27. 今後の方針を再編成します(本編)
アルテアが仮面の魔物だという報告書を読み飛ばしていたエーダリアが、ヒルドから想像を絶するであろう制裁を受けてから十日目。
ようやく、ネアを交えての、今後の方針を再編成する話し合いが持たれた。
「幾つか、ネア様にも共有しておかなければいけませんからね」
「はい。宜しくお願いします」
ネアは、正面に配置されたヒルドに、正しい微笑を返す。
あの後、別件で一悶着あった後に優しくしてもらったが、その後も羽がぼんやりと光るのを見てしまったので、まだ殺されるかどうかはわからない。
妖精に酔って絡んだ結果殺されたら、ネアの墓標にはどんな文字が刻まれるのだろう。
(妖精に、酔ってキスをしてはならない……とか)
気もそぞろになりがちだが、なんとか会議に集中しよう。
「まず、一つ確認なんだが、仮面の魔物と再び会うことは出来そうか?」
エーダリアの提案に、ネアは暫し考え込む。
「どうでしょう?私が会おうとしても、暫くは捕獲出来ない可能性が大きいと思います。仮にも、前回お会いした時には私を殺そうとしていらっしゃいましたし、その結果、ディノが結構邪険に追い払いましたから」
実際、あれほど縁のあったアルテアは、その後さっぱり気配も感じないままだ。
彼のような性格の魔物であれば、煩わしい土地で遊ぶ程愚かでもないのだろう。
「お前自身は、あの魔物に再び会うことに抵抗はないのか?」
「一人で会うのでなければ、特に支障はありません」
「殺されるだけの理由は、もうないと?」
「いいえ。アルテアさんは、とても享楽的な気質の魔物さんですので、私を殺そうという気紛れを、また簡単に実行に移す可能性は高いと思います」
そこは特に期待していないのであっさり認めると、ヒルドが思わしげな眼差しになる。
「あのような形であれ、複数回関わり合った魔物です。そう思える状態は、辛くはありませんか?」
「辛いというような感じではなく、困ったなという気持ちでしょうか」
寧ろ、ヒルドの羽がどうしてまだ光るか問題の方が、今のネア的には辛いのだ。
怒るなら怒るで、そろそろはっきりしてくれと思わないでもない。
けれど、公にされてしまえば、羞恥のあまり死んでしまうかもしれない。
「………あの魔物のことは、割とどうでもいいんだな」
なぜかエーダリアは唖然としていた。
横に置かれたカップを掴もうとして、一度空振りしている。
「どうでもいいというよりは、そこまでよく知らない方ですしね。ディノの友人のようなので、あまり拗れないといいなとは思います」
「お前の親近感の線引きがよくわからん」
「エーダリア様、私がアルテアさんに会ったのは、全四回で、その内二回は相手方に敵意があったんですよ?」
「確かにそう考えると、あまり近しい魔物という訳でもありませんね」
回数にして明確にすれば、ヒルドは意識を変えたようだった。
アルテアの気質が親しげに振る舞うようなものだったので誤解されがちだが、普通の出会いであれば、ほとんど他人で充分な程の距離感である。
「歌乞いで繋いだものはどうしたんだ?」
「前回、ディノが放棄させていました。道が残っていること自体、とても不愉快なことみたいです」
「最初に許したこと自体が、異例だったからな」
「多分、アルテアさんを使って、私を怖がらせてみようという作戦がその頃からあったのでは?」
ネアの言葉に、エーダリアもヒルドも何とも言えない眼差しになる。
本来の魔物らしい感覚なのだが、流石にこうして表面化すると複雑な気持ちになるのは確かだ。
「その、魔物の運用は問題ないのか?」
「はい。きちんと躾けを強化しました。寧ろ、悪いことをしたときこそ、厳しく躾ければいい子に育ちますから!」
「…………獣の飼育みたいになってるぞ」
「なにぶん、変態さんですしね」
「…………」
ご褒美と躾けが存在してしまうこと自体、他とは違うのだと暗に示せば、男達はそっと視線を伏せた。
エーダリアが若干虚ろな色合いを濃くしたので、ネアは少し優しい気持ちになる。
「別に、エーダリア様の好みを否定したりしませんからね?私もディノは可愛いですし」
「…………よし、次の問題に移るぞ」
ようやく口をつけようとしていた紅茶をソーサーに戻し、ネアは慌てて会話を引き戻す。
「アルテアさんの件はもういいのですか?」
「ああ。念の為の確認だ。当該の魔物については、暫く静観する方向でいる。積極的に関わってこなければ、こちらから近付く義理もないしな」
「寧ろ、現状距離を置いているのなら、仮面の魔物への対応は今ではない方がいいでしょう」
ヴェルクレア国内で、仮面の魔物の被害が出たのは数年前だ。
今回の任務は、仮面の魔物そのものというより、その唯一の対応策を他国より先に押さえておくというものであった。
舵を切るということであれば、他に対抗可能な術を探す方が先かもしれない。
「もしかして、私がアルテアさんと必要以上に接触しないかどうかを試しましたか?」
「隠すつもりはないから言うが、どちらの意味もあった。お前が、もしあの魔物と積極的に交友を深める様子があれば、ある程度の規制はかけるつもりで策を準備してきたんだが」
「心配して下さったんですね。私は、危ない橋は渡らない主義ですよ」
「危険物しか抱えてないだろう……」
疲弊感が隠しきれないエーダリアは、ここで残念なことにヒルドの方を見てしまった。
ネアは思わずエーダリアの足先を踏んで黙らせようとしたが、テーブルが大きく足が届かないまま空振りする。
「エーダリア様?」
ふっと、ヒルドの声が低くなった。
「………お前、ネアに一体何をされたんだ。そこまで不快感を示すのは珍しいぞ」
「なんと、よくも私が畏れていることを掘り返しましたね!」
止めようとしても叶わなかったネアの恨みが籠った声に、ヒルドは訝しげに目を細める。
特に怒りを露わにはしていないが、優秀な猟犬のような眼差しをしているので、この問題を詳らかにするまでは決して許して貰えないだろう。
「エーダリア様、これはどのようなお話でしょうか?」
「………ヒルドさん、最近、私のことを殺したい程に怒っていらっしゃいますよね……」
ここまで来たら、変に誤魔化す方が命取りだ。
ネアは、殺される覚悟も厭わず切り出してみたのだが、ヒルドはなぜか呆然とした顔になってしまった。
羽が微かに揺れたくらいなので、相当予想外の返答だったらしい。
(………あれ?)
「どうして、私が、ネア様にそんな感情を持っていると?」
「エーダリア様が、妖精の方の羽が光るのは、相手に殺したい程激怒している時だっておっしゃって」
(そして私には、その原因に成りうる十分な理由もあるようでして!)
ギリギリまでは真実には蓋をする方針で、ネアは真っ先に元婚約者を生贄にする。
何か重大な選択を誤ったと察したのか、エーダリアの顔色は限りなく白い。
「…………成程。ここ数日、ネア様の様子がおかしかったのは、そういう訳でしたか」
ゆるりと微笑んだヒルドの眼差しは、殺戮の序曲にも似ている。
(………こっちが激怒だ………)
さっと光った羽の色は、これまでに見た光り方とは随分違う。
淡く色づくように光った今迄に比べ、今回は強い光を走らせるようにしてざっと色を変えた。
恐らく、いや間違いなく、怒りによる発光はこちらの光り方だ。
「わ、私、様子がおかしかったですか?」
(もう、死ぬまで、あの夜何があったか聞いたなんて言えない!)
震え上がりながらネアがそう聞くと、ヒルドは打って変わった穏やかな微笑を向けてくれた。
口元のカーブに、どこか宥めるような甘さを感じる。
「明らかに、不安そうにされてましたよ。私との会話も、何度か避けていらっしゃったでしょう?なぜなのか気になっていましたが………。私が、ネア様にそのような怒りを向けていることは一切ありませんので、どうか安心されて下さい。怖がらせてしまいましたね」
「……………いえ、こちらこそ、わけのわからない態度でご不快にさせてしまったら、ごめんなさい」
「で、エーダリア様。どうしてそのようなお考えになったのか、後程ゆっくりとお聞かせ下さい」
「………………わかった」
顔色を良くしたネアに対し、エーダリアの顔色は死人のようだ。
悲しいかな、まだ本題の打ち合わせが終わっていないので、このままここに居るしかない。
「今後の方針としましては、引き続き魔術解明にあたります。グリムドールの鎖に相当するような、仮面の魔術への対応策があればいいのですが」
「ディノやゼノの知恵を借りてみては如何でしょう?」
「ネア、前から思っていたが、あれは辞書でも友人でもない。一つの働きに応じて、対価を支払わなければいけない魔物だ。問うべき言葉を精査してから、知識を譲り受けるつもりでいるといい」
あらためて忠告されれば、エーダリアの懸念はもっともだと思った。
いざというときに支払う程の才能を持たないまま、ネアの魔物達との距離は随分近い。
でもここで場を均す為だけに頷けば、自分で取捨選択してきたことへの誇りを損なってしまう。
ネアは、大切だということを選択したのだから。
「私は、私の魔物と、そのようなやり取りはしません。契約を超える分、失うものも多いかもしれませんが、私は、私の選択の責任を負うつもりでいます。だから、エーダリア様。あなたは、もう少し私を摩耗する使い方を再考されてもいいんですよ?」
「自分を過大評価し過ぎだ。命を削らない分、命よりも厄介なものを削るかもしれないんだぞ」
ネアは微笑んだ。
本当にいい上司を持ったと思えるのは、こんな時だ。
だからもう少し、この人は楽をしてもいいのではと思う。
「仕事の上の関わり合いにも、違う形の在り方はいくらでもありますよ。……そうですね、エーダリア様とヒルドさんのような関係が、私の理想です」
勿論、ネアが目指すのはヒルドのポジションだ。
階位的なものはこちらが低くても、実際の権力の在り処は上につきたい。
(厄介なご褒美要求を、微笑み一つで黙らせるくらいの力が欲しい!)
ふっと、空気が揺れた。
ネアの返答に、ヒルドが小さく微笑んだのだ。
「だからきっと削るものがあると言うなら、……………私の精神的な穏やかさくらいでしょうね」
穏やかな会話で締めくくろうとしたが駄目だった。
後半、ぐっと声が低くなってしまったネアは、日常的な変態との接触方法について悩む。
戦場に挑むような眼差しになってしまうのは、実際にここがネアの戦場だからだ。
「なので、ご忠告をいただくのであれば、足を踏んでくれと日々要求する魔物に、どうやって他の代替案を提唱してゆけばいいのかの助言を下さい………!」
「すまない、私には難解な嗜好過ぎる」
「ネア様、そういう要求には、代替案というもの自体がないんですよ」
各分野でのそれぞれ精鋭であるくせに、二人ほぼ同時に逃走とはどういうことだろう。
傷付いた眼差しで見上げたネアに気付かなかったように、エーダリアは素早く話題を本筋に戻した。
「また、別途新規での任務を追加しようと思う。送り火の捜索だ」
「…………まだ見つからないんですね」
送り火の魔物は、この世界でのクリスマスにあたる祝祭の要となる魔物である。
一年に一度しかない晴れ舞台を引き延ばすべく、絶賛失踪中だった。
既に一週間も祝祭は引き延ばされ、十年前には、祝祭が半年も先送りになったことすらあるそうだ。
よって、ヴェルクレアの年号は、実際の建国からの年数より少なく数えられている。
「ひと月で見付かればいい方だな」
「エーダリア様、私、魔物狩りの腕には定評があるんですが、送り火さんはどんな方ですか?」
「その定評については知りたくもないが、送り火は背の高い大男だ。顔が見えないくらいの乱れた黒髪に、かがり火のような赤い瞳をしている」
「長髪ですか?」
「いや、短髪だ」
「わかりました。そちらの捜索には、早速出てみましょう。何か注意事項はありますか?」
「大人しい魔物だそうだから、逃げ足が速いことが、せいぜいの注意事項だ。捜索に当る日は、通常の業務は免除する。業務で外に出る以上、半日以上空ける場合は、定時報告は入れるようにしろ」
ぼさぼさ頭の赤い目をした大男。
ネアは獲物の情報をインプットした。
冬は好きだが、誕生日が半年も先送りになっては嫌なので、早々に狩りに出よう。
(通常業務も、薬の精製を二個ほど上げているだけだし、その後からでも行けるかな)
薬の魔物としての体裁を保つ仕事は、日々こなしている。
一般的な薬のかなり純度や効能が高いものを常用で仕上げ、その中に時折稀少な薬の納品依頼が混じることもある。
だが、先にも言及したように、エーダリアはディノを酷使するつもりはないようだ。
(一週間くらいで狩りが終わればいいんだけど…………)
ふと、何かこの二人に訊かねばいけないことがあったような気がした。