273. 帰りの列車は観光仕様です(本編)
今はもうない、モナの海辺の素敵な家で過ごした夜が明けた。
時刻は、七時前くらいだろうか。
夜明けの透明な光の中で、ホームの石の台座にかかった砂が、きらきらと光る。
ネア達は、ホームになっている台形の石に乗り、線路の向こうからやって来る列車を見ているところだった。
(ほんとうに、影も形もなくなってしまったんだわ…………)
振り返ると海辺の素敵な家は忽然と消え失せており、そこには、ネアが最初のあわいの列車の窓から見ていた、淡い色に染め上げられた美しい海岸があるばかりだ。
灰色の空の下に広がるエメラルドグリーンの海を、ネアは最後にじっくりと眺めて記憶に焼き付ける。
またいつかここに来ることが出来ればいいのになと少しだけ思ってしまったが、道中には危ういところもあるので、あまり巻き込まれないようにしよう。
(昨日の夜はちょっと真剣な話もしたけれど、アルテアさんが居眠りしていたからツインテールちび結びにしてみたり、ディノと一緒に海の話をたくさんしてみたりして、楽しかったな…………)
そんな思いがけない一晩のお泊まりも、これでもう帰路となる。
少しだけ寂しい気持ちで海の方を見ていると、ディノにそっと頭を撫でられた。
「ネア、列車が来たよ。まだ恩寵の領域のもののようだから、安心して乗れるからね」
「はい。今はこの素敵な浜辺に、心の中でお別れを言っていました。思いがけないことはありましたが、事故はなく済んだ不思議で楽しい一夜でしたね」
「けれど、あんな風にして突然消えてしまうものなのだね」
「案外、お迎えが来るよという合図だったのかもしれませんね。パジャマを着替えた後で良かったです」
「……………うん」
念の為にネア達は、今朝は早めに起きて支度を終えていた。
それでも、すぽんとあの家が消えてしまい、海を望む砂地に放り出された時にはびっくりしたものだ。
お風呂中だったり、あのお宿支給のパジャマ姿だったら、さぞかし悲しい思いをしたに違いない。
ガタンゴトンと列車がやって来て、ネア達は、来た時と同じように見えるあわいの列車に乗り込んだ。
ネア達以外に乗客はおらず、誘導人がいるようなこともないので、穏やかな列車の旅が楽しめそうだとネアは微笑みを深める。
これなら、後はもう列車に任せてどこかへ送り届けて貰うだけで済むと思ったのだ。
どこが終着駅になるのか分らないが、幸いにも一緒にいるのはディノとアルテアなので、そこから転移でリーエンベルクに戻ることも容易い。
「む。来た時と座席の配置が違いますね」
「ああ。幾つか車体があるんだろうな」
最初に乗ったあわいの列車は、中央に通路があり、進行方向を向いた座席が左右のブロックで並んでいる仕様だった。
昨日ネアとアルテアが乗ったのもその仕様だったが、乗車してみると今回は車両内部の内装と配置が違う。
中央に通路を配置するのは変わらないが、座席は中央を向くように壁沿いに横並びの長い椅子が設置されている。
一列に並んで座ることになるので、ネアは、お気に入りの海の景色が見える方の座席に魔物達を誘導して座った。
(三人だから、並んで座るにはこっちの座席の方がいいかな……)
魔物達の間に座らせられ、ネアはディノの三つ編みを持たされて、アルテアには腕を掴まれて大人しく座っていた。
車内がすっきりしている分、視界が開けて開放感がある。
暫くは海辺を走る列車からの景色を楽しんでいたが、車窓から見るあの穏やかな色の砂浜が途切れると、列車は来るときにもあったトンネルをくぐるようだ。
ぐおんと、トンネルに入る瞬間の音がして、急に車内が暗くなる。
ぺかりと灯ったのは、丸い形で天井から吊るされている、オレンジ色の光の車内灯だ。
「このトンネルからあの地下に入り、穴熊さんに乗せられた地下の駅に行くのでしょうか?」
「来た時の順路だとそうだろうな。……………待て、様子がおかしいぞ」
アルテアはここで、窓の外に何を見てしまったものか眉を顰める。
ネアとディノも、ぴっとなって窓の外に視線を向けた。
真っ暗だったトンネルの壁が途切れ、突然まばゆい黄金色の世界が広がったのだ。
「ぎゃ!まばゆいです!!」
「…………妖精かな」
「………ほわ、金色のぽわぽわが舞い踊っています。徐行運転になってホームがあるということは、ここは、あの金色毛玉の世界な駅なのでしょうか?」
「鉱脈の妖精だね…………。ネア、何か考えたかい?」
「い、いえ、穴熊さんに列車に押し込まれた時のことしか考えていませんでした………」
ガコンガコンと、列車の走る音は地下のトンネルに響く音に変わり、ネア達はそんな地下の世界に広がっている黄金郷を呆然と眺める。
窓の向こうには、広大な空間が広がり、そこにはちびサイズのトロッコを動かしたり、スコップを持って弾んでいる真ん丸の金色毛皮の生き物達が溢れている。
アーチ状の石造りの橋がかかり、赤い屋根の可愛いお家が立ち並び、奥にはお城のようなものもあるようだ。
ネアはふと、こんな光景をどこかで見たことがあるような気がした。
(どこだろう、どこかで…………)
「…………おい。この列車は、本当に帰路についているんだろうな?」
「……………は!こ、これはまさか、金鉱脈の妖精さんでは?!」
これはまさか夏至祭に見た金鉱脈の妖精の国ではないかと気付いたネアは、ディノの三つ編みをぺっと投げ捨て、慌てて立ち上がろうとしてアルテアに羽交い絞めにされる。
窓を開けて手を伸ばせば一匹くらい捕獲出来るかもしれないので、じたばたして逃げ出そうとしたのだが、魔物の拘束はびくともせずに、荒れ狂う人間は唸り声を上げた。
三つ編みをリリースされてしまったディノも、大暴れするネアを必死に宥めにかかる。
「ネア、落ち着こうか。ごめんね、この列車からは降りられないんだよ」
「金鉱脈様!金鉱脈様があんなに沢山いるのです!!ほわ、金の小川が流れていますよ!!金のお花も生えています!!」
「おい、その金の亡者を逃がさないようにしておけよ。間違ってでもこんなところで止まらないように、列車の魔術に干渉をかける」
「ああ、そうしてくれるかい。ここで…」
「なぬ!列車が止まれば、途中下車出来るのですか?!」
「ネア、あわいの列車は変質しやすいんだよ。早く帰らないといけないから、ここで降りるのはやめようか」
「む、むぎゅー」
ネアの悲しい声を残して、無常にも、あわいの列車は素敵な金鉱脈の妖精の国を通り過ぎてゆく。
金色毛皮毬な金鉱脈の妖精達の中には、あの列車は何なのだろうという目でこちらを見ているものもいたので、ネアは悲しい思いで手を振ってみた。
するとどうだろう、金色毛皮毬たちが、一斉に手を振ってお見送りしてくれるではないか。
ゴトンゴトンと、列車はまばゆい国を走り抜けてゆき、また暗いトンネルに戻ったあわいの列車の中には、涙目で金鉱脈の妖精の国に別れを告げたネアと、金色の毛皮生物に一斉に手を振られ、どこか遠い目をした魔物達が夢から醒めたような思いで取り残された。
「窓が閉じていたのが幸いだったな」
「あの子達は、ミューミュー鳴くのですよ。夏至祭の時に召喚されそうになったことがあります。今年も会えるでしょうか……………」
「やめろ。お前は夏至祭の意味を分かってるのか」
「むぐるる。窓を開けて、網か何かを伸ばして捕獲出来たのでは………」
「ご主人様…………」
あまりにも強欲な人間にディノが落ち込んでしまい、今度、金の装飾品を買ってあげようかと尋ねてくる。
ネアは、そういうことではないのでそれはご辞退しますと言い、何だか悄然としてしまった魔物の三つ編みを握り直した。
一攫千金を逃し、小さく唸りながら元の席に座ると、ディノはそっとネアのお口に美味しい苺ジャムを挟んだ一口クラッカーを押し込んでくれた。
さくさくもぐもぐとそれを食べつつ、ネアは渋面で暗い窓の向こうを眺める。
つい先ほどまで、その向こうには憧れの金鉱脈の妖精の国があったのだ。
「…………明るくなってきたな。そろそろか」
「……………む。何だか様子が………………ほわふ」
「何かいるね…………」
ゴトンゴトンと列車が揺れる。
次に通りかかったのは、大きな洞穴の断面を拝見しながら横切る不思議な駅で、そこには緑色に光る苔の王様のようなものがふんぞりかえって佇んでいた。
立派な金色の錫杖を持ち、何やら立派な教本のようなものを反対の手に掲げ、きらきらしたつぶらな緑の瞳でこちらを見ている。
呆然としたまま通り過ぎてゆくネア達に、もすもすと弾みながら一生懸命に自分の姿を見せつけていたが、列車はそこも静かに通り過ぎていった。
「……………私は何も見ませんでした」
「地底苔の王族のようだね。とても珍しいものだけど……………」
「…………そういやあいつは、魔術の漏れを一切出さない擬態薬の材料になるんだったな…………」
そう呟き、アルテアは若干名残惜しそうにそちらを振り返る。
しかしながら、既にもう窓の外は暗いトンネルの壁だ。
またしても車内は何とも言えない沈黙に包まれる。
「…………この列車は、どこに向かっているのかな」
「というか、止まるんだろうな?」
「案外、行きはお宿に直行で、帰りは観光列車になってくれているのかもしれませんよ」
「縁起でもないことを言うな…………」
「このまま、観光をするのかな。……………ネア、観光をしたいと思ったりしたかい?」
「いえ。特にそのようなこともなく、素敵な海辺のお家に連れていってくれて有難うございましたと思ったばかりなのです………………むぎゃ?!」
突然、ガコンと列車が大きく傾いた。
ぎぎぎぎと謎の音がして、大きく傾いた社内で、長椅子タイプの座席の一番端っこに押し固められてしまったネア達は、慌てて体勢を立て直した。
「ネア、こっちにおいで。ぶつかってしまわないように、私に掴まっているんだよ」
「む、むぐ。………あやうく、ディノとアルテアさんの間でぺしゃんこになるところでした」
「…………と言うか、このまま落ちるな……………」
さすが高位の魔物らしく、この事態にあたり、魔術を使ってしっかりと座り直したらしいディノとアルテアは、これだけ傾いた列車の中でもお尻が座席に張り付いているような余裕の表情で座席に座ることが出来た。
ネアも、ディノに椅子になって貰うと、とたんに体にかかっていた負荷がなくなり、平地を走る列車に乗っているような平衡感覚になる。
ぎぎぎと、相変わらず不吉な音が響いていたが、何とか、突然の落下でぺしゃんこになる大惨事は免れたらしい。
「そろそろでしょうか。はぁはぁしてきました………」
「怖かったら、私に掴まっているといい」
「むぐぐ………。と言うか、この列車の車体は急降下をしても大丈夫なのでしょうか?」
「下手をすると、線路を外れるどころかこのまま落下するだけだな」
「不吉なことを言うのはやめるのだ!!…………むぎゃふ?!」
その直後、もの凄い早さで、あわいの列車は谷底に落ちるようなコースで走り始めた。
ぎゃるんと唸る音を聞きながら、これはもうジェットコースターでしか通らないルートだなとネアが慄いている間にも、あわいの列車は見たこともないような様々な場所を風のような早さで走り抜けてゆくではないか。
胃が沈むような浮遊感に強張った体から力が抜けると、ネアはそんな窓の外に視線が釘付けになる。
「ディノ!大きな鳥さんがいました…………ほわ、次はにょろにょろ系の竜さんが…………」
「今のは何だ…………」
「岩の精霊の亜種かな………」
「ぎゃ!く、くも!!!」
「可哀想に、怖かったね。ほら、ここに顔を埋めておいで」
「ふにゅ」
うっかり天敵らしきものの一部を見てしまいへなりとなったネアは、拘束椅子になった魔物に抱きつき、しっかりと抱き締めて貰った。
そうして体の位置を変えて初めて気づいたのだが、壁の一部に、初めてお目にかかる路線図のようなものがあるではないか。
ジェットコースター期間中ではあるのだが、酔わない程度にじっとそんな路線図を見ていると、その路線図にはぽこんと光る点があり、その光がもの凄い早さで路線図を移動している。
(あれはまさか、現在地なのでは……………)
目を凝らしてみれば、もの凄い早さで通り過ぎてゆく駅名の間には、記載されている所要時間の部分が秒単位になっている。
路線図通りであれば、あと何駅かを通り過ぎたところで、この列車はまた穏やかな走りに戻るようだ。
謎の魔術で体が傾くのを阻止してくれている魔物の邪魔になってもいけないので、ネアは急降下が落ち着くまで我慢してから、そんな路線図の存在をディノとアルテアに教えてやった。
がっしゃんという音とともに車体が元通りになり、ここから列車はまた平面走行に戻るらしい。
「ふぅ。これで一安心です…………」
「おい、ここから七十八駅もあるぞ…………」
「ふむふむ。我々の終点は、ウィーム穴熊の駅なのですね………」
「何だろう、水飴の国って……………」
「べたべたしそうですね…………」
「うん…………」
「鳥まみれという名前の駅も、不穏な気配がします………」
これはどうも長丁場になるぞと分かったので、ネア達はこれからの列車の旅を楽しむべく、まずはそれぞれに拠点を作った。
半刻程しか乗らないつもりで並んで座っていたのだが、少しだけお互いの座り位置に余裕を持たせ、先程のように傾いても体が滑ってしまわないように、アルテアが特殊な選択の魔術をかける。
どうやら車内は普通の列車と同じで、ある程度の魔術干渉が可能であるらしい。
ネアは、首飾りの金庫から水筒なども取り出してすっかり観光列車気分になったが、魔物達はこの先に控えている様々な駅名を見ながら、あれこれと議論しているようだ。
「この動きも恩恵の一環であるのなら、何かを得たりすると終わるかもしれないね」
「……………或いは、全駅を回ってその中での収穫も可能としている可能性もあるのか………」
「窓は開くようになっているみたいだ。一度、結界で補強しながら開けてみるかい?」
「このあたりも所要時間が秒表記だな、その前に確認を済ませた方がいいだろう」
「………………むぐる。だから金鉱脈の妖精さんを捕獲すれば良かったのです………………」
ジェットコースター運用時以外は、駅のところだけは徐行運転になるので、次に来る害のなさそうな駅で、少しだけ窓を開けてみることになり、ネアはその運用が金鉱脈の妖精の国で訪れなかったことに涙をのんだ。
(あ、…………森になった………)
駅と駅の間はずっとトンネルなのかと思っていたのだが、途中から真っ暗な夜の森に変わった。
ガタンゴトンと緩やかに走る列車に、このまま魔物達は列車から降りようと言い出すだろうかと、すっかり観光列車を楽しみたい気分なネアはびくびくしていたが、幸いにもまだここもあわいの空間の中のようで、転移でびゃっと降りてしまうということは出来ないのだそうだ。
ゆっくりのんびりと列車は進んでゆき、次の駅が近付いてくる。
アルテアが計算した所要時間では、このままだと二時間の列車の旅になるようだ。
(と言うことは、まだ遅めの朝食が間に合う時間に帰れるかもしれない………)
あの海辺の家でも軽食は食べたが、帰宅時間によってはリーエンベルクの朝食にもありつけるかもしれない。
何があるのか分らないので、カードから連絡をして準備はしないでいて貰っているが、パンとバターだけでも素敵な朝食になるのが、リーエンベルクのいいところだ。
しかしそう言うと、アルテアから着替えた後でハムサンドを食べただろうと叱られてしまった。
「む。…………次の駅は、綿菓子山ですよ」
「……………窓を開けるのは、次の次だ」
「なぬ。その次の駅は、かさかさ谷なので、綿菓子山の方がいいのではないでしょうか?」
「……………ネア、アルテアは、脱脂綿妖精に埋まったばかりだからじゃないかな」
「……………そうでしたね。では、三個先にある、紅玉墓場にしてみます?素敵な宝石がざくざく埋まっているかもしれません!」
「綿菓子山にしておくか……………」
かくして、ネア達は次の綿菓子山の駅で、窓を開けてみることになった。
金属のつまみでストッパーを外して押し下げるタイプの窓なのだが、窓を開けるべく窓際に立ったアルテアは、次の駅では大きな試練に見舞われる羽目になる。
がっこんという音がして、列車が止まったのだ。
「…………ほわ、停車しました」
「…………綿菓子山で降りるのかな………」
少し怯えている魔物を羽織りつつ、ネアは、ホーム側の窓際に立っていたが為に、開いた扉の程近くで列車の中に入って来た売り子さんと対面してしまったアルテアを見守る。
「ムメェ」
停まった列車の扉が開くと、不思議な鳴き声の羊風の生き物が、可愛らしい綿菓子を売りに来たのだ。
首から下げた円筒形の入れ物には、袋に入った綿菓子が何本か見える。
ネアは、試しに買ってみようではないかと思い、固まったまま自分を見上げている羊風な売り子さんと見つめ合っているアルテアに、安全地帯から声をかけた。
「アルテアさん、私は黄色にしますね」
「……………は?」
「ムメェェェ!」
ご注文となり、羊風の売り子さんは筒から、ぽわぽわした黄色の綿菓子の入った袋を取り出すと、アルテアに向けてずずいっと差し出す。
「……………これと、これもだ」
「ムメェ!」
よく見れば袋には金額が書いてあるようで、もの凄く嫌そうな顔のままではあったが、アルテアは覚悟を決めたのか代金を支払い、自分の分も買ったらしい綿菓子を受け取る。
綿菓子を売り終った売り子が列車から降りると、あわいの列車は扉を閉じてゆっくりと走り始めた。
綿菓子の袋を三袋持ったアルテアが、ゆっくりとこちらを振り返る。
「…………今のは、祝祭の系譜の魔物だ」
「むむ。綿菓子を売ることで生計を立てているのですね」
ネアがそう言って振り返ると、ディノはふるふると首を振った。
どうやら、知らない魔物であるらしい。
素朴な風合いが素敵な茶色い紙袋に入った綿菓子は、串を刺した綿菓子を逆さまにえいっと突っ込んだような大らかな包装をされており、お祭りなどで嗅ぐような甘い香りがする。
ネアは黄色い綿菓子の入った袋を受け取ろうと手を伸ばしたが、なぜかその袋はまずディノに渡されてしまった。
「ふぎゅ。私のです…………」
「まずは、安全かどうか調べるよ。…………おかしな魔術は敷かれていないようだね。………祝祭の魔術の気配があるけれど、悪いものではないようだ」
「祝祭で浮かれた者達の影から生まれる魔物だ。自身が派生した祝祭で売られていた食べ物を作り、そこに祝祭の祝福を篭めて売るらしい。アイザックに聞いて知っていたが、俺も見るのは初めてだ」
なお、そんな綿菓子には気持ちが浮き立つという効果があるそうで、食べ過ぎるとご機嫌になってしまうので要注意なのだとか。
ネアは、こんなところで様子がおかしくなってしまわないようにと、今は一口だけ食べて後はとっておくことにし、じゅわっと口の中で溶ける綿菓子の甘さを楽しんだ。
「むぐふ。美味しいれふ!」
「………綿菓子」
「…………檸檬と、……………ミントか」
爽やかな檸檬ソーダのような味わいの綿菓子を三人で少しだけ食べ、残りは魔術をかけてお土産にした。
三個買った内の一つは、アルテアの研究用で、もう一つはアクス商会に売りつけるのだそうだ。
食べてみても、やはり悪いものではないということだったので、ネアは保管した檸檬綿菓子については、エーダリア達にも一口あげようと考えてうきうきする。
どうやら、綿菓子の効果が出始めたらしい。
「次はかさかさ谷です!!」
何だかきっと楽しいものがあるに違いないという気持ちでそう声を上げたが、残念ながらかさかさ谷は、枯れ木も、ひび割れた地面も、全てがかさかさしている異様に乾燥した土地というだけであった。
大干ばつで滅びた土地のあわいであるらしく、アルテアは興味深く観察したようだ。
その後三人は、何度か車内販売にも遭遇してお土産を増やしつつ、不思議で楽しい列車の旅を満喫する。
穴熊の駅まであと少しとなったその時、ネアは、先程からずっと、アルテアがぽわり村という駅名を凝視していることに気が付いた。
「アルテアさん…………?」
首を傾げて名前を呼ぶと、どこか諦観に近い眼差しで振り返る魔物がいる。
ネアは、水飴の国の車内販売で買った色とりどりの水飴の瓶を眺めていたところだったのだが、アルテアがあまりにも暗い顔をしているので慌てて戦利品を首飾りの金庫にしまう。
(紅玉墓場は、亡骸が紅玉に置換された怖い化石がいっぱいあって、亡霊もたくさんいたけれど、緑柱石の庭では大きな宝石を何個も拾えたし………)
どうやら、ネア達が窓を開けようとしたりしてホーム側の扉に近付くと停車するシステムのようだ。
全員が降りてしまわなければ列車が発車してしまうことはなさそうだったが、念の為に列車からは降りないようにして、宝石や不思議な植物などを採取する際には、魔物達が魔術で助けてくれた。
一度だけ、歌う葉っぱがたくさん生えている緑地の駅があり、荒ぶったネアが手を伸ばして歌う葉っぱを毟り取ってしまい、動転した魔物達に、水筒に入っていたおいしい氷河のお水で手を洗われてしまう事件があった。
床の一部がびしゃびしゃになったので魔術で乾かして貰う大騒ぎだったが、ネアはこの葉っぱを収穫するのは二度目だと告白して、ディノを少しだけ泣かせた。
どうやら、葉っぱを売り捌く場面は見ていたものの、元気に歌っている頃の葉っぱを見たのは初めてだったので、ディノには刺激が強過ぎたようだ。
(大きな宝石や、美味しそうなお菓子、ボラボラ工芸品に似ている可愛い小物入れも買えたし、凄く楽しい列車の旅だったけれど……………)
この様子を見る限り、アルテアはぽわり村をかなり警戒しているようだ。
「ディノ、アルテアさんがぽわり村を警戒しているようですが、何か怖いものがいそうなのですか?」
「ぽわり村って何だろうね。………………ぽわり………?」
「もし良くないものだと、微妙に我々の最寄駅に近いのが気になりますね………」
「スープ置き場よりはいいかな…………」
「スープ置き場駅は、たいへん謎めいていましたね」
スープ置き場駅というのは、無人の広大な空間に、お皿になみなみと注がれた様々なスープが、どこまでもどこまでも整然と並んでいた駅だ。
ネアは色んな種類のスープがほかほか湯気を立てているので、お店みたいだなと思うに留まったが、魔物達はその整い方が怖かったらしく、ディノはびゃっとなってネアの肩口に顔を埋めてしまったし、アルテアはその駅に停車している間中ずっと無言であった。
ガコンガコンと、列車が進む。
(………………む?)
ネアはここで、どこか遠くから歌声のようなものが聞こえてきた気がして、むむっと眉を寄せた。
なぜか、はっとした様子のディノがネアを固く抱き締め、両手で耳を塞いでくれようとする。
戸口の方にいたアルテアが素早く戻ってくると、ネアの隣に座り、心内が窺えないような暗く冷たい眼差しで、頑なに床だけを見始めるではないか。
駅が近くなった列車は徐行運転になり、ネアは、ぽわり村のホームをゆっくりと通り過ぎてゆくあわいの列車の窓から、とんでもない光景を目にした。
「……………もわもわ妖精まみれです……………」
ここでネアは、ようやくアルテアが何を警戒していたのかを知ることが出来た。
語感から脱脂綿妖精の集落である可能性を思案し、アルテアはずっとこの駅を警戒していたのだろう。
綿菓子山でも警戒してしまったくらいであるので、かなり敏感になっているに違いない。
車窓から見える景色は一面のミントグリーンになり、ディノが耳を塞いでくれているのだが、それでも忍び込んでくるもわもわ妖精達の歌声が、閉め切った筈の窓や扉の隙間から微かに響いてくる。
埋められさえしなければ別にどうってことはない人間は、必死にネアの耳を塞いでくれているディノが震えていることや、隣のアルテアがもう床しか見えない状態であることを確認し、また視線をもわもわ妖精の村に戻す。
そもそも脱脂綿妖精なのになぜ村を形成しているのか謎だが、大きな木があり、その木に小さな家を密集させて建てているようだ。
大きく広げた枝いっぱいにもわもわ妖精が乗っていて、あの虚ろな眼差しをこちらに向けて歌っている。
「…………さて、もう、ぽわり村は過ぎましたよ。次は下車駅なので、ディノもアルテアさんも、しっかりして下さい」
ぽわり村がトンネルの向こうに過ぎ去っても、心をどこか遠くにやってしまった魔物達に、ネアは慌ててそんな二人を揺さぶった。
はっとしたように伏せていた顔を持ち上げ、水紺の瞳を恐怖に曇らせたままのディノがこちらを見る。
「ご主人様……………」
「次の駅で降りるので、準備をしましょうね。もう怖い駅は過ぎたので安心して下さい」
喋らなくなってしまったアルテアが心配だったが、腕をつつけば、ゆっくりと瞬きをすると顔を上げ、何事もなかったように下車準備を始めた。
しかしながら、足元がふらふらしているので、ネアは慌てて腕を掴んでやらなければならなかった。
下車駅では、またしても花輪をつけた大きな穴熊達にぎゅうぎゅうやられたが、その押し出しでどこからかすぽんと地上に持ち上げて貰い、ネア達は無事にリーエンベルクの敷地内に戻って来た。
と言うことは、この地下にあの駅があるらしいぞという謎も深まるのだが、それはさておき、朝食にまだありつける時間に帰ってきたネアは、颯爽と会食堂に乗り込んだのだった。
なお、ディノとアルテアがかなり怯えたままであったので、エーダリアからは余程悲惨な体験をしたのかと心配されてしまったが、下車駅のひとつ前の駅がもわもわ妖精の村だったと告げると、腑に落ちたのか成程と頷いてくれる。
ざざんと、遠い波音を思い出して目を閉じる。
あの美しい海辺の家で過ごした時間を思い、ネアはその色合いを忘れないようにと微笑んだ。
あわいの向こうで、美しい砂浜には今もエメラルドグリーンの波が打ち寄せているのだろうか。
ダリルも呼ばれ、みんなが揃ってくれた会食堂のテーブルに、イブに託されたクリームイエローの巻貝を置いて貰い、ネアはあの浜辺で穏やかな余生を終えた人の話を始めることにした。