僕も手に入れたぞ!」

「……………何の抗争が起きていたのでしょう」

「そりゃ、クリームの花がたくさんあるところを取らないとだからね」

「むむぅ。確かに今年はクリームだけブルーベリークリームでしたので、お味が違うと欲しくなってしまいますよね。その代りに、どのカットにもお邪魔するようにはしてあるので、…………アルテアさん?」


すすっと隣に立ったアルテアのお皿にあるのは、先程ネアがギードにあげようとしたカットだ。

立派なクリームのお花が咲いているいい部分なのだが、なぜかそのお皿を満足げに見ている。

こちらはちびふわ時の影響もあり甘党が加速しているのかもしれないので、ネアは満足げに頷いた使い魔からそっと目を逸らした。



「………でもあれ、ネアとしてはギードにあげようとしたやつだしね」

「いいんじゃないか。本人が気にしないなら」

「そういうウィリアムが、一番いいカットを持ってるのが理解出来ないなぁ…………」

「たまたま、この部分に面したところに立っていたんだ。ほら、ゼノーシュのものもそうだろう?」

「ゼノーシュは狙ってあのカットを取ったからね。…………ありゃ、ヒルドも持ってる?…………そうなると、僕のケーキは割と普通な感じだったってこと………?」

「クリームのお花は、どの部分にもあたるようにしてあるのですよ?ただ、ディノはカットしたケーキの上の部分が全部お花になる位置ですし、ウィリアムさんはその隣のカットですから………」

「わーお、腹黒いぞ!」

「やれやれ、そう絡まれてもな………………」



みんなでケーキを頬張り、ネアは美味しいと褒めて貰って幸せな気持ちで頷いた。

あちこちの達人に指南して貰ったので上手く出来て当たり前なのだが、自分でも美味しいと感じられる出来なので、やはりディノの誕生日に傑作を仕上げられて嬉しい。


ディノは一口食べるごとにきゃっとなっており、お皿の上が空になるとしょんぼりした。

そのずっと前にお皿を空にしてしまったゼノーシュは、お料理の残りにまた戻るようだ。



「……………とても美味しかったよ。ネア、ケーキを作ってくれて有難う」

「どういたしまして。とても喜んでくれたので、またお誕生日ではない日にも、普通のケーキを焼きますね」

「ご主人様!」

「それと、そろそろお誕生日の贈り物を発表する頃合いです。ギードさんがいる内に、私のもう一つの渾身の作品を発表してもいいでしょうか?」



ネアがきりりとそう宣言すれば、ディノは目を瞠って小さく頷いた。

空っぽになったケーキ皿をテーブルに置き、どこか頼りなげに周囲を見回している。


そんな魔物の手を取って、ネアは小さく微笑みかけた。



「実はね、直前で贈り物を変更したのです」

「……………そうなのかい?」

「ええ。本当はこの贈り物は来年にする予定だったのですが、考えてしまったら我慢出来ませんでした。そして、そんな素敵なものが作れると教えてくれたのはエーダリア様で、手伝って材料を一緒に集めてくれたのは、ヒルドさんとノアなのです。だから、これはまた、みんなからの贈り物でもあるんですよ?」


そう話しながら、ネアは準備して部屋の片隅に魔術で隠してあった大きな包みを取り出す。

柔らかな艶のあるサテン地の内側を天鵞絨貼りにしてあるその袋は、ノアが注文して作ってくれた妖精の保管袋だ。

中のものを損なわず、風合いまでをずっと維持してくれる最高品質の衣装袋なのである。



「……………ここにも、文字を入れてくれたのだね?」


瞳を伏せてその文字をなぞると、ディノはほろりと微笑んだ。

保存袋の真ん中には、お誕生日おめでとうディノという優美な金色の文字が踊っており、今日の日付と、参加者達の名前が映画のクレジットのように記されていた。


製作者の名前にネア、現場提供者にエーダリア、材料調達にヒルドとノアと書かれているので、これを見るだけでもみんなからの贈り物だと一目で分る仕様であった。



「私は直前に贈り物を変えてしまったのに、みなさんは嫌な顔一つせずに、ではこうしたらどうかと色々な助言をくれて助けて下さったんですよ。ほら、ここに外部協力者の方々の名前もあります。今日は来られないので明日お祝いを言いに来てくれるそうですが、ダリルさんも時間の止まった呪いの迷路を提供してくれました」

「…………呪いの迷路が入っているのかい?」

「ふふ。制作環境として必要だったのです。何しろ時間がなかったので、その迷路に入って作業をしなければなりませんでしたから。………でもね、そんな呪いの迷路のお蔭で私自身にはたっぷり時間がありましたので、ディノの為に丁寧に大事に作りましたからね?」

「……………君は、時間の障りのある場所で、長い時間を過ごしていたのだね?」

「僕がしっかり見張っていたし、ネアは手が早いからそこまででもないよ。シルが不安になる程の時間は欠け落ちてないから、安心して!」


慌てたノアがそう言葉を足してくれて、自分が知らない間にネアの時間が摩耗されていたのかと不安そうにしたディノも頷いた。


「ディノの知らない私は、合計すると数日間分くらいでしょうか。小分けに複数の日に挟んであるので、案外疲れないものなのです。ささ、開けてみて下さい」

「うん。………リボン………」

「巾着風の衣装袋になっているので、リボンできゅっとしてあるんです。ノアが、リボンのある袋の方がディノが喜んでくれると思ってくれて、この形になったんですよ!」



しゅるりと濃紺のリボンが解かれ、袋が開いた。

保存袋はしっとりとした厚手の生地なので、状態保存の魔術がかかっているものの、そのままでも何年かはへたらなそうな高価なものだ。


そしてその中から出て来たものを見て、ディノは一度、すとんと椅子に座ってしまった。

ふるふるしながら抱えているものをそっと両手で広げてみると、またくしゃりとなってネアの傑作を抱き締める。



「……………こんなに大きなものを、一人で編んでくれたのかい?」

「ディノのお誕生日にはやはり、その時に一番欲しいと思ってくれるようなものをあげたかったのです」



最初は、ディノの髪の毛を洗ってあげるのにもっと寛いで貰えるような、特注浴槽を準備しようと思っていたのだが、避暑地で、毛糸を紡いだヒルドとの編み物教室の時にディノが見せた、焦がれるような眼差しが気になったのだ。


部屋に帰ってから問いただしてみると、昨年の冬にウィームの街を歩いている時に、手編みの服の贈り物を貰えるのは家族としての最高の愛情の証だと話している老夫婦がおり、ずっと憧れていたのだと告白した。

となると、他のどんな編み物よりも先に編んであげるしかないではないか。


幸いにもネアは、普通の編み物の経験はある程度に積んでいたので、大至急エーダリアやヒルド、そしてノアに相談してみたところ、エーダリアが思いがけないことを話し出した。


ネアがこの世界に来て初めてのイブメリアが、どうやら影絵になっているらしいというのだ。


今はもう底上げされたところで固定されているものの、あの年のイブメリア前後に、ウィームには万象の魔物の喜びや祝福が満ち溢れ、歌劇場やリーエンベルクを中心にして土地の魔術基盤が大幅に育った。

その結果、そんな冬の情景が影絵になってしまったのだとか。


最近観測されたもので、リーエンベルク前広場からウィームの街、そしてイブメリアの歌劇場までがあるのだと知り、発見した騎士達と共にエーダリアとダリルで視察したばかりだったらしい。



「なのでその影絵の中をエーダリア様に安全に整えて開放して貰い、ヒルドさんにその中から毛糸を紡いで貰ったのです。ノアは、私が指定した風景の部分を魔術で補強して固定してくれて、そこからヒルドさんが毛糸を作ってくれたのですが、影絵というものの特性上そこには感傷などの心の織りも滲むのだとか。なのでこの毛糸には、不思議なくらいにたっぷりの祝福が詰まっているんですよ」

「…………………うん」



ディノが両手で広げもう一度抱きしめ直したのは、淡い淡い水紺色にも見える青や、飾り木の葉の淡い緑やオーナメントに煌めく色の影、そんな様々な色合いが滲んだふくよかな雪色の毛糸を、ネアが部屋着用のガウンに仕立てたものだった。

毛布大好きの、屋内でだけは謎に寒がりな魔物であるので、こんな羽織ものがあればいいかなと思ったのだが、気に入ってくれただろうかと、ネアはくしゃくしゃの魔物の顔を覗き込んだ。



「まぁ、……………泣いています」

「ありゃ、刺激が強すぎたのかな」

「ネア様、喜んでいただけたようで良かったですね」

「はい!」



ディノはその後、すっかり気に入ったガウンをいそいそと羽織り、自慢げにギードに見せていた。

ギードはいいものが見られたと幸せいっぱいで帰ってゆき、今回の運用で自信がついたので、また遊びに来ると約束してくれた。


お誕生日会はこれから、ヨシュアが絶対にやると言ってきかないカードバトルなども発生する見込みの混戦が予想されるので、案外その前に無傷で帰って貰ったほうが、ギードの今後の再訪の妨げにならずにいいかもしれなかった。




「イーザは編み物が出来るかな…………」



また羨ましくなってしまったのか、ヨシュアがそう呟く。


ネアは案外出来るかもしれないが、編み物まで強請られてしまいそうなイーザに申し訳なく思いつつ、今度はゼノーシュ達にガウンの自慢をしているディノを眺めた。



(セーターより編む分量が多かったけれど、やっぱりこちらにして良かったな)



セーターということも考えたのだが、何しろディノがセーターを着ている姿を見たことがない。


マフラーであれば一番手軽だが、誕生日の贈り物としてはいささか寂しい感じがしてしまう。

また、ディノが身に纏うものはかなり質も仕立てもいいものばかりなので、屋外で手編みのマフラーを巻かれてしまうと、若干ネアの公開処刑感も気になった。


なので、屋内で羽織れてふんわりくるまれる手編みのガウンにしたのだが、例え時間があっても、ノアが指先に疲労軽減の魔術をかけてくれたり、ヒルドによる編み方の指導などがなければ完成は難しかっただろう。

編み方のばらつきが目立たないように、少し風合いのあって仕上がりが均一になり過ぎないような毛糸を紡いでくれたヒルドの作戦には、感謝しかなかった。



「ディノ、まだガウンを羽織るのには暖か過ぎませんか?」

「少しだけ表層の気温を下げて着ているから、大丈夫だよ。ネア、…………有難う。誰にも損なわれないように、守護や結界を織りこんでおいたからね」

「なぬ……………」



ディノ曰く、食べ物や飲み物などの外的要因による一般の汚れに加え、経年による摩耗や劣化、はたまた、攻撃や呪いによる損傷も厳しく排除する仕様になったらしい。

ネアのように生き物ではなく、こちらは完全にディノの持ち物扱いになるので、手をかけられる守護の度合いはかなり高いそうで、ここまでの鉄壁の守りが実現したようだ。



「ずっとこれを着ているよ」

「ふふ。今回はお祝いのものなのでこっそり編みでしたが、また今度ディノの為に編み物をしますね。なので、これからも追加しますから、自分の体調や気温に合わせてのんびり使って下さい」



この部屋着が定番になると、ネアも触れることになるので手触りには細心の注意を払ってある。

滑らかにとろりとした肌触りの糸を紡ぐのは大変なのだが、ヒルドがそんな細やかな調整を得意とする妖精で良かった。

ネアは製作に関わった仲間達と顔を見合わせ、喜びを噛み締める。



「ディノ、それからもう一つ贈り物があったのですが、気付いていましたか?」

「……………贈り物、かい?」

「ふふ、ガウンについているボタンをご確認下さい。淡い水色の内側がしゅわりと虹色に光っている不思議な結晶石のボタンです」

「…………ついているね」

「ええ、このボタンの元になった結晶石は、ダナエさんとバーレンさんからの贈り物なのですよ。お二人が見付けた、雪明りの夜に月の回りに出来たおぼろげな虹からこぼれ落ちた石なのだそうです。色味がとてもよく合いましたので、みなさんと相談してボタンにしてつけました。羽織るだけだと寒いというときは、この隠しボタンで前を留めて下さいね」

「………………うん」



また少しじわっと涙目になり、ディノは嬉しそうにボタンを指で撫でた。

袖口は少し長めにして、折り上げられるようにしてある。

エーダリアに、万が一袖が足りないと事なのでと、そんな提案をされた時にはくらりとしたが、こうして着て貰うと頑張って良かったと思うのだ。



「ネア、僕達はもう帰るね。ディノ、また明日おめでとうって言うから」

「ディノ殿、ネア殿、本日は急な参加で申し訳ない。どうか、良い誕生日の夜をお過ごし下さい」



目のいい見聞の魔物は、この後に控えたカードバトルを警戒して早めの退出としたようだ。

となると残る七人でのカードバトルになるのではと思ってヨシュアの方を見ると、なんと長椅子の上ですやすやと眠ってしまっている。



「まぁ、…………寝てしまったのです」

「ああ、それならしないで済みそうだな…………」

「ありゃ、今度こそヨシュアに勝とうと思ったのに…………」

「む?もしかしてヨシュアさんは、カードが強いのですか?」


そう尋ねたネアに、アルテアも意外だったのか目を瞠っている。

すると、ウィリアムとノアは重々しく頷いた。


「ああ、ヨシュアは悪手も目立つがなぜかいつも勝っているな。こう見えてカードは強い。それにほら、もう夜だからな尚更だろう」

「……………すっかり油断していました。危うく負かされてしまうところだったのです…………」



ネアは、ウィリアムが言うのであればかなりの腕なのだろうと安堵に胸を撫で下ろし、そうだったのだなと息を吐いているエーダリア達と顔を見合わせた。



眠っている雲の魔物は無邪気さが隠れて、その怜悧な美貌が際立つ。

触れたら良くないことが起こりそうな無防備さであり、アヒルの人形を大切にしている魔物らしさは窺えない。


なお、そんなアヒルの人形と奥様のぬいぐるみは、潰してしまったりしないようにと長椅子の端にきちんと並べて置かれていた。




「ディノも知っていたのですか?」

「私も知らなかったよ。カードは強いのだね…………」

「むむぅ。危機一髪ですね…………。アルテアさん、負かされてしまわずに済んで良かったですね」

「いや、ヨシュアには勝てるだろ」

「その慢心で手痛い思いをしませんように。危険なので、頭髪だけは賭けないようにして下さいね」

「そもそも選択肢にも上がらないな」

「ありゃ、ネアは髪の毛に拘るなぁ…………」



いつの間にか夜は深まり、相変わらず空にはオーロラが輝いていた。

いつもの夜より明るい森にはあちこちから楽しそうな光が漏れていて、ディノはケーキを優先してしまったからか、今からお料理なども食べるようだ。




「ねぇ、これはどうかな?」



カード大会がなくなり一息吐いてのんびりしたところで、そう言って不思議な箱を取り出したのはノアだった。



こてんと首を傾げて見ていると、ディノも首を傾げている。

アルテアがどこか複雑そうな目でこちらを見たので、ネアは少しだけ唸って威嚇しておいた。




「アヴェトリーの占い札か」



そう言ってこちらに来たエーダリアが取り出されたカードを真剣に見ている。

色とりどりのカードは全部で二十枚ほどあり、一際鮮やかな真紅のカードにはしゅわっと流れ星が横切っていった。



「魔物達の間で、一昔前に流行った占い札だ。運勢を占うというよりは、もう少し短期間内に起こることや心情を占うものだな。解釈が曖昧だが、それなりに厄介なカードもあるぞ……………」

「と言うことは、アルテアさんはやったことがあるのですね………」



(タロットのようなものかな…………)



それにしては、アルテアが何やらウィリアムに耳打ちしている。

音の魔術を使って完全防音だが、ウィリアムは微笑んで首を振っていた。



「私も一度だけやったことがある。天気予報のようなものだと考えれば、当たることもあれば外れることもあると分かるだろうか」

「むむ。エーダリア様の説明で不安が吹き飛びました。流動的な結果が出て来るのですね?」

「まぁ、所詮は専門の予言者もいないし、系譜の魔術を使っていない占いなんだよね。その代わり気軽に楽しめるからさ、女の子達は大好きだったよ」

「ふむ。これを使って恋人さんと遊んでいたのですね?」

「ありゃ。…………それと、カードの中身は変わるからね」

「…………決まったものを引くのではないのですか?」



ネアは驚いてそう尋ねたが、まずはやってみた方が早いということで、ディノが最初に引いてみることになった。



「簡単なところから行くよ。アヴェトリー、今日の気分を記すよ」



呼びかけ方式で調査魔術が動くらしく、このカードは試験紙のようなものなのだとか。

外からの要因ではなく、触れる者の心や体から答えを汲み取り、そのカードに反映する。



「シル、一枚好きなものを引いてみて」

「…………これでいいかな」



ディノが引いたのは、裏返してあると灰色のカードの真ん中に小さな小鳥の絵があるものだった。

ぴらりとひっくり返せば、ネアはあまりの華やかさに驚いてしまう。




「まぁ!なんて美しいのでしょう!!」



そこに現れたのは、様々な花々が咲き乱れる美しい庭園であった。

祝福の光が揺れて、優しい風が吹き空には虹がかかっている。

こんな風にカードの中の絵になると特別なものに見えるが、まさしく先程までのリーエンベルクの庭はこんな感じだった。



「特に解説はないんだ。でもほら、このカードを見るとシルが幸せなのは一目で分かるよね。そんな感じ」

「私も引いてみたいです!」

「うん、ネアも引いてみて。アヴェトリーに見るものの変更を言い渡すまでは、さっきのお題で進むよ」

「はい。…………これにしますね」



ネアが選んだのは、品のいい深緑色のカードであった。

可憐な水色の花が咲いている植木鉢が描かれていて、ぴらっとめくるとケーキやご馳走の絵が出て来た。




「……………宴席かな」

「相変わらず食い気だけか」

「今日のこの雰囲気を、心から楽しんでいるってことじゃないのか?」

「幸せな時間ってことじゃないかな。ほら、こっちのカードも庭の花が満開だよ」



ノアの言うように、指先で示された窓の向こうには、花盛りの美しい木が生えている庭が見えた。

ネアはその通りであると頷き、次にエーダリアが引くと家族の団欒の絵が出て、エーダリアも少しだけくしゃりとなる。


ヒルドの引いたカードには、穏やかな安らぎを示す、心を癒す場所のカード。

そしてノアが引いたカードは、なぜかぱたりと隠された。



「む。………今のはまさか」

「気のせいだよ。うん、気のせい」

「ノアベルトが……………」


とてもボールに似たものが引かれたのだが、気のせいだったのだろうか。

幸いにも角度的にアルテアには見えておらず、アルテアは、どうせ女遊びの相が出たんだろうなと呟いていた。



「…………む、アルテアさんのカードは………?」



その次にカードを引いたアルテアは、すっと真顔になってそのカードをまた伏せる。

タロットカードで言うところの恋人のカードのようなものが出てしまい、笑いを堪えて解説してくれたノア曰く、この場所に向ける愛情や独占欲を示すのだとか。



そして最後にウィリアムがカードを引き、誰にも見せずにぱたりと閉じた。



「ウィリアムさん…………?」



にっこりと微笑んだ終焉の魔物は、なぜかそっと首を横に振ると、並んだカードを手早く片付けてノアに返してしまう。



「危うくシルハーンの誕生日どころじゃなくなるところだった。これは、………そうだな、また今度にしようか」

「成る程な。お前の本音は、晒すのもままならない程の酷さなのか」

「わーお、どれだけ腹黒いのさ」

「……………ウィリアム?」

「ああ、ご心配いただかなくても大丈夫ですよ。悪いカードではありませんでしたから」



そう微笑むくせに、なぜか追求を許さない雰囲気の白金の瞳に、ネアはぎりぎりと眉を寄せる。




「どんなカードだったのだ」



かくして、二回目のディノのお誕生日会は、大いなる謎を残して幕を閉じたのであった。











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