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285. 夏至祭のダンスで滅ぼします(本編)




どう考えても囚人の連行にしか見えない、鎖で繋がった腕輪を装着され、たいへん気が立っているネアは低く唸りながらダンスの位置に着いた。


あちこちで篝火が焚かれ、魔術の火にも照らされた花輪の塔は、昼間とはまた違った趣きで美しい。

そんな花輪の塔の甘い香りに少しだけ心が和んだのだが、だからといって、世界を呪う代わりに足元の不埒ものを滅ぼそうという誓いが揺らぐ訳ではない。


少し離れた位置から、朗々と響くのはエーダリアの詠唱だ。

人々がうっとりとその声に酔いしれている間はまだ、あそこにおかしな手錠をつけた人間がいるぞという好奇の視線が少なくなる。



「ネア、唸らないでってば」

「むぐるる」

「ほら、これは君が僕を繋いでいるんだよね。そう考えると少し気が楽になるよ」

「むぐる。そちらの趣味も本意ではないのです………」

「でもほら、そっちはもう浸透しちゃってるから、みんなも驚かないんじゃないかなぁ」

「か、かいなどありません!」

「………………あ、ダンスが始まるよ」



ふっと、ノアの声が柔らかくなった。



こちらを見た青紫色の瞳は魔物らしく、それでいてどこか悪戯っぽい、ネアの良く知っているノアのものだ。

ディノと同じように、本来であれば温もりの感じられないような冷やかな美貌なのだが、表情一つでこんな風に家族の顔にもなる。


ネアの手をそっと持ち上げ、一度屈んで足元の花びらがスカートの裾に絡まないかを見てくれるところは、いかにも女性慣れした経験豊富な男性という感じがした。



「さてさて、どんなダンスがいいかな。きびきび動く華やかなダンスや、この曲の最初の部分に合わせて最後までゆったりと情感たっぷりに動く恋人同士らしいものもあるけど。…………うん、激しいやつだね」

「うむ。足元の光っていない部分を踏み滅ぼします」

「わーお、殲滅するくらいの意気込みだぞ…………」



柔らかな音楽が始まった。

夜の夏至祭のダンスは、最初のダンスだけ踊り出し部分の音楽が違う。


ゆったりと情感たっぷりに夏至の夜の美しさを楽しむダンスに、観客達からはほうっと溜め息が落ちる。

くるりくるりと翻る乙女達のドレスの裾に、花輪の塔を囲んで丸く並んだ乙女達の花輪が、篝火の光を受けて繊細に輝く。

この形や動きの全てが、夏至祭の魔術を汲み上げて祝福に変える為の形を作るのだ。



ぽわぽわと光る妖精や、ダンスの輪の周囲を楽しげに跳ね回る精霊達。

エスコート役の男性達も、いつもとは違う恋人の姿に目を輝かせている。



「…………ノアのリードは、やっぱりとっても踊りやすいです」

「そうだと思うよ。舞踏会で踊った数なら、僕が誰よりも多いと思うからね」

「ふふ。こんなにしっとりとした素敵な曲なのに、緊張しないでふわっと綺麗に踊らせてくれるなんて、ノアはさすが私の弟ですね」

「うんうん。兄のリードに任せておいて」


ネアは、まるで浮いているようにふわりふわりと体を動かすことの出来る巧みなリードにすっかりご機嫌になってしまい、唇の端を持ち上げてノアを見上げる。


そんなネアに微笑み返すノアの青紫色の瞳に、降り注ぐ花びらの影が映り、ネアは、まだノアの髪の毛が短かった頃のあの遠いラベンダー畑を思った。



(でも、あの時も会ったばかりの人なのに、一緒にいて楽しかった………)



女性関係や軽薄な言動など色々思うところもあったが、基本的に会話は楽しい人であったし、妙な欲を出しさえしなければ、一緒にいるネアへの気遣いもとても紳士的だった。

二人でたくさんお喋りをしたあの夜に、ノアに最初に話してしまったことがあると、ディノのことを考えて反省したくらいだ。



「…………ノア、家族になるのですから、これからも一緒に踊りましょうね」

「……………うん。ネアは相変わらず、こうやって僕を駄目にするんだ」

「ふふ。ここには、ノアを駄目にするものが沢山あるのでしょうね。……ほら、あちらには、赤い羽根の妖精さんを滅ぼしている勇ましいヒルドさんがいますよ」

「……………わーお。あの妖精、六枚羽だね…………」

「む。確かに…………」



こうして一緒に踊るノアは、ディノとも、アルテアやウィリアムとも違う。

ネアと出会ってこのリーエンベルクに来てくれた魔物ではあるのだが、今のノアにはもう、ネア達より多くの時間を過ごしている大事な友人達がここにいて、その上でネアにとっても家族のような人になった。



あの火の慰霊祭に怯えて暗い目をしていた魔物は、どんな思いで統一戦争のあの夜、火の向こう側にネアを探してくれていたのだろう。


ノアがリーエンベルクに駆け付けたのは、そこにネアがいると思っていたからだと知り、ネアはいっそうにこの魔物が家族のように思え愛おしくなってきた。


ディノとはまた違う種類の愛おしさは、側にいるべきだという普遍的な家族の執着である。

それを許してくれて、ここで幸せそうに暮らしている塩の魔物は、周囲を見ればわかるように、いつの間にかウィームの住人達にも愛されていた。



(……………というか、こちらに向かって狐さんのぬいぐるみを振っている人がいるのだから、一部の人達にはばれているのでは……………)



若干、そこが心配であったが、そこまでをひっくるめて愛されているのならば無敵ではないか。



「ここから少し早くなるよ」

「はい。しっかり、不届きもの達を滅ぼしますね」

「ありゃ。このダンスの目的は、滅ぼすことじゃなくて、一緒にいられるような祝福を貰うことだからね?」

「むむ。ノアは家族なので、ずっとお側にいて貰いますし、それは貰えて当然なのです……………」

「君は、そうやってまた僕を喜ばせるんだ………」



ネアがそう言えば、こちらを見下ろす青紫色の瞳は魔物らしい喜びの色と、どこか安堵にも似た輝きが揺れる。

男性的な艶やかさを表情で整えはしても、やはりノアの眼差しはもう、いつの間にやら家族のものであった。



「はい。大事なノアですから!」

「…………うん。僕の大事な家族だ。…………君も、エーダリアやヒルドもね。…………シルも混ぜていいかな?」

「ええ、勿論ですよ。ディノも喜んでしまいますね」



そう言って微笑みを交わしたところで、ネアは足元を強めにだしんと踏みつけた。

ぎゃっと声がして何者かが滅び、きらきらした淡い銅色の光が散らばる。



「……………初めて見る色の妖精だったんだけど。ん?精霊かな…………?」

「うむ。蟹さんのような形でしたので、何の躊躇いもなく滅ぼせました」

「それって、妖精や精霊じゃなくて、夏至祭の怪物かもだ…………」

「なぬ。他にもいたら、ぺしゃんこにしてくれる……………」



しかしその後、意気込んだネアは特に悪いものに遭遇することもなく、恙なくダンスを終えた。

ここまでダンスだけを楽しめるとは思わなかったので、ネアは曲が終わったところで、目を丸くしてノアを見上げた。

どこか得意げに微笑まれ、ネアはもう一度足元を見る。



「……………事故らない上に、変なものも殆ど出ませんでした…………。前後の人達も無事なのです………」

「柱の向こう側で踊ってた三組は攫われちゃったけどね」

「なぬ…………。本当ですね、向こう側の方がいません………」



見えないとねとノアが呟いているので、視界に入る範囲では気にかけてくれていたようだ。


乙女達がスカートの裾を摘まんでお辞儀し、わぁっと生還を喜んでくれる歓声の中、ネア達は振り撒かれる花びらで、正午のダンスの時よりもぶ厚くなった花びらの絨毯を踏んで歩いた。


途中で擦れ違った栗色の髪の青年が、じっとネアの手首を見ている。

変な人だと思われてしまっただろうかとぎくりとしたが、はっとしたように視線を持ち上げてネアと目が合うと、青年はどこかうっとりとしたような微笑みを浮かべるではないか。



「素晴らしい鎖ですね」



そう言って青年は去ってゆき、酷く困惑したネアとノアが顔を見合わせる。


「ノア、あの青年は、若くしていけない趣味に…………」

「今のは確かに本職の人の目だよねぇ………。擬態してたみたいだけど、あわいの系統の精霊かな…………」

「あわいの精霊さんとそちらの趣味は、決して組み合わせてはいけないような気がします…………」

「うん。僕も今そう思った…………」



とても怖かったので急いでみんなのところへ戻り、ネアは、待っていてくれたディノとアルテアに、誇らしい思いで事故など起きもしなかったと報告する。



「ディノ、アルテアさん、ノアはダンスが上手なだけでなく、一緒にいても事故らないんですよ!」

「ノアベルトとのダンスは安全なんだね………」

「そりゃ、僕とアルテアと比べたらそうなるよねぇ」

「言っておくが、いつも事故るのはこいつだろうが」

「事故記録をつけたら、アルテアさんの方が多い筈なのですが…………」

「お前の生活と俺の生活とは、そもそも、領域が違うんだ。比較にならないだろう。お前の生活の仕方で、この事故率が異常なんだからな…………?」

「あらあら、そんなことを言っておいて、次のダンスでどこかに落ちてしまっても知りませんよ?」

「その場合は、お前も道連れだけどな」



ここで一度、ディノからアルテアに指導が入った。


いつもの擬態より白に近しい髪色の艶麗な魔物が、黒髪に擬態しているものの、高階位だと分るような凄艶な美貌の魔物に対し、ダンスの最中には、決してどこにも落ちてはいけないよと言い含めるのは、何だか不思議な光景だ。



はらはらと夜風に舞う花びらを見て、ネアはリツセラに出会った空間に引き込まれた時のことを考える。

まだ鎖で繋がったままのノアを引っ張ると、おやっと目を瞠り、優しくこちらを見てくれた。



「ノア、先程の時に、こうして落ちてきた花びらを手で受け止めたら、黎明の妖精さんのところにいたんです。このようなものに触れるのも、何か問題があったりしますか?」

「うーん、どうだろうね。花びらの落下の軌道が円を描いていたり、花びらそのものに円形の門が描かれていた場合は、自分の意志で触れると危ないかもね」

「油断も隙もないのです…………」

「でもほら、この鎖があるから今夜は安心だよね」

「嫌な方向に話が落ち着きました…………」



次のダンスを一緒に踊るのはアルテアだ。


またわあっと歓声が上がり、向こうで二曲目のダンスが終わるのが見えた。

四曲目に踊るアルテアと、そろそろ花輪の塔の側に移動しなければならない。



「さてと。くれぐれもどこにも落ちるなよ?」

「その場合はアルテアさんも道連れですよ!」

「さぁ、どうだろうな」


唇の端を片方だけ持ち上げる悪い魔物らしい微笑みを向けられ、ネアは忸怩たる思いでノアが手枷をアルテアに引き渡すのを見守る。


ディノやノアの時には、この拘束具を誰かに見られてしまうことだけの恥ずかしさであったが、今度はそこに、アルテアに苛められないように万全の警戒をするという使命感が加わった。



「……………それだけでなく、とても事故り易い使い魔さんと鎖で繋がっているという緊張感から、身の引き締まる思いです…………」

「ありゃ、すごく警戒してるね」

「それは俺の台詞だ……………」

「ネア、アルテアには、不用意に落ちてしまったり誰かに捕まってしまわないように言っておいたから、安心して行っておいで。ダンスの間は、あまり危ないことをしてはいけないよ?」

「ふぁい………………」



ネアは再び花輪の塔まで戻る際に、アルテアに落ち込み過ぎだと叱られてしまった。

そんなことを言われても、この魔物はつい先ほど呪われたばかりではないか。


ノアの安心感が恋しいなとちらりと後ろを振り返れば、ディノ達の近くにやけにご婦人方が集まっていて、心がもやもやした。


(私達が戻るまで、ノアがディノの側にいてくれることになっていて良かった……)


最初から、ちらちらとディノを見ている女性達がいたので、ネアは少しだけ心配だったのだが、目敏くそんな不安に気付いてくれたノアが、ダンスの間は僕が見張っておくから大丈夫だよと言ってくれたのだ。


この時間、エーダリアはヒルドと一緒なので、そちらは安心して任せていられるのだろう。


(人間のお嬢さん達ならいいのだけど………)



ネアの大事な魔物は、擬態をしていないと怖くて誰も近寄って来ないのだが、ああして擬態で髪色などを緩和していると、紐さえ持ち出さなければどこからどう見ても素敵な男性なので、女性達が色めき立つのは当然であるし、自慢の魔物がちやほやされている姿を見るくらいはネアも別に構わないのだ。


それならなぜ警戒するのかと言えば、妖精や精霊は理不尽に荒ぶることが多いので、そんな女性達に捕まってうっかり呪われたりしないかと心配になってしまうのである。

決して、人外の女性達の細く括れた腰を警戒しているのではない。



(あ、声をかけられてる………のかな……)



すぐに視線を戻してしまったので見えたのは一瞬だったが、先程のダンスであれだけ安心感のあったノアがディノの側にいてくれれば大丈夫だと思えて、ネアはふすんと息を吐いた。


後はもう、ネアがアルテアの事故に巻き込まれないようにするばかりだ。

そう考えて小さく頷いていると、足元に小さな穴が見えて眉を顰める。



「…………むぅ。…………なにやつ」


ぽこんと開いた穴からは、鼻づらの長い哺乳類的生き物の鼻先がぴょこんと覗いている。

全容は不明だが、何者かが地下から穴を空けて地上に出てこようとしているのだろう。



「ほらみろ、お前はまた妙なものを引き寄せやがって」

「………私が呼んだのではなく、ぽこんと穴が空いたので何だろうと立ち止まってみたのです。こやつは、狩ったら売れそうな生き物か、或いは撫でまわしたら楽しい生き物でしょうか?」

「ダンスに間に合わなくなるぞ、興味本位で手を出すな」

「むが!」



ネアは、興味津々で地面から突き出した鼻先を見ていたが、その鼻先に触れようと手を伸ばしかけたところで、アルテアにひょいと持ち上げられてしまい、そのまま小脇に抱えられて花輪の塔まで運ばれてしまった。


折角素敵なドレスを着ているのに、淑女にあるまじき荷物運びな移動をする羽目になったネアは暴れたが、やはり人外者の膂力は人間とは違うものなのか、アルテアの腕はびくともせずに軽々と持ち運ばれてしまう。



「これで移動での事故は防げたな。良かっただろ」

「むぐぅ!さては、ノアの言葉を気にしていますね?」

「お前さえ抱えておけば、事故らないという証明にもなっただろ」

「それは是非に、肩の上の餅兎を見てから言うべきなのでは…………」

「……………は?」



ネアにじっとりとした目で指摘され、魔物の第三席でもある筈のアルテアは、自分の肩の方をそっと窺った。

そこにはもちもちうさうさしたピンク色の毛皮生物が鎮座しており、アルテアを台座にしてネアの方を見ると、つぶらな瞳を輝かせている。



ネアは持っていた夏至祭用の砂糖菓子を金庫の中から取り出すと、そっとアルテアの手に握らせてやった。

無言でそれを餅兎に差し出したアルテアに、またしてもこの二人から砂糖菓子をせしめた餅兎は、ミュイと鳴いてぶーんと飛び去っていった。



「…………私は今のアルテアさんが素敵だなと思っていたのですが、これからのアルテアさんは、暴食に悩まされてしまうのでしょうか………」

「そんな訳があるか。祝福の繋ぎは絶ってある」

「なぬ。そんな素敵な措置を取れるなら、私はもちうさを撫でられるのでは…………」

「やめておけ。お前にはそもそも、繋ぎを断つ魔術を展開するだけの可動域がないし、あったとしても、どうせまた事故るんだろうしな」

「今のアルテアさんにだけは言われたくないのです…………」



今夜のアルテアの装いは、ディノやノアのような上着は着ていない。


その代わりに、布をたっぷり使ったクラヴァットをふわりとさせ、クラヴァットを留める宝石飾りのブローチなどで全体の雰囲気を華やかにしてある。

ネアは、ジレ姿なので踊る時には上着を羽織るのかなと思っていたけれど、こんな装いもお洒落上級者の夏至祭らしくて素敵だった。


相変わらずの拘りで、ジレは地模様のようにも見えるが、素晴らしい刺繍で模様をつけ、そこに縫い込んだ結晶石がその刺繍を際立たせている。


前髪を上げてしまうと雰囲気ががらりと変わり、どこか温度のある表情の美貌を持つアルテアが、酷薄で怜悧な面立ちに見えるのだから不思議なものだ。



「アルテアさんのつけている耳飾りは、私とお揃いのものですか?」

「ああ。あの飾り石だ。………お前のものはどうしたんだ?なくさずに持っているんだろうな?」

「はい。貰ってから大事にしていますし、今日もヒルドさんの耳飾りのない方の耳につけていますよ!」

「形を変えたのか…………?」

「いえ、ノアが、そのままつけているとアルテアさんとお揃いであることでも事故るかもしれないと言ってくれて、擬態で、一粒石のものを、滴型の宝石に見えるように変えてくれたのです」

「ほお、自分の事案で学んだか」

「ノアは事故りませんよ………?」

「どこがだ。女の扱いでは事故だらけだろ」

「ほわ………、そちらの事故についてはすっかり忘れていました。………と言うことは、ノアはそちらに全ての事故運を傾けているのでしょうか………」

「さてな」



アルテアは、手袋を外した指先でネアの耳たぶに触れ、ネアの耳飾りが、自分の分け与えた同じ繋ぎ石であることを確かめたようだ。



ダンスの前の短い詠唱が終わり、楽団の奏者達がそれぞれの楽器をかまえる。

腰に手を回されしっかりとホールドされると、ノアの感覚とは違うものの、アルテアとのダンスにも慣れたのだなとネアは少しだけ驚いた。



(………春告げの舞踏会で踊ったばかりなのもあるのかも………?)



「むむぅ」

「……………何だ」

「しかしながら、いつもは上着の上から触るので、今日は上着がない分、アルテアさんの体が柔らかく感じますね。何というか、体温が伝わる感じというか……肌の質感が伝わる感じなのです」

「………………そうだな、お前の情緒が相変わらずでその言動になるのであれば、せめて踊り終えるまでは黙ってろ」

「解せぬ」



前後の恋人達に会釈をし、流れ始めた音楽に乗ってステップを刻む。


ふわりと広がるスカートに、見事な足さばきでそのスカートを振り分けて一緒に踊るアルテアの足。

二人の足元には、相変わらず花輪の塔の周辺を守ってくれている術陣がぼうっと浮かび上がり、星屑のような干渉排除の煌めきが瞬く。


空は、澄んだ青色を夜空の色になるまで何層にも重ねたような不思議な透明感を帯び、様々な生き物達がはしゃぐからか、いつもより流れ星も多い。

身内のような感覚で見るディノやノアの美貌とは違い、アルテアの姿を視界に収めると、その眼差しの強さに少しだけどきりとする。



(…………アルテアさんは、これからだって酷いことや怖いことをするだろう)



そのような気質の魔物であるし、もしその矛先が微かにネアをかすめることがあっても、ネアは驚かないだろう。

さもありなんと苦笑して頷くことが出来るのは、彼が魔物だからに他ならない。



「ミギャ!」


そんなことを考えて踊り、こちらを見る赤紫色の瞳を綺麗だなと思い、ネアは足元に現れた紐のような生き物を容赦なく踏みつける。

観客達の方からおおっと低いどよめきが上がり、眉を寄せて何とも言えない表情になったアルテアが、ネアが踏み滅ぼした紐のようなものをダンスの輪から蹴り出した。



「今のは、高位の鴫の一種だ。事故らないんじゃなかったのか?」

「あら、踏み滅ぼしただけですよ?それとアルテアさん、そこに穴があるので注意して下さいね」

「……………は?」



ネアは、鋭い眼差しで行く手に地面が陥没して大きな穴が空いたのを確認していた。


ちょうどパートナーとは少し離れるステップのところだったので、ひらりとその穴を飛び越える。

アルテアは気付くのが遅れたのか、ダンスのステップ上、回避が難しくなっており、渋面で穴の上部の虚空を踏みつけ、空中に立つという離れ業を披露してみせた。

結界のような不可視の床を魔術で作り、それを踏んだのだろう。



「うむ。私の適切な助言により、毛皮キノコの魔の手を逃れましたね」

「………………やめろ」

「む。とても顔色が悪くなっていますが、先程の生き物達がボラボラに似ていることと、何か関係はありますか?」

「二度とこの話をするな。いいな?」

「ものすごく悪い顔で言われても、悲しくなるだけなのです…………。大丈夫ですよ、あの大きさなら相手がボラボラでも、私が守ってあげますからね」



ちゃりんと、二人の間に繋がった鎖が鳴る。


やはりアルテアとのダンスの時には様々な生き物が出現するようで、ネア達はその後も障害物競争のようなコースを踊り抜けた。

何度か地面がえぐれ、何者かの手が伸ばされ、アルテアは何度かステップを損なわない程度にネアを抱き上げてくれる。

最後はぜいぜいしながら二人で、地面から這い出て来ようとした巨大な影を踏み滅ぼし、何とか無事にダンスが終わった。




「ふぐ、ノアの時とまるで違うダンスでした………。これは、……まるで戦です…………」

「やめろ、こっちを見るな」

「最後の大きなやつめは、何者だったのでしょう?」

「………………死の精霊の一種だな。夏至祭に現れる精霊の中では、最悪のところだ………」

「ほわ、……………死の精霊さんを、死の舞踏で終焉の祝福な戦闘靴で踏んで、果たして効果があったのでしょうか?」

「安心しろ、あわいごと切り取って、国外に叩き出してある」



あまりにも激しいダンスになったので、周囲はざわざわしている。

踊っていた男女も、五組が忽然と消えてしまっていた。

この回で踊り終えた参加者は、余程怖かったのか慌ててお辞儀をすると家族や友人達のところに大急ぎで帰ってゆき、無事を喜んで涙ながらに抱き合っている。



「ネア、あの精霊を追い返してくれて助かった…………」

「エーダリア様………」


ダンスが終わると、青い顔をしたエーダリアがわざわざこちらに来たので、やはりかなり深刻な事態だったようだ。


聞けば、ガーウィンで誰かが死の精霊を呼び出す愚行に出たらしい。

死の精霊を使役出来たら凄いだろうというかなり安直な発想だったそうで、勿論その当人は死の精霊に飲まれて行方不明、その後、死の精霊は呼び出されてしまったのでと夏至祭を各地で謳歌することにした模様で、ヴェルクレア国内の各地で被害が報告されていた。



「最後の報告が、夕暮れ前のヴェルリアだったので、そのまま海に出る予測だったのだ。まさかこちらには来ないと思っていたが、そこからもう一度引き返してきたようだな……………」

「今頃は、砂漠の向こう側だ。ちょうどウィリアムが滞在しているあたりだからな、あいつがどうにかするだろ」

「感謝する…………。夏至祭の花輪の塔の下からあれが出て来てしまったら、甚大な被害を出すところだった」

「……………そう言えば、あのダンスは、夏至祭の魔術そのものに繋がっているのですよね」

「ああ。それを死の精霊に侵食されてしまうと、残りの時間をその属性に書き換えられてしまうところだったのだ」



エーダリアは心から安堵した様子で、その後はまず、次のダンスの前に念入りに詠唱が重ねられ、リーエンベルクの騎士達も集まって、花びらをいっそうぶ厚く敷き詰めた。



幸いにも、その死の精霊はもう国外に捨ててこられてしまったので、それを知った領民達も安堵に肩を叩きあっている。

魔物であるアルテアはともかく、一般人のネアが、死の精霊をげしげしと踏みつけていたことで慄く人もいるようだが、ネアがドレスの下に履いている靴には、そんな死の精霊の王にあたるウィリアムの守護があるのだ。


結果ネア達は、たくさんの観客から拝まれることになった。




「…………怖くなかったかい?」


ネアはまず、戻ったところでディノにぎゅっと抱き締められた。


「はい。獲物と罠が多くてぜいぜいしましたが、アトラクションのようで楽しかったです!」

「あとらくしょん……………」

「シュタルトのブランコのような楽しさですね。しかしアルテアさんは、毛皮キノコの中に落ちそうだったので、少ししょぼくれています…………」

「やめろ。思い出させるな…………」


低い声でそう叱られたので、ネアは、手を伸ばして暗い目になってしまったアルテアを撫でてやった。

勿論、屈んでくれないと頭には届かないので、何度かびょいんと飛び上がってから諦め、腕を撫でてやるに留まる。


「悪者がたくさん出てきましたが、それも楽しかったので、アルテアさんとのダンスもとても楽しかったです!アルテアさん、死の精霊さんを遠くにぽいしてくれて、有難うございました」


そう締めくくったネアに、アルテアが目を瞠った。

とても無防備な眼差しにおやっと首を傾げていると、無言で頭の上に一度手を乗せられた。



「それとディノ、鴫さんを拾いました。こやつは、鴫でありながらも鳥さんではないのですね?」

「また狩ってる…………。鴫の精霊は高位の生き物だし、このような形の生き物なんだよ。君の知っている鴫は、鳥の形をしているんだね……」



ディノは、アルテアが蹴り出したにも関わらず、そんな鴫の精霊を諦めずに拾ってきてしまった強欲な人間に悲しい目をする。

けれども、鴫の精霊は滅多に地上には現れないものの強い毒を持っており、紡いだ妖精の糸をその毒に浸けておくことで、魔術を弾く儀式用に使う特殊な布を織ることが出来るのだ。


こんな形だとは知らなかったが、エーダリアから聞いてそれだけは知っていたネアは、ダンスが終わると慌てて回収したのだった。



(きっと今日のことで疲労困憊だろうから、この鴫はエーダリア様にあげるのだ)



そう思ってふんすと胸を張り、ネアは鴫の精霊は夏至祭が終わったらエーダリアにサプライズプレゼントをするのだと言って、ノアにどこかにしまっておいて貰った。

本当はネアが持っていたかったのだが、毒性が強いのでディノが嫌がったのだ。



「ネア、そろそろ最後のダンスだよ。疲れていないかい?」



鴫の引き渡しと、アルテアからディノへの手枷の移動が行われ、ネアはそうディノに尋ねられる。

少し心配そうにしているのは、うっかり死の精霊と戦ってしまったりしたからだろう。



「ええ、まだ元気いっぱいです。ディノと踊るのを楽しみにしていたので、一緒に踊って下さいね」

「……………ずるい」

「引っ張って弾んだだけなので、ずるくはない筈なのです。それと、既にこの手枷の鎖で繋がっていますから、三つ編みを持たされてしまうと様子がおかしくなるのでやめましょうね」



既に鎖で繋がれている状態なのだ。

よって、三つ編みの運用は頑なに拒否したところ、魔物は少しだけぺそりと項垂れてしまった。



「鎖で繋いであると、三つ編みは引っ張ってくれないのだね…………」

「ええ。引っ張る系のものは一種までしか受け付けられません。だから、腰紐のときも、三つ編みを引っ張ったりはしないでしょう?」

「うん…………。爪先や頭突きはいいのかい?」

「ディノ、ダンスではなくご褒美に意識が傾いてしまっていますよ!ささ、一緒に踊りに行きましょうね」


そう言ってディノの手を掴んでぐいぐい引っ張ると、魔物はたいへん恥じらいながらではあるが、手を引っ張るということは同時に行って貰えるのだと学んだようだ。



ちゃりっと二人の間の鎖が揺れ、指定の位置に立てば、夏至の魔術をたっぷりと吸い込んで淡く輝く花輪の塔が一番綺麗に見える角度ではないか。


ネアは小さく息を飲むと、大事な魔物の腕を引っ張ってその感動を共有する。



「ディノ、この角度からだと、花輪の塔の奥にリーエンベルクが綺麗に見えます。なんて綺麗なんでしょう………」

「もう少し左に動こうか。そこから綺麗に見えるかい?」

「ええ、ここで充分に、とっても綺麗に見えますよ。夜空の色も先程よりぐんと色が濃くなって、この花輪の塔が浮かび上がるように綺麗に見えますね」



いよいよ最後のダンスだからか、この最後の回に参加する乙女達もどこか華やいだ表情をしている。

夏至祭の夜が佳境にさしかかるという空気に、広場も不思議な昂揚感に包まれていた。



今年の夏至祭のダンスを、大切な人と踊る。

そう思えば、どこか感傷的な気持ちになるのはなぜだろう。

隣に立って、ネアがどこにも落ちてしまわないようにとしっかり手を繋いでくれているディノを見上げ、こちらを優しく見返した水紺の瞳に微笑みかけた。



「ディノ、これからもずっと………………む。おかしなやつが出現しました」



ネアは、この大事な魔物の為にとてもいいことを言おうとしたのだが、その言葉は花輪の塔の向こう側に現れた、大きな黒い影を見付けたことで飲み込まれてしまう。



「……………夏至の舞踏の怪物だね。捕まらないように踊らないと、食べられてしまうから気を付けるんだよ」

「………………なぬ。排除出来ないのですか?」

「まだあわいから顕現していないものなんだ。今見えているのは影だけで、あわいの隙間からこちらを覗いているものが、花輪の魔術で浮かび上がっているのだろう」

「ほわ、……………また事故なのでしょうか…………」

「いや、これは夏至祭のダンスではよく現れるものだと聞いている。いつの間にか消えてしまう者達は、姿が見えていないだけで、この舞踏の怪物に攫われていることも多いんだ」




そんな舞踏の怪物の影が見えたのはネア達だけではないようで、他の参加者達も先程までの華やいだ表情を拭い去り、緊張の面持ちでそちらを見ていた。



もうすぐ、ダンスの前の詠唱が終わる。



楽団の奏者達が、真剣な面持ちで楽器を構えるのがここからも見えた。















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