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289. 旅の仲間が増えました(本編)




海竜の戦に絶賛参戦中のネアは、現在、初めて訪れる影の国の市場に来ていた。


見知らぬ土地の市場のあまりの賑やかさに、ネアは目を丸くしてびょいんと弾む。

たくさんの人で賑わい、色とりどりの紙吹雪も風に舞い、まるでお祭りのようだ。



大河沿いの大きな市場は、地面に品物を並べたようなテント風の簡易商店、予めこの港内に店を構えているらしい色とりどりに塗られた木の建物などがどこまでも続き、川沿いを万華鏡のように埋め尽くしている。



一見、秩序なく並んでいるように見えるテントのお店は、歩いてみれば実にうまく配置されていた。



(すごい。お客さんが通る道が曲がりくねっているように思えるけど、このカーブは計算されたものなんだわ。一つのお店で足を止めても、その先にあるお店に何が売っているのかが見えるんだ………)



ゆるやかな波状を描くように並べられた店は、背中合わせの二店舗の間に細い搬入排出用の店舗主達の道もある。


そのどれもが、川に続く桟橋や階段に上手に面していて、一定区画ごとに自由に使える大きなテーブルやベンチなども用意されているので、この市場の設営や開発を進めた人達は、かなり細やかな配慮が出来るひとだったに違いない。



(この区画は食材が多いのかしら………)



ネアは、歩きながらあちこちに目を奪われた。

見たことのないような魚や、不思議な輪切りにした木のような干し肉も売っている。

美味しそうな飲み物に色とりどりの果物、その向こうには、宝石のような色付きの氷の塊まで。


ネアはすっかり心を奪われてしまい、ポケットに隠し持っている小銭入れその一を握り締め、隙あらば気になったものを購入しようと目をぎらぎらさせていた。



「ほわ、あの屋台はなんでしょう?」

「……………早速脱線しやがったな。いいか、あんたは大事な預かり物だ。柄じゃないが、俺は俺の今後の人生の為にも、あんたを無事に地上に戻さなきゃならん。俺から絶対に離れるなよ?」

「…………からっと揚げたお魚に、美味しそうなソースをかけた食べ物がありますよ?大蒜と檸檬のクリームソースと、お酢と魚醤のようなものをかけたものが……」

「食い物にかけている時間はない」

「むぐぅ!」



未練のあまりにじたばたしたからか、ずりずりと引き摺られてネア達が向かったのは、乾いた土のような匂いのする古道具屋であった。

看板に書かれた作業依頼表などを見ている限り、海に沈んだ船などの財宝を取り扱う質屋でもあるらしい。



(サルベージ的な仕事が、こちらの世界にもあるんだ……………)



確かにこのようなところには情報が集まるだろうが、あまり魔術などの動きに詳しくない素人意見だと、海竜の前王の至宝ともなればこのような場所の規模で対応出来るのだろうかと首を傾げる。

何の能力もない金銀財宝の類ではなく、魔術的な力や影響があってもおかしくない品物だ。

であれば、やはり扱えるのはそんな効果に影響を受けないような者達ではないだろうか。




「なぁ、最近、海竜関係のいい出物はないか?」



ゾーイがおもむろにそう店主に尋ねると、ひげ面の強面といういかにもな雰囲気の男性がぎろりとこちらを向く。

しかし、ゾーイの姿を認めると、少し怯んだように体を揺らした。

このような店の店主なのだから、あえて精霊王ですと名乗らずとも、人ならざるものの気配には敏感なのかもしれない。



「海竜………………?」


帳簿か何かを見ていたらしく、店主は大きな体に見合わぬ小さな手で眼鏡を外し、小さく頭を振っている。

ざらりと荒れた声でそう尋ねた店主に、ゾーイは短く頷いた。

我が物顔でお店のカウンターにだらしなく寄り掛かり、あえて店主との距離を縮めたようだ。



「高位の海竜に纏わる品物を探している。そんな品物に心当たりがあるか、そのような噂話を聞いたことはないか?」

「………………海竜の宝と言えば、海竜の剣が一対、西のインバルの海域にある島の礼拝堂に納められ、海峡の魔物が守っております。海竜の知識を集めたとされる魔術書であれば、ここから山沿いに三日ほど離れた灯台の街というこちらの国の王都に。また、この国の海竜の一族が住むのは、死の森を越えた先にあります黒の海でして、そちらにも何かがある可能性は………」



途中で、あまりにも店主の表情が虚ろなので、ネアは不安になった。

蒼白に近しい紙のような顔色で、額には汗の玉が浮かんでいる。

そんな様子とゾーイの冷やかな微笑みを見比べ、精神圧にあてられた状態なのだと理解するまでに時間がかかってしまった。



(こんな風に、いつの間にか掌握して圧倒してしまうのだわ………)



その容赦のなさに少しだけ呆然とし、店主の、帳簿のインクで汚れた袖口から覗く片手が、恐怖のせいか時折がたがたと震えているのを見ていた。



「そうか。それと、この国の地図はあるか?あの後ろの壁に貼ってあるようなものがいいんだが」

「さ、差し上げます。あの地図で宜しければ……………」

「そりゃ助かる。有難うよ」

「………………勿体ないお言葉でございます」



ふっと笑ったのは、嘲笑か苦笑なのか。

ゾーイは踵を返して店を出ようとしたのだが、今度はネアが、そんなゾーイと入れ替わり、安堵の息を吐いたばかりの店主の正面に立った。


ゾーイが与えた影響が抜ける前に、勢いで聞いてしまおう作戦である。



「それと、こちらの国に、海に纏わるお伽噺や伝承はありますでしょうか?」

「………………お伽噺、ですか」

「海や竜が出てくるものであれば、是非に教えて下さい」



ネアの勝手な行動に眉を持ち上げたゾーイが、そこではっとしたようにこちらを見る。

ネアは、ひとつ忘れ物だぜというハードボイルドな目をしてきりりと頷いてみせたが、こうして土地に伝わる伝承などまでを紐解いて情報を得てゆく手法は、ダリルに教わったものだ。



「…………かつて、嵐の夜にこちらを訪れた釣り好きの高貴な海竜が、海で遭難して助けを求めていた猟師の為に、船を灯台の街まで運んだという話があります。その猟師は前の晩に、網にかかり過ぎた魚を少し逃がしたので、強欲な漁をしない者に海が与えた恩寵であると言われていますね。…………それと、海竜の花嫁になった乙女の話が幾つか…………」

「……………花嫁か。こっちに情を交わした相手がいた可能性もあるな……………」

「………………釣り好き…………」



ゾーイは、海竜達の恋の道筋を思案の棚に入れたようだが、ネアはふと、イブの家にあった釣り道具を思い出していた。



ざざんと、記憶の中で柔らかな灰色の空の下、エメラルドグリーンの波が揺れる。

もしあの扉の文字を残したという海竜の王がイブで、繋がる先を知って文字に残していたくらいなら、彼はこちら側を訪れることもあったのだろうか。




地図を貰い話を聞き終えた二人が店を出ると、太陽が白銀色の鋭い日差しを投げつけてきた。



「…………くそ、今日はかなり暑くなりそうだな」



ゾーイが小さく舌打ちし、そんな空を見上げた。


ネアは眩しさに目を細め、湿度はあまり感じないが肌がじりじりと焦げるような暑さに思わず怯む。

ぷかりと浮かんだ白い雲が青空に幾つかあるので、先程までは陽光が雲に遮られ、ここまでの暑さを感じずにいたらしい。


ゾーイの帽子を羨ましく見ていると、ちらりと振り返って嫌そうな顔をされた。

追い剥ぎの警戒をしているものか、威嚇するように立ち位置を変えられネアは渋面になる。



どうやら彼は、この市場の案内板を見ているようだ。

海賊のような装いで案内板を覗く姿は、少しだけ微笑ましい。


「…………少し進むと、古道具や古本などの区画がある。そこでも少し聞き込みをしたら、旅支度を整えるぞ。はぐれないようにしろよ」

「……………旅というのは、陸路でしょうか?それとも、川を下る船のようなものでしょうか?」

「川から海に出るのが理想的だが、先に海に出た者には敵わん。であれば、街への扉を開いた俺達は、都市部を中心に捜索してから海に出る。ここを出た後は陸路で灯台の街に向かい、そこからは海に向けて南下するぞ」

「ふむふむ。と言うことは、馬か馬車のようなものが入り用になるのか、転移門を使うのですね」



(ここは海の底の国なのに…………)


そう考えると不思議だが、あわいの列車に乗って見たものを考えれば、そんなに珍しいことでもないのかもしれない。



ゾーイは先程の道具屋で献上させた地図を小さく広げ、眉を寄せて難しい顔になる。



「……………灯台の街の奥には岩山があるな。転移門を利用すると、そちらに出たイエム達に急襲される可能性があるか………」

「イエムさんというのは、あの妖精さんのような可憐な青い髪の女の方ですか?」

「あの女は鯱の精霊だ。鯱の精霊は、五百年も生きると竜に近い生き物になる。全身に海結晶の鱗を持ち、人型になっても獰猛で好戦的な、要するに敵にするにはかなり厄介な種族だ………」

「………………鯱さん。…………鯱さんと言えば、私の知り合いの竜さんが、よく海で鯱さんを食べていました……………」



ダナエのおやつ日記な印象しかないのでネアがそう言えば、ゾーイはぎくりとしたように歩みを止める。



「鯱は、魔物も襲う程に凶暴で、滅多に食糧にする者はいない筈だ。……………まさか悪食じゃないだろうな?」

「うむ。悪食さんですね」

「………………そいつの話をイエムにするなよ?あいつの群れは、一度悪食の竜に襲われて壊滅しかけたことがある……………」

「まぁ……………」


となるとその時にイエムの群れを襲ったのは、ダナエなのだろうか。

ネアは仲間を食べられてしまった鯱のことを思い、そんなダナエが海竜もおやつにしていることについては、あまり深く考えないようにした。

きちんと調べると、今回の参加者達がダナエの捕食被害者の会になりかねない。



「そんなイエムさんと組まれている方は、人間の方なのですよね?」

「ああ。あの男は海沿いの小国の王子の一人だ。国民の殆どが船乗りで、国土の一部を浮島にしている。略奪なども行う人間達だから、腕っぷしはなかなかのものだろう」

「他の方のこともご存知ですか?」



ネアがそう尋ねると、ゾーイは全員ではないがと教えてくれた。



あの短髪の女性は、ヴェルクレアに一番近い海沿いの国の王女で、曾祖父が海竜の王子であったらしい。

海竜達にも愛されており、一緒に組んでいるのは海竜の貴族の一人なのだそうだ。

また、ネアを虫けらでも見るように一瞥したあの老人は、波喰らいの魔物であるらしい。

砂浜や甲板に打ちつける波が、海が荒れるときには人々を痛めつける程の荒々しさを見せることがある。

そんな、貪欲で獰猛な波から派生し、海に暮らす者達を大きな波の顎門で海の底に引き摺り込む魔物なのだとか。

これはもう絶対にきりんが効くので、良い情報だと、ネアは頷く。



「あいつと組んでいる人間は知らない顔だな。だが、かなり殺しているぞ。足元に呪いと怨嗟の翳りがあった。百人以上は殺さないとあんなものを纏うようにはならない」

「出会い次第滅ぼすようにします。悪者退治であれば、この繊細な胸を痛める必要もありませんしね………」

「繊細……………?」



ネアに親切にしてくれた男性のことは知らないそうだが、一緒にいたのは前述の海竜とは違う氏族の海竜の騎士であるらしい。

髪の毛の長い方の海竜とは因縁があるらしく、住む海域を巡る一族同士の長い争いの歴史があるのだそうだ。



「参加者は、この五組で全員なのですか?」

「……………いや、候補者の数は七人だ。あと二組いる可能性がある」

「む。…………八人ではなく?」

「一人の王子は、継承権を放棄した。昨年、血族の者が何か不祥事を起こしたようだな。その責任を取る為にそうなったらしい」

「ということは、見えない敵がいる可能性もあるのですね。……………むむ!」



ここでネアは、通りかかったお店の前でがばっとしゃがみ込むと、雲母めいた不思議な青い素材で鱗のようになっている表紙の本をじっと凝視する。

魔術書のようだが、海のまじないと湖のまじないと書かれており、何やら美しい本ではないか。



「……………禁術書の一つだな。妙なものに興味を示すなよ。あんたは…」

「ご主人、この本は幾らですか?」

「お嬢さん、決して安くはないよ。写本ではあるが、この通り禁術の魔術書だ。出物だが、なかなか買えるお客が現れない。何しろこいつは客を選ぶからな」



短髪で頬に傷のある男性だと思っていたが、喋ってみるとこの店の店主は女性であるらしい。

どこか鋭い眼差しと陽気な口元の対比が目を惹き、色鮮やかな布を纏って敷物の上に座っている姿には独特の美しさがある。

何とも味わい深く、たいそう魅力的な人物だ。



(………安くはないけれど、エーダリア様が喜びそうだし、ダリルさんも喜んでくれるかもしれない)



ネアは提示された金額に頷き、きらきらしゅわりと複雑で美しい煌めきを纏う本に手を伸ばす。



「ガウ!」



その途端、本が吠えた。

ネアは驚いて目を丸くしたが、すかさずそんな本を威嚇する。


「私を威嚇するなど、愚かな本です。その綺麗な表紙を引っぺがして、逃げ沼に沈めてしまいますよ?」


そう言って表紙を指輪のある方の手でべしりと押さえれば、鱗表紙の魔術書はキャインと悲鳴を上げて大人しくなった。



「…………驚いた。お嬢ちゃんなら、こいつを買えるかもしれないねぇ」

「では、いただきます。持ち帰る時に暴れるといけませんので、何か包装して貰うことは可能でしょうか?」

「お、おい、幾らだと思って……………」

「それなら、封印庫の魔術の専用の箱がついてるよ。安くはないけれどいいのかい?」

「ええ。上司へのお土産兼、ご心配をかけたことへのお詫びの品にするのです。お代はこれで賄えますでしょうか?」



そう言ってネアが小銭入れから出したのは、見事な青色の宝石だ。

湖と氷の結晶の一つなのだが、ほこりからの定期便な手紙に同封されていたものの一つである。

ゾーイの方からは、ぐふっと喉を詰まらせたような音が聞こえてきた。



「………………おお、こりゃお釣りが出るね」

「では、お釣りの代わりに、このあたりで良い品物を扱っていそうなお店や、何か記憶に残るような品物の話があったら教えて下さい」

「…………それで、釣りはいらないのかい?」

「ええ。素敵な品物と出会わせて貰ったのと、ご店主さんがとても素敵な方でしたので」

「さては、お嬢ちゃんなかなかの策士だね?そんなことを言われたら、気分がいいに決まってる」



一瞬ぽかんとしてからそう言って笑うと、凛々しい短髪の店主は、ネアの買い上げた魔術書をどうみても箱型のファンシーなベッドのようにしか見えない封印の箱に入れてくれた。



寝台に安置された魔術書はすやすや眠ってしまい、ネアはその木箱をしっかりと受け取る。

何かを言いたげにしていたゾーイが黙ったのは、ネアがきちんと情報収集もしているからだろう。




「………この二軒隣の店は道具屋で、かなり質がいいよ。海図や船の品物ならヅェリの店、宝飾品ならあの通りの右に入ったところにある黒いテントの店だ」

「…………移動用の馬か、地竜を買おうと思っている。いい店を知らないか?」



なかなかに情報通だと見たものか、ゾーイがそう尋ね、店主の女性は呆れたような目をした。


「移動用の獣を買うなら、ここは荒れ地の鷲か、岩狼だね。馬なんかすぐに死んじまうよ」

「……………成程、ではそれにしよう」

「ロフェの店がいいだろう。他の店の獣たちは、よく見極めないと年寄が混ざってる」

「助かった。それと、丁寧な包装で助かる」



ゾーイがそう言ったのは、ネアが受け取った魔術書の箱の梱包に感心したからのようだ。

確かに魔術に明るくないネアから見ても、この梱包はしっかりとしている。



「ここはね、大勢の商人達が集まるから、商売を続けるには信用が不可欠なんだよ。品物の質が悪いと、すぐに客達に噂されちまう」


そう笑い、商品を並べた敷物の上に座ったまま、必要以上に怯える様子もなく、彼女はゾーイを見上げた。



「…………あんた、上手く隠しているけれど高位の精霊だね。海の方に出るつもりなら用心するといい。あと数日で、表の国での海竜の戦が始まると噂されている。このお嬢ちゃんを、危ないところに連れて行くんじゃないよ」

「…………ああ、是非に気を付けよう」



そう頷いたゾーイと一緒にその店を離れ、ネアは受け取った商品を、ゾーイが教えて貰った店を確認する為に目を離した隙に金庫に入れた。


振り返った時には手荷物が消えていたので、どこか遠い目をしたゾーイは、ネアが金庫を持っていることは理解したようだ。


ネアも、買い物を優先する為には金庫の存在を明かすしかないと考えをあらため、狩りの獲物用の腕輪の金庫は、見られてもいいような位置に押し下げてある。


旅道具を買うのなら、ネア自身の判断で買い足すものもあるだろう。

金庫の一つくらいは使えないと不便だと、この市場を歩いて考え直したのだ。



(この影の国の中にも、海竜の戦の情報は流れているみたい。………海竜の誰かが下見に来ていたり、あの場所にいなかった候補者が、先にこちらに入っているということもあるのかな?)



考えながら歩き、目的の店に到着する。

教えられた、先程の古書店の二軒隣のこの店では、ゾーイはまず、この影の国だけで使えるコンパスを購入したようだ。

今回は脅すのではなく、お喋りで情報を得ることにしたらしい。


ネアは大人しくしていると見せかけて小さな白銀結晶のナイフと水晶のノートを買い、隣にひっそりと佇んでいる森緑のテントのお店の方をちらりと見た。


気付かれないように注意すれば、ゾーイが情報収集をしている間に覗けるかもしれない。


先程の店の女店主が、この店のことを話してくれてからずっと、ネアはこの店の年若い主人がとても気になっていた。



(ここでは、人魚の笛を売っているのだとか…………)



相変わらずゾーイは、道具屋の店主と何かを話し込んでいる。

ネアはその姿を視線の端に収めつつ、すすっと忍び足で移動すると、隣のお店に並んだ商品を覗き込む。


細長い簡素な木のテーブルがあり、そこには、物足りないと感じてしまうくらいに、まばらに品物が乗せられていた。



「………笛を買いに来たのかい?」


そう尋ねたのは、どこか疲弊したような目をした青年だった。

黒髪はぼさぼさで一本に縛られていて、ネアが覗き込んだ木のテーブルの真ん中には、瑠璃色の硝子で作られたような不思議な笛が無造作に置かれていた。



他にも小さな道具や本なども置いてあるが、それはあくまでも品数を揃える為のもののようだ。

どこか、投げやりで絶望しきった雰囲気がそこかしこに感じられる。



強い日差しがテントの隙間から差し込み、青年の足元に小さな模様を描いていた。

靴は擦り切れ汚れていて、ここで寝泊まりしているのか、店の奥には寝袋が見える。



先程のお店で教えて貰ったのだが、この店の店主は、数か月前に鉄砲水で両親と妹達を亡くしたばかりなのだとか。

元々は立派な本屋を灯台の街に構えていたのだが、家族との思い出を避けるようにしてこの土地に移住してきたらしい。



この通りあまり社交的ではなく、人魚の笛をかなり高額で売ろうとする。

代々家に伝わってきていた笛であるらしいが、古びた笛であまり美しくもない為に、いっこうに買い手がつかないのだそうだ。



「見せていただきますね」



ネアはそう言って、陽光を透かし木製のテーブルの上に青い光を落している笛を観察した。


大きな宝石から手彫りで作ったような、ぶこつな風合いで何だか可愛らしい形をしている。

人魚の笛という名前なのでさぞかし人魚感が強いのだろうと思っていたのだが、どう見ても竜のような形に見えるのだがなぜだろう。



「……………人魚さんではなく、竜さんに見えますね……………」

「人魚の笛だ。……………だが、祖父はカワウソにしか見えないと話していた……………」

「…………ちょっと愛嬌のある形というか、あたたかな風合いです。音は出るのですか?」

「出る。吹いてみるか?」

「………………いえ、…………それはいつかの楽しみにして、今日は買って帰るだけにしますね」



ネアのその言葉に、どうせお前も買わないのだろうという投げやりな接客をしていた青年が、ゆっくりと顔を上げる。



「え…………?」


疲弊し、目の下に隈を濃く落とした藍色の瞳が、まじまじとこちらを見る。

これは悪戯か何かだろうかという疑念が揺れ、微かな諦観と絶望にも似たものがまた混ざった。



(この方は、…………もしかしたら、まだかなり若いのではないだろうか。疲れ切っていて、絶望のあまり青年に見えるだけで、子供といってもいいくらいの年齢なのかもしれない………)



それは決して、あこぎな商売をする為の悲劇を装った仮面ではない。

そこにあるのは本物の切迫した孤独で、ネアはそれを見間違えることだけはないという確固たる自信があった。



だからネアは、そんな青年に微笑みかけたのかもしれない。



「…………私も、かつて家族の全てを一度に亡くし、一人ぼっちになったことがあります。孤独は恐ろしく残忍で、貧しいということは怖いだけではなく、ひどく疲れるものでした。…………幸いにも今は新しい家族を得て幸せに暮らせていますので、あなたが新しい大切なものを探しに行く、手助けの為の投資が出来るのです」

「………………投資?」

「ええ。この笛をあなたが設定している値段で買えば、あなたはきっとそのお金で生活や人生を立て直す為に頑張れるのでしょう。私が買うのは、そんなあなたの売る笛と、あなたが私のように、諦めのその先で幸運を得るかもしれないという素敵な可能性です」



ごとりと音を立て、ネアは小銭入れではなく腕輪の金庫から取り出した大き目の宝石を、簡素な木のテーブルの上に置いた。


青年の瞳が割れんばかりに見開かれ、ごくりと息を飲む。

そして今度は、まるで恐ろしい人ならざるものを見るように、ネアを怖々と見返すのだ。



「……………何か、他に目的があるのか?………偽物の硝子玉ではなく、光り方を見ればこれが祝福を過分に含んだ宝石だと、僕にもわかる。こんな凄いものは、この古い笛とでは釣り合いが取れない」

「これは私の身勝手なお買い物です。あなたに起こったことを聞きこのお店に来ましたが、ここにいたあなたの眼差しが、いつかの私のようで気になってなりませんでした。それに、この笛も気に入りましたから。…………ただ、この宝石を売る時には、あちらにある古書店の店主に相談されては如何でしょう?あの方は、あなたが事故で亡くした弟さんに重なってならないと、たいそう心配されていました。出しておいてなんですが、大きなものをお金に換える時には注意が必要だとも思うのです。頼りになる方に相談しつつ、安全に換金して下さいね。なお、このちび宝石はおまけです。これでまずは、美味しいものを食べてゆっくりと眠って下さい」



追加の小さな宝石を出し、ちらりと隣の店を見ると、ゾーイの話が終わりそうだった。

ネアは視線でその前に売って欲しいのだと青年を急かし、彼は、はっとしたように目を瞬くと、ネアの手に人魚の笛を乗せてくれた。



そうしてからまた少し慌てて、箱などはないのでと綺麗な青い布袋をつけてくれる。

一目で手縫いだとわかる保存袋のあたたかさに、ネアは微笑んで笛を売ってくれたお礼を言い、ろくでもない騒ぎを呼ばないようにと、代金の宝石を早くしまうようにと言い添えた。



「あっ、……有難うございました!」


ネアがぺこりとお辞儀をして立ち去ろうとしてから、慌てた声で青年がそう言ってくれた。

振り返ると、彼の瞳には涙が浮かんでいる。



「どういたしまして!」



ちょっと満ち足りた気持ちでネアが元のお店の端っこに戻ってくると、困ったことに、腕を組んで怖い顔をしたゾーイがこちらを見ていた。



「……………俺は、この店にいるようにと言わなかったか?」

「まぁ、ほとんど動いていませんよ。せいぜい三歩くらいの誤差でしょうか。素敵な人魚さんの笛を買いました」

「……………いいか、可動域六のあんたには見えないだろうが、店舗の間には区画の魔術が敷かれている。火事などの際に、店ごとに切り離せるようにしてあるんだ。隣り合った店でも、まったく別の区画だと思っておけ」

「むむむ。それは知らなかったので、これからは気を付けますね。ただし、今度私の繊細な可動域問題に触れるようなことがあれば、容赦なく因果の精霊王さんを滅ぼした武器を取り出しますよ!」

「どんな武器か知らないが、騒ぎだけは起こすな。まだまだ買い足すものも必要だし、情報も必要なんだぞ?今度言いつけを破ったら、お前の今晩の飯は抜きだ」

「なぬ?!」



獣が威嚇するように鋭く低い声でそう言われ、ネアはぐるると唸った。


今回の同行者は、ある程度は話が通じるようになったものの、気が短いのが難点であるようだ。

あんまりな仕打ちにじたばたしたネアは、またがしりと腕を掴まれて引きずられるように移動する。

今度は装飾品のお店のようで、きらきらしい首飾りや指輪などが並んでいた。



(魚の形の耳飾りがある…………)



お店の前面に飾られたその商品は、可愛らしいものではなく、いかにも食用の青魚と言う感じの装飾だった。

ネアは驚いたが、何種類かで同じような形の髪飾りが並んでいるのでこちらでは珍しいものではないのかもしれない。

それにしても、髪の毛に魚だなんてと思ってその髪飾りをじっと見ていただけなのだが、なぜか振り返ったゾーイに睨まれてしまい、ネアはたいそうむしゃくしゃした。


今回は、待っているようにと言われた場所から一歩も動いていないのに。



(ここは、甘いもので心を柔らかくしておこう…………)



そう思いながらポケットを探ったネアは、心のさざ波を鎮めるべく隠し持っていた林檎飴が、いつの間にか消えていることに気付いた。



「………………むぐ?」



小さな紙の袋に三粒入っていて、三つも美味しくいただけるのだと楽しみにしていた飴である。

慌てて他のポケットも探ったのだが、どこにも入っておらず、どうやら小銭入れを引っ張り出した時に落としたらしい。



へにょりと眉を下げて、ネアは無力感に苛まれた。

水着姿での辱めに引き続き、まだ災難は続いているようだ。

食べ物を失うということの惨めさはひどいもので、すっかり意気消沈してしまった。



「………………何と言うことでしょう。絶望しかありません」



そう呟いているネアの視界が陰る。

用事を終えたゾーイが戻って来たのだ。



「……………やめてくれ。今度は何をしやがった…………」

「ポケットに隠し持っていた飴を落しました。夏至祭の限定味の林檎飴です。この怒りを鎮める為にも、今すぐ誰かに襲い掛かって来て貰い、返り討ちにしてしまいたい気分なのです…………」

「何であんたはそんなに獰猛なんだ。いいか?少しくらい黙っていろ。お前はもう、充分に買い物をしただろうが。それと、ただでさえ地味なんだから辛気臭い顔をするな」

「…………むぐる。ご覧のように、些細なことでつんつんしてしまう短気な精霊さんと一緒なのです。そんな中、お口に甘いものを入れずにどうやってこの危機を乗り切れば…………」

「何だと……………?」

「今回は、お魚髪飾りを静かに見ていただけでも睨まれる始末です。そんなゾーイさんにも、あの飴の糖分は必要だったと思うのですが…………」

「……………口の減らない子供だな。お前が万象の指輪持ちでなかったら、今すぐ目の前の川に放り込んでやるんだが………」



ゾーイは剣呑な眼差しで紫紺の長い髪を肩の後ろ側に払い、苦々しく呟く。

我が儘で残忍な人間が、これはもう、一度くらい爪先を踏み滅ぼしておこうかなとゾーイの爪先をちらりと見た時のことだった。



「……………彼女を川に放り込みたいのか?」



冷え冷えとした美しい声が、背後から投げかけられた。


そちらに視線を持ち上げたゾーイが、さあっと青ざめる。

そんな表情の変化にひやりとしながら、ネアはゆっくりと振り返る。




(あ、……………!)



強い日差しを透かして、耳下くらいの長さの白灰色の髪は宝石のような冴え冴えとした色を揺らした。

こちらを見ているのは、あまりにも特徴的な夢見るような美しい灰色の瞳。



ネアはぱっと目を輝かせると、慌てて駆け寄ろうとしてゾーイに襟首を掴まれてしまう。



「この方はお知り合いなのです。離し給え!……………シェダーさん!」

「やあ、ネア。落し物をしたのかな?」

「……………は!意図せずにですが、林檎飴を紛失しました。………あの林檎飴がシェダーさんを呼んでくれたのですね…………」

「おや、偶然だったのか。でも早めに合流出来たようで良かったよ」



あまりにも眩しい助っ人の登場に、ネアは、ゾーイの手が離れると喜びのあまりにびょいんと弾んだ。

シェダーはすぐにそんなネアの手を優しく取ってくれると、あまり弾まないようにと指摘する。



「むぐぐ。子供っぽく騒いでしまいました…………?」

「いや、そんなことはないが、スカート裾のポケットに入っている生き物が目を回しそうだ」

「………………ポケットに入っている生き物?」



こてんと首を傾げ、ネアはスカートの裾を目視で確認する。



すると、なぜか一か所だけ、もんわり膨らんでいる隠しポケットがあるではないか。

このドレスは、スカートの切り換え部分のデザインにポケットを隠してある特殊仕様のもので、武器を多く持つネアの為に、ディノが用意してくれた内の一着なのだ。



(こんな裾のポケットに、何か入れたかしら………)


そもそも生き物とは何だろうと考えながら、ネアはしゃがんでそのポケットを探ってみる。

するとどうだろう、ぐんにゃりした温かな毛皮の生き物が発掘されるではないか。




「……………フッキュウ…………」



ネアは、すっかりへべれけで眠りこけている白い毛皮な生き物を手に、何とも言えない顔でシェダーを見上げる。

後方ではゾーイが頭を抱えて何か呻いているようだが、ネアもそれどころではなくなったので、そちらは暫く放っておこう。



「シェダーさん、酔っ払いちびふわが出てきました……………」

「……………もしかして、知らずに連れてきてしまったのか?よく誓約排除の魔術を突破出来たな………」

「…………こちらに連れて来られた時には、私は残念ながら水着のままだったのです。お着替えは金庫の中にありましたので、もしかするとちびふわもその中に…………」

「………………そういうことか」



ネアとシェダーは、複雑な思いで顔を見合わせ、しどけない寝姿のちびふわを見下ろした。



どうしてそうなってしまったものか、いつからなのか、お砂糖的な何かを食べて酔っ払いちびふわになり、ドレスの裾のポケットに潜んでいたらしい。

目を覚ましてみないと何とも言えないが、この感じは恐らく使い魔なちびふわだろう。



「ゾーイさん、ちょっと予想外な感じで、旅の仲間が一人と一匹増えました…………」



振り返ってゾーイにそう報告したのだが、海嵐の精霊王は暗い顔で項垂れたままであった。

片手で胃の辺りを押さえているので、ちょっと胃に影響が出ているのかもしれない。










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