雷鳥の魔物と、卵の魔物 1
ウィームの西側には少し岩肌の荒い雪山がある。
青く白く輝き、その雪山に住む魔物や精霊のお蔭で、ウィームの水はとても綺麗だ。
稀少な高山植物の妖精もおり、山自体にも一人魔物が常駐しているのだとか。
そんな山を訪れているのは、珍しく外出したエーダリアの付添いでだった。
エーダリアは、あまり市井には出掛けない。
安全上の問題があるのは勿論のこと、自分の及ぼす影響を調整出来る魔物や妖精と違い、周囲への魔術汚染を制御し難いという理由もあるそうで、だから彼が出かけるのはいつも、魔術的な施設か、自分の所有下にある建物ばかりだった。
そんなエーダリアが、こうして外出しているのには理由がある。
ここアルバンの山には、特殊な牛や山羊を飼う酪農家がいる。
魔術の強い山で酪農を営んでいるのは、元塔の魔術師なのだそうだ。
以前、竜に体の半分の魔術を食べられてしまい、魔術師としては立ち行かなくなって、ここで新しい人生を開拓した人物は、珍しい動物が好きだったと教えて貰った。
そして、その酪農家から、ガレンエンガディンの確認を必要とする事件が起こったと一報が入ったのだ。
つまり、それだけの事件が起きており、尚且つ、このような土地であればエーダリアが周囲に及ぼす影響もないのでと、幾つかの理由が揃っての訪問でもある。
「朝起きたら山羊が居なくて、小屋には花が咲いていた……?」
報告書の書き出しで既に躓いたネアに、エーダリアが、事件探索のいろはを教えてくれる。
「そうだ。普段咲かない場所に花が咲くのは、魔術汚染の証拠だからな」
「だから、私の部屋沿いの中庭は、花まみれになっているのですね……」
「リーエンベルクは、元々花が枯れることのない王宮ではあったが、さすがに最近は凄いな」
季節の花が絶えないというだけではなく、咲かない筈の花も咲いてしまう。
そんな現象が起こっていると知ったリーエンベルクの料理人達はそれを知ったのを機に、庭師と相談し、庭園の一角に畑を作り大事に食材を育てているそうだ。
冬でも夏野菜が育つのだから、あの土壌にはどれだけの魔術が染込んでいるのだろう。
特に、ディノがご機嫌だった日の翌朝などには、素晴らしい収穫が見込めるらしい。
「今回、行方不明になった、山羊さん達は絶望的な感じなのですか?」
エーダリアは、漆黒のローブにフード姿といかにも魔術師らしい装いだ。
ローブには美しい草花模様の刺繍があり、宝石なども縫い取られているのが減点だなと思って見ていたら、その刺繍自体が術式となった守護なのだそうだ。
勿論、宝石に見える魔術の結晶石はそれぞれに魔力を溜めこんでおり、一つずつが複雑な魔術の役割を果たしているのだとか。
しかし、ロングブーツで雪を踏み分けて歩く背中を見ていると、少し心配になってしまう。
あまり外に出ないようだが、果たして山歩きに耐えられる体なのだろうか。
反対に、ほとんど苦も無く歩いてゆくのが、ディノとヒルドだ。
今回はエーダリアの護衛兼、原因が妖精だった場合の相談役として、ヒルドも同行している。
(ヒルドさんはもう、ほとんどウィームの人になってしまった)
少し前から、リーエンベルクの駐在となったヒルドは、以前ネアが狩ってきた蛇の魔物が、第一王子へのいい賄賂になったようで、晴れて動きやすい役目を得ることが出来たようだ。
目の薬として第一王子に献上されたあの蛇は、無事に第一王子の戦傷を癒したそうだ。
隻眼ではないが、右目の視力がだいぶ低かったらしく随分と感謝された。
魔物に負わされた傷は、魔物の薬でしか治せない。
数年前、第四王子の派閥の者が、第一王子に魔物を差し向けたことがあった。
結果、その魔物は返り討ちにされ、魔物の主である歌乞いも処刑されている。
魔物を斃したのは、後から駆け付けたヒルドであったそうなので、やはり強いのだろう。
けれども、第一王子の負傷は免れられなかった。
“意志なきものでなければ傷は癒せない”
犯行を企てた魔物が、そう言い残して死んだ為、第一王子の傷は、魔物から精製された薬でなければ治せなくなった。
魔物であれば誰でも薬を作れる訳ではないので、傷を与えた魔物の階位に対抗出来るだけの薬が、広く探されていたのである。
(ディノの薬では駄目だということだったしなぁ)
第一王子の目を治す理由で、無から精製された薬では用を成さない。
また、それを有効としうる技術があれば、それを知られることでまた火種となる。
魔物の傷も厄介であれば、政治的な駆け引きもそれなりに入り組んでいた。
エーダリアは、その政治的危険を冒した上でも薬を作れとは言わなかったし、ネアがその事情を知ったのは、駆除した蛇を持ち帰ってきてからのことだった。
とは言え、結果、その薬を自分の処遇へのカードとして切った、ヒルドもなかなかに強かであったのだろう。
(なぜならば、ヒルドさんは本来、第一王子の代理妖精の一人なのだから)
彼に無心で仕え、その益となるべきことをする。
そんな誓約を易々と蹴散らした美しい妖精は、いつまでもここで、エーダリアの補佐をしたかったのだろう。
そんな二人の強い絆に、ネアはちょっと感動してしまったし、ヒルドが傍にいる限り、元婚約者殿の未来は安泰だろう。
(ディノを渡せなくなってしまったけれど、ヒルドさんがいれば寂しくないと思うし………)
そこにちょっぴりのこちらの都合も重ね、ネアはヒルドがこれからもリーエンベルクに居てくれる事に感謝している。
「ディノ、心当たりのある生き物はいますか?」
「流石にまだ、範囲が広すぎるかな………」
「花を咲かせてしまうくらいには、自己管理が出来なくて、尚且つ山羊を襲うが、隣の人家には見向きもしないような生き物です。きっと、獣型のなにやつかだと思います」
「結構絞ったね。雪山に住んで山羊を襲うようなものなら、グモウか、イェイスト、グランフェルトあたりだろうか。時々、ラムネルやホードも羊を食べるかもしれないけど」
知らない名前ばかりが出たが、おそらく精霊の王の一つであるラムネルはないだろう。
コートにしてしまったラムネルの毛皮を撫でながら、ネアは、そう思う。
「普通の動物は適応されませんか?雪豹とか、狼とか熊とか狐とか、雪豹とか、雪豹とか」
「ネアが、雪豹が大好きなのはわかったけれど、普通の獣はないだろうね。ここで飼われていた山羊は、ゴルクみたいだから」
「その子は、普通の山羊ではないのでしょうか?」
「雪を食べる精霊の一種だよ。普通の獣ぐらいであれば、簡単に捕食してしまう」
「ほしょく………」
ネアは、少しだけ遠い思いで考える。
酪農家とは一体何だろう。
どれだけ危険な獣たちを従わせているのだろうか。
そして、そんな危険な山羊から、一体何を採るというのだろう。
「そういう訳ですから、くれぐれも用心して下さい。グモウは小さいので、足元にいても気付き難いですよ」
ヒルドが親切に助言してくれたが、グモウの正体がそもそもわからない。
「グモウとは、どんな生き物でしょうか?」
「砂色の毛皮を持った蜘蛛です。掌位の大きさでしょうか…」
「…………くも」
「ネア?」
ヒルドの言葉を聞くなり、ネアは隣のディノに両手を差し出した。
自力で歩くと言い張ったのはネアなので、ディノは不思議そうに目を瞠る。
「特別に私を持ち上げていて構いません。そして、グモウが私の目の前に現れんとしたら、一匹残らず殲滅して構いません。視界に入る前にです!」
「ネアは蜘蛛が嫌いなんだね、可愛い」
持ち上げられるなりディノの肩にへばりついたので、魔物は嬉しそうに頬を染める。
その髪を抱き込むようにして、ネアは、油断なく周囲を見回した。
一刻も早くこの仕事を終わらせて、安全なリーエンベルクに帰るべきだ。
「エーダリア様、さくさく働いて下さい!私も尽力しますが、グモウとやらが出現した場合には、ディノに、視界に入る前に滅ぼしてもらう手配です」
「わ、わかった。安心しろ。グモウなら独特の気配があるから、ここにいる者なら、近付く前に排除出来るだろう」
「そんな厄介な保護色の蜘蛛がいる土地は危険なので、他のものが犯人だった場合にも、すみやかに狩ってしまいますね」
鋭い目で宣言したネアに、エーダリアは呆れ顔になる。
「なんでお前が狩る前提なんだ……」
「あら、私の狩人としての腕を、甘く見ていらっしゃいますね」
「いや、可動域六なのだろう………?」
「六です!!」
「蟻より弱いのだからな……」
行く先に飼われている動物達は、ここで暮らす人々の大切な生活の糧でもある。
なのでネア達は、不用意な転移で家畜を脅かさないよう、少し離れた場所に降り立っていた。
そこから氷混じりの雪山を歩き、淡く太陽を滲ませる曇り空が樹氷の群れに少し翳り始めた頃、ネア達は、問題の牧場に辿り着いた。
今回続きます!