海遊びと雲の煙管 2
お昼の少し前の時間、ヴェンツェル所有の秘密の島で絶賛海遊び中のネアは、三つ編みで牽引する婚約者な魔物と共に、島の岩場に探検に来ていた。
お昼ご飯にもなる素敵な海老を捕獲するのが主な目的で、既に潮溜まりの中で立派な青い海老と、美味しそうな貝を数種捕獲している。
ネアはウニも発見して採取したのだが、なぜだかディノはそんなウニを食べると聞いてすっかり落ち込んでしまった。
さすがのネアも、このとげとげの状態では食べないので、どうか怖がらないで欲しい。
「……………そして、妙なけばけばがいます……………」
「おや、……………ネア、少し離れていようか。あれは夏闇の竜だね」
「なぬ。この島は隔離結界で覆われているのに、入り込んでしまったのですか?」
「……………毛皮の尾の方が青いだろう?恐らく、長い間休眠していたのではないかな。この島がドリーの手に渡る前からここにいたのかもしれないよ」
「ほわ、ねぼすけ竜さんです………………」
(あれが、夏闇の竜…………)
そんな夏闇の竜とやらは、ネアの持つ前情報ではかなり大きな体を持つ筈だったのだが、どうみても象サイズくらいにしか見えなかった。
胸回りはふさふさとした淡い灰色毛皮で覆われていて、鱗があるのは角の回りと長い尻尾のあたりくらいだろうか。
羊の角のような巻角を持っており、ネアは、最近野外音楽祭でお隣になった、エイミンハーヌの角に似ているなと思った。
(思ったより、色鮮やかで綺麗な竜さんだわ……………)
夏の系譜だと聞いていたので、もっと暑苦しい感じかと思っていたが、蝙蝠的な羽ではなく、しっかりと羽の生えた猛禽類の翼のようなものだ。
鮮やかなフラミンゴピンクから深紅へのグラデーションの羽は美しく、こんな竜の姿をモチーフにしたハンカチでも作ったら可愛くて人気が出そうだ。
唯一、灰色の鋭い棘のある尻尾だけが、実は獰猛かもしれないという気配を帯びている。
ディノがネアの前に出ると、岩場に丸まって日向ぼっこしていたらしい竜は、すっと頭を持ち上げてこちらを静かな目で見つめる。
夜に燃えながら沸き出す溶岩の赤のような、えもいわれぬ光を放つ強い瞳は神秘的で美しい。
決して攻撃的な様子はなかったが、突然水着姿で現れた変な人間と、どう見ても高位の魔物の姿に少しだけ警戒している様子が窺えた。
「私の言葉が分るかい……………?」
「グルルルル」
近付いたディノが声をかけると、その夏闇の竜は低く唸った。
威嚇の為の唸り声というよりは、それが地の鳴き声なのかもしれないという穏やかな声で、ディノにはその言葉が分かっているような気がする。
ディノはその、尾が青くて翼がフラミンゴピンクの竜と、暫くネアには分からない会話をしていた。
「………おや、そんなものがいるのだね」
「グルル」
「海渡りの中にも、時折穢れに飲み込まれるものがいる。あまり長命のものではなくて助かったよ。…………有難う。それはこちらで対処するから構わないよ。それと、この島は魔術で閉ざされているから、出てゆくことは出来るが、一度出たら戻っては来られなくなる。島を離れる時には注意した方がいい」
「グルルル」
何かを話し合った後、ディノはこちらを振り向いた。
夏闇の竜は、もう寝るぜと言わんばかりに、こてんと頭を落とし、ぐぐっと前足を伸ばしてから再び目を閉じた。
お昼寝に戻るようだ。
「竜さんとお話し出来ました?」
「うん。この夏闇の竜は、この近隣の土地の戦乱の時代に生まれたらしくて、戦に辟易して眠りについたようだよ。戦が終わったのなら外海に行くのも良さそうだけれど、昨晩目を覚ましたばかりでまだ眠いそうだ」
「ほわ。では、まだここに居てくれる内にお会い出来たのですね……………」
「近くに、穢れを纏った海渡りの気配があるそうだ。それで起きたと話している」
「なぬ。悪い奴です?」
「土地の穢れを飲み込み過ぎたのだろう。海でも幾つかの戦が起きていると、ウィリアムも話していたからそんな土地を歩いて来たのかもしれない。………海渡りは、この島の結界を超えられはしないが、海の水に穢れを落としてゆくと困るから、見付けたら壊しておくよ」
「……………ディノは大丈夫ですか?」
「うん。寧ろ、私には対処し易い相手だから、心配しなくていいよ。それと、この島には、卵から孵ったばかりのとても獰猛な闇葉蟹がいるそうだ。昨晩の海渡りの穢れの気配で、昔からあったものの卵が孵ったり、眠っていたものが目を覚ましたりもしたようだね」
「やみは蟹さん…………?」
こてんと首を傾げたネアに、体表が黒い葉っぱで覆われた大きな蟹なのだと、ディノは教えてくれた。
同じ闇の系譜を持つ夏闇の竜は襲わないが、牛や馬、時には人間を襲うこともあり、とても警戒心が強くて獰猛であるらしい。
「むぐる。生き物の危機管理的な目覚めかもしれませんが、私の大事なスパイシーチキンの時間を邪魔したら許さないのです!」
「ウィリアムが調べたから、こちら側の浜にはいないのだろう。出会うことはないかもしれないけれど、騎士達が遭遇しないように帰る時までにこちら側の浜には結界を張ってゆこう」
「まぁ、それなら安心ですね。ディノ、有難うございます」
「……………ずるい。かわいい」
「なぬ。袖を引っ張っただけなのですが……………」
「水着で引っ張ってくる…………」
「謎めいています…………」
ネア達は無事に夏闇竜との遭遇も果たし、海老を五尾とウニを十五個、美味しそうな貝や、サザエに鮑を十一個も収穫して砂浜に戻った。
なお、鮑については岩の精霊だと理解しているが、昨年の海遊びのお土産にしたときに貝殻がとても美味しかったと喜んでくれたので、ほこりへのお土産にするのだ。
「む!チキンが始まっております!!」
砂浜に帰ると、ちょうどアルテアが網の上にスパイシーチキンを乗せたところだった。
網の上に乗ったチキンがじゅわっと音を立て、堪らないいい匂いが辺りに立ち篭める。
ネアは、異世界風ウォーターサーバー的手洗い器で手をささっと洗い、アルテアが検分しやすい場所に獲物を入れてきたバケツを置いてみた。
「………………よくウニなんぞ取ってきたな」
「む?とげとげしてますが、美味しい海の恵みですよ?」
「それは知ってるが、通常は魔術師が特殊な道具で収穫するものだぞ」
「なぬ…………。ウィームの市場で買った、何でも収穫ばさみというこやつを使ったところ、容易く拾えましたよ?」
ネアがそう言うと、無言でこちらにやって来たノアが、バケツにかけてあった木のトングを調べてくれた。
「…………わーお。何でだか分らないけど、海の守護がこれでもかとかかってる。………これ市販品かなぁ…………」
「市場のお道具屋さんの一品です。ディノ、何も特別なことはありませんでしたよね?」
「確かに守護がしっかりしているとは思ったけれど、普通に売っていたものだよね。そう言えば、あの店ではイーザに会ったから、質のいいものを売っている店なのかもしれない」
「まぁ、イーザさんがいたのですか?全く気付いていませんでした…………」
「うん。擬態していたからね。私達の買い物を邪魔しないようにと、会釈だけして店を出ていったよ」
「ねぇ、……………それってさ、ネアの会の特別奉仕品みたいなやつだったり…」
「ノア、なんておかしなことを言うのでしょう。かいなどありませんよ!」
「…………………言いたくないけど、海でこの質の守護をかけられるのってさ、夜海の竜や海嵐の精霊くらいだからね」
「そうなると、実はお友達になってくれようとしている、ゾーイさんからの分り難い友情の証なのでしょうか…………」
ネアはそんな奉仕品であれば紛れ込ませてきていても吝かではないと、狼尻尾をにぎにぎする計画を立てかけたが、ノアは渋い顔で首を振っているではないか。
「僕はもう一人の方だと思うなぁ。ほら、ウィーム在住だし」
「かいなどありません……………」
「と言うことは、夜海の竜の守護がかかった道具かもしれないのだな?」
とても興味を示しているエーダリアに、木のトングは検分して貰うことにして、ネアはそろそろひっくり返されて食べごろに違いないスパイシーチキンを憧れの目で見つめる。
既にお皿は持ち上げているが、今回もチキン焼き人形と化したアルテアは、まだお皿の上に乗せてくれる気配はない。
「……………何本だ」
「四本です!じゅるり」
「………………一度、総数を数えてみろ。まずは二本からにしておけ」
「むぐる……………」
表面の皮目が美味しそうな色になり、かりかりの皮の上で油が弾ける。
やっと念願のスパイシーチキンがお皿の上に舞い降り、ネアは小さく足踏みした。
くんくんしてみれば至福の香りに包まれる、海遊びの宝物だ。
「まぁ!今年のソースには、ディノの大好きなタルタルがありますよ?」
「タルタル……………」
ネア以外の者達は、自分で取り給えなシステムのようで、アルテアはまず全員に行きわたるくらいの数を焼いてしまい、好きに取れと一度火の前を離れた。
かくして、それぞれのお皿にスパイシーチキンが行き渡り、まずは乾杯となる。
アルテアとウィリアムは、冷たく冷やした蒸留酒を氷を入れたグラスで飲んでいて、エーダリアとヒルドはきりっと冷えた白葡萄酒だ。
ディノとノア、ネアは冷たい紅茶を飲むことにし、ミントの入った爽やかな紅茶の香りを楽しんだ。
「まずは、そのままいただきます!」
ネアはかぶりついたスパイシーチキンの美味しさに頬を緩ませて爪先をぱたぱたさせる。
しっかりと味が染みており、かりっ、はふはふじゅわりと堪らない美味しさだ。
「五臓六腑に染みわたる美味しさです。アルテアさんはもはや、スパイシーチキンの教祖様ですね」
「おい、妙な肩書きをつけるな。それと、いい加減何か羽織れ」
「むぅ。なぜか腰にはタオルを巻き付けられていますので、せめての夏らしさの抵抗なのです。むぎゃ?!」
抗議をする為に手元が疎かになってしまい、ネアはスパイシーチキンから零れた油の滴が、胸元に落ちてしまった。
拭かなければべとべとするが、チキンを離したくないと眉を下げたネアに、手を伸ばしたウィリアムがナプキンで拭ってくれた。
「ウィリアムさん、有難うございまふ」
「ネアは、まずそのチキンを食べてしまわないとだからな」
もぐもぐしながらお礼を言ったネアに、優しいウィリアムはそう微笑んでくれたが、ノアとアルテアは半眼になっている。
おまけに、なぜか隣のディノがナプキンを構えて、こちらを真剣な面持ちでじっと見るのが不思議でならない。
ネアはこちらを観察し続ける魔物と見合ったまま、美味しい皮目のところを食べてしまい、さて次はと特製ソースに移ることにした。
(このまま全部食べてしまっても美味しいけれど、せっかくのソースを活用しない手はない!)
「……………ディノ、チキンが冷めてしまうので、まずは食べませんか?」
「ずるい……………」
「なぜなのだ」
大事なチキンの油をもう一度失う訳にはいかないので、ネアは残念ながらご要望にはお応え出来ないと遠い目になりかけ、思いついて顔を寄せてみた。
「ネア……………?」
「では、唇の端っこのところを拭いてくれますか?」
「うん…………」
チキンにかぶりついていたので、そこなら拭く余地があるだろうと思って提案してみると、ディノはたいそう恥じらいながらも優しく拭いてくれた。
拭き終えてからきゃっとなり、またこちらを見てもじもじする。
「ディノ、お口についた油を拭ってくれて有難うございました。これで、安心してタルタルソースに挑めますので、ディノも美味しいチキンを楽しんで下さいね」
「………………かわいい」
魔物はまだ恥じらっているようだが、ネアはそそくさとソースがけという、魂をかけての職人技に挑むことにする。
食べられるチキンの量は限られているので、まずはこの三種のソースの中からお気に入りを見付けなければならない。
少しずつお皿に取り、皮回りの美味しいところを食べられてしまったチキンを平等に切り分けた。
「むぐ!この具だくさんタルタルソースは、奇跡のような美味しさです!」
「……………分ったから弾むな」
「アルテアさんに肩を押さえられても、喜びがしぼまないくらいに美味しいタルタルソースに、幸せでいっぱいの気持ちになりました。………さて、次はトマトのソースに……」
アルテアに腰回りに巻き付けたタオルを直されながら食べたこちらは、賽の目に切ったトマトがたっぷり入った酸っぱいソースだった筈だ。
そう思ってぱくりと食べたネアは、今年は辛さも加えられていて、まさに海遊びの最高のパートナーへと羽化したトマトソースにふるふるする。
「……………ふにゅう。何という仕打ちでしょう。チーズソースは今年も御贔屓にする予定なので、これでは、どのソースを優先すればいいのか、分らないのです…………」
「ご主人様…………」
たいへん邪悪な仕打ちであると悲しげにアルテアを見つめると、呆れたような顔をされて、おでこをべしりと叩かれてしまった。
きっと他の人達も困っているに違いないと思ってネアは周囲を見回してみたが、ディノはお皿にこんもりとタルタルソースを盛り付けているし、ウィリアムとノアはトマトの辛いソースがお気に入りのようだ。
ヒルドはチーズソース派で、エーダリアはネアと同じ手法で美味しい皮周りをいただき、残りの部分はタルタルソースでやっつける模様である。
一人だけ一押しソースを見付けられないネアはしょんぼりしたが、気を取り直して全種類を美味しくいただく為に奮戦することにした。
「うむ。個人的には、タルタルからのチーズ、そして辛いのをいただき、再びのタルタルが最良のコースだと思います」
「念の為に言うが、二周目にはもうチキンがなくなるな」
「なぬ?!こ、これは陰謀でしょうか…………」
「ったく………………」
溜め息を吐いたアルテアが立ち上がり、またチキンをじゅわっと焼き網の上に乗せてくれる。
ヒルドが手伝おうと立ち上がりかけたが、そんなヒルドを制して微笑んだウィリアムが立ち上がった。
「肉を焼くくらいなら、俺に任せてくれ」
「むぐふ。アルテアさん、ウィリアムさん、私もこの最後の一口をいただいたら、お手伝いしますね」
「お前は他のものを食ってろ。ウニを割るから近付くなよ」
「…………ウニがまるで危険物のような注意喚起が……………」
「お前は知らないのだな。実際にそうなのだ。美味しいものだとは思うが、今年もヴェルリアでは、ウニを食べようとして命を落とした者達が多くいるからな…………」
「……………そうなのですか?」
ネアは驚いて目を丸くしたが、ネアが捕獲したこの紫海ウニはとても頑強で獰猛な生き物なのだそうだ。
まずはあの棘だらけの外殻に特殊な固有結界を持ち、敵を退けつつも飛びかかってきて突き刺すという獰猛さであるし、上手に割らないと呪いをかけてくる。
ところがネアは、祝福のかかった木のトングで捕まえてしまい、ウニ達は麻痺したままバケツに放り込まれた。
おまけに、ネアがトングをバケツに引っ掛けてしまったので、反撃出来ないまま今に至るらしい。
「ディノは、こやつが獰猛だと知っていたのですか?」
「うん。だから、刺されると危ないよと言ったんだよ。でも、その道具がとても良い影響を与えていて、ずっと失神していてくれたからね」
「………………まぁ、ウニさん…………」
ばりんと音がして、アルテアが小さなナイフのようなものでウニを割ってくれている。
中身は変わらずネアの知る美味しそうなウニだが、この世界のウニがやけに高価な理由を知り、ネアは感慨深い思いでアルテアからスプーンでお口に入れて貰った。
「むぐ!美味しいれふ」
ウィリアムは、ウニがあまり得意ではないそうだ。
ディノとノアは怯えてしまって生では食べられないようだったので、エーダリアとヒルドも一口生ウニをいただき、残りのものは美味しい新鮮ウニのパスタソースになることとなった。
(でも、密かにアルテアさんもご機嫌なので、ウニは好きと見た……………)
スパイシーチキンのお代わりやその他のお料理をいただきながら、シンプルに塩茹でにしてスパイシーチキンでも使うタルタルソースをからめて食べる海老や、香草塩焼きになって食べる海老をうっとりと噛み締める。
海老にも種類があるので、みんなで均等に食べると少しだけとなってしまうが、それでも自分で捕まえた海老をみんなで食べられるのは何だか嬉しい。
(後は、美味しい蟹でも取れたらなぁ…………)
闇葉蟹とやらが食べられたらいいのだろうが、葉っぱでがさがさしているのであれば、きっと美味しくはないのだろう。
憧れの手袋蟹はこの島にはいないようだ。
手袋蟹は、ヤシの木の生えている島の砂浜に穴を掘って暮らしているようで、子供用の手袋のような不思議な形をしている。
茹でて食べるだけでもとても美味しいのだが、海のないウィームでは、ザハなどの夏期限定メニューで食べられるくらいだ。
「先程の夏闇の竜さんがもう少し小さかったら、一緒にお食事が出来たかもしれませんね」
「………………浮気」
「あらあら、あの竜さんは女性だと、ディノは言っていたではないですか。確かにけばけば毛皮でしたし、とても綺麗な竜さんでしたが、そのような心配はしなくていいのですよ?」
そう窘められ、ネアからフォークに刺した海老をお口に入れて貰った魔物は、幸せそうにくしゃりとなる。
代わって色めき立ったのは、竜大好きっ子としての定評のある、エーダリアだ。
「な、夏闇の竜に会ったのか?!」
「岩場の方でお昼寝していますよ。きっとまだいる筈なので、午後にでもヒルドさんやノアと…」
「よし、行こう!」
「……………エーダリア様、食事の後にしていただけますか?」
「ヒルド?………し、しかし、いなくなってしまったりは……………」
「わーお、こりゃもう駄目だな…………」
「まったく、ご自身の年齢を考えて食事中くらいは、落ち着いていただきたい」
「ヒルド……………」
叱られたエーダリアはしゅんとしたが、ディノから、先程眠ったばかりだから三日くらいはこの島に居ると思うよと教えて貰い、嬉しそうに目を輝かせた。
竜姿の夏闇の竜はとても珍しいそうで、ネアがその姿形を説明すると、鮮やかなピンクから深紅に変わってゆく翼を持つ個体はとても力が強いので珍しいと言われた。
「一般的にはな、黄色から赤に変わる翼の者が多いんだ」
そう教えてくれたウィリアムに、ネアはフラミンゴピンクの方が素敵だなと思って、きっと先程の竜が人型になったら美少女に違いないと想像してみる。
寝ぼすけな美少女など可愛いしかないので、これはもう、お友達になっておくべきだろうか。
「………………なんだ?」
「アルテアさんのソーセージロールを一個御裾分けしたら、竜さんとお友達になれるでしょうか?」
「ほお、お前は二度目の接触は禁止じゃなかったのか?」
「なぬ。そんな横暴な規則など存在しませんよ!」
「ネア、もうあの竜には会わないようにね。一度目の邂逅は偶然で済ませられるけれど、二度目は危うい。それに、夏の系譜はあまり君を好まないから、不用意に近付かない方がいいよ」
「む、むぐぅ!ディノが苛めっ子です!」
「ほら、私のチキンをあげるよ。君はもう、アルテアを使い魔にしているだろう?」
「女の子のお友達がいません。…………エーダリア様、ここはもう、エーダリア様の魅力で、その竜さんとお友達になって来て下さい。エーダリア様のお友達になれば、ゆくゆくは私も……」
ネアがそう言えば、エーダリアはきりりとした表情で頷いてくれた。
「うーん、エーダリアでもどうだろうなぁ。夏の系譜だしなぁ………」
ノアが首を傾げ、ヒルドはやれやれと肩を竦めている。
そこで、ほかほか湯気を立てるウニのクリームソースパスタが盛りつけられた青いお皿が、ででんと机の上に乗せられた。
「ウニパスタ様!」
「…………お前はこっちだ」
「む!別のお皿で出てきました」
ネアはうきうきと手を伸ばそうとしたが、どうやらアルテアはネアの分だけは予め別のお皿に取り分けておいてくれたようだ。
ウィリアムもアルテアから引き継いだチキン焼きを終え、一同は再び座って美味しい料理を堪能する。
「………………美味しいね」
「ふふ、ディノも、パスタソースになれば食べられるみたいで良かったです」
生のウニは怖がったディノも、クリーミーなパスタソースに姿を変えたウニは美味しかったようだ。
これはノアも気に入り、飲み物を白葡萄酒に切り替えている。
ぱりっとした葉物に、焼いた茄子を乗せて濃厚な黄色いチーズをたっぷり削りかけた山盛りサラダ。
みんなのお気に入りのフレッシュチーズと鶏肉とドライトマトの和え物。
飽きずに食べれるちびソーセージロールに、塩胡椒とバター檸檬ソースでじゅわっと網焼きにされた貝に、さっぱりとしているが旨味の強くて疲労回復にも効く冷たい野菜のコンソメスープ。
お酒を飲んでのんびりする者達の為には、一晩特製ドレッシングに漬けて味を染み込ませた人参や胡瓜のさっぱりおつまみもある。
これを食べ終えれば氷菓子もあるので、ネアは幸せな思いでご馳走を噛み締めた。
「やはり、今年の優勝者はタルタルソースでしょうか。中のピクルスのざくざく具合が絶妙で、もはやディノはタルタルソースだけを食べたりもしています………」
「ご主人様…………」
「もぐもぐ食べられるソースという感じで、とっても美味しいですよね」
そう微笑んで貰った魔物は、なぜか両手にグラスを持ってみたようだ。
これはまさかとぎくりとしたネアに、ディノはどこか期待に満ちた眼差しを向ける。
「………………む、むぐぅ。昨年の海遊びで、おかしな癖をつけてしまいました…………」
ネアは仕方なく、おつまみ胡瓜を口に入れてやり、ディノは幸せそうに胡瓜をぽりぽり食べる。
とは言え、これ以上の介護はご免であると出来るだけ他の魔物達の顔を見ないように、視線を遠くに投げた。
(………………ん?)
ふと、海沿いに繁っているローズマリーのような不思議な香草の茂みが揺れたような気がしたが、目を凝らしてみても特に異変はないようだ。
のんびりと風に揺れている薄紫の花や、その奥の木々の枝の間から見える鮮やかなブーゲンビリアの花が目にも楽しい。
海の魔物が秘宝を隠す為に手を加えていたこともあり、この島の木々や草花は完全に自然のそれとは少しだけ趣きが違い、絵のような美しさを今も残している。
「…………アルテア、素晴らしい料理ばかりだった。いつも世話になっていてすまない」
「ありゃ。アルテアはさ、いつもリーエンベルクに泊まるんだから、これくらいいいと思うよ」
「なんでお前がその目線なんだ」
「そりゃ僕は、エーダリアと契約しているしね」
ネアもエーダリアに合わせてご馳走様を言い、しかしまだ美味しく食べるネアは、保冷魔術が練り込まれた特殊な氷硝子のスープピッチャーからコンソメスープを自分のお皿に注いだ。
今回は昨年とは違い、ゼノーシュやグラストがいない分、アルテアも少し楽だったようだ。
上手に自分の食事の時間も取れていたようなので、ネアが介護を行う必要はなかった。
「……………よし、岩場の方だったな」
「む。エーダリア様が竜さんに会いに行く気満々です」
「…………でもまぁ、僕もまだあんまり飲んでないから今の内かなぁ」
「やれやれ、あなた達だけで行かせると何か起きそうですからね…………」
「ありゃ。もっと僕を信用してよ!」
こうして、仲良し三人組は岩場の方に向かい、砂浜のパラソルの下には、ネア達が残された。
ざざんと波音が揺れて、穏やかな白い砂浜と、鮮やかで透明な色の海がどこまでも広がっている。
遠浅なので淡い色がどこまでも続き、ここからでも色鮮やかな魚が素早く泳いでいく姿や、砂浜に打ち上げられた可愛らしい巻貝などを見て楽しむことが出来た。
遠い空の向こうには、透明だが光の加減で見えることもあるヴェールのようなものがかかっていて、それがこの島を隠してくれている排他結界なのだそうだ。
シャボン玉みたいに光ることもあるそれは、控えめな夏空のオーロラのようで、ネアの目にはどこか幻想的な光景に映る。
「気持ちのいい一日ですね。…………エーダリア様達が帰ってきたら、またビーチバレーでもしますか?」
「やっても構わないが、お前は惨敗したんじゃなかったのか?」
「あらあら、私が今日までの一年で、何もしなかったとお思いでしょうか。高くジャンプする為の特訓は済ませてありますよ!」
「……………それなら、絶対に上着を着ろよ」
「なぜなのだ」
ネアはその後、郭公についての話を始めた魔物達の背後で、せっせと砂を掘っていた。
このあたりは波打ち際から少し離れていたのだが、ウィリアムが椅子の足で掘り起こされた部分から、綺麗な水色の結晶石が出てきたとくれたので、案外このようなところに掘り出し物が隠れているのではと、持って来た木のスコップで砂をひっくり返してみる。
嵐による暴風雨や、波の高い日にこのようなところまで打ち上げられるものがあるのか、意外に良い収穫があり、十分もすると綺麗な結晶石を十個程収穫する。
ご主人様が攫われないようにと、魔物からは足首に柔らかな布の紐を結ばれているが、これは一つの自由の形であって、決して囚人ではない。
「…………………むぅ」
紐の長さぎりぎりのところまで来たネアは、先程まであっただろうかという綺麗な黄色い花の茂みに首を傾げた。
(こんなもの、あったかしら………?)
可憐な花は小さな薔薇のようでとてもいい匂いがするので、こんな茂みがあれば真っ先に見に行った筈なのにと不思議に思ってつつくと、その茂みはすすっと後退するではないか。
「なにやつ……………」
ネアはもう少しつついてみたかったのだが、茂みは奥が見えないので指だと怖いなと思い、首飾りの金庫に手を突っ込んだ。
(何か棒状のものはなかったかしら……………)
残念ながら、スコップは現在発掘中の現場に使っていて、上に持ち帰りか否かの選抜前の石を乗せているし、木のトングはパラソルの下のバケツに置いてきてしまった。
そう思いながらネアが引っ張り出したのは、真っ白な象牙のような素材で作られた美しい煙管だ。
これはヨシュアが作った特別な道具であるようで、吸い口の部分が紫水晶になっていたりと、美術品としても目を楽しませてくれそうな豪奢なものである。
そして何より、海の系譜の者にはかなり丈夫な武器にもなると聞いていた。
ネアは、そんな煙管の端っこを掴み、えいっと茂みをつついてみた。
「えいっ」
「グギャアアアアア!!!」
「ネア?!」
茂みの精的な生き物だろうかと、ネアはさして深く考えていなかったのだが、ヨシュアの雲の煙管でつつかれた生き物は、驚いてしまうような大きな悲鳴を上げてばさばさと葉を落す。
あまりの激しさにびっくりしてしまったネアは、すぐさま後ろからディノに持ち上げられた。
「……………ほわ、茂みが滅びて、中から大きな蟹さんが出てきました……………」
「闇葉蟹だね……………」
「こやつが、闇葉蟹さん……………」
「おい、目を離した隙にまた妙なものを狩りやがって……………」
「ネア、大丈夫だったか?」
アルテアとウィリアムも慌ててこちらに駆け寄って来てくれ、ネアに斃されてしまった牛サイズの蟹の姿に困惑したような目をしている。
儚くなってひっくり返った蟹は、外殻からぼさぼさと茂みが枯れ落ちて、見た目はすっかり普通の蟹になってしまっている。
「闇葉蟹……………だが、特異体だな。表面の葉が、別の植物になっていたんだろう」
「そもそも、お前はどうしてすぐに俺達を呼ばないんだ」
「かさかさする茂みを、煙管でつついただけなのです……………」
とは言え、蟹は蟹であり、これは獲物なのだった。
ネアは魔物に持ち上げられたまま、首を傾げるとじいっと蟹を見つめる。
「あの蟹さんは、茹でたりしたら食べられますか?」
「ご主人様………………」
「おい、その場合は俺が茹でるんだろうが。勘弁しろ…………」
「ネア、闇葉蟹は、毒があるからな。食べるのはやめようか」
その後、ひっくり返った獲物が美味しい蟹にしか見えなくなったネアを説得する為に、魔物達はかなり苦労したようだ。
特にディノはすっかり落ち込んでしまい、他の蟹を幾らでも買ってあげるから、この蟹は食べないようにとネアに言い含める。
エーダリア達が帰ってきたのはまさにそんな時で、夏闇の竜には起きて貰えず仲良くなれなかったと落ち込んでいたエーダリアは、またしてもの希少生物の姿にこちらに駆け寄ってこようとしたので、慌ててヒルドが捕獲していた。
ネアは、食べられないのならと、闇葉蟹の鋏の一つをリーエンベルクへのお土産としてダリルやガレンなどで振り分けることにし、ネアもアクス商会に売り捌く用に、蟹の背中の甲羅に生えていた黄色い結晶石を採取した。
残りの部分は、アルテアがほこりに預けてくれるようで、後日、もの凄く美味しかったとほこりから拳大の宝石が沢山お礼で届いた。
そして残念ながら、第二回ビーチバレー大会でも、ネアはあえなく惨敗した。
ディノとアルテアと同じチームだったのだが、爽やかな微笑みで案外容赦のないウィリアムと、砂地でも羽があるので軽やかなヒルドに知能犯のノアには、全く付け入る隙がなかったのだ。
ネアは最後、へろへろになって、アルテアに激突してしまい、とても険しい顔をした使い魔から、少しでも体を軽くする為に上着を脱いでいたことを叱られる羽目になった。
(とは言え、来年こそは勝てる秘策を編み出してしまった!)
来年は、ウィリアムとヒルドと組めばいいのだ。
その場合、ノアとアルテアという頭脳派コンビを敵に回してしまうことになるが、きっとディノばかりを狙えば、ばしりとやられるのが大好きな魔物は、喜んでくれるに違いない。
「来年こそは、絶対に負けません!」
もう、うろちょろしないようにとアルテアに小脇に抱えられて捕獲された格好のまま、ネアは、夕暮れの淡い菫色や茜色の片鱗を見せ始めた美しい空に宣言する。
帰り際に、諦め悪く波打ち際を歩いていると、見るからに特別なものという感じのする水色の綺麗な鉱石で作られたハンドベルを拾ったので、ネアは、魔物達がこちらを見ていない隙に、さっと金庫にしまい込んでおいた。
なお、穢れを溜め込んでいるという海渡りはディノにも見付けられず、後日、夜海の竜の王子が討伐したという情報がヴェルリアに入ったそうだ。
かいなどはないので、きっと狩りが趣味な御仁なのか、他の兄弟がやったのだろう。