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304. 疫病祭りで見惚れます(本編)




その日、ウィームは漸く疫病祭りを迎えた。



夏至祭にあわいの波が大きく動いたことなどもあり、今年の疫病祭りは昨年とは違う日程になっている。



(去年の今頃は、夏休みだったのに…………)



そう考えると不思議だが、このようにして年々祝祭やお祭りの日程が変化してゆくのがこの世界なのだと、ネアにも徐々に分かってきた。



魔術的に危ういタイミングを避けないと深刻な危険があるからだとも言えるのだが、市販のカレンダーの殆どが、その日程の変更に合わせて書き変わったりするのも面白い。


こちらの世界のカレンダーや時計は、魔術仕掛けで様々な要素を計測して刻々と変化してゆくのだ。

なので勿論、カレンダーへの書き込みは要注意である。


カレンダーの運用に関しては、特定の日を基準にするのか、何日後という考え方をするのか、ネアはこちらに来たばかりの頃はかなり苦労した。


驚くべきことに、こちらの世界の住人達はそんなことには慣れっこのようだ。

ネアの生まれた世界での、天気予報の変動くらいの感覚で焦らずするりと飲み込んでゆく。



例えば今年は、騎士達のヴァロッシュの祝祭がなかったのだが、そのようなこともあるらしい。



それは、ちょうどお祭りの日に夏至祭がずれ込んだせいなのだが、その結果ヴァロッシュの祝祭は秋の終わりに振り替え休日扱いとなってしまい、その時期もカレンダーがあちこち動くので場合によっては冬になるのだとか。


そうなると、練習や発表までの調整が狂うのではと思うのだが、日々鍛錬を怠らない騎士達は特に動じることはない。

来年の人形劇の準備期間が短くなるのだが、それについて触れると、皆一様に澄んだ瞳で遠くを見る。



(今年の夏のイベントは、音楽祭や、避暑地の夏休みにサムフェルも残ってるんだわ………)



そのどこかに海遊びを挟むのだから、ネアは感染症でお腹を水玉模様にしている暇などないのである。

凛々しい面持ちで覚悟の頷きを示したネアに、隣にいたウィリアムがこちらを覗き込んだ。



「ネア、水玉病になったらしいな。………痛くないか?」

「ほぎゅ。…………ウィリアムさんも知ってしまったのですね………」



今朝からウィームを訪れてくれたウィリアムは、その話を聞いてとても驚いたらしい。

その前日の夜まではネアのお腹は無事だったことを、大浴場でご一緒したので知っているのだ。



(あの時までは大丈夫だったのにな………)



そう悲しくなるのは、ネアが現在、クアンブルフという魔術反応による感染症にかかり、お腹やお尻に水玉模様の痣のようなものが出てしまっているからだ。


ディノに薬を貰って治療中だが、あまりの見た目に繊細でか弱い乙女は落ち込むばかりだった。


過激な水乞いの魔術と、海の魔術の残滓がぶつかったことでそのクアンブルフの魔術が発生し、そんなクアンブルフ魔術が感染したことで起こったのが今回の水玉病なのだが、水玉病そのものは炎症反応のようなものである。


ネアは、クアンブルフの魔術が体に合わないと判明したので、そちらの魔術に有効な守護が、あらためてディノやノア、アルテアの手によって増やされた。




「水玉病の症状が出ているなら、体は他の病への抵抗力が落ちている筈だ。今日はここで一緒に疫病避けをしよう」

「ふぁい。ウィリアムさんがいてくれるので安心なのです」

「そう言えば、アルテアは帰ったのか?」

「ええ、ウィリアムさんと入れ替えでした。でも少し滞在の予定を伸ばして今朝までいてくれたので、とても心強かったです」



疫病祭りの前の時期を警戒したアルテアの読みは、ある意味当ったようだ。


とは言え今回は、割れ嵐の影響によるものが大きかった。

ノアは、アルテアはそんな割れ嵐の原因になった術式を作ったかもしれず、内心かなり焦っていたに違いないと言う。

嵐の鎮めの儀式もそうだが、ネアが水玉病になったことは、内心堪えているのではと言われ、ネアはそんなアルテアのカードには、葡萄ゼリーのお礼と、良くなったら海遊びに一緒に行くのだと主張をしておいた。


ネアの使い魔は、ご主人様の肌が水玉模様になってしまっても嫌な顔をしなかった良い魔物なので、大事にする為にもスパイシーチキンを頼まねばなるまい。




「昨年も八月になったが、今年も遅くなったものだな…………」



そう呟くのはエーダリアで、今日は領主の休日的な少し軽やかな服装をしている。

艶のある砂色の布地のダブルカフスのシャツにクラヴァットを巻き、シンプルな細身のパンツは紺に近いくらいの濃い青だ。


こうして見ると、元王子様の休日スタイルというよりは、高貴な魔術師の休日という雰囲気がより強く出る。

ガレンの長としての威厳なのか、ネアがそんな違いのわかる素敵な女性になったものか、どこか魔術師特有の気配がするのだ。


一目で高位の妖精だと分かるヒルドや、擬態をしてもその美貌は隠さないノアが隣に立つと如何にも高貴な集団という感じになり、かなり人目を惹くのは間違いなかった。


時折、観光客にもエーダリアに気付いて、おおっと目を丸くしている者達がいたが、幸いにも、はしゃいだ観光客が突撃出来ないくらいには、ネア達の区画の周囲は知り合いで固められている。



「ディノ、今年は早い時間に山車が見られるのですよ」

「うん。毎年違う場所になるのだね」

「ええ、いつも春先に抽選会があって、そこで観覧区画が決まるのです。通りの向こうには、自由に入れる区画もあるそうですが、そちらは観光客の方でごったがえしているのだとか…………」



今年のリーエンベルクの観覧区画は、抽選の結果なかなかに見ごたえのある区画に当った。

昨年は可もなく不可もなくという位置であったが、公園沿いのこの位置は道がゆるやかにカーブしているので、前後に山車が二つ重なって見えるらしい。



そんな観覧席で、祝祭の日程変更に遠い目をするエーダリアは、祝祭が移動になって一番苦労する人物の一人である。


特に今回は、本来ならリーエンベルクも夏休みという時期にかかっているので、もうすぐ夏休みだという安堵と、今年もサムフェルに行けるという期待に負けぬよう、気を引き締めてかかっているらしい。

夏休み前までに領主としてきちんと勤め上げなければいけない仕事はまだ残っているので、エーダリアも気が緩まないようにあれこれ苦労しているようだ。



ネアがお土産で持ち込んだ海湖の魔術書は、その夏休みの避暑地で楽しむ予定なのだとか。

あの指輪の繋いだ特別な空間には古い魔術がたくさん眠っているので、エーダリアは魔術書片手にその探検をするのを今から楽しみにしている。




「今年は最後の最後まで、割れ嵐の影響や山車の不具合など問題がありましたからね」

「ああ、よく無事に今朝を迎えられたものだ…………」

「そりゃ、僕が頑張ったからだと思うなぁ」



そう微笑んだノアは、今年は人型での参加であった。


いい加減、リーエンベルクに住んでいる塩の魔物の存在に慣れてきた騎士達が多いからなのだが、ノア本人も、昨年よりしっかりとエーダリア達を守護したいという思いが強まってきたようだ。


昨年は一緒に観覧していたゼノーシュは、今年からは後方で観覧客の整備やエーダリア達の警護を引き受けている大好きなグラストの隣にいられるようになっていた。


昨年までのグラストは、この疫病祭りではゼノーシュと別行動だったのだ。

最愛の娘を病で亡くしたグラストは、疫病と死を表現した山車を見るのが苦手なようで、毎年この祝祭では後方で働きつつ、今は亡き妻子への思いを噛み締めていたらしい。


そんなグラストが、今年からはゼノーシュと一緒にいることを選択したのは、大きな進歩なのだとヒルドは言う。


妻や娘を亡くした時のことを思い出して悲しむ時間があるとしても、その隣にゼノーシュが寄り添えるくらいには、グラストは自身の契約の魔物を心に近付けたのだろう。

ゼノーシュも、そんなグラストの心境の変化を見逃さず頑張って交渉したらしい。


このような部分では決して機を見誤らないゼノーシュは、どれだけ愛くるしいクッキーモンスターであっても高位の魔物らしい老獪さもあり、だからこそグラストは、もう一度大切なものを得られたのではないのかなとネアは思う。




さぁっと涼しい風が吹く。



今日のウィームは曇り空だが、曇天と、その雲間から差す夏の日差しとのコントラストが疫病祭りらしい彩りとして、ニワトコの花と黒いリボンの飾りを際立たせている。


街の中の街灯をどこまでも飾る黒いリボンは、くっきりとふくよかな闇色の輪郭を示していて、この花飾り一つで街の雰囲気をがらりと変えてしまう。


髑髏のお面をかぶった観衆たちがそこに加わり、ウィームは、さながら死者の行列に占拠された異形の街かのようにも見えた。



「今年は、封印庫のお面が少し繊細な感じになりましたね」

「ええ、昨年のものが恐ろし過ぎると不評でして。あまりそのような感情を集めると、魔術を蓄えた品物は変質しますからね。今年は少し、柔らかい表現のものにしたようです」


そう教えてくれたヒルドに、ネアは幾つか見比べて一番形が気に入ったものを買った封印庫のお面を指先でなぞる。

全て手作りなので、微妙に形が違うのだ。


そろそろ始まるからと頭にかけておこうとすると、ディノがやってくれた。



この祭りを運営するのは、かつてウィームで猛威を振るった疫病の封じで活躍した、現在の魔術医療協会と、封印庫の封印を司る魔術師達である。



その二つの組織がそれぞれの山車を動かし、観客達が購入するお面も、その二つの組織から発売されるのだ。

昨年の封印庫のお面はとても怖かったので子供達が怖がってしまい、そんな恐怖の感情を集約してお面が荒ぶることを恐れた結果、今年は繊細な表現がどこか美しさをも見せるような独特な髑髏面になったらしい。


それぞれのお面に篭められた祝福が違うので、大抵の者は二種類購入する。

昨年は一個だけだったネアも、今年は水玉痣撲滅も兼ねて二種類のものを買ってみた。



毎年、黒い髑髏面を作る医療協会のものは、治癒の祝福を。

封印庫で売り出す灰色の髑髏面は、病を跳ね返す祝福を得られるとあり、この二つが揃えば安心ではないか。



(今年の封印庫の髑髏のお面は、薔薇の花と繊細な雰囲気の髑髏の表現で何だか詩的で綺麗だわ…………)



本当は、絶賛水玉病なネアは黒い髑髏面をかぶるべきなのかもしれないが、こちらはとても短絡的な人間であるので、見た目重視で封印庫のお面を頭にかけている。

勿論、治癒の祝福のある黒い髑髏面もしっかりと鞄にくくりつけていた。



(あ、あの人達は観光客かな…………)



ウィームの疫病祭りで売られるお面はとても有名で、質のいい病除けとして毎年多くの観光客達が相当量を買ってゆく。

大人気なあまり、他国では高値で転売されることもあるそうだ。

かなりの売り上げ額が見込まれるこのお面の収益は二つの組織の運営に使われ、領主であるエーダリアが、そこから税金などを搾取するようなことはない。


以前の領主は抜け目なくそこからも税金や土地代などを巻き上げていたようだが、各組織がどれだけの役割を担い、どれだけの維持費がかかるのかをきちんと計算出来る良い領主は、このお祭りの全ての収益を自分達で管理させることでその働きに報いた。



多少のお釣りが出ても、あればあるだけ、必要なものを増やしてより堅牢な働きを助けるだけなのだ。



その上でこんな風に一般客と同じように抽選会に出て観覧しているエーダリアは、ウィームっ子達の自慢の領主である。



「そろそろ山車が来る頃合いでしょうか」


伸び上がって呟いたネアは、恨めしい思いで遠くの屋台から視線を逸らした。


お腹が水玉模様の今、揚げ物などのお菓子も避けた方が良いと言われており、首からはアルテアお手製の食べてはいけないものリストをかけさせられていた。

あちらに見えるのはせっかくのお祭り仕様な揚げ菓子の屋台なのにと、哀れなネアは水玉病を呪うばかりだ。



「開会の詠唱が終わったようだから、そろそろだろう」

「むむ。そう言えばエーダリア様は、その開会式にも出ないのですね?」

「ああ。疫病祭りは彼等のものだからな。私が参加してしまう方が、警備なども含めて無用な手間をかける」

「どちらの組織に属する魔術師達も、地域の為に大きな役目を担いながらも普段はあまり表舞台に出ない者達です。彼等の晴れ舞台でもありますしね」


ヒルドの言うように、彼等の仕事は土地に住む人々に貢献し、専門知識と卓越した技術を必要する上に激務でもある難しいものだ。

封印庫の有名な三人の魔術師は、傘祭りの時にも活躍するが、一般職員が衆目を集めるのは年に一度の疫病祭りの時だけだった。



「とは言え、山車の修理には駆り出されたけどねぇ」



そう笑ったノアだが、封印庫の魔術師の一人から、お礼としてふよふよと浮くボールを貰ったので、彼等に対しては好意的なようだ。

リーエンベルクの銀狐にということで受け取ったにしても、恐らく銀狐の正体には気付かれているのだろう。

あえてボールを贈ってくれるあたり、その魔術師は、誰かにノアを喜ばせる為の知恵を借りたのかもしれない。



ふっと、観客席の喧騒が静まった。


ここからは見えないスタート地点で、山車が動き始めたのだろう。

ウィーム領民達も、観光客達も、固唾を飲んでその瞬間を待っている。

ネアは、昨年見た恐ろしくも美しい山車の装飾を思い出し、どきどきする胸をそっと押さえた。


冴え冴えと白く、どこか清廉な輝きすら湛えてニワトコの花が風に揺れる。

ネアは、背後から抱き込んでくれているディノの腕の中に収められたまま、遠くからしゃりんと聞こえてくる鈴の音に耳を澄ました。


やがて、出庫する山車が段差を乗り越えるガコンガコンという木の車輪が動く音が続き、現れた山車を見た観衆からはほうっと感嘆の溜め息が漏れる。


この場所は、山車行列の始まる場所に近いので、出発の瞬間の臨場感も味わえるらしい。



「………ああ、来たようだな。今年は、花撒きを一人増やしてあるそうだ。割れ嵐の後だから念の為にそうしたのだろう」



花撒きが増えた理由を教えてくれたエーダリアに、ネアは灰色水晶を編んだような不思議な籠から、淡いピンク色の花びらを撒く女性の魔術師達を眺める。


彼女達は一様に漆黒のケープを纏っていて、魔法使いのような羽根つきの帽子をかぶったあの装いからすると、恐らく封印庫の魔術師達なのだろう。


美しい微笑みを浮かべて惜しみなくふんだんに花びらを撒き、石畳に敷き詰めて土地の魔術を清める。

瑞々しい花は多くの魔術を含み、その生き生きとした健やかさで穢れを払うのだ。




「ほわ、綺麗ですねぇ」

「………………弾んでる………かわいい」

「ディノ、少しだけ風があるので花びらが風に舞っていますよ。とても綺麗なのです!」

「うん、ネアが可愛い」

「なぬ。私ではなく、通りの方を見るのだ」



花びらの絨毯を広げ、一行が近付いてくる。

風に舞う花びらとその奥から現れる山車は、どこか幻想的で美しかった。



先頭を行くのは、死と疫病の予兆とされる、禍々しい骸骨と牙を剥いて襲い掛かるような体勢の躍動感の素晴らしい、疫病の獣達の人形を積んだ山車だ。

そちらの山車はまだ予兆であるので、あまり疫病の系譜の生き物達が集まって来てはいない。


毎年、この疫病祭りで出される山車には、どこからともなく現れる疫病の系譜の魔物や妖精達が飛びついてくる。

そうして、集まって来た生き物達を、儀式舞で調伏するのが山車の周囲に立つ魔術師達の仕事なのだ。


彼等の、研ぎ澄まされた刃のように鋭く優美で華やかな舞は素晴らしく、ネア達観衆は、厄病避けのお面を盾にしてその調伏を応援し、全ての疫病が払われるのを待つ。


この祭りのクライマックスでは花火を振り回すのだが、昨年に初めてこのお祭りに出たネアは、あまりの激しさに呆然としてしまった。

その激しい破裂音と火花の強い光でも、疫病を追い払うことが出来るらしい。




「ウィリアムさん、あの左側に見える大きなにゃんこは、もしやローンさん…………」

「ああ、恐らくは疫病の魔物を表現しているんだろう。疫病の系譜の前触れとしては狼姿の者はいない筈だが、死の持つ獰猛さを意味しているのかもしれないな。なぜだか、人間は襲いかかる死を、狼として描くことが多い」


死者の王自らの解説に、リーエンベルクの席では騎士達も耳を澄ましているようだ。

このような機会はなかなかないし、ウィリアムは、人間の文化圏に知識として伝わっていないことも時折教えてくれる。

終焉に纏わる事柄は、古来より人間の最大の関心事でもあった。



ぎぎぎっと、山車の上の大きな人形が揺れる。



ネアは、その音にぎくりとして慌ててディノの腕に掴まったが、良く見れば髑髏人形は少しだけ動くようになっているようだ。

それが山車の振動に合わせて軋んだだけらしい。



時折そうやって木の触れ合う鈍い音を立てるので、近くの区画にいた家族連れの子供達がびゃっと飛び上がって慌てて髑髏面を深く下しているのが見えた。

それもまた、狙って作られた山車人形の演出なのだろう。



(このお祭りの山車人形は、どれも凄味があるというか、怖いのに魅入られてしまいそうな程に美しいのだわ………)



石畳の道に敷き詰められた花びらを踏んで、ガラガラと木の車輪を回して大きな山車が通り過ぎてゆく。



近付けばその大きさに視界が翳り、ふわりと不思議な荘厳さのある香りを漂わせ、曇天の空の下で翳った死者の王や疫病の系譜の人外者達の人形は、その仄暗い雰囲気を否でも応にも増してくる。


灰色の空には薄紅色の花びらが映え、その中をゆっくりと進んでゆくのはどれも凄惨だがどこか神々しい場面を模した人形ばかりだ。


ネアが目を奪われるのは、去年教えて貰った三代前の封印庫の魔術師が作ったというものが多いが、それ以外のものも、細工の美しさは、その工程の多さを想像するだけで頭が痛くなる程に素晴らしい。


細やかな細工は、金や銀板の加工から結晶石の彫りもの、土台となる木の山車にいたっては、もうその板から立派な木が生えているのではと思わせる程の彫刻の緻密さではないか。



夢中で美しい山車行列を見守っていると、二台目の山車に乗せられた大きな疫病の妖精の人形の周囲に、黒い靄のような不思議な生き物がへばりついているのが見えた。


昨年にこのお祭りで見かけたどの生き物よりも随分と大きく、巨大な蝶のようにも見える。



「……………蝶々でしょうか」

「おや、疫病の系譜の精霊だけれど、あまり街などでは見ないものだね」

「蝕のある年だからか、今年は現れるものも大きいですね。…………やれやれ、そう言えば前の蝕の時もこんな感じだったな…………」


ディノに応えたウィリアムのどこか疲れたような声に、しゃりんと鈴の音が重なった。




(あ、…………)



そこに現れたのは、昨年も見かけた医療協会の魔術師だ。


山羊の角のある髑髏面をかけ、裾の部分の複雑なデザインが鳥の羽のようになっているケープを纏い、石畳の花びらの上で優雅に調伏の舞を踊る。


前を行く山車の後方に張り付いていた黒い靄のような蝶は、その姿に気付いたのかふわりと羽ばたいて、彼と向かい合った。



どちらも優雅な動きなので分り難いが、これは一種の儀式的な戦いなのである。



山羊角のお面の魔術師が軽やかに舞い踊る度、じゃらりとつけた腕輪やケープの裾の鈴が鳴り、しゃりんしゃりんと澄んだ音を響かせて、不思議な音の輪を作った。

柔らかな素材の靴で軽く踏み抜いてゆくステップは、石畳に鮮やかな魔術陣を描いてゆく。



大きな蝶も忙しなく羽ばたいて応戦しているようだが、ネアの目には、山羊角の魔術師が優勢に見えた。



(確か、音の檻を作って、その中で攻撃をしかけているのだった筈…………)



その一族にだけ伝わるような継承魔術なのだと、昨年ディノに教えて貰った。

ウィリアムも褒めていたくらいなので、彼の編む魔術はかなりの技量に違いない。



「あの術式を使う人間がまだいるのも驚きだけど、今代の当主は大したものだね。今の舞で術陣を二重に絞るあたり、茨の魔術師達の全盛期でもなかなか出来るものはいなかったんじゃないかなぁ…………」


そう呟いたノアは、鮮やかな青紫色の瞳を眇め、離れた位置で身軽に舞うその魔術師を暫く観察していたようだ。



「ノアは、あの方の使う魔術をご存知なのですか?」

「うん知ってるよ。舞で描く術陣は、円形の内側に鋭い棘のような刃を描いて、茨の輪を表現しているんだ。だから彼等は茨の魔術師と呼ばれることが多いかな。あの舞の動きは、雪喰い鳥を模したもので、ウィームに古くから住む一族なんだ」

「…………だから、鳥のようで、尚且つ獰猛な獣のような動き方でもあるのですね。とても独特で、………見惚れてしまうくらいに美しいのです」

「ほら、ああして指の先まで美しく踊るからこそ、あの魔術はどこまでも研ぎ澄まされているんだ。うん、そろそろ終わりそうだね…………」



向かい合ってぐるぐると回るように見えるのは、獲物がもう彼の描いた術陣から出られないからなのだろう。


その周囲を優雅に舞う魔術師は、大きな鳥の翼のケープを翻し、その度にしゃりんしゃりんと鈴が鳴る。

爪先が地面を蹴る度に花びらが舞い、誘うように伸ばされるその手は、どこか蠱惑的ですらあった。



やがて、昨年も聞いたコーンという、澄んだ堅い音が響いた。



よく見れば履いている靴の左足の踵の部分にだけ木の板が張られているみたいなので、その部分で石畳を打ち、あの不思議な音を鳴らすのだろうか。


その音が響くや否や、大きな黒い靄の蝶はざあっと青白く燃え上がって消える。



その途端、観客達がわぁっと歓声を上げた。




「むふぅ。今年もとっても恰好良かったです!」

「浮気………………」

「まぁ、あの方の儀式としての動きが素敵だなということなので、ディノが荒ぶるようなことではありませんよ?」

「あんな魔術師なんて……………」

「でも、あの方は狐さんの予防接種を上手にして下さるので、我々にとっては欠かせない人材なのです」

「え………………」



そんなネアの指摘に、ディノは呆然と目を瞠った。


ネアは、今年の調伏の舞を見ながら、あのお面を今年の春の予防接種の会場でも見たぞということに途中で気付いたのだ。

それまでは気付かずにいたが、背格好や独特の服装の感じといい、まさに、あの時の凄腕獣医さんではないか。


ディノは、無言でこちらを見たノアと顔を見合わせてしまったが、ヒルドはそう言えばと頷いている。



「彼は、腕のいい魔獣専門の獣医ですよ。呪いや穢れなどの専門で、人間の病においてもかなり有望な研究を進めていたそうですが、患者との会話が不得手なようで、そのような気苦労のない獣医になったと、彼の父親が話しておりましたね」

「そう言えば、お前がウィームを訪れた時に、シヴァルとも会ったことがあったな……」


そう頷いたエーダリアに、ネアはこてんと首を傾げた。



「ヒルドさんは、あの方をご存知なのですか?」

「アーヘムが、彼の父親と親しいですからね。あの一族の使う装束は、成人するときに一着だけ作る特別なもので、シヴァルの父親のものはアーヘムが作ったのですよ」

「まぁ、そんなに大事なものなのですね。確かに、裾の部分を翼のような形に整えてあって、動くだけでとっても綺麗なケープなのです。そこにアーヘムさんの刺繍が入ったら完璧ではないですか…………」



調伏を終えた彼には、あちこちから労いの声や拍手が送られる。


とは言え、まだ山車行列による儀式の最中なので、シヴァルがそれに愛想よく応えるということはなく、引き続き彼はケープの裾の鈴を鳴らして、疫病封じの舞を踊りながらゆっくりと前に進んでゆくのだ。


止まっていた後ろの山車も動き出し、ぎぎぎっと音を立ててネア達の目の前を通り過ぎてゆく。


今年もその後ろに続くのは、病で亡くなった者達が死者の門をくぐる情景を表現している大きな山車だ。



ややあって、ようやくノアが言葉を発せるようになったらしい。



「……………ええと、あの魔術師が僕に注射した獣医なのかい?」

「ええ。お面が同じでしたし、背格好や身に纏う雰囲気もよく似ているので、あの方だと思いますよ。あっという間に予防接種を終えてくれたので、秋の時にもあの方の列に並びましょうね」

「予防接種……………」



また今度という恐ろしい予告にノアは固まってしまい、そんなノアを、ウィリアムが瞠目したまま言葉をなくして見ている。


ウィリアムも、ノアがあの銀狐であることは知っているのだが、ペット用の予防接種を受けているという会話は許容範囲を超えるようだ。



エーダリアは生真面目に頷き、シヴァルの後ろ姿を見送る。



「成る程な。シヴァルは、予防接種も上手いのだな」

「ええ、大騒ぎするつもりだった狐さんが、さっと注射されてしまって、目をぱちくりさせていたんです」

「………………僕はさ、予防接種なんてしなくてもいいと思うんだよね」

「おや、そのような処置をしていない生き物は、リーエンベルクの中では暮らせなくなりますが、構いませんか?」

「ネア、ヒルドが虐めるんだけど…………」

「ノア、またアルテアさんが一緒に予防接種に連れて行ってくれますから、次も頑張りましょうね」

「…………ネア、確かアルテアは、ノアベルトが…………そうだと気付いていないんだよな?」



片手で頭を押さえたウィリアムに尋ねられ、ネアはこくりと頷いた。

するとウィリアムはどこか悲しげな目で、ノアを振り返る。



「早めに本当のことを話した方がいい。アルテアでも、………多分だが、傷付くぞ…………」

「ありゃ。………僕だって、これでも衝撃を緩和出来るように時期を図ってるんだよ」

「ネイ、私も、そろそろアルテア様にはお伝えした方がいいと思いますよ。…………おや、」




そこで、ヒルドが顔を上げた。

一足先に異変に気付いていたネアは、既に上空に視線が釘付けである。




曇天から差し込む僅かな陽光を遮り、死者の国を表現した山車の上空に、見たことのない黒い塊が出現していた。



小さな黒い渦のようなその物体は、よく見れば小さな生き物の集まりのようだ。

危険を察した観客達はさっとお面をかぶり、周囲は奇妙な髑髏面の人達だらけになる。




「むむぅ。こちらに来ますね………」



上空の塊が目指すのは、とある山車のようである。


ネアが不安になって振り返ると、ウィリアムがどこか冷たい魔物らしい目をして深く微笑んだ。

ネアは、上空からやって来る生き物達がとても不憫になった。







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