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278. みんなで晩餐をいただきます(本編)




とっぷりと夜が更けた頃、エーダリア達が帰って来た。


疲労困憊の様子でとても悲しい目をしているのだが、これは今回の事件の影響が大きかったというよりは、取り調べや捕縛者の処分などに時間がかかり、すっかりお腹を空かせて帰ってきたからに他ならない。


ネアはこんな時の為に、あわいの列車の綿菓子を残しておけば良かったと後悔しつつ、まずは転移の間で待ち構えていて、みんなにお帰りと言うことから始めた。



「ネア様まで巻き込むことになってしまい、申し訳ありません」


開口一番、そう謝ってくれたのはヒルドだ。



「ヒルドさんのせいではありませんよ。それに、こうして一緒にいる大事な方達のことなのですから、普段は心配をかけてばかりの私にも活躍させて下さい!私も、魔物さんを一人倒しました!」

「ゼベルから連絡を受けている。もう一人、雲呼びをした筈の魔物の消息が掴めずにこちらも行き詰っていたところだったので、無事に捕縛が完了してほっとした。よく対応してくれたな」

「いえ、気付いてくれたのはディノやアルテアさんなのですが、私が我慢ならずに攻撃してしまいました…………」

「ありゃ、何で我慢出来なかったの?」

「あやつめは、エーダリア様とヒルドさんを狙った悪い奴の仲間ですし、ディノに槍を向けたのですよ!許しません!!」

「わーお、ネアも荒ぶってるなぁ…………」


憤りを示す為にばすばすと弾んだネアに、ノアはそう笑ってネアの背後を見た。

おやっという顔をしたのは、すっかり弱ってしまっているアルテアを見たからだろう。


「ネア、…………アルテアはどうしたのだ?」


エーダリアも疑問に思ったのだろう。

そう尋ねられたので、うっかり視覚的被害を被ったのだと報告しておけば、味方にも被害を出していると呆れた様子ではないか。


「しかし、敵はばたんといきましたよ?」

「ええ。ネア様に尽力いただいたお蔭で、最も厄介だった者を被害なく拘束出来ました」

「ネアはすぐに狩っちゃうからなぁ……………」


ノアはそう言って肩を竦めてみせたが、隣にいるヒルドがふっと優しい目をしたのを横目で確認し、ネアにこっそり頷いてくれた。

首謀者だという妖精の件で、不快な思いをしたであろうヒルドを案じていたに違いない。


「ヒルドさん、むしゃくしゃしている悪い奴がいたら、きりん箱も貸しますし、ちびふわになったアルテアさんを撫でることも出来ますよ?」

「やめろ…………」

「おや、ネア様にご心配をおかけてしまいましたか。私は大丈夫ですよ。…………そうですね、大聖堂での制圧の早さに、少し救われた部分も多いのでしょうね。あの妖精が再び私の目の前に現れたことは不愉快ですが、あの場所からここまで歩んできたと自覚するのは、我ながら不思議な感慨深さでした………」

「むむ、ヒルドさんを抱き締めます!」

「あっ、ずるい!僕も!!」

「ネアが浮気する………………」



わざとぎゅうぎゅう抱き締めたヒルドを見上げると、驚いたように瞠られた瑠璃色の瞳がふっとほころんだ。

その柔らかさに安堵したネアは、抱き締めたヒルドを、そっとノアに差し出してみる。



「ありゃ…………次は僕を抱き締めてくれるのかい?」

「いえ、先程名乗り出ていたので、きっとヒルドさんが大好きなノアも心配だったに違いなく、次はノアが抱き締めるのかなと………」

「わーお……………。ヒルド、抱き締めて欲しいかい?」

「……………せっかくですが、遠慮しておきましょう」

「あらあら、お二人とも恥ずかしがり屋さんですねぇ。では、次はエーダリア様に……」

「私も対象になるのか?!」


おろおろしてしまったノアとヒルドを、ほっとしたように笑って見ていたエーダリアは、自分にも降りかかってきた災厄にさっと青ざめると、降参するかのように両手を上げて後ずさった。

ネアは、せっかくお膳立てしてあげたのに意外に照れ屋な男達を眺め、やれやれと生温く微笑みかけておいた。



「ネア、エーダリア達帰ってきた?僕、お腹空いた…………」


そこにやって来たのは、エーダリア達よりは少し早くリーエンベルクに戻ってきたゼノーシュだ。


グラストとゼノーシュのコンビは、大聖堂での警備の後は、街の見回りを終えてリーエンベルクに戻り、日中非番だった騎士達が入れ替わりで、引き続きの警戒にあたる。


こちらはこちらで、荒ぶる若者達との戦いもあり、色々と大変だったそうだ。

グラストがざっとシャワーを浴びて着替えてくる間にエーダリア達が帰ってきてくれたので、ゼノーシュはみんなで一緒に晩餐にしようと待っていてくれたのだ。



「みなさん帰って来ましたよ。一緒に晩餐をいただけそうですね」

「良かった。じゃあ僕、先に少しだけ食べてるね」


ネアがそう頷いてやると、ゼノーシュはぱっと笑顔になって戻ってゆき、ネアは驚いたようなエーダリアに声をかけられる。


「まだ食べていなかったのか?先に済ませていて構わないと言ったではないか」


心配そうに言われ、ネアは微笑んで首を振った。


「いえ、陽が落ちてから、アルテアさんのかじつぼうのおやつをいただいてしまったのと、今日は何だかみんなで食卓を囲みたかったので、待てる範囲であればと思って待ってしまいました。しかしながら、晩餐のメニューはぬかりなく調査済ですよ!あの美味しくなった辛いスープの他に、さくさくシュニッツェルに美味しいタルタルソースを乗せたものや、澄んだ琥珀色の濃厚コンソメスープ、鮭とお野菜をクレープ生地で包んでチーズソースをかけたもの、新鮮なお野菜と焼き茄子に蒸かしたあざみ玉のサラダに、胡瓜とフェンネルの緑のサラダ。白葡萄酒と大蒜にお塩の素朴な味付けが天才的な、ムール貝の蒸し物もたっぷりありますよ!」



ネアの、あまりにも詳細な調査内容に、転移の間にいるエーダリア達はごくりと喉を鳴らす。

不愉快な過去に纏わる事件が起き、その上で晩餐の時間がだいぶ遅くなったのだから、それは心も荒むだろう。

そんな主人達の為に、リーエンベルクの料理人達は、疲れている時にぱくぱく食べれるような、味付けのしっかりとしたお料理を沢山用意してくれたのだ。



そこからの動きは迅速であった。

エーダリア達はひとまず大急ぎで自室に戻り、寛いだ服装になると会食堂に再集合することになる。

既に準備万端のネア達、そして既にテーブルについて前菜をいただいているゼノーシュに、シャワーでさっぱりして目の輝きを取り戻したグラストで待っていると、ほどなくしてエーダリア達も部屋に入って来た。



「ああ、気付いていなかったが、私は空腹だったのだな……」

「だってエーダリア、昼食もあんまり食べなかったよね。あれだけ僕が言ったのに、ヒルドなんて水しか飲んでなかったしさ」

「ネイ、私は元々、そのようなものだけでも問題ないんですよ」

「僕は、スープも飲んだよ。でもガーウィンのスープは美味しくなかった………」

「まぁ、ゼノ可哀想に………」

「パンもね、リーエンベルクの方が全然美味しい」

「それなら、夜はいっぱい食べるといい。ゼノーシュは今日たくさん頑張ってくれたからな」

「うん!グラストもいっぱい食べてね」



よろよろしながら戻ってきたエーダリアは、会食堂のいつもの席に座ると、深い深い息を吐いた。

そこで初めて空腹だったことに気付いたのか、前菜のお皿が出てくるとすぐに食べ始める。

エーダリアらしくないせっかちさなので、相当空腹だったに違いない。




(でも、何だかこの光景って、とても素敵なことのような気がする………)



こうして今、エーダリアやヒルド達が、リーエンベルクの会食堂に戻って来て、安堵の息を吐いている。

つまりここは彼等にとっての家になり、安心して力を抜くことが出来る場所になったのだ。


そう考えている時に、エーダリアとヒルドのパン皿にパンを乗せているノアを見たネアは、その光景の素敵さににこにこして不審がったエーダリアに怯えられてしまった。



「………………ネア、何かまずいことがあったのか?」

「まぁ、悪さなどしていませんよ。私はお留守番でしたし、やって来た死者さんも、ディノとウィリアムさんが対応してくれました。せいぜい、あの新開発のきりんさんで、槍を持った魔物さんを無力化したくらいです」

「………そうだった。あの道具を使ったのだったな!飛距離などはどうだった?効果は出ていたか?」

「……………エーダリア様」

「し、しかし、あの添付魔術と、取戻し魔術の応用は、我ながらなかなかにいい出来だと思っているのだ」



うっかり新型武器の効果を確かめたくて立ち上がってしまったエーダリアを、どこか疲れた顔のヒルドが窘めたが、新しい術式を組んだエーダリアは気になって堪らないのだろう。


エーダリアのような魔術師としての目線では、既存の祝福を解体して応用するという術式は、そもそも思いつきもしなかったのだという。



「てやっと放り投げたところ、素晴らしい速度で真っ直ぐに目標物に向かって飛びました。まずは、飛来物を目視した際に視覚攻撃を受け、次に崩れ落ちる前の対象に重りがいい具合にがすっと当りまして、二重に効果が出ているみたいです」

「それは思っていた以上の効果だな。目視で攻撃を与えるものなので、二回目以降の効果が弱いのが気になるところだが………」

「いや、ほとんどの場合は、二回目はないだろ…………」



思わずアルテアがそう呟き、エーダリアとネアはそうだったと頷いた。

一撃でだいたいのものは死んでしまうので、二回目の効果が弱まることを警戒する必要はなさそうだ。



「しかしながら、まだ統計を取った訳ではないのですが、悪食の方はこのきりんさんに耐性があるのかもしれません。ダナエさんと純白さんには、あまり大きな効果が出ませんでした。ほこりで試すのも可哀想なので、また今度悪食の方を見付けたら試してみますね」

「ネア、白夜の魔物が悪食だよ」

「しかしゼノ、白夜さんはほこりの大事なお友達ですので、いなくなってしまったら困るのです………」

「その理由であれば、お前はなぜダナエに試したのだ………」

「む…………。そう言えば、その時にバーレンさんも死んでしまうことはなかったので、具合が悪くなってしまっても、死なないという方と、さして影響のない方という階層に別れるのでしょうか………」

「やめろ。こっちを見るな」



きりんのぬいぐるみを見たことですっかり具合の悪くなってしまったアルテアは、来た時の装いのまま上着を脱ぎ、今はジレ姿になっている。


袖を捲り上げ、そのあたりはさすがの洒落者らしさで、袖を留める為のバンドで押さえている。

艶麗に整えた装いが崩れたようなしどけなさで、ネアは舞踏会で何だか悪い薬を盛られてしまった人のようでなかなかに絵になるぞとこっそり堪能させていただく。


普段は隙のなさそうな人物だからこその魅力だが、アルテアの場合は、普段も隙がないと言う訳ではないのが難しいところだ。



(でも、お風呂遊びのちびふわは隙だらけだけど、あまりにも愛くるしいので死力を尽くして守りたくなるという意味では、隙はないのかしら…………)


尻尾の付け根をこしこしされるとふにゃんとなる白けものの場合は、ある程度の魔術は使えるようなので決して無力ではないのだが、やはり隙がないという訳でもない。



「ネア………?」

「アルテアさんを分析していました」

「え、ずるい…………」

「結論として、やはり白けものには、ちびふわにはない魅力がありますね」

「……………呼ばないぞ」

「あら、今夜はちびふわで充分なので、ちびふわを堪能します!」

「………………果実棒も作ってやっただろうが」

「ほわ、今日はどこにも行かないと約束したのでは………」

「…………ったく」



アルテアが渋々ちびふわ化を受け入れたところで、ネアはいつもよりは疲労感を滲ませたヒルドが気になった。

この場所で寛ぎほっとはしているようだが、やはり心は疲弊している筈だ。

とても屈辱的で不愉快なことを思い出すと、わーっと暴れたくなることもあるネアからすれば、ヒルドが身の内で均した苦痛の深さは計り知れない。



(そして、レーヌさん絡みの事件であれば、ダリルさんもきっと心が荒れただろう………)


頼もしくて揺るぎないように思える書架妖精だが、彼とて心の柔らかな部分はあるだろう。

愛する人を殺されたダリルにとって、それが二度と戻らないものである限りは、レーヌの名前は忌まわしいものであり続ける。



(でも多分、…………ダリルさんをこうして迎え入れ、一緒に戦う輪は他にあるのだ)



ダリルは、弟子達やウィームの有志の者達と一緒に、捕まえた者達の処理をしながらのとても邪悪な宴をやるらしい。


エーダリアが、あそこに任せるのも心臓に悪いのだが、良い抑止力にはなるので任せざるを得ないというくらいだから、捕らわれた者達は酷い目に遭うのだろう。


とは言え、ダリルの手法としてはあまり感情に揺さぶられずに、不要なものは不要になった段階できちんと廃棄するのだそうだ。



「まぁ、それはちょっと意外でした。………こう、じっくり痛ぶる系かと思っていました」

「不要なものを手元に置いて、そこから腐ると厄介だからな」


美味しいシュニッツェルを食べながらそう言ったのはアルテアで、ネアはアルテアが言うと何だか説得力があるなと頷く。


「そのようなことを話していたな。生かしておいて管理することでも労力が必要なのだから、そのような手間をかけてやる程の価値はないということだそうだ。より長くの報復をとその者を縛ることで、その者に割く時間程無駄なものはないということらしい」


その言葉は、ネアの胸にもすとんと落ちた。


「……………確かにそうでしょうね。憎しみを向ける相手が存在するということは、そのひとのことを考えるということです。考え続けるにはやはり、ある程度の執着が必要なのでしょう…………」



それはもう、欲なのだと思う。

憎しみという形であってもなお、相手を思う心はその相手に奪われている。

勿論、ネアがジークに向けた思いとダリルがレーヌに向けるような思いはまるで違うものだが、だからこそいっそうに、ダリルは自分の心を侵食されることを好まないだろう。




「…………君は、今も思うことはあるかい?」


ネアの言葉が気になったのだろう。

ふと、ディノがそんなことを尋ねた。



「私は、自分の望んだ復讐を成就させているので、その方のことを思うことがあるとすれば、私の人生を変えた分岐点としての振り返りや、憎しみとはまた別の心ででしょうか。………でも最近、思い出しかけても、面立ちが似ているジュリアン王子や、何となく身に纏う雰囲気が似ているオズヴァルト様が思い浮かんでしまい、何だか思考がごちゃごちゃするのであえて避けています…………」

「ありゃ。そんな弊害が出てるんだ…………。まぁ、いい事だと思うよ」

「ジュリアン王子を思い出すとむかっとするので、ヒルドさんが髪の毛を毟ってくれたことを考えます。しかし今度は、髪の毛からギョームの魔物さんが思い浮かんでしまい、記憶事故になってしまうのです…………」


ネアが暗い目をしてそう告白すると、エーダリア達も複雑な表情になった。

記憶の連携というのは不思議なもので、妙なもの同士が紐付いてしまうと、もはや個人の意思ではどうにもならないことが多い。



「ディノがつけてくれた煤顔さんで想像すると、物陰からじっとりとこちらを見る系の方達へ思考が向きますので、それはそれで悩ましく……………」

「そ、そうだな…………」



見守る会など実在する筈がないので、ネアはそちらの思考へ彷徨い出るのも是非に避けたいのだ。

がつがつとクレープ包みを食べながら暗い目をしていたが、ネアはふと、エーダリアとヒルドが何度か目線で会話していることに気付いた。


何だろうと凝視していたので、エーダリアが気付いてしまい、ぎくりとしたようにこちらを見る。



エーダリアは、こほんと咳払いした。



「………………今回の一件は、私達の過去に纏わるものだ。その時にしっかり対処しておけず、お前達を巻き込んですまなかった」


首を傾げたネアに対し、エーダリアは妙に生真面目な顔になると、そう謝罪して頭を下げる。

思いがけない謝罪にネアは目を丸くすると、こんな時に謝る必要などないのにと唇の端を小さく持ち上げた。



「エーダリア様、私はとても身勝手な人間ですので、自分の大事なものしか守れません」

「ネア……………」

「エーダリア様もヒルドさんも、そしてダリルさんも、私にとっては失い得ない大事なものの一つなのです。であれば、私の財産に手を出す愚か者など、滅ぼされてしかるべきですね。この手を以って滅ぼすのも吝かではありませんし、そもそもそんな恰好をつけた宣言をする前に、ご心配をかけてしまう分量は私の方が多めですので、あまり気にしないで下さいね」

「ネア様に、そのようなことは決して負担などではなく、大切な者の問題だからこそ当然関わるのだと言うのだとすれば、今回は私もそう言うべきなのでしょうね」


そう呟き、ヒルドは淡く微笑んだ。

ネアはその通りなのであると胸を張り、ふんすと頷く。



「だが、この一言は絶対に言わせてくれ。ヘルメネアが私の婚約者だったことは一度もない!」


そうきっぱりと言い切ったエーダリアに、ネアは頷いた。

話に聞くような女性が婚約者だったと思われてしまうと、政略的なものならともかく、思いがあったのだと勘違いされるのは辛いだろう。


「ええ、ダリルさんからそう伺ってほっとしました。ウィリアムさんが跡形もなくくしゃりとやってくれてしまいましたので、ちょっと復元が難しい状態でしたから…………」

「ああ。そうしてくれて、心から感謝している。ヘルメネアは、…………なぜだか、昔から何をしても曲解し、何を言っても理解しなかったのだ。正直なところ、私は…………」



嫌いだったとか、憎んでいたとか、悲しかったとか、悔しかったとか。

きっとたくさんの苦しみが渦巻いて胸が詰まったのだろう。


エーダリアは言葉を探すように黙り込み、ネアはそんなエーダリアをヒルドが案じるように見る横顔の優しさに、ネアは目の奥が熱くなる。



(………この二人は、生き残ったひとなのだ。踏み止まり、踏ん張って、こうして出会う事が出来て、私の宝物になった人達だ…………)


今回の一件を聞き及び、ネアが感じたのはそんな思いだった。

それを言えばディノだってウィリアムだって、あの統一戦争の悪夢に囚われていたノアもそうなのだが、エーダリアとヒルドは、もっとしっかりと彼等を捕まえて飲み込んでしまいかねない暗闇に腕を掴まれていたような気がする。



「……………エーダリア様、そのような方はストーカーというのです。身勝手な恋や執着を越えて勝手に付き纏い荒ぶる方のことで、主に想われる対象の方に不利益や被害が出る場合は、その扱いとなります。立派な犯罪ですし、そのような行為に及ぶ様子のおかしい方には、我々の言葉などは届かないものなのです」


ネアのその言葉に、エーダリアは目を瞠った。

最初はなんて冷やかで高慢な人なのだろうと思ったのだが、こうしてその過去に爪を立てたものの存在が明らかになれば、ネアという得体の知れない者を突然婚約者にされたエーダリアは、さぞかし怖かっただろう。


「そうか……………。届かなくても、仕方なかったのだな」

「そんな様子のおかしい、エーダリア様を苦しめた変質者はもういないので、やっといなくなったぜと開放感でいっぱいになって下さい。また変なのが現れたら、今度は自分もばりんとやりたいノアがいますしね」


ネアにそう振られ、ノアはきりっとして頷いた。


「そうそう。今日は僕、誰も捕まえてないし、誰も排除してないんだけど………。そりゃあさ、エーダリアやヒルドの周囲に万全な結界を張ってたよ。獲物が逃げないように、聖堂の周りの結界も浸食させて貰って調整してた。でもさ、美味しいところをウィリアムが持ってったのは腑に落ちない………」


どうやら、問題はそこであるようだ。

じっとりとした目になったノアに、エーダリアが柔らかく苦笑する。


「………………今回はな、あまり不安はなかったのだ。勿論、慢心してはならないが、ヒルドやノアベルトが共にいて、ダリルや騎士達も側にいた。ネアに預けられたあのカードがあるし、以前に持たされた激辛香辛料油も持っている。効き目の保証されている武器を持つというのは、とても有難いものだなと思っていた」

「……………でもそれ、間違っても僕には向けないでね。僕も死ぬからさ」

「僕もだめ!グラストにも向けたら駄目だよ」


エーダリアは晴れ晴れとそう言ったのだが、思いがけないところで怯えた魔物達がさっと警戒の眼差しになる。

ゼノーシュやノアにすぐさま威嚇され、エーダリアは慌ててそうだなと頷いた。

ディノとも目が合ってしまったのか、ディノもふるふると首を振って意思表示している。



「本当は、ディノ達も持てると安心なのですが………」

「ご主人様が虐待する…………」

「むむぅ。これは本当に言葉通りの虐待になってしまうので、これ以上はやめましょうね」

「うん…………」


実はネアは、黒封筒タイプのきりん絵を、エーダリアやヒルド、そしてダリルには渡してあった。

ゼノーシュやノアは持っているだけでも心が削られると拒絶されてしまったが、持てる者には渡しておくのが安全である。


使用法が限定されてしまうが、自損事故になどならないように譲渡した相手にしか使えないという魔術で呪いをかけてあるので、誰かに奪われてこちらへの武器として返されることはない、安心設計にした。

とは言え、うっかり封筒から引っ張り出した時に自分で絵のある方を見てしまうと危ないので、ある程度管理に不安のない者にしか持たせられないのが難点だ。


今回のアルテアのような事故もあるので、取扱いは要注意なのだった。



「ネア、アルテアは大丈夫…………?」


そこで、サラダをぱくりと口に入れながら、ゼノーシュがそう声をかけてくれた。

うっかりきりんの話題に触れてしまったからか、隣に座っている使い魔が、どこか遠くを見つめ動かなくなっている。

ネアは慌ててぺしぺしと頬を叩いてやり、ディノが悲しそうに膝の上に三つ編みを置いてゆく。



「……………アルテアは何があったのさ?」


ノアが、何となく聞きたくないけど聞きたいと言うので、ネアは拡大鏡の魔物を滅ぼすのに使ったきりんぬいぐるみを、アルテアがうっかり目撃してしまったのだと告白した。


「一撃必殺の為のものでしたので、あのきりんさんは特別に細やかな造形表現がなされているのです。毛皮の模様は刺繍で丁寧に再現し、角や蹄も……………ノア?」

「………………ごめんなさい」

「まぁ、この会話でもそうなってしまうのですね?…………そしてディノがいません…………」

「ディノ様であれば、後ろのカーテンの中に避難されていましたよ」

「……………どれだけか弱いのだ」

「ネア、アルテアが死んじゃったよ」

「なぬ?!」


ネアは、ぬいぐるみの特徴を挙げただけなのに、こんなにも弱ってしまう魔物達に途方に暮れた。

どれだけ繊細なものか、隣の席のアルテアはもう完全に目が死んでいる。

こちらは実際に目撃してしまったものの記憶が蘇ったのだろうが、ディノとノアについては、一番の出来のあのきりんぬいぐるみを見たこともない筈なのだ。



「……………アルテアさん、ごめんなさい。まさかそこまで重症だとは思っていませんでした。…………その、息は出来ていますか?」

「……………………いいか、二度と俺の前でその話をするな。」

「良かったです。ご無事ですね。………そして、ディノを迎えに行ってきます………」



ご主人様にカーテンの後ろから引っ張り出された魔物は、めそめそしながら今夜は一人で眠れないと訴える。

すっかり怯えてしまっており、カーテンの後ろに飛び込んだ時に乱れたものか、前髪がくしゃくしゃになっていたので、手で梳いて直してやった。



「ご主人様が虐待する……………」

「困りましたねぇ。魔物さんは、すぐにきりんさんで弱ってしまいます…………」



めそめそする魔物の背中をネアが撫でてやっていると、こちらを見たエーダリアがふわりと微笑んだ。



「そんな光景を見ていると、…………そうだな、もう私達は大丈夫だという気がするのだ。お前の武器の威力は、ディノですら弱らせてしまうのだからな」



そう微笑んだエーダリアに、ネアは任せ給えと凛々しく頷いておいた。



チリリと窓の向こうから聞こえていた復活祭のリボン飾りの鈴の音が、みんなで過ごす和やかな時間の内に、やがて聞こえなくなる。

真夜中を回り、日付が変わったところで、ネアは渋々お気に入りの帽子をディノに預けた。















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