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トイカ




夕闇の妖精はあわいにかかる時間の系譜の者として、生来の残忍さと気紛れさを持つ。

その中でも、トイカは比較的穏やかな気質の方であると自負していた。

誰かや何かを積極的に滅ぼすとしても、それは代理妖精であるトイカの主人の望むことだ。



「トイカ、王宮に行くぞ。エーダリア様とのお約束が出来たのだ。やれやれ、代理妖精の一人でもご用意いただかないと、約束を取り付けるのも困難ではないか」

「主様、ドレスの背中を閉めて下さい」

「はは、トイカは今も背中のリボンが結べないのか」

「こんな服にするからですよ。妖精は羽があるんですから」



トイカの主人である人間はなかなかに美しい男だったが、所詮それは短命な人間らしい刹那的な美貌に過ぎなかった。

恋をしたときの美貌が失われると、トイカはその男を退屈しのぎの命令を与えてくれるだけの暇潰しの道具として考えるようになった。



(それって、間違っていることかしら。これでいいと思うけれど)



代理妖精の全てが従順なわけではなく、主従が成立していても愛情は失われていることもある。

そんなことを知らない主人はトイカは忠実な妖精だと思っているが、最近はそう思う程には忠実ではないのだと彼は知らない。



そんなトイカにとって、ヴェルリアの王宮は刺激的な遊び場でしかなかった。




主人の供として訪れる日になると、トイカは必ず一度は主人が怪しまないような理由を作って一人で王宮の中を散策することにしていた。


人間の、それも大国の王宮など面白くない訳もなかったし、トイカにとっては敬愛してやまない美しいシーもいる。



一人で抜け出して、外客に許された区画のヴェルリア王宮の廊下を歩いていると、向こうからお供の妖精たちを連れて歩いて来たレーヌに出会った。



「あら、トイカ。お前の主人は元気かしら?」

「レーヌ様、すっかりご無沙汰しておりました!私の主は今日、あの第二王子に話があるようでして。昨晩から何やらそわそわしたり、満足げにしたりと忙しい様子ですね」

「まぁ、エーダリア王子に。そうなると、そろそろあの王子への後見を申し出る頃かしらね。いずれ私が代理妖精になってあげようと思っている可愛い子なの。あなたもきちんと、あなたの愚かな主人を見張っていて頂戴」



(レーヌ様と一緒に仕事が出来たら楽しいわ………!)



そう考えてうきうきしたが、レーヌが欲しいのはただの同意ではない。

仲良くお喋りをしていても、レーヌは黄昏の系譜の妖精の中での最高位の一人だ。



「レーヌ様が代理妖精になるなんて、人間には勿体ないような気がします。あなた様は、黄昏のシーですのに………」

「だからこそ、様々なことに飽いてしまったのよ。万象の君もお忙しい方ですし、私もあの方の不在の間のいい暇つぶしを見付けないとだわ。それに、人間は哀れになってしまう程に私を崇めるのですもの。なんて面白い玩具でしょう」

「万象の君は、お心の広いお方ですね。私が魔物の男でしたら、レーヌ様のような方は城に閉じ込めて隠してしまいます」

「ふふ、困った子ね。………そうねぇ。あの方は、私がどれだけ奔放にしていても、必ず自分のところに帰ってくるという自信がおありなのでしょうね。愛おしいけれど、困った方よ」



(レーヌ様が万象の魔物の恋人であるということは、黄昏の系譜の者達にとっては誇らしいことだわ)



そう考えると、いずれ万象がレーヌを伴侶にし、万象の加護を得られるであろう黄昏の系譜に生まれたということは、それだけでとても幸運なことなのかもしれない。

これからはますます、この王宮での遊びは楽しくなるだろう。


あの貴族でも、あちらにいる代理妖精や契約の魔物でも、トイカの遊びたいものはここにたくさんある。

自分を使役する人間は男としての魅力こそなくなりはしても、トイカを楽しませるのには十分な権力を持っている。



それは、とても愉快で心躍ることであった。





あの気儘に過ごしていた日々から、どれだけの時間が経っただろう。

トイカは今、妖精の国の片隅でひっそりと暮らしていた。



黎明とは違い、黄昏時の妖精のほとんどは群れて暮らさない。

だからトイカは、秋草の妖精達の村でのんびりとした気質の秋草の妖精達と暮らしていた。


自分の気質に合うような者達と一緒にいると刺激的ではあるが、自分の住処では自分の好きなように振る舞えないと苛々する。

だからトイカは、自分より階位が低い妖精達と暮らすことを好んだのだ。



だが、それも今日までだ。



(ああ、明日からは…………!)



明日からは、トイカが追い求めてきた可愛い妖精と一緒に暮らそう。

今日、あの腹立たしい書架妖精を殺したら、あの美しい男が手に入る。



(やっとあの頬に触れ、あの肌に口付けることが出来る………)



そんな期待で微笑みを深めていると、秋草の妖精の一人に声をかけられた。



「あら、トイカ。また地上に戻るの?」

「ええ。今日は待ちに待った祝祭があるの。絶対に参加しないといけないから」

「へぇ、面白そう」

「でも、私だけのものだから一緒には連れていけないわよ」

「けちねぇ」




身を隠していたその村を出て、その日のトイカは、生まれて初めてウィームという土地に行くことになっていた。



幾つかの転移門を通り、まずは懐かしいヴェルリアに到着する。

海の香りと波の音に羽を震わせて空を見上げたが、ここはヴェルリアを懐かしんでいる場合ではない。



「でも、…………やっぱり、私は海が好きなのね」



思わずそう呟いてしまったものの、あの、華々しかったこの国の王都での日々を惜しみ、こんなところで海に見惚れていても仕方ない。



まずは、予定通りに死者の国から出られる限りの一番早い時間で上がってきたヘルメネア達と合流し、ウィームを目指す。


久し振りに再会したトイカに、ヘルメネアは困惑する程に大仰に喜んだ。

単純な人間だからこそ感情的なところがあり、この娘は少しだけ精霊に似ている。

生まれた後の祝福で、精霊のものを多く授けられてしまったのだろうか。



「トイカはどうするの?」

「お嬢様、私はシーの相手をしなければいけないので、一足先にウィームに行きますね。……お前達は最後にウィームに入るように。私達が失敗した時に、ウィームの歌乞いはせめて殺せるようにね」

「かしこまりました」



計画は、レーヌが残したものを多用した。



ヘルメネア達には、レーヌの策をそのまま実行させることにして、トイカ達はレーヌの残した策を利用しつつ、新たな罠も仕掛け、ダリルの周囲とウィームの大聖堂に複数の罠を張った。



(ああ、わくわくする………!)



本当は事前に視察もしたかったのだが、それが命取りになりかねないほどに、ウィームは妖精の数が多い。

数が多いということは目が多いということなので、自分がウィームにいるということを知り合いの誰かに気付かれてしまい、この計画が水泡に帰してしまうのだけは避けたかった。




『可愛いトイカ。いつかの暇潰し、或いはあなたの心を癒す復讐のその時の為に、面白い玩具をあげるわ』



そう囁いたのは、レーヌだ。

聞けば、ヘルメネアが息を引き取るその間際に毒を滴らせ、死者になったヘルメネア達を利用してひと騒動起こそうとしているらしい。



(あの後は、レーヌ様ご自身も順風満帆とは言えなかった…………)




トイカの仕えていた男が、自分を拒絶したエーダリア王子の口を塞ごうとし、返された魔術に食い殺されて命を落とした後、あの王宮では色々なことがあった。




まず、レーヌが代理妖精になる筈だったエーダリア王子が、自身の代理妖精にダリルという、人間の文化圏で生まれた若い妖精を選んでしまったことだ。



その直前まで王宮を空けていたレーヌは知らなかったようだが、或いは、その上でも自分が選ばれると思っていたのかもしれないが、多くの妖精たちはエーダリア王子がヒルドという隷属上がりの妖精を、王子が代理妖精に選ぶと思っていた。



他の王子たちと違い、王宮の中で立場の弱いエーダリア王子に許された代理妖精は一人だけ。


だからこそ、自分を守るものを持たない王子は、よく見知った教育係の妖精を選ぶだろう。

そう思っていたのはトイカも同じで、心の底からつまらない流れだと、半ば苛立ち、心からうんざりしていた。



ぞくりとするほどの美貌を持つ妖精だが、ヒルドは羽を欠いた妖精だ。


羽を失った妖精は人間よりも遥かに短い寿命を余儀なくされ、自分の羽を奪ったものの下僕であるという魔術契約を受ける。

全ての羽を失えば、妖精はほんの数年くらいしか生きられないのだ。



(初めて見たのは、いつだったのかしら………)



あの瑠璃色の深い深い色の瞳を持つ妖精は、どこか遠い国で滅ぼされた妖精の一族の生き残りだったのだという。

それが今はどうだろう。

四枚羽だった筈の彼の羽は正妃の契約の精霊に毟り取られ、左右一対の羽しか持たない哀れな妖精だ。



(…………でも美しい。私の主人が殺される前だったなら、あの貴族の女達のように彼を弄び蹂躙する夜の遊びに混ぜて貰えたのに)



そう思いがっかりしたトイカは、実は何度か、我慢出来ずにあの妖精をどこかの部屋に無理やり連れ込んでしまおうとしたことがある。



初対面ではなかったのだ。


最初の主様の奥方がこの妖精を欲しがり、人を使ってこの王宮から攫ってこようとしたことがある。

手配した何でも屋と奥方はその翌日に馬車の事故で亡くなってしまい、トイカはこの妖精で遊ぶおこぼれに預かることは出来なかった。



(手を伸ばして、捕まえてしまおう)



そう考えて、教育係をしている幼い王子と歩いているところを見付け、こっそり後をつけた。


しかし、羽を奪われたか弱い妖精のくせに、ヒルドは、手を伸ばそうとした女を目に留めるなり、青い刃物のような目でトイカを一瞥した。

思わずたじろいでしまい、その直後に猛烈な怒りに襲われ、あの残った羽も引き裂いてやろうとしたのだが、運悪く第一王子とその契約の竜が通りかかってしまい断念した。



その後にも何度か捕まえようとしたのだが、今度はあの忌まわしい書架妖精に邪魔されたのだ。


あの青い目をした妖精は、わざとらしく長い髪をこちらの手にぶつけてくると、みっともない顔の女だねとトイカを指さして笑った。


近くにロクサーヌの薔薇園がなければ、あんな生意気な妖精は八つ裂きにしてやるべきだったのだ。


残念なことに、紅薔薇のシーの派閥の妖精達は、ヒルドを傷付いた仲間のように扱い、深入りはせずとも傷付けることを嫌っていた。

とは言え、正妃の不興を買う訳にもいかずに誰も深く関わらずにいたヒルドに唯一親しげに近付いていったからか、ダリルは紅薔薇のシーのお気に入りだ。



(煩わしい。私はただ、あの綺麗な玩具が欲しいだけなのに………!)




機会はまたあるだろうからと、その日は諦めた。

けれども、その後のエーダリア王子の代理妖精の選定の日に、状況はがらりと変わってしまったのだ。




その日、エーダリア王子は儀式開始早々にダリルを選び、ダリルの隣に立っていたレーヌには一瞥もくれなかった。


その結果、レーヌはエーダリアに纏わるものを激しく憎むようになり、エーダリア派の最初の主人を亡くしてその弟に仕えるようになったトイカとは、暫くの間疎遠になってしまったくらいだ。



ヒルドは、エーダリアに選ばれなかった選定式のその場で薄情な教え子を叱りつけ、千切られていた羽を修復すると、これは非公式ではあるが、なんと六枚羽のシーであったことを明かして第一王子の代理妖精になったらしい。



それは、トイカにとってとんでもない衝撃であった。



(まさか、シーだったなんて)



彼は、滅ぼされた己の国の王だったらしい。

であれば尚更、あの誇り高い妖精が何かの事情で己の力を隠さざるを得なかったその間に、トイカは彼を捕え、蹂躙してしまうべきだった。



今更ではあるが、ヒルドが己の力を隠していたのは、エーダリア王子の為だったのだろう。

可愛がっていた王子の教育係であり続ける為に、彼は不愉快な隷属に甘んじていたらしい。




(ああ、私はヒルドが欲しかった…………)




けれどもその機会は、トイカの指先から零れ落ちた。

時期を見誤ったのだ。

そう考えると、悔しさのあまり息が止まりそうになる。



新しい主人が謀反の疑いで正妃の一派に粛清され、見逃されたと思っていたヘルメネア達も内々に処分されてゆく中、ずっと狙っていた獲物が第一王子の物になってしまったトイカは、すっかり気落ちしてしまいその場にはいなかった。



港町の男達や、海の精霊達と遊んでいる間にあの一族はいつの間にかいなくなってしまい、戻ってきたトイカは呆然としていたのだが、そんな途方に暮れていたトイカを拾って世話してくれたのがレーヌだったのだ。




「うふふ。ジュリアンも美しい王子でしょう?王位を捨ててしまったエーダリアなどに選ばれずに、第四王子で良かったわ」



馥郁たる香りに満ちた海辺の別荘で、そう笑うレーヌに、トイカはおざなりに頷く。


ウィームを憎み、ダリルやエーダリア王子を傷付ける為には手段を選ばない黄昏のシーの傍らで、トイカはいつだって自分の手の中から溢れていったあの美しい妖精を見ていた。




(ヒルド、ヒルド…………)



不思議なことに、王宮で夜の奴隷にとあれだけ奪い合いだったヒルドに群がる女達はすっかりいなくなっていた。

そう言えば、あの選定式の少し前からか、王が苦言を呈してもいい程に毎夜閨に彼を呼んでいた正妃も、ぱたりとヒルドに興味をなくしてしまったようだ。



そんなヒルドを目で追い続けてきたトイカは、ある日とうとう我慢が出来なくなって、第一王子の不在の隙にと、罠を張ってヒルドを捕まえようとしてしまった。



結果は散々なもので、第一王子の使用人の一人が死んだくらいしか成果は上がられず、トイカは、トイカの企みに気付いて立ち塞がった契約の火竜に蹴散らされ、息も絶え絶えでヴェルリアから逃げ出す羽目になった。


その日のトイカは、最悪なことに、ヒルドの姿を見ることすら出来ずに王都を去らねばならなかったのだ。




妖精の国に逃げ込み、秋草の妖精達に混ざって暮らしながらも、トイカはレーヌと時折手紙を交わし、色々な話を聞いてはいた。




エーダリアが王宮を出て、とうとうヒルドも王都を去ったらしい。

手紙が途絶えて困惑していたところ、レーヌが死んだと知ったのは、ほんの数ヶ月前のことだ。



けれどもそれを知るとなぜか、トイカはとても自由になった気がして、レーヌが残したという人間の玩具、ヘルメネア達を利用した作戦で今度こそヒルドを捕らえようと決意したのだ。



最後に会った時、レーヌはヘルメネアの顛末を教えてくれ、そのヘルメネアに告げた作戦のあらましをトイカに事細かに教えてくれている。



『あなたの為の玩具よ。と言うか、あなたにしか遊べない玩具ね。ヘルメネア達は用心深くなっているから、あなたしか信用しないでしょう。せっかく用意したのだから、ちゃんと遊んで欲しいわ』




思い立つとトイカは精力的にあちこちと連携して作戦を進めてゆき、籠絡した人間を死者にして伝令に立て、ヘルメネア達とその日を待った。




ずっと、ずっと、待ち続け焦がれ続けてきたこの日、トイカはやっと欲しかったものを全力で奪いに行ける。



空は青く晴れ渡り、レーヌの恋人の一人だったという魔物が雲呼びをしたからか、確かにリーエンベルクの周囲には控えめな雲があった。


けれども、トイカの欲しいものはまだ王都にいるのだ。

これからガーウィンの大聖堂での儀式に参加し、最後にこのウィームの大聖堂に戻ってくる。



その時、トイカはやっと、あの目障りな王子を殺すだろう。



ダリルが何とか儀式に参加出来る程度には復調していたとしても、トイカが雇っておいたガーウィンの魔術師崩れの男達に持たせた香炉には、煙を浴びた者が持つ特定の病の質を悪変させる効果がある。



ダリルの書庫に仕込んでおいたのは、古い古い病の呪いである。

トイカの最初の主人がいつかの時の為に隠し持っていたその呪いを使ったのだから、あのダリルとて無事では済むまい。



(あの病は、症状が進行するまで呪いを受けたことに気付かないという呪いこそが主体になっている。あの煩いダリルが、あの不愉快な書架妖精が、肺を潰す病で声を失ったらどれだけ素敵かしら………)




だからトイカは、その瞬間までずっとご機嫌だった。



ウィームの大聖堂での儀式に現れたダリルは、案の定、口を開く様子もなかったし、エーダリア王子やヒルドは特に警戒をする様子もなく、呑気に客人達と談笑している。




(……………夕闇は忍び寄るもの)



そして朗らかに無邪気に声を上げ、襲いかかって飲み込むもの。



だからトイカは、欲しかったものを蹂躙し、可愛い玩具として持ち帰る。

ずっとずっと欲しかったのだ。

大事にして、死ぬまでトイカに鎖で繋いでやろう。



あの美しい妖精王の瞳を屈辱で歪めたなら、深い快楽で屈服させたなら、きっとその様はどれだけか美しいことだろう。




(だから…………、)




ぶつっという、骨に響くような音が響いたのは、その直後のことだった。



「……………っ?!」



真っ赤に焼けた鉄串で背中を貫かれたような激痛に、トイカは体を折り曲げて床に崩れ落ちる。

悲鳴を上げようにも、上手く声を出すことも出来ない激痛であった。



「おや、一枚ずつのつもりでしたが、二枚同時に引き抜いてしまいましたね。お久し振りです、トイカ。色々とお話ししたいこともあるのですが、残念なことにこれから復活祭の儀式でして。ひとまず、ここで私と一緒に儀式を見守りましょうか」



その声は美しく、ぞっとするくらいに穏やかだ。



ぶつっと、またあの堪え難い激痛が走り、トイカは床の上でのたうち回った。

何とか逃げ出そうと床を這いずったが、残った羽を捕まれ、元の位置に引き戻される。



「トイカ、儀式中のマナーは守って下さいね」



優しい声は冷え冷えとしていて、これだけのことが起きているのになぜか周囲の領民達は騒ぎ立てない。

霞んだ瞳で見上げた先で、一人の人間の青年がにこやかに微笑んだ。



「ヒルド様、不審者ですか?儀式の邪魔になるものでしたら、僕達できちんと捨てておきますよ」

「ギャオ!」

「いえ、お気遣いなく。動かないようにしておきますので、目障りでしょうがご容赦下さい」

「フェルフィーズ、そんなことより、お前は抱いているエルトを落とさないようにしろよ。………ヒルド、丁度、気に入らないザルツのあの伯爵からの手袋の注文を受けているんだが、その妖精の皮を分けてくれないか?」



(ここは何だ……………)



ここは何なのだろう。

ウィーム領民達は談笑しながら、本職の暗殺者達を手早く無力化してしまい、ただ普通に儀式の開始を楽しみにしている。




「ヒルド、羽は全部引き抜いても構わないけれど、そいつの喉は潰さないでおくれよ。たくさん囀って貰わないとだからね」



どこからか、ダリルの歌うような声が聞こえてきて、トイカははっとする。

その声は、朗らかで損傷した気配もなかった。



「では、手足はいりませんね」

「………あんた、本当にねじ曲がってるねぇ。…………元気にしてたかい?トイカ。これからうちの馬鹿王子の、復活祭の詠唱が始まるから、特別にあんたにも聞かせてやるよ。少し早いけれど、死者への鎮魂の詠唱だ。あんたにも必要なものだろう」



何かを答えようとしたが、喉が焼けるようで上手く喋れない。

堪えきれずに目を閉じると、安らかな暗闇が辛うじて訪れた。



どこか遠くで、夜の海の記憶が蘇る。




夜の海を渡って、いつか瑠璃色の瞳の美しい妖精王を手に入れる日を夢見て、王都を離れたあの日。




こんな風に遊ぶのは、トイカの方だった筈なのに。




でもせめて、彼はその憎しみでトイカを殺すのだろうか。

であれば、トイカの命に触れたその手触りは、ずっと彼の心に残るだろう。

トイカがシーであれば、或いはせめて羽を奪われる前であれば、ヒルドにとびきりの呪いを残せたのに。




「それと、こいつはあんたが処分しちゃいけないよ。執着した相手に殺されるのも喜ぶ馬鹿もいるからね。私が手を下してもまだ華がある。………そうだね、うちの弟子にやるか、ほこりにでもやるかい?」

「構いませんが、ほこりが胃を悪くすると可哀想ですから、それはやめておきましょう」

「ダリル、それならうちで引き取ろう。エーダリア様を傷付けようとした害獣なら、会員達も喜んでもてなすさ」

「バンル、この女を手袋にするのはやめておきな。この質じゃあ、あの拘りの強い男は引き取らないだろうよ」

「はは、そりゃそうか」




(やめて、…………ヒルド、私を離さないで…………)




そんな願いも空しく、耐え難い長さの儀式が終わると、トイカはダリルの手に引き渡された。




「さぁて、これから久し振りにゆっくりと旧交を温めようじゃないか。楽しみだねぇ」



上手く焦点の合わなくなった瞳で、青い青い瞳を歪めてそう微笑んだ書架妖精の姿を見て、トイカは失望のあまり胸が潰れそうになった。



トイカの欲しかったあの美しい妖精王は、トイカを殺す程の執着も持たなかったのだ。





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