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書架妖精の懸念




同僚が恋をした。


いや、言い換えよう。

同僚が犯罪者になるかもしれない。



その懸念を友人に伝えると、仮にも近しい同僚ならば、心して止めろと言われた。

面倒臭い。



でも、仕事と子育てばかりしていた彼にはさして友達もいないので、こちらの領域に仕事で来た後に、何やらだらだらと居残られてしまう。

いつもならあれこれちょっかいを出すのだが、ダリルは、楽しいことと面倒事は、きちんと別のものとして区別をしている。



「………ご機嫌だね、ヒルド」


「さて、どうでしょうね。調べ物の邪魔ですよ」


書架を漁る彼の真横に立ったので、邪険に扱われた。

邪魔だというなら、その羽を光らせないで欲しい。

普段はしっかり律せているのだから、ここでも何事もないように取り繕えないものか。



「なに、ネアちゃんと上手くいってるの?」


契約している魔物がいる限りそんなことはないけど、社交辞令でそう問いかけてみたら。


「羽を交わしたので、庇護は与えています」



「ふーん。……はい?」



想定外な言葉が返されて、一瞬聞き流しそうになってしまう。

因みに羽を交わすとは、求婚に対する返答をしたということだ。



「どうしてそうなったんだ?怖っ!」


「夜の盃のときに少しありましてね」


「いや、夜の盃のときなら、ヒルド泥酔してんじゃん!まさか、泥酔して求婚されて、泥酔して求婚に応えたの?」


面白いという枠を超えて斬新過ぎる。

ヒルドは、つつき回して遊ぶのが楽しいのに、少し放任していたら随分と変わってしまった。


「うわぁ、狂気的だねぇ」


「ダリル………。応えた時は酔いは覚めかけていましたし、しっかり己の意思で行なっておりますよ」


「え、じゃあ番いにすんの?」


馬鹿じゃないのか。

白い魔物に殺されるだろう。


「しませんよ。彼女には、羽を交わすとは言え、庇護を与えただけですから」


「ん?それって、羽を交わしておいて、庇護を与えただけなの?」


「本気で逃げられるようなことをするわけがないでしょう」


「いや寧ろ、本気で逃さないつもりで死ぬ程怖いからね!」


言いながら、少しだけ訝しく思った。

彼が、言うような中途半端な庇護を、内羽に触れた相手に与えるのだろうか。


(わざわざ、もう一度触れさせておいて?)


「よくネアちゃんも了承したね?」


「彼女は、羽に触れただけですからね」


(騙し討ちかい…………)


それはもう、確固たる意思ではないか。

それを請い、彼女を騙して自分へ求婚させたのだ。

何も知らない乙女に求婚の口付けを無理矢理させるような奴が、庇護を与えただけなんて薄っぺらい繋がり方で満足するだろうか。



そう考えて、適当な微笑みを浮かべながら背筋が寒くなったのを誤魔化した。



(うっわ、怖っ!絶対婚約させてるだろう?!)



そう言わないことが、せめてものヒルドの矜持なのだろうか。

この容姿で隷属の立場だったのだから、王宮ではそれなりに色事の経験を積んだだろう。

と言うか、本人の意思に関係なく積まざるを得なかっただろう。



しかし、本物の心を動かしてこなかったのなら、これは多分彼の久方ぶりの真剣な恋なのだ。

長年色事と縁のなかった男なので、走り出し方がかなり怖い。


そう考えかけて、あの歌乞いの周りに居る彼女の心を望む男達は、みんなそんなものだと気付いてしまった。



(ネアちゃんってばあんな大人しそうな感じで、変態を呼ぶ何かを出してるんだな……)



望む望まざるにかかわらず、どうもある種の者に好かれやすい素質というものがある。

きっと彼女はその類なのだろう。


明らかに本人の嗜好とは違いそうなので、若干不憫になった。

これでエーダリアが加われば、最悪の展開図だ。


「馬鹿王子の元婚約者でいいの?」


「エーダリア様にもそれとなく確認しましたが、あの方がネア様に向ける感情は、恋情のそれとは違うようですね」


「うーん、ならいいのか?いや、いいのかな?!」



(ま、ヒルドがないっていうなら、エーダリアは違うんだろうな)


恋をした妖精の勘は鋭い。

以前、白い魔物の術式に反応したと聞いているが、魔物の術式に反応があったとは言え、魔物は所詮人間という生き物の心を正しくは測れない。

エーダリアがネアに抱くのは、きっと恋情とは違う種の好意なのだ。



(つまらないなぁ。エーダリアも流行りに乗れば良かったのに)



そんな無責任なことを考えつつ、ダリルは、正面の、どこか嫌な吹っ切れ方をした同僚を半眼で見つめた。


「ヒルドが悪賢いのは知ってるけどさ、くれぐれも本人の同意なしに手は出さない方がいいよ?」


「しませんよ。貴方じゃあるまいし」


「さすがにそっちの悪戯はしないって」




妖精の婚姻は、とても簡単だ。

内羽に触れ求婚し、内羽に触れさせてその求婚に応える。

ここまでを、人間で言うところの婚約とする。


それ以降にお互いが内羽に触れても、それはもう儀式としての意味は持たない。

外野には鬱陶しい、ただの恋人達の愛撫の一環だ。


つまり、ヒルドは生涯でただ一度の権利を、あの少女に手渡してしまっている。

知らない間に婚約者がいるのだから、彼女的には詐欺に遭ったようだが、ヒルドの方も相当のものを手放しているのだ。



これでただの守護だけなど、信じられる訳もない。



よくあの白い魔物がそれを許したものだ。



(魔物は、あれだけ残酷な性のくせに、案外純情だからなぁ)


まさか妖精が、そんな陰湿な繋がり方をしてくるとは思ってもいないのだろうか。

少し前までの魔物の恋人を思い出して、ダリルはその可能性が高いと踏んだ。


たったこれだけの触れ合いから悦びを盗み取られているとは知らずに、この程度だからと大目に見てしまっているのだろう。



(だからどうか、暴走して本物の番いにしようとなんてするなよ……)



妖精が婚約した相手を番いにするには、何の捻りもなくただ相手を自分のものにする必要がある。


ある意味原始的でわかりやすい愛情の形だが、同意なしに行えば混じり気のない犯罪だ。



(さすがに大丈夫だと信じたいけど……)



「そう言えばヒルドって、片羽が最後にいたのはいつ?」


「どういう意図の質問か知りませんが、私はそういう相手は特に作ってきませんでしたよ。色々と制約の多い出自でしたからね」


「……怖っ!」


「ダリル、どういう意味でしょうか」



色事そのものの経験がないと勘違いしたのかとヒルドは不愉快そうだが、それよりも遥かに拗れていそうだとダリルは思う。



(六百歳で、初めての恋か。恐ろしいな……)



近々リーエンベルクに行って、あの歌乞いに、ヒルドと不用意に密室で二人にならないように注意喚起してやろうとダリルは思った。

さすがに、ヒルドを犯罪者にはしたくない。


(出された飲み物も、決して安易に飲まないように言い含めよう)



あの様子なら、酒でも勧められたら弱そうだ。

心配になって、珍しく憂鬱な気持ちになった。



「ヒルドは陰険そうだからなあ〜」


「聞こえてますよ、ダリル」


「っていうか、この裏幕がバレたら、ヒルドは確実にネアちゃんに嫌われるよね」


「…………でしょうね」



見事な程に落ち込んだ。

これは面白い。


「下手すれば、二度と口利いてくれないよ」


「………そこはまぁ、上手くやりますよ」


「上手くやりますよじゃなくてさ、自重しますって言えってば」


「ダリルに言われたくありませんね」



とりあえず羽が光らなくなったので、少し離れて閲覧用のテーブルに座って観察した。

この前の髪結いも言っていたが、羽の付け根が色付いている。

恋人や伴侶に出会った妖精だけの特徴だ。



「なんかさ、………本気で落ちたんだね」



しみじみとそう言ったら、無言で頭を抱えられてしまった。

こんなに腹黒いくせに、好意そのものをいじられるのは苦手なのか。

純情過ぎて怖い。



「でもあの子、魔物のこと大好きだよ?」


「ええ。そこをどうにかしようとは元より思っていませんよ」



涼しい顔で答えたので、確かにそこまでは望んでいないようだ。

隠し持つ本音がある場合、ヒルドはもう少し分かりやすい。



「………愛人か」


「庇護だけだと言ったでしょう」


「で、どうやって欲求に足りる分だけ掠め取るの?覗き?意識がないときに悪戯する?こっそり触る?」


「私を何だと思ってるんだ……」



羽がぞろりと光ったので、真剣に怒ったらしい。

怒ったということは、まだ大丈夫だ。

これでこのような揶揄に、頭を抱えたり目を逸らしたりしたら、ヒルドが犯罪者に堕ちたということになる。



「今気付いたけど、ヒルドが読んでるの薬の書じゃん!」


「夜の盃の汎用性を考えているんですよ」


「ネアちゃんの意識をどうこうする手段じゃなくて?」


「………ダリル」





あまりにも心配だったので、その翌日にはリーエンベルクに押し掛けた。

顔を引攣らせるエーダリアから借りて、別室で注意喚起に入った。



「最近ヒルドが欲望に忠実過ぎてさ……」



そう切り出すと、何故か彼女は頭を下げた。



「存じております。きっと、うちの魔物から悪い影響を受けたのかもしれません。ご友人を変態にしてしまって申し訳ありません」


「……え、変態的な行為に及ばれたわけ?」


「時々、羽を触らせようとします」


「それって、ただの求愛行為なんじゃ」


そしてまだそんなことをしてるのか。



「妖精さんは、……その手の苦痛がお気に入りなのですか?」


「………苦痛?」




話をよく聞いてみると、彼女は羽が妖精の弱点だと思っているようだ。

触ったら死ぬかもしれないなんて、どんな情報を集めたらそうなるのか。



(そっか、周囲も上手く伝えられないまま、抽象的な発言ばっか集めたな)



彼女の中では、ヒルドは死と隣り合わせの痛みを求める過激な変態野郎と化しており、性癖とは言え心配になると慄いている。



「あんなにいい方なので、喪いたくはありません」



相変わらずあまり変わらない表情でそう嘆いたので、対処法を教えておいた。



「指でそっと触るくらいなら大丈夫だから。あいつが暴走しないように、時々その欲求に応えてやって」


「何故に変態のお世話を薦められたのだ」



ものすごく嫌そうにしたが、ここは面白いので是非にこの路線で進んでいって欲しい。

ひどく誤解されている代わりに、ヒルドはヒルドで悦びを得られるのだから悔いはなかろう。



「私はディノで手一杯なのですが……」


「そっちはいいんだ」


「何というか、確実に変態ですが子犬のような純真さがありますからね。まだ何とか」


「ヒルドは違う?」


「目が少しも微笑んでいないので、真剣に怖いやつです。……いや、ヒルドさんのことは好きなんですが、……ご性癖が高度過ぎて困ってしまいます」


「……あいつ、気持ち悪いな」


「エーダリア様では駄目なのでしょうか?あの方は、純真かつ冷淡な才能をお持ちなので、素質があると思うんです。或いはダリルさんなんて、たいそうに才能がありそうではないですか」



「いや、例に出された二人とも男だからさ」




その後、渋る彼女にヒルドを助ける為だと思って優しくしてやってくれと言い含めた。

簡単に落ちるかと思っていたら、案外頑固に嫌そうだったのが面白い。


リーエンベルクを出るときにヒルドに見付かって物凄い顔をされたが、何食わぬ顔でその場を後にした。



エーダリアが青い顔で心配そうにしていたのを思い出して、ほくそ笑む。

やっぱり、あの馬鹿王子が一番無害で可愛い。







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