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青い垂れ幕と音楽の妖精 2




ザルツの老舗楽器屋には、有名な楽器の妖精が住んでいる。


勿論個人所蔵の楽器や、音楽院保管の貴重な楽器にも妖精がいるのだとは思うが、観光客が楽器妖精の目覚めを見ることが出来るのは、ヴァルツァーの楽器店だけなのだ。


ネアとディノは駆け込みセーフで開店に間に合い、わくわくどきどきとお店の扉が開くのを見守っている、五人程の観光客達の隙間から無事にその瞬間を見ることが出来た。


二人の店員さんが出てきて、ぎぎっとお店の扉が開く。



「………………ふぁ」



ネアは美しい妖精達にそれしか言えず、古めかしい木の扉を開いたその先に並ぶ、博物館などの展示ケースのような特殊なお部屋に飾られた楽器の傍らで、くあっと欠伸をしたり、大きく翼を広げる楽器妖精達を夢中で眺めた。



バイオリンの妖精は、見事な鬣の琥珀色の獅子だ。

ふわふわとした毛先には青白い光が宿り、鮮やかな青い瞳が美しい。

フルートには星屑のような光をこぼす青い小鳥がいて、んぐぐっとちびこい翼を広げて伸びをしている。

オーボエにいるのは漆黒の優美なコヨーテのような生き物で、水の滴のようなものを纏っていて、きらきらと陽光に光っていた。



「あのオーボエの妖精は、随分と高齢のようだね」

「なんて綺麗な子なんでしょう!ちょっと流し目なのが色っぽくて、あのオーボエを演奏出来る方は、きっとめろめろになってしまいますね」


そんなネアの声が聞こえたものか、オーボエの妖精は胸を張って尻尾をくりんと揺らして見せる。

奥にも一挺バイオリンがあって、そちらの妖精は優美な手乗りサイズの牡鹿の姿をしていた。



「は!…………み、見て下さい。あのピッコロの妖精さんは、ちび栗鼠です」

「…………小さいものなんだね」

「ちびまろに匹敵するちびこさで、胸がきゅっとなりますね」

「ネアが浮気する…………」



ピッコロの妖精は、親指の先っぽ程の大きさの愛くるしい栗鼠だった。

ててっと展示ケースの中を走り回り、尻尾をふりんとさせてからしゅわりと消える。



「ほわ、もう………」

「朝陽を浴びきったのだろう」


ネアはあまり長く見ていられずにがっかりしたが、この楽器の妖精達の姿が見えるのは、店仕舞いの後から、この開店と同時に扉を開けた直後だけなのだ。

陽光をたっぷり浴びて、妖精姿で夜を過ごした後に仮眠を取っていた妖精達は、すぐに楽器に戻って眠りについてしまう。



一瞬だけのものであるので、ネアは少し観光の開始が遅くなっても構わないと、あえて十時開店のこの楽器店を最初の目的地にしたのであった。



(獅子さんは大好きだし、栗鼠妖精さんが可愛かったけれど、やっぱりオーボエの妖精さんが綺麗だったな……)



すっかり満足したネアは、ここだけで売られている、この楽器妖精達の絵の入ったお土産ポストカードを買う。


絵柄となると意外に素敵なのが、フルートと小鳥のデザインだ。

ネアは悩みに悩んで二枚に絞ったのだが、何でも揃える系の魔物が、ネアがふるい落とした獅子と栗鼠、雄鹿のカードも追加購入してくれた。



「むぐぅ。………贅沢をしてしまいました」

「あのアルバムに入れるなら、これで五枚並べて入れられるよ」


こうして旅先で買うポストカードは種類が増えてきたので、ディノと共用で旅先の記念になるチケットの半券などをスクラップしているものと合わせ、ポストカードアルバムを作ることにした。


あのアルバムのポケットは一頁五個なので、素敵なポストカードが五枚並ぶと考え、ネアはほくほくと戦利品を抱き締める。



「偶然ですが、店主さんが竜さんの尻尾を引っこ抜くところも見れて、楽しかったですね!」

「…………ああして弓を作るのだね」

「楽譜竜さんの尻尾の毛だと、あれこれ手を加えずにそのまま弓に加工出来るのだと、初めて知りました」



開店直後、尻尾の毛を売りに来た楽譜竜がいた。


楽譜竜は馬くらいの大きさの二足歩行する灰色の竜で、見事な長い毛を持つ尻尾からは、素晴らしい弓が作られる。


弦楽器の奏者達は、最終的にはみんな楽譜竜の尻尾の毛を使った弓で演奏したいそうで、そうなると、尻尾の毛を提供する楽譜竜達も大変なのだろう。

尻尾禿げ防止の為に一年に五本までしか採取出来ず、尻尾の毛を抜かれた楽譜竜はみゃっと声を上げて痛みに耐えていた。


(でも演奏会大好きでチケット代で散財してしまうらしくて、楽譜竜さん達は、尻尾の毛を売って生計を立てているのだとか………)


なので、一年に五本までという厳しい規則は、尻尾の毛を全部売り払ってしまわないようにと楽譜竜に向けた規則でもある。



(楽譜竜さんを見れるとは思わなかった!)


いい旅の思い出が出来たとほくほくしながら歩いていたネアが隣の魔物を見上げると、ディノがこちらを見下ろしてふわりとネアの頭を撫でてくれた。

ご主人様がうきうきと弾みながら歩いていたので、ディノはそれが嬉しいらしい。



「次は動物園かな。……………ネア、あの向こうに見えるのが観衆の橋だよ」



近くにあった大きな教会をほえーと仰け反って見上げていたネアが言われた方を見ると、確かに立派な橋が見えた。


川の色が渋めの澄んだ青緑なので、少しトーンが暗めの灰茶色の石造りの橋は、景観を引き締め、しなやかな美しさを感じさせた。


緩やかなアーチ状になっていて、歩行者だけではなく大型の馬車なども通れる広さの大きな橋だ。



「綺麗で立派な橋ですね。……何というか、美しいけれど骨董屋さんや古本屋さんのような、どこか雑多な温もりもあって………。入口のところに立っている石像は、雪喰い鳥さんですか?」

「箒の魔物だね。尻尾があるだろう?」

「なぬ。またしても箒の魔物さんです。…………それと、偉人だと思われる礼服の男性の方の石像の足元に、パンの魔物さんらしき石像があります」

「……………何で作ったのかな」

「石像になってしまうということは、この街に貢献したのかもしれませんね…………」



川のこちら側には大聖堂や小さな教会群があるのだが、ネア達はそこには立ち寄らずに川を渡って動物園に行くことにしていた。


外観だけでも見事な建築なのでささっと中を覗けるといいのだが、こちらの世界の教会や聖堂は、実際に信仰の要所となっているところである。

そこに住む人外者達もいるので、事前に見学申請を出してからでないと気安く入れない。なので、今回は見送ることにしたのだ。



(周囲に教会が多いからか、とても空気が澄んでいて気持ちのいい道だけど、魔物さんは苦手だったりするのかしら………?)



そう考えているとこちらを見たので、そのままのことを尋ねてみた。



「私は平気だけど、確かに教会の領域を苦手とする魔物も多いよ。人間の文化圏を住処としない妖精達は特に嫌う。このように森や渓谷に囲まれた大きな都市では、必然的に一箇所に生き物が集まってしまう。あえてそのような場所を設けておくものだ」

「ふむふむ。あまり近過ぎても良くないので、お互いが離れていられる場所も必要なのですね」



そんな教会や大聖堂の佇まいを見上げながら歩道を歩き、最後の階段を降りたところにあるのが対岸に渡る大きな橋だ。


いよいよ橋の両サイドに並んだ石像が良く見えるようになるのだが、橋の束柱などの部分を台座にした石像ではなく、高欄の内側にどしどしと並べてしまっているのは驚きであった。

それなりに幅を取るので、カムス橋の橋幅は制作時の四分の一くらいになってしまっている。



「ネア、三つ編みを握っておいで」

「むむぅ。この橋は、やはり危険なのでしょうか?」

「ここにはね、橋の魔物が住んでいるんだ。君が浮気をするといけないからね」

「なぬ。私は旅先での火遊びはしない、立派な淑女ですよ?」

「けれど、毛の沢山ある生き物が好きだろう?」

「…………や、やはり、毛皮生物なのですか?」

「浮気…………」



ここで出発前に気になった橋の魔物について尋ねてみると、この橋に住む橋の魔物は、一つ目の模様のある三角帽子を目深にかぶった人型の男性なのだそうだ。

川の上流の方に見えるもう一本の橋には、同じような装いの女性の魔物が住んでいるらしいが、それぞれどのあたりが毛皮生物なのかを、ディノは頑なに黙秘した。



女性の方は爵位なしだが、男性の橋の魔物は伯爵で、気軽に人を呪いその呪いをさも親切で手を貸してやるようなふりをして解いてやるという、ややこしい悪さを好むらしい。


結果、誰にも解けないと言われた呪いが解けたと信仰を集め、橋の中央には橋の魔物を祀る為の小さな祠がある。



(思ってたよりも、石像がたくさんあるんだわ。…………妖精さんに、獣の姿をした何か。竜さんに角のある髪の長い女性、あの錫杖を持った短い髪の男性は誰だろう…………)



石像はどれも柔らかな肌の質感まで表現した素晴らしい意匠のもので、ネアは橋の中央にさしかかったところで、橋の魔物の祠のところに立ち、ディノに深々とお辞儀をした三角帽子の影を見たような気がした。


観光地などでは橋のたもとなどによくいる物売りの姿がないのは、この橋そのものが信仰の対象だからなのだろう。




「ディノ、少しだけいいですか?」

「川の中を見たいのかい?」

「はい。森があるとなれば、是非に見てみたいのです」


しっかりとした橋の欄干からは下を覗けず、川の中を見られなかったネアは、橋を渡りきったところでしゅばっと川沿いに駆け寄り、大きな川をじっくりと観察する。

こちらからであれば、光の反射なく川底を覗けるのだ。



「ネア、落ちないように捕まえるよ」

「む。拘束が発生しました…………。そして、ディノに教えて貰った通り、川の中に森があります!」

「うん。この時期は水量が多いけれど、夏の後半になるともっとよく見えるそうだよ」

「ふふ。何だかこうして川を見ているだけでも素敵ですね。ディノが捕まえていてくれるので、ぼしゃんと落ちてしまいませんし」

「ご主人様を川に落としたりはしない………」



思っていたよりもずっと深い川のようだ。

水底にはまるで森のように木が生えていて、確かにお家のようなものがちらほらと見える。

この川底で生活している人型の者達がいるということには馴染まなかったが、迂闊に半魚人がいたりするよりは、断然、川底に移住した森の妖精の方が素敵な生き物に違いない。



その時、芳しい香りがどこからともなく吹いて来た。

視線をそちらに向けると、風に散った花びらが遠くに見える。



(薔薇の香りだわ………)



そう言えば、ザルツの離宮には見事な薔薇の庭園があるのだそうだ。

ネアはそこからの風だろうかと考えて顔を上げると、先程も見上げた美しい離宮の三つの塔を眺める。



(標本箱は、もう購入したのかしら………?)



あの芽吹きの祝福の中で見たザルツ伯爵は、幸いにも今は、王都での会議に出ているところだ。


王都で行われているのは、数カ国が参加する音楽と教育に関するシンポジウムのようなもので、有名な音楽院のあるザルツ伯が出席するのは当然と言えた。

なぜザルツ伯の方かと言えば、趣味人であるノッケル伯爵より、ザルツ伯の方が弁が立つからなのだとか。


ネアは、ほんの少しだけ、早々に直接対面してしまい、くしゃりと捻り潰してしまいたい欲求にも駆られたのだが、今日は調査と観光と割り切り、目的の動物園に向かう事にした。


よいしょと立ち上がってお腹の部分に腕を回してご主人様を拘束していた魔物を振り返れば、少しだけ気遣わし気にこちらを見たディノがいる。



「ネア、………やはり不安かい?」

「あら、ディノに心配されてしまうような顔をしていました?」

「少しだけ困ったような目をしたからね。君を悩ませるものなら、私がザルツ伯と話してみようか」

「いえ。……どうやら懲りない方でもあるようなので、ディノのことは、出来ればその方が持っている情報以上のものを与えたくないのです。ですのでやはり、あちらが行動を起こしてからにしましょう」

「…………無理をしていないね?」



そう重ねて尋ねてしまうのは、優しい魔物だ。


ネアは微笑んで頷くと、そんな魔物の三つ編みをしっかりと握った。

要求外のところで三つ編みをしっかり持って貰ったので、ディノは唇の端を持ち上げて、嬉しそうに口元をむずむずさせる。



「はい。特に今回は、目先の楽しみに溺れる所存です!動物園を見たら美味しい昼食をいただきますし、また街を観光して美味しいケーキも食べます。その後は本日のお宿なノアのお屋敷に行き、少し休憩したら夜は音楽鑑賞に有名な街の庶民派レストランで美味しい晩餐という大忙しですから、楽しいこと以外を詰め込む余裕は殆どありませんね」

「良かった。不安に思うことがあれば、私に言うんだよ」

「はい。頼もしい魔物が隣にいるので、安心して観光が出来ますね」

「頼もしい…………」

「なぬ。なぜに弱ってしまうのだ」




川沿いから街中に入る階段を上がり、いよいよネア達は、ザルツの離宮側にある街の中心に入った。


この橋のたもとより正面に広がるのは、修道院と深く豊かなザルツの森だが、その森の左手にある街中に向かう道を歩いていると、周囲はあっという間に賑やかな街になる。

様々な看板が立ち並び、商店主などが行き交う大通りは噂に聞いたザルツそのものの賑わいだった。



「塩のお店がたくさんありますね………」

「シュタルトから採掘された塩を、ウィームからの交易路に乗せるのはザルツなのだろうね」

「もしかしたら、だからノアのお屋敷もあるのでしょうか?」

「そうかもしれない。けれど、城を作ったりはしていないから、土地としてはシュタルトの方が気に入っているのだろう」



街角には美しい花が咲き、噴水からはきらきらと光る水飛沫が上がる。

面白そうなお店や、美味しそうな食べ物のお店も多い。

ネアはあちこちに目移りしながらではあるが、きょろきょろするだけで寄り道を我慢した。


まずは動物園に行くのだと必死に自分に言い聞かせ、時折あまりにも可愛い小物などが売っているお店の前で小さく唸った。



「ネア、寄りたいのなら寄ってゆくかい?」

「むぐる…………。赤ちゃん雪豹が、午後になるとお腹がぷくぷくになって寝てしまうのです。起きている間に見に行かねばなので、ここは我慢して明日の散策時間に………ほわ、これは何でしょう?」

「塩の結晶石を細工して装飾品にしたものだね。こういうものが欲しいなら、ノアベルトに頼むといいよ。塩の結晶石にも質がある。これは、………悪くはないだろうけれど、特にいいものでもなさそうだからね」

「きらきらしている乳白色の石の中に、青っぽい色が見えて綺麗ですね。今度何かをお強請りしても良さそうな時にお願いしてみますね」


竜胆の彫刻が美しい飴色の木の扉のお店のショウウィンドウには、青い織物の上に美しい宝飾品が飾られている。

塩の結晶石を使った小さなロケットに繊細なお花の模様を透かし彫りにしてあるのだが、モチーフになっている花の種類が多く、沢山のものがずらりと並んでいるので、思わず立ち止まってしまった。



(……………エーデリアの花のものがある。今度、エーダリア様用にノアにお願いしてみようかな………。買い取りだと受け取ってくれない気がするから、狐さん特別ケアパックを何日か分で支払いにして……)



その場合、塩の結晶石にこのような繊細な彫り加工をするのは誰になるのか分らないが、このお店の職人さんにオーダーしてもいいのだろうか。


問題にしている相手はこの土地の有力者なので、どこでどんな繋がりがあるのか分からない。

出来れば不安要因のあるザルツは避けて、エーダリアが持っても安全な品物を作れる職人がいるといいのだが。


一瞬、ヒルドにもいいかなと思ってしまったが、実は訳あってこっそりヒルドに用意している贈り物があり、それは別のものにしたので、またイブメリアの頃にしよう。




(それにしても………)



「…………ディノ、ザルツの街は、背の高い建物が多いですね。道沿いの建物はほとんどが五階くらいまでありますし、あちこちに高い塔のようなものが見えます」

「都市の規模に対して、平面の土地が少ないからかもしれないね。確か、塔が多いのは、塔の形をした建築は規定の建築のものに限り、税金が少し免除されるからじゃないかな」

「むむ。と言うことは、何か塔が多いと便利なことがあるのかもしれませんね」

「何だろうね…………」



ディノもその理由までは知らないようなので、リーエンベルクに帰ったらヒルドに聞いてみようと、ネアは心の中に書き留めておくようにする。

魔物達のようにはいかないが、多くの知識を溜め込んでおくと何かと便利な場合がある。

疑問に思ったことは、きちんと答えを得ておきたいと思ったのだ。



そこから大通りを川と並行に真っ直ぐ歩き、離宮の三本前の道を右に曲がると、お目当ての動物園が見えてきた。




「ディノ、動物園を見付けました!」



額縁みたいに装飾的な門は、彫刻の美しい薔薇色の大理石のようなもので出来ていて、そこに重厚な木の門を差しこむ形で動物園の入り口を象っている。

美しいけれどあたたかみのあるその入り口に、ネアはついつい喜びに弾んでしまった。


「……………弾んでる。かわいい…………」

「見て下さい!門の両脇に不思議な木があります。あの水色の木はなんなのでしょう?」

「川結晶の木だね。川の庇護や祝福があのような形に育つものだ。本来は川底に出来るものだけれど、誰かがあの場所に移動させたのかな」



動物園を囲む煉瓦の壁は、門に使われているのと同じような薔薇色の色味の焼き煉瓦だ。

そこに蔓薔薇が絡み、可愛らしい黄色い花を咲かせているのが何とも楽しい雰囲気だった。

入口部分の石畳も、色とりどりの動物達が楽しく遊んでいるモザイク画になっていて、入る前からわくわくしてしまうではないか。



「まずは、ノアに貰った入場券を入口で切って貰いましょうね」

「これを切ってしまうのかい?」

「ええ。入場券の一部に切符のようにパチリと切れ込みを入れて貰い、入場済の印にするんです。…………もしや、入り口の係員さんは狐耳でしょうか…………」

「ネア、私が入場券を渡してこよう。君は三つ編みを持って私の後ろにいるんだよ」

「なぬ、私もあの狐耳の女性の方をもっと近くで見たいです」

「危ないから下がっていようか。君は、毛が多い生き物にすぐ浮気をしてしまうだろう?」

「同性の方なのです…………」



ネアは、荒ぶった魔物により入場券を入口の係員に渡せないという仕打ちを受け、ディノの後ろからびょいんと弾んで狐耳の可愛いお嬢さんを見ようと頑張ったが、あまり見えず落胆したまま動物園に入場した。



「ネア、雪豹の区画はこちらのようだよ」

「………………狐耳の素敵なお嬢さんでした…………」

「ご主人様……………」



まだ入場口の係員に未練のあるネアは悲しい目をして魔物をはらはらさせていたが、入り口近くにすぐに燃える鳥がいたので目を丸くして立ち止まった。


火の鳥と言えば確かに異世界の必須幻獣といっても過言ではないが、こんなに小柄な火の鳥を見るのは初めてだったのだ。


慌てて魔物の三つ編みをぐいぐい引っ張り、煌々と燃えている鳥の方に体を向けさせた。



「ディノ、…………鳥さんが燃えています」

「火の系譜の松明鳥だね。古い時代からいる精霊だよ」

「………私の世界でも火の鳥というものは考えられていたのですが、こんな風に小鳥さんが暗い目をしてぼうぼう燃えている姿は想像しませんでした…………」

「松明鳥は温和な鳥だけれど、松明がないところでは生きてゆくのが難しいんだ。それでなのかな……」



確かに四メートル四方くらいの大きな鳥籠の中には松明が何本か燃やされており、汗だくの飼育員が古い松明を片付けていた。


籠の前の説明書きを読めば、松明鳥は自分の体を燃やす火で獲物を上手に焼いて食べるそうだが、この籠に入っている赤君は、獲物を燃やすのが下手で消し炭にしてしまうのだとか。

このままでは炭しか食べられず餓死してしまうので、動物園で保護されたらしい。



「…………あかくん?」

「どうしてその名前にしたんだろうね…………」



赤く燃えているから赤君なのかなとネアは思ったが、名前を呼ばれた途端に赤君がとても不愉快そうに目を細めたので、恐らくではあるが、この名前はお気に召していないようだ。

あの暗い眼差しの理由は、獲物を上手く食べられないからか、あんまりな名付けのせいかもしれない。



ネア達は暗い目の松明鳥の籠の横を通り、隣の籠に住む岩鷲を鑑賞した。

置物のような見事な岩の鷲だが、生きているので目がぎょろりと動く。

赤君のいる方の籠の左側に近付くと、むがっという顔をしてまた右側に逃げてゆくので明らかに居住区のそちら側が熱くなっていて嫌なのだろう。



「………松明鳥さん側が蒸し暑くて嫌そうですね」

「………うん。水の壁を置いてあげればいいのではないかな」

「岩鷲さん…………」


ここもまた何となく悲しい気持ちになるのでそそくさと通り過ぎ、ネアは花鳥の展示スペースでおおっと目を瞠った。



(きれい…………)



花鳥は花に擬態している小さな鳥なのだが、ここにいるのはザルツ近郊ではたまたまその年だけ咲いたブーゲンビリアの花鳥なのだそうだ。


その年はたまたま異常気象で、ザルツでもブーゲンビリアが咲いてしまい、花鳥が派生してしまったのだが、冬前にそのブーゲンビリアが枯れかけてしまった。

渡りをするにもブーゲンビリアの咲く土地までの距離が遠すぎると動揺した花鳥達が、近所の住人に保護を求めて来たらしい。


花鳥は小さな生き物なので、こちらは籠のようなものではなく、大きな硝子ケースのような展示室になっていて、見事なブーゲンビリアの茂みが魔術で気温調整をされて素晴らしい花を咲かせている。

南国めいた濃いピンク色の花の周囲には、同じような色のくしゃくしゃっとした鳥というよりは花びらのような生き物がたくさん飛び交っていた。


水浴びをしたり、お花の間をくぐって遊んだりしながら、賑やかにチュイチュイ鳴いているのだが、その何とも可愛い鳴き声に、ネアだけではなく他の来園者達も微笑んで眺めている。


近付いてみると花鳥の方も興味津々なのか、ぶーんと飛んできてチュイと鳴く。


ディノが展示室に近寄ると、たくさんの花鳥達が興奮気味に集まってきたので、ディノは少し怖かったようだ。

びゃっとネアの背中に隠れてしまい、その後ろから恐る恐る大興奮の花鳥を見ている。



「ふふ、ディノは大人気ですね」

「…………すごい集まってきたね」

「…………確かに、思っていた数の五倍くらいいますね………集合物が苦手な方には、少し辛いかもしれません」



(入口近くは鳥さんなのだろうか………)


そう考えながら、風鴉や青駝鳥などを見ながらまた少し歩くと、今度は小動物の展示スペースになってきたようだ。




「……………長毛ムグリス」


次にいたのは、特別変異体で頭頂部の毛が長く伸びすぎてしまい、自然界で生きてゆくのが難しくなったムグリスだった。

足下までのウェーブヘアーを靡かせ、どこか気取った足取りで止まり木のような枝の上を歩いている。


「…………ご主人様」

「三つ編みを持ち直させずとも、私の一番のムグリスは、ムグリスディノです。確かに三つ編みのし甲斐のありそうな長髪ですが、こちらのムグリスに浮気をしたりはしませんからね?」

「………………ネア、ほら、隣には君の好きな狐がいるようだよ」

「平ぺたな狐さんですか?!」



言葉巧みに隣の展示室に誘導されたネアは、念願の平ぺた狐の触れ合いコーナーに出た。


ここは、砂地を模した展示室で、ヒラメのように砂に隠れて寝るのが大好きな平ぺた狐が住んでいる。

置いてある籠に入って売っている小さな林檎を購入すれば、展示室の中に入って平ぺた狐に林檎をあげることが出来るのだ。



「ディノ、林檎を買うので狐さんにあげてみますね!」

「この餌は、魔術の繋ぎを切るようになっているのかな………」

「多少の縁が出来ても、所詮あやつは動物園の子です。住む世界が違うので大丈夫なのでは…………」


ネアはそう考えてしまうのだが、ディノはしっかりと魔術の縁を切ってくれたようだ。

ネアは林檎を手にいそいそと触れ合いコーナーに入り、少しだけ荒ぶっている魔物にへばりつかれながら、砂地に林檎を置いてみた。



踏み潰してしまわないよう、平ぺた狐の居住区には入れないようになっているので、来園者が入ってもいいところで林檎を置き、狐達が出てくるのを待つのだ。



「ムキュイ」


すぐに、一匹の平ぺた狐が、小さなお鼻を砂の中から突き出し、ふんふんと嗅ぎ始めた。

ずぼっと砂の中から出てくると、ふよふよと飛んで触れ合いコーナーまでやって来て、思っていたよりもずっと平べったいことに動揺しているネアの爪先にちょいと触れる。


それが林檎へのお礼であったらしく、今度はふよふよと林檎の方まで漂ってゆき、次の瞬間、恐ろしい獰猛さでぐあっと広がり林檎を包んでしまうと、ぼりぼりと激しい音を立てて林檎を食い荒らし始めた。



「ぎゃ!」

「………広がるんだね」

「…………ほぎゅ。あの可愛いお顔は、お顔ではないのでしょうか?明らかに腹部と思われるところで、ぼりぼり林檎を食べています………………ディノ?」



返答がないのでネアが振り返ると、ディノは困惑に目を瞠ったまま、青ざめて平ぺた狐を見ている。

ネアが慌てて三つ編みを引っ張ると我に返ったのか、怯えたようにネアの羽織ものになってきた。


「ごめんなさい、ディノ。すっかり怯えてしまいましたね。ここから出ましょうか」

「……………うん」



林檎を買ってまで触れ合いコーナーに入った手前、自分が怖いことは内緒なネアは、巧妙にディノの為にここから離脱するのだという風を装って、素早く触れ合いコーナーを後にした。




(今のところ、ディノがしょんぼりする動物しか出てきてない!)



せっかく一緒に楽しもうと思っていたので、ネアは早期に雪豹のお部屋に辿り着けるよう、園内マップを広げてみた。


絵本のような可愛いイラストの園内マップには、色々な動物の絵が描かれている。

お目当ての一つのムンムンは、出口に近いところなので順路的には最後になるだろうか。



ネアが指で辿っている地図を、ディノも真剣に見ており、中央付近にいるらしいパン狼という生き物がとても気になるようだ。

ネアもその生き物はとても気になるのだが、今回の平ぺた狐のように心を抉る系の生き物だといけないので、是非に一度、普通に愛くるしい雪豹を挟んでからにしよう。



(…………良かった。案外近いみたい)



ここが触れ合いコーナーなので、後はふわふわもこもこな兎系統の生き物の区画を過ぎれば、お待ちかねの雪豹舎だ。

若干、肉食獣の隣に兎というのは大丈夫だろうかと不安になるが、そこは異世界の兎なので大丈夫だと思いたい。



「ディノ、兎さんを見たらいよいよの雪豹さんです!」

「もう、腹部で林檎を食べたりはしないかな…………」

「う、兎さんを信じましょう……………」

「うん…………」




二人は世界の優しさを信じることにして、兎区画に踏み込んだ。






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