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真夜中の外側




その日のミカは、朝から準備に余念がなかった。


ウィームで行われる食べ物の祭りに、大事なご主人様が出かけるのだ。


冬の系譜の者達が力を落す時期に入り、このご主人様を見守る会では戦力不足に悩まされる季節なので、今日はミカも現場に出る。

とは言え、会長や副会長はこの先の季節も力を損なうことはないのだが、あちこちで伝令や見張りなどを兼ねる、役職のない会員達の活動が鈍るのだ。


ミカは、特に資質を変えることはないが、季節によって身に持つ色彩を変える精霊だ。

風に揺れる長い髪は、紫がかった水色からすっかり淡い緑色になった。

いつもは栗色の髪の凡庸な青年の姿に擬態するのだが、今日は様々な者達が入り乱れても不思議のない祭りごとの一環なので、あえて本来の姿に近しい擬態でいる。


さすがに精神圧で魔術侵食とならぬように気配などは擬態しているが、ここにいる自分が何者なのかを知らしめた方が、何かと都合のいいことも多い。



そんなことを考えながら会場に入ると、すぐに副会長に出会った。



「おや、ミカはすっかり髪色が変わりましたね」

「ああ。春から夏にかけてはこの色だ。この変化が口惜しいばかりだな。冬時の色の方が、ネア様は好むだろうに……」

「しかし、ネア様に羽の庇護を与えるシーは緑の系譜の色彩を持つ者です。近しい者の持つ色合いに近いのであれば、親近感を覚えるかもしれませんよ」



イーザのその言葉に微かな安堵を温め、ミカはすっかり雨の気配を失くした空を見上げた。



本来であれば、今日は雨天であり、この祭りは中止になる筈であった。

そんな予報を知って絶望しているご主人様の様子を伝えてくれたのは、リーエンベルクで騎士の務めを果たしているエドモンだ。

彼はこの会の会員の中では少数派を占める、ご主人様と呼ばない系の会員である。


少数派ながらもこの会の趣旨に賛同している彼等が望むのは、リーエンベルクやウィームを健やかにする、厄除けで守り手としてのネア様の維持管理となる。

ご主人様と呼びたい系の者達が迷走した時に、そんな仲間を窘めるのも彼等の役目だ。

会長を含むそんな少数派の彼等の存在によって、時に暴走しがちな危うい欲望を持つ仲間達は日々助けられており、逆に強い嗜好を持つ仲間達の活動によって、綿密な調査と警護が可能になることも多かった。



「今日は、アルテア様がご一緒のようですよ」

「使い魔の契約を新たにしたという、例の魔物だな。………またご主人様を悩ませないといいのだが」



あえて曖昧にして話しているが、ミカはアルテアを知っていた。

名前を聞くまでは彼がご主人様の使い魔だとは知らなかったが、名前を聞いてその姿を見れば、夜の座の者達なら知っている者も多い、とりわけ享楽的で残忍な魔物の一人だ。


けれども、そんなことを敢えて言う必要はないだろう。

ミカがそうであるように、彼も己が欲するものを、あの方との日々に見付けたに違いない。



「ええ。会長のお考えでは、そろそろ周期的に何かするかもしれないので、動向には気を付けた方がいいとのことです。ただ、あの方がネア様の良い守護者であるのは間違いありませんし、ご……ネア様を満足させる料理人としてのお役目は彼以外には難しいでしょう。白毛の美しい獣になって心を和ませることも出来るネア様にとっては必要不可欠な使い魔ですので、我々は彼が何か不穏な動きを見せた際には、会長への報告を必須とするのみです」

「とは言え、前回の小鳥の巣箱を壊した事件で、彼も懲りたのではないか?」

「さてどうでしょうね。………魔物というものは、己を損なうとしても、自身の資質を裏切れないことが多い。不思議な生き物ですから」

「君が言うと、説得力があるな…………」

「ヨシュアもまさに、そんな魔物ですからね。無邪気で残忍で、更には我儘で手がかかりますが、誰よりも優しい魔物です」



雲の魔物は残忍だと聞いている者が多い。

特に、ミカのいる夜の座の者達はだいたいがそう考えているだろう。

だが、あの真夜中の宮殿を出てこうして外に出てくると、初めて対面した雲の魔物は、このイーザの命令で泣きながら雨雲を排除していた。


ご主人様にもよく懐いており度々許し難いご褒美を貰ってはいるが、あの使い魔と同じで、だからといって排除するべきだとは思わせない彼にしかない資質があるのも確かだ。


彼はご主人様が時々面倒を見てやりたくなるような知人であり、イーザの大事な友人だ。

だからミカは、これから先、雲の魔物の残忍さをどこかで見ても、そればかりが彼の全てではないと考えるだろう。


こうして新しく世界を知るからこそ、ミカはそう判断出来るようになった。




(ああ、不思議だ。不思議で豊かで、なんと心躍ることか)



ご主人様の周囲は、ちっとも単純ではない。

複雑で厄介で、その絡み合った糸が上手く毛糸玉になっているような不可思議な魅力がある。

見たままのものが見たままではない姿で伸び伸びと過ごせる、そんな秘密の庭だ。


だからミカも、ご主人様に関わる時間は、こうして王座のことを考えずに仲間達と楽しく過ごせる。




「ミカ、今日はベージはいないのか?」


そう話しかけてきたのは、最近親しくしている会員の一人で、ミカが真夜中の座の精霊王であることを知っている数少ない会員の一人だ。


(まさか、私が竜と友人になるとは思わなかった…………)



それなのに先日は、彼と共にご主人様が気に入っているという、砂漠の国の串焼き屋に行って来た。

あれはとても愉快な夜で、真夜中の座の者達は、王があんな風に笑っているのを初めて見たと驚いていたくらいだ。



彼もかなり高階位の竜種なのだが、お互いにほとんどの会員達には身の上を明かしていない。

ご主人様に仕える僕としての活動には、階位などなんの意味もない。

共に語り合い、共に戦い、そして笑い合う。

皆、平等な下僕なのだ。



「ああ。彼もそろそろ冬の系譜の残る土地に引き籠る時期だからな。あまり無理は出来ない。万が一、ご主人様の周囲で氷の系譜の問題などが起きた時の為に、力を温存しておかねばならないのだろう」

「まぁ、氷竜はそんな時期かもしれないな。食べ物回りの外出のご主人様は格別なのに、残念だろうに」

「そうだな。………ただ、知り合いの氷竜にもし何かあったら手を差し伸べてくれるように、頼んであるそうだ。リディアという氷竜がいたら、いざという時には力を借りられるらしい」

「トンメルの宴の、リディア様か!あの方とお近付きになれると、ご主人様の好むような食べ物も学べるかもしれないな………」

「君の方が階位が上ではないのか?そうやって呼ぶのだな」

「ああ。我々竜は、敵対していない一族の古竜には、このように敬意を払うんだ」

「成る程。それは知らなかった」



そんなことを話しながら会場の見回りをしていると、一人の騎士が近付いてきた。

眉を持ち上げてそんな人間を一瞥すると、気の抜けるような警戒心のない微笑みを浮かべ、エドモンからミカの話を聞いていると告げられる。


「………そう言えば、今日の現場担当者が、挨拶に来るかもしれないと言っていたな」

「ええ。時間の座の精霊王にご挨拶に伺いました。残念ながら我々は精霊の系譜の守護が弱い。精霊にかかわる問題が起きた際には、お力添えいただけますと幸いです」

「そういうことであれば、何かあったら声をかけてくれて構わない。ただし、ネア様が危機に瀕している場合は、そちらを優先させて貰おう」

「はい、それでも充分助かります。それと、もし捕まえてしまった不審者がそちらの会の人だったら、我々、リーエンベルクの騎士に声をかけて下さい」

「そういう者が出ないよう注意はしているのだが、迷惑をかけることもあるかもしれないな………」



飄々とした言動の人間だが、近付くとぞわりと空気が軋んだ。

恐らく、エアリエルの加護を受けているのだろうが、同じ精霊同士でもその生態が謎であるエアリエルが、人間をお気に入りにすることは稀である。

やはり、あの方が暮らすリーエンベルクを守るのに相応しい人材なのだろう。



その騎士や友人と別れ、様々なことを考えながら歩いていると、ご主人様が会場に到着したという連絡が入った。

俄かに緊張感と期待が高まり、周囲を見回す目は鋭くなる。



そしてそんな時に見付けたのが、近付く人間に悪さをする精霊の一人であった。




(黄昏の系譜の者か…………)



昼と夜の境目の時間帯に属する者達はあわいの者と呼ばれ、他者に害を為すことを好む者たちが多い。

男も女も、獣も虫も美しく、そして悪意や裏切りを楽しむのだ。

その中でも黄昏の系譜は残虐さに秀でており、ミカが見付けたのはそんな黄昏の系譜の精霊。

夕暮れの鐘と呼ばれるありもしない鐘を鳴らして、子供達を連れ去るような精霊だった。



小さな女の子供の姿をした精霊だが、手に茜色の小さな手突きの鐘を持っている。

茜色のケープを羽織り、黄金色の瞳をした美しい子供だ。

肩口までの金色の巻き毛は儚げで、哀れな大人達がこの稚い子供達にうっかりと気を許し、迷子だろうかと手を差し伸べて食い殺されてしまうこともあるそうだ。


よく見れば、澄んでいるように見える金色の瞳は獣のように獰猛で冷ややかなのだが、特に人間たちは精霊の瞳に浮かぶ感情を見分けるのが苦手だという。

無垢そうな見た目に惑わされてしまい、犠牲になることも多い。

夕暮れの鐘だとか、夕暮れの鐘突きと呼ばれている。



「何をしている?」



鐘を鳴らそうとしているのを見咎め、ミカはすぐに声をかけた。

ぎょっとしたように振り返った精霊は、同じあわいの時間の座に属する精霊として、気配は擬態しているもののミカの正体に気付いたらしい。


「……………時間の座の精霊だ!」


驚いたように声を上げ飛び上がる。




(ご主人様は可動域が低い)


まだ可動域の育っていない子供達にしか聞こえないこの鐘が聞こえてしまう危険があるので、見過ごせずにそう声をかけると、ミカが声をかけた者だけではなく、あちこちに潜んでいたらしい夕暮れの鐘達は、わっと声を上げてわらわらと逃げ出していった。

この精霊は邪悪だが、悪さをする前に声をかけられてしまうと退散するとされている。

とは言え、彼らも食料を狩りに来ているのだ。

実際には、立ち去り際にも獲物と定めた子供達を攫ってゆくことが多い。



(……………やれやれ、私が見付けて良かった)



時間の座の周りの精霊の中でも、あわいの者はあわいのものを見付けやすいと言われている。

同じあわいの者でも少しずつ気質が違うが、その相性の一端として、黎明と黄昏を治めることを得意とするのは、時間の領域の中でのあわいの最高位となる真夜中の座の者達である。


もし、あの子供達の影に、この祭りに悪戯をしようとしてた他の黄昏の大人達がいても、ミカの姿を見れば軽率な行為は控えるだろう。

この時期に淡い緑色の髪をした夜の系譜の精霊は、真夜中の座の者達しかいないのだ。



しかし、逃げてゆく夕暮れの鐘の子供達の中の一人が、手に持っていたまんじゅうを、ミカめがけて投げつけてきた。


黄昏の系譜とは言え、夕暮れの鐘はまだ幼い精霊の子供達の集まりだ。

悪戯を窘められた子供のような振る舞いは致し方あるまいと眉を顰めてそれを受け止めたものの、予想していなかったのはその直後の惨事である。

何か食べられるものが投げられたと思ったのか、周辺の木々にとまっていた小鳥たちがいっせいに襲い掛かってきたのだ。



「…………っ、やめぬか!こら、やめろと言うに!」


最初は、ただその輪から逃れようとしていたのだが、思いがけない大群に囲まれてしまい、いささか慌てた。

いっせいに飛びかかってきた小鳥達を、それでも何とかどかしていると、慌てたように誰かが駆け寄ってくる。

先程の騎士のようで、すぐにエアリエルに命じて小鳥達を遠ざけてくれた。



「大丈夫ですか?!………うわ、小鳥達も今日は見境ないな………」

「…………………助かった、礼を言う。さすがに数が多過ぎて逃げ切れなかった。あの小さな生き物達を排除するのは容易いが、ご主人様は、小鳥の巣箱を作るくらいに小鳥好きだからな………」

「いえ、夕暮れの鐘突き精霊を追い払ってくれて、こちらこそ助かりました。偶然見付けたものの、離れ過ぎていて間に合わないかと、ひやりとしたところだったんです」

「ああ。一度散らしたから暫くは出て来ないだろうが、ここを狙っているのであれば、注意した方がいい」

「騎士達にも共有させておきます」



(危うく、小鳥達を排除するしかなくなるところだった…………)



乱れた息を整えながらそう息を吐き、注目を避ける形で少し移動すると、楽しそうにテントを覗き込んでいるご主人様の姿を確認する。


人気店の行列に並びながら、楽しそうに微笑んでいる姿を見るだけで、その尊さに胸が震えた。

すぐに順番が回ってきたのか、購入したものを食べて嬉しそうに弾む姿には、堪らない中毒性があった。

契約の魔物が何か失言をしたのか、ふっと目を鋭く細めてその腕を引っ張って歩き出す。

きっと、ああして引っ張って貰えるのなら死んでもいいと思う会員は多い筈だ。



満足げに頷いて、もう少し見ていたいという気持ちを律して会場の見回りに戻る。

ここで、愚かにもご主人様に見惚れてしまい、任務をおろそかにする者もいるだろう。

しかしミカは、こんな時こそ周囲を警戒しようと自分を戒めることが出来る高位の精霊である。

精霊王として培ってきた自制心があれば、一秒でも長くご主人様を見ていたいという欲求に打ち勝つことが出来よう。



(あれは、…………雲の魔物が何かしたのだろうな)


途中、もの凄い形相で駆け抜けてゆくイーザが見えた。

あの感じだと、連れの雲の魔物が何かしでかしたのだろう。

さもありなんという思いでそちらは任せることにして、ミカはまた違うところを見て回ることにした。



ゆったりと人々の喧騒の中を歩く。

そこかしこで楽しそうな声が聞こえ、日差しは熱い程ではなく風も多少あり、良い一日だ。


食事めいたものであったり、子供が喜びそうな甘い香りだったり、多種多様ないい香りのするテントが立ち並び、ミカはそんなテントの幾つかの位置を記憶に留めた。

きりのいいところのどこかで、ご主人様の気に入っていたものを買って食べてみよう。



(マロンクリームは特別なものであるらしい。それは忘れないようにしよう………)



歩きながら、あの真夜中の宮殿の静けさを思う。


勿論、ミカはそんな真夜中の座の王として真夜中の系譜の者達を治める者だ。

あの静謐さやふくよかさを愛しているし、他のものになろうなどと思うこともない。

けれども、夜が明けてその王座から下り一人になった時に、では何をすればいいのだろうという虚しさに囚われることがあった。


系譜の者たちはいつだって大勢控えている。

そこには、家族や友人、そして心を許している筈の部下達もいる。

けれども彼等にとってのミカは、やはり王なのだ。



惨めなことだが、孤独だと感じることもあった。



いんいんとした暗く鮮やかな夜の中央で、美しい夜の調べに耳を傾けながら一人で夜を眺めていた。

そんな夜のどこかで、ミカはご主人様に出会ったのだ。





「ミカ、もう何か食べましたか?」


ふっと、誰かが隣に並んだ。

穏やかな声でそう話しかけてきたのは、ミカの所属する会の会長を任されている人間だ。


人間だということになっているし、人間にしか見えないが、恐らくこの男は生粋の人間ではあるまい。

人ならざる者達との触れ合いの中で、彼を見て、ミカはそう確信している。

そしてその上で、この人間をこの上なく信頼していた。

そう思わせるだけの何かが、彼にはあるのだ。



「まだだが、ご……ネア様のお気に入りの、マロンクリームのものを食べてみようと思っている」

「それはいい。あのおまんじゅうは美味しいですよ。私もお勧めです。…………それと、少しだけ私に力を貸していただけないでしょうか?」

「構わないが、何かあったのだろうか?」

「ええ。とある魔物が一人、少しだけ心を厄介な方に傾けようとしていますので、ささやかなお喋りにお付き合いいただきたい」

「会話をするだけで、どうにかなるものなのか?」

「魔物というものは、単純なものですからね。それと、彼が望むようなスパイスは、他のところから手に入りそうです」


特に言葉を必要以上にぼかしたりはしないが、彼の言動はいつもどこか曖昧で捉えどころがない。

それなのに、ひどく真摯な眼差しと声音が胸に届くという、不思議な雰囲気を身に纏う。

丁寧に手入れされてはいるが、決して新しいものではない上着を羽織り、彼の装いはいつも華美ではなく清貧さを纏う。

実際にはザハの給仕としてそれなりに給金も貰っている筈だし、そこまで質素な身なりではない。

けれども彼は、その澄んだ灰色の瞳と悲しげに微笑むような微かな微笑みの形で、清らかで慎ましやかなものという仮面を纏う。



ミカは、この男の持つそんな柔らかさが好きだった。

実際に、彼と話をするのも楽しいと会合を休まない者達もいるくらいだ。



(いや、彼だけではないな…………)



会計のアイザックや、副会長のイーザ。

そしてミカと話すのが楽しいと言ってくれて、友人になった者もいる。

こうして過ごす日々の中で、自分がまっさらなただの自分になり、本来であれば関わることもなかった筈の人々と出会い語らう日々は、とても楽しいのだ。




ミカはその後、会長ととりとめのないお喋りをした。


会話の内容は簡単なもので、会長の働くザハの料理人が、リーエンベルクの歌乞いが話している、至高のパイ職人と腕比べをしてみたいと話しているというものだ。

ミカは会長の話に相槌を打ったり、簡単な質問をするだけで良く、会長は、けれどもネア様がどれだけそのパイ職人を溺愛しているのかを見ると、ザハの料理長も敵わないなぁと結んで大らかに笑う。

そして、そこでふと話題を変えるのだ。



「ところで、妖精の国にいる筈の闇の妖精が一人、地上に上がって来ているらしいですよ」

「……………そうなのか?初めて聞いたが、闇の妖精が、時期外れに単身で地上に出てくるのは珍しいのではないか?」

「どうも一族の中で権力闘争があり、弾かれた個体なのだとか。ウィームで見かけたという話もあります。とは言え、これもお客様達から教えて貰ったことなので、自分の目で見た事ではありませんけれどね。…………ただ、良い妖精も悪い妖精も、こういう賑やかな場所が好きですから、その話をふと思い出して、少しだけ心配になってしまいました」


いやはや気が弱くてと微笑んだ会長の姿に、ミカは彼が話していた他のスパイスというのが、その闇の妖精なのだと得心する。

恐らく、本当にそんな闇の妖精がこの会場、或いはウィームのどこかにいるのだろう。

彼はそんな憐れな妖精を、退屈して玩具を探してふらりと歩いていた魔物の目の前に投げ、器用に不安の火種を消してみせた。



ああ、これで少し離れた位置に背を向けて立っている魔物はもう、もしかしたらネア様を傷付けるかもしれない遊びには手を出すまい。



(そんなことよりも、ウィームにいる闇の妖精の排除をと思うだろう)



ここに大事なものがある者にとって、闇の妖精などという不安要因を放置出来る筈がない。



(会長は、実は魔物なのかもしれないな………)



それぞれの種族ごとに、実はやり方に癖や好みがある。

なのでミカは、このような調整を好むのは魔物ではないだろうかと考え、件の魔物が立ち去った後、眉を持ち上げてじっと会長の顔を見てみた。


謎めいた微笑を浮かべ、上手くいきましたねと微笑む彼の眼差しには一変の翳りもない。

灰色の瞳は澄んでいて、穏やかで優しいばかりである。

そして彼はいつも、ネア様と契約の魔物が仲睦まじく一緒にいる姿を、何よりも嬉しそうに微笑んで見ているのだ。



「…………明日は、別の土地での仕事に行かなければなりません。そちらの仕事は少々気鬱なこともあるので、………今日、こうしてここであの二人が楽しそうに過ごしている姿を見る事が出来て、とても嬉しかった」



穏やかな口調でそう言うと、彼は悪戯っぽく微笑みこちらを見る。



「それと、あなたとも話せて良かったです。こうして二人で話をしたのは初めてですね」

「君ならば、どんな者達とも上手くやっていけるだろう。それなのに、今更、私と話したかったと言うのか?」

「確かに私には他にも友人達がいますが、あなたは孤独を知っていて、けれども自分や自分の司るものを愛しておられる。そういう方の持つ言葉や振る舞いは、じっくり話してみたいと考えるには充分なものですよ」



そう微笑まれ、ふっと唇の端を持ち上げた。

もしかしたら、また一人、共に食事を出来るような友人を増やせるかもしれない。



「そう言えば、まだマロンクリームのおまんじゅうとやらを買っていないのだが、残っているだろうか」

「あの店はその場でも商品を作るので、時間いっぱいまで売っている筈ですよ。どうですか、もし良ければご一緒に」

「ああ。これでも、実はまだ外の世には不慣れなところがあるのだ。購入する時に一人でないと助かる」




その日は、あちこちのテントで会員達がおまんじゅうを食べながら談笑している姿が見られた。

いつかの日に見かけたエイミンハーヌも友人達と来ていたので、ウィームの催しを盛り上げるという意味合いで、そちらの会の者達もあちこちにいるのだろう。



ゆっくりと暮れてゆく空を見上げて微笑みを深める。



今日もまた、とても充実した一日であった。










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