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306. クッキー祭りで襲われます



その日、ウィームはクッキー祭りを迎えた。



今年の夏は様々な要因によって祝祭の日取りが変更され、領民としてはもう少し戦いまでの猶予が欲しかったという空気であるが、荒ぶるクッキー達は待ってはくれない。


寧ろ、準備の足りない愚かな人間達を嘲笑うように、ウィーム全土でクッキー達が蜂起し、人間達を攻め滅ぼさんとする苛烈な戦いが始まるのだった。



「ネア様、今年のクッキー達は、いささか手強いであろうという戦況予測が出ております。くれぐれもご注意下さい」


そう注意喚起してくれたのはヒルドで、ヒルドの装いでゴーグルを持つと、お伽話の中の戦う妖精のようで何やら恰好いい。


人外者達の中にはゴーグル未装着の者も多かった去年とは違い、今年はバターたっぷりのクッキーが敵の主戦力になる為、彼等もゴーグルを手放せないようだ。



勿論、荒ぶるクッキーは結界で排除出来るものである。


だがそれはクッキーと戦わずに済む者達の場合であり、実際に戦う者は一度はバターたっぷりクッキーを手袋を装着した上であれ、掴まなければならない。

敵は粉状でも荒ぶる為、万が一結界内に侵入されたら大惨事だ。

侵入を許した場合、今年はこのゴーグルが最後の砦になる。

さっくり硬めのクッキーのように、クッキーの粉を払い落とすのは容易ではない。




「ほこりは、ゴーグルがなくて大丈夫ですか?」

「ピ!」


今年も参戦の弾む雛玉は、昨年大好評だったピンク色の擬態をしている。

可憐なパステルピンクはウィームの街並みでは浮かび上がり、周囲の者達もほこりの居場所を捕捉しやすいのだ。


名付け親から可愛い色だと褒められてどすんばすんと弾み、ネアが丁寧に撫でてやるといっそうに大喜びで転がった。



そんなほこりを微笑んで見ているのは、エーダリアだ。

この大雛玉が手のひらサイズだった頃を知っているので、やはり、可愛いほこりの久し振りの帰郷は嬉しいのだろう。



「この前、白百合の魔物に出会ったぞ。お前にいつも世話になっていると、丁寧に私に挨拶をしてくれた。それに、健やかに育ててくれたと感謝されて、魔術の潤沢な素晴らしい白百合をたくさん貰ってしまった」

「ピ!ピ!」

「ね?エーダリア様達は白百合の魔物さんをとても気に入ったようなんですよ。私も、ほこりの素敵な同僚さんに会いたかったです」

「ネアが浮気する……………」

「まぁ、この場合はうちの可愛いほこりを今後ともお願いしますねというご挨拶ですから、花嫁の名付け親的な?」

「ピギャ!」


とは言え既婚者なほこりだが、そう言われて恥ずかしかったのかまたごろごろと転がった。

すっかりグラストと仲直りして笑顔が戻ったゼノーシュが、大はしゃぎだねと微笑んでいる。

しかし、足にばすんと体当たりされたアルテアは、早速渋面になってしまっていた。



「………………おい。いい加減にしろ」

「ピ?」

「何で俺が、お前の世話役なんだ。ルドルフはどうした?」

「ピ?」

「ネア、ルドルフはね、踏まれたりするのが好きだから、ディノが立ち入り禁止にしたんだよ」



すかさずそう教えてくれたゼノーシュに、ネアは目を丸くする。

さっとディノの方を見ると、不自然に視線を逸らされた。



「……………わたしにはかいなどないので、踏まれたい系の魔物さんには興味などないのです」

「ほら、うっかり踏んでしまったりすると、危ないだろう?」

「うっかりで、見知らぬ魔物さんを踏んだりはしません…………」

「いや、お前ならやりかねないな」

「なんという不当な評価でしょう。私は悪いものを踏み滅ぼすだけで、踏まれて喜ぶのはディノだけで定員なのです……………」


自分だけだと言われた魔物は嬉しそうだったが、空気を読んだエーダリアが、さり気なく話題を変えてくれた。



「お前は、昨年同様に水路沿いに動くのだろう?」

「はい。昨年の戦い方がとても合理的でしたので、そのように行こうと思います」

「では、そちらはお前に任せよう。集合体の現れる商業区の方には、ほこりがいるので安心だな」

「ピ!」

「後は、昨年にも事故のあった川沿いですね。まさか、袋ごと落とされて川を流れてきたものが現れるとは思っていませんでしたから…………」



そう悩ましげに溜め息を吐いたヒルドに、ネアはクッキーの執念のすさまじさを思い知らされた。


開封されていないと荒ぶらない筈なので、恐らく少しだけ袋を開けられてしまっていたのか、川底で擦れたり魚につつかれたりして、袋に穴が空いたのかもしれない。


聞けば、水に崩れてしまわずに、そのようにして川から現れるクッキーも多いのだそうだ。

魚や水棲の生き物に餌をやろうとして、水辺にクッキーを落とす人達が多いからだろう。



「それと今年は、流行りもののクッキーには充分注意してくれ。例のシュタルトから来たものは勿論だが、昨年アルビクロムで流行った、竜用クッキーがウィームでも購入された記録が数件ある」

「竜さんのクッキーなのですか?」

「ああ。大きくて、………………その、アルビクロム製だったからな、あまり味の評判が良くない。よって、食べきれずに残した可能性も高いそうだ」

「……………なんと迷惑な品物なのだ」



大きさはネア程もあるらしく、絶対に遭遇したくないなと遠い目をする。

対するほこりは、巨大クッキーの可能性に喜び弾んでいた。



「例年通り十時からの一斉蜂起が見込まれる。ただ、今年は騎士達には早めに出て貰うことにした。儀式などもないので、各々の裁量で現場に出てくれ。今年も、クッキーの姿がなくなるまでただ戦うだけだ」



この一言で、今年も気持ちが引き締まる。

死者も出るお祭りなので、たかがクッキーと侮ってはいけない。

要注意クッキーの手配書が配られ、竜用クッキーの他にも、固焼きクッキーという異様に堅いものがあるのだと知ったネアは、少しだけ不安になった。



「……………もはや掴むよりも木の棒か何かで打ち払った方が早そうですが、手で掴むことこそが捕らわれたという認識で有効なのですよね?」

「ああ。……………そうでなければ、もう少し穏やかに済むものなのだが……………」



遠い目をしたエーダリアも、この日ばかりはガレンで現場に出ていた頃の動き易い服装をしている。

黒一色なのはクッキーの張り付きを防ぐ為だが、何だか暗殺者のようでいつもにはないハードボイルドで艶めいた雰囲気だ。

あまり領主っぽくはないが、今日は見た目の親しみやすさはさておき、襟口や袖口からクッキー達に侵入されないことが一番である。



勿論ネアも、今年も乗馬スタイルである。

ぴっちりとしたパンツに、粉が付いても払い落し易いような滑らかなセーターだ。

そして昨年の教訓を生かし、髪の毛はアルテアから貰った髪留めで一本にまとめてあった。



「ディノ、今年も水路の子達にクッキーの討伐を手伝って貰いましょうね。昨年で戦い方を学びましたので、もうあやつらを頭の上で飛び跳ねさせたりはしませんよ!」


そうネアが胸を張ると、なぜか魔物はびゃっとなってしまった。

ノアの後ろに隠れてふるふるしているので、また新たな生態の謎が増える。


「………………ネアが虐待する」

「解せぬ………………」

「うーん、服装じゃないかなぁ。こう、触りたくなるよね。ちょっとだけ試してみてもいい?」

「ネイ?」

「ごめんなさい……………」




かくして、ネアにとっては二回目のクッキー祭りが始まった。



リーエンベルクは完全封印されるので、事前に開封済のクッキーがないのかは綿密に調査される。

これは、封印庫や博物館、また高級商店であるリノアールも同様だ。

ウィーム中央駅でも今日は厳重な警戒がなされ、列車でやって来るお客のクッキーが荒ぶってしまわぬよう、車掌や乗務員達も大忙しなのだとか。



まずはリーエンベルクの正門を出て、ネアはディノを見上げる。


エーダリアとヒルドにノアは騎士達と公共施設や住宅地を巡り、アルテアとほこりは、グラストやゼノーシュと一番の激戦区に。

ネア達はそこをリーエンベルクを起点にウィーム中央をぐるりと囲むように水路沿いに外側から攻める。



「我々は、昨年通りリーエンベルクの前から、こちらの水路沿いに進みますね」

「うん。…………もう現れ始めたようだね」

「む。またしても愚かなクッキーめが弾んできました」

「ネア、早めにゴーグルをしようか。結界でも守ってあげるけれど、クッキーを掴まなければいけないんだろう?」

「はい。では装着しますね。…………ディノ、ゴーグル姿の私はどうでしょう?」

「………………ネアが減った……………」

「減っていませんよ。ゴーグルを装着しているだけなのです……………」

「ネアが、隠れた………………」



何故か魔物は少しだけ悲しげにしており、そんなディノ自身はゴーグルなしで運用する。

少し危ないのではないのかなと心配だったが、どうやらこの魔物はゴーグルを装着すると顔を縛られているようで怖いらしい。

すっかり怯えてしまうので、渋々自力で防御を徹底して貰うことになった。



(そう言えば、アルテアさんもゴーグルなしだったけど、大丈夫かな…………)



ノアはエーダリアがゴーグルを用意してしまったので、困ったなぁと笑いながらも律儀につけていた。

今日はこの騒ぎに乗じての暗殺なども警戒し、どこか酷薄な魔物らしい冷え冷えとした美貌を前面に出しているので、妙にゴーグルがよく似合っていた。

漆黒のロングコートに白いシャツ、そしてゴーグルなノアが、今のネアの密かなお気に入りである。



(…………来た!)




かつーん、かつーんと、石畳の上をクッキーがこちらに向かって弾んでくる。



真っ直ぐに向かってくるクッキーをぴたりと見据え、ネアはすぐさま返り討ちにしてやろうぞと待ち構えた。



だが、ふと何かが昨年とは違うことに気付いて、奇妙な予感を覚えて首を傾げる。



「ネア?」

「何かが、昨年の敵とは違います。…………どこが違うのかをまだ見付けられずにいるのですが、…………」

「音、だろうか?」

「む。確かに違いますね。………………は!音ということは、ま、まさか……………むぎゃ?!」



ネアがその異変の正体に気付いた時には、もう手遅れだったようだ。


最後のひと弾みは一気に距離を詰めることにしたのか、勢いよく弾んだクッキーは、弾丸のように一直線にネアの顔面に飛んできてディノの展開してくれていた結界に弾かれる。



すこーんと、いっそ清々しい程にいい音がした。


岩のように固いクッキーは結界で退けられたものの、力いっぱい石を投げつけられたような衝撃にネアはよろめいてしまう。


慌てたディノが抱きとめてくれて事なきを得たが、ネアは口惜しさに歯噛みした。



「ネア!」

「………………ふぎゅう。あれはクッキーなのでしょうか。もはや岩です……………」

「あのクッキーを捕まえて、水路に放り込めばいいのだね?クッキーを捕まえて得られる祝福も大切だけれど、怪我をしたらいけないからこれは私に任せてくれるかい?」

「ええ。……………でも、ディノが怪我をしたりしたら大変なので…………ディノ?!」



ご主人様の遺志を継いで固焼きクッキーを捕まえようとした魔物だったが、どうやら呪いのクッキーらしく性格もかなり邪悪に違いないクッキーに翻弄されてしまい、すぐに、ごちーんとおでこに激突されている。


美しい水紺色の瞳を瞬いて、呆然としているディノを見て、ネアは可哀想になってしまった。

確か、昨年もこのおでこが狙われたのだ。



「ディノ、大丈夫ですか?!可哀想に、またおでこが赤くなってしまいましたね。………ディノ?」

「ご主人様……………」

「おのれ、固焼きクッキーめ。よくも私の大事な魔物のおでこを攻撃しましたね!すっかりしょんぼりではないですか!!」



ネアは、怒りのあまりに地面をがすがす踏み鳴らした。

茂みの方からこちらを伺っていた、さくさくバタークッキーはその荒々しさに驚いてしまい、しゅばっとネアの側から逃げ出してゆく。


対する固焼きクッキーは、こんな敵など恐れるに足らずとでも言いたいのか、かつんかつんとネア達の周囲を意地悪に弾み回っていた。


そこでネアは、万が一巨大な竜用クッキーに遭遇した時の為に持ち歩いていた、秘密兵器を取り出す。



(油断などするものか。これで滅ぼしてくれる!)



「ネア、…………あのクッキーは危ないから、君は下がっておいで。………大丈夫、私が捕まえるよ」

「いえ、この秘密兵器の餌食にしてくれるのです。ディノは、あやつが怖気づいて逃げないようにそこで見ていて下さいね」

「ご主人様………………」



次の瞬間、ネアがディノの方を見ているのを好機ととらえたものか、固焼きクッキーが勢いよく弾んだ。

だがネアは、子供時代は母の趣味であるテニスなどを嗜んだ運動も行ける系の淑女であるし、狩りの女王として日々動体視力には磨きをかけている。

逃げようとするちびふわを捕獲するのは、たいへん良い目の運動でもあるのだ。



「てりゃ!」


直後、飛びかかってきた固焼きクッキーは、ネアが振り回した丸いものを力いっぱい叩きつけられた。

ばっしゃんという水音が響き、固焼きクッキーは呆然としたように地面にもさりと落ちる。

ネアはその隙を逃さず、表面がもそもそしてしまった固焼きクッキーを掴み、えいやっと用水路に放り込んだ。



「ムッキュウ!!」

「ガア!」

「パオーン!」


いつの間にか控えていたものか、水路からは何やら嬉しそうな鳴き声が聞こえてくる。

ネアはふうっと息を吐き、危ない戦いで勝利した余韻と達成感を噛み締めた。



「……………今のは、水なのかい?」

「はい。何の変哲もないウィームの美味しいお水です。水風船に入れてあるので、こやつをぶつければクッキーたちはしなしなになって弱ってしまうという寸法ですね。大きなクッキー対策で持ってきましたが、固焼きめにも効果がある模様。…………ディノ、少しだけ屈んでくれますか?おでこが心配なのです…………」


無事に固焼きを始末したネアは、ディノを屈ませてまだ赤くなっているおでこを、そっと撫でてやった。


「ずるい……………かわいい………………」

「ずきずきしたり、頭がくらくらしたりはしません?相当な衝撃だったと思うので、体調に変化が出たらすぐに私に言って下さいね?」

「また撫でてくれるのかい?」

「いえ、その場合は、脳震盪だったりするといけませんので、ディノはお部屋で安静に…」

「ネアが虐待する……………」

「むむぅ。今回ばかりは、何となくそう言われるような気がしました。ですが、具合が悪い時には一緒にどこかで休んだりも出来るので、無理だけはしないと約束して下さい」

「………………ネア、そんなに怖がらないでおくれ。もう大丈夫だよ?」


ネアは、この様子だと具合が悪くなっても隠すのではないかと不安になった。

眉を下げてじっと見上げれば、ディノは慌てたように綺麗な指先でおでこを撫でる。

すると赤みはさっと引き、いつもの滑らかなおでこに戻ったようだ。


(とは言え、頭の怪我は危ないというから、しっかり見ていてあげなければ…………)



そう考えてきりりと頷き、ネアは再びのクッキー狩りを再開する。

僅かな時間周囲から目を離しただけだったのだが、あっという間にあちこちからクッキーが集まってきたようだ。

とは言え、見渡す限りさくさくバタークッキーばかりなので、敵ではない。



「うむ。来るがよい、クッキー達よ。一枚残さず滅ぼしてくれる」



厳かにそう宣言したネアに、さくさくバタークッキーがいっせいに襲い掛かってきた。

ネアはすぐさま両手を使って、キャッチするというよりはパスをするような動きを心掛け、次々と愚かなクッキー達を水路に放り込んでゆく。

雪深いウィームの水路は深いので姿までは見えないが、水路の方からは昨年同様、集まってきた生き物達の歓喜の声が聞こえてきた。


今日はまだあまりクッキーを斃していないのにもう集まっているので、恐らく昨年の個体がまた美味しいものが落ちてくるかもしれないと水路に待機していたのだろう。



ずどーん、どかーんと、街の中心部の方からはクッキー祭りにはあるまじき爆音が聞こえてくる。

ネアは、もう昨年にも見た集合体が現れてしまったのだろうかと首を傾げたが、ディノによるとそうではなさそうだ。


「竜用だという大きなものが現れたのか、先程の堅いものだろうね」

「むむぅ。皆さんも激しい戦いに身を投じていますので、私達も頑張りましょう。水路のみなさんも、まだまだ放り込みますからね!」


「キュウ!」

「ガー!」

「ガウ!!」

「ピィ!」


威勢のいい返事が帰って来たことに満足し、ネアはその後も出会うクッキーを片っ端から捕まえてしまうと、水路に投げ込んだ。

ご主人様の後を慌てて追いかけてくる魔物は、狩りの時と同じ状態に陥るものか、ネアがクッキーを水路に放り込む度にびゃっとなっているものの、なぜか目元を染めてうっとりとこちらを見ている。



「たくさん動いているんだね、…………かわいい」

「……………ぞくりとしました。は!ディノ上です!!」


悪いクッキーが木の上から飛びかかってきたが、ディノは器用に捕まえるとネアの真似をして水路に放り込んでくれた。


「パオーン!」



嬉しそうな鳴き声が聞こえ、ネアは微笑んで頷く。



一瞬、何か鳴き声が妙に気になったが気のせいだろう。




「ディノも、すっかり慣れてきましたね」

「今年のクッキーは、少し滑るのだね………」

「ええ、贅沢なバタークッキーなので、表面に油分があるのでしょう。ですがコツを掴めば昨年のように捕まえられますし、普通のクッキーよりもバターたっぷりなせいか、少しだけ動きが遅いような気がします」

「重たいのかもしれないね」

「ええ。……………ほわ?」

「捕まえた時にかな。髪の毛にクッキーの粉が付いているよ」

「ばしっとやった時に、降りかかったのかもしれません。取ってくれて有難うございます」


髪の毛についたクッキーの粉を取って貰い、ネアはもうひと頑張りと手をわきわきさせた。

折角なので、小休憩代わりに二人で水筒から冷たい杏の紅茶を飲み、またクッキー達との死闘に戻る。


昨年のネアを見て騎士達も心得たもので、街の外周を巡回している騎士に出会うと、水路側の戦場をネアに譲ってくれた。



立派な木のある街路樹も、色とりどりの花の咲いた可愛らしい花壇も、今日ばかりはどこにクッキー達が潜んでいるのか分らない危険な場所だ。

いつもはあちこちで見かける妖精や精霊達も、このクッキーは祟りものだからなのか、隠れてしまっている。


よく見れば木の枝に張り付いて荒れ狂うクッキーを凝視している小さな兎のような生き物がいたが、跳ね回るクッキーを輝く目で見ていたところ、親だと思われる一回り大きな兎が、我が子が祟りものを齧ってしまわぬよう、慌てて巣穴に押し込んでいた。



(大きい生き物はいるみたいだけど…………)



小さな生き物達を見かけない代わりに、ちらほらと、竜やその他の大きな獣達の姿は見かけることはあった。

体が大きければクッキーを恐れることもないのかなと思っていると、毛の長い苔色の森狼が、跳ね回るクッキーをばしんと足で払っている場面に出くわした。

だが、相手はさくさくバタークッキーだったものか、べっとりとした手を見つめて悲しい目をしている。

片足だけを浮かせてぽそぽそと歩いてゆくと、悲しい目をして公園の噴水で足をばしゃばしゃ洗っていた。


これは堪らないと森の方に戻ってゆくので、ネアは悲しい面持ちでそんな森狼を見送った。



昨年の惨状を知っている個体はもうこの世にいない為、今年も、クッキー達はか弱い乙女を狙ってまんまとネアの射程内に飛び込んでくる。

それを片っ端から捕まえて水路に放り込み、賑やかな歓喜の声を引き連れたネアは、いよいよ商業区近くの方にまでやって来た。



しかし、そこでネアを待っていたのは、目を疑うような恐ろしい惨状だったのだ。




「ほわ、もの凄い数のさくさくバタークッキーが跳ね回っていますし、……………アルテアさんが、死んでいます」

「アルテアが………………」



街は、阿鼻叫喚であった。

思ったよりもさくさくクッキーは手強かったらしく、人々はすぐに粉っぽく崩れてしまうクッキーの捕獲に四苦八苦しているようだ。


そんな中、何よりもネアが驚いたのは、そうそうクッキーになど破れなかった筈の魔物の無残な姿であった。


商業区の入り口にある砂色がかった灰色の大きな建物に、力なく寄り掛かってどこか無防備な姿になってしまっている選択の魔物がいるではないか。

目を閉じて何かを耐えるような表情をしており、ネアは、はぐれないようにディノを振り返りながら慌てて駆け寄った。

こちらの魔物も、脳震盪の心配があるのであまり目を離さないようにしないといけないのだ。



「アルテアさん!」


そう名前を呼べば、黒い皮の手袋に包まれた手を持ち上げて、それ以上近付かないようにと制止される。

いつものアルテアが好むような薄い皮の手袋ではなく、あの庭仕事用の手袋のような分厚くてしっかりとしたものだ。


しかし、なかなかに素敵なその手袋は、既に贅沢バターなクッキー達の襲撃によりバターの油分で光ってしまっている。

ふぅっと悩まし気な息を吐き、眉を寄せて瞳だけを動かすと、アルテアはこちらを見た。



「………………近付くな。魔術の調整が鈍る」

「むむ。……………ディノ、アルテアさんはどうしたのでしょう?」

「排他結界を服の内側に向けているから、クッキーに侵入されたのではないかな?」

「まぁ、お洋服の中に……………」



それは誠にご愁傷様であると、ネアは苦しげな使い魔をそっと拝んでおいた。

すると酷く冷たい目でこちらを睨み、自分で事故った訳ではないのだと言い訳をされた。



「ディノ、ほこりに結界に穴を開けられ、バタークッキーを御裾分けされてしまった結果、あのようなことになったようですよ…………」

「思わず潰してしまったんだね…………」




ギャオオオと勇ましい咆哮が響き、商業地区の向こうでは、いよいよ集合体が立ち上がろうとしていた。


だが今年は少し柔らかめのさくさくクッキーが仇となり、ずしんと歩こうとしたところで足がざくっと崩れてしまう。

すかさずそこにピンク色の雛玉が飛びつき、むぐむぐと美味しいクッキーの祟りものをお口に入れていた。



(うん。あっちはほこりが美味しく食べてくれそうだし、大丈夫かしら…………)



であれば、この辺りを一掃すれば一区切りだろうか。


クッキー達は合体して巨大化すれば勝てると思っているようで、あちこちで跳ねていたクッキー達は、足の折れた巨大なクッキー怪獣に合流する動きである。


結界の中に入ってしまったクッキーの欠片を、服に飛び付かれる前にと手で押さえようとしてしまい、うっかり粉々にして服の内側に侵入されたアルテアは、まだ戦線復帰は難しそうなので、何とか庇いながら戦いを続けよう。



そんな折に、こちらにぽこんぽこんと飛び込んできたはぐれクッキーは、使い魔を守るべく立ち塞がったネアが捕まえてえいやっと水路の方に投げ込んだ。



「ガウ!!!」


小さな蜥蜴尻尾の毛玉のような生き物が水路からぼしゃんと飛び上がり、見事に空中で投げられたクッキーをキャッチする。

そのまま大事にクッキーを抱えてまた水路に落ちてゆき、すぐにぼりぼりというクッキーを貪る音が聞こえてきた。



「パオーン!」

「キュウ!」

「ピィ!!」


水路の方からはずるいぞと言うような声が聞こえてきたので、ネアは喧嘩にならないように慌てて何枚かのクッキーを捕獲して放り込んだ。


「喧嘩してはいけませんよ。奴らが残っている限りは、私も頑張って放り込みますからね!」


そう言ってやると、きゃあっと歓声が上がる。

ネアは求められるのもなかなかに大変だなと微笑んで頷き、さてこちらは大丈夫かなと使い魔の方を振り返った。



「………………なぬ」



がしょん、と不思議な足音が響く。

小さなクッキー達を狩り尽くしていたネアが振り返って見たものは、ネアの背丈をゆうに超える大きさの、恐竜のような形をしたクッキーだった。



「ま、まさかこれは、竜さん用クッキー…………………」



はっと、ネアはまた違う方を見る。


すると、そちらにももう一体の竜用クッキーが現れた。

そちらはウサギさんの形をしていて、ひどく暗い気配を纏っている。




「むぎゃ?!」



次の瞬間、竜用クッキー達は一斉に襲いかかってきた。

すかさずディノが迎え撃ってくれたものの、がちんと二枚の竜用クッキーに挟まれると、あんまりな状況に心が折れかけているのが分かった。


万象の魔物とは言え、きっと竜用クッキーに襲われたことはなかったに違いない。

砕くと大惨事になるので、攻めあぐねているのだろう。



「おい!」

「アルテアさん?………むきゅっ?!」



奮戦する婚約者を応援していたネアも、背後から現れた三体目の竜用クッキーに忍び寄られ、ばたんと下敷きにされてしまった。

くまさん型の巨体にのしかかられて踠いているネアを、慌ててディノが助けに来てくれた筈だ。



ネアが覚えているのは残念ながらそこまでで、その後アルテアが教えてくれたことによると、身動きが取れないところにさくさくバタークッキーに忍び寄られたネアは、べたべたこなこなにされて堪るものかと、突然怒り狂ったのだそうだ。



頬を染めて教えてくれた魔物の証言によれば、ご主人様は荒れ狂い、まずはくまさんクッキーを両手で掴み、背負い投げのようにしてていっと水路に投げ飛ばした。

すぐさま水路の祟りもの達がくまさんクッキーに襲いかかり、ネアの戦いを補佐してくれたそうだ。



恐竜型のクッキーはディノが、そしてウサギさん型はうっかり向き合ってくれたアルテアが倒したのだという。




しかし転倒の際にセーターがめくれたネアは、服の内側にバタークッキーが入ってしまい大惨事となった。


それに気付いて我に返ったのだ。




「ぎゃ!と、取って下さい!!誰かクッキーを取って下さい!!」




そう取り乱した人間に、婚約者の魔物はすっかり動揺してしまった。

おずおずとネアのセーターをめくり手を差し込んでみたが、きゃっとなって手を引っ込めてしまう。


ネアは服の中を縦横無尽に動くさくさくクッキーを捕えようとじたばたしたが、駆けつけてきたアルテアにその手を押さえられた。



「やめろ、絶対に潰すなよ!」

「むぎゃふ!ク、クッキーが、クッキーが!!」



やがて、激闘の末にセーターの上からアルテアが囲いをかけてくれて、ディノがそのクッキーを取り出してくれた。


魔物達はどこか苦悩の眼差しをしていたが、ネアは憤怒の面持ちでディノが捕まえてくれたクッキーを受け取ると、水路に投げ込んだ。




「さくさくバタークッキーなんて!!!」




粉まみれにされて、大きなクッキーに襲われたせいで髪の毛もくしゃくしゃになり、ネアはそう叫んだ。



その後、ご主人様の怒りを鎮めるべく魔物達は残ったクッキーをせっせと水路に放り込み続けた。

今年も沢山のクッキーを貰えて、水路の生き物達は大喜びだったようだ。



なお、アルテアからは申請があり、もうほこりは一人でもクッキー祭りで活躍出来るので、来年からは不参加にするとのことだった。


とはいえ呼べばくるとノアが言ってくれたので、ネアはまたご依頼しようと思っている。



今年のクッキー祭りでは、十九名の死者と三十八名の負傷者、そして二人の行方不明者を出して幕を閉じた。

竜用クッキーは今後厳しい管理をされるそうで、購入者は各自治体への申請が必要になるらしい。


みんなを苦しめたバタークッキーだったが、そちらはなぜか数日後にバタークッキーブームが再び巻き起こったのだった。







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