呪いの依頼と焼きたてのパイ
「アルテアさん、私を呪って欲しいのです…………」
その日、ネアが突然そんなことを言い出したからか、アルテアは手に持っていたパイのお皿をつるんと取り落とした。
勿論そのお皿は、美味しくいただく役目のご主人様が空中で華麗に受け止め、一度手放したからにはもう所有権はこちらのものだと威嚇しておく。
じゅわっと美味しいトマトソースとチーズの入った夏野菜のパイはいただいたぞと、振り返って、他の魔物達に誇らしげに掲げた。
「ネア、………もしかして、それで俺を呼んだのか?何か理由をつけてアルテアを排除したいなら、そのまま言ってくれていいんだぞ?」
「ち、違うのです!ウィリアムさんは、アルテアさんを滅ぼしてはなりません…………」
「ネアがアルテアの呪いに浮気する…………?」
「…………ディノ、よくわからない感じになってしまっていますよ。何にでも浮気の疑いをかけてはいけません」
「アルテアとの契約を切りたいのかい………?」
困ったようにそう尋ねたディノのせいで、赤紫色の瞳がぎくりとするくらいに真っ直ぐに向けられ、ネアはとても冷ややかな疑念の眼差しを浮かべた使い魔を、無言で首を振って宥める羽目になってしまった。
「ディノもウィリアムさんも、誤解をしていますよ!私はただ、ちょっと保険になる呪いを絶賛大募集中でして、呪いとなると同じ器用さんでもノアよりアルテアさんの方が向いていると考えたのです」
「……………ほお、一度は受け入れた契約を書き換えるつもりなら、それ相応の魔術の対価を覚悟しておけよ?」
「こらっ、アルテアさんも勘違いで不貞腐れてはなりません!使い魔さんをぽいする為の口実ではなく、私が今年こそウィームの音楽祭をゆっくりと楽しむ為の手助けをして欲しいのです」
「………は?」
そこでネアは、何だか季節ごとに勃発する大きめ事件の、今年の夏の陣がまだ訪れていないことを魔物達に伝えた。
夏至祭のものは大した騒ぎではなかったし、あわいの列車も殆どが一泊旅行であった。
となると、そろそろ何かが起きても不思議はないのだが、こちらの人間は昨年の音楽祭をゆっくり楽しめなかったことを根に持っているのである。
「なので、そろそろアルテアさんがまた誰かに捕獲されてしまったり、どなたかが何処かに落ちたりして私を巻き添えにしたりするような…」
「ネアが虐待する…………」
「ディ、ディノ………涙目になってしまってはいけませんよ。これはあくまでも、過去の経験に基づく対策のお話なのです。対策を講じておけば何かがあっても安全ですし、安全対策はたくさん抱えておいても無駄にはならない自信がありますから!」
「虐待する……………」
「なぬ。なぜに余計に落ち込んでしまったのだ?!」
「ネア、そう言う場合は無駄になってもいいからと言うべきじゃないかな」
「む、むぐ!」
用法の違いを指摘してくれたウィリアムも、その後は遠い目になってしまった。
そこでネアは、重苦しく考え込んでしまった魔物達からこそっと距離を取り、テーブルの上にパイを置いて焼きたてほかほかのパイとの対話を楽しもうとした。
すると、無言でやって来たアルテアにひょいと持ち上げられ、魔物達が暗い顔で集まっている長椅子の方に連れ戻されてしまう。
「むが!焼きたてパイを………!!」
「それは後にしろ。ろくでもないことを言い出したのは、お前だろうが」
「私はとても臆病な人間なので、使い魔さんに、ぷぷいっと一つ呪いをかけて欲しいと言っただけなのです。私を、戦利品の焼きたてパイから遠ざけるなど、許されざる行為ではありませんか!」
脱走しようとしてネアはじたばたしたが、両脇の下に手を差し込まれて持ち上げられているので、両足は虚しく宙を掻くばかりだった。
たいへん遺憾であると、どうしても床に足が届かない高さに持ち上げられた人間は思う。
「…………ネア、パイは焼きたてのままにしておいてあげるから、少しだけいいかい?」
「ディノ…………?」
パイへの執着に荒ぶるネアだったが、そんなディノの静かな声にはふすんと荒ぶりを収めた。
アルテアの拘束のままディノにお届けされ、どこか儚げな眼差しのその腕に捕らえられる。
見上げた魔物に、ネアはどこか確かめるような触れ方をされる。
「……………君は、自分に何かが起こると思っているのだね?」
そう尋ねた水紺の瞳に浮かんだ痛みのようなものを認め、ネアは目を瞠った。
そっと手を伸ばしてディノの頬に添えると、気になっていたことを思い切って尋ねている。
「ディノがこの前ノアと話していたのは、…………何か困ったことが現れ始めているからではありませんか?……実は少しだけ、二人が廊下で話していた内容が聞こえてしまったのです。夜海の竜さんのお話をしていました…………」
ネアが素直にそう白状すると、ディノはなぜか驚いたようにこちらを見るではないか。
真珠色の睫毛をぱしぱしさせて、小さく息を飲む。
「…………もしかして、そのことを心配していたのかい?」
「……………むぎゅ。海な竜さんと言えば、今は何かと問題を抱えていますし、私は、あわいでイブさんの魂の欠片を預かってしまいました。あの欠片はダリルさんに渡してありますが、何か縁のようなものが残ってしまったのでしょうか?それとも、エーダリア様にガレン経由でそちらの関係の依頼が入って、私がとうとうきりん箱を使う日が近付いているのでしょうか?」
「…………ネア、その夜海の竜はもういないから、安心していいよ」
「………………ほわ?」
「私とノアベルトの話を聞いてしまって、怖い思いをさせていたんだね。………気付いてあげられなくてごめん」
そう言って抱き締めてくれたディノの腕の中で、ネアは首を傾げる。
漏れ聞こえた内容では、ネアに関わるような問題が起きている様子であった。
そんな折に、先日はディノが疲弊しきって帰って来たりしたので、これはもうかなり厄介なことが起きているのだと考えていたのだが。
「その竜さんは、私に悪さをしようとしていた筈なのです……………」
「…………うん。そうだね。その竜は確かに、夏至祭でアルテアと踊っている君を気に入ったようで、海の他の仲間達と君を攫ってたくさん踏んで貰おうと考えていたようだ」
「ぎゃ!!」
「でも、君がたくさん踏んでもいいのは、私だけだからね」
「そ、そんな恐ろしい竜さんは是非とも滅ぼして下さい!」
「同族の夜海の竜が先に手を打ってくれたようだよ。もういないから安心していい。一緒に君を攫う計画を立てていた者達は、話を聞いたイーザが、ヨシュアに頼んで壊してくれたようだよ」
「……………とても有り難いお話なのですが、と言うことは、………皆さんには私がどんな需要により攫われようとしていたのかが筒抜けなのでしょうか…………?」
「皆知っているから、安心していいよ」
「絶望しました…………。そんな愚かな竜など、この手できりんまみれにしてやりたかったのに無念でなりません…………」
「ご主人様…………」
あまりにも荒ぶるネアに怖くなったのか、ディノは暗い目をして俯いてしまった人間の手に、そっと三つ編みを握らせてきた。
本来なら悲しみにくれる婚約者にハンカチを握らせる場面だが、この流れでは物的証拠のようになるのでやめて欲しい。
「…………むぐる。と言うことは、私は音楽祭には無事に参加出来ます?」
「うん、君は今年の音楽祭を楽しみにしていたからね」
「伸び伸びと楽しみ、二種類の葡萄パイを食べなければなりません…………」
「では、音楽祭は一緒に行こう。今年は少し遅い時期になるらしいから、恐らく海竜の問題も片付いてはいる筈だ。エーダリア達も落ち着いた頃だろう」
「…………開催日が変更されたのですか?」
「そのようだよ。夏至祭で大きめのあわいの波が立っただろう?この国では一定規模以上のあわいの影響があった後は、そこから規定の日数の間は大きな音楽の催しは出来ないのだそうだ」
「まぁ…………」
「あわいの住人は音楽を好むからな。鎮まりかけていた土地を騒がし、あわいの扉をもう一度開けさせるきっかけになりかねない」
アルテアがそう教えてくれて、ネアは慎重なこの国の決まり事に感心して頷いた。
歌乞いもそうだが、音楽は誘導路のような役割をしてしまう。
呼びかけや対話には向いているが、そっとしておきたいものに声をかけてしまうことにもなりかねないので、あわいの影響が鎮まるまでは大きな呼びかけになってしまうものは避けられるそうだ。
(でも、音楽祭を楽しみにしている人達もいるから、決して中止にしたりはしないんだわ…………)
とは言えひとまず、ネアは音楽祭が後ろ倒しのスケジュールになったことに安堵の息を吐いた。
これで海竜の戦に巻き込まれても安心だとは公には言えないが、何かがあってもどうにか間に合うかもしれない。
「で、お前は、俺にその音楽祭に行く為の呪いをかけて欲しいのか…………」
「はい!音楽祭を隅から隅まで、ゆったりと堪能出来るような素敵な呪いがあれば……」
「そもそも、何で呪いにしたんだ」
「それは、やはり魔術は呪いという形のものの方が強いと聞いたからなのです。守護などの隙間を縫うものだといいますし、良いものを遮断するような目に遭っても呪いまで排除するという発想は敵にもないと思われます」
そう言ったネアがふんすと胸を張ると、こちらを見たディノがそうだねと微笑んだ。
とても魔物らしい酷薄で美しい微笑みの暗さに、ネアはぎくりとする。
「であれば、誰も私から君を奪えないという呪いをかけてもいいのだろうか」
「…………む?もうその手のものは、かけられているのではないのですか?」
ネアがこてんと首を傾げれば、なぜかディノは驚いたようにこちらを見るのだ。
「…………君は、そういうものは厭うのかと思った」
「目的に見合うものであれば、手段は厭いません。もしかしてディノは、私が嫌がると思ってそういうことはしないでいてくれたのですか?」
「…………うん。ずるい」
「…………またしても用法が行方不明に」
「そのような手段を用いてもいいくらいに、君は私に懐いていたのだね…………」
そこで恥じらってしまった魔物が少しの間処理落ちしている間、ネアはくるりと方向転換されて使い魔の聴取に応じる。
「…………妙に警戒してるな?何も隠してないだろうな?………お前が警戒しているのは、海竜の戦だろう?」
「まぁ、そんなことがあれば、皆さんに迷惑をかけてしまうかもしれないのに隠したりはしません。…………ただ、こうしてあちこちで、それは厄介なことだから巻き込まれてはならないと忠告され、ましてやそこに大きく影響するイブさんとの出会いまで果たしておいて、果たして無事にこの事態に巻き込まれずにいられるでしょうか…………」
「お前の事故率だからな…………」
「むぐる!………事故率というよりも、……上手く言えませんが、どこかで誰かの運命に呼ばれてしまっているような感じがしてならないのです。運命といいますか……」
「ネアが浮気する……………」
「…………今回はそう言われることを予期していました。しかしながら、私はそんな誰かに好意を抱いていないので、ただの巻き込み事故のようなものですからね?」
「……………やはり、海竜はいらないのではないかい?」
「シルハーン、お気持ちは分かりますが、さすがに海竜の不在で海が荒れるのは…………」
頭を抱えるようにそう呻いたウィリアム曰く、海で一番階位の高い存在という訳ではないのだが、組織だった種族で数が多い為、海竜は海の騎士団のような役割を果たしているらしい。
そうなると確かに、海の治安に大きくかかわる存在なのである。
「海竜なんて…………」
そう悲しげに呟いた魔物を撫でてやり、ネアはそっと大事な婚約者に微笑みかける。
「もし巻き込まれてしまったとしても、私にはこれだけ頼もしい人達がいてくれますし、必ず帰って来ますからね」
「…………ネア」
「言っておくが、海竜の戦は勝ち抜き戦だ。参加者は一組しか生き残らない。絶対に関わるなよ?」
「私としても絶対にご免ですが、万が一巻き込まれたならば、敵を殲滅すればいいのですね?」
「……………何でもう覚悟を決めた」
「我が儘さや、自分の大事さで私に敵う人などいるでしょうか。きりんさんをばら撒き、必要であれば獏さんやぞうさんで追い討ちもかけます。激辛香辛料油もありますし、ウィリアムさんとヒルドさんの力を借りられる戦闘靴もあります。……………いざとなれば、己の心も損ないますが、大声で歌えばいいのですよね」
「……………大虐殺だな」
「……………ご主人様」
ディノとアルテアは青い顔をしていたが、ウィリアムからは、身の危険を感じた場合は容赦なく滅ぼしてしまって構わないと言って貰えた。
「…………最悪、海竜は百も残れば………」
「おい、海竜の総数は万単位だろうが。どれだけ滅ぼさせるつもりだ…………」
「まぁ、海竜さんは多いのですねぇ…………」
「海はやはり、陸とは少し違う領域だからね。特に海竜は種類も多くて、海竜達自身も把握出来ないような固有種もいるそうだ」
「そんな皆さんが、海竜の王様には従うのですか?」
「勿論、それぞれの一族の意思もあるだろう。人間の王と貴族達との関係に似ているかな」
「そのような感じなのですね…………」
そう聞けば少しだけ、どうしてみんなが海竜の戦に敏感になるのかが分ったような気がする。
確かに、騎士団などのような組織に相当する一族が揺らぐかもしれなければ、その期間内の海の安全の為にも慎重にならざるを得ないのだろう。
そして、海竜の戦というもの自体が、そうそうあることでもない。
「……………君の予感のようなものは当たることが多いからね。………とても不愉快だけれど、ある程度の備えはしてあるよ」
ネアが海の警察な竜のイメージを脳内で転がしていると、ディノが静かな声でそう教えてくれた。
澄明な瞳は魔物らしい老獪さと鋭さで、美貌から温度が抜け落ちればいかにも魔物の王様という感じになる。
困ったことに、そんなディノの怜悧な美しさが、ネアは相変わらず好きなのだ。
時々、きりっとして欲しいと頼むこともあるのだが、ネアに見つめられるとこの魔物は弱ってくしゃくしゃになってしまうので、意図的にこのような雰囲気を作って貰うのは難しい。
決していい話をしている時ではないのだが、ネアはこっそり凛々しい魔物成分を堪能する。
「ディノも、そのようにして考えてくれていたのですね…………。私も、その日の為にきりんさん帽子や、ぞうさんボールを開発しておきました。どちらも検証実験済ですので、いざと言う時にはその効果を発揮してくれるでしょう。また、歌乞いの教本から一番歌い難いと思う唱歌を見付けておきましたので、いざとなればその歌を歌うのです」
「……………念の為に確認しておくが、海竜の戦に巻き込まれた場合は、二人一組が鉄則だ。組んだ海の生き物を殺すと失格になるぞ」
「むむ!その存在をすっかり失念していました。では、うっかり殺さないようにしっかりと躾けなければいけませんね…………」
「ネア、参加する前提になってるぞ?」
「………………む」
ウィリアムの指摘に、ネアは眉を寄せた。
何だかもう参加が決まっているような感覚なのだとはさすがに言えないが、やっとその懸念をこうして伝えられたので、ついつい言動が疎かになってしまう。
実は、ウィリアムやアルテアがここにいるのは、ディノが一人でそんなことを聞いて怖がってしまわないように、さりげなくご招待したなかなかに狡猾な人間の作戦あってのことなのである。
柔らかな苦笑を浮かべたウィリアムの表情を見る限り、そんな理由までを何となく察してくれているような気がした。
(自分の中では、どうせ巻き込まれるに違いないという感じでいたけれど、いざという時に弱ってしまわないように、そろそろディノにもその心構えをして貰わないとだから…………)
けれど、その話をする時には、ディノの側に誰かが居て欲しかったのだ。
「もしかして、その問題が心配だったから俺を呼んだのか?」
「ふぁい。てっきり、もうかなり深刻な事態になっているのだと思ってしまい、使い魔さんはパイの催促で、そしてウィリアムさんにはご相談があるといって呼び出してしまいました。ディノとノアを守って欲しかったのですが、まだ問題は起きていないようです…………。なお、ノアはもう知っているとばかり思っていたので、あえて呼びませんでした………」
「おい、何で俺の呼び出し方はパイなんだよ…………」
「まぁ、アルテアさんに来ていただくのに、それ以上のいい呼び方があるでしょうか?」
「お前な…………」
「音楽祭のことをアルテアに頼めば、私が海竜のことを話すと思ったのかい?」
「もし、私に言えないような状態であっても、その会話をきっかけにして、ウィリアムさんやアルテアさんになら言えるのかなと考えたのです。まさかそちらの騒ぎは、踏まれたい系の夜海の竜さんが出現しているだけだとは思いませんでした…………」
そちらは杞憂に終わったようだが、とは言え何だか足元が危うい気配は消えはしない。
あまり裏工作に向いていない人間は、この際えいっと疑問や不安を投げてみてしまった次第である。
「そんなに君を不安にしているとは気付かなかった。………今度から、そのようなことが気になったら、私に言っていいからね」
「むぐ。ディノは、あまりよくないことも言える範囲では私に話してくれるようになったので、言えないということにも魔術的な理由があるのかなと頑張って深読みしてしまったのです。…………でも、この際ですから、私は海竜さんの戦に巻き込まれた場合の対策会議もしておきたいのですが、………ディノは嫌ですか?」
ネアは、手を伸ばして掴んだ三つ編みをそっと引っ張ってみた。
寂しそうに目を細めた魔物が、体をかがめ、そんなネアの頬にそっと口付ける。
「望ましくないことだからといって、君に備えをさせない訳にはいかないね。…………ウィリアム、アルテア、この子に知恵を貸す助けをしてくれるかい?」
そう言ってくれたディノに、二人の魔物も頷いてくれた。
ウィリアムは手を伸ばし、ネアの頭をふわりと撫でてくれる。
「いざとなったら、俺を呼べばいい。他の参加者がいなくなればいいんだからな」
「海竜の戦場には、入れないんじゃないかな…………」
「いえ、戦場を展開している海竜を殺せばいけると思いますよ。場を展開する竜の特定は、アルテアかノアベルトが出来るでしょう」
(その場合、海竜さんは激減してしまうのでは………)
ネアは、それは最終手段にとっておこうと自分に言い聞かせた。
海がとんでもないことになりそうだ。
「それは構わないが、そもそも巻き込まれないようには出来ないのかお前は…………」
「むぎゅる。私とて巻き込まれないように踏ん張るつもりですし、…………恐らくエーダリア様達のご様子を見ている限りは、ウォルターさんが参加される筈なのです。どんな風にそこに割り込まされるのか、或いは選手枠かどうかも分りませんが、何となく無縁ではいられないのではという予感だけですから……」
「予感を無視せずに、警戒するのはいいことだと思うぞ。アルテアは、少し無茶を言い過ぎだな」
「お前の言い方だと、こいつが事故るのを防ぐことが無理だっていう前提になってるからな?」
「では、そろそろパイ様を………」
「食べ出すとお前は集中力が皆無だろうが。パイは後にしろ」
「むぐぅ!」
幸いにも、アルテアは以前の海竜の戦の参加者を知っていた。
と言うか、アルテアが自分の手駒を送り込んだことがあるらしい。
そしてその人物が戦を勝ち抜き、王となる竜が決まったのだとか。
つまり、唯一の生存者からその時のことを聞いているのだ。
「最初はな、海竜の中で王を決めるというよりも、数多くいる海竜の一族の中から王を決めるという戦だったが、その戦に一族を強制参加させる為に、この海竜の戦の取り決めが成されたんだ」
ウィリアムの言葉に、ネアはどうしてこんなシステムが作られたのかを初めて知った。
不自由なものだなと考えていたが、その不自由さには履歴があるらしい。
「代理戦争の一つだが、海竜よりも高位の海の一族が参加することもあるみたいだな。出来るだけ高位の者と組むのが一番だが…………、ネア、どうした?」
「う、海の白もふさんと組みたいです!素晴らしい白もふ具合で、アルテアさんを大好きな素敵な方でした。あの方と一緒であれば、世界も滅ぼせそうな気がします!!」
「ネア、世界は滅ぼさないでくれ。いいな?」
ウィリアムに宥められつつネアが鼻息も荒くご指名をすると、アルテアからにべもなく却下されてしまった。
「あいつと組むのは無理だ」
「……………白もふさんは、予約済なのですか?であれば、一緒に組む方が不慮の事故で消えてしまえば…」
「あいつは海そのものを司る精霊だ。海での生死が関わる調停や戦には手を出せない。ノアベルトと同じで、統括権限を持つからこその除外だな。………ヨシュアも海の領域には影響を与えられるが、海での戦に長けているかと言えばそうとも言えないし、あいつも公な場への介入は不可侵条約が結ばれていた筈だ」
「……………むぐぐ。…………であれば、海には他の素敵なもふもふさんはいますか?」
「浮気……………」
「ディノ、これは危険時に私の気力を保つ役目も果たす条件ですので、今回ばかりは大目に見て下さい。なお、虫っぽい形状の生き物と組まされた場合は、即刻相棒を抹殺してしまうのでたいへんに危険です」
ネアのその要望を聞き、ウィリアムが小さく声を上げた。
「……………そう言えば、アクスに海嵐の精霊の王族がいたな…………」
「は!尻尾とお耳しか見たことのない方ですが、尻尾とお耳であれば存じ上げております!」
「……………アクスであれば、アイザックから頼んで貰えるかもしれないね」
「ヴォルフ………だったかな、ローンから子供がいると聞いたことがあるから、妻帯者なんだろうな」
「妻帯者なのだね……………」
「ほお、あいつは伴侶持ちか。それなら…………」
アクスの人材であれば、正式な依頼とすれば信用出来ると、魔物達は少し落ち着いたようだ。
やっとパイを食べながら作戦会議に参加していいというお赦しも出て、ネアは美味しい夏野菜のトマトチーズパイをはふはふしながら食べ、至福の微笑みになる。
ふと、会話の隙間で悲しそうにこちらを見る魔物と目が合った。
「ディノ?」
「ごめんね、ネア。………また君に、怖い思いをさせてしまうかもしれないんだね…………」
「おそらくこういうものはもう、天災のようなものなのだと思います。でも、私には頼もしいディノの指輪があるので、この指輪に守って貰えますね」
「………………君は、私に怒ったりはしないのかい?」
「むむ。…………実は、私を海竜さんの生贄にしようと企んでいるのですか?」
「そんなことはしないよ?」
酷い疑いをかけられて悲しげに目を瞠った魔物に、ネアは微笑みかける。
「であれば、ディノを怒る理由なんて一つもないので、落ち込んでしまわないで下さい。ディノが寂しい思いをしないよう、出来るだけ早くに敵を殲滅して帰ってきますね。今回は、帰り方が分らないだとか、帰れるかどうか分らないというものではなく、競争相手を全滅させればいいのがとても清々しいです!」
「お前な……………」
アルテアは呆れた様子だったが、ネアには今年こそ音楽祭をゆっくり楽しみたいという野望がある。
それに、早々に海が安全になってくれれば、夏らしく海遊びもしたいのだ。
もういっそ、巻き込むなら早めに巻き込んで貰って、一刻も早く武力で解決してしまいたかった。
その日、ネア達はたくさん話をして幾つもの作戦を練った。
特に長くを生きている魔物達は物知りで、ウィリアムは滅ぼし方を多く知っているし、アルテアは多くの海の生き物に不利な情報を持っていたので、そのどちらの知識も、血も涙もない方法で生かせればと思う。
音楽祭に参加出来る呪いについては、ネアが催促したところアルテアにがぶりと首筋を噛まれた。
どうやら、魔物の獲物の印付けの呪いで参加出来るようにしてくれたらしい。
ただし、そのやり方はウィリアムの審査はクリア出来なかったようで、二人は現在別室で話し合いをしている。
(これだけ備えがあれば、きっと巻き込まれても怖くない筈…………。………ううん、巻き込まることは怖いけれど、巻き込まれても無事に帰って来られる筈だから………)
どんな対戦相手が来ても素敵に滅ぼせる自信があると、ネアは少しだけ油断していたようだ。
まさかあんなところから攫われるとは思ってもいなかったので、案の定巻き込まれた海竜の戦は、開始早々に深い絶望を味わわされたとだけ言っておこう。