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まるまるサラミとムグリスポシェット




ディノにご馳走して貰ったソーダも飲み終え、無事に星屑を吐き出さなくなったところで、ネアは昨年良い買い物をした手芸関係のお店が立ち並ぶ区画に足を運んだ。



だが、その途中で不思議な店を発見してしまい、移り気な人間は目を瞠って魔物を振り返る。



「ディノ、サボテン門番という品物がありますよ」

「おや、叫びサボテンかな。確かにこの妖精は、見知らぬ者を見付けると叫ぶから、門番にはいいかもね」

「…………売られている間は、すやすやと寝ているのですね」



そのお店には、可愛らしい青い植木鉢に入った丸いサボテンが並んでいた。


特に顔があったりもしないのだが、気持ち良さそうにぐうぐう寝ている鼻息が聞こえるので、そういう器官はあるのだろう。

不審者を見つけると声の限りに叫ぶそうで、何人かの男性客が真剣な顔で吟味して立派なサボテンを買い付けている。


中階位の結界では粉々になる程の叫び声なので、人の出入りの多い場所では誤作動の心配などもあるが、倉庫や金庫などでも、あまり不特定多数の出入りの多くないところであればかなり良い番人になるそうだ。



店主は、売り場で叫ばないようにと、黄色い如雨露で妖精のお酒を与えて眠らせているらしい。

砂漠にも自生しているようなので、ネアは、よく観察しておいてうっかり叫びサボテン地帯に踏み込まないよう注意しておかなければと考えた。



そこからまた少し歩き、ネアはぴたりと立ち止まった。

決して見落としてはいけないものを視線の端に捉え、はっと振り返る。




「まるまるサラミ屋さんがあります!」

「まるまるさらみ……………」


次に通りかかったのは、まるまるサラミという、一口大の丸いサラミの専門店だ。

それはもう素敵な予感しかしないので、掴んだ魔物の三つ編みをぐいぐい引っ張って駆けつけると、その種類の多さにネアは目を輝かせた。



(どれも美味しそう…………!)



仮設店舗の焦げ茶色の屋根には、優美な金色の文字で、まるまるサラミと書かれている。

樽を入れ物にして、特製の油を通さない紙で包んだ丸いサラミが山積みになっていた。

月光燻製や雪の香りなど、目移りしてしまうような様々な味があるらしく、珍しいものは中に詰め物が入っていたりするようだ。

一個ずつからも買えるし、店の端っこにはお徳用の詰め合わせも売られている。



ネアは試食の雨だれ味をいただき、微かな紅茶の風味の豊かさに、興奮のあまりに弾みながらもぐもぐした。


そしてその興奮覚めやらぬまま、三種類の詰め合わせの大袋を、中身違いで四袋も買ってしまった。



「ネアが可愛い……………」


魔物は大興奮のご主人様に自分の周りで足踏みされ、何やら恥じらってしまう。


「なんて美味しいサラミでしょう!程よい堅さと柔らかさで、噛んでいると口の中が美味しいサラミの味で満ち溢れます。それだけでも幸せなのに、あんな紅茶の香りでいっぱいになるなんて!これはもう、時計林檎の花蜜や、雪菓子が中に入っていたりしたら、二度も三度も美味しいお食事でおやつになってしまいます!」



ネアの大興奮の感想を聞き、周囲を歩いていた四人組のご婦人が顔を見合わせると、ささっとお店に寄って来た。


すかさず店主が差し出した試食のサラミを食べて興奮に目を丸くすると、次の瞬間から猛禽類のような鋭い目になり、あれだこれだと何袋も手に取り始めている。


その様子を見て、今度はまた違うお客が寄って来たので、感謝してくれたらしい店主の女性は、ネアに試食のサラミをもう一個くれた。


なんと雪菓子入りの現品なのでなかなか立派なそれを握りしめ、ネアは微笑みを深める。




(後で、エーダリア様にも教えてあげよう!)



勿論大袋を買ったので、そこからだって分けてあげるのだが、エーダリアとネアは食の好みが似ているところがある。

味見してみて気に入れば、きっと自分が欲しいだけ買えるだろう。


特に柔らかなサラミの中に小さく砕いた雪菓子が入っているものは、もぐもぐしゃりっと美味しくてやみつきになる味わいであった。



大満足でサラミ店を離れると、次に目に留まったのは木蓮の木の下のお店だった。


石墨水晶と黄金で作られた幻灯機が並んでいて、美術品のような幻灯機はとても高価そうだが、どれを買おうかと品物を吟味している商人は多い。

ネアは、魔術仕掛けの幻灯機から溢れる花畑の映像を少しだけ楽しみ、買ってあげようかと言ってくれたディノに首を振った。



幻灯機も素晴らしいが、ネアには色々なところに連れて行ってくれる素敵な魔物がいるし、リーエンベルクの地下には様々な季節の美しさを見せてくれる魔術基盤がある。

そういうものだけで充分だと思ったのだ。



「…………そしてディノは、何を買ったのでしょう?」

「この紐は、肌を傷付けないくらいに柔らかいし、巻くと温かいそうだよ。それでいて丈夫だから君が迷子にならないね」

「………………………む、むぐぅ」



ネアが幻灯機のデモンストレーションを見ている間に、ご主人様に三つ編みを持たせた魔物は、隣の店で白みがかった青色の美しい布紐を買ったようだ。



上等な絹のようにしゃなりとしているが、内側にはむくむくした毛皮のようなものがついていて、雪を降らせる夜明けの雲を織って作られたものなのだとか。

内側の毛皮のような部分は、後から縫い付けたものではなく、元々このように織り上がるのだという。


明らかに足紐を買われているのでネアは慄くしかなかったが、嬉しそうに目を輝かせてそう報告されると、サムフェルはあまり楽しくなかったと悲しく教えてくれたのに、今やこんなにも楽しんでくれている魔物が落ち込んでしまうようなことは言えなかった。



その紐を袋に入れて貰い、ディノは横柄さを微塵も感じさせない穏やかな声音で、店主に丁寧にお金を支払っている。



受け取った品物を見る、どこか男性的で満足げな微笑みは凄艶で、ディノの水紺色の瞳は輝くようだ。

この幸福感は向かってはいけない方向なのだと教えてあげたいが、夏市場の喜びに水を差さないように、また今度あらためて教育的指導を行おう。




「そして、今年も糸のお店を見付けましたよ。…………まぁ、この素敵な糸は何の糸ですか?」



昨年と同じ位置にあった糸巻屋に来るなり、ネアは、真っ先に黒水晶の小さな台の上に置かれた素晴らしい白い糸の束を見付けた。


ぼうっと輝くような青白い糸なのだが、冷たく無機質な感じというよりは、思わずため息を吐いてしまいそうな、惚れ惚れとする程の繊細な温かさがある。


単一に白という色に染めたのではなく、白い何かを紡いだからこそのこの色合いなのだろう。



「真夜中の雪に落ちた月光に浮かぶダイヤモンドダストの影を紡いだものだよ。生粋のダイヤモンドダストだけはやはり難しいのか、ところどころ夜の雪影も混ざっている。だが、そのせいで絶妙な色合いになっているだろう?」

「……………ふくよかで繊細で、しゃらんという感じがして溜め息が出てしまうくらいに綺麗ですね。細い糸に見えますが、この糸はどのようなことに向いているのでしょう?」

「柔らかい革製品の縫製にして糸を見せるか、刺繍にするのもいいだろうね。小さな模様で刺繍をしても、この糸ならかなりの存在感だと思うよ」

「……………きっと、とても素敵でしょうね…………」



ネアはお値段を見てくらりとしつつも、昨年からご愛用のムグリスディノポーチを思った。

昨年作って貰ったポーチはまだまだ現役であるし、新しいものを増やしても使わなければ意味がない。


(…………とは言え、この糸を買っておけば、いざという時にこの糸を使ったものを作れるのだわ)



「買ってあげようか?」

「むぐぐ。これは私のお買いものなので、私のお財布から出しますね………。とても高価ですが、紡ぐのに気象条件が必要なものは、見付けて買うかどうか真剣に考えたらもう買うようにと、リボン専門店のご主人にも言われているのです…………むぐぐ」



ネアは、ここで購入を見送ったことを後で後悔して、同じようなものを探し回った挙句に廉価版しか手に入らないという失態を防ぐべく、ずばんと大盤振る舞いでその糸を買うことにした。


一点ものや二度と採取出来なくなるものも多いこの世界なので、躊躇ったことで二度と手に入らなくなったものもある。

ディノに買ってあげたかった白いリボンを買い逃し、打ちひしがれていたリボン専門店で、ご店主にそう言われたことがあるのだ。



丁寧に薄紙に包んでもらい、天鵞絨の小袋に入れられた糸を抱き締め、ネアはほうっと溜め息を吐く。

ディノが、そんなネアを心配そうに覗き込んだ。


「ネア、欲しいものがあるのなら、無理をしなくていいんだよ?」

「とても綺麗で繊細なものなので、大事に大事に買って運用したいのです。新鮮な内にアクス商会で売った蟹さんの鋏代は吹き飛びましたが、入ったばかりの収入だと思えば、美味しい美味しい贅沢お昼を五回諦めるくらい…………」



ネアは、ここは一軒家を購入したこともある余裕を見せつけるのだと恰好良く決めようとしたのだが、残念ながら最後のあたりで庶民の無念さが滲んでしまった。



(でも、こんな素敵な糸があったら、今使っているムグリスディノポーチが駄目になったら、次はこの糸で刺繍をして貰おう…………)



そう考えながら糸をしまいかけ、ネアはぎくりとする。


そう言えば、ムグリスディノポーチはとても気に入ったので、ディノに状態保全の魔術をかけてもらったのではなかっただろうか。

これで可愛いちび三つ編みの刺繍のところを撫でても安心だと考えた時のことを思い出し、ネアはがくりと肩を落とした。



「も、物持ちが良過ぎるこの世界も、なかなかに問題なのです…………」

「ネア?」



不思議そうにこちらを見たディノも、何種類かの糸を購入しているようだ。

虹の影を紡いだという不思議な光沢を帯びる青灰色の糸や、夜明けの雪煙を紡いだ白い糸。


他にも森にけぶる朝靄を紡いだ淡い青緑色のきらきら光る糸など、ネアはその糸たちがこの先どんなものに使われるのか楽しみでならない。



そうこうしている内に、約束のお昼までの時間が近くなってきた。

あっという間に過ぎてしまう時間にネアは俄かに焦り出したが、約束のお店まで向いながら午後に見るお店を決めておくことにする。




ちゃぽんと水が揺れる音がした。


そちらに視線を向ければ、見えたのは人魚屋だ。

色とりどりの愛玩人魚達が水槽に入って売られている。

人型なのでとても残酷に思えるが、知能は食卓に上がる魚程度であるらしい。

複数個体を同じ水槽に入れてはいけないし、独占欲の強い生き物を毎日スプーンでお砂糖をあげて育てるので、飼育には手間がかかるのだとか。


とは言え好事家が多いので、お店の周りには、沢山のお客や商人達が群がっていた。




「ネア、去年君が気に入っていた店があるようだよ」

「………まぁ、今年はこちらなのですね」



人魚屋を通り過ぎたところで、ディノが目抜き通りに見付けてくれたのは、昨年、ムグリスディノポーチを作って貰ったお店だ。

夜柳の素敵な棚があって、その中には選びきれないくらいに素敵な布が隠されている。

一つ一つ抽斗を開けて、どんな商品があるのかを楽しむのもとても楽しかった。




「これはこれは、ご無沙汰しております」



店主の老紳士は、ネア達と目が合うとそうお辞儀をしてくれた。

魔法のような手を持っていて、ムグリスディノポーチの図案をさらさらと描いてくれた人なのだ。



「冬薔薇の初蕾の生地はまだあるかい?」

「ございますよ。今年は空が賑やかでしたので、夜の虹に染まったものや、オーロラの影が映ったものもございます」

「では、見せてくれるかな」



ディノは、すぐに済ませるよとネアに言い、店主にそう声をかけている。

欲しいものがきちんと把握出来ている人の買い物の仕方をいいなと思いつつ、ネアはその隙にと覗いた、しっとり毛皮の棚を見てぎくりとする。



霧竜の毛皮が、夜の祝福で染まったえもいわれぬ柔らかな艶を帯びた灰色の毛皮があったのだ。



灰色ではあるのだが、夜の祝福によって、藍色やラベンダー色の艶をまだらに帯びていて、光の角度によって色味が変わって見える。

端のほうに混ざった白い毛並みが、また素敵なアクセントになっていた。



「それと、これを貰えるかい?」

「ディノ!」


お値段がと思ってそっと抽斗を閉じようとすると、ディノがさりげなくそう言って買い上げてゆく。

明らかにネアが見惚れていたからなので慌てたが、ふわりと微笑んだ魔物は、眉を下げて見上げたネアの頭をそっと撫でた。



「私が、君に買ってあげたいからいいんだよ。君は糸も買っていたし、せっかくなら何かに仕立てるかい?あまり大きなものではないから、小物入れくらいかな」



そんなディノの提案に、店主はにっこりと微笑んだ。

昨年の時に話してくれたが、上物の布や糸を使う仕立て依頼は、作り手の職人がとても喜ぶので大歓迎なのだそうだ。



「………であれば、昨年お作りいただいたポーチのようなものか、財布と小物ぐらいが入るポシェットのようなものは如何でしょう?」

「ポシェット…………」



思いがけない提案に、ネアは息を飲んだ。

この素敵な毛皮で、斜めがけの小さなポシェットを作って貰ったらどんなに素敵だろう。

複雑な色味だが、決して着る服を邪魔するような色合いでもない。



「…………ディノ、ポシェットにして貰ってもいいですか?」

「うん。君が喜んでくれるようなものになりそうで良かった」



魔物はネアがポシェットへの憧れを隠せなかったことに、とても喜んでくれたようだ。

目元を染めて嬉しそうに微笑むと、店主が持ってきてくれたポシェットの型を説明した一覧を、ネアに渡してくれた。



ネアは一目惚れで、程よい長方形だが下辺の角が優美に丸くなっている形のものを選び、ショルダーベルトの部分は柔らかく手に馴染むがとても丈夫だという、毛皮と同じような色味のスウェードにして貰った。


装飾などは一切つけず、その代わりにベルトと同じスウェードで小さなタグをつけて、そのタグに先程買った糸で、ムグリスディノの刺繍を入れて貰うことにする。

そうなると糸が少し余るので、タグは二枚を縫い合わせて裏表が楽しめるようにして、裏側にはネアが作った印章の絵柄を刺繍するのだ。



「な、何て素敵なポシェットになってしまうことでしょう…………」


あれよあれよと全てが決まり、出来上がりを考えるだけでネアは胸が苦しく、あまりの期待に既にはぁはぁしそうだ。


素早くベルトの長さを測って貰い、ネアの体に合わせた長さにしつつも、自分でも調整出来るようにしてくれるらしい。



「ディノ、何て素敵な贈り物なんでしょう。ずっと大事に使いますね!」



ネアがそう言うと、ディノは嬉しそうに口元をむずむずさせた。



「去年、君と来て初めてサムフェルが楽しいと思ったんだ。今年もとても楽しいから、君がよく、買い上げた品物をその前後で起きた出来事の記念だと言うように、私も君に、今日の記念になるものを持っていて欲しかったんだよ」

「まぁ、そんな風に思ってくれたのですね。では、出来上がってくるあのポシェットは、ディノとの二回目サムフェル記念の品物です。また来年は、二人で使えるようなものを、今度は二人で折半して作って貰っても特別な感じがして楽しいかもしれませんね」

「ご主人様!」



この様子では来年も何か買ってくれようとするに違いないので、ネアは先手を打ってそう提案してみた。

分け合いっこが好きな魔物は、二人で使える物を二人で購入するという提案にすっかり参ってしまい、喜びにへろへろになりながら昼食のお店に辿り着いた。



幸い、寄り道せずに真っ直ぐお店に向かったので、待ち合わせには少しの遅れで済んだようだ。


ディノが、ノアに少し遅れるから先に並んでいて欲しいと伝えておいてくれたので、姿の見えない二人に心配させてしまうようなこともない。

こんな時にも、高階位の魔物同士のやり取りは便利なものだとネアは思う。




「ネア、買い物は出来たかい?」

「はい。それと、途中でこっそりチーズボールを買っているノアを見ましたよ」

「ありゃ、見られちゃったか。あれはさ、僕の宝物なんだけど、やっぱり一年もすると風味が落ちてくるんだよね」

「むむ、風味が……………」


ネアが振り返れば、ディノは途方に暮れた顔でそんな友人の拘りを聞いている。

同じ人型の魔物の筈なのに、ペット用のチーズボールについて熱く語ってしまうのが心配でならないのだろう。



「エーダリア様、まるまるサラミのお店は見ましたか?」

「まるま?」

「これです。私は大袋で買ったので、一つ味見してみて下さいね。試食で余分に一個貰ったのですが、我慢出来ずにその場で食べてしまいました………」


そう言うと、ネアは金庫の中から購入したまるまるサラミの袋を一つ取り出し、ばりっと開けて沢山の種類の中から、一押しの雪菓子味を手に取った。



「お昼前だから一個だと多いですか?」

「では、ヒルド達と分けて食べよう」

「むむ、三個出せますので、一人一個が良ければ言って下さいね」

「いえ、いただいた分で十分ですよ」


そう微笑んでくれたヒルドは、何やら大きな紙袋を持っている。

おやっとネアがそちらを見れば、室内着用に素晴らしい生地を見付けたのだと話してくれた。



(そう言えば、ヒルドさんはもこもこパジャマ派……………)



一度借りたことのある素敵な室内着を思い、ネアはきっと素敵なものに違いないと頷いた。


ヒルドは決して寒さに弱くはないのだが、生まれ育った島はウィーム程に寒くなることはなかったそうで、冬場の屋内では暖かくしていたいという嗜好であるらしい。



「私はな、良い魔術書を三冊と、星屑屋で素晴らしいシロップと星屑を買った。それと、上質の歯車を一箱と…」

「む。エーダリア様が歯車釣りにはまっています…………」

「うん。さりげなくはまったみたいだね」


くすりと笑ってそう言ったノアは、きっとどこかでその歯車釣りに付き合うのだろう。

エーダリアのお買い物報告はまだまだ続き、ネアは普段はあまり散財している様子のない上司の真髄を見た。



「……………このようなところだと、エーダリア様も散財出来るのですね」

「いつもは、領土のことやリーエンベルクの修復ばかりを気にかけてしまいますので、こうしてご自身の為に使っていただくのは良いことなのですが………」


エーダリアは、ウィームの財源を私有化するようなことは決してなく、領主として動かせるお金と、自身の資産をきっちり分けている。

それでいて、魔術書などが現れると買ってはしまうものの、自身の資産からもリーエンベルクを在りし日の姿に戻すべく、売り払われた調度品を買ってきてしまったりもするので、ヒルドはもっと個人的なものでも買い物を楽しんで欲しかったようだ。



「…………ですが、このようなところでは、危うい品を買わないように目を光らせることが、ここまで大変だとは思いませんでした」

「ほわ、ヒルドさん、お疲れ様です…………」



昨年よりもずっと、エーダリアも安心してサムフェルを楽しめるようになったのだろう。

だからこそ、そう言いながらもヒルドは何だか嬉しそうだ。



「そう言えば、先程リドワーンという夜海の竜に出会ったぞ。気持ちのよい男で、ウィームに住んでいるので、もしウィームが海の系譜で困ることがあれば相談して欲しいと話してくれた」

「かいなどありません…………」

「ありゃ。その心配が先に来るんだね………」

「ご主人様……………」



とは言えネアも、リドワーンは格好良くて素敵だなとは思うのだ。



(だがしかし、かいなどはない!)




ネアがそれはもう世界の理なのだとふんすと胸を張っていると、ちょうどネア達の順番が来た。

去年も来てすっかり気に入ってしまったこの揚げ物屋さんは、昨年よりは早いこれからお昼かなという時間帯なので、比較的早めに入店出来た。



「わぁ!」



一年ぶりの揚げ物屋さんは、相変わらずの素晴らしさだ。

足元は美しい湖の湖面をそのまま織り上げた絨毯を敷くことで、まるで湖の上を歩いているような不思議な感覚になる。



「おや、天井のヴェールが変わったようだね」

「まぁ、オーロラの空から満天の星になりました。これもとっても素敵ですねぇ」

「オーロラもそうだけれど、星空をここまで精密に紡ぐのは大変だと思うよ。腕がいい者の作品なのだろうね」

「誰の作品なのだろうな。初夏の庭などを織ったものがあれば、ディートリンデが喜ぶだろうに…………」



そう呟いたエーダリアに、ノアがふっと唇の端を持ち上げたので、ネアはいずれエーダリアは望み通りの品物を手に入れてしまいそうだなと考えた。

魔物達のこの手の欲は分かりやすいもので、特に長命高位の魔物達は、自分のお気に入りには望むものを与えてやるのが喜びなのだ。



今年の席は、花盛りのライラックの木の下だった。

湖畔から枝を伸ばしたライラックの花の陰で、湖面には控えめだが睡蓮の花も咲いていた。



「ああ、この店はやはり美しいですね」


ヒルドはそう息を吐き、大きな紙袋を金庫にしまいながら、瑠璃色の瞳を和ませる。

大好きな妖精の美しさに、ネアは幸せな気持ちでその横顔を眺めた。



「私は卵の串揚げにするよ」

「あら、ディノはもう頼むものが決まっているのですね?」

「うん。三本もあればいいかな」

「ふふ、全部それだなんて、ディノは卵串揚げが大好きですねぇ」

「でも、ネアが一番かな……………」

「なぜその並びにしたのだ…………」



ネアはここで、真剣にメニューを覗き込んだ。

恐ろしいことに、昨年のものに新メニューが追加されているではないか。

それに気付いてしまった以上、真剣に読み込まなければなるまい。



「私は、さくさく仔牛の香草チーズ挟み揚げと、刻みオリーブとマッシュポテトのベーコン包み揚げ、虹鱒の薔薇塩とトマトの揚げ物にします。ふかふか白パンに、夜明けの花蜜をたらした冷たいヨーグルトの飲み物で!」



ネアがそう決めると、エーダリアが小さく呻き声を上げた。

どうやら、虹鱒とトマトのものと、岩魚と香草大蒜とで迷っていたようだ。


エーダリアも、本来のネアと同じく、食事を分け合って食べるのはあまり好まない、自分で頼んだものを自分で独占する型の嗜好なので、安易に分け合って済む話ではない。


だからいっそうに悩むのだろうが、岩魚と虹鱒で悩む魔術師長はなかなかに絵になった。



「よし、決めたぞ。仔牛のチーズ挟みと、茄子とトマトの煮込み丸揚げ、岩魚の香草大蒜に、雨だれの音を聞かせて熟成させた白い葡萄酒に、しっかり焼いた葡萄パンで」

「じゃあ僕は、タラとジャガイモと卵の揚げ物と、鶏肉とキノコのタラゴン風味。樹氷の樹液の冷たいものと、蜂蜜黒パンで」

「では私は、仔牛のチーズ挟みと、鶏肉と白葡萄の辛味揚げ、虹鱒とトマトで。飲み物は流星で磨いた林檎酒に、クロワッサンにしましょう」



ネアはディノに事情聴取して、蜂蜜黒パンと流星で磨いた白葡萄酒も合わせて頼み、オーダーを終えた。



「むふぅ。素敵な風が少しだけ吹いていて、森の香りがします。素敵なお店ですよね」

「ああ、だからかもしれませんね。昨年は少し気になった油の香りがしなくて、とても過ごしやすい」



そう微笑んだヒルドは、午後には愛剣の手入れをする為の月光の鱗粉を買うのだそうだ。

ノアは、月櫟に擬態させてあるが実は夜柳のキャビネットという出物を見付けてしまい、最後まで残っていたら買うのだとか。



「私達は、昨年ポーチを作ったお店でディノがポシェットを頼んでくれたので、最後にその引き取りに。それまでは、まだ見ていない大林檎の木の向こう側を見てみようと思っています」



そう話して微笑んだネアに、ノアがまたあのお店があったと教えてくれた。




「ほら、去年あった上げ下げ屋が、今年は回転も体験出来るみたいだ」

「樽には乗らないのです…………」

「あ、今年からは新しい樽になったみたいだね。去年までの樽は、穴が開いて壊れたらしいよ」

「…………それはまさか、アザミの精さんが乗ったからなのでは」

「わーお、あの正装ってそんな頑丈なのかな……………」



食事が運ばれて来ると、エーダリアはまず岩魚から挑戦していた。

虹鱒と迷ったからなのだろうが、食べてみたら想像以上に美味しかったようで、ほっとしたようにもぐもぐしている。



(隣のテーブルに妙なものが運ばれて来た…………)



ネアは、さくさく衣で揚がった仔牛の中にとろーりチーズの挟まれた素敵な揚げ物を食べようとしたところなのに、お隣のテーブルにとんでもないものが運ばれて来たので、著しく集中力を欠いてしまう。




「ディノ、お隣が頼んだのは…………蜥蜴さんでしょうか?」

「……………月蜥蜴だね。揚げてしまうとは思わなかったよ」

「月蜥蜴さん……………」



お隣の席にいるのは、三人の美しいご婦人と一人の初老の男性だ。

その中の一人のご婦人が、大きなお皿からはみ出しているくらいの、ずんぐりむっくりとした蜥蜴の丸揚げを注文したらしい。


あんまりな光景に目を丸くしてから、ネアは、ぎぎぎっと首を戻した。

恐怖のあまり目が逸らせなくなりそうだったが、食べるところを見たくはない。



ディノもささっと目を逸らしていたので、魔物としても少し不安になる光景のようだ。




「ほわ。さくさくとろりで、香草の香りがふわっとしていて、何て美味しいのでしょう。ディノも、お気に入りの卵の串揚げがあって良かったですね」

「卵を揚げると美味しいものだね」



はふはふさくりと、味付き卵の串揚げを齧るディノは、どこか無防備で可愛らしく見えた。

エーダリアは几帳面だが、元王子らしく優雅に食事をするし、ノアやヒルドも食事の仕方はとても綺麗だ。



(今年の夏は、最後にみんなで色々出掛けられて楽しかったな……………)



そんなことを考えて、幸せな思いで揚げ物を齧る。

油の精の祝福を受けた揚げ油なので、揚げ物ばかりを頼んでも少しも胸焼けしない。



さくさくはふはふと食事をしていたネアは、エーダリアのお皿の上で綺麗に食べられてしまった岩魚の系譜の魔物が、午後に大暴れをすることはまだ知らずにいた。









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