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287. 案の定の巻き込まれ事故です(本編)





その日のネアは、久し振りに魔物と温泉プールに来ていた。


休日なので夏らしいことをしたいのだが、海の近くには危ないので行かない方がいい。

森や川などの大きな魔術が動く場所もひとまずは避け、では久し振りに温泉プールに遊びに行こうかという計画をディノと立てていた。


勿論、ディノのお誕生日に作ったプールで充分なのだが、遊びに行くというお出かけ感も大事なのである。

ちょうどそんな話をしていた時に、グラニのプールでプールの魔物の失踪騒ぎがあったと聞き、休日ながらにその捜索の仕事を引き受けた次第だ。



先に言い訳をさせて貰うのなら、グラニは海側からはウィーム中央より更に内陸に入る土地となる。

海に繋がるような大きな川があることもなく、何か、遠方からのお客が沢山集まるような大きなお祭りが催されていたということもない。



なんてことはない普通の平日の昼間の、温泉プールの更衣室でのことである。





「むぎゃふ!!」




久し振りに地下聖堂のような雰囲気を楽しもうと、いそいそと更衣室で水着に着替えたところで、ネアはすぽんとどこかに吹き飛ばされてしまった。



足下の床に穴が開く系の事故はもう古いと言わんばかりに、強風に吹き飛ばされるような強引な連れ去り事件は、か弱い水着姿の乙女を攫ったりもするようだ。


よくありがちな、足元に魔術陣が浮かび上がるとか不思議な音が聞こえてくるなどという前触れすらなく、魔術に長けていない人間としては少し納得がいかない。



(よりにもよって、水着!!)


まさかの脆弱な装備への絶望と、どうして着替える前ではなかったのかという無念さに歯噛みしながらどすんと落ちたその先で、ネアは状況を理解する為に何度も瞬きをした。



(青い……………)



そこはどこまでも青く、暗いと感じるのに青の眩さに目眩がしそうなくらいだ。

水着では肌寒いくらいの気温で、何か膨大な質量のものの下にあるという感じが肌をざわつかせる。



窓の外を、大きな魚が悠々と泳いでゆく。



(海…………。そうだ、ここは海の底なんだ。海の精霊王さんを訪ねた時も、こんな空気の重さを感じたもの…………)



呆然としたまま、自分の手を見る。


靴箱に入れて手元から遠ざけることも警戒した堅実な生き方を反映し、春夏仕様の戦闘靴は首飾りの金庫に入れようとして手に持っていたところだった。

それが唯一の幸いといってもいいくらい、見知ぬ場所に水着姿で放り込まれるのは心臓に悪いのだと、是非に後世にも伝えて欲しいと思う。


この絶望を何と言えばいいのだろう。

お風呂中だったら即座にこの場にいる者達を殲滅するしかないが、水着も充分に嫌ではないか。



「おやまあ…………」



そしてネアは、この青い青い部屋で、見知らぬ人達に囲まれていた。




「…………これがヴェルクレアの参加者とは。……………随分と心許ない恰好ですね」



水着姿でぺたんと床に座り込んだネアを気の毒そうに見下ろし、背の高い青い髪の美女が溜め息を吐く。



ネアはまずその女性を見上げ、次にそろりと周囲を見回してみる。

見知らぬこの場所は、石造りの大きな神殿のようなところであるらしいと分かった。



(なんて太い柱なのかしら…………)



典型的な神殿のような造りだと思う。

大きな柱が並び立っていて、どこまでも続いている様は眩暈がしそうな程だ。

ただし、深い青色の水底に、少し色味を違えた同じような青い石材であるので、窓の外と風景が入り混じり、海の中に天井があるような不思議な感覚になる。



(それとも、もしかしたら、硝子のような建材で海の色を透かしているのかしら………)



冷静になる為にまずはそんなことを考え脳を動かしてから、ネアはようやく覚悟を決め、その神殿の中に集まっている男女に視線を向ける。

他の者達も、まさかの浮かれた水着姿で召喚されてしまった招待客に驚いたのか、全員がこちらを見ていた。



(……………知っているひとがいればよかったのに)



寄る辺なさに胸が苦しくなって、ネアは少しだけ視線を床に落とす。

座り込んだ床はすべすべしていて綺麗で、硝子タイルのような不思議な石材で出来ているようだ。

そこに伸びる影に囲まれるようにして座っていると、何だか檻に囚われてしまったような頼りなさに襲われる。



「……………ここはどこでしょう?私はこれからお仕事も兼ねてプールで遊ぶ予定だったのですが、プール遊びを邪魔され、こんなところに連れて来られてしまったのはなぜなのでしょうか?」



幸いにも声は震えなかったので、ネアはそう尋ねてみる。



(さっき話した女性が、この輪の中心にいるみたい………。私が話し出したら、みんなが彼女を見たということは、主催者なのかしら………)



そう目星をつけた女性に向かって悲しげに問いかけながらも、狡猾な人間は情報収集に余念がない。

事故の際にはいつもしていることだが、些細な情報が後々に無知なネアを助けてくれたりするものだ。



(建物の奥の方にも、他には人はいないように見える。…………こんな壮麗な建物なのだし、もっとたくさんの人達がいそうなところだけれど、やはり、招かれた人しか入れないということなのかもしれない………)



ここが、海竜の離宮という、先日アルテアに教えて貰ったような特殊な場所であれば、ディノの名前を呼んでも助けに来て貰うことは出来ないのだそうだ。

であれば、もしここでその名前を呼んでしまい、ディノを知っている人がいたとしたら。

下手にこちらの情報を漏らして、過度に警戒されないようにしなくては。



でも、呼べば来てくれるかもしれない。

そう考えてしまうのは、陸のものが海に放り込まれた動揺のせいだろうか。

不安からそんな風に考えてしまいがちだが、一瞬の浅慮でこの先の自分を危険に晒す訳にはいかない。



(そうだ、…………せめてブーツは履いておこう………)



とりあえずは、手に持っていたブーツは落とさない内にそそくさと履くことにして、金庫の中に着替えが隠されていることは秘密にするしかなかった。

こんな見知らぬ場所で水着のままで過ごすのは気恥ずかしさと不安しかないが、か弱い乙女が大型金庫を隠し持っているという事実を知られたくない。




なぜならば、これから始まるのはきっと、海竜の戦だと思うからだ。




(この時期にこんな風に攫われてしまって、尚且つ海の底ときたら、もう考えられる可能性はその一つしかないような気がする………)


こうなるともう、違う事件に巻き込まれていた時の方が納得がいかないだろう。

正規の出場登録が完了して、ここに参加する筈だったウォルターの代わりにどうして呼ばれてしまったのかはまだ分からないし、周囲にウォルターがいる気配もない。


代役に選ばれるにしても、何らかのお知らせがあると思っていたせいで、候補にしていたその時の為の相棒候補もいない。



(…………ということは、ここにいるのはいずれ敵になる人達ばかり)



そんなことを考えつつ、まずは、同じ立場の参加者となりそうな者達を、右端から順番に観察してみることにした。

この部屋にいるのは、ネアをヴェルクレアの参加者と呼んだ、恐らくは主催者的な立ち位置の女性を囲む、五組の男女だ。



一組目となる右端に立っているのは、明らかに竜という感じの頬に鱗の見える青い髪の美しい男性と、そんなパートナーと同じくらいに身長の高い女性だ。

男性の方が髪の毛が長く、女性はシシィのような洒落たショートカットの闊達な雰囲気である。



(服装的には、ちょっと貴族的な感じかしら。武器も持っているけれど、市井育ちという感じの女性ではなさそう………)


ちょっと素敵な武闘派の恋人同士みたいな感じだと評価し、ネアは次のペアの観察に移る。



その隣に立つのは淡い砂色の肌の男性で、やはりかなり背が高く、髪の毛の色は頭に巻いた布で隠されてしまっている。

こめかみのところに見える影を凝視すると、白藍色のような気がするが、この暗さではよく分からない。

どこか背筋がぴりっとするような気配があるので、恐らくは魔術師ではなかろうか。

一緒に立っている、またしても竜っぽい雰囲気の男性は短い青い髪をしていて、一番右側の組の男性とは何やら個人的な因縁があるようだ。



(隙あらばものすごい睨み合っているし、あの竜的なお二人はかなり仲が悪そう…………?)



その次の組は、体格のいい大柄な男性と、妖精のように華奢な女性の二人組だ。

女性は体格こそ妖精寄りだが、先の二人によく似た青い髪と目元の鱗を見ていると同族に見える。



(むむぅ…………)



ここまでの参加者の類似性に、ネアは、何だか顔見知りの輪の中に一人だけ押し込まれたような居心地の悪さを感じる。

海の系譜の竜っぽい人達が多いとなると、何だか不利な気がしてしまうのだが、そんなことはないのだろうか。



(あ、でも海っぽくない人達もいる…………)



視線を移したその隣のチームでやっと青い髪はいなくなり、次は、砂色の髪の老人と黒髪の青年の二人組だ。

ネアは、青い髪ではないことに親近感を抱いたのだが、視線に気付いてこちらを見たご老人の方から虫けらめとでも言われかねない冷たい目で一瞥されたので、好感度は最下位に急降下させておく。

きりんの餌食にするのは、このチームからに決定だ。



(私を含めると五組………。でも、これだけで全員とは限らない筈…………)



この戦の参加者は、王位継承権のある竜の数に合わせられる。

現在の海竜候補は八人いる筈なので、三組足りない。

辞退などの可能性もあるが、これで全てだと思わない方が良さそうだ。




「ここは海竜の離宮の一つで、お前は海竜の戦に、ヴェルクレアの代表者として選ばれました」

「……………私が」

「お前を選んだのは、海竜の予言者です」

「予言、なのですね……………」



ふっとサリガルスに似た誰かを見た夏至祭の日のことが蘇ったが、あの姿では海竜ということはないだろう。

その予言と、海竜の予言は別物だと思うべきだろうか。



「お前達は、これからその叡智と力を以って戦い、海竜の至宝を持ち帰るのです。我等は、この先の影の国で誰が勝ちぬけるかで王を占い、お前達の勝敗が新たな王を決めることになります」



足元までの長い髪に、真っ青な瞳。

成る程この人は海竜なのだなと頷き、ネアは初めて見る生粋の海竜の容貌に感嘆した。



同じような水辺の色を持っていても、水竜とはまるで違う。

水竜の、どちらかといえば魔術師寄りな儚げな雰囲気とは対極の、武人めいた凛々しく荒々しい海の力強さが、この女性からはひしひしと伝わってくる。

ちゃんと女性的な魅力に溢れているのだが、悪さをしたら片手でねじ切られてしまいそうに見えた。


その強さと凛々しさが、海竜の魅力なのだと思った。



(イブさんとも、少しだけ雰囲気が違うみたい…………。大枠が同じ海竜でも、一族ごとに違いがあるかも?)



質問に答えてくれた海竜の女性に、ネアは少しだけ返答に迷う。

巻き込まれはしたものの、ここで選抜を辞退するという選択肢はないのだろうか。

一方的な指名に思えて断りたくなってしまうのだが、こういうものは断ってはいけないという決まりがあったりするのかを、ネアは魔物達に聞き損ねていた。



(それに、イブさんに頼まれたこともあるし………)



でもそれは、海竜の戦に出なくてもどうにか出来る気もする。



「………………その、私は海からは離れた内陸部の住まいで、海には一年に一度の夏休みに遊びに行くくらいなのですが……………」



儚げに目を伏せてそう言い、しおらしくしゅんとしてみせたが、残念ながら、じゃあチェンジでという仕組みはないようだ。



「海の祝福を得られない陸の子か………」

「どうりでぱっとしない………。ヴェルクレアともなれば、海と共に生きるもっと秀でた者がいただろうに」

「信じられんな。………海を愛してもいない者が、海竜の戦に呼ばれたのか…………」



とても残念な生き物を眺めるように青い髪軍団に見下され、ネアは気紛れにきりん帽などをかぶってみたくなる。

ここで人間の祟りものを見せても良いぞという気持ちになりかけていたところ、まだ視認していなかった最後の同席者の声が背後から聞こえた。



「……………おい、勘弁しろよ。なんでこんな子供が俺の相棒なんだ。あんた達のところの予言者はそろそろ耄碌してるんじゃないか?…………それと、俺は海竜の戦には関わらないと言っておいた筈だ」




その声は低く甘く、胸の奥がざわりと揺れた。




(この声……………)




どこかで聞いたことがある気がすると思いながら振り返り、ネアは途端に半眼になる。


紫紺の長い巻き髪に大きな羽飾りのある帽子をかぶったこの男性を、ネアはかつてリーエンベルクの門の向こうから見たことがあった。

よりにもよって火の慰霊祭の日にウィーム観光に来てしまい、ノアに叱られていた、海嵐の精霊王だという人物ではないか。




「……………何だ?」



振り返るなりうっかりげんなりしてしまったからか、その精霊がおやっと眉を持ち上げる。

少しだけだが、アルテアに表情の雰囲気が似ていなくもない。



「……………こんな状態ですので、沢山着込んでいらっしゃるのが羨ましくなったのです」

「そんな恰好で呼び落とされたのは、あんたの問題だ。俺に何かして貰えると思うなよ?」



(おのれ、後で後悔しても遅いのだ…………)



この場でノアの姉だと言ってしまうと素性が明かされそうなので、ネアと相棒になるらしい、紳士的ではない精霊王を脅すのは後でいいだろう。


ここは出来るだけ速やかに解散して貰い、二人きりになったところで力関係のお勉強をして貰うつもりだが、よもや団体参加の競技のようなものはないだろうなと、ネアは眉を顰める。

敵の目があるところでは、着替えすらままならないではないか。



「選ぶのは私達ではないわ。予言は魔術の道筋の一つ。それに示されたものの指示に私達は従ったまで。お前が加わると海が荒れるので、私としても驚いているの」

「予言はただの道しるべだ。決めたのはあんた達海竜だろう」



すげなくそう言われた海竜の女性は、唇の端にどこか残忍にも見える微笑みを浮かべた。



「私達は道しるべには逆らわないのよ。…………さぁ、まずはお前が守る人間を立たせてあげるといいわ。このような子供が巻き込まれてしまうのは私としても胸が痛むのだけれど、予言の示す者であれば仕方がない」

「俺は、陸への伝令を引き受けてやる代わりに戦には巻き込むなと言った筈だ。無理矢理巻き込んでおいて、子守りまでさせるつもりか?…………おい、あんた。可動域は幾つだ?妙に気配が薄いな………」



とても雑に質問されたので、淑女への問いかけとしては赤点だと言ってやりたい憤りを堪え、ネアは、手など借りるものかと自分で立ち上がりながら海嵐の精霊王を見返す。


いつもなら己の心を削るばかりの真実だが、この真実は時として武器にもなる。

自分の相棒の可動域を知って、運命を呪うがいいという、とても投げやりな気分であった。



「六です」

「………………まさか、六十か?」



勝手に情報が歪曲され、周囲がざわざわする。

既に現場は混乱しているが、ネアはとても厳しい顔で首を振ってみせた。



「じゃあなんだ、六百か。それだけあればついては来られるだろうが、潤沢なつもりでいるんだったら世間知らずが過ぎるぞ…………?」

「六です。勝手に十倍や百倍にしてはいけません」

「ろく…………?」

「六です。私は、最初から正確な情報をお伝えしています」

「……………………まさか、ただの六か?!」

「………………おのれ、自分で勝手に百倍にまでしておいて、勝手に失望するとはどういうことなのだ…………」



絶句して頭を抱えてしまったか弱い海嵐の精霊に、ネアは乾いた溜め息を吐いた。

他の参加者達はもう動揺を隠しきれないくらいのざわつきぶりだが、一人、頭に布を巻き付けた男性だけはあまり驚いているように見えなかった。



(もしこの人だけが、最初から私の可動域を正確に認識出来たのだとしたら、なかなかに優秀な魔術師なのだろうか………)


こんな高位の生き物達ですら勝手に十倍から百倍で認識してしまうので、正確な観察眼を持つということは、実はかなりの切れ者である証なのではという気がしてくる。



(念の為に、この男性は警戒しておいた方が良さそう…………)



でも多分、徐々に落ち着かなくそわそわしてくる心が気にかけているのは、目の前の手強そうな男性などではなく、今もグラニのプールにいるかもしれない大事な魔物のことだ。




早く、どこかで首飾りのカードを開きたい。

ディノに現状を伝え、あのグラニのプールで更衣室から出てこないネアを探している魔物を、怖がらなくてもいいよと宥めてやりたかった。



(フレンチトーストは、昨日の夜に作ってあげた…………)



砂糖菓子もたくさん作っておいたし、この海竜の戦に巻き込まれる可能性についても話し合った。

それでもあの魔物はきっと、ネアが怖い思いをしていないだろうかと胸を痛めているだろう。




「はは、お前には子供を抱えて動くくらいの良心が必要だろうて。組んだ人間が死んだらお前も死ぬしかない。難儀なことよな」


ネアの可動域を聞いてそう笑ったのは砂色の髪の老人で、ここは、二人がお揃いのような黒いコート姿でどちらが人間なのかさっぱり見分けがつかないチームだ。

言動的にはこのご老人が人外者なのだと思うが、一緒にいる青年もやけに落ち着いていて、まるで長命老獪な人外者のように無表情であまり感情が伺えない。

唯一動揺したのは、ネアの可動域を知った瞬間くらいなものだ。



「……………ご老体、そう言うあんたは、最近片目を失ったばかりだろ?」

「片目を失くしたくらいで、精霊なんぞには負けんよ。なぁ、カイザル?」

「……………僕は殺すだけだ。島には、海竜の祝福があるととても助かる。邪魔なものはみんな死ねばいいと思う」



囁くような小さな声でそう答えた青年に、ネアは、このように思考が一点集中型な人見知りっぽい青年もかなり厄介な分類枠であると暗い気分になった。

奇遇にも導き出した結論はネアとお揃いだが、このような気質の青年が、追い詰められた途端に狂気的な感じにおおはしゃぎしたりして周囲を大混乱に陥れるのが、映画などの典型的な展開ではないか。



「殺し合いがしたければ、後から好きなだけするといい。…………お前達は、これからそこにある、五つの門の内の一つを選んでくぐるのだ。その先にある影の国では、海竜の至宝を見付けて貰う。集める上で他の参加者を殺すのも、協力し合うのも自由だ。ただし、人間は組んだ相手が死んだ場合のみ、得られる恩恵を捨てて棄権するという選択肢があるが、人間以外の者達は一人になるまで殺し合うしかない。協力し合ってもいずれは戦うことになる。…………ここにいる者達には今更のことだったな」

「協力者の決まりごとも、前のままなのか?」



そう尋ねたのはゾーイで、短髪の女性も気になっていたことなのか、優雅な動きで進み出るとまずは海竜の女性に一礼した。

夏至祭の日に出会った黎明のシーのように、ドレスであり甲冑でもあるというような不思議な装いだ。

一緒にいる男性も、暗い銀灰色の騎士のような装備に身を包んでいる。


「前の戦では、身に宿す縁ではなく、新たな召喚に応じた者や、影の国で出会った者の協力を得ることは可能だったと聞いています。そのようなことは許されていますか?」

「…………お前は、我々の血を引く娘だったわね。………ええ、そのような助力を得ることは許されています。ただし、現在その身に抱えている守護や契約から誰かを呼び出すのは不可能よ。お前達がこれから向かう影の国は、こことは違うあわいの向こう側。影の国でも、その出現の条件を満たしたものであれば呼び出せますが、事前に契約や取り決めがある場合は無効になってしまう。あくまでも、この選ばれた二人で戦うことが前提とされています」

「分りました。海竜の女王よ。問いかけに応じて下さって有難うございます」



ひどく畏まった返答を聞き、ネアは、自分もこのような対応をするべきだったのだと少しだけひやりとした。


海竜は海を治める騎士達のような存在で、その数も多い。

どうやらネアをここに呼び落とした女性は、海竜の女王のようだ。

海竜の最高位は王であるが、王妃も女王として力を振るうとディノに教えて貰ったことを思い出した。

よく分からないまま言葉を交わしていたが、かなり偉い女性だったらしい。




(確か、海はとても広いから、意思決定を出来るのが王様一人だと、何かと不便だからそうなったのだとか…………)



加えて、海竜の女王と王は不仲なのだそうだ。

ネアからすると、王を慕っていた女王が愛想を尽かしたようだと聞けば、途中で王の中身が変わったからではないかなと勘ぐってしまうが、あわいの海辺で出会ったイブが自分の伴侶を気にかけるような言葉はなかったので、別の問題なのかもしれない。


王の中身が違うという話をするのであれば一番の適任のようだが、ネアがイブから頼まれたのは、イブの魂を引き継いだ者を見付けることで、海竜の王の罪を暴くことではない。


(それでどうにかなるのなら、イブさんは最初からそのように頼んだ筈だし、あの貝殻を託したダリルさん達もそれで済ませたと思うから…………)



なのでネアは、ここでは何も言わないことにした。




「他に、事前確認しておきたいことはありませんね?今回の戦に選ばれる可能性のあった海に住まう者達は皆、海竜の戦の取り決めを知っています。分らないことがあれば、共に戦う相手に尋ねると良いでしょう」



主催者らしき女性がそう締めくくり、事前のルール確認などはあまり厳密に行われないまま競技開始となるようだ。



(去年の海遊びで拾った海竜の宝玉を、ヴェンツェル様にあげなければ良かったかな………)



すっかり怯えて黙り込んだように見える人間は、そんな悪辣なことを考えていた。

あの宝玉があれば、持ち主の竜を脅すことも出来ただろう。

第三者の助力も得られるというのであれば、協力者は多い方がいいではないか。


そんなことを考えていたら、不意に差し出されたものがあった。



「さすがにその姿では不便だろう。何か羽織るといい。袖を通していない上着だから、不快なこともないだろう」



そう言って、ネアに、どこからかひらりとコートのようなものを取り出して差し出してくれたのは、頭に布を巻いた男性だ。

ネアは、目を瞠ってその男性を見上げる。

擬態しているようだが、青みがかった緑色の瞳はその気配の如何わしさに反して、清廉で誠実なように思えた。


基本、物には罪がないと考える人間は、貰えるものならと有難く頂戴することにする。




「まぁ、有難うござ…」

「いずれ殺し合う相手から、気安く身に纏うものを受け取るな。何が添付されているか分らないからな」

「…………………まぁ。ゾーイさんは、実は慎重な方なのですねぇ」



ネアがそう溜め息を吐くと、海嵐の精霊はすっと目を細める。

怖い顔をしてみせようと人間はとても即物的な生き物なので、上着を貸してくれない仲間よりは、新品のコートを差し出してくれた得体の知れない人間の方が好感が持てるものだ。


とは言えゾーイの言うことも一理あるので、ネアはコートを差し出してくれた男性に苦笑してみせて、丁寧に頭を下げた。



「せっかくお気遣いいただいたのに、申し訳ありません。精霊さんが荒ぶってしまうようですので、今回はご辞退させていただきます。確かにこの恰好は心許ないので、後でこちらの精霊さんから追い剥ぎしますね」

「そうか、対戦相手ということで安心して羽織れなかったな。気を遣わせてすまなかった」


男性はそう微笑むと、ちらりとゾーイの方を見る。

じっくりと上から下まで海嵐の精霊王を見てから、ネアのほうを見て小さく笑った。


「安心するといい。女性に上着も渡せない程には困窮はしてなさそうだ。あの装飾品を売れば、衣類くらいは買えるだろう」

「では、頑なに羽織るものを出さない場合は、あの宝石を毟り取ればいいのですね。ちょっとよく知らない精霊さんが長年羽織ってきたかもしれない上着をお借りするよりは、質素なものでも新しいものを買って貰った方が良さそうです」

「口の減らない子供だな。お前には、麻袋でも被せておいてやる」

「ざりざりするので却下します。そして、海嵐の精霊さんはけちだったと、後世に残る書物に記しておきますね」

「ほお、あんた可動域六で生き残るつもりか」

「私が死んでしまうということは、ゾーイさんも死んでしまうということですが…………」



パートナーが死んでしまった場合には棄権をすることがが可能な人間とは違い、人外者達は最後の一人まで殺し合うしかない。


組んだ人間が死んでしまうことも失格の条件になるようで、ネアが死んでしまうとゾーイも死んでしまうらしいので今更だ。

組んだ人間を守りながら戦うことは、海を守る海竜の誇りを損なわない為の措置のようで、守りながら戦うことが出来るというのも勝利の条件となるのだとか。

敗者となった人外者を残さないのは、新しい王が決まった後で、謀反などの火種を残さない為であるらしいが、であれば元々身内だけで戦わずに決めればいいのにとネアは思う。



(でもそれは、かつて多くの海竜の一族を統合する為に結ばれた、魔術協定の弊害のようなものだというから、もう選定の方法を変えることは出来ないのかしら………)



そして、そんな厄介な戦に出なければならないネアを見下ろすのは、水色に琥珀色の斑の不思議な色の瞳だった。

まるで穏やかな海に落ちる雷光のようで、ネアはその色にも彼の司るものが示されているのかなと思う。



「もし俺が、死んでもいいくらいにこんな茶番にうんざりしていたらどうする?」

「むむ。その場合は速やかに死んでいただき、私は棄権してプールに戻りますね」

「……………そうか、子供に聞いた俺が愚かだったか」

「おお、ゾーイの相棒はなかなかに愉快だな」



そう微笑んだのは、妖精のように華奢な青い髪の女性だ。

見た目の可憐さに見合わず、男性のように豪快に喋る。

ちょっと好きなタイプだぞとネアはそちらを見たが、残念ながらネアにはあまり興味がないようだ。


(相棒さんのことも“人間”と呼んでいるから、あまりこちら側には歩み寄らないようなひとなのかも…………)


そういう意味では、一番右側のペアは、男性がきちんと女性を気遣っている。

短髪の女性が時々質問をし、男性が丁寧に答えているのでここは元々の知り合いの可能性もありそうだ。



「お喋りはそのくらいでいいだろう。開く扉を決めるといい」



すらりと、海竜の女王が手を伸ばして、この建物の壁にある五つの扉を示した。



変わったところはないように見える簡素な木の扉だが、まったく同じものが五つ並んでいるのでいかにも試練の始まりの分岐点という雰囲気ではないか。


冒険譚では、必ずどこかでこのような場面があるものだと、ネアは少しだけわくわくしてきた。



「俺は残った扉でいい。どうせ同じだ」

「おやおや、では私達はこちらを選んでも?」

「ああ、好きにしろ」

「俺達はこちらに行こうか」

「私はこの扉にするぞ」

「………では、僕達はこちらにしよう」


皆がそれぞれ自分達が通る扉を選び、ネア達のものは最後に残った一番左端の扉になった。



「………………む」



その扉を見て、ネアは、ちょっといびつな文字で「まち」と書いてあることに気付いた。

他の扉も見てみれば、いわやま、だとか、しのもり、だとか書かれているではないか。



(しのもりって、死の森なのだろうか………大丈夫かな…………)



ネアはこの扉が一番安全に思えてしまうのだが、もしかすると、死の森などの方が探すべき品物とやらが見付けやすいのかもしれない。



(水着のままだから、火の海はちょっと嫌かな…………)


火の海に挑むらしいご老体達にはそっと楽しい旅をと祈っておくことにして、ネアは死の森に行ってしまう白藍色の髪の男性が気になった。

上着を差し出す優しさを見せてくれたその男性は、よりにもよって爪先の開いた砂漠の国の民のようなサンダルを履いているのである。



「…………あの、」


ネアがおずおずと話しかけると、彼は青緑色の瞳をこちらに向ける。

何となく、その色は彼本来の色彩ではないような気がしたが、なぜだか心に残った。



「爪先は大丈夫でしょうか?」

「……………爪先?」

「がさがさしている森だと、爪先を怪我してしまいそうです」


そう言えば瞳を微かに瞠り、ふっと微笑む。

ネアとて善人ではないのだが、ここで、先程受けた優しさへの感謝を示しておけば、後々滅ぼすしかないとしても禍根は残らないだろう。

そう思って伝えた言葉に、彼は秘密を示す普遍的な仕草、つまり、人差し指を唇に当てた。



(良く分らないけれど、何かあのサンダルでいい事情があるのかな…………?)



ネアは首を傾げつつも頷いておき、おもむろに背後から忍び寄った今日からの相棒に小脇に抱えられる。



「むが!何をするのだ!!」

「さっさと行くぞ。他の奴らに懐いて、妙なまじないを貰ってくるなよ?」

「なぬ。なぜに早々に旅立つ雰囲気なのでしょう。そもそも、どんなものが至宝とやらなのかを教えて貰っていません!」

「海竜の前王に纏わる品で、海竜の宝になるようなものだそうだ。舌を噛むなよ?」

「むぎゃ!!」

「……………お前、人間じゃなくて、珍獣か何かなんじゃないのか?」

「ゆ、ゆるすまじ…………」



ネアを横抱きにしたまま、ゾーイはぞんざいに開けた木の扉の向こうに踏み出した。

その奥に続いている薄闇は、転移の時の暗さに似ている。

そんなところへ進んでゆくのに、不安定に小脇に抱えられた姿勢はかなり心への負担が大きいではないか。



ぶわりと吹き上がる風に煽られ、ネアは、海嵐の精霊王に抱えられたまま、暗闇に飲み込まれた。





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