巣材の洗濯と雨呼びの羽
ざあざあと雨が降る。
雨足は激しく、先日の火の慰霊祭で燃えかけてしまった門のところの紫陽花には、庭師の妖精が用意してくれたのか、素敵な屋根がかかっていた。
傷めたばかりの枝を守るが、雨の全てを防いでしまわないブロッコリーのような木は、傘の木と呼ばれる繊細な植物の為の屋根代わりになる植物なのだとか。
心優しいその木は、守るべきものがいないと枯れてしまう。
小さな花や、今回のように傷付いた花や木々などに寄り添わせて植えると、張り切って自分より弱い者達を守るのだった。
窓には水の筋が出来ていて、その筋に滲む森の色はどこかヒルドの羽を思わせた。
きらきらと弾ける青緑色の輝きは、雨の系譜の妖精だろうか。
「……………雨ばっかりです」
ネアがそう恨めしく空を見上げるのには理由があって、いい加減にもう限界だと思い、今年も魔物の巣を洗濯に出そうとしていたのだ。
それなのに、巣の解体と洗濯を宣言したその翌日から、ウィームは激しい雨が続いていた。
「なぜなのだ。この前までは、雨が降っても青空の日もありました。それなのになぜこんな激しい雨が続くのだ……………」
そんな儚い問いかけを恨めしく空に投げかけ、ネアは後ろでごそごそしていた魔物を振り返る。
ネアが振り返った途端、魔物は何かふわふわしたものをさっと押さえた。
「…………ディノ、なぜかここ数日羽根飾りを持ち歩いていますが、それは何でしょう?」
「………………ご主人様」
鋭い目でその見慣れない羽根飾りを指摘され、魔物はびゃっとなると慌てて三つ編みの下に隠した。
丸い銀の輪にくりんとした綺麗な青い羽のついた飾りで、黄緑や瑠璃色、水色に紫紺色と、とても華やかで美しいものだ。
「隠しても三つ編みから覗いていますよ」
「ただの装飾品だよ。………君も欲しいなら買ってあげようか?」
「…………まぁ。それは何という商品なのですか?欲しいかもしれません」
「雨呼びの……………」
「雨呼びの?」
「ご主人様……………」
すぐに企みがばれた魔物は羽根飾りを取り上げられ、洗濯が嫌だからといってウィームを土砂降りの雨続きにしたお仕置きをされた。
すなわち、巣を洗濯に出されたのである。
一時間後、ネアは悲しみに打ちひしがれている魔物の隣で、腰に手を当てて達成感に微笑んだ。
「うむ!これですっきりです。衛生上もよくありませんでしたからね。…………ディノ、そんなに悲壮な顔をしないで下さい。毛布はなくなってしまったわけではないので、洗濯されて綺麗になってから戻ってきます。そうしたら、どうしても必要なものはまた巣にすればいいではないですか」
「巣がない………………」
呆然とそう呟くディノは、大切なものを失ってしまった人のように、ふるふるとしながら巣の跡地に手を伸ばし、がくりと項垂れた。
「今、綺麗にお洗濯して貰っていますからね。それと、巣を解体したときに、中からこれが出てきました。これは何でしょう?」
「……………………リボンかな」
「そこまでは正解です。ただし、ここに書いてある文字が問題なのです」
ネアがそう言って、びしりと指した淡い薔薇色のリボンには、流麗な文字の刻印で“薔薇の形は愛の形”という文字がある。
魔物が巣に仕舞い込んでいたリボンは、とても残念なことに、ネアの購入した砂糖菓子の木型を購入した時の袋を飾っていたものなのだ。
確か、ぽいっと捨てた筈なのでネアはとても戦慄している。
「愛の形………………」
ディノは巣がなくなってしまったところに座り込んで、悲しい目でネアを見上げる。
リボンに書かれている文字が気になってしまったのだと理解したネアは、以前の美味しいお塩なリボンを髪に結ぼうとした頃よりは症状は軽くなったのかもしれないと考え、今回は見逃すことにした。
目の前の魔物は巣を失い、巣材にしていたリボンに弱々しく手を伸ばしている。
あまりにも儚げなその仕草に、ネアは胸が苦しくなってしまう。
「確かにあの商品は限定品でしたから、このリボンもそのようなものかもしれません。お部屋や、リボンのスクラップブックに保存するのは構いませんが、巣材にしてはいけません」
「巣の中でこの文字を見ると、君がそばにいるような気がするんだ」
「ぞくりとしました………………。それに、ディノが巣の中にいる時であれば、私はほんの少し先にいるではないですか」
「君がくれた、特別な砂糖菓子のものだからね」
「巣材には…………」
「ほら、君が作ってくれた砂糖菓子と同じ色のリボンだよ」
「つ、次の議題に移ります!」
きらきらの眼差しで無邪気に喜ぶ魔物からリボンを取り上げることは出来ず、無力な人間は次の巣材の話題に移ることにした。
窓の向こうからは相変わらず雨の音がしているが、ディノには高位魔術による雨ごいはやめさせたので、もうそろそろ自然な天候に戻ってゆくだろう。
なお、あの羽根飾りはディノの宝物部屋にきちんと保管させてあるので、雨が欲しい時には活躍してくれそうだ。
使う前にはご近所さんなミカエルに事前に話をしておき、不審な雨だと問題にされないように手を打っておいたという周到さはまさに魔物らしいしたたかさだが、そこまでして画策したのは、毛布の巣を洗濯に出されたくないからなのだ。
こほんと咳払いをすると、ネアは次の証拠品を取り出した。
ディノはネアの前で床に膝を崩してぺたんと座り込んでいて、その手には先程取り戻した薔薇色のリボンを大切そうに握っている。
「次に、こちらもディノの巣の中から発掘されました。これが何だか分かりますか?」
「……………………ネア」
「私ではありませんよ!以前、ディノとの会話の中で使われた図解のメモです。そしてその際に描かれた、簡易版の私の絵と、屋台の絵ですね。………………むむ。これはまさか、おまんじゅう祭りの進路取りの計画を立てた時のものでしょうか…………。とにかく、これはただのメモですので、ぽいして下さい。巣の中に仕舞い込んではいけないものなのです。かさかさしてしまうでしょう?」
「ネアを捨てるなんて………………」
「これは、あくまでも私の現在地を示すための絵であって、決してご主人様のかけらでも、分身でもありません」
「私には、君を粗末にすることなんて出来ないよ」
「であれば、せめて宝物部屋のスクラップブックに保存しましょうね」
「ネアを一人にするなんて………………」
「どうすればいいのだ」
このような時、ネアは自分の婚約者が普通のひとではないのだと思い知らされる。
よく物語の中でも、身分違いの恋だとか、敵国同士の恋人たちが運命の残酷さに嘆く場面があるが、まさにこのような無力感に苛まれるのだろう。
変態と一般人の間にそびえたつ壁も、王族と平民くらいには高い壁であるとネアは思うのだ。
(でも、これはディノが大切に思うもののことなのだから、一方的に叱りつけてもきっと上手くいかないような気がする…………)
「では、その紙切れを、宝物部屋に一か月保管するごとに、三日一緒に寝台で眠りましょう。ディノは、紙切れの中の私の絵と、私本人とどちらがいいですか?」
「一か月保管するごとに……………」
「はい。勿論、巣の中に仕舞い込まないということさえ叶えばいいので、ディノのお部屋で保管していて構いませんからね。それでも、やはりその紙の方が大切ですか?」
「ご主人様………………」
「私は、三日もディノと並んで眠れたら楽しいなと思うのです。ディノも同じ気持ちだと嬉しいなと思ってしまいますが、一方通行な思いなのかもしれませんね」
「………………個別包装なのかい?」
「むむぅ。ではこうしましょう。その三日は、眠るまでは個別包装ではなくて構いませんよ。眠る前に二人であれこれお喋りしたりしますものね」
「………個別包装じゃない」
ここで魔物は敗北し、おまんじゅう祭りのコース取りのメモは、無事にディノの宝物部屋の中にあるスクラップブックに移動された。
このスクラップブックは、列車の車内販売で買ったラムネの袋や、ネアがディノにあげた贈りものの包装紙などが保存されているもので、リボン専用のものとはまた別の一冊だ。
(これからは、メモを書く際には気を付けよう…………)
以前、ネアがディノの絵を描いた時にも大はしゃぎで同じ事件が起きたので、ネアは今度こそ気を付けなければならないと痛感した。
ディノはネアだというが、丸と三角を組み合わせただけの、なんて事はない絵柄でしかないのに油断も隙もない。
(でも、取り敢えずメモは巣から出せた!)
胸を撫で下ろしたネアは、ここでおやつの時間を挟んで英気を養うことにする。
魔物の巣の洗濯の儀式はとても疲れるのだ。
今日の仕事は夜からであった。
夜の祝福によって生まれる薬もあるので、そうそうないことではあるが、時々夜に仕事時間をずらすこともある。
夜に作られる薬たちは、大抵きらきらと光っていたり、星屑のような色合いをしているので、ネアはこの作業を気に入っていた。
特に、夜に薬の材料を採取しに行く仕事などは冒険のようでわくわくする。
「今日は何を食べるんだい?」
ディノがそう尋ねたのは、ネアがお皿ではなく厚めのナプキンを取り出したからだろう。
最初はお皿を出していたのだが、一つくらいならお皿を出すのも手間であるし、ゼノーシュがそのようにしてぱくりと食べていた姿が可愛かったので、こちらの運用に切り替えた。
「木苺のクリームのクリームパフですよ!料理人さんから試作品を貰ったのです」
「クリームパフ………………」
「ふふ。ディノは今回は上手に食べられるでしょうか?」
「中のクリームを意識して食べるのだよね」
ネアの問いかけに、魔物はほんのり目元を染めた。
最初にクリームパフを食べたときには、端っこからクリームを溢れさせてしまい、ネアが頬についたクリームを指先で拭ってやったところ、あえなく死んでしまったのだ。
美味しい紅茶を淹れ、二人はおやつを食べ始める。
床に座り込んでいた魔物は、長椅子の隣に移動させた。
「門のところにある、山猫の使い魔さんの紫陽花は、小さなお花をつけていました。エーダリア様はとても嬉しそうで、ヒルドさんが元気に育つ祝福を授けてあげたそうです」
「庭のちびまろ館に、コグリスが住み着いたそうだね?」
「ええ。目元に傷のある強面なコグリスですが、二回りくらい小さなちびコグリスを連れているのです。きっと男手一つでお子さんを育てている、健気なお父さんコグリスに違いありません!」
「お父さんなんだね………………」
「なので、あのちびまろ館は現在子育て支援中なのです」
「何かをしてあげる場合は、あまり君から手を出してはいけないよ。去年のように、クッキーをあげるときには私が魔術の縁を切るからね」
「はい。もし、組織からの追手があの親子を脅かしたら、守ってあげましょうね」
「組織……………」
テーブルの上には、薄紫色のライラックの枝をふんだんに生けた花器がある。
この花器は、リノアールで縁が欠けてしまったことで安売りされていたもので、白磁のゴブレット型に繊細な青の絵柄が美しい。
欠けてしまった部分は、花器に美味しい葡萄を入れて一晩森に置いておいたところ、綺麗な青色の雨の結晶石で補修されていた。
欠けた陶器や硝子製品などは、そうやって修理代と一緒に森に置いておくと、妖精や魔物達が修理してくれることがあるのだ。
とは言えこれは、妖精や魔物達が依頼と代金に納得がいった場合に限り、特に美しいものであれば修理の確率は高まる。
どうやら森に住む良き者達は、お腹がいっぱいになったり、懐が温かくなって満ち足りた気持ちになると、美しいものを慈しむ気持ちが強くなるらしい。
(………直して貰ったところが可愛いな。こんな風に生活してゆけるのが、とても好きだ…………)
美味しい葡萄で欠けた容れ物を森の生き物たちに修理して貰い、そこに季節の花を生ける。
ライラックにゼラニウムの葉、そして最近ディノが会ったというロサから貰った白い薔薇に、青紫色の紫陽花。
瑞々しく馨しく、そしてどこまでも清涼な色と香りは素晴らしい。
ロサは、友人の為にウィームの道具屋に頼んでいた品物を受け取りに来たそうで、ウィームに来たからにはと、ディノに挨拶をして行ったのだとか。
仲直りした白百合の魔物の為に、ほこりや白夜の魔物達の面倒を見てくれながら楽しくやっているようだ。
白百合の魔物は階位落ちしてしまったが、結果としてはほこりといい相棒になったようなので、めでたしめでたしというところなのだと思う。
(白百合さん、会ってみたいのにな…………)
白百合の魔物は、ウィリアムにどことなく似ているのだそうだ。
ネアは是非に一度、可愛いほこりがお世話になっているとご挨拶したいのだが、ほこりが好きならネアにも好感を抱くだろうという謎理論により、魔物達が荒ぶるので叶わずにいた。
名付け親として、似ていると言われると満更でもないので素直に従っている。
「ディノ、この部分のクリームが危険ですよ」
「……………うん。教えてくれて有難う」
ネアはディノの危なっかしいクリームパフ食べを見守りながら、美味しい甘酸っぱいクリームパフの残りをお口に放り込んだ。
ぎぎゅっと濃厚で爽やかなクリームに頬を緩めていると、無事に食べ終えた魔物がそんなご主人様の鑑賞に入る。
「可愛い………………食べてる」
「とても一般的な光景ですからね?」
「ずるい………………」
むぐむぐしながらそう指摘したネアに、ディノはきゃっとなって姿勢を変えた。
すると今度は、巣があった場所のがらんとした風景が目に入ってしまったようだ。
「巣がない…………」
「すっかり不安定な魔物になってしまいましたね……………」
夕方までには、綺麗に洗濯されてふかふかになった毛布の山が届いた。
洗濯されて畳まれて返却されると、あらためて毛布の多さに慄くのだが、ここからもネアには重大な任務がある。
それは、再び巣作りを始める魔物の監修だ。
「こらっ、全てを元通りにしてはいけませんよ!一部でもいいので、夏物の毛布に変えるのです。特に火織りの毛布は絶対にいらない筈ではありませんか」
「ネアが虐待する………………」
「毛皮のものもいけません!」
「雪が降ればいいのかい?」
「そんな理由で季節をいじくったらお仕置きですよ!」
「…………………どんなお仕置きなのかな?」
「期待に満ちた目で見上げてきますが、その場合は巣の撤去となります」
「ひどい…………………」
めそめそしながらではあるが、ディノはその後、巣を夏仕様の巣に頑張って作り変えてくれた。
晩餐の時間にみんなが揃うと、銀狐もすっかりしょげているので何があったのかと思ったら、そちらもそちらで、エーダリアの執務室にあるお気に入りのもふもふ銀狐用クッションを夏になるからと撤去されてしまったらしい。
けばけばになって項垂れる銀狐は、手を伸ばしてくれたディノの腕の中に収まり、二人で冬物を片付けられてしまった被害者の会を結成したようだ。
とてもじっとりした目でこちらを見るのだが、これもある種のリーエンベルクの風物詩なのかもしれない。
ネア達は、なるべくそちらを見ないようにして、その日の晩餐を終えたのだった。