花輪の塔と布告の雨
夏至祭の前日に、リーエンベルク前の広場には花輪の塔が建てられる。
様々な儀式を行い魔術彫刻で幾重にも術式を刻み込んだ木の塔を建て、そこに特別な祝福を込めた花輪を投げてゆくのだ。
この儀式を共に見るとそれぞれの心を知ることが出来るだとか、夏至祭での告白が叶いやすくなる、または共に過ごす相手を意識させることが出来るなど、様々な言い伝えがある。
中には、花輪の塔が完成した直後に降る、夏至祭に荒ぶる人ならざる者達からの宣戦布告の雨を使うと、憎い相手や恋敵を退けることが出来るという言い伝えもあるので、人ならざる者達だけでなく人間達も、夏至祭の前日から荒ぶり始めるのだ。
朗々と響く詠唱に、ネアはエーダリアの声の響きの美しさに惚れ惚れと聞き入った。
近くにいる人外者達も嬉しそうに目を細めているのだが、これは夏至祭に妖精や精霊達が悪さをしないような守護を張る為のものなので、中には居心地が悪そうにもぞもぞしている者もいる。
実は、昨晩から今日に日付が変わったその少し後まで、ヒルドのお誕生日のリハビリで、みんなで珍しいお酒を飲み、そのお酒の祝福で全員が会食堂で寝てしまうという事件があった。
しかし、その森と流星の祝福により、目を覚ますと素晴らしく爽やかな気分で体も軽くなっていたからか、今朝のエーダリア達は実に精力的だ。
明日は地獄絵図になるので、その前に日々の執務で溜め込んだ疲労を全部回復して貰い、万全の備えで迎えられるとご機嫌である。
(だからかな。心なしか、エーダリア様の声にもいつもより深みがあるというか…………)
瞳も澄んでいるし、肌も艶々で、これなら明日の戦を無事に乗り切れそうではないか。
勿論、ネアもご機嫌なので、こうして元気に早朝の儀式を見に来ているのである。
ただでさえすっきりと力に満ちているこの体に、エーダリアの詠唱は美味しいお水のように染み渡った。
コーン、コーンと、木の塔を建てる為の作業の音がする。
花びらが振り撒かれ、煙をたなびかせる鎖付きの香炉が魔術師達に振り回され、あたりにはえもいわれぬ香りが立ち籠める。
用意された花輪は苺のような甘い香りだが、あの香炉の香りは松のような渋い香りで混ざり合うと複雑で素晴らしい。
「最初の花輪は、地面に着く部分が結晶化されているのですね」
ネアはその光景をリーエンベルクの外客用の部屋の集まる棟の入り口から見守り、ディノに持たされた三つ編みをくいくい引っ張る。
魔物は嬉しそうにもじもじしており、ネアは興奮するとこのように無意識に三つ編みを引っ張ってしまうのだと、学ばれてしまったようだ。
不本意なご褒美だが、ネア自身にも止められない。
「うん。上の花輪の重さで潰れてしまわないようにということと、そうすることで、地下からの侵食を防ぐ意味合いもあるようだね」
「去年も思ったのですが、あの水色の大きな花輪がとっても素敵なのです。確かに夏至祭は大変な日なのでしょうが、お花がたくさん出てくるので、こうして見ているとうっとりしてしまいますね」
詠唱の切れ目に鈴の音が響き、りぃーんという不思議な音が途切れぬ内に最初の花輪が投げ込まれる。
そうするとふわっと甘い香りが立ち、最初の花輪の祝福と守護を強化する為に聖歌のような詠唱が幾重にも重ねられた。
(…………不思議で美しくて、どこか荘厳にも思えてとても魅力的で目が離せなくなる)
ネアは二番目の花輪まで儀式を見守り、つま先を興奮にぱたぱたさせた後に、ディノと一緒に朝食を摂るために会食堂に戻った。
夜明け前に見た祝福の深い森は消え失せ、いつものリーエンベルクの会食堂に戻っている。
「さて、これから美味しい朝食を食べ、ノアとの明日の打ち合わせをしてから、花輪の塔をもう一度見に行きます。その後は、夏至祭の前にもう一度会えなかったダナエさんのカードに…」
「ずるい……」
「ヴェルリアの海の方を飛ぶそうなので、そのお話も聞きたいのです。ダナエさんは、海竜さんを食べるんですよ」
「おや、海竜を食べてしまうんだね………」
そこでネアとディノは、今は何かとナイーブな時期の海竜を襲ってしまっても大丈夫だろうかと顔を見合わせて首を傾げた。
ややあって、まぁいいかと頷き合い、いつもの席に着く。
(それはまた、ダナエさんと海竜さんのことだし、今は穏やかな朝食を食べることこそが私の仕事!)
そう考えてきりりと頷くと、ネアはうきうきと前菜のゼリー寄せに戦力を傾ける。
ネアが大好きなゼリー系の冷製は、夏になるとよくメニューに上がるようになってきた。
ディノの好きなガスパチョ風なトマトの冷製スープや、みんなが大好きビシソワーズ。
季節が変わってゆくことで、再会した美味しいものも幾つもある。
「この平和な時間を伸びやかに過ごせるのは、素敵なことですね」
「君は、ゼリー寄せが大好きだね」
「はい!…………む。しかしながら、カーテンの一部が少しだけ咲きかけています」
「今年も、織り柄が咲いてしまったのかな。少し育ってしまったので、布の中に戻すのは大変そうだ」
「………確かに蕾の柄なのに、蕾がほころんでしまいましたね」
初夏のものに取り替えられたばかりのカーテンは、淡い淡い水色に繊細な灰色とミントグリーン、檸檬色のお花柄が織り込まれたネアの大好きなカーテンの一つだ。
他領の領主館や貴族の館などでは、その季節ごとにカーテンなどを新調したりもするのだが、リーエンベルクでは季節に合わせたものが三種ずつ揃えてあり、それをずっと大切に使っている。
そんなところがネアは好きなのだが、その分、このようにして咲いてしまったりするときはカーテンを宥めるのが大変なのだそうだ。
会食堂の方まで来ればもう広場での儀式の音は聞こえないが、その代わりにいつもより妖精たちの動きが活発な中庭や、様々な光が群れ飛ぶ禁足地の森を窺い見ることが出来た。
どこかにほわりと胸の奥がざわつくような不思議な高揚感があり、これは人間にも及ぶ夏至祭の魔術なのだとか。
若者や子供たちが向こう見ずになるだけではなく、夏至祭に近くなるにつれ影響は大きくなるので、そんな魔術の侵食を受けて争い事などを起こさないように、人々は夏至祭の夜とは慎重に向き合うのだ。
交渉や新規の顔合わせ、購入や作成にも向かない夏至祭だが、唯一相性がいいのが男女の結びの魔術らしい。
その系譜の魔術を扱う魔術師たちも、夏至祭の前日である今日は準備に忙しいのだろう。
商店も休みになる安息日だが、大きな荷物を抱えた魔術師などの姿はよく見かけられる。
とは言えネアは、事故を警戒した魔物達により、本日は外出禁止令を言い渡されていた。
無事に美味しい朝食を食べ、ノアを探していた時のことだ。
中庭に面した回廊を渡り、二人は騎士棟の方に出かけているノアを探していた。
(あ、ここからだとまた、広場の音が聞こえるかな…………)
遠く聞こえるのは、聖歌のような詠唱だ。
この時間はもうエーダリアはおらず、今は魔術師達が花輪を投げ込む作業を引き継いでいる。
騎士棟の方まで来ると、リーエンベルクの外周にある森が見えた。
そこにふと、黒い羽がひらりと舞ったように見えたが、目を凝らしてももう何も見えなかった。
(……………もしかして、)
ネアが隣を歩くディノの袖を引っ張ると、魔物はご主人様に引っ張って貰えて嬉しそうに水紺色の瞳を煌めかせ、こちらを見た。
「………ディノ、昨年は鴉の精霊さんたちがいたのです。今年も来るでしょうか?」
「おや、死肉喰らいだね。悪しきものの一つだから、気を付けるようにね」
「はい。妖精さんが一緒でないと見えないそうです。ディノも気を付けて下さいね」
「私は見えるから大丈夫だよ。……………そうか、人間は妖精の目を借りないと見えないものなのか…………」
「昨年のときは、ヒルドさんと一緒にいたときでしたので見えたのです。その後は、ヒルドさんがいなくてもおかっぱ頭な精霊さんたちが見えていました」
「私が傍にいるから問題ないとは思うけれど、何かがあった時の為に、君にも見えた方がいいのかな」
「むぅ。今年もやって来ているようであれば、一度見えるようにしておいた方がいいのかもしれませんね」
「……………鴉の精霊は気に入りそうかい?」
「…………ぼんやり何を警戒されているのか分かりますが、鴉の精霊さんはじっとりとした目をしているので、好きではありません」
ネアがそう宣言することで、魔物は安心してくれたようだ。
死肉をむさぼる精霊に浮気をしたりはしないので、是非に安心して欲しい
ディノはネアに三つ編みを持たせ、近くを歩いていた騎士を呼び止める。
ネアはそこに人がいることには気付かなかったので驚いたが、鴉の精霊について尋ねられた騎士が振り返り、それが知り合いのエドモンだったのでネアもぺこりとお辞儀をした。
リーエンベルクの中には様々な騎士達がいるが、騎士達のお仕事用の魔術の道があるらしい。
ディノが声をかけたエドモンは、その中を歩いていたところを捕まったようなので、ディノにはそれが見えるのだろうか。
(となると、他の偉い魔物さん達にも見えるのかしら。もしかすると、実はその才能はかなり厄介なのでは………)
そう考えていた時のことだった。
“…………あそこにいるのは、去年、あの森と湖の妖精が連れていた女だわ”
そんな声が聞こえ、おやっと森の方を見た。
しかしそこには誰もおらず、ネアは少しだけひやりとする。
ネアは、ホラー的なものは大嫌いだが、見えない何かという精神的な怖さも苦手なのだ。
(よく分からないけど、何人ものひとがいるような気配がある)
もしかするとディノは、それが見えていてエドモンを捕まえたのだろうか。
ネアを怖がらせないようにと、言わずにいてくれたのかもしれない。
こつんと、音がした。
隣にいたディノもおやっと目を瞠ったが、ネアはその音の出所を見ていたので、低く唸る。
「むぐるる…………」
「………ネア、今の音は…………何かあったのかい?」
「おのれ、石ころを投げつけられました。リーエンベルクの結界に阻まれましたが、投げたことは事実……………ゆるすまじ」
「………そんなことをされたんだね。可哀想に。私が叱っておいてあげるよ」
「いえ、馬鹿にされたのは私なので、ここは私を侮ってはならぬと、愚か者共に思い知らせてくれるのです」
「ご主人様…………」
「ディノとエドモンさんは、暫しこちらを見てはなりませんよ」
「ネア様、恐らく鴉の精霊でしょう。であれば、騎士達を向かわせますので…」
エドモンは何かを言いかけたが、ネアが首飾りの中から武器を取り出すのを見て、さっと顔を背けた。
ゼベルは辛うじて問題のない範囲で済むネアの異世界動物園シリーズだが、エドモンは妖精の血を引いているので堪えるらしい。
「うむ。今日は試作のぞうさんボールです!」
「…………ご主人様」
恐怖に震える魔物はネアの背中に顔を埋め、残忍なご主人様は、ぞうさんの顔をモチーフにしたぞうさんボールの鼻の部分を掴んでぶんぶんと振り回し勢いをつけた。
「てやっ!」
鼻の部分を離してすぼんと小石が飛んで来た方に振り回したぞうさんボールを投げ込むと、すぐさま幾つものくぐもった悲鳴が上がる。
(ぞうさんボールは、伸縮性のある生地の中にお豆を詰めてよく飛ぶようにしてあって、お豆の一つ一つに取り戻しの魔術をかけてあるので、取り戻しも自由なのだ!)
因みに中のお豆は、ノア開発のネアにも使える取り戻しの魔術が仕込まれていて、取り戻しを使う度に減ってゆくので、ぞうさんは戦う度に萎びてゆくシステムである。
その変化がとても残酷なようだが、戦うということはそういうことなのだとネアは納得していた。
すぐに取り戻しの魔術でぞうさんボールを取り返すと、ぽんぽんと軽く汚れを払って丁寧にしまう。
まだぞうさんボールには、大きな変化が現れていないが、歴戦のぞうさんボールになると弱ってくるのだろう。
「ディノ、もう終わりましたよ」
「………ぞうさんは、…………出ていないかい?」
「はい。もうしまってあるので安心して下さいね」
「………………ネア様、鴉の精霊は、………生き残っていますか……?」
「ええ。狩りに出た時に威力の違いを試したことがあるのですが、ぞうさんは殺傷能力が低めなのです。その代わりに生き残るからこそ恐怖に魘されるようですので、私の偉大さを知らしめるにはうってつけの武器ですね!」
「……………成る程」
若干慄きながらではあるが頷いてくれたエドモンは、リーエンベルクに向かって石を投げた鴉の精霊達を回収に行こうとしたが、首を振っていいよと言ったディノが、どこか遠くの山の方にぽいっと捨てておいてくれたらしい。
褒めて欲しそうにもじもじとこちらを見るので、ネアは鴉の精霊を捨てて来て偉いねと魔物の頭を撫でてやった。
こつりと床が鳴った。
おやっと振り返ると、そこにはまたしても早いお着きの魔物の姿がある。
今日は生成り色のパンツにオリーブ色のジレ、そして白いシャツ姿だ。
「お前はまた何かしでかしたな………」
「あら、夕方くらいから来るのかと思っていたのですが、今日も早い使い魔さんです」
「最近、お前の巻き込まれ度合いの高さを思い知らされたばかりだからな。夏至祭ほど危ういものもないだろ」
「なぬ。去年の夏至祭では、因果の成就の精霊王さんを打ち負かしたくらいで何の事故もない一日でしたよ?」
「一般的に言えばそれは大事故だな。人間はまず生き残れないぞ。それと、バーレンに出逢ったのも夏至祭だったんじゃなかったのか?」
「むむぅ。スカートの下に入り込んだ不埒なちび竜を踏みつけただけではないですか…………」
ネアとしては物申したいところがあるのだが、アルテアは面倒そうに片手を振ると、さっさと中に入るぞと言うではないか。
「これから、ノアを見つけて明日のダンスの打ち合わせをするのですよ?」
「…………あいつと踊るつもりか?」
「ディノと、ヒルドさんとも踊ります!むが!」
楽しみにしているので微笑んでそう言えば、むぎゅと鼻を摘まれてしまい、怒り狂った人間は使い魔の爪先を踏み滅ぼそうと荒れ狂う。
慌ててディノが荒ぶるネアを抱き上げ、ノアがまた最近作ってくれた塩飴をお口に入れてくれた。
「…………むふぅ。塩あめれふ」
「…………献上品で鎮められるなら、こいつは実はとっくに祟りものになってるのかもしれないな」
「むぐる…………」
そんな失礼な使い魔には果物ゼリー作りの刑を命じておき、ネアはヒルドと夏至祭当日の警備の変更点を話していたノアを無事に発見し、ダンスの打ち合わせを無事に済ませた。
ノアがさかんに窓の外を気にしているのでその理由を尋ねたところ、最近街で知り合った女性に夏至祭でのダンスのパートナーになるようにと迫られて追いかけ回されたらしい。
擬態していたのでリーエンベルクに騒ぎを持ち込むことはないというが、それでもとても怖かったので一人ではいられず、騎士棟に避難してきているそうだ。
「まぁ、困ったノアですね。だから昨晩も、どこかそわそわしていたのですか?」
「ありゃ、気付かれてたか。でも、あのお酒を飲んだお陰で少しだけ落ち着いたんだよ。とは言え、騎士棟にいるなら働けってヒルドにこき使われているけどね」
「ふふ。でもノアは、そんなヒルドさんが大好きですものね」
(怖い女性がいるのかもしれないけれど、今日はヒルドさんの側にいたいのかな………)
夏至祭の前日である今日は、ヒルドが生まれた日だ。
同時に彼の家族の命日でもあるこの日は、ノアからすると、大切な友人が心配な日でもあるのだろう。
ディノやアルテアもそうだが、魔物は己の心を傾けた者には何かと過保護な生き物なのだ。
(ゼノ曰く、ザルツの伯爵さん達のところにいたアルテアさんは、その計画をある程度のところで頓挫させるつもりだったみたいだし…………)
アルテアは、グラストが狙われていると考えていたのだそうだ。
グラストはゼノーシュの領域のひとだが、それでも自分に近しいものとして彼を気にかけてくれたことが、ネアは何だか嬉しかった。
(去年の夏至祭の時もちょっと家族だったけど、今年はアルテアさんもぐっと近くなったな…………)
呑気にそんな事を考えていたから、事故は起きたのだろう。
「そう言えばネア、花輪の塔の仕上げが思ってたより早く済むって騎士達が話してたよ」
「なぬ?!し、仕上げを見に行くのです!急いで広場の見えるところに移動しますね!!」
「おい……!」
騎士棟の入り口のところでノア達と別れる時に、そんなことを知らされたネアはとても焦った。
風のような速さで現場に駆けつけるべく、しゅばっと駆け出して階段を飛び降りたところで、事件は起こった。
ぎょっとしたようなアルテアの声に立ち止まろうとした瞬間、視界が灰色に煙ったのだ。
「ネア!」
「む?…………むぎゃ?!」
ざざんと、激しい土砂降りの雨が降り注いだ時、ネアはちょうど屋根のないところにいた。
慌てたディノが結界を張ろうとしてくれたのだが、ネアが思っていたよりも素早く動いてしまったらしく、それも間に合わなかったのだ。
「………………むぎゅるるる」
ずぶ濡れで雨の中に立ったネアを、ディノが慌てて持ち上げる。
「可哀想に、すぐに乾かしてあげるよ」
「花輪の塔の仕上げの直後の雨は、確か布告の雨だったな。夏至祭のあわいの者達からの宣戦布告を、無事に受け取れたようじゃないか」
「むぐる!!…………おのれ、この恨みは忘れません。明日の夏至祭で悪いやつがいたら、慈悲なく殲滅するのです!」
「ご主人様……………」
「わーお…………」
怒りの収まらなかった人間は、その日の夜、明日は倒し甲斐のある邪悪な敵に巡り会えますようにと星に祈っておいた。