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280. 夏至祭のダンスを踊ります(本編)





柔らかな音楽と歓声が聞こえてくる。

リーエンベルク前広場には水色の花びらが敷き詰められ、またどこからか振り撒かれる。



一度向い合い、ディノに花冠を頭に乗せて貰うと、ネアはドレスの裾を持ち上げてリーエンベルクの正門を抜けた。

今日の正門を守っているのは、リーナとアメリアだ。

ネア達に会釈をしてくれた彼等は、華やかな騎士服が石畳に敷き詰められた花の色によく似合い、そんな騎士達を惚れ惚れと眺めている領民や観光客も多い。



胸の奥がむずむずとするような、郷愁と興奮を掻き立てる不思議な旋律に、ネアは唇の端を持ち上げた。

様々な楽器の奏でる旋律に詠唱が混ざり合い、王宮前広場には幾重にも美しい音階が重なる。



(なんて不思議な音楽なんだろう…………)



踊り出したくなるようで、深い森の中を一人で彷徨うような恐ろしさや、大切な誰かに焦がれるような痛みがあり、その全てを胸の内側でぐるんと掻き混ぜてスープにしてしまったみたいだ。



特設の舞台には楽団がいて、彼等もどこか取り憑かれたように一心不乱に楽器を奏でている。


この楽団員は音楽好きな妖精達に攫われやすいので、指揮者は有名な指揮妖精のシーを招き、楽団員の見張りも兼ねているのだそうだ。

この指揮妖精を迂闊に怒らせると音楽の祝福を取り上げられてしまうこともあり、そのお陰で奏者の誘拐が防げているらしい。



ぽわぽわと周囲を飛び交う妖精達の光は、奏でられる音楽が嬉しくて堪らないという様子だった。

人間を食べないような生き物達にとっては、夏至祭は純粋な恋の祝祭なのだ。



(……………あれ?)


楽団について尋ねてみようとして振り返ると、一緒に来ているとばかり思っていたアルテアはいつの間にか姿を消していた。


悪さをしていなければいいのだがと半眼になり、ネアはせめて事故だけには遭っていませんようにと大事なパイ職人の為に祈っておいた。




花輪の塔の近くまでやって来ると、詠唱を行う儀式台の上からこちらを見ているエーダリアと目が合う。

微かに頷かれて頷き返し、そのままゆっくりとダンスを始める位置の方まで歩いてゆけば、あまり人々の意識には残らないような擬態をしていても、リーエンベルクの歌乞いの登場に観客達がわぁっと声を上げてくれる。



たくさんの花輪を重ねた花輪の塔の、なんと美しいことだろう。

そんな思いでいたネアは、その歓声に驚いてびゃっと飛び上がる。


慌ててぺこりと頭を下げたネアが庶民らしくむずむずする思いで歩を進めていると、周囲の喧騒など気にも留めていない様子のディノが静かに耳元で囁いた。



「…………やはり妖精や精霊が随分と多いね。足元の魔術陣が今年は少し濃いだろう?それだけ多くの魔術を重ねてあるんだ」

「まぁ。だから昨日は準備を念入りにしていたのですね」



足下には、敷き詰められた花びらの上に浮かび上がる幾重にも複雑に重なる円形の魔術陣があって、淡い金色と銀色な光をぱちぱちと揺らしつつ、全体的には青白い光を放っていた。


円形のものが危ぶまれる夏至祭だが、この陣ばかりは花輪の塔の周辺を守護するものなので、人々も恐れずに踏むことが出来るのだ。



(わ、可愛いな………)



あちこちから正午のダンスに参加する乙女とそのパートナー達がやって来て、その度に家族や友人達からの歓声が上がる。


生存率は七割とされ、時には五割すら切るのがこの夏至祭のダンスだが、ここで無事に踊り切ることが出来れば、生涯その相手と共にいられるという祝福を得ることが出来る。

身体が弱かったり、厄介な職に就くお相手を持つ場合、または何か二人の間に障害のある恋を育む場合など、このダンスにかける熱意は人それぞれ。



(でも、そこにはきっとそれなりの願いの形や、希望があって………)



微笑みを交わし合う恋人達の姿に、ネアは微笑ましい思いで周囲を見回した。


今年はあわいの気配が濃いので、ダンスの輪を広げて少しだけ参加者を増やしたようだ。

この正午に踊る最初のダンスでは、その年の夏至祭の行方を占うという意味合いもあり、そうそうないことだが、全滅などの事態だけは出来るだけ避けなければならない。



「…………む。今年も真っ先にいなくなりそうな方がいますね………」

「どうして参加してしまうのかな………」


昨年の昼と夜のダンスを見守ったくらいの経験値のネアだが、何となくすぐに攫われてしまいそうだなという参加者が雰囲気で分るようになってきた。


特に、危険に自ら飛び込むことを自慢にしているようなタイプの参加者は、ダンスが終わると消えている確率が高いような気がする。


あまりにも周囲の輪を乱しそうな者達は選考の際に篩い落とすようにしているらしいが、とは言えダンスを踊るカップルは夜に向けてどんどん減っていってしまうのが夏至祭なので、一定数の参加者が必要なのも確かだった。

そうなると、純粋に二人の将来を願う恋人達以外にも、このような度胸試しの参加枠も必要なのだろう。

恋人達への祝福を得られるのは勿論だが、このダンスを無事に踊りきるということはとても名誉なこととされていた。



(そう言えば、土地との誓約のない貴族の方達は、夏至祭では狙われ易いのだとか。その守りの薄さを改善するべく、あえて夏至祭のダンスに出ることもあるみたいだけど、…………こうして見ると、貴族のお嬢さんとその婚約者という雰囲気の方も混ざっている気がする………)



彼等はお互いの瞳を覗き込んで微笑み合うことなどはなく、上品に背筋を伸ばし、静かにダンスが始まるのを待っている。

ネア達の後ろの組もこのようなカップルで、面差しなどを窺えば、良く似た誰かが新年のお祝いの時にいたような気がした。




「どうぞ宜しくお願いします」

「こちらこそ、宜しくお願いいたします!」



ネアが挨拶をして自分の位置に入ると、前にいた少女が振り返り、頬を薔薇色に染めて元気に挨拶をしてくれた。

お相手は背の高い爽やかな好青年で、淡い茶色の瞳に誠実そうな恥じらいを浮かべ、魔物らしい美貌はそのままのディノに若干緊張しつつもこちらにぺこりと頭を下げてくれる。


不安もあるのか、お互いにぎゅっと手を繋いでぶるぶる震えているとても可愛らしい恋人達の姿に、ネアは、ダンスの間はこの前の二人を見ていてあげようと心に決めた。


戦闘靴を履いているので、後ろの二人はある程度安全に踊れるだろう。

踊りながらネアが、地面の悪いものは踏み滅ぼしてしまうのだ。



「みなさん、夏至祭のドレスが良く似合っていて、花冠があるのでとっても可愛らしいですね」

「ネアがかわいい……………」

「前のお嬢さんはとっても可憐ですし、あの、三組先にいるお嬢さんは、髪の毛の中にもお花を編み込んであるようです。後れ毛をふわっとさせてあって、素敵だと思いませんか?」

「ネアが一番可愛い………」

「まったくもう困った魔物ですねぇ…………」

「ご主人様…………」


ディノは頑固にご主人様を推し続け、その主張が伝わらなかったと思ったのか、儚げにぺそりと項垂れた。

去年も踊る前のこのようなやり取りで萎れてしまったのだから、この種の会話を軽く受け流すのは苦手としているようだ。

ネアは仕方なく、みんなに気付かれないようにこっそり魔物の爪先を踏んでやったのだが、魔物は、ご主人様が可愛いと小さな声でもう一度呟いた。



(あ、……………始まる)



詠唱が途切れ、それまで奏でられていた音楽が空気に溶けるようにふつりと消える。


続いて始まった正午のダンスの音楽に、観衆からわっと声が上がった。



花輪の塔の周囲に並んだ乙女達は、まずは周囲の観客達に、そして楽団や儀式台の上にいる領主達に向かってスカートを摘んで優雅にお辞儀をし、男性達はそんなパートナーの背中に手を添えて、大事な恋人と離れてしまわないようにしっかりホールドする。


ネアも、背中に手を当ててくれたディノの水紺色の瞳を見上げ、始まりに備えて伸ばされた美しい手に指先を預けた。


最初のステップに備えてゆっくりと足を持ち上げれば、ふわりと揺れたスカートの裾が淡くきらきらと光ったので、嬉しくなって微笑みを深める。


婚約破棄でもしない限りは、夏至祭のダンスを踊るのは今年で最後になるのだなと考え、ネアは不思議な感慨深さと、周囲の熱気にあてられた昂揚感とで、むふんと息を吐く。




そうして、ダンスが始まった。



「…………ディノ、今年も足元がきらきらしますね」

「こうして見ると、やはり今年は干渉が多いようだね。………ほら、あの一際強く光ったところには、ある程度高位の者が触れたのだろう。………おや、既に一組いないようだね」

「なぬ。誘拐が早過ぎるような気がしますが…………。わ、星が弾けたみたいに足元がしゅばっと光りましたよ」

「…………大きな干渉があったのかな。君へのものは私も排除しているから、後ろの者達を狙ったのだろう」

「では私は、このきらきらがないところを踏めばいいのですね?」

「ネア、今日はダンスなのだから、狩りはしなくていいんだよ?」

「むぐぅ」



ネア達が躍った後は、あまり地面が光らなくなる。


ディノが一定の介入を排除し、ネアが地面をステップで踏みつけているからなのだが、一周回る頃にはまた、あちこちが星屑のようにきらきらと光っていた。

均しても均しても、どれだけの介入があるのか、ネアは気の遠くなる思いでその煌めきを眺める。


とは言え、こうして踊っていると星屑の中で踊っているようでとても綺麗だ。

昨年のようにディノが影を繋いでくれているので、一緒に踊っている限りは安心だろう。



くるりとターンで回され、ネアは練習の甲斐あってふわっとターンになったディノのリードにまた微笑む。

スカートが大きく広がり、ターンの時には花輪の塔の周囲に水色の大きな花が咲いたようだ。


ネアが気に入ったのが分ったのか、ディノも澄明な瞳をきらりとさせて、満足げな微笑みを浮かべた。



(ああ、………)



そうして微笑めば、やはり魔物は魔物らしく。


凄艶な美貌に訳もわからずはっとし、そんな魔物の浮かべる無垢な喜びの表情に胸が熱くなる。

はらはらと舞い落ちる花びらの中で、またくるりと回ると、ふんわり広がったスカートに同じ色の花びらが触れて、しゃわりと光った。



その直後、足元に細やかで強い煌めきが満ち、周囲の喧騒がざわりと鋭くなったような気がしたのだが、気のせいだろうか。



「……………む!」



ネアはそこで、ステップを崩さない程度に少しだけ爪先を伸ばし、不穏な翳りに揺れた地面をずりりっと踏みつけた。

足下に敷き詰められた花びらの上に黒い染みのような影が浮かんだので、これは見過ごしてはおけないなと考えたのだ。


踏まれた地面からはぎゃっと悲鳴が上がったので、案の定、前の二人を狙った良くない生き物が潜んでいたようだ。



「困ったご主人様だね。君は、すぐに妖精を狩ってしまうんだ」

「今のもやもやは、妖精さんだったのですか?」

「ある程度は高位のものだったのだろう。頭を踏まれたようだから、生きているかな………」

「であれば、ステップ上、ずりりっと踏んだので、ご本人が生き残っても頭頂部の髪の毛はもう望めないかもしれません」

「頭頂部……………。…………ネア、今日は足元の揺らぎが大きいようだ。どうか危ないことはしないでおくれ」



魔物は、ご主人様に頭頂部の髪の毛を殲滅された妖精を思ってか、少ししょんぼりしてしまったが、その後も優雅にネアをエスコートしてくれた。


ネアは前後の二組が欠けていないことは確認していたのだが、曲の終盤で動きがゆるやかになると、随分と踊っている組が減ってしまっていることに気付いた。


ここは気を引き締めようと思ったところでまた黒い染みのような影を足元に見付け、軽やかに見えるように配慮しつつ、ステップを利用してげしげしと地面を踏みつける。


そんな荒れ狂うご主人様を宥める為にか、ディノはターンの時などに、何度かネアをふわりと持ち上げてくれていたりもしたのだが、滅ぼし損ねた影がないかどうかが気になって仕方のない獰猛なご主人様は、地面から引き離されるとぐるると唸ってしまう。



最初の曲のダンスが終わった。


ネアは音楽が終わる直前に現れた何者かの影をぐりぐりと踏みつけ終え、晴れやかな微笑みで魔物を見上げる。



「うむ。邪魔者は滅ぼしました」

「……………ネアが、いっぱい踏んでる」

「なぬ。これは駆除であってご褒美ではありません。羨ましがってはいけませんよ?」

「最後の精霊は、あんなに何度も踏んでやる必要はあったのかい?」

「私は、ふわっとターンを駆使してくれる素敵な婚約者と踊れて楽しかったので、それを邪魔するあんな不埒ものは滅ぼすしかありません。やっぱり、ディノと踊るのはとても素敵ですね」

「………………ずるい。かわいい」



魔物は最後の敵を多めに踏んでしまったネアに少し拗ねていたが、狡猾な人間に上手く丸め込まれてしまい、最後は目元を染めてこくりと頷いた。



ダンスが終わって参加していた者達がお辞儀をすると、わっと一斉に拍手が上がり、花輪の塔の周囲に落ちていた不思議な翳りのようなものがざっと晴れるのが分った。

ディノが、この場に向けられた介入によって陽光が遮られていたのだと教えてくれる。




「六組いなくなったようだね」

「六組も攫われてしまったのですね…………」

「とは言え、今回は、ダンスの途中で大きな侵食があったから、これだけ残れば良かった方だろう。あえて君の近くで踊らせたのだろうから、君が見ていた二組が無事なら心配はないと思うよ」

「もし、どなたかがそのように配置してくれたのであれば、少しはお力添え出来たと思うのですが…………」



ネアは、自分が参加したのに思ったより多くの組が攫われてしまったことを悲しく思っていたが、ディノに手を繋いで貰ってみんなのいるところに戻ると、酷く心配そうな目をしたヒルドにすぐに迎えられた。


今回は続けてのダンスではなく、この二曲後のダンスをヒルドと踊るのだが、手を伸ばしてネアの腕に触れたヒルドが俯き、深く安堵の息を吐くのを見てネアは目を瞠る。


夏至祭でダンスを踊るヒルドは、繊細な刺繍の美しい深い青色の盛装姿だ。

そこに大きな羽の煌めきがかかり、長い髪はいつもとは違う複雑な結い上げをしている。

まるで王のような気品を纏い、高貴な妖精という感じが全面に出ていた。


そんなヒルドが苦しげな眼差しで深く息を吐いたのだから、ネアは慌ててその手に触れて顔を上げて貰った。



「ヒルドさん…………?」

「申し訳ありません、……………まさか、観測例も少ない、あわいの波の時間にぶつかるとは………」

「波、ですか?」


ネアがそう尋ねると、夏至祭には、あわいの向こうからこちら側への介入が強まる箇所があり、それを波と言うのだとヒルドが教えてくれた。

その波は、世界的に広がるあわいの揺らぎに合わせて弱まったり強まったりするので、訪れる時間や場所などを正確に計ることは難しく、今回は、たまたまその中でダンスが始まってしまったのだ。


このようなことは百年に一度くらいしかないのだが、前回の時には誰も残らないくらいの大惨事になったらしい。



「…………全員がいなくなってしまうということもあるのですか?」

「ええ、波の中で踊って、半数以上の組が残ることの方が異例なんですよ。………今、エーダリア様の方で、他領やウィームの他の土地での正午の儀式がどうなったのかの情報を収集しておりますが、どうやらガーウィンの方でも同じような現象が確認されているようです」

「まぁ。…………そこまで規模の大きなものなんですね」



その波とやらは、またあるのかなと心配になりネアが見上げると、ディノは安心させるように頭を撫でてくれた。



「やはりそのようなものだったのだね。何度か大きい侵食があったようだから、規模の大きな揺らぎだったのだろう。………周囲の残響を見る限り、もうこの辺りへの訪れはないと思うよ」



ディノがそう言えば、ヒルドはほっとしたように息を吐いた。


今回の失踪は六組で済んでおり、ウィーム領内で一番大きな規模の会場であわいの波に遭遇したにしては、奇跡的な被害の少なさなのだと言われたネアは小さく頷く。


だから今日は、足元に染みのような黒い影が何度も見えたのだろう。



「もっといっぱい、悪い奴を踏んでおけば良かったのでしょうか…………」

「とんでもない。これは、災厄に近しいものです。ネア様がご無事だったというだけで充分ですよ。大きな翳りが見え幾度かひやりとしましたが、その度にディノ様が抱き上げて下さっていましたので、その様子を見て安堵しました」


あわいの波が来ていても、ダンスを止めることは出来ないのだそうだ。

ダンスを中断されると、その参加者達は魔術の誓約であわいの取り分となってしまう。

だから誰も大騒ぎはしなかったのだと、ネアは今更ながらに納得する。


「……………もしかして、ディノが何度か持ち上げてくれていたのは、私が獰猛だからではなく、足元が危なかったからなのですね?」

「うん。私は階位的に落ちることはないけれど、彼等の獲物の規定を満たしている君には危うい。恐らく、波の中にいたのは夏の夜明けの系譜の妖精達だろう」

「まぁ、夏の夜明けな系譜の妖精さんだったのですね」

「あわいの深みに住む者達だから、地上に住む者達とは少し違うかもしれないね」



そう聞けば、ネアはひやりとする。

そのあわいの向こう側にいる生き物達は、見知っている妖精達と何かが大きく違うのではないかという気持ちになって、少しだけ怖くなったのだ。


今迄踏み滅ぼしてきたものとは違う、得体の知れない生き物のように思えて、あまり深追いしなくて良かったと胸を撫で下ろす。



また音楽が聞こえてきて振り返ると、花輪の塔の方では、無事に次のダンスが始まっていた。


くるりくるりと水色のドレスの裾が翻り、敷き詰められた花びらに滲み光るのは星屑のような魔術陣の中の光だ。

心なしか、先程ネア達が躍った時よりはその光は少なくなっているような気がする。



(あの光は、干渉の数だと分かってはいるのだけれど…………)



その絵のような光景にしばし見惚れていると、ノアと一緒のエーダリアがこちらに戻ってきた。

あちこちの責任者達と忙しなく通信を重ねていたようだが、やっとひと段落ついたようだ。



「…………ネア、よく無事でいてくれたな。それと、周囲の者達を手助けしてくれたこと、心から感謝する」

「私は気付いていなかったのですが、危ない時はディノが持ち上げてくれていたようです。………他の領でも、同じような現象があったのですか?」

「国内を横断する帯のような形で波が立ったようだ。ガーウィンの大聖堂前での正午のダンスでは、十七組全員が忽然と消えたらしく、一か所で持ち去られた人数では一番被害が大きい。ヴェルリアの会場では、三か所で合計二十一組、ウィームでは合計十九組だな…………」



その報告を聞き、ネアは思っていたよりも被害が大きかったことに驚いた。


たまたまリーエンベルク前の広場でだけその波の瞬間があったということではなく、大陸を縦断する程の大きな波が帯状に立ったというのが魔術師達の見立てだ。


その帯状の線にかかった土地では、甚大な被害が出たのだろう。



「それにしても波かぁ。僕もこの形状のものは久し振りに見たけど、時期的にはそろそろ起きてもおかしくなかったね」


そう呟いたのはノアで、エーダリアは鳶色の瞳を瞠って塩の魔物の方を見る。


「過去の規模としてもこれだけ大きなものがあったのかどうか調査しようと思っていたが、………一定の期間毎にあるものなのか?」

「全体の規模は変わってない。あわいの揺らぎ方や波の立ち方が、規則的に変わるだけだ」


そう答えたのはアルテアだ。

暫く姿が見えなかったのだが、どこかに行っていたものかふらりと転移で戻って来ると、何やら神経質に手袋を付け替えている。



(……………何か、手袋が汚れるような悪さをしていたのかしら)



「言っておくが、俺が気付かなければ禁足地の森の一画に出来たあわいの亀裂から、お前の嫌う形状の妖精が出てくるところだったんだからな?」


ネアが、じっと疑いの目で見たからか、片方の眉を持ち上げて反論されてしまった。

腰に手を当てたアルテアにうんざりとした顔で何をしてきたのかを伝えられ、ネアは脳内に浮かびかけたイメージをすぐさま打ち消した。



「……………ふぎゅ。その形状についての言及を、今後一切私の前では禁止します…………」

「それは残念だな。詳しく説明してやろうと思ったんだが」

「そ、そんなことをしたら、ぞうさんボールの被験者にしますよ!」

「やめろ」

「でも、アルテアさんが、追い払ってくれたのですよね。有難うございました。怪我などはしていませんか?」


宿敵形状の妖精などこの世に在ってはならないものなので、ネアはそんな生き物を駆除してくれたらしいアルテアにはきちんとお礼を言っておいた。


アルテアは一つ貸しだなと言うので、ネアが首を傾げ、そもそも使い魔だった筈ではと返せば何とも言えない顔をした。

とは言え、あの宿敵の出現を防いでくれたので、お礼を兼ねてちびふわとプール遊びをするのは吝かではないと伝えておいた。



「…………やめろ」

「……………む。ちびふわは、泳げなかったのでしたっけ?」

「お前…………わざとだな?」

「尻尾が重くてぶくぶく沈むちびふわが、あまりにも愛くるしかっただなんて、決して言わないのです。ムグリスの時のディノは泳げますものね?」

「ちびふわは泳げないのだよね」



どこか嬉しそうにそう頷いたディノに、アルテアはこの話を掘り下げるのはやめたようだ。

泳げない仲間を尊ぶ万象の魔物の手によって、ちびふわにされてプールに放り込まれかねない危険を感じたのだろう。




一方でエーダリア達は、波の及ぼした影響について頭の痛い問題に気付いてしまったらしい。

ひどく暗い目をして儚く溜め息を吐いたエーダリアに、ネアは、もう一度あの森と流星のお酒を飲ませてあげたくなった。



「そうか…………。帯状ということは、そこにかかる土地のあちこちで、歪みのようなものが地表に残っている可能性もあるのか…………」

「いや、あれはあくまでも波だからな。通り過ぎた後の土地はすぐに平坦に戻る。ウィームは土地の魔術基盤が安定しているからな、ひび割れも欠け落ちもなさそうだ」

「……………そうなのか?!」

「確かに、このあたりは問題ないようだよ。森の方はアルテアがそう言うのであれば、そちらも大丈夫だろう」

「教えてくれて助かった。であればひとまずは、通常通りの夏至祭の警備に戻っても良さそうか………」

「しかしながら、波が立ったその時に、その線上に立っていた者がいれば、同じようにあわいの中に引き摺り込まれてしまった可能性も高いですね…………。引き続き、周辺の調査は続行させましょう」

「ああ。…………ヒルド、そろそろなのではないか?」

「おや、この曲ももう中盤でしたか」



そこでネアは、慎重に手を離さないようにしてディノからヒルドに受け渡され、二曲目のダンスに向けて花輪の塔の方に戻る。



「ディノ、行ってきますね」

「………………うん。何かあったら、私を呼ぶんだよ」

「ええ。でもヒルドさんが一緒なのでとても頼もしいのです」

「浮気…………」

「さては、頼もしいという言葉に過剰反応しましたね…………」

「ではディノ様、ネア様をお預かりしますね」



めそめそとする魔物に手を振ってその場を離れると、ヒルドにしっかりと手を握って貰い、ネアは再び先程と同じ場所に立った。



今日のヒルドは盛装姿なので、佩剣している。

その剣を恐れる者達も多いので、ぽわりとした光がヒルドに吸い寄せられるように近付き、きゃっとなって逃げてゆく姿を見ると、やはりかなりの業物なのだろう。



「きちんとお守りしますので、決して私の手を離されませんよう」

「はい。…………今の方は……」



諸注意を言い含めているヒルドの肩口に、小さな美しい女性姿の生き物がふわりと降り立ったのだが、ヒルドはそれを見もせずに無造作に掴むと、どこかにぽいっとやってしまった。



夏至祭の魔術を帯びたヒルドは、それこそ輝くような美貌なので、周囲を飛び交う妖精や精霊達、観衆に紛れてこちらを見ている魔物達の中には、うっとりとヒルドを見ている者達も多い。


この美しい妖精に恋をしているのだと思えば、一瞥もせずに捨ててしまうのは勿体ないような気もする。



「先程のものは、夏至の精霊ですね。夏至そのものを司る者ではありませんが、今現在の時間の座の系譜の精霊が、その責務をおろそかにしているとは…………」

「お仕事をさぼるのはいけませんが、少し小さ目なもののとても綺麗な方でしたよ」

「とは言え、私にはこのように、特別なダンスの相手がおりますので」



少し残念な思いでそう言ったネアに、ヒルドはどこか困ったように微笑むと、握っているネアの手を持ち上げる。

優しい仕草に、ネアはその眼差しに微笑みを返した。


「私も、こんなに素敵なヒルドさんと踊れるのが自慢なので、今は誰にもヒルドさんを取られたくありません!」

「…………そのように言っていただけると、羽の庇護を与えた身としては光栄ですね。夏至祭の熱気にあてられて、箍を外さないようにしなければいけませんが………」

「む?………………まぁ、この位置でヒルドさんの羽を見ると、足元のきらきらした光が映って、夏の星空のようです………!」

「今、足元の魔術に干渉しているのは、とても小さな妖精達ですよ。このくらいであれば、危険はないのですが………」



今度のダンスでネア達の前後で踊るのは、二組とも初々しい恋人同士だった。


ステップを間違えて恥ずかしい思いをしないよう、そして攫われて食べられてしまわないようにと誓い合う恋人達のあまりの無防備さに、ネアは親心のようなものが芽生えてしまい、この二組の恋人達は守ってみせるという熱い誓いを胸に刻む。


しかし、凛々しい気持ちで頷いていると、くすりとヒルドに笑われてしまった。



「周囲の調整は私がやりましょう。ネア様はどうか、無茶されませんよう」

「少し強めにステップを踏んでも………」

「どうか、そのくらいに留めておいて下さいね」

「はい!」


また、わぁっと歓声が上がる。

前の組との間に短い詠唱を挟み、また新しいダンスが始まるのだ。



「…………………ほわ?!」



今年の夏至祭の初呼び出しは、その直後のことだった。


ネアの足元の地面がぱかっと開き、ネアはぎゃっとなったのだが、幸いにもパートナーのヒルドは冷静であった。

足下の地面がなくなろうと、ヒルドには羽があるのだ。


ばさりと宝石のような羽を広げてネアを持ち上げたヒルドに、またわぁっと観客席から歓声が上がる。


柔らかな飛翔の風に、結い上げた孔雀色の髪がさらりと風に揺れる。

目を丸くしたネアに微笑みかけると、ヒルドは空中を踏みながらも巧みにステップを踏んでみせ、ネアをくるりと回してから、地面に戻してくれた。



「ヒルドさん、足元に小さな村がありました…………」

「やれやれ、先程のは召喚の儀式ですね」

「召喚されてしまったのですね。しかし、なぜ召喚されたのかが一瞬にしてわかったので、願いは叶えてあるのです!」

「………………ネア様?」



ヒルドがぎくりとしたようにこちらを見る。


実は、先程ぱかりと開いた足元に広がっていた長閑な村には、大きな木の上に黒いもやもやした生き物がへばりついていた。

それに怯えるようにムグムグ鳴いている小さな円錐形の謎の生き物達が群れており、ネアはあの木の上のものを駆除して欲しいのだなと思ったので、上を通過がてらばしんと蹴り飛ばしておいたのだ。

なお、戦闘靴で蹴り飛ばされた黒もやは、地面に落下する前に儚くなってじゅわりと消えた。


大歓喜の円錐形の者達に崇め奉られながら、その地面の下に広がっていた村はまたぱかりと閉じ、ネアはヒルドのエスコートでターンを決めて地面に着地したのだ。



「あの村は何だったのでしょうか………」

「恐らくですが、緑柱石の妖精ですね」

「……………宝石の」

「願いに答えたのであれば、祝福があるかもしれません。緑柱石であれば悪いものではないでしょうが、…………ネア様?」

「ふぎゅう……………。むちゃはしないとこころにちかいます…………」



ぐいっと抱き寄せられて、少しだけ怖い顔をしてみせたヒルドとの距離が近くなる。

この人間は何をするのか分らないので、少し強く拘束しておかねばならないと認識されてしまったのか、昨年同様やはり距離が近いので、ネアは、反省しつつ妖精らしい美貌をじっくり鑑賞出来る贅沢さを堪能することにした。



(夏至祭の日の妖精さんは、なんて綺麗なのかしら)



瑠璃色の瞳の深さと、孔雀色の長い髪の彩りの鮮やかさ。

妖精の羽を透かして目に届く木漏れ日は、まるでお伽噺の祝福のよう。


時折、ヒルドの視線がふっと刃物のように向けられる先では、ぽわりと光る生き物や、敷き詰められた花びらの下から這い出て来ようとしていた生き物が、くしゃりと崩れて塵になる。



「……………おや」


ダンスも終盤に差し掛かったところだろうか。


ふいにヒルドの眼差しが剣呑になると、ネアの耳元を、ひやりとした冷気のようなものがかすめた。

ネアが視線をそちらに向けた時には、ざあっと塵になって崩れてゆく何者かの手があり、ヒルドが不快そうに眉を顰めるばかりだ。



「何者かが滅ぼされました…………」

「黎明の系譜の妖精ですよ。珍しいものですが、私が庇護する者を引き込もうとするのは、愚かとしかいいようがありませんね」

「……………珍しい妖精さん」



ネアは、少しだけ見てみたかったなと思いつつ、それを言ってはならないと自覚した上で、守ってくれたヒルドにお礼を言ってダンスを終える。


今回のダンスでは失踪者はそこまで出なかったようで、消えてしまったのは三組に留まった。



失われてゆく者達の親族や友人達には堪らないことだろうが、危険を承知でその上で得られる祝福だからこそ、彼等は夏至祭のダンスに臨むのである。



人垣の向こうで、呆然と立ち尽くして涙を落している人は、誰を奪われてしまったのだろう。


攫われた人々の全てが食べられてしまう訳ではないが、妖精の国や精霊の国に連れ去られた者はもう、前とは同じような姿で戻ってくることはない。

大事なひとが目の前で失われてしまうということは、胸が張り裂けるような思いだろう。


生還を抱き合って喜ぶ恋人達の傍らで、深い悲しみに沈む者達がいるのも、この夏至祭の常だった。



(………………あ、)



そのとき、ちりっと焦げ付くような鋭い視線を感じたような気がして、ネアは視線を巡らせた。


誰かが目につくようなことはなかったが、確かに強い眼差しを向けられたような気がしたのだ。

念の為に空を見上げてみたが、今年は美しい翼を持った雨降らしが飛来してくる訳でもなく、何か注視するようなものがいる気配はない。



「ネア様、どうなされましたか?」

「………誰かの視線を感じたのですが、こちらを見ているような方は誰もいませんでした」


ヒルドにそう答えれば、美しい妖精は微かにその瞳を翳らせる。


「高位のものは、その眼差し一つにも魔術を帯びるものです。ディノ様達にもご相談しておきましょうか」

「はい。そうしますね」



頷いて花輪の塔から離れながら、ネアは、いつだったか同じような視線を感じたことがあったような気がして、そっと息を詰めていた。
















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