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277. 決して無差別ではありません(本編)




エーダリア達がガーウィンからウィームに戻ったと聞いたのですっかり安心していたネアに、ウィームの大聖堂での儀式で、不審者が捕獲されたという一報が入ったのは夕暮れ近くのことだった。


ディノとウィリアムにも診断を受けたのだが、自室でアルテアから何か厄介な魔術の添付をされていないか再診を受けていたネアは、その連絡に思わず椅子から立ち上がってしまう。



「私も聞きたいです!」

「………ずるい」


部屋に備え付けの通信端末を受けてくれていたディノが、がばっと立ち上がったネアが通信口に一緒に張り付いてきたので、魔物は目元を染めて恥じらい出してしまった。



「……………暗殺者とかではなく、不審者なのですね?」

「ええ、残念ながら。襲撃そのものに移る間もなく、あっさり捕縛されてしまいましたからね」


そろりと尋ねたネアに、ゼベルが魔術回線の向こうで苦笑する気配があった。

ダリルと繋いでいた通信は、ダリルがウィーム大聖堂での儀式に入るということで一度切ってあったので、どうなってしまったのだろうかとやきもきしていたネアに、夕刻以降の死者達の動きに備え、一足先にリーエンベルクの騎士棟に戻ってきたゼベルがこうして連絡をくれたのだった。



「みなさんの帰りは遅れるとのことですが、何か困っていらしゃることはありませんか?」

「いえ、それは大丈夫そうですね。…………まぁ、ダリル様も事後対応に時間をかけたい案件のようですので、俺の方から報告させていただきました」

「ほら見ろ。ダリルとヒルドがいて、不手際も想定外もないだろうが」

「終わったようだね。良かったよ」

「…………一安心ですが、所在の掴めない悪い奴は、これで出揃ったのでしょうか?」

「首謀者を捕らえたようですからね。ヒルド様が真っ先に捕まえて、羽を毟ってしまわれました」

「…………………妖精さんの折檻は、基本羽を毟るのですね」

「怖かったですよ。俺達が見付ける前に一瞬で捕まえてしまって、羽を毟った後は逃げないように剣で床に留めておいて、そんな首謀者を踏んだまま、いつもの朗らかなご様子でそのまま儀式を続行されていましたから」

「……………ほわ。周囲の方の精神状態が心配です…………」

「今回は、あえてヒルド様は祭壇には上がられず、関係者席のあたりにいらっしゃいましたが、お隣はバンル氏でしたし、ヒルド様の背後はフェルフィーズ氏でしたからね…………」

「むむ。エーダリア様を熱烈に応援している方達ばかりですね………」

「今回は事前にその情報が共有されたお蔭で、列席者達同士で相談して席次を変更してくれていたようですね。祭壇近くと、襲撃に向いた位置の近くには、それぞれ高位の方やこの手の荒事に慣れた方達が座っておられたので、…………何と言うか、ある意味壮絶でした」

「…………領民の皆さんが、襲撃犯をくしゃりとやってしまう姿がとても鮮明に想像出来ました」



その首謀者というのは、代理妖精だったのだという。

夕闇の妖精の一人で、ヘルメネアの伯父にあたる前侯爵の代理妖精だったのだそうだ。



ヒルドは、色々なことが重なって、その一族にはたいそう不快感を溜め込んでいたらしい。


儀式を終えて一度リーエンベルクに帰ってきたノアが、ヒルドを怒らせるのは暫く控えると宣言したのだから、かなりのものだと思われる。



「まぁつまり、その妖精はヒルドにずっと執着していたみたいだね。例のエーダリアの禁術を敷いた際に、たまたまその妖精が代理妖精の契約の合間にあったせいで、効果が届かなかったみたいだ」



(わ、…………ノアの儀式装束だ。狐さんの姿ではなかったんだわ)



そう教えてくれた今日のノアは、素敵な刺繍をふんだんにあしらった灰白のケープを纏い、いつもはざっくりと結んでいる髪をきちんと梳かして結んでいた。

濃紺のリボンできゅっと結われた髪は、青みがかった灰色に擬態されていて、瞳の色はそのままだ。

中は白いシャツにクラヴァットだが、王都とガーウィンでは装いを黒一色に擬態していたのだとか。



「だからダリルさんは、戻ってくるヒルドさんが不機嫌かもしれないと仰ったのですね………」

「僕はさ、どれだけ叱られてても、ヒルドに大事にされてたんだって実感したよ。あんな顔見た事ないからね。…………怖かったなぁ…………。でも、ヒルドを攫って自分の玩具にしようとした妖精なんて、僕が真っ先に捕まえたかったな」


最後に呟かれたのは、魔物らしいノアの本音だ。

いつも飄々としているその姿からは想像出来ないくらいに、ひやりとするような冷たい目をする。

でもネアは、そんな風に案じる相手がノアに出来たことが、何だか嬉しかった。


「ノア、これからすぐにダリルさんのところですか?」

「うん。念の為に他にも誰か隠れてないか、洗い出しをするみたいだ。…………ありゃ、またアルテアがいるんだね」

「うむ。使い魔さんは、かじつぼうを作ってくれるのですよ!」

「言っておくが、ノアベルト、お前に言われたくはないからな」

「…………わーお。アルテア、強く生きてね」

「………は?」



アルテアとしては、ノアの出没頻度が高いことの方が問題のようだったが、先日、日向ぼっこでぱさぱさになってしまったからと、膝の上に乗っけて素敵な夏毛保湿クリームを尻尾に塗ってやっていた銀狐こそが、実はこの目の前の魔物なのであるとはまだ知らない。



(予防接種に連れて行くようになってから、狐さんのこともそれなりに可愛がってくれているみたいだから…………)



ノアは最近、罪悪感でいっぱいだとディノに打ち明けたらしいが、どこで告白するのだろう。

なお、そんな相談がディノに持ち込まれたのは、舐めすぎてがびがびになったからと前足の毛並みのお手入れをした時、ネアがちょっと雑なカットを施してしまった爪先の毛を、アルテアが綺麗に整え直してくれた後のことである。



「それとネア、リドワーンって名前に聞き覚えはある?」

「…………むぅ。すっかり忘れている誰かでなければ、恐らく初耳です」

「大聖堂の方で計画されていたのは殆ど襲撃って感じのものだったんだけどさ、おおよそはエーダリアの支持者が制圧しちゃったんだよね」

「ゼベルさんから聞きました。さすが、エーダリア様の支持者の皆さんですね………」

「ダリルも言ってたけど、よりにもよってウィームの会場で襲撃を計画するだなんて、本当に馬鹿だったんだなぁって思う一幕だったよ。……………ただ、一般席の窓際に潜んでた妖精を見付けて窒息させて捕獲してくれた男は、その派閥じゃないっぽいんだよね。アメリアがお礼をしたら、ネアに何かあるといけないからって笑ってたらしいよ。やっぱり、ネアの会の人かな……………」

「…………わたしにはかいなどありません」

「ありゃ。現実逃避した」


ネアが遠い目で、そんなものはこの世に存在しない筈だと頷いていると、ディノとノアが何かを話し始めた。


「君は、その男を見ていないのかい?」

「僕が見に行く前に帰ったみたいだね。………あの捕縛の魔術と、残っていた魔術の痕跡的にはどうも海の系譜っぽいんだよなぁ」

「お前はまた余分を増やしやがって………」

「ぐぬぅ。知り合いでもない方を、増やしたと責められるのは不本意なのです…………」

「それと、その男は多分竜だね」

「なぬ。イヴさん絡みでしょうか?!」

「ネアが竜に浮気する……………」

「ディノ、その竜さんの話が出た経緯を振り返ってみて下さい。私はその方のことを、そもそも存じ上げていないんですよ?」

「浮気………………」



すっかり未知の竜に荒ぶってしまったディノを撫でてやっていたネアに、ノアはふっと微笑むと、一度ネアのかぶったウィリアムの帽子を持ち上げ、わしわしと頭を撫でてくれた。

その儀式が終わると、またすぽんと帽子をかぶせてくれる。



「…………………むむ?」

「死者に意地悪されたんだって?でも、僕の大事な妹に怪我がなくてよかったよ。ウィリアムもヨシュアも苦手だけど、そんな帽子は捨ててもいいんじゃないかなとは言わずに、感謝はしておかないとね」

「ふふ、私の弟も、何事もなく無事で良かったのです。帽子は格好いいのでちょっと気に入ってきました!」

「ありゃ。そんな帽子なんてかぶらなくても、帽子が欲しいなら、僕が何でも買ってあげるのに」

「お前はさっさと帰れ」

「えー、アルテアに任せて大丈夫かなぁ」

「お前よりは役立つだろうな」

「ネアから聞いたけど、アルテアはよく事故るんでしょ」

「おい…………………」

「そんな目でこちらを見ても、事故り易いのは事実ではないですか」



アルテアにちょっと邪険にされつつ、ノアはもう一度出かけて行った。

転移の残像でふわりと綺麗に翻ったケープを見送り、ネアは首を傾げる。



「ノアは、こちらに戻って何か確認したいことがあったのでしょうか?」

「君を心配して、様子を見に来たのだと思うよ」

「まぁ、それならもっとちゃんと、大丈夫ですよと元気なところを見せれば良かったですね。今はウィリアムさんの帽子もあるので、何だか強くなった気さえします!」

「ネアが、ウィリアムを被ってる…………」

「しかし残念なことに、この帽子で得る安全と引き替えに、こうして私の魔物が弱ってしまうという副作用に悩まされています…………」



夕闇が深まり始めてからはもう、復活祭は死者たちの時間だ。

それを懸念して、リーエンベルクの警備はより強化されるのだが、ディノ曰く、ウィリアムの帽子を持っているネアがここにいる以上、死者たちはリーエンベルクに近付けないのだという。

これは、警備の騎士達にも還元される効果なので、ネアはそういう意味でもウィリアムに感謝した。


(アルテアさんの椅子のようなもので、ウィリアムさんの持つ固有結界の一部だというけれど、本当に帽子がなくて大丈夫なのかな…………)


あの白いケープもそうらしいが、頭を守る帽子は大切なものだ。

取りに来た時には何かお礼をしなければと思い、ネアはぐぬぬと贈り物選びの思考に入る。



チリリとまたどこかで鈴の音が聞こえた。


結界としても機能する復活祭の飾り鈴は、復活祭の間中は、部屋の中にいてもその敷地内のどこでも聞こえるのだという。

そんな飾り鈴の音を聞いていたら、何だか悪いものたちが蠢いていた日であったのに、まだ何の活躍もしていないことが申し訳なくなってきた。

ネアがしたことと言えば、ご機嫌に歌ってヨシュアを逃げ沼に落とし、洗浄したくらいではないか。

後は落ち込んでディノに慰めて貰ったり、この後は果実棒とちびふわのフルコースという贅沢三昧だ。

あの場で死者を一人狩るくらいの気概を見せなければ、狩りの女王としてどうなのだろう。


そう考えてふすんと息を吐くと、こちらを見たディノが優しい目をした。


「ネア、また寂しくなってしまったのかい?」

「ヒルドさん達が敵を捕縛したということを聞き、自分の活躍の場のなさに口惜しくなっていました。私も一人くらい狩っておくべきでしたね」

「ヨシュアをここに呼んだことで、死者が早く見付かったのだから、それは君の功績だと思うよ」

「……………まぁ、そのような考え方もあるのですね?」

「……………逃げ沼の話は聞いてないぞ。午前中に何をしたのか、お前はきちんと報告しろ」

「む……………。美味しい辛いスープを食べ、何だかご機嫌で歌っていたら、ヨシュアさんが空から落ちてきて、逃げ沼に落ちました」

「………………自分で洗わせたんだろうな?」

「あらあら、泥人形になってしまうと、自分で洗うのは無理なのですよ」

「あいつは立派な魔物だろうが。簡単に魔術洗浄できる筈だぞ」



その指摘に、ネアははっとしてディノと顔を見合わせる。

そもそも逃げ沼に落ちたことのないディノは、魔物であれば楽に洗浄出来る筈だということを知らないのだ。



「し、しかし、そもそもヨシュアさんは、一人ではお風呂に入れません!」

「それは自業自得だろうが。放っておけ」

「でも、私の歌声で落ちてきてしまったのです。ヨシュアさんを殺してしまったという罪を背負って生きていくのは悲しいではありませんか」

「ネア、さすがにヨシュアも、逃げ沼では死なないと思うよ」

「けれど、ずっとぎゃん泣きで、お口にも泥が入っていたくらいです…………」


そんなネアの指摘に、魔物達は一抹の不安に表情を曇らせた。

ヨシュアならもしかするとと考えてしまったのかもしれない。


「それと、ちびふわのお風呂の時の為に、アヒルさん浮き輪と合わせ、お腹を押すと音の出るアヒルの人形を買っておいたのですが、ヨシュアさんがとても気に入ってしまったので、慰謝料代わりに差し上げてしまいました」

「そもそもそんなものはいらないが、贈答の魔術の繋ぎは切ったんだろうな?」

「ちびふわが泣いてしまわないように、今度、アヒル人形と購入を迷った狐さん人形を買ってきますね」

「………………何だそれは」

「我が家の狐さんの形をした品物が、少し前からウィームでは流行っているんですよ。ポストカードに、陶器のお人形、そして子供用のお風呂人形とぬいぐるみを、土産物屋で見付けたことがあります」

「アルテア、贈与魔術は私が切ってあるよ。それと、今夜はちびふわになってここに泊まってゆくといい。ネアが、出会った死者にあまりよくないことを言われてしまってね」


ゆっくりとこちらに視線を戻したアルテアに、赤紫色の瞳でじっと見つめられる。

どこで何をしていたものか、今日のアルテアは漆黒のスリーピース姿だ。

前髪の片側だけを掻き上げてあるので、案外夜会か何かだったのだろうか。


「そういや、お前は何を言われたんだ?それと、その死者はどうした?」

「……………むぐ。アルテアさんに隠し事をされていたのです」

「……………は?」

「内緒にされていると思ってとても悲しかったので、少しだけ心の中がかさかさしました」

「何のことだ?………………ハーシェッドのことはお前には関係ないぞ」

「む。言葉が足りなかった模様なので補おうとしたところ、その前に何やら問題のありそうなお名前が出てきました……………」


ちょっとぎくりとした様子のアルテアに弁明されてしまい、ネアはじっとりとした眼差しになる。

珍しく墓穴を掘った様子のアルテアは酷く嫌そうな顔で一度ディノの方を見てから、なぜか疲れたような溜め息を吐いた。


「アルテア、今の名前はザルツの伯爵ではなかったかな。君の行動を制限するようなことをあまり言うつもりはないが、その土地の管理には、エーダリア達も頭を痛めているようだ。あまりこの子の身の回りで問題を起こさないようしておくれ」

「あくまでも俺の領域のことだ。放っておけ」

「むぐるる…………」

「それと、お前は唸ってないできちんと説明しろ」

「お会いした死者さんが、私をまだエーダリア様の婚約者だと思っておられて、私はその方が生まれた時から婚約者だったと仰る相手が、ディノのことなのだと思ってしまいました。なので、アルテアさん達が、ディノには生まれたときからの婚約者さんがいることを内緒にしていたのだと思ってしまったのです……………」

「そもそも、その時代から生きている人間が、今さら死者になる筈がないとは気付かなかったんだな?」

「むぐぅ。……………確かに勘違いだったのですが、一人だけ仲間外れにされているのかと思ったら悲しかったので、ディノが、今夜はアルテアさんにかじつぼうを作って貰い、ちびふわを抱っこして眠れるように手配してくれたのでした」

「抱いて眠るのはやめろ。お前は暴れるだろうが」

「今日はディノも隣に配置しますので、ちびふわは二人の真ん中ですよ!」

「ずるい………………。間に挟まるなんて…………」

「…………………俺は、完全に巻き込まれただけだけどな」

「かじつぼうは、桃かじつぼうで構いませんからね」

「作ってやると言った覚えはないぞ?」


ネアはそこで、悲しい目で、うんざりと顔を顰めて意地悪を言う使い魔を見上げた。

そうすれば、どこか色めいた気配を纏わせ、アルテアは器用に片方の眉を持ち上げる。

確かに、先程新たな攻撃方法を試した時には、今晩はリーエンベルクに泊まっていってくれるという言質しか取っていない。

そうなると、楽しみにしている美味しいお菓子が降臨しない可能性があるではないか。



「あら、いいのですか?この邪悪な人間を怒らせると、今お付き合いされている旅の魔物さんに、アルテアさんのちびふわお風呂姿の肖像画を贈ってしまいたくなるかもしれませんよ?」



ネアのその言葉に、アルテアは無言で目を瞠ると、手に持っていたカップを静かにテーブルに置いた。

ディノも驚いてしまったのか、慌ててネアの顔を覗き込んでくる。


「………………まさか、あの女に会ったのか?」

「ネア、旅の魔物に会ったのかい?」

「いえ、私の可愛い舎弟からのタレコミです。旅の魔物さんは、私の舎弟のもふもふがお気に入りで、ウィームの大聖堂に立ち寄った時には、舎弟を撫でまわしてゆくのだそうです。その時にはもふもふで心が緩んで色々お話しされてしまうようで、色々なことを喋ってしまうのだとか!」

「喋ってしまうんだね…………」

「はい。もふもふに勝てる者などいないのです」


ふんすと胸を張ったネアに、アルテアは唖然とした面持ちでこちらを見たまま黙ってしまった。

前髪を上げていつもより華やかな雰囲気なので、その表情の愕然とした眼差しの悲しさが際立ち、残忍な人間はすっかり弱味を握ってしまったものだとほくそ笑む。


(ここは、恋のキューピッド的な役割も果たすのが、有能なご主人様の御業!)


「アルテアさんは、気紛れな旅の魔物さんに振り回されるのがまんざらでもないご様子で、旅の魔物さんもアルテアさんとであれば、楽しそうなので身を固めても良いそうです」

「やめろ。そいつが勝手に言っているだけだろうが」

「し、しかし、ご存知かどうかを尋ねたヨシュアさん曰く、旅の魔物さんはちょっと吊り目の胸が大きくて腰がぎゅっと細い美人さんです。話題が豊富で気紛れで残忍なところもある、ちょっとアルテアさんに似ている魔物さんなのだとか。アルテアさんに似ている雰囲気を持つ美人さんとなると、何だかわくわくするような恋模様になりそうですね」

「やめろ」

「………………アルテアさん?……………ま、………まさか、そのお顔を拝見するに、…………早速振られてしまったのですか?であれば、………むが!何をするのだ」


ぐいんと頬っぺたを摘まんで伸ばされ、ネアは悪い使い魔の膝をばすばすと叩いて抗議した。


「ネアが浮気する……………。アルテアにご褒美をあげるなんて…………」

「ディノ、これは抗議活動です!」

「余計な勘繰りをするな。あいつは恋人でも何でもない」

「…………むむ。今後はそういうことにしておきたいのであれば、私はもう何も言いません。現実を亡き者にしたい時もありますよね。大丈夫ですよ、アルテアさんは魅力的な方ですので、きっとまたすぐにいい出会いがありますからね」

「そうか、果実棒はもういらないんだな?」

「か、かじつぼう様!!」



取り乱した人間は、素敵なおやつを取り上げようとしたアルテアに悲痛な声を上げた。

声を詰まらせて虐めを訴えると、ディノからあらためて制作依頼をかけてくれる。


そんなやり取りをしていた時のことだった。

なぜか突然、ディノが視線を窓の方に向けた。

視線を巡らせると、アルテアもいつの間にか鋭い眼差しに転じている。



「…………ディノ?」

「君はここでアルテアと待っておいで。この土地の者ではない魔物が、リーエンベルクの周囲にいるようだ。……………ネア?」


がしりと三つ編みを掴まれ振り返った魔物に、ネアは両手で掴んでしまった三つ編みを握ったまま、へにょりと眉を下げる。


「ディノは大丈夫なのですか?」

「心配してくれたのかい?そこまで高位の魔物ではないから安心していいよ」

「……………無理もしていません?」

「うん。様子を見て、必要であれば追い払おう。何も怖いことはないから、君はここにいるんだよ」

「では、安全の為にきりんさんを持って…………ほわ?!逃げました!!」


ネアが用心の為にときりんを持たせようとしたのだが、危険を察知した魔物は転移で逃げ出してしまった。

せっかく武器を渡そうとしたのに逃げられてしまい、ネアはわなわなと手を震わせて立ち尽くす。

何かがあったらどうするのだと渋面になっていると、ひょいっと後ろのアルテアに持ち上げられる。



「むぐる…………。アルテアさんが乗り物になる場合、どこを引っ張れば動くのですか?」

「普通に言葉で要求しろ。間違っても髪を引っ張るなよ?」

「まぁ。まだ手綱のようなものは完備されていないのですねぇ…………」

「良く考えてみろ。引っ張る方がおかしいな」

「……………む?」


ネアは、三つ編み的な手綱があるのがスタンダードではなかっただろうかと首を傾げたが、今は有事なので仕方なく言葉でお願いすることにした。


「アルテアさん、ディノが見えるお部屋はあるでしょうか。大丈夫だということですが、万が一の時にきりんさんのぬいぐるみを投げる為にも、現場に面しているお部屋があればそこに移動したいのです」

「この部屋で待っているんじゃなかったのか?」

「ディノは、会話の途中で逃げるという暴挙に出ましたので、現場に面したお部屋の窓からディノの動きを凝視するくらいは、私にだって許される筈ではありませんか」

「ったく……………」


アルテアは非常に面倒そうな顔をしたが、それでもどこかに向かって部屋を出て歩き出してくれた。

律義にネアを運んでくれる盛装姿の魔物を眺めながら、ネアはこんな魔物が何かをしているらしいザルツという街のことを思う。

美味しいお店なども沢山あるようだし、ザルツにはいい劇場も多いという。

ダリルの書庫程ではないが立派な書庫もあり、ザルツの名物である特製のクーヘンがあるのだそうだ。

ゼノの一押しおやつでもあるので、ネアは密かに機会を窺っていたりもする。



「死者とは、他にどんな会話をしたんだ?」


廊下を歩きながら、アルテアがそんなことを尋ねてくれた。

ネアは、様子を見に来てくれたらしいノアといい、そんな魔物達の繊細さに目元を和ませ、あの青い目をした女性の顔を思い出す。


人間の中であれば、絶世の美女と言っても差し支えのないくらいの美貌だった。

少し神経質そうで儚げな造作には好き好きもあるだろうが、ネアは、その絵のような美女の面立ちに、最初に見た時は何だか見惚れてしまったのだ。



「…………あの方は、生まれたその時から私が婚約者だと言いました」

「ああ、それでお前は、隠し事をされたと思ったんだろ。それならそもそも、不快感を覚えるのはシルハーンに対してだろうが。何で俺なんだ」

「………生まれたばかりの頃のお話を、みなさんから聞いていたのに、そこに一度も登場しない方が実はいたのだとなれば、その時の情景を思って動かした私の心はどうすればいいのでしょう。………私は、ウィリアムさんがいなくなってしまった間には、ディノが一人だったのではないかと不安でしたし、アルテアさんは、きっとまだ途方に暮れていたディノと、すっかり弱ってしまったウィリアムさんの側にいてくれた頼もしい人だと考えていました。皆さんにとって感慨深い最初の時間だったと思うからこそ、その時のことで教えて貰ったことは、私の心に深く残っているのです」


ネアが上手く伝わるかなと丁寧に言葉を繋げると、アルテアはどこか思わし気な目をした。

案じるだとか、慰めるという眼差しではなく、静かにこちらをみて話を聞いてくれることは、ディノとの会話とはまた違う浄化作用があった。


「その時以外だったら、良かったのか?」

「何となくもわりとする気持ちはありますが、ディノの年齢を想像すると、さすがに何もないよりは少し安心するというか………」

「それをくれぐれも本人に言うなよ?」

「むぅ。似たようなことを言ってしまい、虐待だと訴えられました」

「そりゃそうなるだろうな……………」

「そして、私は自分の欲の為に家族を犠牲にすると言われました。他の言葉は飲み込めましたが、そればかりは少し悲しかったです」

「それは、その死者が見たかった他の誰かへの言葉だ。俺が知るお前とは随分違うな」

「ふぐ…………」



アルテアは転移の可能な場所では転移を踏み、リーエンベルクの正面玄関の方を向いた一室までネアを連れて来てくれた。

かつて、凝りの竜の事件の時に、ネアが外にいたディノ達に向けて声をかけた場所だ。

リーエンベルクの正面を向いた大きな窓を見れば、そこから見える場所に艶やかにも見えるよく見知った真珠色を見付けた。


「ディノがいました!…………まだ、その問題の魔物さんという方は来ていないようですね」

「あちら側から来る筈だ。禁足地側の森の方からリーエンベルクに近付こうとしたらしいが、シルハーンが排他結界を張っているからな。今はどう足掻いても近付けないだろう。それで、諦めてリーエンベルクの周囲をぐるりと歩いているところだ」

「……………悪い奴なのでしょうか?」

「この日にここに来たことと、あいつが大昔にレーヌの男だったことを考えると、まず間違いないな」

「むぐる」



ネアは鋭い目でアルテアが指し示してくれた方を凝視し、やがて、中肉中背の青年がのったりと歩いている姿を発見した。



(不審者を発見!)


もうだいぶ陽が落ちてきているので、ここからだと髪色は黒っぽいとしか言いようがないが、丈の短い上着には刺繍などの装飾が見えるし、面立ちも端正で美男子と言ってもいいくらいだろう。

しかしながら、どちらかと言えば魔物としては庶民的な容貌に思えた。


短い黒っぽい髪に少しだけ異国風な要素を感じさせる、個性的なスリーピース姿だ。

何があの雰囲気を作るのだろうと思って観察してみると、丈が短めの上着にハイウエスト気味のパンツのせいだろうか。

腰回りの布がぶ厚く見えるので、腰帯などを巻くような装束なのかもしれないが、ここからでは確認出来なかった。



「あの方は、何の魔物さんなのですか?」

「拡大鏡の魔物だ」

「……………拡大鏡の魔物さん」


ネアはまた謎な魔物が出現したぞという複雑な気持ちであったが、拡大鏡の魔物はあれでも伯爵の魔物の一人なのだという。

道具などから派生する場合は、効果や効能を持つ魔物は高位になりやすく、その動作が重用される道具には人々の思念が残り易い。

見え難い文字が大きく見えたと言う喜びを齎し、隠されていた情報を探り当てる可能性を齎す拡大鏡は、なかなかに優秀な効果持ちの魔物なのだ。



「アルテアさん!あやつめが、何かを取り出しましたよ!!」

「ああ、ルビルカムの槍だな。シルハーンだとは思っていないだろうが、誰かが待ち構えていることに気付いたんだろう。まぁ、あの階位で持つには充分な道具だが…………おい?!」

「ていやっ!!!!」


突然、窓を開けて身を乗り出してしまった人間に、そんな獰猛な人間を床に下したところでのんびり武器の解説に入ろうとしたアルテアは、ぎょっとしたように声を上げる。

目を離した隙に初めましての魔物を遠戦攻撃してしまったネアに気付くと、もの凄い勢いで背後から拘束された。



「馬鹿かお前は!」


さっと持ち上げられて窓から遠ざけられてしまったが、既に戦果は確認済なので、ネアとしては何の支障もない。

満足げな微笑みを浮かべ、手の甲で男前に額の汗を拭った。



「うむ。敵は滅びました。私の大事な魔物に槍を向けるなど、愚かにも程がありますね」

「…………………は?」



満足に頷いたネアに、アルテアは窓から外を覗いてみたようだ。

正面の広場では呆然とした面持ちのディノがこちらを見上げており、門の前の所では固形物を投げつけられた魔物がぱたりと倒れている。

ネアが、大事な魔物が怪我をせずに済んだと微笑んで手を振ると、ディノはますます困惑の眼差しになった。


「何を投げたんだ………」

「新型きりんさんぬいぐるみです!エーダリア様とゼベルさん開発の飛翔の魔術を篭めた鉛の重りをぶら下げたので、狙いを外さず、遠くまで飛ぶようになりました」



門の外側の魔物を斃したのがきりんだと気付いたのか、ディノはそちらを怖々と覗いてきゃっとなっている。


その光景にひやりとして、ネアは、守った筈の魔物が死んでしまわないよう、慌ててぬいぐるみ回収用の道具を取り出した。

これまた新開発のぬいぐるみ回収魔術の入った小さな結晶石を握ると、ぺかりと光ったきりんぬいぐるみは、ネアの手の中に無事に戻ってきた。

失せもの探しの結晶の欠片を応用した回収魔術で、一粒の失せもの探しの結晶を五等分して、その小さな欠片でこの魔術を発動出来る。


一番の利点は、祝福魔術を応用しているので、可動域の低いネアにも扱えることだ。



「ほら、こうして回収すればいいのですよ。……………ほわ、アルテアさんが………」


うっかり、ネアが手に取り戻したきりんぬいぐるみを見てしまったのだろう。

アルテアはちょっと立ち眩みを起こした淑女のように、近くの壁に寄り掛かって項垂れてしまっている。

慌てて最新型の武器はしまったのだが、どこか責めるような眼差しでこちらをじろりと睨まれた。



「ネア、今のは何だったんだい?」

「ディノ、お帰りなさい。あの不審者は槍を持っていたので、きりんさんを投げつけて倒しておきましたよ!」

「また狩ってる…………」

「エーダリア様とゼベルさんと、きりんさんの大型開発を行ったのです。きりん箱の実験がなかなか進まないので、こちらのものを先に開発してしまおうと……むぐ?」



ここでネアは、この獰猛なご主人様を世界の為に封じようとしたらしいディノに抱き締められて捕縛されてしまった。


無差別に人を襲っている訳ではないのだと釈明しても、ディノはご主人様は目を離すと誰かを狩ってしまうのだとしょんぼりしているので、狡猾な人間は、大事な魔物が心配だと荒ぶってしまうので、危ないところに行く時にはきちんと武装してゆくようにとディノを教育しておいた。



(その為に、黒い封筒入りのきりんさんカードを量産したのだから!)



使う者が自損事故で死なないような造りで、決して透けない封筒なのだが、ノアからは呪いの封筒みたいで余計に怖いと不評である。

今回、ウィリアムが使ってくれたならば、使用時の感想を是非に教えて貰おう。



なお、飛来したきりんのぬいぐるみで無力化された魔物は、意識不明のままディノに拘束され、すみやかに騎士達に預けられたそうだ。



帰ってきたエーダリア達には、こちらでも一人駆除しておいたのだと自慢げに報告したのだが、顔色の悪いアルテアを見て、味方にも被害が出ているぞと呆れたように言われてしまった。


今後は味方への視覚的な被害を押さえる為、運用を見直す必要もありそうだ。

とは言え、ヒルドがとても褒めてくれたので、荒ぶっていたというヒルドが安堵したように微笑んでくれただけでも、ネアとしては良い仕事だったと思う。


















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