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夏至明けの憂鬱




夏至祭が嫌いだ。



そう考え始めたのは、いったいいつからだっただろう。




世界の境界が曖昧になり、あわいから有象無象が這い出してくるその日には、世界各地で夏至祭の魔術に添い、生贄と祝福を巡る儀式が執り行われる。

それだけであればまだ鎮めの儀式として許容出来るのだが、よりにもよってこの夏至祭は恋の日でもあるのだった。



人々は浮足立ち、普段であれば陥らないような稚拙な罠に足を取られて命を落としてゆく。


あわいから這い出した妖精や精霊達の餌になる者や、こんな日に使い魔や契約の魔物を得ようとして命を落とす魔術師達や王族達。

道ならぬ異種族間の恋に身を焦がし、火に集まる虫のように自滅してゆく老若男女達。



夏至の夜には、そんな愚かな生き物達の喧騒がそこかしこから聞こえてくる。

森は輝き、川や風は囁きに満ち、海は異様な程に静まり返ってその夜を迎える。


そうして生き物達はみな、生きとし生けるものとしての猥雑で単純な喜びに身を震わせ、ウィリアムの仕事を増やしてゆくのだ。



それも、目を覆いたくなるような惨状ばかりを、その夜の足跡のように残してゆくのだから始末が悪い。





「ここには、酷い絶望ばかりが残っているな」




そう呟いて首を振った友人の姿に、ウィリアムは少しだけほっとしていた。


この有様ではギードがいずれは来るだろうと思っていたが、まだ死者の行列が形成される前の時間に来てくれたのは幸いだ。

ウィリアムにだって、こんな日は友人と会話をするくらいの息抜きは必要である。



ここにあるのは、ウィリアムには決して触れることの出来ない単純な喜びを得て、ウィリアムが見たこともないような希望を抱き、そしてそれだけのものを得ながらも浅はかに死んで行った夏至祭の澱。


妬ましく愚かしく、そして悍ましい。




「………今年は、分散せずに集約されたあわいの波が立ったようだな。彼らは、夏至の魔術から恩恵を得ようと、稚拙な守りで夏至祭のダンスを模した宴を開いたらしい」

「…………そうか。夏至祭のダンスは、生贄の儀式でもあることを知らなかったのか」

「若者達ばかりだ。…………もしくは、魔物にでも唆されたのかもしれない」

「だとしたら、可哀想なことだ。せめて無事に死者の国に行けるといいな」

「………残っている魂は門を通れたが、魂すら残っていない者達が多かった。…………やれやれ、今朝は死者の行列でさえ集まりが悪いんだ」

「そうか。昨晩は、死者の行列の者達もみんな楽しんだんだろう。ウィリアムは一人で仕事をしていたのか?」

「…………………ああ。俺にはそれくらいしかすることがない夜だからな」

「奇遇だな。俺もあちこちの絶望に呼ばれて走りまわっていた」



笑うでもなく生真面目にそう呟いたギードに、そうだよなと頷くとだいぶ心が軽くなっていた。

全体に対してそこまで多いとは言えないにしても、そうして夏至祭の喧騒を背に粛々と救いのないものを紡ぐしかない者達も一定数はいるだろう。



そう考え、どこか乾いた諦観にまた少しだけ笑う。


自分が他の属性や系譜の者達とは違うのだと思うのはこんな日だが、その中でも夏至祭はより強く己の異質さを感じる日の一つだ。

イブメリアや薔薇の祝祭などの華やかな祝祭もあるが、その日は決してウィリアムにとって不自由なばかりの日ではない。

終焉に紐付く動きも大きい日ではあるが、ここまで死と密接し、ウィリアムが触れるだけで揺らいでしまう祝祭はやはり夏至祭くらいか。




ばたばたと、風にケープがはためく。



目の前の草原には、無残に引き裂かれた大きな天幕に、割れたり転がり落ちたりした杯が見える。


馬車は横転して燃えたのだろうか。

飾り付けられ、ずたずたに引き裂かれた花輪の塔には正式な魔術が編まれておらず、見よう見まねで作られた粗悪品であることは明らかだ。



誰が、こんな愚かなことを始めてしまったのだろう。

これだけの悲劇となることを、誰も予測していなかったのだろうか。



そして、この草原で行われた宴に思い思いに着飾って集まった男女が、引き裂かれて貪られた亡骸と成り果てて折り重なっていた。



(哀れだ。………どれだけの喜びや期待を抱いて、この草原までやって来たのか…………)



恋を実らせる為に出かけていった娘や息子達の帰りを待つ親や、彼らの友人や姉妹や兄弟達。

生き残った者達も、これだけ無残に殺された愛するものを、どうやって受け入れ生きて行くものか。



猛烈な血臭と、高位の妖精達が言葉にも出来ないようなことを楽しんだ後に残る甘い匂い。

絶望と饗宴のその残滓に、目を細めて地平線から差し込んでくる朝陽を眺めていた。



「楽しい夜になると、生涯の伴侶を得られると考えていたのだろう。深い絶望と深い苦痛に満ちているな。ここにまだ残る絶望のかけらはまるで、花の雨の中にいるようだ」

「…………あの草の網を見る限り、周囲を取り囲んで逃げられないようにしてから食事を楽しんだようだ。馬車を焼かれ、馬を殺され、奥にある簡易の転移門も壊されている。…………ほとんどが妖精だが、魔物の気配も残っているな」

「であれば、何かの収穫か報復だった可能性もある。夏至祭の夜に高位の妖精の群れと行動を共に出来るのは、魔物でもある程度の地位にあるものでなければ」



そう言ったギードがちらりとこちらを見たので、ウィリアムは苦笑して首を振った。

ウィリアムをいつも困らせていた魔物の仕業ではと考えたようだが、この痕跡は彼らしくないものだ。


彼はどれだけ残忍なことをしても、この種の低俗さには無縁の男だ。



「アルテアの好むような手口じゃないな。………アイザックでもないだろう。昔なら白夜か白樺が好むやり方だと思ったが、今となればもう、その二人もない」



白夜の魔物は今、ネアが育て、アルテアが後見人をしているほこりという星鳥の従者になっている。


あの星鳥も悪食ではあるのだが、リーエンベルクで育ったことが幸いしたものか、ウィリアムを辟易とさせるような騒ぎを起こすことは少なかった。

最近では白百合と共に統括を任され、ジョーイが上手く舵取りを始めた。

そんなジョーイを何かと気にかけているネビアもいるので、ほこりの周辺はもう大丈夫だろう。

その輪の中にルドルフが加わったことは、ウィリアムにとっては喜ばしいことであった。



(だが、どこかで世界は均衡を保つものだ)



白夜と白樺という悪食達が失われたのであれば、やがては、それに相当する魔物が台頭してくるのだろう。

今迄にもそのようなことは多々あったし、何人か悪変を懸念している魔物もいる。



「そろそろ、白樫か白虹あたりが何かを始める可能性もあるな………」

「砂糖はどうだろう?」

「…………考えたくもないな。彼は止まれと言えば止まるが、あの砂糖作りはいつも問題ばかり引き起こす………」

「ああそうか、ウィリアムは彼が苦手だったな………」

「あえて意識したことはなかったが、そうなんだろうなという気がしてきた。どうせなら、前の白夜やアルテアのような相手の方が楽なのは確かだな…………」



悪辣で残忍なことを好むが、それは彼の仕事なのだ。

砂糖やシロップを作り、残った魂で煙草を作るのが彼の生業であり資質でもある。

アルテアやアイザックのように、道楽としてではないのだが、かといってそれをしないとどうなるのかまでは、ウィリアムにも分らない。


砂糖の魔物は終焉の魔物の仕事を増やしはするが、それは結果としてであり、彼自身がウィリアムに対して何かをするようなことはなかった。



つまり、よく分らない魔物の一人でもある。




(そもそも、作った砂糖はどうしているんだ…………?)



そんなことを考えていると、ふいにギードが真剣な眼差しで肩に手で触れてきた。



「ウィリアム、暗い顔をしている。………この仕事が落ち着いたら、少しでもいいから、ネアとシルハーンに会ってきたらどうだ?」

「……………ああ、すまない、砂糖の魔物が作った砂糖をどうするのかを、うっかり真剣に考えていた」

「……………そうだったのか。てっきりまた、どうしてこんな仕事が続くのだろうと悩んでしまったのかと思った」

「考えなくはないけれどな。今は随分と楽になった。前に話しただろう?あの枕を貰ってから、あまり悪夢を見なくなったんだ」



その話をしたとき、ギードはとても喜んでくれた。


彼は絶望を司りその影を見る魔物ではあるが、実際にはとても繊細で優しい男なのだ。


だからやはり、こんな朝だからこそ会えてよかったと思っていると、差し込んできた朝陽がやっと空ではなく地上にも伸び、草原に帯のように広がると、凄惨な光景をいっそう鮮明にしてゆく。



夜が明ける。


この無情な光景を克明に晒し、逃れようもない悲劇を清廉な陽光の下に並べてゆくのだろう。



「酷いものだな………。ウィリアム、大丈夫か?」

「もう慣れたさ。夏至祭の後はいつでもこうだ。…………どれだけの戦場を見ても尚、夏至祭明けの朝程に不愉快な朝はない。俺はやっぱり、夏至祭が嫌いなんだろうな」




小さく溜め息を吐いた。

そろそろ仕事に入らねばならないし、数日は夏至祭の後に残された残骸の後片付けに追われるのだろう。




「………俺は、この後はカルウィなんだ。またあの国の王子が一人殺されたらしい」

「…………彼の統括の土地だな」

「うん。…………彼は、前とは違う残忍な魔物としても名高いが、あの土地だからそうなってしまうのかもしれない。カルウィに散らばった絶望を踏んで歩いていると、そんな残忍で恐ろしい魔物の装いの下で、どうも気に入っている王子が二人いるような気がする」

「今の彼が、グレアムの全てを引き継いでいる訳ではないだろうが、あまり心を寄せ過ぎても心配だな。そういう相手が失われた時、魔物は弱くなる。俺が行かなければいけないような事態にだけは、なって欲しくないが……………」

「その点、ウィリアムの大事な人間は、失われ難い人間で良かったな」



ふいに、ギードがそんなことを言った。

静かにそちらを見ると、あの子供は頑丈そうだからなと嬉しそうに笑う。



「シルハーンの大事な人間で、ウィリアムも気に入っている。どうか危ないことをせず、幸せで長く生きて欲しいものだ」

「………………ああ。どんな危うさも、残酷さも、彼女に触れさせたくはないと思う。だが、ネアはいつも、俺が思うよりも多くを飲み込んでしまうからな。杞憂でしかないことも多いんだろう」



そう呟いて微笑んだその時のことだった。


淡く視界の一部が翳り、転移を踏み変えてこちらに踏み出す誰かの影が揺らめく。

大輪の花が開くように空間を切り分け、こんな血腥い土地には不似合いな清廉な白が揺れた。




「おや………」


ぞくりとする程に静かなその一言で、その先に広がっていた草原には一瞬で霧が立ち込めた。



瞬き程の時間で凄惨な現場を覆い隠してしまうと、転移を踏み分けてこちらに出てきたシルハーンは、ウィリアムの隣で深々と頭を下げたギードの姿に、どこか嬉しそうに目を細めた。



「ウィリアム、少しいいかい?ギードも一緒だったのだね」

「御無沙汰しております、我が君。…………ネアも」



その言葉にぎくりとしてシルハーンの腕の中を見ると、こちらを見たネアが鳩羽色の瞳でウィリアムを捉え、変わらぬ穏やかさでこちらを見ていた。

思いがけないその姿に、咄嗟に何も言えないままウィリアムは目を瞠る。



(そうか、だからシルハーンは霧でこの草原を覆ったのか………)



「むむ。ギードさんもいます………。ディノ、ケーキが足りませんので、ギードさんは林檎のお酒でもいいでしょうか?」

「飲めると思うけれど、暫くの間は飲まずにいて貰わなければいけないかもしれないよ」

「では、お酒ならぴったりですね。美味しいウィームのお酒なので、きっと冬に飲んだら美味しいでしょう」

「………………ネア?」



どこかに出かける途中で、偶然ここに立ち寄ったということはなさそうだ。


そう考えて不思議になり、思わずその名前を呼ぶと、こんな終焉そのものの装いをしているにもかかわらず、ネアはいつものように、こんなウィリアムの装いをとても気に入っていると言わんばかりに微笑むのだ。



恐ろしいものや悍ましいものではなく、まるで、当たり前のように。


何度その揺らがない眼差しを見ても、また同じように胸の奥の柔らかな部分が掻き毟られるような気がした。

ふと、草原を渡る風の音を遠くに捉え、ウィリアムは慌ててその風を遮る為に結界を展開した。


こうしてこちらを見てくれたネアに、あの血の匂いを届かせる訳にはいかないではないか。



「ウィリアムさんに、林檎のケーキの差し入れを持ってきてしまいました」

「……………俺に、林檎のケーキを?」

「はい。夏至祭に林檎のものを一緒に食べたり飲んだりすると、その方とは一緒に居られるようになるそうなのです」

「ああ」


上手く思考を整理出来ずにそう頷けば、ネアは満足げに微笑みを深める。



「この林檎のケーキは、リーエンベルクの料理人さんが焼いてくれた素敵なケーキなんですよ。日付は変わってしまいましたが、このようなものは気持ちの問題でもあるので、是非、ウィリアムさんにも食べて欲しかったのですが…………林檎のケーキが苦手だったりはしませんか?」

「…………わざわざ持って来てくれたのか?」

「昨晩はアルテアさんもこちらに来ていたのに、ウィリアムさんにだけは会えなかったので、押しかけて来てしまいました。お仕事の現場に押しかけるのはご迷惑だとは思ったのですが、どうしてもウィリアムさんだけケーキを一緒に食べていないのが不安になってしまったので、ディノに我が儘を言ってしまったのです」



そう言って少しだけ眉を下げたネアに、慌てて首を振った。

首を振ってから今度は、では何を言うべきなのかを混乱した頭で考える。



(…………思いもしなかった)



こんな風にネアが来てくれることも。

それをシルハーンが許すことも。

だから、あまりにも予想外の事態に、酷く混乱していて、途方に暮れている。



「……………俺が貰ってもいいのか?」

「勿論です!お時間のある時で構わないので、お腹が空いた時にでも食べてくれると嬉しいです。こんな風に突撃でケーキを持ち込まれたらかなり怖いのではという疑問も持ちましたが、我慢出来ませんでした…………」

「凄く嬉しいよ。わざわざ、こんなに朝早く持って来てくれたんだな。有難う」

「ディノが、ウィリアムさんは、夏至祭の夜はいつも一人で働いて、その翌朝からはもっと忙しくなるのだと教えてくれたので、早朝の方がいいのかなと思ったんです」



その言葉にまた少し驚いた。

シルハーンがそんなことを知っているとは思っていなかったのだ。


ネアは得意げにケーキの入った箱を掲げると、甘い香りのするその箱をウィリアムの手に持たせてくれた。

更には、食料の補充だと言って、スープなどを入れるポットを取り出し、中には夏茜のスープが入っているのだと教えてくれる。



「こっちはサンドイッチです。美味しい麦のもっちりパンに、黄色い濃厚なチーズのスライスと、薄く切ったソーセージハムが入っています。水分が出てしまわないようにお野菜は挟んでいないので、スープでお野菜を摂って下さいね」

「美味しそうだな。ネアが作ってくれたのか?」

「むぐぅ。このスープもリーエンベルクの料理人さんが作ってくれたものを、夏バテ防止と聞いて御裾分けして貰ってきたものなんです。ただ、サンドイッチは私が作ったので辛うじて手料理感を残していますからね。ディノもお手伝いしてくれたんですよ!」

「シルハーンも…………」

「ええ。そうですよね?」

「うん。最後にパンを合わせるのを手伝ったよ」



驚いてそう問い返せば、シルハーンにも生真面目にそう教えられ、ウィリアムは思わずギードと顔を見合せてしまった。



「…………有難うございます、シルハーン。これは大事に食べないといけませんね。せっかくなので、ギードと分けても?」



そう言ったのは、ネアがちらちらとギードの方を見て視線で合図を送ってきたからだ。

ネアは、ギードとシルハーンのことを知っていて、最近二人が再会したことをとても喜んでいる。



「構わないよ。一度は君に渡されたものだから、魔術の繋ぎも緩和出来るからね」

「では、ギードさんの林檎のお酒を、……………ディノ、渡すのをお願いしてもいいですか?」

「うん。…………ギード、指輪を完全に固定するまで、少し待ってくれるかい?」

「ええ、勿論です。………ネア、これを貰ってしまってもいいのか?」

「ええ。貰ってくれると嬉しいです。何しろ、ギードさんはディノの大切なお友達で、私を助けてくれた優しい魔物さんで、いつか撫でまわしたい黒つやもふもふです!」

「ネア、毛皮が撫でたいのなら、ムグリスになってあげるよ?」

「ふふ、ムグリスなディノが私の一番のもふもふですから、心配にならないで下さいね?」

「うん……………」



少し慌てたようだが、そう宥められてシルハーンはほっとしたように微笑んだ。



そうやって、言葉で大事だと言われる喜びは格別だろう。

その言葉を何度も貰う為に、もしかしたら魔物達は愛する者に狭量になるのかもしれない。

そしてネアは、こうして躊躇いもなく鮮やかに、いつだって胸を満たすようなものを残してゆくのだ。



『私が、こんな風に他者との関わりに強欲になれたのは、ディノがいてくれたからなんですよ。私は、……………それはもう大変捻くれていて、その上とても警戒心の強い厄介な人間なので、ディノが一緒にいてくれなかったら、自分から誰かに手を伸ばすなんて恐ろしくて出来なかったでしょう………。でも、大事なものを一つ持っていることを知った今は、安心してとりゃっと手を伸ばして毟り取れるのです』



砂風呂の時に、ネアはそんなことを話していた。

であればウィリアムは、ネアがシルハーンの指輪を持つ人間だからこそ、こうして安心してネアの差し出すものを受け取れるのだと思う。



(ずっと昔、グレアムが、ギードが、エヴァレインも。…………そして俺も、)



あの広い城で途方に暮れたように生きていた王に寄り添い、みんなで試行錯誤したものだ。

静かな微笑みに絶望や諦観の影が揺らぐ度に胸を痛めていたあの場所から、いつの間にか、そんなシルハーンが自分で望み得たものが、ウィリアムの救いとなっていた今日のここまで。



「せっかくだから、仕事の前にケーキも食べようかな。いい具合に霧が出ていて、俺がここでこっそりケーキを食べていても、系譜の者達に気付かれずに済みそうだ」

「箱の内側に、木のフォークと、雪氷の水の染みたおしぼりが入っていますからね!」



すぐに食べると言えば、ネアは嬉しそうに目を輝かせた。

夏至祭の魔術はもう残っていないだろうが、確かにこれは心の問題なのだと思う。

そうやって、繋がることに喜んでくれるのだと知れば、ウィリアムは必ず彼女のいるところに帰るようにと、今迄以上にこの縁に執着するに違いないのだから。



「お忙しいとは思いますが、眠れる時には眠って下さいね。……………は!そう言えば昨晩、アルテアさんが、私の足元に出てきた死の精霊さんをウィリアムさんがいる方に捨てて来たと話していましたが、ご迷惑はかかっていませんか?」

「ああ、あれはそういうことだったのか。意識を失った死の精霊が突然落ちてきたから、少しだけ驚いた。アルテアの魔術の残滓があったからどんな経緯かはおおよそ想像がついたが、ネアを怖がらせたのなら、もう一度叱っておこう」

「あんなに沢山踏んだのに、やはり死の精霊さんは丈夫だったのですねぇ………」



ひとまず、そんな死の精霊は後で処分するとして、シルハーンに抱えられて、手を振って帰ってゆくネアを見送った。


手の中にはネアが持って来てくれた夏至祭のケーキがあり、ギードが魔術を凝らせて作ってくれた木の机の上には、たっぷりと用意されたスープやサンドイッチが置かれていた。

そんなギードは、林檎の酒の瓶を手に持ち、嬉しそうに唇の端を持ち上げている。




「さて、お互い仕事は少しだけ後回しにして、朝食にしないか?」

「いいのか?ウィリアムが貰ったものだし、大事に食べたいだろうに」

「シルハーンも作るのを手伝ったそうだからな。これはギードと食べるのが一番だろう」



人間達がもし偶然にでもこんな光景を見たら、さぞかし恐ろしいだろう。



霧深い早朝の草原には、今もなお、夏至祭の夜の惨劇の跡が残っている。

そんな絶望と終焉に取り囲まれた場所で、二人の魔物が木のテーブルの上にスープボウルを置いてサンドイッチを広げ、呑気に朝食を食べているのだ。




スープは勿論だが、サンドイッチはとても美味しく、ウィリアムは林檎のケーキも残さず食べた。

食べ終わってから、一昨日ぶりに食事をしたなと苦笑して、すっかり空になってしまったケーキ皿を眺める。



また少し風が吹き始めたようだ。



結界の覆いを解けば、胸が悪くなるような血の匂いがするのだろう。

この不愉快な仕事を一つ片付けても、また次の場所に赴き、ここ数日は、幾つもの死を渡り歩かねばならない。



(でも、…………)



今年の夏至祭は、夜は明けてしまったものの、ネアと同じ林檎のケーキを食べた。

それだけのことで、ウィリアムは心穏やかにこの後の時間を過ごせるだろう。

隣で、シルハーンが作ったサンドイッチを食べたなんてと口角を持ち上げている友人も同じ。



またネアが林檎のケーキを持ってきてくれるだろうかと、来年の夏至祭はきっと期待に胸を弾ませて過ごすのだろう。




そう考えて、ウィリアムは初めて夏至祭が楽しみになった。













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