299. 新しい王様が選ばれます(本編)
本来なら後は任せて解散という形でも良かったのだが、ネアは今回の海竜の戦の参加者であり、優勝者になる。
与えられる恩恵を受け取る為に、その授与式めいたものがあるらしい。
なので現在、ネア達は与えられた貴賓室のようなところで、その授与を待っていた。
何しろ海竜達は今、新しい王様を決めているのだ。
「綺麗なお部屋ですね。こういうところを見ると、海の王宮の印象がぐっと変わります!」
ネアがそう言うのも無理はない。
何しろ万象の魔物がいるので海竜達もすっかり恐縮してしまい、最も美しい部屋をと通されたのは、新代の王の妃の為に用意されている、青空の代わりに海の青い光をふんだんに採り込んだ、温室のような素敵な部屋であった。
(海の中に森があるなんて…………)
まずはそのことに、ネアはすっかり感動してしまったのだが、その部屋の周囲は美しい赤や黄色の不思議な木で目隠しされていた。
遠目で見た時には、その色合いから珊瑚の森のようなものかと思っていたら、不思議なことに造詣は地上に生えている木そっくりなのだ。
海の底に生える不思議な木々には丸い宝石のような実がなっていて、クリスマスオーナメントのようにきらきらと光る。
何て綺麗なのだろうと、ネアはすっかり夢中になった。
「こんな深い海の底の青い光の中だと、ディノはとっても綺麗に見えますね」
「……………ずるい」
「皆さんがいるので安心ですし、小海老サンドを食べるのに、うってつけの素敵なお部屋です」
「……………おい、どこから出した」
「影の国を後にする前に、この素敵な小海老サンドを入手しましたので、海竜さんに取られないようにと金庫の中に、隠しておいたのですよ」
「俺達が弾き出されてから、お前がこっちに戻されるまでの時間で?」
「うむ。こちら側に引き戻される直前に、倒した竜さんの残りの部位と引き換えに、お盆の上にあった小海老サンドをいただきました」
「勝手に持って来たのかよ」
「あら、対価としては充分な程の竜さんです。若干頭部が激辛香辛料油に汚染されていますが、鱗も爪もたくさん残っていましたからね」
ネアはそう言うと、楽しみにしていた小海老サンドをぱくりと齧る。
新鮮な小海老はシンプルに塩茹でにされていて、マスタードマヨネーズ風味なソースは控えめだ。
けれどもぷりっとしている小海老は味がしっかりしていて、ネアはその美味しさに目を輝かせた。
「おいしいれふ!」
大喜びのご主人様に、ディノはなぜか目元を染めてしまい、ふるふるしながらネアの頭をそっと撫でてくれた。
すぐに抵抗力がなくなってしまうので、ネアはか弱い魔物が少しだけ心配になる。
はぐはぐと小海老サンドを頬張り、端っこを苦心して上手い具合に千切ると、えいっとディノに差し出した。
「はい。影の国の気分を分け合いっこです」
「………………かわいい」
「この小海老サンドはとっても美味しいですよ。………むむ、シェダーさんも食べます?」
「有難う、でも、今は空腹じゃないから大丈夫だ。君に小海老サンドを食べさせてやれていないのが心残りだったが、無事に食べれたようで良かったな」
「はい!シェダーさんが、事前に小海老サンドの情報をくれたお蔭ですね。……それと、アルテアさんはそんなじっとりとした目でこちらを見ても、もう今日は海老を控えて下さいね。自分の体よりも質量があるくらいにたくさんの海老を食べてしまったでしょう?」
「やめろ、それはあの姿でのことだろうが……………」
「アルテアは、海老を沢山食べたのだね」
「ええ、ちびふわは海老の塩焼きに夢中でした。…………は!そう言えば、若干べたべたなまま吐き戻しに遭いましたが、大丈夫だったのでしょうか…………?」
ネアはちょっと海老臭がしたりするのかなと、アルテアをくんくんしてみたが、恥ずかしがった魔物にべしりとおでこを叩かれてしまった。
幸いにも、海老の匂いはしないようなので問題なさそうだが、ネア自身も海老を食べたばかりのお口なので、実は巧妙に隠しているのかもしれない。
ノアとウィリアムは今、海竜達と一緒に暦王の処遇について話し合っている。
離宮にいる間に、セレスティーアがディノに頭を下げ、ネアを巻き込んでしまったことへの謝罪と、事件の解決の為に、どうか知恵を貸してほしいと頼んだのだそうだ。
海竜達だけでその処分の決定を行えば、既にこれだけの事件を起こした以上、海の生き物達はその裁定を信用しないだろう。
圧倒的な高位者の介入があることでしかその一族への疑念を拭い去れないくらい、暦王は長きにわたって海を欺き続けてきたのだ。
(ディノが関わることで、今後も他の海の生き物に頼られても面倒だからと言って、ノアとウィリアムさんが王様の選定会議に参加してくれているけれど…………)
その二人ならまず間違いないのだが、それでもここは海の底である。
ネアはちょっぴり二人を心配しつつ、そんな二人がさっくり海竜を激減させてしまうことも懸念していた。
「ネア、あの王子とは牢獄で出会ったのだよね?」
「むぐふ。………はい。ロキウスさんは私達の隣の牢屋で、ずっと一人でいたようなのです」
「他に、海竜の王族はいなかったかい?」
「………………む?どなたか、他に行方不明の王族の方がいるのですか?」
こてんと首を傾げたネアに、ディノは、海竜の王子達について教えてくれた。
離宮で、アデラ達と話をしたという。
「海竜の王子は八人いる筈なんだ。王子が生まれる度にお披露目があるから、それは間違いないらしい。君が出会ったロキウスは二男で、長男は、君がこの王宮の扉の間で出会ったというエッボという者だ」
「あの、私の獲物を見て失神した、ざんね……げふん!……繊細な竜さんですね…………」
「ロキウスの側に居たのが、三男のベリス、珊瑚の魔物の崩壊で死んだとされるのが四男のシャンファルだ。六男と七男はリドワーンがその姿を確認したようだし、八男はまだ幼いからね、王宮内に教育係の海の妖精達といるところを家臣達に付き添われ、海の精霊王の領域に保護されている」
保護という言葉を聞いて、ネアははっとした。
大事なことを失念していたが、アダンだけが今回の事態に関わっていたという訳ではないのだ。
良く考えれば、海竜の戦に参加した者達など、アダン派の者達が一定数いておかしくない。
確かに彼は偉大な王として振る舞っていたようだが、純粋にイブ王として彼に仕えた者だけではなく、その中には彼の秘密を知った上での協力者や、今の彼をこそと主従する者がいる可能性だってある。
その場合は秘密を明かされたくらいで、アダンから離反するまい。
そんな者達に害されたり利用されるのを恐れ、第八王子は保護されたのだろう。
「……………五男さんが、行方不明なのですね?」
「その前にもうひと世代いるだろ。今の王子達は、孫の代だぞ」
「む!そうなると、アダンさんの息子さん世代の竜さん達の中にも、何か良くない理想や野望を抱えた方達がいらっしゃるのかもしれないのですね?」
「その前の世代の王子は三人だ。前王とその王が死んだ直後二日だけ王となった弟、……あのロキウス王子の父親だな、その二人は南方の海域の氏族の内乱を鎮めに行き、そこでそれぞれ暗殺されている。だがもう一人、第五王子と第八王子の父親である、プロネという竜がどこかにいる筈だ」
アルテアの言葉を聞き、ネアは父と息子が一緒に行方知らずになっているという不穏さに眉を顰める。
暦王がこの海竜の王宮を治めた時間の長さを考えれば、そこから張り巡らされた根は思っているよりも深く、あの王一人を断罪してもその根はどこかに残るかもしれない。
「しかし、…………いらっしゃらないのであれば、寧ろそのお二人は無関係か犠牲者であるという考え方も出来ませんか?」
「そうだね、既にアダンに葬られてしまっている可能性も高いだろう。だが、あえてこの騒動から身を隠し、その意志を繋ぐ者として息を潜めている可能性もある」
そう呟き、ディノは少し憂鬱そうにネアの膝に三つ編みを置く。
魔物達がそれを案じるのは、ネアが今回の一件に深く関わっているからだ。
それを重々承知しているので、ネアも神妙に頷いた。
(恐らく、今回の事件で明るみに出て幕引きとなるものでは、その全てとはならない気がする………)
「ゾーイさんはご存知の方のようでしたが、私達を最後に襲った組の女性の方は、どうもアダンさんの恋人さんのような雰囲気の方でした。そのように、アダンさんと深く関わる方が他にもいらっしゃるかもしれませんね……………」
「まぁ、いるだろうな。竜は宝でも見付けない限りは多情だ。見ている限りはあの女王が本命みたいだったが、守護を与え耳や目の代わりにする為の手駒、単純な暇潰しも含めて考えれば、一人ってこともないだろう」
アダンは、王としては強い男性だったのだろう。
粛清や統治も含め、彼を憎んでいたアデラが嫌悪しながらも王座に居座ることを許していた程だ。
竜は力で屈したものにこそ仕え、ネアが見たロキウスとクフェルフのような関係は珍しいのだと言う。
分りやすい純粋な強さを誇示していたアダンは、ある種、分り易い王ではあったに違いない。
「海竜の戦の勝者として得られる恩恵では、不可侵の約定を設けた方がいい」
そう言ったのはシェダーで、ネアは、そんな彼がディノと並んで座っていることに場違いな喜びを感じてしまう。
離宮ではウィリアムとも会話があったようだし、今回の事件の恩恵として、彼等がこうやって再び共闘してくれたことは大きいと考えていた。
ネアに呼び出されてしまっただけなので、ディノ達が来てくれた後も拘束するのは申し訳ないかなと思っていたが、そう申し出たネアに、乗りかかった船だからなと優しく微笑んでくれたので、最後まで付き合ってくれるようだ。
「海竜さんに、悪さをされないようにするのですね?」
「確かにそれがいいだろうな。ノアベルトの力はかなりの範囲で及ぶだろうが、明確に誓約を結んでおいた方が安全だ。竜は情が深いからな、逆恨みされて自滅覚悟で向かってくる奴なんぞ迷惑でしかない」
「…………君の守護を損なえはしないだろうけれど、君が怖い思いをするのは困るから、そうした方が良さそうだね。得られる筈の恩恵を手放すことについては、私からエーダリア達と会話をしておこう」
「そうであれば、………ディノ、ヴェンツェル様に差し上げた海竜さんの宝玉を覚えていますか?」
ネアがそう言えば、ディノは不思議そうに頷いた。
「君が、砂浜で拾ったものだね?」
「はい。ロキウスさんがある程度の立場を維持出来れば、あの方は、その宝玉を相当の謝礼で引き取りたいと仰っていました。今回の海竜の戦で得られるものがないのであれば、そちらを持ち出して交渉するのも可能かなと思うのです」
「だったら、それで決まりだ。ヴェンツェルがとやかく言うようであれば、俺が黙らせておく」
「それに竜さんは、いざとなれば、この人魚の笛でぴっとやってしまうのです!」
ネアがそう言ってポケットの中の人魚の笛を取り出すと、部屋の中はしんとした。
「ネア、…………これ」
「そう言えばその笛について、話をしていなかったな。…………ネア、海竜達が探している至宝はそれではないかと、俺は思うんだが…………」
「なぬ?!」
苦笑したシェダーにそう言われ、ネアは目を丸くした。
「お前な………、それが、どれだけの魔術を内包していると思ってるんだ。そんな代物、そうそう転がってないぞ。内側の光を見ても何とも思わなかったのか」
「市場で買った古びた笛だったのですが、買った当初はくすんでいてこんな風に光っていなかったんですよ。ホテルで、逃げ沼用に持ち歩いている、洗浄の魔物さん印の泥汚れ洗剤でごしごしやったところ、こんな風にぴかぴかになったのです」
余談だが、洗浄の魔物は近年伯爵位になった魔物だ。
洗浄の魔物の特別な印を作り、その印を入れた洗浄剤をたくさん売り出している。
その印には類似品などを作らせない特殊な魔術が敷かれており、類似品を作った者は呪われてしまうらしい。
あまりの洗浄力に、主婦層や、洗濯妖精溺愛の品揃えで、今回人魚の笛を綺麗にするに至った。
誇らしげに笛の自慢をしたネアは、なぜかアルテアから呆れたような眼差しを向けられる。
「…………良く考えろ。お前の可動域で、洗浄が出来ると思うか?」
「むが!ゆるすまじ!」
「洗浄剤の魔術と、その笛を覆っていた封印や穢れのようなものが、上手く反応したのではないかな?くすんでいたのなら、その時まではこの笛は内側に蓄えた魔術を使えない状態にあったのだろう」
「ふにゅ。私のごしごしで綺麗になったわけではなかったのですね………。…………そ、そう言えば、売り手の店主さんは、吹いても何も起こらないと仰っていました……………」
すっかり綺麗になってしまったので、その笛に何が起こっていたのかはもう分らない。
だが、本来の力や魔術を封じられ、その結果誰にも探し出せずにいた可能性は高いという結論に落ち着いた。
どのような経緯でか、海竜の至宝は、影の国に住む人間の一族に代々人魚の笛として伝わっていたようだ。
「もしかしたら、言葉や認識の呪いだったのかもしれない」
そう呟いたシェダーに、アルテアが頷く。
「認識の呪い?」
首を傾げたネアに、アルテアが解説してくれた。
「言葉や認識には魔術が深く強く紐付く。大抵の呪いや術式は、そのどちらかを軸にするくらいだからな。その笛は、持ち主達に散々人魚の笛だと言われたせいで、本来の海竜の至宝としての力を封じられたのかもしれないな」
「ほわ、…………ご店主のお爺様には、カワウソだと言われていたようです。こんなに竜さんな笛なのに可哀想な笛だったのですね…………」
ネアは購入した時から、竜の形をしていると思っていた。
ディノから、そんな持ち主の認知行為も、この笛の封印が解けたことに一役買っているのかもしれないと言われ、ネアは誇らしい思いできらきら光る笛を眺めた。
「この笛を、吹いてみたのかい?」
「ええ。ゾーイさんを襲っていた竜さんに向けて吹いたら、お座りしました」
「お座り…………。海竜達を従えるような力があるのかもしれないね」
「まぁ、そんなに大事なものだったのですね……………」
「あわいでのイブは、至宝そのものが海竜から失われているとは話していなかった。彼がいなくなってから失われたのだろうけれど、このような状況にあったのなら、それで良かったのかもしれないよ」
深く青く、美しい海の光が天井から差し込む。
お伽噺の一場面にも似た、海の中にある温室のような部屋で、ネアはこうしてあらためて取り出してみると、影の国にあった時よりもいっそうに強い光を宿すようになった人魚の笛を眺めた。
海竜の笛なのだと心の中でその言葉を転がし、やっとこの場所に帰って来られた笛をそっと撫でてやる。
(イブさんも持っていたものならば、こうして色々なものが正常化してゆくタイミングで戻ってこれて、良かったのだと思う………)
影の国に隠されていた為に、この笛は悪用されずに済んだ。
アダンが拘束された今、この笛が返されるのはきっと新たな正しい王になるだろう。
そんな期待を胸にネアは、たいそう怯えながらではあるが、呼びに来てくれた海竜の女性に案内され、この王宮にある最も大きな王座の間に通された。
何かがあるといけないということで、ディノに持ち上げて貰いながら入ったその空間で、ネアは仰天することになる。
「ほわ………………!」
そこは、まるで巨大な円形劇場のような広大な空間だった。
客席にあたる部分には大勢の人々が並んでおり、ネア達が歩くのはその中央の、舞台にあたる部分だ。
一枚一枚に精緻な模様が彫り込まれた滑らかな漆黒の石が敷かれ、青い宝石で作られたような美しい王座が一段高くなった中央に置かれている。
このような空間を何と呼べばいいのだろう。
劇場に例えてしまうなら、二階建の客席部分からは、鮮やかな青の垂れ幕が下がっていて、そこには見慣れない紋章のようなものが記されていた。
海竜には多くの氏族がいるというので、各氏族にこのような家紋のようなものがあるのかもしれない。
天井はここも温室のような硝子張りで、鮮やかな海のその青い光をふんだんに採光している。
中央から下がる巨大なシャンデリアは、魔術の火を入れる部分が珊瑚を模してあり、貝殻や真珠をふんだんに使って装飾されているので、何とも繊細で色鮮やかだった。
「す、すごい空間ですね…………」
「海竜は様々な一族を統合した組織だ。このような形の王座の間が必要になるのは、様々な決定に関わる者達がとても多いからだろうね」
ずんと、空気が揺れ沈む。
今日のディノは擬態をしていないので、海竜達はここにいる魔物を、万象の魔物として認識している。
そこに向ける畏怖の念が怖いくらいに膨らみ、中には泣き出したりディノに向かってお祈りしている竜もいるくらいだ。
ディノはそれがあまり嬉しくなかったのか、すいっと片手を横に滑らせた。
すると、なぜか竜達は怯えたような気配を緩和させる。
(街を歩くときに擬態するようなものかしら………?)
王座はまだ空っぽだった。
その代わりに、王座の前には立派な円卓があり、そこを囲むようにして、ネアもよく知っている者達が椅子に座っている。
知らない顔もあるが、ノアやウィリアム、椅子ではなく卓上に乗ってしまっているセレスティーア、ゾーイ、そしてロキウスと彼に取り縋っていたベリスという弟王子達だ。
勿論知らない者達もいて、総勢で二十名程の顔揃えになっている。
(あ、でもあの端っこにいるおじさまは、ロキウスさんのところにいた人かしら。綺麗な服装になると雰囲気が変わるから……)
特に先程見た王子達は華やかな盛装姿になっていて、宝石などをふんだんに飾った軍服姿になっていた。
そうして装えば、青年姿のロキウスも、その中性的な線の細さまでがどこか危うく美しい。
他の王子達は凛々しく美しく、同じような軍服のリドワーンの服装を考えても、海竜達はこのような装いを好むのだろう。
海竜が海の管理者と呼ばれるのが少しだけ分ったような気がした。
「ネア、新しい海竜の王が決まったぞ」
そう言って微笑みかけてくれたのはウィリアムで、海竜達と同じような軍服姿ではあるものの、その凄艶さははっとする程に鮮やかで、彼等とは全く違う種の生き物なのだと誰の目にも明らかだろう。
それは、シンプルな黒いコートを羽織っているだけのノアも同じで、いつもより魔物らしい表情で笑うノアは、海竜達が恐れる塩の王という雰囲気そのものであった。
「まぁ、どなたが王様になるのですか?」
ウィリアムの表情を見て、ネアは何だかいい事が起こりそうな気がした。
すると、そのネアの言葉にゆっくりと立ち上がったのは、先程まで死にかけていたのが嘘のように、凛々しく艶やかな濃紺の軍服姿になったロキウスだ。
「僕が新たな海竜の王となる。………もう一度王座に戻るのは、何だか不思議な気持ちだが、あなた達が齎してくれた救いと恩恵に感謝して、もう一度、この国や仲間達の団結をしっかりと立て直してゆくつもりだ」
「ロキウスさんが王様になるのですね!」
思いがけない吉報にネアは目を輝かせてディノの方を見た。
良かったねと微笑んでくれるものの、ディノはネアを少しだけロキウスから遠ざけたようだし、そっと三つ編みも持たせてくる。
まだ少し、海竜を飼うと言い出さないかどうか警戒しているらしい。
一応、ネア達にも椅子は用意されているのだが、ディノを含め、アルテアもシェダーも、まだ座るつもりはないようだ。
「簡単な話なんだ。ロキウスが、ネアとゾーイの組を選んでいることになっていたらしいからね」
そう微笑んだノアに、ネアはまた嬉しい驚きに目を瞠った。
立ち上がって進み出たロキウスは、まずはディノに向かって深々と頭を下げた。
切り揃えられた水色の髪が揺れ、その瞳には安堵と共に、強い覚悟が現れている。
観客席部分にいる竜達が大人しくしているのは、その王の決定の場面が既に終わっているからなのだと、ネアは今更ながらに気付いた。
あの垂れ幕に記されているのは、恐らくロキウスを示す紋章なのだろう。
クフェルフの姿はないが、ここには暦王や女王の姿も見えないので、そちらの対処にあたっているのかもしれない。
リドワーンの姿もないが、彼はもう帰ってしまったのだろうか。
「当初の僕は、暦王に決められ、ナト達を選んでいるということになっていたらしい。しかし、僕はナト達とはあまり良い関係ではなかったからね。何かがおかしいと考えた弟が、参加者の一組が変更になったことを踏まえ、もう一度選び直すべきだと提案してくれたんだ」
そうして、アデラから暦王への疑惑を聞いていたベリス王子は、まだ半信半疑ながらも、そんな祖母が最後に選んだ者達が最も安心出来る者達に違いないと、敬愛する兄に紐付けた。
「聡明な弟のお蔭で、僕はもう一度王になれたと言う訳だ。ベリスの補佐はこれからも、僕に様々な助言や力を与えてくれるだろう」
その言葉に客席の一画が沸いた。
今いる各王子達はそれぞれの氏族が違うそうで、その辺りにいるのが、ベリス王子の氏族なのかもしれない。
「いえ、兄上とゾーイ殿が友人であったからこそ、私はそうしたのです。兄上のご友人である海嵐の精霊王殿が、我等に良き新代の王を与えてくれたのでしょう。新たなる王に、そして良き隣人でいてくれたゾーイ殿に、………そして、我らが王の命を救って下さった万象の君の婚約者様に」
ベリス王子も立ち上がり、まずは王になるロキウスに、そして今回の戦に参加してくれた海嵐の精霊王に深々と頭を下げる。
そして最後に、ネア達の方を向いて、じわっと涙目になるといっそう深く頭を下げてくれた。
(ああ、この人はロキウスさんが大好きなのだわ………)
ノアの精神圧にもめげず、床を這うようにして彼が駆けつけた時にはまだ、ロキウスは目を閉じてぐったりと横たわっていた。
大切な兄がそのような姿でいるのを見て、ベリス王子もどれだけ怖い思いをしただろう。
なのでネアは、一度ディノと顔を見合わせてから、そんなベリス王子に微笑みかけた
「私がこの方を助けたいと思ったのは、ロキウスさんがとても素敵な方で、部外者の私が少しお話しただけでも、信頼に足る方だと思ったからです。あのような状況下でしたし、魅力的ではない海竜さんであればやむなく見過ごすこともあり得ましたので、この結果はロキウスさんご自身の力で得られたものだと、私は思います」
ネアの言葉に、ベリス王子は微笑んで頷くと、誇らしげに兄を見た。
少し照れたように笑ったロキウスに、円卓についたゾーイも嬉しそうに唇の端を持ち上げている。
ひとしきり和やかな空気になった後、どきりとするような冷たい声を発したのはノアだった。
「さて、幸せな話はひとまずここまでだ。これからは、あまり気分の良くない話もしなければだよね?勿論、海竜の戦の勝者への祝福も残っているけれど、それはこちらの処分を終えてしまってからの方がいいだろう」
ざわりと、集まった海竜達の囁きが空気を揺らす。
小さな呻き声や不安の囁きが集まり、大きな波音のように王座の間を覆った。
そんなざわめきを割るようにして、ロキウスが声を張る。
「先に話したことであるが、かつて、我等一族を統合した偉大なるイブ王に成りすまし、長くこの王座に留まった咎人がいる。その欺きを看破出来ず、無様にも囚われてしまった私ではあるが、あらためて皆に問いたい。この場に同席して下さる尊き方々の目の前で、我々は海竜としての正しい処分を下さねばならないと思うが、賛同してくれるだろうか」
ロキウスの声は朗々と響き、周囲を囲んだ数多の氏族の海竜達は神妙な面持ちになる。
深く項垂れている者や、涙を浮かべている者、怒ったような顔でそうだと頷いている者と様々だった。
しかしネアは、ごく一部にどこか反抗的な眼差しで、ロキウスを見た者達がいることに気付いてしまった。
「塩の王のご尽力をいただき、咎人であるアダンは、イブ王の御遺体より引き剥がすこととなった。僕は、その上で、アダンには厳しい裁きを受けさせねばならないと考えている」
そう宣言したロキウスに、一人の男が手を上げた。
視線で促され立ち上がったのは、こげ茶色の軍服を纏った、背の高い壮年の男性だ。
「あなた様が王になることに異論はありませんが、暦王の処遇につきましては、異存ありと言わせていただきたい。我等竜種は、力にこそその正しさを持つ者。アダン様は、己の力でイブ様を打ち負かしたのでありましょう。であれば、竜の理に則り、彼は勝者ではありませんか」
その言葉には、幾つかの賛同の声が上がった。
まばらにではあるが、ここまで聞こえる程に声が上がるのだから、実際にはもっとそう思っている者達がいるのかもしれない。
「…………わかってないなぁ。そんなのはどうでもいいんだよ」
そんなざわめきを切り裂くように響いたのは、刃物のように鋭いノアの声だった。
ネアは、耳元で小さな溜息を吐いたディノを見上げ、大丈夫だよと微笑みかけて貰う。
ノアの鋭い声にぎくりとしたように声を潜めた海竜達に、塩の魔物は青紫色の瞳を眇めて、泰然と微笑んだ。
「君達の理想も矜持も、僕達にとってはどうでもいい。問題はね、君達の王だったその男が、僕や僕達の王の領域に踏み込み、守護を受けた者を損なおうとしたということなんだ。別に、アダンや彼に賛同した者達を差し出さないと決めるのであればそれでもいいけれどね。その時には、君達の全てでその罪を贖うかい?」
「残念ながら、俺達は善意の立ち合い人ではない。君達が犯した罪のその謝罪を待ち、どのような形でこちらの溜飲を下げてくれるのかと待っているだけだ。理の上でも、天命が尽きた者が生きながらえるのは、俺の領域の罪にあたる。終焉の定めを踏み荒らすのが海竜の嗜好であるのなら、俺は世界の平定の為にその種の剪定をするべきだろうな」
冷え冷えとした魔物達の言葉に、騒いでいた海竜達はぴたりと黙った。
ネアは、このような時に饒舌でいることが多かったアルテアの方を振り返ってみたが、アルテアは退屈したような目をして用意された椅子に座り、何やら手帳を見ているので、すんなりと終わらないので飽きてしまったようだ。
(これは、……………どうなるのかしら)
ネアは少し不安になり、大怪我を負ったばかりのロキウスが心配になった。
彼は聡明な男性だとは思うものの、今の様子を見ている限り、一癖も二癖もある海竜の氏族達を押さえるのは、やはり並大抵のことではないのだろう。
その時、ふっと小さく誰かが笑ったような気がして、ネアは振り返る。
それは、とても冷たい笑いだった。
「ああ、愚か者が愚かな選択をしたな。お蔭で、その選択を見据えて動かしておいた商品は上手く回りそうだ」
そう笑ったのはアルテアで、ネアはその微笑みの暗さに、啓示よりも明らかな誰かの破滅を見る。
どうやら手帳を見ていたのは、この状況下で得られる情報を使って商売をしていたらしい。
「王、とある者の願いに応えようと思います。後腐れなく、ある程度の禍根を絶っておいた方がいいでしょう」
次にそう囁いたのは、シェダーであった。
ディノはそうだねと短く頷き、自分の方を見たネアにどこか困ったような目をして淡く微笑む。
「ネア、この先は少し、見ていて不愉快なものも多いかもしれない。君は一度、避難しているかい?」
「むぐ…………。ロキウスさん達は大丈夫です?」
「彼等と、彼等を支持する者達に、私達が手を下すことはないよ。ただ、騒ぎにはなるからね、ある程度は自分で身を守る必要も出てくるだろう」
「であれば、私はここにいます。けれど、私がいることでディノが動き難かったり、足手纏いになるようであれば、遠慮なくどこかにしまっておいて下さい。勿論、ディノに危険がないことが前提ですよ!」
「……………あまり望ましくないが、君が立ち会う事が必要になるかもしれないね。ここに君がいて、その上で鎮圧された様子を記憶させるべきなのだろう。…………ごめんね、ネア。少しだけ我慢してくれるかい?」
「ええ。困ったら言って下さいね?あんな竜どもは、私がくしゃりと滅ぼします」
その時、どこか遠くで、誰かの哄笑が聞こえた気がした。
ネアはぞくりと粟立った肌をそっと撫で、そろそろ使うかもしれないポケットの中の笛を思う。
使えばみんなお座りしてくれるかもしれないが、あえて一定数を排除することが必要ならば、かえって吹かない方がいいのかもしれない。
(どうするべきなのかは、ディノ達の動きを見ていて判断しよう…………)
ぱりんと、何か脆く柔らかなものが壊れる音が聞こえた。
思わず振り返ってしまう程に耳元で、そして、ここは海の底の王宮だというのに、空から降り注ぐような不思議な響きで。
そしてネアはその日、初めて祟りものが生まれる瞬間を目の当りにしたのだった。